北京 Part 2

仕事でしか行ったことがない、北京。宿泊は大きな会社に勤めていたころはモダンなシェラトンホテルでした。その同じエリアに会社の北京オフィスがあったからなのですが、こうしたモダンなホテル、中国でも、USAでも変わりなくアメリカ、している。 違いはというと

ーバフェの朝食。

ーチェックインの時に写真を撮る(中国ではパスポートだけでなく顔写真を撮りますよ。自動車で走っていてもひっきりなしに写真を撮っていますから行動は全部当局に知られていると思って行動するべし、ですね)。

ヨーロッパの小さな会社のコンサルタントをしていたころ(昨年)はこういったモダンなホテルには宿泊していません。モダンなホテルかなり高額です。会社割引があるのですがそれでもかなりな金額。キャッシュが大切な小さな会社には負担です。そこでいつも宿泊はこちら。

http://www.friendshipshotel.com/

とても敷地が広いのです。古いホテルです。敷地内はとても広く散策できます。外国人(?私も外国人ですがね)は見たことがないと言えるくらいまれ。現地で一緒に働いていた同僚はやりてでいつも私には普通の宿泊費でスイートルームを取ってくれました。とても広い部屋です。朝食は、まあまあ。シェラトンなどと比べると明らかに見劣りしますが私は好きになり一年に4度も北京に行った昨年は4回ともこのホテル宿。 写真も撮ったはずですがどうしても見つからない。地下鉄の駅もそばで便利です。

顧客訪問がいつになく早く終わった時にあまり行かない観光地としてこんな公園に行きました。山がありケーブルカーで登れるのですが歩いて行きましたが途中で日暮れ。街燈がなく真っ暗な山道を走るように降りて行きました。ここはホテルもあるのです。今度北京に来たらここにも泊まろうと言っていましたが会社を辞めてしまい実現しないままです。もっともCOVIDな2020年はどこにも行けないですが。皇帝の別荘だったのでしょうかね、広く大きな公園でした。観光客はほとんど中国人でやはり故宮など知られた観光名所とは一味違っています。

 

北京では羊肉をよく食べました。北京風が私は好き。

この10年で中国大陸にも沢山の友人と同僚が出来ました。若い人が多くいつも”老師”扱いでとても親切にしてくれます。かれら若い層、顧客も含めてですが中国人を知らないでテレビ、ブログなどで聞いた、見た中国の人を連想するとびっくりするかもしれないですよ。よく働きそして押しなべてマナーも良いです。自分たちの親の世代とは違ってきていると彼ら自身言っていました。あと30年(2世代)でずいぶん変わってくるに違いないと、私の良く知る私と同世代な中国の友人も言います(彼はとても漸進な考えの持ち主)。公園を歩いていても特に若い世代はマナーも良いです。何度もこのBLOGで書いていますが自分自身で経験して確かめてみると”聞いた、見た”(しかも編集された記事)とは異なることを知って驚くことが多いはずです。 そして友人をまず一人つくる。そうすると考え方がずいぶんと変わると思います。

水を撒く  追加

以前ブログで水を撒くというタイトルで書きました。これはその追加。以前のブログを見てくださいね。

追加は

休ませるときもある

薔薇を例にしますが、私は冬はあまり水をあげません。カリフォルニアの気候をご存じの方は”当たり前じゃないか、冬は雨季だろう?”と思われるかもしれない。確かに雨季ですがここ10年ほどは雨季と言えるほどには雨が降りません。気象条件、変化を感じます。25年も前なら冬はあめがきちっと降り雑草も沢山生えましたがここ数年は特に、冬も本当に一握りの雨です。小さな池、湖がどんどん無くなっています。かたやハリケーンもどんどん強大になっている(日本も台風が毎年勢いを増しているので同じ)。歳をとった私はどうやって次の世代にこの地球を渡していけるのか最近よく考えます。できることはしているつもりですが何かが足りない。めちゃくちゃにされた地球を若い世代に”ほれ、この問題を解決するのは君たちの仕事だ”なんて言いたくない。歳よりの仕事だ。めちゃくちゃにしたわけですから。

さてと水やり。冬は薔薇を詰めてあまり水をあげません。もちろん枯れないように水をあげますが。休ませているのです。木々も休んでいます。桜の木と藤の木もあるのですが枝だけになっていますね。木も休んでいるようです。

つまり、人間休む時も必要。充電期間などとも言います。大学教授は定期的に休む期間を持てる人もいます。サバティカルと言うのですがシリコンバレーの会社にはそんな制度を設けていた会社もあります。少数ですよ。でも皆が皆とらない。理由は? 友人に聞いたら会社はポジションは保証するけどやはり雇用が心配(3か月も6か月も空けているわけですから)。よほどなエンジニアでもなければその間不安もあるでしょう。

サバティカルでなくても休暇を取るのは必要。昨今私も含めシリコンバレーはワーカホリック。休暇を取る人が減っています。会社として負債になるので強制的に会社をSHUTDOWNして従業員に休暇をとらせるところも増えています。これ、みんなが一緒にとるから”安心”なんですって、知り合いが言ってました。それならいっそのこと日本や中国のようにGW, 新年とか国全体が休む時を作ってしまえば良いと日本から来た私は思いますが ”自由”を間違った意味ですが信奉している国民、国が、州が決めたら気に入らないといいそうです。

ただ確かに休む(休まなくてはいけない)時は自分が一番知っているでしょう。

ー今は学ぶとき。転職とか、キャリアを目指すよりじっくり学びに入る

といったように。じっくり学びに入ると言うことは外部からみると休んでいるように見えますが内部では次のステップに向けて活動しているときです。そんな時も必要。休暇を取りましょうと言っているのではなく仕事、勉強にも充電期間を持つことは必要だということです。その一環として休暇ももちろんあるし人、会社によってはサバティカルもある。

ただ、次がないうちに会社を辞めてしまうのはあまり薦めません。社会で生きて行かなくてがならない、そのためには働かなくてはならないという人には。私の友人で中堅クラスの会社CEOを歴任している人がいます。かつて私が合気道をよく稽古していたころ彼の有段者テストをサポートしたことで友人になりました。有段者テスト、USAでは黒帯は一つのステータスでとても大変なのです。毎日その稽古に付き合った(私の方が上位)。お陰で今も懇意にしてくれますが人生ではあちらが圧倒的に経験も経歴も上。彼のお宅で夕食をごちそうになった時、”10年働かなくても大丈夫になったら好きなことをしていい”と言っておりました。つまり会社を辞めるのだったら次が決まらないうちに自分から辞めるには10年分の生活費をもてというアドバイスです。彼は25年大丈夫だと言っておりました。自分の資産をきちっと知っているんですね。私?あの日以来心入れ替えて資産づくりしてますが今はまだ5年程度です。だから次が決まらないうちには会社は変わりません、辞めません。一つの目安かもしれませんがビジネスで成功してきた人のアドバイスですからね。おろそかにはしたくないアドバイスです。

天津 シーフード

天津、日本の歴史教科書にはほぼ必ず出てくると思います。それと日本では天津飯(中国料理?)でも知られているでしょうか? 今でもあるのかな。とろみ卵がかかったご飯です。はるか昔もう40年は前のころ、学生時代その天津飯をよく食べました。

それくらいしか実は天津知らなかったのです。勉強不足でした。

天津は中国におけるスーパーコンピュータの開発地域で中国で一番大型のスーパーコンピュータを開発しているところだったのですね。

コンピュータあるところビジネス有りというわけで行ってきました。上海から、どうしても電車(高速鉄道)で行きたかったのですが”遠すぎる”とのことで空の便。浦東ではなくHANGGIAO(虹橋)国際空港です。こちらを気遣ってタクシー(中国版UBER)に乗りましたが町を横断するように走るので時間がかかるんです。地下鉄なら30分が車だと90分。今度からは地下鉄にしてくれとお願いしました。中国の大都市は東京同様電車の方が早いです。スーツケース持っていましたがビジネス用の小さくて軽いものなので電車でも面倒ではない。

飛行機の搭乗はセキュリティーもあり時間がかかります。それに中国は人が多い。。。フライト時間はわずか45分なのですが移動は朝6時前にスタートしても天津の顧客オフィスには1時を過ぎてやっと到着です。例によって昼は抜き!

スーパーコンピュータを設計しているR&Dセンタービルのすぐ横が顧客のオフィス。周辺回路を設計しているとかで政府関連の会社でした。中国では政府関連の会社はとても多い。こうした会社では受付時にやはりパスポートチェック。以前のブログで書きましたがセキュリティーはとても厳しい。特にこの4年はUSAからのビジターに関しては特に厳しくなっています。USA発行のパスポートだと入れない施設も増えています。こうした現状を直接見ているので様変わりを強く感じます。5年前はこんなことはなかったですからね。

昼を抜いてマラソンミーティング(3軒)こなしたというわけで夜遅く北京に向かう前にシーフードを食べに行きました。天津では新鮮なシーフードを食べることができるそうです。ここは上海にもお店があるらしいちょっと知られたお店。食べたい食材をオーダーしてから。食材を自分でオーダーするのは中国では普通ですがCOVIDもありこの習慣もこれから変わっていくのかな?シーフードだけでなくコメも種類を自分で選択。

転職を考える時

転職、考えたことがありますか? 今、日本は安定志向、定年まで勤められる会社に人気があると聞きますがあなたが今30歳だとしましょう。あと何年働きますか?35年? 私がUSAにやってきたのは29歳の時ですがその当時Googleも今のほとんど全てのハイテク企業はなかったのです。マイクロソフトがまだWindowsをもたずMS DOSだけを持っていたような時代。SONY,松下、NEC 富士通などが世界を席巻していましたが今やその面影もない。SONY、いまや金融業でしょう。SONYブランドの製品売れてませんよ。私ももうあまりほしいとも思うものがSONYにはありません。30年前には考えられなかったことです。おそらく30年後Facebookは存在していないかもしれない。Googleも。今のFacebook, Googleとしてはですが。SONYにように業態が変化していくと思います。そうでない会社は生き残れないでしょう。Appleはほとんど倒産のところから今のAppleになりましたが私の目には以前とは全然違う会社です。マイクロソフトはうまくOSとOfficeだけの会社から脱皮をしていますね。

業態、業種変われば、必要な従業員も変わるのです。30年間、ずっとその会社で働くのは難しいと思います。

では、自分の持っている技術、経験が価値を無くすのか?それはまた違う話です。その技術を必要とする会社はあります。その経験を必要とする会社もあります。それが自分の今働いている会社ではないかもしれないですが。

また技術も回っているのです。その時ホットな技術、いったん廃れたりしますが不思議とまた盛り返してくる。ですからホットな技術を追いかけるエンジニアもいれば地道にある分野で経験を積み重ねていくエンジニアもいます。’そんなのもう古い’と思っていると”あれあれ”と言う間に表舞台に戻ってくるのを何度もみています。ホットな技術はビジネスを呼ぶので、たとえそれが大学等の教育関連でも、追いかけたくなりますが人によってはそういったことに目もくれないこともあります。半導体の話ではゲルマニウムダイオード、めちゃくちゃに詳しい人はもうほんの一握りでしょう?でもやはり需要はあるんです。

で、転職。USAでは転職を考える動機の一つにキャリア、そして収入があります。転職をすることでキャリアと積んでいく、給与を大幅に上げていく。とても大きな動機です。 私ははるか以前元上司に”お前は日本から来ているから転職をあまり考えないかもしれないがUSAではキャリアを積む、給与を上げるためには転職を避けて通ることはできない”と言っていました。マネージャや上位のエンジニアとして転職していくのです。またエンジニアから別キャリアを目指す場合も転職を通すほうがより一般的です。

退職金がないのが普通です(いわゆるペンションをもつ会社はもう極々少数)。ですから一つの会社に長くいることで得られる”後で入る”収入は期待できない。もっとも社歴が長い人もいて順調に出世するひとももちろんいます。出世する人はそれなりに社内政治等に勝ち残って来たひとですね。上に行けば行くほどやはり競争と政治的駆け引きはあります。もっともポジションが空いたら社内からの昇進というのはあまりないこともあります。マネージャを雇うというのは普通だからです。元上司曰く、100%内部昇進させる唯一の組織は”軍隊”だと言ってました。事実将軍を外部から連れてきたという話は聞いたことがありません。たとえ国防大臣を外部から連れてきても将軍は内部昇進。正しく軍だけですね。

有望な元上司(彼、彼女)がどこに行っても呼ばれる人もいます。”これは”と思える上司がいたらついていくのはところ問わず同じですね。

とくにキャリアを積み始めた最初の10年、3度の転職は普通だと思います。3度転職することで給与を2,3倍にまで増やすことも可能になります。10年同じ会社にいてはほぼ不可能です。その後は少し落ち着いて更なる経験を積んでDirectorやそれ以上を狙う。。。学歴もありますがPh.Dであれば12,3年でDirector以上にまで進む可能性はあります。私はMSどまりですがDirectorにまでは進みました。もっとも今はまた設計エンジニアに戻りましたが。でもこの新しい経験を積んで再びいずれDirectorのポジションを狙うかもしれない。転職を使ってキャリアと収入を上げていく、これを知っておかないとシリコンバレーではあまり成功しないと思います。 そしてそれよりもっと重要なのが人脈でこれはどの国でも一番重要です。

学歴は有効ですが、例えばMBA、比較的若いころなら良いですが50歳も過ぎてMBAのために学業につくのはペイしません。会社が負担するなら良いですが学費は膨大です。若い時でも学費とMBAで得られるであろう将来のペイ(給与等)を能々考えることです。特にエンジニアのままでいるのであればほとんど価値がありません、MBA。 Ph.Dの方が良いです。でもある程度歳をとると学費、しっかり考えないといけないです。その間は機会があっても両立できないからあきらめることにもなりますよ。

会社は自分の行先を作ってくれません。自分で探し、自分で決める。その一つの選択肢に転職がある。転職することで可能性が広がる。この写真は以前のブログでも使いました。スイスのチューリッヒで上った山の上で。この山のふもとには世界的に著名なIBMの研究所があります。若いころはそこで働きたかった。

この図を見ると一目瞭然。長く働いたからと言って給与が上がっていくわけではないのです。エンジニアはというと転職をしながら新しいプロジェクトに関わりつつ実力と実績をつけ同時に収入も上げていくのです。

(ミュンヘン)

英語のスペルですね。ドイツ語のスペルでドイツ語発音にするとミュンヘン。はるか以前大学生の時第2外国語を選ぶときドイツ語を選んだ。惰性。。。あの当時の選択肢はドイツ語、フランス語もしくはスペイン語でした。中国語はなかった。80年代初頭、中国はまだ毛沢東も周恩来も現役で鄧小平主席はどこかの再教育施設に幽閉されていた時代です(ご存じだとすると相当に年配。。。)。あの時後でフランス語にしておくんだったと後悔しました。ドイツ語は男ばっかり、フランス語は女子学生が沢山交じってました。でも今この3つの言語から選ぶとしたら私はスペイン語。USA生活で便利なのはスペイン語。ちょっとかじったので少しなら話せますが話せると生活に役立ちます。ビジネスなら絶対中国語。私はこの2年ずっと勉強しているので簡単な会話なら中国でもできます。でももっと話せるようになりミーティング等で彼らが話していることを理解したい。10年以上まえ、日本がまだ元気だったころ、日本でミーティングがあると私は大抵同行しました。ミーティング自体は英語で行いますが顧客内の会話は日本語ですね。それを私はじっくり聞いていました。それで本当のことがよりわかってきます。英語は共通語になれますが本音は自分たちの母国語なんです。ですから沢山の言葉を話せるのはどんな仕事でもとてもゆうりですよ。 

さてドイツは南が裕福な地方らしい。以前何かのイベントでドイツからのスピーカーを招いた際に紹介者がその人は自分は南ドイツから来た。。。と言っておりました。ドイツ人の同僚に後で聞きましたが、”嫌な奴だ”といってました。御国事情を垣間見たと思います。彼女も南ドイツ出身だったのですが、私はあんな風に言わないと言ってました。

Munich確かに南ドイツですね。

さてミュンヘン。Intelがあります。元々もオフィスがあったのでしょうけれどInfineonのある組織を買収して大きくなりました。そこで設計されたチップをAppleがある時期IPHONEで使ったのです。Qualcommと併用ですがそれで一躍名を知られたのですがQualcommとAppleの間で特許権でもめたのはこれが原因ともいわれます。 Appleは昨年だったか、そのIntelのグループを買収しました。ですからあのミュンヘンのオフィスは今頃はAppleになっているはず。。。

私はそのグループが買収された直後にそこを訪れました。会社のロゴもすべてまだ変更される前。ビル内には買収の対象になっていないグループも同居しているというまだ全然おちついていないときでした。元々IntelではなくInfineonに行くことになっていたのです。顧客サイドがスケジュールの変更はしたくない、つまり買収にも関わらずプロジェクトのスケジュールは変わらないというのです。こんなのドイツだけ! 普通これくらい大きなことがあったらスケジュール等かわるでしょう、と思うのですが、変わらない。もう商品の納期も決まってる(しかもとても大きな。。。 リンゴマークで有名な。。。)。

ドイツ人は律儀だといいますがアメリカ人化したドイツ人ばかり知っていましたが本場のドイツ人は律儀でした。 電車に乗っても日本と同じようにプラットフォームには今度の電車とその次の電車のスケジュールが刻々と出ていましたしその時刻通りやってきました。USじゃあ考えられないですが日本では当たり前ですね。空港から電車に乗りましたが(彼らのオフィスは電車を降りてすぐのところ)、制服を着た小学生、中学生など学生の姿を沢山みかけました。”おやなし”はアメリカでは考えられない(アメリカの子供、過保護も良いところですからね。送り迎え親の仕事)。日本とおなじだ~。制服着てましたよ。

以前ドイツでは会社のカフェでは昼食時ビールの販売をしなくてはならない(法律)と聞いていたので本当かどうか確認しましたが、”飲んだことはない”と言います。答えになってませんがあの律儀なドイツ人が飲むとは思えない。。。とりあえずみんなまじめでした。細かいことを調べ上げており質問だらけ。細かいことも日本人そっくりかな? 

さて宿泊はというと、お金の少ないベンチャーにおりましたのでミュンヘンのセントラルステーション傍のモーテル(つまりアメリカのホテルチェーン)。あれだけ沢山のアラブからの人(移民)を見たのは初めてというほどにアラブ系の人だらけでした。電車に興味が有るので駅構内を散策しました。 

スケジュール。 やはりスターバックスは有った

USAからドイツに戻った元同僚(友人)がいるので夜は彼と出かけました。 やはり市電(路面電車)は走っています。地下鉄もあるんですがヨーロッパは路面電車どこに行っても走ってます。

ドイツと言えばビール。 でもチェコで飲んだピルスナーには負けるかな。オクトーバーフェスト。ドイツでは期間中はどんなに飲んでも法律上は酔っているという扱いにならないそうです。 まだ本場の経験はないんです、それに片頭痛は私はこのグラス一杯が限度だし。

次の日にオーストリアのリンツに行きました。電車の行先案内にもLinzを見つけます。電車で行きたかった。でもフランスから来ていた会社のセールス(REP)、車の速いからと言うので。。。貴重な機会を失った。

都合3泊しましたがこればかり食べてました。料理はあまり選択が無かったな~。

出張はあわただしく”観光”できたら儲けものなのです。ついた、仕事、移動、仕事、移動。。。を繰り返すのです。土曜、日曜をはさんでの出張はよほどうまいことしないと実現しない。。。だから出張の一番の楽しみは食事ですがドイツではこればっかり(といっても3度ですが)。

リンツにいって戻ってきて宿泊してもう次の日はロンドンへ向けて出発しました。したがって何もみていない。駅とその周りをウロウロ、友人と待ち合わせのところまで路面電車に乗ったのが唯一したことかな。 こんなとき、いつも思うのが”今度は仕事抜きでこよう”。そんな町がどんどん私のノートに増えています。

朝早く撮ったどこかの教会。

Rating: 5 out of 5.

五大湖周辺

シカゴは私が最初に降りたUSAの地。1989年のことですがあの当時日本からボストンへは直行便はまだなかった。就労のためにやってきたのでビザ関係の書類を沢山もっていました。入国には30分程度要したと思います。今もそうですがそれからスーツケースを探して再度チェックインするのですがそのスーツケースが行方不明になり出だしからトラブルでした。国内線の乗り換えには3時間ほどあったと思いますがやっとのことでスーツケースを探して。。。飛行機も初めてだったのでかなり焦ったのは今でも覚えています。今じゃ出張で年10から15回は飛行機に乗っていましたから飛行機は仕事の縮図の一つですがあの時は焦りましたね。

さてそのシカゴ、出張で3度ほど行ってますがすべて真冬。なんで真冬ばっかりと思うばかりに真冬。あまりいい経験はないのです。五大湖周辺はとても寒くなります。なぜこんなに寒いところにシカゴのような大都会があるのか?と思うくらいですが真冬は避けたい。 とにかくフライトで良い経験がありません。シカゴだけでなく五大湖周辺(USA側)ではクリーブランド、バッファローにも出張で行きましたがいずれも真冬。真冬ばっかり。。。

ーシカゴ。サンノゼ行きの便がキャンセル。サンフランシスコ行きがそれでもまだ出発できるとかで急遽変更。SFOについてタクシーでサンノゼ空港に行き自分の車で帰宅。帰宅は夜中の3時ごろだったかな。サンフランシスコに行けただけましで別の時はとりあえずダラス(テキサス)にでて、空港内で過ごして次の日に帰宅といったこともありました。飛行機が雪でとにかく飛ばない。。。

ークリーブランドから次の目的地トロント(カナダ)。目と鼻の先の45分程度のフライトなのですが雪でやはり欠航。やっと見つけた乗れる便は次の日の早朝。朝早く飛んでそのまま顧客先へ。空港(航空会社ラウンジ)で夜をすごした。ラウンジは通常閉まるのですが欠航便が多くその日は夜通し開いており助かった。

ーバッファロー。雪で飛行機が着陸できず全然違うが近い空港に着陸。レンタカーを借りてそのご4時間のドライブ。飛行機に乗っていた時間とドライブの時間がほとんど同じ。雪だらけでのろのろ運転だったためですがホテルには午前2時ごろやっと到着。

こんな経験ばかりなので”冬はいやだ”とずっと言ってあったのですがその当時働いていた会社、顧客の予算サイクルに合わせてミーティングを持つことが多くそれが全部冬だったのです。 その理由の一つに冬は顧客サイドのマネージャたちは出張したがらず(当たり前か、空港でトラブルになることが多いですから)、地元にいることが多いから。。。と言うんですね。地元にいたセールスは良いとしてもカリフォルニア州からやってきた私には全然良くない。。。

前回で懲りたことがあり”シカゴに行くのは嫌だ”と言ったら地元のセールスがマイケルジョーダンのステーキハウスに連れて行くよといって、その誘いにまんまと乗っていってしまったこともあります。やっぱり雪。帰りの便は? たしかやっぱりトラブルだった。記憶が正しければ搭乗はしたが飛行機内で数時間(4,5時間)待機。もうゲートにも戻れず。。。だったはず。

冬に五大湖周辺に行きたくない。

ここだったとは思いませんがマイケルジョーダンのステーキハウスはhttp://mjshchicago.com/

雪ばかりで写真は撮ったことがないので、このBLOGだけ借り物。昨年はとても寒く凍りだらけ。 USAは異常気象続きですが今の政権は全く気にもしない、Republicanが牛耳っておりそのつけを庶民がかぶっている。いやカリフォルニアが。いわゆるRED State (Republican) はお金がなく連邦政府の予算のほとんどはBLUE Stateが出しているわけだ。でもその金をどう使うかはRED Stateの政治家は決める。。。https://www.usatoday.com/story/money/economy/2019/03/20/how-much-federal-funding-each-state-receives-government/39202299/

Credit Score

与信審査。日本でもクレジットカードを作るときや大きなローンを組む時に審査がありますね。

自分の“与信”度ご存じですか? 気にしたことがないですか? クレジットカード申し込んだのに審査に通らなかった。。。といった経験はないですか? 

USA(Canadaも)で暮らすのであればこのCredit Scoreはついて回りますよ。しかも出だしで失敗するとかなり大変ですよ。ちなみに私はその出だしで大失敗をしましたから経験からも言えることです。

私はUSAにやってきた当初、出向扱いだったので給与は日本の銀行口座に入金されていました。USA生活は諸費用は会社持ちで食費などとして2週間に一度小切手(チェック)を受け取りそれを銀行で換金していたのです。そのころは日本で発行したクレジットカードを使っていました。つまりCredit Historyを扱う信用与信サービスの会社に私の履歴はない状態ですね。 ”ない”のは悪い知らせ。。。なのです。

USA本社社員に移籍したときよりUSAで給与をもらうようになり、もちろんそれまでの諸費用も自分持ち。 まず何が必要か? 車です。それまでは会社支給の車に乗っていましたが自分でなんとかしなくてはならない。”購入か”。。最初の車はHONDA シビックのベース。確か11000ドル位でした。日本のクレジットカードは上限があり全部クレジットカードでの支払いはできないしディーラーも全額クレジットカード支払いというのは認めておりませんでした。ディーラーには働いているから簡単に”ローンを組める”というのですね。まあその当時とても良い会社におりましたし。ところが、ローン審査に落ちた。。。 でも既に車には乗っていたのです。審査に通る前から乗れたのはアメリカ的でしょうか? もっともクレジットカードの上限までは既に支払ってありますよ。たまたま、その少し前に会社の計らいで一度日本に帰国することができかなりな金額のドルを生活のためにもってきておりました。そのドルで残高を全部支払いました。しかし 審査に落ちたという記録が、私のまっさらなRecordに残ってしまった。。。 わるい記録だけ残ったのですね。でもこのことに気づかかなかった。。。 それからある程度して、日本で発行のクレジットカードの期限が迫ってきた。更新することができないわけですからアメリカでクレジットカード作らないと。。。 会社に入っている自分も口座をもっている銀行がクレジットカードを発行していたので申し込んだ。銀行に口座がありすでにかなり残高をのこしていたのですが、審査に再び落ちた。なんでかな~と思っていましたがあの当時Credit Scoreというのを良く知っていなかったのです。 なんでだろう~と思うだけで。そうこうしているうちに手持ちのクレジットカードは期限切れ。チェック(個人小切手)を持っているのでそれでほとんどの支払いはできるしキャッシュは下せるし、別に生活に困っていたわけではないのでかなりな期間ほっておきました。仕事が忙しくなったので忘れていたのでしょうね。30年前、今よりはキャッシュもチェックも使っていた時代です。

でもやはりあるときクレジットカードがないと不便なことに気づき、再び申し込んだ。その会社はAMEXです。申し込んで数日後、会社に電話がかかってきた。私に掛かってきた初めての外線電話です。かけてきた相手はAMEXのカスタマーサービス。 ”ああ、本当にXXXで働いているんだね”と言ったのが最初の会話でした。わざわざ直通の電話番号を書いてあったのにオペレータにつないでもらったようでそれで私の身元確認をしたようです。 クレジットスコアがとても悪いけどどうしたでかなと電話で確認してくれたのです。その時初めてそのスコアを知りましたよ。事情を話すと”なるほど”と。給与明細をFAXで送れるかと聞かれたので手元にあったのをすぐさまFAXで送ると折り返し、カードを発行すると言ってきました。

というわけで私のUSA最初のクレジットカードはAMEXなのです。そしてAMEXだけそれ以降一度も解約することなく使っています。VISAなどは持ってますが解約もするし普段はあまり使いもしません。あのときAMEXも単に審査落ちとだけ言ってきたらますますスコアを悪くしたでしょう。親切に色々と教えてくれましたよ。時々クレジットスコアの記録をもらって不審な点がないか確認することは重要だとか、どのようにしてスコアを上げていくかといった内容です。いまではインターネットを通じて情報はいくらでも手に入りますね。

海外出張を沢山するようになりAMEXに薦められたプラチナカード。費用はかかりますが結局その費用は回収できるようになっている。世界中どこでも統一しているのかと思ったら日本だけ特殊で日本ではあまり重宝しない。

さてこのスコア、自身の与信、実生活で何度も出てきます。クレジットカードを作るとき、自動車をローン建てで購入する、リース契約をする、そして住宅ローンを作るときなど。そんなに頻繁ではないように思いますが住宅ローンの借り換えはよくあることだし、昨今車は購入ではなくリース契約することも多くなっています。そんなこんなで2年に一度はクレジットスコアが実生活に関わってきたように思います。また投資、例えば不動産投資をする場合、元金を除くとローンが主な資金源になりますが投資物件ではクレジットスコアはExcellent以上でないと難しいでしょう。

子供にクレジットカードを作ってあげそれで学生時代に子供のクレジット履歴を作ってあげるのだそうです。またはデパートの発行するカードは与信審査がとても簡単だからそこから始める。。。などその後色々と教わりました。いまでは当たり前のような話かもしれないですが出だしで失敗すると記録が中々消えない。

しかもいわゆるIdentity Theftの問題もあります。なりすましですね。被害を受けると修復にとても苦労します。記録を簡単には修正してくれないのです。被害者になった時のための保険やクレジットをモニターするようなサービスを提供する会社もあります。被害を受けた後の困難さを考えるとこういったサービスを購入しておくと良いかもしれません。私は家族皆このサービスに入れています。USA生活のポイントとして、自分のことは自分で守る、があります。USAにやってきてすぐに教えられたのが政府をあてにするな、自分のことは自分で守れ、でした。引退後のこと、医療のことがその大きな要素ですが自分のことは自分で守れ、だからアメリカ人は図々しいんだ、とこちらにいる日本人の中にはそのように結論着ける人もいます。

日本人は図々しさは足りないかもしれないですね。

USS Hornet. 引退した空母。ボーイスカウトのナイトキャンプ。自分のことは自分でまもれ。空母でもネット犯罪は守れない。。。

先輩、後輩 は 無い!

あなたの上司は、おそらくあなたより年上であなたより社歴が長いでしょう。あなたが日本で働いていれば、それが例えいわゆる外資系でも90%以上の確率でそうだと予想できます。 そして、先輩、後輩、先に入社したら先輩。普通歳上だけど場合によっては数年年下のこともあるかな?でもお互いに年齢がなんとなくわかるので年下の先輩は言葉使いは丁寧だったりするのでしょうか?日本では外資と言っても転職でどんどん人の移動があるのはセールスくらいなのではないでしょうか?

私はそんな環境に4年もいなかったのでもうすっかり忘れていますが、この25年、私の上司は皆私より年下です。年齢差は今の上司がたぶん15歳程度、その前の上司は大体10歳程度だったと思います。私は現在の会社では一番新参もの(一番後輩)なわけですがプロジェクトではリーダーです。マネージャでなく一番シニアなエンジニア群の一員です。シニアだからといって上下関係は全くないですよ。同じボスですしね。

年下なマネージャ、場合によっては後から入ってきましたよ。マネージャが転職や昇進したからと言って空きを誰かが昇進して埋めるということは必ずしもありません。上層部がどうしたいかで決まります。特にエグゼクティブが変わった際には新しくやってきた人が最初に行うのはマネージャの刷新です。首になるマネージャも多いのです(大体6か月程度のパッケージをもらう)。自分が雇った新しいマネージャを連れてくることで人事面で優位に立とうとしますし、刷新することで内外に新風を吹かせることをアピールする狙いもあります。 エンジニアはそのあと刷新することがある。新しいマネージメントがきて、その人がチームをどう運営していくか次第です。しかしながら継続を必要とすることが多いので急激な変更はしないのでエンジニア(スタッフ)はエグゼクティブ交代による影響は受けにくいです(が100%安全でもない)。

そんなことがありますから自分の上司が年下になることは極々普通です。年下でも上司。”歳下の下では働けない”と言う人は向いていないです。またいわゆる体育会系の考えが強い人もあまり向いていません。女性のボスも多いですよ。私は8度の転職、社内での移動等で過去都合20人以上のボスを持ちましたがそのうち5人は女性がボスでした。

日本では年齢、性別等にわだかまりがまだあると聞きますがボスは、ボス。私はこの割り切りは出来ています。しかし仕事を離れたら皆同僚か友人です。一緒に出張にも沢山行きましたが仕事が終わって夕食時などは同僚いや友人としてお互い接していました。仕事は仕事。彼には人事面、仕事の優先順位の決定などで権限を持っているだけ。。。もちろん私は上司に恵まれたほうなので年下の上司からも沢山学びましたよ。例えばマーケティングとは?など。

では昇進しないのか? もちろんしますよ(可能性)。社内で順々に昇進している友人、元同僚もいます。でも必ずしも”タイトル”として昇進するとは限りません。役職手当だ、どうのこうのとタイトルと給与が密接に絡んでいる日本とはずいぶん異なりますし日本でも時々聞く”ダブルラダー”、つまりエンジニアとしてのレベルとマネージメントのレベルを持つ会社も多いのです。 例えば(上から順に)

ーSr. Fellow, Fellow, Distinguished Engineer, Principal Engineer, Senior Engineer, Lead Engineer, Engineer

– CTO, VP of Engineering, Sr. Director, Director, Manager

など。CTOは普通一人ですね。 会社によってはSr. Fellowの数はVP (Vice President)の数より圧倒的に少ない(つまり会社内での地位はSr. Fellowの方が上)ということもあります。 この二つ、違いはStaffかManagerかです。 Managerは人事権を持つがStaffは持たないとでも考えておけばいいです。

ちなみにEngineeringの会社では通常Engineeringのラダーの方が昇進度は速いです。各々のレベルに沿って給与、賞与の目安があります。部下を持ちたくない、プロジェクトを管理したくないという人も多いですね。日本では未だある程度まで上がるとどうしてもマネージメントに移っていかざる負えない会社もあると聞きます(給与面もありますが社会的に地位を示す必要があるからとか。。。)

スタートアップ企業はもっとフラットでEngineeringは全員 Member Of Technical Staffというタイトルにしているところも多いです。こういった会社では名刺にはかなり好き勝手なタイトルをつけることを許していることが多いです。 例えば AI Expert Engineerとか。Member Of Technical Staff、日本語にすると”平社員”になりますよ。 はるか以前日本で友人が銀座に連れて行ってくれましたが私はこのタイトル、友人は確か部長になりたてのころ。部長さんと平社員。やはり部長さんが人気でした。タイトルはこんな場合に重宝するのかな? ちなみに今現在の私の名刺にはDSP Engineer とあります。タイトルでなく何をやっているかがなんとなくわかるだけ。。。

タイトルが必要になるのは顧客にあう、ベンダーに会うなど外部と交渉する立場にある場合です。したがってファイナンス関連の会社ではVPはごろごろいますよ。VPって普通の会社のManager(以下)程度であることもあります。例えば

– First vice president, Sr. Director, Director, Vice president

などという一風変わったタイトル構成になっていることもあります。 Firstがつくと偉い(地位が高い)です。VPの名刺をもらってもすぐに”偉い”と思わないことです。以前私が働いていたエンジニアリングの大企業ではセールスのVPは1000人以上、エンジニアリングでも200人以上いました。 Sr.がつくとぐっと数が減って5人程度になりました。つまり形容詞(Sr.など)まで見ないとその人物がその組織内でどんな地位かはっきりしないわけです。もっともタイトルで人物を測る必要はないです。タイトル、その人のいる組織ないだけの決め事、それを外にまで持ち出して”偉そうに”しておられる親爺を見ると私はげんなりします。XXX会社の部門長といっても私はXXXと全く関わり合いなく、たんに他人です。

もちろん、USAだって日本でいうところのセクハラ、パワハラはありますよ。人事に訴えてもらちが明かないこともあります。しかしながら流石に訴訟の国、弁護士を雇って会社と対峙するひともいますよ。そこまでいかなくとも州政府のある部門にクレームを入れる。 人事はマネージメントに雇われているのですからマネージメントを守る方向に向かいますがひとたび会社自体がトラブルになりそうになるとCEOの目に触れますから今度はバッサリそのマネージメントを切ります。こんなことは長い経験で何度も見ているのでUSAといえどもセクハラ、パワハラは日常茶飯事であると最後に触れておきます。 どこの国にもあります。マネージャに媚を売るスタッフも必ずいますよ。YES Manはどの国、どの組織でもマネージャに好まれるのです。これは時代、場所を問わず人間的な真実ですから。理想を持ちすぎるとがっかりするかもしれないです。会社、マネージャにとっての公平は必ずしもあなたにとって公平でないかもしれない。そんなものです。人間に平等に与えられたのは一日は24時間ということだけだ、と言いますし、これが唯一の真実でしょう。

その24時間をどう使うかはあなたのチョイスなわけです。

クラシックカー。 現代の車たちの”先輩”。 ここまでくると”価値”がありますね。ここまで輝いてこそ”先輩”を名乗ってほしい。。。

ビールを飲むのに上司、部下、先輩、後輩も必要なし。 皆、友人。ビールの席では平等。

Raleigh (North Carolina)

この町を知っているとなれば、よほどの通か、テクノロジーが好きか、はたまた旅行好き? ノース カロライナはアメリカ南部に位置します。南部と言っても日本からわざわざ旅行で出かけるかというとそれはあまりなさそうですね。

飛行機を降りて空港ターミナル内に入ると勝手が違うことに気づきます。それは”自分以外にアジア人がいない。。。” 私が住むカリフォルニアはUSAでもアジア人の割合が多い、とりわけ私がすむアップル本社のあるCupertino周辺はアジア系が多数派になります。そんなところからこんな南部に出かけると。。。以前インディアナポリスに行った時も同じような体験をしていますが、う~んアメリカに来たなと感じるのはこんな瞬間でしょう。慣れていないと違和感はかなり強いですよ。ちなみに2010年の調査でアジア系の占める人口比は2.2%だそうです。カリフォルニアは?というと15.3%ですって。違いは明らかですね。インディアナも2%ちょっと。そんなものなのですね。

この一帯を別名リサーチトライアングルと呼ぶこともあります。特にこの町にはテクノロジー関連の会社がオフィスを構えています。やはり大学が隣接しており大学を中心に発展しています。

テクノロジーあるところ顧客あり! というわけでこんな町にも出かけていきました。正しく南部、カリフォルニアとは勝手が違いました。例えばタクシーの乗り方も特徴がありました。先にオフィスでチケット(お金を払うわけじゃないです)をもらってそれをドライバーに渡しました。そのチケットには”私がどこに行きたいのか”書いてあります。最初に行先を指定してその行先に行けるタクシーを配車していたのですね。

人々は基本的に親切です。ホテルには夜遅く着いたのですが空腹状態だったのですがホテルのバスで遅くまでやっているダイナー(デニーズのようなところ)に連れて行ってくれ食事が終わるまで待っていてくれましたから。カリフォルニアでは期待できないですよ、こんなこと。

次の日は一日遅くまでミーティング (トレーニング)だった。夜は顧客を招待してバーベキュー。USAは地域ごとにバーベキューソースがあるのです。今だに全容を把握していませんがバーベキュー好きは皆良く知っていますよ。食べたレストランはもちろん自家製のバーベキューソースを持っておりました。二日目は自分たちだけで顧客から教えてもらったバーベキューの店に行きましたら若者(大学生)しかいなかった。若い街なのですね。

今こういったところにGoogleはじめシリコンバレーの企業がどんどん進出しています。優秀な学生だが生活費が高いカリフォルニアを避ける人材を雇い入れるためです。私がトレーニングに行った会社もそうした企業の一つでした。そんな会社には決まって一人、二人、元の出身はカリフォルニアと言う人がいました。南部に引っ越すことで生活が楽になるからです。南部、Republicanの牙城なのですがこうしたテクノロジー関連の広がりで徐々に変化がみられているとも聞きます(都市部だけですが)。そのもっとも知られるのがテキサス州のオースチンですがRaleighも高学歴の若い人口が増えておりだんだんと変わってきていると夕食の席で聞きました。

とにかく蒸し暑かった。ハリケーンのシーズンは通り道になるので大変だとも聞きます。

レストラン内にあった納屋

バーベキューソースについてはこちらが詳しい。私が働く会社では毎日BBQを食べることができますが色々なソースが置いてあります。私はカンザスシティスタイルを好んでいました。これがいわゆるBBQソースなのです。あまりに普通過ぎる。

https://www.eater.com/2016/6/18/11966056/barbecue-sauce-styles

先ほども触れましたがこのレストランでも私だけがアジア人。あとはみ~んな、顧客も含めいわゆるアメリカ人。ウエイターはしかしながらとても丁寧でありました。

つかの間の深圳

中国の経済政策の始まりは深圳からだと聞いたことがあります。鄧小平主席の経済政策に選ばれたというそれまで何もなかった田舎。。。 と言って私はそんなころの深圳を知っているわけじゃないです。

深圳にはたった一度だけ行ったことがあるのです。一度だけ???と驚く人もいるかもしれないですね。私自身、なんで一度だけなのだろう?と思うのですが、私が扱う製品は顧客が北京上海周辺に集まっていたからなだけなのです。同僚の中には中国に行くごとに深圳にまで行っていたものがいます。

深圳には香港経由で入りました。香港でいったん入国しますが、大陸に入る際に再び入国します。その際には、中国にいた会社の同僚が私たちのパスポートをもって建物の中に入っていったのです。その間私と同僚は車(タクシー)の中で待機。こんな入国検査はじめてでした。入国のスタンプを押したパスポートをもって戻ってきましたよ。今でもこんな簡単な入国検査なのだろうか? もちろん既に香港で入国検査はしているのですがね。今ならあり得ないような話かな?

陸路だったので長い橋をわたりました。夜だったので景色はあまりよくないですが”ああ、ここが香港か”と思う間もなく大陸側。

どこでしょう? わかりますか? 香港の空港間際の駐車場。
橋を渡っているところ。大陸側に行きます

深圳、今では本当に巨大な都市になっており上海と対抗する中国の一大商都ですね。上海がどちらかというとまだ金融関連を強みとするのに対抗し深圳はよりテクノロジーで強みを持ちますが深圳には深圳キャピタルという巨大な投資会社もあります。ここはテクノロジー関連に積極的に投資をしています。今では中国で資金集めをするのであればこの会社を避けて通ることができないとも言われますよ。何人か関わりを持ちましたがそれまで私が主に接してきた中国人とは違う、そうですね、いわゆるステレオタイプな中国人に沢山会いました。XXXXにはIPOだ、本社を深圳に転移して中国でまず上場、とかそんなことばかり聞きました。売り上げもないのにどうするねん?って聞いたら、ファンドの息がかかっている会社に商品を売ればいいと言います。それ、無理やりじゃないの?と思うのですが投資会社が資金を出しているのだから良いのだそうで。。。めちゃくちゃな~と思いました。少額だから何とかなる、って言うのですがこれって法律的に大丈夫なのか?と考えるのは部外者(中国人でない)だけでしょうか? 

北京で会った健全なベンチャー企業の経営者とファンドのめちゃくちゃに強気なファンドマネージャ、どちらも中国なのですね。付き合っていくしかないので仲良くお付き合いはしておきました。私は健全で真っ当な北京のベンチャー企業の方がよほど好きですが(彼らはとても真っ当です)。

ファンドの人がホテルを取ってくれておりました。とても良いホテルでした。夕食もついていた。ついていたというのは到着日、フロントで夕食はもう予約が入っていると教えられホテルのレストランで食べたのですがオーダーする必要もなく次から次から料理を運んできました。でも私たちだけでだれも来ない。。。会計も済んでいるとか。。チェックインの時パスポート確認はしたがクレジットカードを提示しなかったのも既に支払い済みだったからですが、こんな接待は長い職歴でも初めてでした。

このホテルではない。車から撮りました
とてもモダンなホテルの部屋
会議室の窓から。今はもっと開発が進んでいるはず

DJIを含め有望なハイテク企業があつまり中國一のテクノロジーセンター深圳、日本にもこうした都市を作り企業を集めその中で人、もの、金の移動をすればまた再び技術立国として立脚できると思います。わけても人の移動。金はオンラインで一瞬のうちに移動します。物もそう難しくない。人は? 企業がバラバラに立地していると移動は難しいでしょう。在宅勤務が取り上げられていますが在宅勤務でできることなんて実は限られています。いや、Linuxのようなオープンプロジェクトは成功している。。。と反論を受けるかもしれませんが人が集まることで始まるイノベーションもあります。 Linuxなどオープンプロジェクトは限られたものであれが今後の就労スタイルの模範になるとは考えられません。

人の移動を進めるためには”集まる”ことは重要です。日本だとやっぱり東京ですね。東京をテクノロジーセンターにしたいですね。そしたらシリコンバレーを引き上げて東京に戻るのですが。。。 東京は世界一良い都市ですから。

テクノロジーの都市らしく”若い”。朝早く、6時ごろに外をぶらぶらしましたが若者がもう出ていました。あの瞬間、私がきっと一番年配だったでしょう。50代初めだったのですがそんな人影は見かけなかった。。。写真にしておくのでした。朝起きてすぐ窓から外を撮りましたが確か5時台。 まだ人影はあまりなかった。

早朝。ホテルの窓から

深圳を観光で見て回りたかった。。。日本の秋葉原のモンスター版があると中国と日本を良く知るアメリカ人の同僚が話していました。”お前ならきっと楽しむ”と以前言っておりました。YOUTUBEなどで様子を見ることはできるのですが実際に接してみるのが私のやり方。体験をすることで理解する。物理学には理論物理と実験物理の手法ありとはるか以前聞いたことがありますが、私はがぜん実験物理ですね、もし物理学を専攻していたなら。

せっかく中国語を勉強しているのだから道を聞く程度の会話を超えてそんな中国版秋葉原で値段交渉とかしてみたい。私はひとたび交渉すると決めたらかなりタフで自分の言い値になるまで粘ります。中国人にだって負けない(かな?)。

仕事で行った中国の都市を上げると、北京、上海、天津、杭州、成都、そして深圳。 やはり上海が一番良いかな、仕事で行くのでしたら。都市として充実するには仕事だけでなく、生活(食事、エンタテイメントなど)も充実している必要がありますからね。そんな目で見ると東京、ロンドン、そしてニューヨークがやはり一つ突き抜けているでしょうが上海はどんどん近づいていますね。