”過去に何度か触れた言葉です。ビジョナリー、ビジョンを持て、ビジョンに沿って。。。とビジョンという言葉、良く聞きますね。 あるいは”君の発想にはビジョンがない(大きなお世話なのですが)”などとおっしゃるおじじも沢山おられます。”あなたはどこまでビジョンが有ったっていうんだい?”大きなお世話!と思ったりもするわけですがそれくらいビジョンと言う言葉、日常聞きますね。これくらいの歳になるとなんでも好き勝手に言いますがいわゆるビジョンの話をされる方の大多数は誰かの言ったこと、書いたことを”また聞き”されて話しているか書いておられます。そんなに世の中すごい”ビジョン”をもって仕事をされている方はおりません(と断言してしまいます)。私自身は何のビジョンも持っていません。ですから若い人にも同世代の人にも(その)ビジョンの話はしません。意見は持ってますよ。でも意見とビジョンは全然異なるんです。そんなこと知っているよ、と言われそうですがビジョンがあると噂などで聞いた人のビデオ等を見てもその大半は単にご意見を述べられているだけでビジョンとは程遠いのを発見することが多いです。ビジョンは実現できるものだと思うのです、絵空事はビジョンではない。語るだけで実際には何もしない御仁も多いですね。今はしゃべるだけでお金になる時代です。いわゆる評論家、コンサルタント、そして言っては悪いですが教授が多くなったように思います。ビジョンには苦労が伴います。これはあるビジョンを持った人の下で20年近くベンチャー企業の一員として創業時から働いた私の経験として語れます。最近の人ではTeslaのCEO Elon Mask氏はビジョナリーでしょうね。どのような人かはこのシリコンバレーでは知られており、私は決して彼の配下で働きたくはないです。それはさておき、そのTesla, 入社面接で最後に彼直々の面接があるそうです (今もかな?)。彼は”これまでの仕事で一番大変だった経験”を聞きただすそうです。彼はその人が実際に本当にその件に関わったのか、その周りにいただけの人間なのかを見抜く能力に優れているそうです。”周りにいただけ”の人はいらないそうです。周辺にいただけではわからないことは多いですよ。ぜひとも周辺ではなくその当事者(のひとり)になって苦労もしてください。周辺にいてなんか”要領の良いひと”沢山いるのですが経験の深さは断然違ってきます。
さて私がここで触れるVisionはその”ビジョン”ではないです。このビジョン、以前のブログでも少し書きました。いわゆる”ビジョンを持て、ビジョンに沿って”というのはそうですね、別な言い方をするなら、 ”アイデア、企画、方針など。。。”となるでしょうか? 現代の日本人は横文字を好む傾向がありますが、ビジョンと良く聞く言葉、一体どういうことなのかを理解するには”おと”としてのビジョンではなく”意味”としてのビジョンを理解する必要があると分かってきました。私の年齢ではちょっと遅すぎるのですがね。”おと”のままでは理解ができない。元々が日本語でないわけですから。振り返ってみるに明治時代、英語に初めて接された偉人たちは英語を”理解”しそれを伝えようとしたと思います。彼らは英語の単語に相当する日本語を探した。当時の日本語にはなかった言葉も多いのです。例えばVote(選挙)。選挙制度は江戸時代なかったわけです。Voteと言う言葉にであった明治の日本人はそれを”ボート”と”おと”の輸入をすることなく意味を理解してそれにふさわしい日本語を当てはめた。この辺りさすがだと思います。爺さん的発想ですかね?
なんて硬いことを書いてますがここで触れるVisionはまさしく”目に映る”、”頭に描く”ビジョンなのです。人生を成功に導く、幸せになる一つの大きな要素に”Have A Vision”があるとアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにあります(以前のブログにリンクと付けましたが再びつけておきます:ここです)。このスピーチをじっくり聞くとそのVisionはまさしく目に見え、頭に描けるとても具体的なことだと分かります。彼の場合、ボディービルダーとして成功し、そしていずれ映画俳優としてスターになる、ということですがスピーチを聞いていても私は当時の彼の頭、目にその自分自身の姿が鮮明に描かれていたと思います。この言葉 Vision を日本語にするとするなら”目頭にしっかりとそして鮮明に自分のなりたい姿を焼き付けなさい”とでもなるでしょうか? 巷で聞く”ビジョン”とはずいぶん異なるのではないですか?
鮮明に描く、これがカギです。成功された方の書物、インタビューに触れると皆さん同じことを書いています。自分の進む方向が鮮明に描き出されその上を歩いて行った、というような。アイデア、企画などもあるのでしょうが、決して抽象的ではなくとにかく具体的です。ある書物では例えば自分がその時食しているであろう食事に至るまで鮮明に頭(目)に描かれるほどに具体的に。それで初めてのデートの成功確率が上がるそうですよ。目に描く練習を積むことは重要です。スポーツのスーパースターたちは試合に先立って自分がその日するであろうゴール、ホームランなどを鮮明に描くそうです。それが鮮明であればあるほどその日の試合はうまくいくそうです。そのために一人になる時間を持っているそうです。
またビジョンは潜在意識にも働きかけます。 潜在意識について以前読んだことがありますがビジョンと潜在意識は切り離せないと思います。ふとしたときにそれが現れてくるのです。
これについては具体的な個人例があります。以前書きましたが私自身は全く覚えていないのですが私は母に”いずれ、遠いところに行く”と言ったそうです。でも、確か高校生3年生ぐらいのころ町の書店で雑誌を読んでいて”石油タンカーの無線通信士の日常”と言ったような書き物に出会ったことは覚えています。その号の記事では”マラッカ海峡で船が数珠つなぎになり通れる日を待っている”ような内容だった。マラッカ海峡、社会(地理)の授業で名前は聞いたことはあるが実際はどんなところか全然知りませんでした。1970年代のこと、写真、ビデオ、インターネットなどは無いに等しいです。その記事はとても鮮明で読んでいるうちに”一度見てみたい”と思ったのは覚えています。それからその雑誌のその記事だけを書店で立ち読みするようになったのも覚えています(雑誌名は覚えていない。)おそらくそれがあって”いずれ 遠いところ”に行くとなったのでしょう。マラッカ海峡が見たい、程度のことだったのでしょうけれど、よくわからないがマラッカ海峡に一種のあこがれをもったのは確かです。狭い海峡を沢山の船が往来するらしいのです。その光景は今でも目に映せます。そして事実こうしてマラッカではないですが遠いところにいます。おそらくあの時に潜在意識の奥底に自分の描いたマラッカ(遠いところ)が刻み込まれたに違いないと今では思っています。また、最近の話ではこの5年ほどAIが次のテクノロジーとして大きく脚光を浴びています。マーケティング部に属するエンジニアとして顧客との会話もAIが主体になっていました。そのころからいずれ自分自身もAI関連の開発に直接従事するんじゃないかと薄々思っていました。AI について経験ゼロ、学校で学んだこともありませんが。そして今現在本当にAIに特化したシリコン開発の責任者をしています。実はその少し前にAIではないがGAFAの一社にてエンジニアをする機会に巡り合えたのです。おそらく人に話したら”なんてもったいない”となると思います。とても良い条件の仕事でした。ですが、あの時にそのポジションは取らなかった(元上司を助けるためなのですが。)でもあの時あの仕事を取らなかったことで今AI関連の製品開発の責任者になったわけでこれも潜在意識が働いたのではないかと思うのです。あの時違った選択をしていれば今の仕事の機会はやってこなかったのですから。
ビジョンを深めるのは瞑想が一番だそうです。 潜在意識を深めるには沢山遭遇することだそうです。外にでて沢山遭遇して、瞑想の時間を持つ、簡単そうで中々できないですが意識するだけでも人生変わるかもしれないですよ。しかも瞑想は時間をかける必要はなく5分でもいや1分でも良いのでそうですよ。現代人、なぜか皆が忙しいと言っていますが(実際は絶対そんなに忙しいわけはないことも老齢になると知っています)、5分の瞑想を取る時間はあると思います。5分(300秒)、起きている時間が14時間としてわずか0.6%の時間。5分の瞑想を50年間毎日してもわずかに64日(2か月)分の時間。 この時間がないはずはない!と私は毎日のように呪文をかけて朝おきたらとりあえず座るようにしております。効果は? それが沢山あるのですね。会ってみたかった人にも出会えたし、行ってみたかったところにも行けたし、なんとなくするだろうなあと思っていた仕事にも就いているし。。。だまされと思って瞑想してみます?だまされても失うのは毎日5分の時間だけですし。
どんな写真かな~と思いました。写真はすべて自分がIPHONEで撮ったものを使うようにしています。写真は一度一緒に食事をしたいと思っていた人とした食事から。長い間こんな食事をしたいものだと思っておりましたら確か4年ほど前にそんな機会に巡り合ったというわけです。