The Silk Roads

2021年に入り新しいカテゴリーを作りました。 ずばり 本。読書は学生時代から続く私の長い趣味ですが、ここ数年家族など個人的な理由、制限であまり活発に読書ができていなかったのですが、昨年2020年はCOVID19のお陰で?、毎年年始にする決意の一つ、”年30冊は本を読む”が久しぶりに達成できたとこんなくらい年でしたがそれにめげず、良いこともあったと思っています。

さてこの本は以前のBLOGで何度か取り上げたことがあります。

著者の新しい作品が今年になり発売されたので、今年最初の新しい本はカバーの書ではなくこちらのオレンジ色の書になります。

21世紀はアジアの時代だと書きました。19世紀にヨーロッパで産業革命がおこるまで、本の一時期南米で黄金が見つかるまで、富はアジアにあったのです。その富を求めてシルクロードができた。著者はそうした歴史に留まらず、ヨーロッパがいかに破壊的に富を強奪したか、帝国(ローマなど)がどのように崩壊していったかにはじまり戦後の冷戦時代の米ソの対立がもたらした結果やアラブの黒い黄金(石油)に至るまで政治、経済、宗教、戦争、それらを縦横無尽に織り込んで、しかも学者の著ですからそれを裏付ける膨大な資料(すべての資料は出どころの記述があるので調べることができます)を元に書かれておりこれまでのシルクロード物の書とはずいぶん異なります。読むとヨーロッパの歴史をアジアの目から垣間見ることもできます。著者はイギリスの大学教授なのですがヨーロッパにひいき建てしたようにはなっておらず、いかに宗教(キリスト教、イスラム問わず)が富を求めて虐殺、強奪を繰り返してきたかも隠さず書かれています。人間は富を目の前にすると目がくらむのですね。もちろん歴史書は書く人の目で書きますから資料を参考にするとは言え、その資料をどのように解釈するかにもよりますので、前にも書きましたが同じような歴史を複数の違った観点から考察する必要はあるのですがこの書はこれまでのシルクロードの書とずいぶんことなり新鮮でした。

ということもありベストセラーです。

だた今日現在AMAZONで調べるとまだ日本語訳はでていないようです。

著者の新しい書はこちら。 今年の発行です。

21世紀はアジアの時代。19世紀は産業革命を起こしたヨーロッパ、20世紀は2度の世界大戦で疲弊しなかったアメリカの時代。そして21世紀は、アジア。

アジアは世界の巨大市場なのです。ヨーロッパもアメリカ大陸も市場規模ではかないません。これらアジア世界は今テクノロジーに力を入れいわゆる低工業から高度な工業(情報産業など)で大きな影響力を持ってきています。

つまり産業が興り、その産業を消費する巨大な市場を同時に持っている。

そんなアジアなのですが、日本はそんなアジアの外にいるように思います。この書にマップがでてくるのですが、日本の姿はない。歴史的にはシルクロードの最終地は鎖国をするまでは日本だったんですね。マルコポーロの書にも日本が出てくるように。鎖国後も日本は細々と中国、オランダとは繋がっていたのですが、戦後大きくアメリカに舵を切った。それは正解だったのですが経済圏を考えるとこれからはアジアにもきちっとした軸足を置く必要があります。とくにアジアの経済大国の一環を占めようとするなら。政治的にも経済的にも人的交流的にも。

島国ですがインドネシア、フィリピンだって島国。でも人の交流はあるのです。

 

30年ほども前に書かれた書、The Wealth And Poverty Of Nationsというのがあります。 歴史、民族、政治的な背景などを元にどうしてある国、地域が富んである地域が貧困なのかを考察した書です。日本の世界大戦後のいわゆるジャパン ミラクルについても章があります。書かれた年代が中国の経済大発展が始まりを告げる頃なのでそれ以後のことについては書かれていませんが

アジアが本当に豊かになるには、民族間、国家間の争い、不審をいかに克服するかが一つの鍵。いわゆる以前のソ連邦の国々、分裂後民族単に国家が出来ましたが近隣国はやはり争い、不審というのがあります。それを上手く克服していけるかどうか。

これらの書、そういったことに対する解は与えていません。解は民間から始まるだどうとは想像できます。政治ではなく。政治家は自分の権力保身のためなら国家を顧みることがないのは歴史が証明しています。

こうした本を読みながらまだまだ現役で働こうとしている私は、では、自分は何ができるかと考えています。

日本が無い。。。

北京 追加

北京について過去に何度か書いてきました

今日2021年1月21日は大統領がまともな人物になって2日目。過去4年間、権力を渡してはいけない人物に権力を渡した結果としていかに国が病んでしまい疲弊し、落ちぶれて行ったかを目の当たりに見ていますがこれからの4年でどこまで復活できるでしょうか? どんな帝国もいずれは内部崩壊するのです。帝国は外敵に滅ぼされたということはこれまでありません。すべて内部から崩壊しているのです。それが始まったということなのかもしれない。もう別れたほうが良いという議論もあります。ここまで考え方、経済圏が違ってしまい一つで居る必要があるのか、という議論です。

さて、北京は過去の中国のいくつかの帝国の首都であり今現在の国家の首都でもあります。帝国変われど時として別の都市が首都になりましたが北京が首都であったことが一番多いように思います。こんなに寒い土地になぜ首都が出来たのか、まだ深く調べていませんがもはや首都を移転することは不可能と中国人の友人は言います。さすがの中国をもってしてもここまで発達した官僚機構を移転するのは無理なようです。

東京も同じですね。副首都などが時々話題になりますが実際には無理がありそうですね。

経済圏は移動しやすいのですが官僚機構は硬直な組織なので移動すら大変だということです。経済圏は人、物、金が豊富なところに移動していくのです。どちらが移動するかも重要で、経済圏が移動していくのか、人、物、金が移動していくのかです。このなかで人が一番硬直なのですが都市化が進んでいるように人も移動を続けます。

政策によっても経済圏は移動、新たに開拓することはかのうです。政策には投資(国などが行う投資)と税金があります。台湾はサイエンスパークという実態でどちらも実施することで国を栄えさせた。日本も戦後の20年くらいはそれを実施していましたね。私は今日本に必要なのはこれらの政策だと思うのですが民間にいるから言えることで実施する側(政治家、官僚)の立場に立つと困難があるのかもしれない。

さて北京。 故宮に行ったことがありますか? 皇帝の住まいですが至る所で富を感じさせてくれます。

歴史的には少なくとも産業革命が勃興するまで、世界の富はアジアに大きくあったのです。一時的に中米と南米(インカなど)にあった金がヨーロッパに流れましたが(天然資源)、後年オイル(アラブの産油国)が黒い金(石油)を産出するまで、富はアジアに有ったと言っても過言ではないのです。産業革命が勃興する以前は富を生産するのは人力でアジアが過去、現在、そして未来も人口では世界一ですから。アフリカは人口が増えていますが歴史的には人口はそれほど多くは無かった。。。

その富を求めてヨーロッパから人々がやってきたわけですがある時点から軍事力を増強し略奪、搾取するという手段に出たわけです。シルクロードというのはヨーロッパ(中東も入れておくとして)からアジアへ富を求めた動きで逆ではないんです、基本的には。ここ辺りを書いた書を以前紹介しました。リンクはこちら。最近新しい書を同じ著者が書いています。どちらもまだ日本語訳が出ていませんが読む価値はとてもあると思います。

中国は当時から巨大な人口を誇っていたので富があった。その富をほとんど一人占めできた皇帝には巨大な富が有ったわけですが故宮の時計博物館を訪れるとその富を垣間見ることもできます。あれほどに沢山の黄金で作られたヨーロッパの時計(基本的に置時計)を見たことはありません。贈り物として受け取った時計もあるそうですが購入した時計も多いとか。北京の皇帝はとても重要な顧客だったのですね。腕時計を時々購入しますが今、中国でヨーロッパの高級腕時計がとても売れています。すでに市場規模は日本以上(日本の高級腕時計販売の40%は中国人観光客によるものだそうですからそれを入れると日本は既に三分の一くらいの規模)。

しかしながら富は移動するのです。経済圏が移動する様に。

21世紀はアジアの時代ともいわれます。第2次世界大戦後、新たな産業革命 そして情報革命を経て21世紀に入りました。いずれの革命でも人材、人がやはり大きな要素。産業革命を支えたのは製造機械の進歩。情報革命も機材、ソフトウエアの進歩あってのこと。それら進歩を産み出しているのは人材ですが人材で一歩先を行ったUSAが世界の富を集めましたが、今多くの人材を産み出しているのはアジア圏です。しかも人口が巨大ですから巨大な市場も抱えている。つまり人材と市場を抱えたアジア圏が繁栄するのは理にかなっているのです。しかも一部の国を除くとアジア圏は富を富を増やすことに使っています。兵器は富を増やすことはできないのです。破壊することしかできないですからね。作り出すという富を作り出す根本的な要素に兵器無用なのです。兵器を抱えすぎた国家は歴史的に皆衰退しています。ただ富ができるとその富を狙って過去、現在を問わず略奪行為が始まる。人間の嵯峨を見るようですがそれに備えることも大切にはなります。中国の最後の帝国はその面でとても弱かった。

とこんなことをこの故宮を見て回りながらつくづく思ったものです。

中は観光客でごった返しているようなのですが、とてつも無く広いので、ちょっと足を踏み入れると誰もいないようなところに入り込みました。静寂とまでは行かないにしても静かです。故宮内にいると時間を忘れてしまうようで入り口を入って出口をでたら4時間以上も時間が過ぎていました。

その後、以前のBLOGで写真を載せたように通りを挟んだ向かい側にある公園に行きその中にある丘(小山)に上ると北京を展望することができます。

で、帰りのホテルまで。地下鉄もあるのですが宿泊したホテルは残念ながら地下鉄の駅から少し離れていたのです。故宮まではホテルのバスが送ってくれましたが帰りは自分で。 タクシーを使おうと思いましたが外国人相手にはぼってきます。ホテルで聞いていた金額では全く相手にはされません。2倍でも相手にされない。。。と思っていたらす~と男性が近づいてきた。TAXI? 探しているよと伝えるとXXでどうだと?ホテルで教えてもらった額の2倍程度です。仕方ないと思いOKを出したらついてこいという。角を曲がったところに車が。。。とてもきれい。ほとんど新車。いわゆる白タクですね。

そんな白タクも今はUBERのようになっています。でも白タクをする人も多い。観光客相手に。TAXIよりずっときれいな車ですが、後ほど友人に聞いたら倍も払うなんてどうかしてる!と。それ以降私はもっぱら地下鉄。ホテルは必ず駅のそばになるようにして、それ以降中国語を真剣に勉強し始めた。

 

以前書きましたが歴史を勉強、研究するととても仕事、人生で役立ちます。 私が薦める勉強科目はというと

1. 数学 (程度は自分が目指す職によりますがどのキャリアに進もうとも数学は大事)

2. 歴史。 学校の歴史の授業ではありません。歴史は後から人が書くのです。書く人の立場、見方、考え方などで同じことが全然違って書かれます。いろんな角度から歴史を見ることで物を見る力、考える力が養われます。

3. お金について

4. 語学。 今なら英語と中国語、それと 国語つまり日本語です。どの国の学生も母国語が学校教科では難しい科目なのですよ。

となります。 これは何度も書いてきました。 

上海 3

上海について2度ほど書いてきました。中国は北京、杭州、深圳天津成都と空港だけなら香港も、みな仕事での訪問ですがしています。それぞれをタイトルにして以前BLOGにしています。

わけでも上海は好きな都市でした。COVID19もありますが今は再び開発現場に戻ったので以前のように出張することはなくなり次回いつ上海に行けるかわかりませんが2019年は上海で大々的にAIに関するイベントがあったのでそういったイベントに参加することで行けるかもしれない。5年後にひとまず引退する予定なので、その後はアドバイザーやコンサルタントをすると思いますが上海にいる友人がその時機会をくれるかなと思っています。

マップを添付しますが河をはさんで浦東、と浦西になります。元々の上海は西側です。河沿いにBUNDと呼ばれる地域がありますが以前の租界地帯で欧米の石造りのビルが立ち並ぶ、今では観光スポットになっています。以前のBLOGに写真を添付しましたが、ここでは夜の河のイルミネーションを写真にします。赤、青ときれいなライトアップがされます。夏など人人、人。中国中からも観光客が沢山きていました(COVIDが終わったら再開するのかな?)。西側は人民大通り(ショッピング)や政府機関もあり休日や夕方、夜を過ごすのには楽しいところです。地下鉄網があるのでどこでも行けます。タクシーも沢山出てますがタクシー、どうしたわけだか後ろの席のシートベルトは全部壊れている。これまで壊れていないタクシーには北京でも杭州でも、天津でも出会ったことがありません。もっとも今はUBERの中国語版を使っていました。APPがあるのですが友人がAPPを入れてくれました。それを使うと会社の決済に自動的に記録されとても便利でした。そう会社もそんなサービスを使っているんです。もっとも交通事情を考えると地下鉄が一番です。

浦東地区は新しい町です。今でこそファイナンスの中心で高いビルやパールタワーがそびえたつモダンなエリアですが以前は寂れたところだった(そうです)。地図を見ると世紀公園と言うのが見えます。その公園沿いに花木通があるのですがその界隈、それと世紀大通り界隈が私が宿をとったところです。花木の側は非常にモダンです。その公園の一角に外国人が居住するエリアがあります。私が止まった Kerry Hotelからそのエリアを望むことができます。ちなみにKerry Hotelは一流ホテルで部屋もサービスもとても’良いですがさすがに宿泊費は高く、後年、そのホテルは会社では使えなくなり残念でした。ホテル前が公園なので朝は良く散歩しました。夏は暑いです。

浦東地区のすごいところは6か月もすると新しいオフィスエリアができることです。そうですね、一つのショッピングモール兼オフィスビル(いくつもビルがある)がものの6か月で出来上がってしまう。作っていたかなと思っていて2か月後に再び上海に行くともう入居が始まっている。。。あのスピード感には感心します。適当に作っているんだろう?と思うかもしれないですね。それがどうして立派な作りです。人口が多いですからなんでも大きく作りたい国。大きいと言えば、中国の高速鉄道の駅。飛行場のように大きいのです。前にも書きましたが駅構内に入るのも身元と荷物チェック、切符を受け取るのも身分証をチェックとチェックだらけですがプラットフォームに降りるのはゲートが開いてからと飛行場みたい。日本の感覚とはずいぶん異なります。

 

でも華やかな一角を通り抜けるとまだまだ農村地帯が広がっています。高速鉄道に乗って上海を出てすぐにもそういった光景が目につきます。

上海はおそらく人口ではもう東京都23区に肩を並べると思うのですが首都圏で考えるとまだまだ東京圏はずっと大きいと思います。今後中国がどれくらい大きくなるのかわかりませんが上海は今他のメガシティー、例えば深圳などと競争をしています。深圳の発達速度は上海の上を行くと感じます。深圳だけでなく今は中都市(それでも名古屋は大阪より大きい)も大きくなっています。

日本も東京と競合できるような都市圏が必要なのかもしれない。大阪圏、名古屋圏残念ながら首都圏にははるかに及ばない。人口の差なのか、社会構造なのか、と最近よく考えます。産業構造の変化に上手く対応できていないのか?中国に出張する回数が増えるごと、そんなことを真剣に考えるのです。

 

根を張る

以前水を撒くというBLOGを書きました(以前のBLOGには赤い字になっているところにカーソルを持っていくとリンクがでます)。

そこでは牧師さんの奥さんの木の話をしました。根が張るように水をまかないでいたので台風のあと大木が倒れた話です。

大木の根、見たこと(観察)ありますか? はるか以前確か東京で子供の描いた大きな木を見ました。根を書いていたのですが根っこはずっと下に長く伸びてました。

長い根はそうですね、一つのことに経験を積んだそんな証とでも言えるでしょうか? 伝統芸能、茶道、武道を上げるまでもありませんが長い年月その道で研鑽を重ねられている。こんな場合、年月も重要な要素になります。だから歌舞伎俳優の家系では3歳にもなると稽古始めるんですね。18から入門した人と比較すると15年も経験が多く、もう追いつくのはほとんど不可能。これは複利の世界では資産形成のみならず当てはまる人生の重要な法則とでも言えるでしょう。

でも、そんな一つのことをずっとしておられる方々をよく見ると、深いだけでなくとても広いことがわかります。異業種、異なった領域の方々との共同作業、コラボって日本語で言うんですか?を進んでしておられます。いや、そういう広がりあることをされていない方はいらっしゃらないように思います。 深い一本の自分の道を持つと同時に根をはり道をより広げ確かな物にして言っておられるわけですね。 興味の範囲がとても広いのです。

さて翻って私たち、根を張っているでしょうか?私が思うに樹木は最初色々な方向に根を張っていくと思うのです。そして水、栄養素の多いところを見つけたらそこに集中して根がはり大きくなっていく。でもいつまでもそこに水、栄養素があるという保証はないですからあちこち捜し歩いてもいるはず。

日本は定年まで勤めあげる終身雇用が長かった。良い面は沢山あると思いますが根が張れたかなというとどうでしょうか?

大会社で社内移動がある程度自由にできる会社があり自ら進んで社内で異動していれば少しはあるかもしれませんがよくあるのはずっとそのしごとをしてきた(だけ)、というケースです。しかも同じ会社。そうなると深くはなるのでしょうが横には広がっていない。

同じような仕事をずっとしていても、例えば会社を変わっていれば人のつながりは出来ます。

終身雇用でそのどちらもないという状況になりある日突然台風がやってくると実はかなりもろいのです。

私の知る限りアジアでは日本、韓国がどちらかというと終身雇用体制(だった)かなと思います。昨今の状況をみるともろさが出ているようです。面白いことに同じアジアでも台湾、中国では人がどんどん移動しています。終身雇用かどうか聞いたことはありませんがあれほどに人がうごくのだから違うのでしょうね。

退職金制度がありそれが勤続年数で大きく影響していたのが大きな要因なのかなと思います。ちなみに私は退職金は転職8度ですが一度ももらったことはありません。退職金って、給与の後払いだと思います。プロの選手は契約金をもらいますがこれは退職金の前払い、いずれにしても給与をある時まとめて受け取っているということですが私はそれだったら毎年もらう給与が多いほうが良いです(そこから少なくとも15%は自分で貯めるようにする)。決して全部使わない。それとローンは組まない、賭け事はしない。

同じことをずっとしてきても根はあまり大きく張れない。全く違うことをしなさいと言っているのではないです(もちろんそれもありますが)。例えば

1. 私自身の例で言うと35年間プロセッサ関連の技術職をしていますが、開発職、顧客サポート職、マーケティング、と職種も会社も変えてきた。しかもプロセッサはどんな最終製品にも使われるので色々な最終製品に関わってきた。 今はまた開発職ですが今の会社は以前お客様として一緒に設計をしてきた会社です。

2.友人の一人にエンジニアを5年ほどしてそれから医学部に進み医師となり医療機器のベンチャー企業を創立しその会社が買収されたことで今はせかいでもい、2のブランドであるシリコンバレーの会社で医師+エンジニアとして働いている

3.別の友人は長く開発エンジニアをしていたがその自分たちが設計した製品を売るために技術セールスになり今は別の会社でトップセールスになっている。

など自分のコアになる部分は持ちつつ広がりを持たせています。

しかもいずれも転社(会社を変わる)ことも何度かあり人的なつながりも多く持っているのです。

こうした根を張るようにキャリアを積んでいくことがこれからより求めらると思います。

昨今、日本では再び終身雇用(安定)を希望することが多くなっていると聞きますが私はこんな考えもあるんだよ、ということをここで紹介しておきたかったのです。私は転社、転職が不利にならないような社会的仕組みが出来れば日本は再び大きく活性すると思っています。以前書きましたがお金は回す(運用)すると増えるのです。同じように人的資産(人材)も回すことで大きくなると信じています。回すには移動しやすい環境が必要です。お金、信用のおけない、そうだな、北朝鮮の証券取引所で運用しないでしょう?同じように転職、転社が不安材用(昇進等で)有る限り回らないと思います。

何度か書きましたが自分の履歴書を定期的に見直してアップデートすると自分自身にたいする良いレビューになると思います。それと

ー実体験、 外に出る

なんども書いているのでこれまでのBLOGをご覧になったことがあれば、”またか”となりますが。。。

 

カリフォルニアは雨が少ないのです。そんな土地だからかでしょうか、いや雨が多いところでも同じかな?、 木の根は地上を這うように広がるのです。少しでも降った雨の水を吸収しようとすると地下深いところにばかり根を広げても水分が得られません。これを人に言いかえるならさしずめ

ー機会があれば、それが例え短いものでも貪欲に吸収しなさい

ーまずは広がってみる、探し出す旅は深いところでする必要はない

とでもなるのでしょうか。自分のコアとなる興味や経験がわからないことも若いうちは多いもの。そんな時地中深く根を伸ばすより色々な方向に根を伸ばして水、栄養分(つまり自分のやっていける、やっていきたいこと)を見つけるほうが良い結果を産み出すように思います。XXX一筋はそれからで良いのかもしれません。

手短に実行する方法は? というと

読書

です。 良書を読む。インターネットのBLOGやYOUTUBEではなく。良書を探す、そんな時間を取ってほしい。以前書きましたが日本はとても恵まれています。今でも書店があるからです。アジア、中国、韓国、台湾どこも書店があります。UKには好きな書店があります。

残念ながらここUSAは書店がどんどん閉鎖されています。オンラインもありますが本を読む層がどんどん減っている。結果?今の散々たる社会問題(馬鹿者を崇拝して気勢を上げるとか)を作り出している。

書店と図書館。こちらも図書館ありますがどこに行っての訪問者は中国系かインド系の人が大半。本を大量に読んでいますよ。中国嫌い と言い前にしっかり本を読んで競争しなさい、と還暦になる爺は思います。

台湾 Part 2

以前台湾について書きました。赤い字になっている台湾の部分にカーソルを置くと以前のBLOGのリンクが出ます。

台湾には元同僚である友人が二人います。彼、彼女らとはもう10年以上の付き合いです。以前も書きましたが台湾人の友人はとても親切です。中国語もとてもソフトなのです。これは大陸中国人が皆言いますから真実なのでしょう。私は中国人と台湾人は区別しています。どちらも中国を話しますがアメリカ人とカナダ人が違うように彼らもずいぶん異なります。食べる食事だって、中華なのですが違いますからね。台湾料理と私は言っています。

台湾にはサイエンスパーク、テクノロジーパークといった一角がいくつかあります。その元祖は新竹地区のサイエンスパークです。台湾を代表する世界的企業であるTSMC, MediaTekなどが本社機構を持ちます。サイエンスパークは税金の恩恵を受けるので世界的な会社になったのですがこれらの大会社今でもサイエンスパークにあります。

ここは働く町であまり人が居住していないのです。河がありその河をはさんだ対岸は市街地になり商業と居住の地になります。私はいつも下のマップにあるシェラトンホテルに宿泊していましたが(宿泊費は150㌦程度ですが部屋は広く、朝の朝食付きで実は非常に格安。中国の上海や北京ではもう不可能)、サイエンスパークに行くのは自動車での移動ですが橋が非常に混みます。昼間なら20分程度が最悪90分もかかることもあるのです。バスはあれど電車が無いのです。

大会社も多いですが基本的には小さな会社が軒を並べています。出来立てほやほやの会社に良く出かけていきました。中国と同じく、兄弟で始めたとか、親子で始めたなど家族が中心になって始めた会社もとても多いです。出来立ての会社だと物置程度の広さのオフィスも沢山あります。それが最初のMeetingだとしても才覚と技術を持っていれば2度目のミーティングでは会議室くらいの大きさになって一年もするともう立派な会社になっていたりします。非常にニッチな製品を開発していることが多く、その才覚には驚きます。まずはそんな手ごろな製品を出すんですね。必要な部品なんだけどもう大手がやっていないというような製品も探し出してきますよ。その内資金ができるとそこからは本当の開発、競争になるのですがそこでもやはり狙いはニッチ。聞いてみると色々とニッチな製品があるのですね。

中国も同じですがこういった小さい会社、何も秘密にしないです。早く開発を終えたいからベンダーが助けてくれるならなんでも助けてもらう、が基本。

そんな新竹ですが商業地区に行くと日本のデパート (SOGO)も店舗を構えます。私が宿泊するシェラトンからはかなり遠いのであまりちょくちょくは行きませんでしたがそこにはボーリング場もあり同僚たちとボーリングをしたこともあります。 大きな商業地区なのです。この辺りにはいわゆる在来線の鉄道も通っています。在来線にのって台湾の新幹線(日本の新幹線を輸入したはず)の駅にも行けます。高速鉄道は商業地区から離れたところにあり今開発が進んで高級コンド(日本でいうマンション)がいくつもありますが商業地区の雑踏を味わうことはできません(なんだかさびれている)。

 

台湾は毎年(だったはず)ランターンフェスティバル(提灯祭り)がありこれは毎年違った都市を廻るイベントがあります。ある年丁度新竹が会場だった時に出張することが出来ました。

各地のグループ、学校などが提灯を使ったBoothを出しますが屋台が沢山出ています。早めに仕事を切り上げ同僚二人と夜遅くまで見て回りました。なんでも食べる私は屋台も食べ歩き。気を付けないといけないので基本的に火を通したものだけ食べましたが現金を持っていない私は友人たちにずいぶんと使わせました(後年、USAで一緒に食事に行って埋め合わせをしましたよ)。

私はアジアは仕事、仕事以外で行ったことがある国は

韓国中国、台湾、マレーシア、タイランドそしてシンガポール

があります。 知っている人ならそれにフィリピン、ベトナムそしてインドネシアも入るのでざっとみてアジアをほとんどカバーしていますが、私個人の経験では

台湾の人が一番親切。

いや~ 日本人より親切だとも言えます。

中国人と同じにするな、と以前こちらUSAで言われたことがあります。 中国語を話すから中国人とごっちゃになるんですね。

台湾というとボバのドリンクを始めとしたドリンク類が良く知られています。こちらカリフォルニアにも多く進出していますが私は出張で台湾に行ったら買ってもらっていました。一緒に行動した現地セールス(女性)ドリンクが好きでいつも朝ドリンクをもってホテルまで迎えに来てくれました。

今は85というベーカリーがどんどん進出しています。ここはApple本社のあるCupertinoですがアジア系住人が60%ともいわれます。85の前は韓国系のベーカリーが進出していましたが最近は85の方が勢いあります。

85、私は最初に台湾桃園国際空港で見かけ、そこで売っているパンが美味しかったのでよく覚えていたのですがいつの間にやら当地に何店舗もお店が出来ています。台湾や香港そして韓国のパンは今人気です。アジア圏の国、日本も含め、美味しいパンを販売していますね。フランスは行ったことがありませんが以前写真に載せたサチュラ(日本のケーキ屋さん)のクロワッサン、この辺りで一番美味しく朝いちばんでお店に行かないと売りけれるのです。

85はアンパンが絶品です。ここのアンパンを食べて以来どこのアンパンも美味しく感じなくなりました。

ポートランド オレゴン州

ポートランド。 USAに両岸(西海岸と東海岸)、どちらにもある都市です。 東海岸が先。メイン州にあります。もちろんBostonに住んでいましたからメイン州のポートランドは行ったことがあります。

オレゴン州のポートランドは、東海岸の開拓者が西海岸にたどり着いたときに東海岸にある町の地名を付けた町を設立した際に付けた名前だそうです、確か。Bostonという案もあったそうですよ。

USAの都市には他国、特にUK(英国)の都市名の都市が多くあります。例えば

Reading, Brisbane, Moscow, 調べるとBostonだってUKに町名ありますよ。

さてオレゴン州のPortland. 出張で2度ほど出かけたことがあります。Columbia River が流れる、そう私の好きな河のある町なのです。州境で河を超えればワシントン州です。対岸の町はVancouverなのですね。Canadaにある都市名と同じです。混乱することが有るのでVancouber BC (BCはブリティッシュ コロンビアの略)がカナダの、 WAとあるとワシントン州のVancouver。広く知られているのはもちろんBC。

USAは連邦税(いわゆる国税。それにソーシャルセキュリティー、いわゆる国民年金、老後の医療をカバーする保険税など)と州ごとの税があります。連邦税に日本でいうところの消費税相当はなくSales Taxと呼ばれる税は州、カウンティー、町毎の税金です。ですから住む地域で税金が異なります。カリフォルニアは収税もセールスタックスもありますがテキサスは州の所得税はありません。セールスタックスはあります。さてオレゴン州、セールスタックスはゼロ、つまり消費税は無いのです、が収税に相当する所得税はあります。かたやワシントン州、こちらはセールスタックスはあるのですが収税としての所得税はないのです。 ということはVancouver WAに住んで、Portland ORで買い物をすればどちらのタックスも避けることができる!ことになりますね。カリフォルニアとオレゴンが州を接しています。ということはオレゴン州で高い買い物(例えば自動車)を買ってカリフォルニアに持ってくればセールスタックスはゼロにできるか? 結論、できません。カリフォルニアの住人は自動車をカリフォルニアで登録するのですがその際、オレゴン州で購入した自動車である場合 Use Taxという別項目の税金を州に納めることになります。結構レートは高く今現在9%程度だったはず。まあ、バッグや時計など登録のいらない物品ならオレゴンまで行って購入すればタックス分だけ安くはなります。

ワシントン州などのように州の税金が無いところの税収の源泉は固定資産税と企業からの税金、それとセールスタックスです。個人の場合大きな割合は固定資産税。家などを持つと掛かる税金ですね。カリフォルニアは州、カウンティー、町の固定資産税を全部合わせて固定資産評価額の大体1.1%程度。結構するのです。シリコンバレー一帯の現在の家は購入すると1ミリオンではもう買えませんから1ミリオンでも年11000㌦になります。もっとも評価額ですが最初に購入した金額をベースにして年率X%で上がっていくようなシステムなので仮に1980年代に30万ドル(今買ったら1ミリオンでも)だったとるるなら今頃の評価額はおそらく高々35万ドルくらいでしょうからタックスもずいぶん異なります。 さてワシントン州のような州では2%以上にもなるようです。ですから結局のところ税金から逃れるのは中々難しい。

それだけにその税金がどう使われているのかについてはしっかりとモニターする必要があるのです。

と、かなり脱線しましたがPortlandも雨が良く降る。カリフォルニアはここ数年温暖化の影響で雨不足。かたやオレゴン州から北は雨が多い。いずれカリフォルニアはオレゴン州から水を購入する時代がくるかもしれません。パイプラインを建設して。オレゴン州にすると自然がくれる金脈になりますね。もっともイスラエルで行われているように海水を真水に変える方向なのかもしれませんが。太陽の光はあるので電力は問題無しかな?

Portlandは街の中を路面電車が走っています。US,地下鉄を持つ都市はとてもすくないのですが路面電車は今でも建設中なところも多いです。私の住むエリアもありますしテキサスのオースチンも拡充しているようです。Portlandの路面電車は古くからあるようですよ、USAに来た当初みていたドラマの舞台がPortlandでしたが良く電車のシーンが有ったのを覚えています。

コロンビア河、大きな川で川には船も沢山出ています。出張で橋を渡るときによく見るのですが中にはレストランもあるような船も出ています。

相変わらず、出張だけで行った町でしかも十分日帰りできる距離なのでホテルに泊まったことすらないので実はあまり良くわかっていないし写真もありません。

こんなところに出張することがあるのか?と疑問に思われるかもしれませんが近郊にはIntel社の大きなキャンパスがあるのです。実はもう28年も前になりますがそのIntel で働く寸前まで進んだことがあります。Bostonにいた当時なのですがPortland勤務というポジションで面接をしたのですがもらったオファーはアリゾナ州のオフィスに代わっていたのです。マネージャがアリゾナ州にリロケーションになったことが理由でした。これ以前も書きましたがそのままPortlandならIntelに入っていたはずでその後の人生は今とは全く違ったことになっていたはずです

日本には確かDeltaが便を持っていたはずです。一度機会がありPortland経由でBostonに戻ったことがあります。はるか以前の話ですがその時Bostonに帰ってその当時時々会っていたBostonに来ていた日本人女性のグループと食事をしたとき彼女らはPortland経由は避けていると言っていました。今はどうだか知りませんがUSAは最初に降りたところで入国を済ませるのですがPortlandの係官は日本人女性を厳しくチェックするとかで場合によっては入国できないこともあるとか。。。そのころFacebookなどないですからそういった情報をどうやって共有していたのか今もって不思議なのですが係官にも甘い、厳しいがあるようでそういった情報を知っていたのですね。シアトル経由が確かその次に悪くてデンバーが良いとか、そんな内容だったかな。国際空港を持つのですがあまり便はなくDeltaを除くと貧弱で海外にでるにはシアトル、サンフランシスコ(西に向かうとき)もしくはデンバーやシカゴ経由であまり便利だとは言えないのが玉に瑕だとその地に住む友人(私のBLOGに度々登場するセールスのVPです)が言っています。彼はどんなAirline Groupに乗っても既にライフタイムXXXというStatusを持つので一緒に行動すると優先が良かったりと優遇されました。

写真は借り物。 きれいな町なのです。

もっとも昨年は大統領選挙に絡み荒れました。 私はあのように人々を分断させる指導者がトップにいることが信じられないのですがそれだけUSAが弱くなったことの現れだと思っています。

もっともそんな彼を日本人が’好いていることがもっと気がかりではあります。

表題は滝。 とても有名でいつかは行ってみたい。

評価すること

年が明けるといわゆるパフォーマンス考査の時期がやってきます。基本的に昇給、昇進というのは年に一度のできごとですが、もちろん例外は沢山あります。

さてこの考査に関して、日本でのことはあまり詳しくありませんがこちらでは通常

ー上司の評価査定。

―自己評価。

は必ずあります。それに先立ち、どのように自己評価するのか、どのように上司が評価査定するのかについて詳しい説明(ドキュメントだったりドキュメントに付随して説明会もあることがある)をします。評価におけるバイアス、差別を可能な限り避ける(いや、避けているということを示す)そんな目的でもあるのですが、年2度ほどあるその年のGoal設定を上司としていますがその設定(ドキュメントにしてある)を元にします。

会社によっては、実際私が今勤める会社でも、それらに加え同僚(同じチーム内、およびチーム外)の同レベルかそれ以上のタイトル、ジョブレベルからの評価も得るところがあります。誰に書いてもらうかはここの従業員が探します。この心は上司は日頃見えている部分がやはり少ないですから一緒に仕事をしている同僚からのインプットも考査の参考にする目的です。

今会社は昇進についてはきちっと評価基準、選考過程を文書にしているところが増えています。差別、バイアスを避けようという現れですが多種多様な人が働く現場ではこういった明確な基準を示してくれるのはわかり良いと思います。もちろんそれでも時々???と思うようなケースを見ますが得てしてそんな???最後はあまり良い結果になっていなかったと記憶します。

さて、評価することについて。

私が日本にいたころ(80年代末までなのではるか以前)、評価というと、”けなされる”ことが多かった、学校では特に。ところでけなしや、いますね。その大元締めのような人物がこの4年間、ホワイトハウスに住んでいましたよ。国家予算をあれほどに個人のために浪費した人物をかつて見ないわけですが(毎週ゴルフに行きましたがその警備費用で町の予算を全部使い破産した町まであります)、つねに人をけなし続けた。自分以外の誰一人としてほめなかった人物に初めて遭遇しました。ひとをけなす行為は自信がない表れなのですがちょっとした暴動が有っただけでホワイトハウスの原子爆弾が落ちても大丈夫なシェルターに避難したくらいの臆病。でも口攻撃はやめない。批判だけすることが大っぴらになり国家をここまで病ませたわけです。

けなす行為は破壊を生みます。会社、もし皆がけなしあっていたら、持ちますか?必ずや倒産するでしょう。国家も同じ。もう崩壊寸前まで来ているのですが今後4年間でどこまで修復できるかなと思います。

自己評価、 他人を評価するにあたり まず

―けなす行為は決してしない。

特に自分を評価するにあたり、自分のやったことの良い点、できた点を次々と挙げることが大事です。どんな些細なことでも一つ残らずノートに書きだす。

他人を評価する際もまず徹底的にその評価する人のできた点、良かった点を挙げていく。以前人生の数式のようなBLOGを書きましたが評価に当たっては足していくんです、良い点だけ。まずはそこに注目する。

残念ながら人間、どうしたものか、悪い点に注目しがちなのです。テストの評価を考えてみましょう。考え方に100点満点からできなかった問題をマイナスして引いて行って最終スコアを出すか、ゼロから始めて足していくか、があります。足していく場合上は決まっていなければ100を超えることもできるのですが引いていく場合、100と言う上限から始めるのでゼロ以下になる可能性はあっても100以上にはなりません。

私は足し算も、引き算も掛け算も嫌いだと先のBLOGで書きましたが

自分を自己評価する時は上限のない足し算のような方法を使っています。

引き算はめげる。。。

部下を評価する時も同じ。

もちろんパフォーマンス考査の結果、目標が達成できていないケースも出てきます。

そんな場合、決してけなさない。

まず、そこは自他ともに気を付ける。

因みに達成できていない理由は千差万別ですが私の経験では怠慢が理由というのは本当に少なかった。

ただ一つ怠慢だと言えるのは、”相談しなかった”ことかもしれない。どうして相談してくれなかったんだ?と後で思うケースに度々出会いました。先ほども書きましたが常に上司は全容を把握できているわけではないのです。評価が下がる、誰か他の人にアサインされるかもしれない、などこれも千差万別な理由からなのですが相談が欲しかったなあと、相談できる環境を提供できなかったかな?と思うことも多い(反省)。

とにかく けなすことはしない。

その考査を元に一緒に今後(新たな一年)をどうするか、Goal設定も含めて話あうのです。

マネージャの一番重要な仕事は部下、チームが最良のパフォーマンスを上げることができる環境を作り、維持し、会社が必要とするチームを作り上げその能力を上げていくことと、部下により多くのチャンスを提供することにある、

いや、元上司は、

上司は部下に使われるためにある、

と言いました。

そんな目で評価をすると けなすような結果には到底なりません。

先にも書きましたがけなしあっている組織は崩壊します。

でもね、こと昇進に至っては運も大きな要素です。これは仕方ない。

最後に

自己評価をしたら履歴書のアップデートを忘れずに。

写真はあまりタイトルとは関係ないのですが我が家のペットの一匹です。 ペットについて書きましたがウサギ2匹に犬一匹と多いのです。そんな中でこのウサギが一番人気者なのですよ。もう4歳になりますがほーランドロップという種類でペットになるために人間がBreedしたウサギです。癒しになり昨今のCOVID19なご時世、ストレスもたまりますがこのうさちゃんを抱いているとストレスも取れます。

ペットと話をするのは実は重要なのですよ。動物って話をすると分かるようになるそうです。こちらのBLOGで書きましたから見てください。抱っこして話してあげるとじっと聞いています。動物もそうやって評価されるのが好きなのかな?

 

2021年

COVID19で始まり終わったような2020年。東京オリンピックは延期になる、大統領選挙は何とか終わりをつげる、日本も首相も変わりと大変な一年でした。

が、このつたないBLOGも一年よく耐えた、いや長続きしたと思っています。読者数というかアクセス数はまだとても少ないのです。サーチに掛かるような内容ではないし、あまり系統立てて引き付けるような内容にもなっていないから仕方ないのですが今年はもう少し宣伝したり何かもっと系統立てた内容のカテゴリーを作ってみようかなとか思います。今年は還暦を迎えるのです。でもね、まだまだ引退は考えてもいません。今やっているプロジェクトは大きなプロジェクトでこの先数年は製品を出しつつ改良をしていくと思うのです。でも還暦を機にエンジニアをしながらですが他のことも始めようと昨年来色々と考えています。

人生の時間というトピックで以前書きました。学生時代にしておくと良いこと、始めると良いことなども書いたのですが還暦を迎えるにあたり今一度時間ということを考えてみました。

以前好きな言葉というトピックも書きました。

Choose To Chooseが今の私の座右の銘に近い言葉であるとそこで書いたのですが ごく最近、YOUTUBEで元上院議員であった故マッケイン氏(アリゾナ州)の葬儀セレモニーで元大統領のObamaさんがスピーチをされました(彼はスピーチがとても上手です)、その中で

Choice Is A Test

と言っておりました。正に!と思います。

日々人は何かを選択して生きている。つまらない選択(コーヒーに何杯砂糖をいれるかとか)もあれば大きな選択(転職だ、結婚だとか)もあります。その選択を自ら行う。それが Choose To Chooseなのですがその Chooseは正にテストですね。自ら下した選択、それをどう生かすか、どうしていくか、自分が自分に課したテストである。

2021年始まったばかりですがこの一年、自ら考え、行動する、その選択をやっていきたいと、還暦に入るのですが気持ちを新たにしたい。

シアトル

西海岸の州は北からワシントン、オレゴン、そしてカリフォルニア。USAは両海岸がどちらかというとリベラル(と言っても大西洋側はニュージャージ州までですが)、そしてその他は保守的というかいわゆるアメリカ。アメリカって日本で思われているほど自由で開かれた国ではないのです。宗教や政治を取り上げてもヨーロッパの方がよほど開かれた国だと言えます。西海岸とNYを除けば交わることがほとんどなく単一国民。

西海岸はそんなUSAから見ると別物に見えたりします。実際別な国なのかもしれない。

そんな別な国の一つ、ワシントン州にあるのがシアトル。シアトルはマリナーズ、いやイチロー選手で日本に良く知られるようになりましたね。

シアトルとその周辺には良く知られた会社が本社機構もしくは大きなオフィスを持っています。日本でも知られたところではAmazon、 Microsoft, Boeing, Starbucks, Costcoがあります。 古くからあるのはBoeingです。今は確か本社機構をChicagoに移転したと思いますが飛行機の組み立て工場などは今もワシントン州に多くあります。以前も触れましたがカリフォルニアにはロッキードがあり西海岸実は航空機、軍事関連の産業もとても強いのです。でも、今の会社となるとやはりAmazon, Microsoft, そしてStarbucksになるのでしょうね。

私が’そんなシアトルに最初にいったのは1992年、もうほとんど30年近く前です。そのころ働いていたBoston近郊にある会社がそのころはまだ小さかったMicrosoftと一緒に仕事をしていたのです。その関係であまり私には関係なかったのですが出張団の一員に加えてもらいシアトルに行きました。Microsoftはシアトル郊外にあるRedmondという町に有るのですがそのころは今のような立派なキャンパスをいくつも擁する大企業ではなかったのです。私が在籍した会社は敷地内にゴルフ場でもあるのではないかと思えるほどに広大なキャンパスを持っていたのでマイクロソフトが小さく見えたのを覚えています。後年マイクロソフトが私の顧客になり年2度Redmondを訪問するようになりましたがそのキャンパスが広大で大学のように広々と作ってあるのを見てはるか以前に働いていたBostonの会社を思い出したことがあります。私はMicrosoftという会社とても好きなのです。良い会社ですよ。皆長く働いているようで私が直接接したエンジニアたちは少なくとも10年は働いているという人が多かった。良いエンジニアがいるとそこの会社がオフィスを開設するのがUSAの常なのですが今RedmondにはFacebookをはじめとして沢山のハイテク企業が大きなオフィスを持っています。同じことがテキサスのAustinでもノースカロライナでも進んでいます。シリコンバレーの進出。またMicrosoftもAmazonもこちらシリコンバレーに巨大なキャンパスを築いています。Microsoftは以前のキャンパスが手狭になり今大きなキャンパスを建設中です。

エンジニアある所にオフィスができる。移民を抑制する様になれば海外での展開もますます多くなると思います。テレワーク、在宅勤務というのがありますがイノベーションは交わることで始まる。2020年の私自身の経験でも在宅勤務ではイノベーションの速度が遅くなったかなという印象があります。人材あるところにオフィスを進出させるのは今後も続くと思います。もっともシリコンバレーGoogle、 Apple, Facebook, NVIDIAを始め今もオフィスは増築中ですよ。

シアトル自然が豊富でとても良い町なのですがEverGreen Stateともいわれるように緑が豊富。でもその代償に曇り、雨の日がとても多いのです。たしか年250日は青空をみないとか・・・ カリフォルニアは年300日程度は青空ですから全く反対ですね。コーヒーのチェーン店、Starbucksに代表されますが、できたのはシアトルにいる知人によるとコーヒーでものまないとやってられないからだとか。実際出張で良く行きましたがあまり青空にはであっておらず雨のなかよくわからないモーテルを探してウロウロしたこともあります。GPSではもう着いたというのですがどうしても見つからない。木がうっそうと生い茂る土地なのでワイパー越しでは見落としていたのです。Microsoftキャンパスに近いところにとても美味しいドーナツ店がありそこで朝コーヒーとドーナツを食べるというのを習慣としていました。Starbucksでも良いのですがこうしたお店を見つけると嬉しかった。

シアトルからカナダ国境までは遠くありません。はるか以前シアトルでレンタカーを借りてバンクーバーまで出かけたことがあります。カナダとUSAの国境は確か世界でも1,2の長い国境ですが世界一平和な国境と言われていたこともあります。あの当時、車で国境を超えるのはとても簡単でした。私は出張の途中だったこともありパスポートを持参していなかったのですが永住権(Green Card)で通してくれました(行も帰りも)。いまでは考えられないような話なのですがこの30年で世界いやUSAの情勢がここまで変わるとは思いもよりませんでした(30年前USAは今より自信があり寛容だった)。いまは国境を車で超えるには2時間程度はかかるそうです。NEXUSカードを持てばそれでも簡単になるのですが国境沿いに住まない限りあまり使えないカードなので持っていません。空港などでもNEXUSカードを持つとあっという間に出入国できるので便利だなとは思います。

いつものように出張の旅で休暇でシアトルに行ったことはなく空いた時間を使っての探索になるのですがシアトルというとSpace Needleが良く知られた建物になります。Seafoodも豊富で特に牡蛎は全米でもよく知られています。新鮮な生カキを食すことができます。日本ではラッコやオルカ(シャチ)でも知られているようですね。実際オルカは多く生息しているそうですが私はまだであったことはありません。ラッコはカリフォルニアにも生息するのですがシアトル近郊の海はその餌となる貝などが豊富だとか。

富士山のように美しい山もあります。何時か登ろうと思いつつずっと果たせていないのですが確か富士山より高い山だと記憶しています。湖も多いです。Redmondで仕事を終えてまだ時間があればBellevueちという湖畔の町に行きましたがここは水上飛行機も発着するきれいな町なのです。湖畔沿いにお店もありそこで早めの夕食をとってから空港に向かうこともありました。Bellevueは高級住宅地で戸建てはとても高いのですがMicrosoftなどで資産をつくったエンジニアたちが多く住んでいると聞いたことがありシリコンバレーと同じようだなと思いました。KirklandにはMother Costcoと呼ばれるCostco発祥の店(第一号店)が今もあるとかないとか聞いたことがあります。CostcoのストアブランドはKirklandと言いますがこれ発祥の町の名を取ったのでしょうね。

空港までの高速道路はいつも混んでいます。モノレールがあるようで確かシアトルダウンタウンにまでつながっていたと思いますがシアトルではなくRedmondに行っていた私は一度も乗ったことがありません。一人で出張するとCar Poolレーン(二人以上の乗車で使える優先レーン)が使えず時間が迫ってくるとイライラとしたものです。公共交通機関はとても非弱なのはほとんどどこに行っても感じることです。車は便利ですが増えすぎた車の問題と環境問題にこれからどう対処していくのか? EV (Tesla)などは環境にたいする一つの提案なのかもしれませんが渋滞問題を解決するわけではない。 UBERが発展していますがある人曰くUBERが広まって交通渋滞がひどくなったとか。これはそれまで家にいた専業主婦や引退した人が小遣い稼ぎなどにUBERのドライバーを始めた結果町により沢山の車が出るようになったからだそうです。本当かどうか確かめてはいないのですが確かに車の数が少し増えたようにも思います。

 

写真は古いです。1992年頃かな?のシアトル。 今は変わっているはずですよ。もう30年近く前。シアトルに出張した時ですが私は必要外要員だったので1時間ほどで仕事は終わりぶらぶらさせてもらいました。

今の私の上司はシアトルに住んでいます。Redmondにあるオフィスにいるんですよ。何時かあちらのオフィスにも行くことがあると思いますが今は彼が時折やってきます。

 

東京

東京を書いてどうするねん、なのですが、出張で一番行った海外の都市はというと東京です。

はるか以前、1997年から1999年までの間(3年くらい)日本の巨大企業のアメリカ法人でマネージャをしていた時期があります。これは私にとって唯一の日本企業(日系企業)での職となりますが日本にも開発チームがおり(あとUKにもいました)、プロジェクトの責任は私だったのでそれこそピーク時は毎週日本に出張でした。ZOOM などない時代です。一週間8日働く。。。毎週月曜に日本で日本の開発チームとプロジェクトのミーティングをしていたのです。土曜にサンフランシスコを出ると日本時間の日曜夕方に成田着。月曜朝からプロジェクトミーティングをしてその日の午後5時ごろの便でサンフランシスコに戻ると月曜の午前中に到着します。そのままオフィスに出て今度はアメリカ側のチーム(彼らは私の直属な部下)とミーティング。 月曜が2度あるんですね。プロジェクトマネージャというのは直属の部下はいません。部下はラインに従属するので日本やUKにいるエンジニアはそれぞれ現地の課長、部長が上司です。とてもやりにくいポジションなのですよ。チームを働かせるといっても責任はあっても権限は無いのです。アメリカのチームが一番大きく彼らは私の直属でしたがそれでも大変なのです。上位のマネジメントにはそれぞれ思惑もありますからね。社内抗争などにも関わってきますよ。XXXは嫌い、XXXは自分を差し置いて上と話をしたとか、まあ色々ありました。順調に進んでいるとパイを欲しがりますが一旦トラブルになるとす~とうまくかわされます。関わりたくない。。。USA, Japan, UK 上になればなるほどこんなことの連続ですよ。一番大変なのは”予算取り”です。お金を握ったら“勝ち”なのですよ。3か国に掛かりますが本社(日本)は予算で縛りをかけてきます。人事権より最後は予算ですね。予算をどう分配させるか、そんなことを2年ずっとやっていました。人事権を渡しても予算の決済権限は最後まで日本の部門ががっちり握ってました。予算が無ければ何も出来なくなりますからね。

そのころは会社の使っていた航空会社はJAL。日本でいう課長級でしたがこの会社部長級以上はビジネスクラスで課長級はエコノミーだったのですが年25回は(往復すると50回)搭乗していたのでJALは空席があればほぼ間違いなくビジネスクラスにアップグレードしてくれていました。これだけの回数搭乗するとフライトアテンダントとも知り合いになります。香港のアテンダントはとても愛想が良くサンフランシスコで一緒に食事をしたこともありますよ。良き時代でした。ホテルもわずか一泊なのですが毎週だったのでホテル内のレストランでは知られていました。お気に入りなウエイトレスがいつも伺いに来てくれました。日曜日夜到着しますがホテルのレストランはそんなに忙しくなくオーダーを取りながらあれこれ無駄話を沢山しましたがレストランのマネージャも”お得意様だから”と大目に見てくれていると言っていました。お得意様と言われたのはこの時が初めてでした。

そんな生活を2年もするとしかしながらとても疲れます。まだ独身だったころですがあの2年間は働くだけ、だった。

転職してベンチャー企業に入り5年ほど開発だけをしていましたがひょんないきさつでマーケティングに部署を変え、再び出張人生の始まり。

最初の頃は出張というと日本。いや日本だけでした。2000年当初、まだまだ日本が、バブルははじけた後とは言えアジアでは一番だったころです。まだAppleは倒産寸前、Amazon, Facebookはなかった頃でようやくGoogleが産声を上げたころ。日本のブランドがまだまだ世界中で知られていたころです。2か月に一度のペースで出張を繰り返していました。東京圏(川崎、厚木、横浜、八王子を含む)を電車、車(現地のセールス)で行き来した後、一日は地方(長野、名古屋、大阪、広島が主)にまで足を延ばす。これだけで十分5日はかかります。時差がありますから土曜に出て日曜着。日本を土曜に出て土曜に戻るというやはり週8日な生活。。。

日本はお客さんは優しいので、と言いますが時間を守るので仕事はきつくなかった(中国と違う)。お陰で夕方には自由!。 場合によっては午後早めにはもう自由です。日本を30年前に出たとは言えまだまだ大学時代の友人やその後知り合った友人、知人も多い東京。友人と会ったり一緒に来ている同僚、上司と渋谷だ、銀座だ、新宿だと良く出かけました。

以前書きましたが東京はとても楽しい都市です。ロンドン、ニューヨーク、東京でしょう。そしてなかでも、美味しい料理が手ごろに味わえるのは東京!断然東京なのです。インド人の友人曰く、ロンドンがインド外で一番美味しいインド料理を食べることができると思っていたが東京の方が圧倒的に上だと。そんなわけで東京出張は羨ましいのだそうです。

Hello Kittyは人気ですがKitty Landにどれだけの回数行ったことか。皆行きたい、娘に買って帰る、写真を撮って見せるんだそうです。Kittyちゃんにはポケモンもマリオも敵わないですね。 

 

でもだんだんと東京に行く機会が少なくなってきた、いや最初は日本だけの出張が少なくなりました。日本にはいくがついでに台湾、韓国、中国も。。。となりその内に中国に行く次いでに台湾、韓国か日本に行くというようになり、最後は中国だけ行って戻る、つまりその他の国はもう行かない。この間わずかに10年です。 

以前書きましたがUSの企業は

北米(USA、Canada)

EMEA (ヨーロッパと中東)

APAC(アジア、アセアン)

日本

とテリトリーを持つことが多かった。経済力2位の日本はそれだけでテリトリーだったのですが、いまでは APAJとなり日本はAPACと一緒になりその本社も上海や北京になっていることが多くなりました。

この変化を感じるようになったのは10年くらい前でしょうか?一度私が扱う商品に不都合が有ったのです。その対策のため日本も含め顧客を訪問しました。日本ではこんな場合とても大きな叱咤を受けるのですが2000万もの買い物をして、こんな程度か?と(不具合に対する対応について)問い詰められたのですが同じ不具合を出荷した中国の企業はもう6億円のアカウントとなっており2000万のアカウントは失っても良いと言われていたのでどんなに叱咤を受けてもどうすることもできなかったのです。2000万を大きな買いものだというのはその5年前には無かったこと(その5年前には別の日本企業と10億円近い取引をしていた)。あれよあれよという間に規模が小さくなったのです。結局その企業はその事業からは撤退をしてしまいました。

そんな自分に直接関係するビジネスから東京の地位(あくまでも私のビジネスですが)を10,15年で経験しました。

ですが、東京はまだまだブランド力があります、と言いますか私の目にはブランドを作ってきていないのがもったいない。

GINZA, TOKYO, SIBUYA

どれもとてもいいブランドになる。GINZA。 知っている人は知ってますが私の同僚、知人、友人で日本に行ったことが無い人にGINZAと言っても良くしらない。でもロンドンのボンドストリート、ニューヨークの5番街などというと良く知っている。GINZAはこれら以上の地なのですが(中国人はGINZAよく知ってます)。ブランドにすれば良いのに、と思います。女性の中にはGINZAを知っている人がいました。なぜか? 資生堂の化粧品のパッケージにGINZAと書いてあるそうです。 以前も書きましたがパッケージなどにTOKYOだ、GINZAだ、SIBUYAだと誇らしげにロゴを統一して書けば良いんです。商品にもね。ブランドほど大切なものはないしTOKYOにはブランドが沢山眠っています。

私は今の仕事を”勤める”最後の仕事と決めています。

その後は 勤めないで仕事をする。

目標は東京にオフィスを持つ。時々オフィスの物件を見ています。目で見るだけでも楽しいし、何事も成就するには目に焼き付くVisualizationは必要ですから。

なんといっても東京は魅力ある都市なのです。

そんな魅力ある都市を持つ日本。その魅力をもっともっと磨けば良いのになあと思います。

みんな知ってるスカイツリー。昨年やっと行きました。

美味しいデザートも日本ならでは。パフェは銀座千疋屋で。

イチゴのショートケーキは実はこちらの町 Los Altosにあるサチュラ ケーキで。 ここは日本のケーキ屋さん。この辺りで一番美味しくいつ行っても長い行列が出来ています。ここのケーキを食べると他のお店のケーキはもう食べる気がしない、そうです。

こんなケーキが普通に食べれるよ、と言うと””東京は天国だ”と必ず言われます。