上海

中国について2度ほど書いてきました。今日現在(2020年8月)中国に関して話題になるのはコロナウイルスと中米(トランプVS習のいがみ合い)が巻き起こしている経済的、政治的不安定でしょうか? 政治的なことをブログの対象にはしないと決めているので中立的な立場で純粋にビジネス的な立場でブログに2度ほど書きましたがまだ”都市”をタイトルにしたブログは書いていませんでした。 というわけでこれが最初の中国 都市バージョンのエントリーになります。

中国はビジネスでのみ行った国なので行先は北京、上海、深圳といったメガシティーでかつハイテク産業に力を入れている都市になります。その衛星といっては失礼ですが周りの都市として杭州、天津などへも行っていましたが頻度的には少ない。成都まで出かけたこともありますが例外かな? 香港は空港だけ。深圳に行くのに陸路を使うと香港経由になるのです。

わけても私は上海に一番多くの回数行きました。上海に一番大きな顧客がいたのが理由ですが年少なくとも2度は上海に行っていた。上海の新しい地域である浦東エリアが仕事での主戦場になるのですが開発速度の速さには本当にいつも驚きました。中規模のいわゆるオフィスエリア(オフィスとレストランなどの複合施設)は6か月もすると新しいのが“産まれる”といったスピードで前回行った顧客のオフィスが新しいビジネスエリアに引っ越しているというのはもう普通な出来事でした。オフィスエリアに入ると中国語のスローガンと基本”赤”で装飾する(中国人は赤色を好みますから)のを除くといわゆる西洋的で私の会社の中国オフィスがあったKerry Parkエリアなど、USにいるんじゃないかと錯覚すらします。Kerry Partエリアは特に特別だったかな。地下に下ると中国的もなりますが2階、3階あたりはショッピングエリアも私の住む近所のショッピングモールとあまり雰囲気が変わりません。”中国人が大半だろう?”ですが、私の住む界隈はアジア系住人が人口の40%を占めますから”よく似た”光景なのですよ。 

なので仕事を終えたら浦東にはあまりいないで西側(川の西側)のいわゆる上海に行っていました。仕事は過酷になりがちでしたがさすがに着いた当日は夕方なこともあり仕事がないのでホテルをチェックインしたらすぐにそのエリアに向かっていました。地下鉄網が完備しており便利です。しかも電車料金は格安。というか、どの国の電車料金と比較しても日本の電車料金は異常なくらいに高額だと思います。中国では電車の駅に入るにはカバン検査があります(飛行場と同じく)。あれだけの住人がいますが一人漏らさずチェックするのですから大したものです。上海はまだそれでもましなたぐいで今度北京についても書こうと思いますが北京は首都ということもありチェック体制は何重にもなっていますよ。そんなわけで仕事を離れたら私はカバン等は一切持たないようにしていました。ちなみに中国はいたって安全な国だと思います、都市部しかしりませんが。

河沿いにバンドと呼ばれる一帯があります。 上海が西洋の租借地だった時代に作られた西洋風の荘厳なビルが林立しています。夜になるとライトアップされてとてもきれいです。河沿いは遊歩道になっており、上海住人、観光客で溢れかえっています。遊歩道から浦東側を望めますが対岸は新しいファイナンスエリアになっており銀行関連のビルが林立しているのと新しい上海を示すタワーも見ることができます。何度か歩きましたが歩いているとほぼ決まって中国人観光客に”写真”と取ってほしいと言われました。中国語少しだけならわかるので撮ってあげましたが、難しいリクエストをされるとさっぱりわからず、まだまだ一般会話をするには至っていないなと痛感。 バンドの写真と対岸の写真を添付します。

西側には大きな’ショッピングエリアもあり、まさしく中国です。ひとの数とその喧噪はすごいものがあります。とにかく人、人。 ですが、一歩その大通りから外れると高級ホテルやブティックが並ぶとてもしゃれたエリアになります。そのあたりにあるホテルに今度予約しておくよ、と以前働いていた会社の同僚が言ってくれていたのですが、会社を辞職してしまい達成できなかった。昨年上海で会ったら、”あのホテルに泊してから辞めればよかったのに”と言っておりました。チェコの会社でコンサルタントをしていた時期でそれまではいわゆる”外国人”が宿泊するホテルに滞在していましたが”中国人ビジネス客”が宿泊するホテルに滞在するようになりずいぶんとかってが異なり彼にぼやいたので。。。 今の会社、中国行くとするならコンファレンス出席になりますがあの河沿いのホテル宿泊できるかな~と思ったりします。逃したのは残念。

フレンチクオーターという一角は中国共産党発祥の地としても知られていますが今はとてもおしゃれな一角になっておりショッピングと食事のエリアです。一緒に行った同僚(私の上司になる)と着いた当日はその一角で時間を過ごしたものです。現地の同僚が一緒しますがそこで初めて実際の予定を聞き、作戦会議を開いたものです。難題があっていくことも多かったので飛行機に乗っている間進捗も知っておく必要がありましたから。とは言え、外のテラスでの食事は飛行機疲れをとるには良いところでした。 

上海は大きな町ですが歩くこともできます。地下鉄が至る所にあるので、一駅歩いてみると新しい発見を沢山することができます。ショッピングエリアは至る所にありまあ、もう世界中のありとあらゆるブランドのロゴを見つけます。アップルストアも何店舗のあり、しかもどれも大きい。中国はとにかく何でも”大きく”作りたがる(人口があるから仕方ない?)。大きいことは良いことだ(必要だ)なのです。スターバックスも沢山あります。これだけ米中いがみ合いをしているのに大丈夫かな?と思ったり、政治家はいがみあってるけど中国人は基本的にアメリカや日本のもの(そして私の経験だけでいうとアメリカじん、日本人)好きですから。ニュースだけ見ているのと実際に接してみるのはずいぶん異なると思います。

小さな店がひしめき合っていてとても楽しい中国的なエリアで。地下鉄が大体4元ですから18元というのは高い。。。

有名な公園(有料。中国人の友人曰く、社会主義の国だけど、中国に”無料”という言葉はない。。。とか、とにかく有料なところが多いように思いました)で。怒っているのかな?真っ赤な顔ですね。

偏頭痛

片頭痛とも書きますね。女性に多いんだそうですが私はどうやら母親ゆずりで片頭痛持ちです。妹が二人いますがどちらも日本で看護婦をしている(していた)のですが至って健康で片頭痛を持っていません。男子に遺伝する確率は低いらしいが。。。 ただ、片頭痛だと分かったのはこの7年前ほどでそれまでは頭痛持ちな体質だと思っていました。鎮痛剤が全く効かなくなり頭痛専門医にかかりましたがそこで片頭痛とわかりました。薬をもらいましたがいや、人生が変わるくらい楽になりましたよ、片頭痛に襲われたときには。2時間もするときれいに痛みがとれます。あまり頻繁に服用できない(一か月10回までで週に3日の服用もできない。一日に2回の服用は大丈夫)。だから頻度を10日以下に減らすための生活改善も必要。現在の頻度は月12回程度、7年前は15日くらいはあったので少し減りました。20日もあると重度になるようでボトックス注射を保険適用で受けることができるそうで人によっては劇的に頻度が少なくなるそうです。生活改善の一つに毎日30分エアロビクスな運動をするというのがありジムに通っていましたが今のコロナウイルスためジムを自粛しているので最近また頻度が増えてきました。家の周りで色々運動はしていますが足りないんだなと。。。いや、たぶん自宅勤務でずっと座っているからか?オフィスにいるとミーティングだなんだでやはり色々あるきますからね。会社はキャンパス内にビルが40程度ありミーティングに出るにも自転車を使うことが多かったのでそれが適度の運動になっていたのでしょう。 片頭痛とわかってからは色々としらべ、”いい”と聞いた、読んだことは何でも試しています。とても残念なことに片頭痛持ちに温泉はあまりよくないのです。お風呂もね。温めるのは逆効果なのです。痛みがきたら基本冷やす。いずれ引退したら本格的に片頭痛を研究したいと思っています。自分のためにも片頭痛持ちの世界の仲間のためにも。エンジニアなので先日自分の人生を計算してみました。今の頻度だと残り人生の三分の一は頭痛。残り15年として実に5年! こんな計算をしたと言ったら医師からそんなとんでもない計算はするもんじゃないと。。。その通りですな。でもこの”発見”後、ますます頭痛と真剣に向き合おうと決意がついた。

タイトルは片頭痛ですが、愚痴るつもりで書いているわけではないです。そうではなく”決意”について。

頭痛、ずっと持っているし”仕方ない”と思っていましたが残り人生のそんな大部分を頭痛と暮らすのはもう”こりごり”と決意。とにかくできることは何でもするしあきらめることをしない。そんな決意ですね。

決意 って 大事ですよ。 ”決意する”とよく言いますが、私もよく言う、実は言葉だけなことが多い。人間、人生でそんなに沢山決意できるものではないと思います。というか私の経験ではそうでした。

私がした決意で人生を変えたのはもう遥か、遥か以前、17歳の時ですよ。高校2年頃ですね。その決意は”大学に行く”でした。 中学3年の時、卒業したらあの時は工業高校に進もうと思っていたのですよ。それがまあ両親の反対もあり普通科のいわゆる高校に進んだのですが高校出たら働くのかな~とくらいにしか思っていなかったですが、何だったか理由はしっかりとは覚えていないですが2年生に上がるとき”大学に進む”と”決意”したのを今でもしっかり覚えています。進める大学は国公立以外なくしかも一回勝負(つまりストレート入学)以外なかったのですが、何かにとりつかれたのか、あの決心(決意)をそれから2年間ずっと持ち続けました。誰にも言ったわけじゃなく、自分で決めたってところなのですが。後年母が言うには私は母に”いずれ 遠い、遠いところに行く”と言ったそうです。まあ、今現在そうなっているのですがその”遠い、遠いところに行く”には大学にいくしか考えつかなかったのかな。

あれほどの決意、長い人生でもほとんど無かった。。。わたしはよく”明日からは毎日30分走る”なんて宣言するのですがそれが自分の決意でもなんでもないことを知っています。決意ってそんなに軽々しくできない。でも決意、いったん自分の中に入り込んだらそんなに簡単に出ていくものでもないことを知ってもいます。

人生を変えるような決意する瞬間がきっとありますよ、という経験談でした。片頭痛、決意なのかそれとも単に言っているだけなのか、まだよくわかっていない。ただただ片頭痛は嫌だというのはわかっていますが。痛いのは嫌だ。

片頭痛持ちなのでほとんどのお酒は飲めません。ビールが唯一安心して飲めるが

それも頭が痛くないときだけ

です。おかげで?酔ったことはありません。その前に頭痛になるからです。 友人曰く、人生の楽しみの半分が楽しめないのは気の毒だとか。。。写真はプラハで飲んだピルスナーです。アメリカドルで1ドル程度。アメリカで買うペットボトルの水より安い。しかもこれまでで飲んだどのビールより美味しかった。片頭痛さえなければ数杯飲むんですが私は一杯だけでした。

自信がつく

自分に自信がつく機会(まさしく瞬間)が人生長く生きていると何度か訪れるものだと思います。例えば 入試に合格した、難関な資格試験にパスしたときなどを挙げることができそうですね。まだまだ沢山あります、例えばもっと挙げると。

ー初めて商談をうまくまとめた。 セールスとしてやっていけそうだ。

ー気になっていた異性とデートの約束ができた。

なども立派にそんな瞬間ではないでしょうか? 

ただ、私自身の経験を振り返ると例えば資格試験にパスしたというのは自信というより満足感に近いようにも思います(私もいくつか日本の国家資格を持っています)。もう30年以上も前になりますが、入試にしても達成感と満足感が大きかったように記憶しています。 デートの約束は自信というより嬉しさですね。となるとこの少ないリストの中では”初めての商談”と言うのが自信というか、やっていけそうだという自分に対するコンフィデンスにつながりそうです。

こんな自信につながるイベント(機会)は人生の中で何度か訪れると思います。何事も不安があるのもです。私は10年以上も設計現場から離れていましたが縁あって昨年末ごろ再び設計の第一線に戻りましたが10年も離れていて実際設計できるのかなとオファーにサインをした後もかなり不安でした。経験年数だけはあるのでエンジニアとしてのポジションはかなり高いところでオファーを受けたのでそれなりの期待もされていましたが”できるのかな?”と。。。家族曰くかなり不機嫌だったそうです。確かに不機嫌だった。。。

私自身が自信を持てたイベントはアメリカにやってきてからでした。日本支社から毎年トレーニングと人的交流を兼ねて一人(若手)エンジニアを本社に1年間出向するプログラムがあったのですがちょうど私の番になり初めての海外がその出向でボストンまで出かけていきました。入れ替わりで帰る同僚と一か月一緒になるのでその間に仕事、生活その他全部”習う”のですがそれが終わると日本人はまさしく一人になります(あのビルには誰一人他に日本人はいなかった)。例年のことなので受け入れ側は慣れたもので色々と教えてくれますが基本的には勉強と人的交流を作るというのが目的だった。 当初はそのはずだったのですが受け入れ先の一つのプロジェクトが遅れに遅れてしまい、別のプロジェクトを始める人員が足りなくなってしまい私もプロジェクト要員として入ることになったのです。日本にいる私の上司はあまり乗り気ではなかったのですが本社はやはり強く私は当面の間という約束でプロジェクトに編入されました。やっていたことはある部分の設計だったのですがメインのエンジニアが入ってくるまでの間の繋ぎ程度の立場でした。つまりあまりあてにはされていないがその部分の設計に手を付けないでいることもできないから、と言ったところですね。細々とやっていましたがそのプロジェクトを仕切っていたマネージャ(私のホストとなる人ではなかった)とは時々それでも進捗などを話し合っていました。彼は奥さんが英語の先生であの当時英語を母国語にしない生徒に英語を教えていたこともあり、私のつたない英語にもかなり辛抱強かった。3か月ほどたったころ、そのプロジェクトのレビューがあり彼は私にも進捗を発表しないか?と言ってきました。そして ”これからは英語で考えて英語をしゃべれ”とあの時アドバイスを受けましたよ。”お前はまだ、日本語で考えて英語の訳している”、とね。当日知ったのですがそのレビューは部門の一番偉いエンジニア(兼副社長)も出席していたのです(年次プロジェクトミーティングで年一度の大きなイベントだったのです)。つまりそうそうたるメンバーが出席していたわけです。私は30分ほどの時間でしたがとにかくひたすらにしゃべっていました(今でもよく覚えている)。パワーポイントなどなくプロジェクタを使うので資料もほとんど手書きでした。ひたすらに話、質問にも答え、初めての経験でかなり疲れたのも覚えています。さてその次の日、ホストのマネージャに呼び出しを受けました。かなり上のランクで日ごろはほとんど接触がなかったのですが、彼は”前日のレビューは順調に言ったと聞いた。Mike(副社長)がお前(私)にその部分の設計を任せろと言った”ので今日から正式にお前の担当になる。もう日本にもMikeが知らせた(つまり上からの命令という形になった。)それとMikeがコロラド(彼の本拠)でのフォーラムにお前を招待したからコロラドに行く準備をするようにと。フォーラムに参加できるのは非常に限られたエンジニアだけでした。 つまりMikeに認められたわけですね。Mikeが認めたというわけでその日以降突然色々な人がやってくるようになりました。詳しくお前のアイデアを説明してくれ、と言うのですね。まるで芥川賞をもらった新人作家のような感じでしょうか?。コロラドにも行きました。Mikeが色々とお膳だけをしてくれたのでそれまでの人脈とは違うもっと上のレベルのエンジニアと議論する機会できたのです。あの時ですね、やっていけると感じた(確信した)のは。プロジェクトチームに正式に編入され(本社勤務に変わった)担当部分の責任者となり私自身若かったですがより若手エンジニア3人とチームを組むようになりました。たった一回30分の発表でしたがあれが今自分がこのエンジニアリングの世界でやっていけるという確信をもったきっかけな機会です。以後は、より面白いプロジェクトに社内で移っていけるにもなりましたし(色々後押ししてもらえた)、皆が行きたかったカリフォルニアのオフィスにもその当時の上司が選んでくれました。

あのときもしうまくいかなかったらどうしていただろうと考えたことが何度かあります。どうしていたか? いやどうなっていたか? どうなっていたかは予想はつきます。暫定的にプロジェクトに入っていただけですから時が過ぎたところで日本の部署に戻っていたでしょう。もともとはトレーニングが主体で来ていたわけですから。どうしていたかな? なのですが今考えてもよくわからない。細々とやっていたのかな?何か探したのかな?

チャンスに備えて日ごろから準備しておくんだとは誰もがいうんですね。私もそう思うんですが準備ができていないからってチャンスを逃してはだめだと先のブログで書きました。私はあのミーティング、あのマネージャに言われたとき”やりたくない”とだけは言わなかった。よくわからないが彼も”良いチャンスだからやると言え”とだけ言ってましたよ。良いマネージャでした。実際あれほどのチャンスは中々なかったですから。当日まで誰がでるのかもよく知らなかったのですがたぶん興奮もあったのでしょうね、とにかく自分でも驚くほどにしゃべり続けましたから。 まさしく日本語から英語への頭の中での翻訳をしなかったと記憶しています。あの日以来翻訳をしなくなりました。

あれ以来カリフォルニアに来てもずっとエンジニアができているし、いい会社に誘ってくれるし、その時以降、もう”できない”とは思わなくなりましたね(最近マーケティングからエンジニアに戻った時はさすがに悩んだですが)。難しいけれど、なんとかなるさ、という自信はどこに転職してもあります(転職8回の経験者)。

そういった機会が人生ではあると思います。その時が早くやってくる人もいれば私のように30を過ぎてからのこともあるんです。

最後に、機会は決して平等に与えられるわけではないです。機会平等というのは実際の社会ではまず無いと思います。だからこそ、機会がやってきたら”逃すな”と言いたい。

料理色々と試しますがまだまだ失敗が多い。。。

チャンスが来たら

フランクシナトラのマイ ウエイ という曲、知っているでしょうか? 私はシナトラというより テイラー スイフトのファン(実は年配のファンも多いのですよ)ですがシナトラの声は良いと思いますよ。

さてその曲でも言っているんことですが、チャンスができたら ためらわず、怖がらずにまずはとってみるのですね。 それから考える。逆じゃなく。

昨年一年ほどチェコの会社のコンサルタントをしました。一番の仕事はちょうどそのころ始まった会社の運命を左右するほどの大きな商談、シリコンバレーにある会社ですが、それを成功させるというのが私のメインな仕事でした。それが取れたら会社はあと5年は予算的に大丈夫なくらい大きなビジネスだったのです。チェコの小さな会社にするともう考えられないような話です。しかも私の上司と私は商談がとれたら早いうちに吸収合併させる方向に進めていく予定でもいたのです。かれはボードメンバーでしたからボード(取締役)を説得し、わたしは顧客サイドにそれとなく探りをいれてその可能性も十分検討してあったのです。競合は2社。一社はシリコンバレーの会社でもう一社はアジアの会社でした。

良いところまで話を持っていくことができ、こちらのエンジニアリングの責任者(CTO)を交えたミーティングにまでこぎつけたのです。その大事なミーティングに先立ち作戦会議のミーティングをチェコでしましたが私は出席する予定の人すべてに ”絶対にスケジュールの話はするな。技術的な点のミーティングに特化すること”と何度も釘をさしておきました。技術的に非常に難しい課題があったのですが、相手は技術面というよりスケジュールを気にしていたのです。小さな会社ですからスケジュールにコミットできるのかどうか。。。

さて、ミーティング当日。当初の予定通り進んでいったのですが(朝から夕方までのそれは長いミーティングでした)、最後にその日の締めくくりをしたとき、相手が”最後に何か質問があるか?”と聞いてきたのですね。 私は”今日の議題を持ち帰って検討するまで今のところない”と答えようとしたのですがCTOが最後に”スケジュールは少し融通性があるのか?”と言ったような質問をしてしまった。。。 あれほど絶対にするなと言ってあったのに。。。 顧客側は少し確認してみると言ってくれましたが私は”おとした”と思いましたよ。実際ビジネスは結局取れませんでした。

怖くなったのですね。とにかく厳しいスケジュールを提示されていましたから。だから確認してみた、となるのですが、あの場合”やる、できる”という意思表示が何よりも重要だったのです。何度も言ってあったのですが、若いCTO(30代)で最後にやはり怖くなったのだと思います。後ほど顧客からスケジュールは多少融通が利くと言ってきたのですが”それみろ、聞いてみるものだ”と彼らは言ったのですが”あれはもう選択から落ちたというのと同じだ”と私はわかっていました。

どうやってやるかは後で考える そんなときもあります。ビジネスに限ったわけじゃないですがまずは取らなくてはいけない場合があるのです。得てして逆になるのですがこんなチャンスはない、という機会が訪れたらまずは”とってしまう” それからさてどうするかと考える。できるようになってから ではチャンスを逃すことがあるよ、ということです。

とくに若いうちは自分の前にチャンスがやってきて、そのチャンスを取りたいと思ったらまずは”とること”、これは覚えておいて損はないです。

写真はビバリーヒルズ。ハリウッドの映画スターも沢山住んでいますね。新人で無名だった俳優が一躍スターになることもできるのです。そんなチャンスがやってきたら、できるか、できないかなんか考えないでしょう?オファーがやってきたらまず”やります”と言うに違いない。それからかんがえるでしょう?仮に自分に力不足を感じたら、と思います。 チャンスは逃すな!です。

彼もなんども挑戦した結果今がある。。。

日本の雑誌


日本の良いもの上げなさいと言われたら私は

食事、100円ショップなどの小物、品質の良い格安な高級品(例えば時計、セイコーの時計、品質はスイス製以上で値段は格安)、ケーキ、等々際限なく上げることができますが私はそのリストに

入門書 と

雑誌

を加えたい。

日本は入門書天国です。書店に行ってみると同じようなタイトルの入門書が沢山あります。ちょっとテレビなどで評判になるとあっという間に入門書が店頭に並びますね。入門書は書きやすいのです。私は仕事柄以前トレーニングのための書籍(といっても一般には販売しません)を書いたことがありますがトレーニングって入門ですね。決められた時間内で書き終えることができました。ただ入門書を読んで(勉強)わかった気持ちになるのは実は危ない考えです。入門書を勉強してもそれはあくまでも入り口に立ったという程度ですから。その次に進まなくてはいけないのですが、私の見たところその次にあたる書物は日本とても少ないと思います。その次って、教科書(テキストブック)です。アメリカやヨーロッパの教科書を手にされた経験もあるかもしれないですね。日本の教科書と何がことなるでしょう? まずページ数。アメリカの教科書は300~600ページは普通です。振り返り日本は教科書は得てして薄い。記載できる情報はページ数と相関関係があります。 昔聞いた話ですが日本の教科書はあくまでも授業の補足のため。アメリカの教科書は自習のため。考え方の違いかもしれませんが社会人にもなって時間に限りがある場合学校に戻るというのは難しいでしょう。それに夜間のコースは残念ながら日本はアメリカと比較すると非常に手薄(今はオンラインがありますが、対面のコースはそれでも重要)。教科書を補足する形で参考書というのがありますね。専門分野になると参考書とはいわず専門書とよく言いますがこれもやはり日本の書籍は少なくとも私が属する分野では特に見劣りします。というわけではないですが、外国の、特にアメリカの大学教授たちの執筆した書籍を頼りとすることが多々出てきます。それについて。日本語版をある関係で何度か読ませていただいたことがあります。英語のオリジナルは手元にあったのですが、日本語版を読んでもさっぱり理解できない場合が多々ありました。30年もこちらにいるから日本語能力が落ちたんだろう~と思われるかもしれませんが(私も最初そう思った)、そうではなく、どうも限りなく英文の構成に合わせて翻訳されているからだと分かったのです。日本語を読んでいるときはもちろん頭は日本語で考えるのですがそうすると全然その日本語が理解できなくなるのです。英文の同じ個所に戻って読んでみると理解できる。今は翻訳に自動翻訳を取り入れられ人間の翻訳者と自動翻訳の共同作業になっていると聞いたことがありますがその影響でしょうか?とにかくわかりずらい翻訳本が多いなという印象を持ちました。よい教科書をいずれ書きたいなと言ったことがあるのですが、”辞めておけ”という。。。 理由はあんなに大変なことはない、大変なのに見返りが少ないのだとか。。。

さて、ようやくタイトルの雑誌。 日本の雑誌ほど読んでいて楽しい雑誌はありません!日本はマニアックなくらいに写真や解説のための図解図などを駆使されてとても楽しい雑誌を出版しています。写真はどれもこれも本当に美しい。これだけオンラインで情報が取れる世の中ですが日本のざっしに勝るようなオンラインのページを見かけることはあまりありません。私は時計関連の雑誌をアマゾンジャパンを通して時折購入しますが注文した雑誌が届くと嬉しくてしかたないです。

雑誌の収入源は広告なので雑誌の記事は広告主の商品、サービスを決して批判しません(多少はするのですがそれでも最後はポジティブな終わり方をする)。ですから雑誌を読んだだけでは一方的になるので何か購入を考える場合オンラインのフォーラムなど別媒体も参考にするべきだと思いますが写真、商品の詳細そのたについては雑誌がいつも一歩抜き出ていると思います。

ですから日本の雑誌はじつのところ海外でも購読されているのですよ。写真と図解図を’見ているだけで楽しいからです。こと趣味の雑誌にもなると(私が読んでいる時計関連の雑誌とか)豊富な写真、しかも日本の編集者はマニアックに取材をするので製造現場、時計内部など他の雑誌ではあまりみることのできない写真も非常に豊富で日本語を読めなくても十分に楽しめるのです。アメリカにも似たような雑誌がありますが以前写真の枚数を比較したことがあります。3~4倍は日本の雑誌の方が多いです。またカルチャーなのかもしれませんが、英語は文章で説明しようとしますが日本はできる限り図解であまり文章での説明に入りません。図は言語を問わず理解できるので翻訳してある必要もないのです。また図のキャプション程度ならオンライン翻訳も十分活用いるので必要であればオンラインで確認もできましね。インターネットがここまで発達していますがぜひとも日本のマニアックな雑誌これからも出版され続けてほしいし、もっと日本国外でも読まれるようになってほしい。もっとももう女性の雑誌は台湾、香港では本当普通に読まれています。私の台湾にいる元同僚(女性)も日本の女性雑誌の読者でした。雑誌は立派な日本のカルチャーでもっと輸出できると思います。

専門的な雑誌も内容がありました。アメリカなどでも雑誌があるのですが通常Freeなことが多い。広告で費用を賄っているからですし通常定期購読が必要でしかも結構な金額です。それに見合った内容だった。 ”だった”と過去形にしているのは少なくとも私の仕事分野では雑誌の休刊もしくは縮小が進んでいるように思います。もうずいぶん以前のことですが日経マイクロデバイスという雑誌を日経が出していたのですが今は休刊になっているはずです。80年代、90年代と日本がシリコンをリードしていたころはこの専門雑誌、非常に内容があり執筆も調査を十分された濃い記事だったのです。関連する産業が日本で衰退していったにつれて雑誌も休刊に。以前も書きましたが私は日本にシリコンを今一度復活させるのは国家事業レベルでやっていただきたいと思います。

写真は雑誌とは全然関係ないです。スイスのチューリッヒ一番のショッピングストリートで。この通り沿いだけでも時計のお店がいくつもならんでおり高級ブティックなどもありましたが日曜は店が閉まっており閑散としておりました。月曜になると人のでもありとても賑やかになっていました。 

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日曜のショッピングストリートは閑散としていた

成功するには


成功したい、幸せになりたい、お金持ちになりたい。 って最近日本の若者はあまり思わなくなってきてると読んだり聞いたことがあります。 私が読んでいるUKの雑誌Economistにも以前日本の若者の記事がありました。それは若者のデートに関する記事で日本では若者がデートしなくなってきているというような内容の記事でした。

”しようと思わなくてはできない”は真理だと思うので幸せになりたいと思わなくして幸せになれるとは思えないです。

シュワちゃんことアーノルド シュワルツェネッガーさんのこのビデオはそういった点を本当に伝えてます。英語ですがわかりやすくゆっくりと話しているのでぜひ見てもらいたいようなビデオです。ご存じのように映画スターとして成功され、カリフォルニア州知事まで就かれた方ですが人間として、ある種のスキャンダルもありましたが、尊敬できる人です。今もかれのメッセージ通りな生き方をされていますよ。アメリカ大統領に立候補できないのが残念なくらいです。世界的に有名でもあるので良き政治ができると思うのですが。

このスピーチの中でも ビジョンを持てというのと”辞めたら?、無駄だよ”と否定的なこと、アドバイスに耳を傾けるな というのは若いうちは特に重要だと思います。以前にも書きましたがChoose To Choose、自分で選択することを選択するように。これ、自分勝手に決めなさいと言っているわけではないです。アドバイスを受けてそのアドバイスを受けるにしてもそれは自分が決めたこと、アドバイスをくれた人が決めたことじゃない、自分の責任で決めたこと、そしてその選択に自分が責任を持つという意味でもあります。実は大変勇気がいるし実行は難しいのです。でも意識しているだけで人生変わってきます。

ビジョンについてはよく”ビジョンはあるんだよね”と言うことをいいますが、成功のためのビジョンってそういう意味じゃないそうです。 まさしく脳裏に焼き付けることなのだそうです。卑近な例でいうと初めてのデートで夕食に行くことになった。その場合、何を食べるかと言ったことから、そのレストランに行くまでの工程、レストランでの会話、支払いの仕方に至るまで細かく脳裏に焼き付くまで描くとその夕食デートが成功する確率が大きく変わるそうです。同じように自分が成りたい人、やりたい仕事についても脳裏に焼き付くまで具体化すると良い。これね、就職面接では絶対に必要なことです。そのうえで自らのいわゆるビジョンも併せ持つともう成功(幸せ)は手に入ったも同然。

と言って私は別段成功していない。何が欠けているのかと考えるとこのビジョンが一番欠けてきたと思います。こののスピーチを聞くとそれがよくわかります。ところでアーノルドさんは言っておりませんが私が彼の5か条に何か付け加えるとするなら、良い仲間を持つこと を挙げます。仲間についてはいくつか別のブログにも書いています。 YTUBEのリンクは以下です。

www.youtube.com

そうだ、成功の格言となると私はこのユダヤの教えを上げたい:

成功の扉は押すか、引くかして開けてみなくてはならない

つまり、その扉を開ければ成功という扉の前に立つ機会というのは何度かやってきます。残念ながら、ドアは自動ドアではありませんし、誰も開けてはくれません。自分で開けるしかないのです。しかもドアは押すのか、引くのかについても誰も教えてくれません。ひょっとするとどちらでもなく横にスライドさせて開けるのかもしれない。開けることを試さないとわからないのです。つまり自分で行動して試してみる。押すのか、引くのか、はたまたスライドさせるのか、一回で開く場合もあるでしょう。3回かかるかもしれない。引いて開かないから”カギがかかっている”と諦めるかもしれない。あきらめず試してみるんですね。それをこの格言は行ってます。 成功の扉は押すか、引くか(スライドさせるか、その他の方法もあるかも)開けることを試してみなくてはならない。 

就職か入(就)社か?

同じことのようで全く異なると言いたい!

また私事ですが、大学を卒業した折諸般の事情, 最初からいわゆる外資系の会社(だけ)の仕事だけを探していました。


あの当時日本はバブル景気に入っておりとにかく景気が良かったころで外資に行くというのは本当に少数でいわゆるエリートと言われる人は三菱、NEC、SONYといった世界的巨大企業に行っていた時代です。

でもね、外資でよかったと思っています。あの年、あるアメリカのコンピュータ関連の会社(結局そこで私は働きました)の面接を受けました。 面接で会ったのは自分の上司になるひと、その部門のコアとなるエンジニア、部門の秘書(その上司の秘書)だった。面接ではその部門でどんなことをやっているか、どんな人材を探しているかについて細かに話を聞くことができましたし自分の興味、希望や将来の方向(あの当時いずれ海外に出たいと既に思っていた)などを伝えることもできたのです。 結果採用になりました。 人事の人とも面接しましたがそれは2度目の面接で私が東京に引っ越すのは大丈夫かとかそういったまさしく人事的な確認だけでありました。 つまり私は採用時にすでにどこの部署で何をするのか、誰が上司なのかを知っていたわけです。

翻りあの当時、大学の同窓にあたる友人はみな入社していきました。皆大企業に入っていきましたよ。でもね、入社だったのです。当時(今もでしょうか?)入社後に配属になります。配属先、希望は聞いてもらえるが決めるのは会社側。配属前に研修があり研修中に配属が決定するとか。つまり自分がかかわる仕事(就職ですね)はその配属が決まるまでわからないわけです。

入社か就職か? カルチャーの違いと言ってしまえばそれまで。日本は今も卒業時に一斉採用するから確かに各部、課、部門が個々に採用に関わっていると時間を取られ非効率だという考えもあるのかもしれません。私が今いる会社、採用の面接はすべてに優先する、が方針です。重要なミーティングも採用面接とぶつかった場合採用面接が優先します。人を雇うことが一番大事なことだというのを知っているからですね。誰もが面接を担当するので面接のためのトレーニングがあります。面接も技術面接だけではなく色々な角度から面接するのでトレーニングもその役割事にあります。面接は真剣です。

難しいかもしれませんが 就職 であり 入社でない 仕事探し 仕事は人生の大半を占めますから(変な話ですが結婚生活より、両親と暮らしていた生活より圧倒的に長い)就職(職に就くという意味ですから)そうやって考えて行きたいですね。

ブログには必ず写真を添えようとしていますが見合った写真があるかなとずいぶん探しました。エンジニアの仕事今もやっているのでもちろん好きですがCEOに勝手にマーケティングに移動されて移った。実はそこが一番楽しかった。勝手に移動されましたが形式上同じ社内でしかも小さな会社なのでみんな知っていましたが、それでも”面接”は一応有ったのです。そこで上司にあたる人に教わったのにセールスとマーケティングの根本的な相違点というのがあります。 セールスは自分の売り上げが至上のゴール、マーケティングは会社の売り上げが至上のゴール。似ているようで全然違うのですね。コミッションが収入に関わってくるセールスは自分の売り上げが何よりも大切になります。

マーケティングは通常コミッションはありません。セールスは自分の売り上げを増やしたいですから他のテリトリーを仕切るセールスと常に協調するとは限りません。その間をうまく取り持って会社としての売り上げ、利益を上げていくのがお前の仕事である、ということです。大きな会社に吸収合併後はセールスの数も増えましたからより沢山のセールスと接するようになりました。まさしく自分の売り上げ第一でそのためならあれこれ策を練ってくるのがいました。それをうまくさばくのが仕事でいやはや人間を学びましたね。

おかげでいろんなところに出かけました。 ということで添付した写真はトロント。トロントはカナダ一の都会でテクノロジーの会社も多いのです。あまりブログタイトルとは関係ないです。

人生の時間

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チューリッヒ 教会の時計


時間、 時間にまつわる格言というと

時間を無駄にするな、 時間を大切に、時間管理をしろ、時間はお金より大切。。。といったなんだか脅しのようなのが多いように思いあまり好きではありません。時間に関する好きな言葉というとアインシュタインの言葉だと聞きましたが ”相対性理論は例えば、好きな人、好きなことをしている時間はとても短く感じるが嫌なこと、苦痛なことをしている時間は永遠に長く感じる”というのが一番心に響いてくるように思います。

さてこの時間、どんなものだと思いますか? 私はこれは風船の中の空気のようだと思ったことがあります。子供のころ風船をもらったことがないですか?風船っていつかはしぼみますね。生まれたとき両親から生命という時間をもらった。遺伝からくる人の生命時間は生まれたときに決まっていると聞いたことがあります。これが風船の中の時間。使おうが使うまいが風船の空気が抜けるように時間も使おうが使うまいが無くなっていくのです。ただし、割れていなければ(古くなりすぎていなければ)風船に後で空気を入れてあげることができるように時間も足してあげれますが。これが一人ひとりの時間じゃあないかなと思ったことがあるのです。

時間はしかし対価と交換できるのですよ、しかも格言にもあったようにお金よりも大切(貴重)に。 そのもっともたる例が以前にも書いた投資です。複利の原則があるので先に投資を始めた人はあとからもっと沢山のお金を投資に回した人より圧倒的に資産を増やすことができる(可能性で言っています)。まさしく時間はお金より貴重な例ですね。早く始めることで差が出るのは他にも色々とあります。歌舞伎など、子供は3歳くらいからけいこするそうです。20歳になったころにはもう17年もの経験を積んでいることになりますから後から始めた人との差は歴然としますね。稽古も複利の法則成り立ちます。つまり時間を有効に使うにあたり時間が対価を生み出すか、その対価と時間の関係はどうか?というのを考えてみると良いと思います。

後から時間を足すというのは時間を買うこともその一つです。私ごとですが大学(日本の大都市圏の国立大学)を出ていますがあの当時は今と比較にならないくらい受験戦争(?)が厳しかった。片田舎に住んでおりましたので予備校も進学塾もなく家で参考書とにらめっこして勉強していましたが受験って勉強にやり方があるんですね。予備校などそのやり方を色々と教えてくれるわけです。やり方をしって勉強するのとそうじゃないのでは受験に限って言えば効率が全く違います。お金でやり方を買っているわけですが、時間をあまりかけなくて済むわけですから時間を足したとも言えます。 ただね、やり方ばかりならうでしょう? 実際の勉強、人生、仕事ってやり方はいっぱいあって”これ”と言うのはないんです。試験は通るけれどそれだけ。。。になることもあります。だからというわけではないですがお金で時間を足すかは考えたほうがいいと私は思うこともあります。

もう一つ時間を足す方法があります。それは一緒にする、つまり仲間です。一人でするより二人、二人でするより4人。この場合時間は足し算ではなく掛け算に近くなりますから4人だと16倍ですか? そこまでいかないかもしれないですが4倍ではなく6倍、7倍にはなるでしょう。立派に時間を足したことになります。私は非常に大きな会社でマネージャーをしていた時期があるのですが元上司や同僚が誘ってくれた関係で小さなベンチャー企業に転職したことがあります。ベンチャーは仲間が大切で会社が大きくなるまでは特に採用に当たっては技術力もありますが一緒にやっていけるかということが採用の大きな基準になります。実際入って間もなく辞めていく人も沢山いましたよ。結局13年ほどして買収されましたが13年間残った本当のコアなメンバーは20人程度でした。未だに関係(絆)は強く当時エンジニアリングの責任者で引退された人の自宅で今も昼食会をしています(今年はコロナの関係で中止)。良い仲間がいると人生色々と楽しくなります。シリコンバレーは大きな仲間内の組織なのですよ。従業員が人を紹介してそれでインタビューが始まるというケースが多いです。私は8度転職していますがそのうちの5回はそういった元上司、元同僚の紹介によるところなのです。今の会社はなんと元顧客です。2年前まではお客様だったのですが今は同僚。こんなケースもありますが誘ってもらえるというのは嬉しいことですよ、実際のところ。

成功ための本として何度か80・20の法則について書いていますがその書のなかでも仲間作ることを述べています。もっとクラシックな書としてナポレオン ソロの書いた書物るのですがその書でも粒さにこのことに言及しています。しかし若いうちは仲間作りを勘違いすることがあるので注意する必要がありますよ。 友達 イコール 仲間ではありません。 友達の中には仲間になる人がいると思いますがイコールではない。上司になるような仲間もいれば同僚、部下になるような仲間もいるのです。一緒に働けなければ仲間にはなれない(難しい)かもしれないですが友人イコール仲間でいるのは高校生か大学の1,2年まで位と私は思います。 そして仲間の中にぜひともメンターとなれそうな人を入れておいてくださいね、若いうちは特に。

先ほどの時間を買うについて、例えば自分でするととても時間がかかること(例:法律関すること、例えば登記)をだれかプロ(弁護士とか)に委ねるというのはもちろん必要なことだと思います。でもね、弁護士の時間を買って作った自分の時間を有効活用することは常に考えておくとよいと思いますよ。誰かに代わってしてもらうことで自分に時間が生まれるのですがその時間をなんとなくインターネットをブラウズして過ごしたり(目的なくという意味です)して使うのではなくリフレッシュのためにハイキングするとか、本を読むとかね。

写真にはプラハにあるアストロノミカル クロックタワーも添付します。時間が来ると仕掛け時計が動くのはヨーロッパでよく見ますがこの壁の時計は天体の位置など色々な情報を伝えるとか(詳しくはオンラインで調べるとわかります)。Old Townの広場にあり観光の中心の一つです。ツアーで中に入りました。町の歴史も垣間見ることができます (ツアーに入ると地下にあった牢屋なども見て回れます)。

置時計の写真は北京のある故宮内の時計博物館で。昔の皇帝はヨーロッパの置時計をずいぶんとコレクション(贈呈してを含む)していたのですね。どれもこれも複雑な機構ついていて見ていて飽きなかった(複雑機構は動いていませんでしたが)。

チューリヒで見つけた時計塔(教会)の写真も。今では時間は腕時計、携帯電話をはじめありとあらゆるところで簡単にわかりますが昔は高いところに大きな時計をおいて人々はその時計をみて時間を知ったのですね。チェコのBrno市内地にもいくつもの時計塔を見つけましたが一つの位置から二つ見えることはまれで考えて設置されていたことがよくわかります。

時間、若いうちはわかりにくいですが風船のなかの空気と同じ。生まれたときにもらった時間を大切に。そしてその風船、途中で割ったりしないように(自分が原因の事故や不摂生)してください。 

最後に時間は後戻りができない。つまり 後悔はしなさんな、と私はいつも後悔ばかりするくせにここではそう書いておきます。後悔しなさんな わかっているけどする、それが人間かな。

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北京 故宮 時計博物館

NYC


ハイテクエンジニアとNYC? NYCと言うとWall Streetに代表される金融のメッカ、ブロードウェイに代表される娯楽(演劇)の地であり色々な人種、国民が集まった混沌としたところでシリコンバレーとは様相がずいぶん異なる街(地域)で接点はあるのかな?となりますね。 

ボストンに居住していたころ車で3時間ほどもすればNYCに着くので度々とは言えませんが何度か足を運んだ町でした。遊びで行っていたのでもっぱらブロードウェイ界隈の安宿(でも安全な)ところに泊してウロウロしていましたね。30代の前半でしたからお金はないが若かったころですよ。中華街で食べた朝のお粥(2ドル前後だったと思います)はとても美味しかった。目当てとしていたチケットが取れず聞いたこともないショーのチケットを買ってみたらコメディーショウ。ジョークのほとんどがわからず(ニューヨーカーでもないと全くわかりません)、数々の移民、そうギリシャ系移民だとかアイルランド系移民だとかを茶化すようなジョークに周りは大爆笑していましたが全然面白くなかったのもよく覚えています。それでも夕方売れ残りのチケットを捜し歩いたものです。いや、インターネットはまだなかったですからね、自分の足で探すのですが今考えてみるとそれも実は面白く今は便利ですが面白みはなくなりましたかね、たぶん。

そんな時代を経てもう20年以上ぶりで最近NYCに行く機会がありました。今度は仕事で、です。 NYCとシリコン、ソフトウエアに接点はあるのかと思われるでしょうね? 金融の町ですからね。それが、私や私の周りではあるのですよ。 理由はというと証券取引いや株の売買のためです。 HFT、 High Frequency Tradingという言葉聞いたことがあるでしょうか? いまではその取引の99%はコンピュータによるる自動売買だと聞いたことがあるのではないですか? これにはアルゴリズムが重要になるのですが同時に処理時間もとても重要な要素になるのです、実際処理時間が一番重要かもしれない。 処理時間というのはどれだけ速くオーダー(売り買い)が取引所のコンピュータシステムに到達して処理されるか、という生々しいことなのです。単位としてPS (ピコセカンド)を使って話をします。取引所のコンピュータがどこに設置されているかは知られている(秘密もあるようですが)らしく実際そのコンピュータが設置されている建物のすぐそばに彼らたちのサーバーを設置するというのはもうざらです(そうすることで少しでも早く到達できる)。こういったことを書いたとても面白い本があります。光ファイバーを自分たちで設置したりどこをどうやってか取引所のサーバーが設置されているアドレス(建物)の情報を手に入れたりと人間お金がかかわるとどこまででも行くんだなあとあきれるというかかんしんすると言うか。。。

でそのFHTですが自分たちでアルゴリズムを開発しますが(ソフト)それをできるだけに高速に(速く)処理するハードウエアも必要になるのですね。自前でパーソナルコンピュータサーバーを作るのは当たり前でそのサーバーのCPUをできるだけ速いクロックで稼働させるべく液体窒素の容器にCPUボードを入れて冷やしているとかいないとか色々と聞いたことがあります。でもそんな彼らが一番力をいれているのが処理を高速で実行できるハード(FPGAなど)を設計することなのです。実際FPGAエンジニアは需要があります。 お金に上限なしでハードを作るのです。それに対するリターンが大きいからです。 そんな彼ら(ハードウエアとソフトウエアエンジニア)の一日ですが、いったんオフィスに入ると夜までまさしく一歩もオフィスをでません。朝、昼、夜の食事は会社持ち(ケータリング)で屋上などにテラスがありましたがそこでも働いておりました。 シリコンバレーと変わらないやん?と思いましたが一つ違ったことがありました。 トレーダー(といっても結局コンピュータが実施するのですが)が画面とにらめっこしているわけですが負け始める(つまりそのトレードオーダーが受付らなかった)が何度か続くと”怒りの電話”がやってくるのだそうです。負けた、イコール損失ですからね、お金が仕事に直接にしかも頻繁にかかわってくるエンジニアの仕事はこのHFTを除いてないでしょうね。

結局ビジネスには結び付きませんでしたがエンジニアとして働かないか?という誘いは受けました。リモートで働くのは不可能でNYCにリロケーションするのが条件。NYCはエキサイティングな街で単身でも行きたいような街ですが諸般考えるとやはり歳をとったのでしょうね、誘いには乗りませんでした。詳しくは教えてくれなかったですが私が当時もらっていた年収の3~5倍のオファー(ボーナス含む)は出せるとか言ってましたね。当時の私の年収は日本だと大会社の部長級以上だと聞いたことがありますから大体その3~5倍がどれほどなのか想像できるのではないでしょうか? でもね、リスクも大きいですよ。負け続けるようなシステムを作っていたらすぐ解雇されそうだしね。トレーダーはどこの国でもそうだと聞きましたが無慈悲だそうです。

そんなこんなですがNYCは東京やロンドン同等に人を引き付ける魅力はいつまでもあるのではないでしょうか? 日本からかなり遠いですが一度行ってみるだけの価値はあると思います。

NYCの観光とかについては沢山ブログや書物もでていますし出張だけで行ってる私の経験は極々少量ですがHFTの現場に行ったという人は少ないのではないでしょうか?

写真にはそのオフィスの屋上からの景色も載せておきます。Wall Streetにまで続くBroadwayの一角にあるビルにそのオフィスはありました。 トレーダーは其のビルには在籍していませんでした。 会ってみたかったですがね。これまで実際に会った経験が全くないので今でも会ってはみたいですよ。オフィスは一部を除きすべてエンジニアでジーンズとTシャツ、ラフな洋装でWall Streetにいるとは感じなかったです。

HFTトレーディングに関する面白い本はこれです。人間お金がかかわるとここまでやるんだとあきれるばかりです。日本語訳がでていました。

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HFTの会社ビルの屋上からの眺望
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グラウンドゼロ

Food


柔らかなタイトルです。

ブログをアップし始めてまだ一週間程度なのですがネタ切れというわけではないです。これまで堅物な話しか書いていませんが、もう堅物な話は終わりか?というとまだまだ。昭和生まれは明治(私の祖母)には負けますがまだまだ堅物が多いですしね。私は別けてもその”くそ頑固爺”というのがピタッと当てはまるし(と言われる)。

で、その頑固爺さん、アドバイスは?と聞かれたら私はこれまでのブログでもわかるとおもうのですが  飛び出せ(まあ、海外の見聞とでも言いますかね、別に海外に住みなさいと言ってるわけじゃないです。昨今若い人が出たがらないと聞いたので。。。)、語学をたしなみなさい(勉強しなさい)、本を読みなさい、とこんなことを言うんだろうなあと思います? そうそう資産づくりを勉強してその実行もぜひ、とくにこれは複利の法則があるので早ければ早いほど良いです。

そんなことろか? つまらんおやじですね。ありきたりじゃないかと思うでしょう、私もそう思う。だからこそ、私はこれに”料理”をぜひとも加えたい!! 食べる側と作る側のどちらもです。

食べる側で言うなら東京(日本)の美味しい料理、別けても日本料理のお店を沢山知っていると良いなあ。私ごとになりますが小さな村のようなところで育ったので(でもね、京都市内まで電車で15分、自転車でも50分’程度、大阪梅田にも電車で45分で辺境の地じゃないんですがね)外食できたのはうどん屋が一軒あるだけで外食は大学に行くまで子供時分母が京都にあった”丸物”という百貨店(古いね、もうありませんし今はデパートっているよね)食べたお子様ランチくらいしか知らなかったのですよ。大学に行って初めて(だったと思う)寿司を食べましたね。 ですが貧乏学生だったのでほとんど大学構内の食堂で食べていましたよ。 就職して初めて東京に出ましたがいかんせん美味しい料理もお店も全く知りませんでしたからバブル景気で溢れかえっていた東京で、そうだな端直に言ってデートはできたか、一回きりが良いところでしたね。美味しいところ知っているよ、はデート誘うのに強かった(今もかな?)美味しいものは重要です。 東京生活は4年半だけでそれから長く、実に10年近く東京とは縁がなくなってしまいましたが(実家にだけ戻った)出張で東京に行くようになり出張には同僚も一緒だったのですが何しろ美味しいお店を知らなかった。 慌てて色々と勉強しましたよ。美味しい料理(高い料理じゃないですよ)のお店を知っていると良いです。この経験からでも。今はというと出張でどこの地に出かけてもホテルなどでレストランを聞いては”経験”していました。現地に同僚がいる場合、”なんでもするけど、その代わり 美味しいものを食べよう”というのが私がするリクエストでした。こと中国では厳しい日程でも全部終わったらそれはいつも美味しいところに連れて行ってもらいました。自慢するわけじゃないですが中国ビジネスのほとんどを成功させましたから。これが食べる側。

作る側はより大事で、是非料理はしてください。ボストンに行くまで全く料理はできないに等しかったのですが、ボストンの会社に赴任して間もなくのころ、同僚の中にマレーシアから移住してきた女性エンジニアがおり彼女たち夫婦(二人とも同僚、夫は生粋のアメリカ人)がたまたま同じアパートに住んでいたのです。そんな関係でよく夕食にも招待してくれましたが(というかほどんど毎日)ある時日本の家庭料理はどんなものだ?という話になりました。まだインターネットのない時代ですよ。話の経緯上私が作ることになった。。。 何を?と思うでしょう?姉に電話すると”おでんのキットが売ってない?”と言うんですね。ボストンには数は少ないですが日本人がいました。というわけだかどうか忘れましたがYOSHINOYAという日本の雑貨を置くお店がCambridge (ボストンの隣町でHarvardとMITのキャンパスがある)があったのですがそこに出かけてみると”おでんキット”ありました。確か大根もあったかな?2本ほど買ったと薄ら薄ら記憶しています。 さておでんキットって、料理じゃないですよね。 大根きって、ゆで卵作ってあとはそのだしの素を水で薄めて火にかければ出来上がり! なるほど簡単! それがうけに受けた。 寒い地域だし。。。 大量に買いましたが彼女ら夫婦にその友達と私の7~8人で食べたと思うのですが全部食べ終わったところで ”前菜は美味しかったな、ところでメインはどこにあるんだ?”と ??メイン?  肉がなかったわけですよ! 肉が! たまたま彼女たちの冷蔵庫に大量の鶏肉があったのでそれを刻んでおでんの鍋に。。。 おでんのだしと鶏肉はとても合いますよ~ 美味しいの連続で、日本人はこんな夕食をよく食べるのか? と質問しりき ”またおでん食べよう”、作り方を教えてくれ、レシピをくれ”。。。

そこで分かったのが料理は人を引き付ける。 以来すこしずつ料理をするようになりました。この10年ほどは諸般の事情もあり遥かに料理をします。色々な料理の本を買って読みますしあまりYTUBEとか見ませんが料理だけは見ては色々と試しています。

私の以前の上司がまた料理好きで家に本格的なグリル、燻製をするための道具など色々そろえておりました。アメリカの会社は1-1と言って上司と部下が一対一で30から60分話す時間を毎週持つような会社が多いです。私と彼の1-1はほとんど料理と出張(といっても出張先でのレストランの話)がほとんどでしたね。

とこんな経験から言うのじゃないですが料理、食べる側、作る側経験を積んでおくと、きっと役に立ちます。 食べることは人をひきつけます。料理は話題にできるし作ることを覚えると実はかなり楽しい。私も今はほぼ趣味に近いですが意外な人が料理好きだったりして驚いたりもします。料理から近づきになる出会いもきっと多いと思いますよ。

ちなみに世界で一番美味しい料理は日本食です、と断言したい。これは私の周りではだれもかれもが言います。フランス料理、イタリア料理、中華どれも美味しいですよ。でもね、日本食が一番だそうです。どうりで昨今そこら中に日本料理のお店があるわけです。チェコのBrnoにも2軒ありましたよ、残念ながら経営はベトナム系チェコ人でしたが(チェコの人口におけるベトナム系の割合は驚くほど高くベトナム料理の店を見つけるのは簡単です)。

自慢の料理を2,3持っておくときっと人生で役立つと思います。男女とはず! 特に男性に勧めたい。 コンビニで何か総菜を買うお金で材料は全部買えますよ。キッチンは不要。ポータブルコンロとお鍋かフライパンがあれば作れるものは沢山ありますからね。

招待する側では、レストランでも手作りでも、インターナショナルな面から、そうですね、以前コーシャについて書きましたらその国、民族、地域、宗教などからくる食に関する習慣、しきたりなどを知っておくのも役立つと思います。若い世代はしきたりから外れてきているとは言え(例えばインド人は基本的に牛肉を食しませんがアメリカ生活が長いインド人の若いエンジニアの中には牛肉を食する人もいます)習慣や好みを知っておくと役立つ(例えば基本的にチェコ人はスパイシーな食べ物をあまり食べません)。本、インターネットでも情報は手に入りますが実際に色々と経験するのとは大きな違いがあるので色々と試してみてはどうですか? 

表題は東京で食べたランチ。日本は格安でとても美味しいランチを食べることができますね。このランチはひとつの思い出に残るランチです。料理は思い出を作ってくれますね。

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北京 時間があればこんな昼食も食べた
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テルアビブのアジア系レストランで
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上海での昼食
チェコ料理です。 生のひき肉。トーストに生にニンニクを塗ってそのうえにこのひき肉を載せて食べます。オリーブオイルがついていたかな。 チェコのビール(ピルスナー)とは絶妙に合いました。