モントレー カーメル

シリコンバレーから一番近い週末を過ごす海辺の町はというとサンタクルーズになります。ここはビーチ沿いに遊園地もあり夏はとてもにぎわいます。ホテル(モーテル)は繁忙期値段になりしがないモーテルが一泊300から400ドルもして、これだったら東京で良いホテルに宿泊するほうが安い。。。と思ったりします。それでも中々週末は部屋を確保できません。

ここは海側なので山を越える必要があり(日本だったらすでにトンネルを作っているのでしょうけれどUSAはあまりトンネルを作らないです)はるか以前、25年も前ですが、いわゆる通勤圏ではなかったのですが今は通勤圏。それまで不動産は手ごろ感もあったのですが今はもう手が出せないくらいになっています。

そんな手ごろ感の時、いやあ、金銭的に成功したエンジニアを含めシリコンバレーの裕福層はサンタクルーズに別荘を持っている人も多いのです。私の友人にも別荘を持っているのがたくさんいます。週末出かけるためですが今は夏は特に、使わない週は貸し出しています。元上司もいくつか物件を持っていますが彼は週末、私たちに使わせてくれたこともあります(無料)。

表題はカーメルとモントレー。どちらもシリコンバレー近郊でこちらも週末を過ごすのに良い海岸沿いの町ですが通勤圏とは言い難い。

カーメルは大人の町。あまり小さい子供連れに親切だとは言えない。小さい子供不可としたホテルもあります。一方犬にはとても寛容でペットが泊まれるホテルはとても多い。犬を連れたカップルでちょっと裕福というのを基本としているようです。ここは芸術家の町としても知られていた(過去形になるかな?)。今もアートギャラリーは多いです。私たちもそんなギャラリーで絵をいくつか買っていますが鑑定書のついた一品(コピーではない)気に入った画家もいます(画家には購入金額のせいぜい50%程度しか行かないそうです)。クリントイーストウッドさんがはるか以前市長をされていたことでも知られていて彼にちなんだレストランもあります。ここには全米でも知られたRolexの正規店があるのです。新品のみならずビンテージ品も揃っていますが日本の銀座、新宿とは品数では比較することもできませんがオーナーがよく知られた人らしくいつ行っても商談に忙しそうです。

とそんな町ですが家族向けはないので、私は週末出かけるならその隣町ともいえるモントレーに宿をとります。モントレー、サリナスというとアメリカが誇る作家、スタインベックの町なのです。私も若いころに著書は何冊も読んでいますが怒りの葡萄など文学史に残る作品が多いですね。そんなモントレー、水族館もあり家族連れで週末、夏場は大賑わいです。湾ではラッコやアザラシをすぐそばで見ることもできますし、運が良ければイルカや時としてサメもいたりする。中でもアザラシは多く、ビーチで子育てをするのでその一帯は人は入ることができないようになっています。

隣町のパシフィックグローブは蝶で有名です。メキシコ(だったかな?)とここを行き来する(わたり蝶)がいるのです。ある時期になると沢山の蝶がやってきます。パシフィックグローブにもビーチは広がっています。

そんな週末を過ごすところと仕事に接点はあるのか? ですが、 出張で出かけることはありません。

でも、会社のオフサイトミーティングと言われる社外で行うトレーニング、ミーティング、時として泊まり込みにもなる、で出かけるところでもあるのです。

なぜか? 実はゴルフ場も多いのです。 世界的にも著名なゴルフ場が多くあるのです。なかでもAT&T プロアマの会場として知られるペブルビーチはゴルファーなら一度はプレイしたいゴルフ場だそうです。別にメンバーである必要はないそうで、ひところこの地に出張でやってきた日本人ビジネスマン、ゴルフクラブを出張時に持ってきてプレイをしていた時期があります。今はそんな日本人は激減していますがね。

ペブルビーチは17マイル呼ばれる景色のきれいなプライベートなエリアにあります(住人でなければ入るのに費用がいる)。ホテルもいくつかありそんなホテルで社外ミーティングをするのです。

ドットコムブーム(2000年初頭)にはこんなホテルを借り切っての従業員イベントなどもあったそうです。

こういったことを企画する上でこのモントレー、カーメル地域とカリフォルニアワインで知られるナパ地域はよく使われるのです。

私はどちらの地域にも社外トレーニングで何度か行きましたが残念ながらゴルフしない、片頭痛があるからアルコール、特にワインは飲めない、ので以前にも書きましたが友人曰く人生の楽しみの半分がない、ような、ホテルで借りた自転車で廻りをぶらぶらするだけであまり楽しい企画というわけではなかった。 ゴルフはいつかしよう、いつかしようと思いつつもう還暦だ。

 

写真はカーメルのダウタウン。おしゃれなレストランが多いのです。この町は裕福でとてもしゃれた個人の邸宅がずっと並んでいます。カーメルはカーメルバイザシー、カメルハイツ、カーメルハイランドなどに分かれていますが週末一番にぎわうのはビーチのあるバイザシー。 

モントレーでカヌーを借りで湾に出てみました。モントレーからはホエールウォッチングの船も出ています。一度乗りましたがとにかく寒かった。カヌーに乗ると野生のラッコやアザラシがすぐそばで見れます。

アリゾナ

アリゾナと聞いて何を想像するでしょうか? サボテンの州? 暑い?。。。

2020年の大統領選挙では大きな影響を与えた州でもあるのです。元来が共和党の州ですが、故マケイン上院議員(ベトナム戦争の英雄で長く上院議員を務めた)をひどく扱った前大統領をきらった娘さんが活発に選挙運動され、2020年の選挙では民主党が票と議席をとりました。 もっともアリゾナ州、ハイテク企業がどんどん進出しており優秀な大学も多く、こうした高学歴、高収入の層が増えている州はどんどん青色(民主党の色)化していきているのです。コロラド州、ノースカロライナ州、ジョージア州など。テキサス州も以前取り上げたオースチンを筆頭にリベラル化が進んでいます。その対極にラストベルト(錆びた地帯)がありそちらは元来の共和党を離れた極右化が進行し、それに乗る形で前の大統領が権力を握った。

さてそんなアリゾナ、サボテンの州なのですが、ハイテクの地でもあるのです。その中心はチャンドラー。インテルをはじめ沢山の会社があります。私はUSAにきて一番最初にした転職活動はインテルなのです。1991年のことです。もともとオレゴン勤務ということで面接を受けたらオファーは何とチャンドラーになっていました。というわけでチャンドラーにも行ったのです。 ”いやだ”と言ったらぜひ見に来てくれと。。。それでも結局行かず、その当時働いていた会社がカリフォルニア勤務をオファーしてくれたのでカリフォルニアにやってきました。アリゾナもカリフォルニアも東海岸と比較すると真っ青な空でまずそれに驚きましたがカリフォルニアはより住みやすそうだった。。。物価など考えると住みにくいのですがね。今カリフォルニアを出ていく人が増えているのです。下院の議員数は人口比例です。先ごろセンサス(国民統計)がありましたがカリフォルニアは結果として議員数を一つ減らした。増えているのは? テキサスやフロリダです。

その後マーケティング部門で働くようになり出張人生を始めましたがその国内出張で行った最初の地がチャンドラー。アメリカではごく普通ですが大きな会社があるとそこを辞めてベンチャー企業を興す人がたくさん出てきます。チャンドラーにもそんな会社は多いのです。私自身ベンチャー企業で働いていましたがベンチャーは現金がとても大事。というわけではないですがあの当時すでに大きな会社が市場の90%は握っていましたが私の働いていた会社など、ベンチャー企業にはビジネスチャンスがあったのです。最初のころの顧客はというとほとんどがそんなベンチャー企業でした(例外は日本で、まだ2000年当初のころの日本は勢いを残していたのとベンチャー企業への投資もしていた)。成功するベンチャー企業を見つけお客にすることがあの当時の使命。一緒に働いたセールスは見る目があり彼から色々と学びました。これは以前にも書きました。

チャンドラーはアリゾナ州の州都Phoenixから近いです。フェニックスについてまず思ったのが暖かい。。。 いやあ、熱い。こうした暑い土地、特に夏は夜になってからが戸外での活動時間になります。 外には日が暮れるまでほとんど誰もいないのですが日が傾いた時間になると小さい子供を連れた家族が公園で遊び始める。ベースボール、テニス、フットボールなども基本夕暮れ以降です。昼間は暑すぎるのですね。夕食を先に食べてそれから活動するか、軽くスナックを食べてそれから活動して夕食。 いずれにしてもよる10時を過ぎても家族連れがたくさんレストランに居ました。昼間はというとショッピングモールです。空調がしっかりした巨大なモールがいくつもあります。平日、休日問わずモール内は沢山人がいるんですね。行くところがない? 暑い、熱い。もちろんモール以外にもGYMやその他ありますが基本的に屋内ですね。

アリゾナ、サボテンの州ですが銃でサボテンを撃つことは今は犯罪になるそうです。アリゾナに居ると一緒に撃ちに行こうという誘いを受けるかもしれませんがサボテンの種類によっては罰金では済まず、刑期を終えることにもなると聞きました。とくにこんなサボテンはいけないようですよ。

ポートランド オレゴン州

ポートランド。 USAに両岸(西海岸と東海岸)、どちらにもある都市です。 東海岸が先。メイン州にあります。もちろんBostonに住んでいましたからメイン州のポートランドは行ったことがあります。

オレゴン州のポートランドは、東海岸の開拓者が西海岸にたどり着いたときに東海岸にある町の地名を付けた町を設立した際に付けた名前だそうです、確か。Bostonという案もあったそうですよ。

USAの都市には他国、特にUK(英国)の都市名の都市が多くあります。例えば

Reading, Brisbane, Moscow, 調べるとBostonだってUKに町名ありますよ。

さてオレゴン州のPortland. 出張で2度ほど出かけたことがあります。Columbia River が流れる、そう私の好きな河のある町なのです。州境で河を超えればワシントン州です。対岸の町はVancouverなのですね。Canadaにある都市名と同じです。混乱することが有るのでVancouber BC (BCはブリティッシュ コロンビアの略)がカナダの、 WAとあるとワシントン州のVancouver。広く知られているのはもちろんBC。

USAは連邦税(いわゆる国税。それにソーシャルセキュリティー、いわゆる国民年金、老後の医療をカバーする保険税など)と州ごとの税があります。連邦税に日本でいうところの消費税相当はなくSales Taxと呼ばれる税は州、カウンティー、町毎の税金です。ですから住む地域で税金が異なります。カリフォルニアは収税もセールスタックスもありますがテキサスは州の所得税はありません。セールスタックスはあります。さてオレゴン州、セールスタックスはゼロ、つまり消費税は無いのです、が収税に相当する所得税はあります。かたやワシントン州、こちらはセールスタックスはあるのですが収税としての所得税はないのです。 ということはVancouver WAに住んで、Portland ORで買い物をすればどちらのタックスも避けることができる!ことになりますね。カリフォルニアとオレゴンが州を接しています。ということはオレゴン州で高い買い物(例えば自動車)を買ってカリフォルニアに持ってくればセールスタックスはゼロにできるか? 結論、できません。カリフォルニアの住人は自動車をカリフォルニアで登録するのですがその際、オレゴン州で購入した自動車である場合 Use Taxという別項目の税金を州に納めることになります。結構レートは高く今現在9%程度だったはず。まあ、バッグや時計など登録のいらない物品ならオレゴンまで行って購入すればタックス分だけ安くはなります。

ワシントン州などのように州の税金が無いところの税収の源泉は固定資産税と企業からの税金、それとセールスタックスです。個人の場合大きな割合は固定資産税。家などを持つと掛かる税金ですね。カリフォルニアは州、カウンティー、町の固定資産税を全部合わせて固定資産評価額の大体1.1%程度。結構するのです。シリコンバレー一帯の現在の家は購入すると1ミリオンではもう買えませんから1ミリオンでも年11000㌦になります。もっとも評価額ですが最初に購入した金額をベースにして年率X%で上がっていくようなシステムなので仮に1980年代に30万ドル(今買ったら1ミリオンでも)だったとるるなら今頃の評価額はおそらく高々35万ドルくらいでしょうからタックスもずいぶん異なります。 さてワシントン州のような州では2%以上にもなるようです。ですから結局のところ税金から逃れるのは中々難しい。

それだけにその税金がどう使われているのかについてはしっかりとモニターする必要があるのです。

と、かなり脱線しましたがPortlandも雨が良く降る。カリフォルニアはここ数年温暖化の影響で雨不足。かたやオレゴン州から北は雨が多い。いずれカリフォルニアはオレゴン州から水を購入する時代がくるかもしれません。パイプラインを建設して。オレゴン州にすると自然がくれる金脈になりますね。もっともイスラエルで行われているように海水を真水に変える方向なのかもしれませんが。太陽の光はあるので電力は問題無しかな?

Portlandは街の中を路面電車が走っています。US,地下鉄を持つ都市はとてもすくないのですが路面電車は今でも建設中なところも多いです。私の住むエリアもありますしテキサスのオースチンも拡充しているようです。Portlandの路面電車は古くからあるようですよ、USAに来た当初みていたドラマの舞台がPortlandでしたが良く電車のシーンが有ったのを覚えています。

コロンビア河、大きな川で川には船も沢山出ています。出張で橋を渡るときによく見るのですが中にはレストランもあるような船も出ています。

相変わらず、出張だけで行った町でしかも十分日帰りできる距離なのでホテルに泊まったことすらないので実はあまり良くわかっていないし写真もありません。

こんなところに出張することがあるのか?と疑問に思われるかもしれませんが近郊にはIntel社の大きなキャンパスがあるのです。実はもう28年も前になりますがそのIntel で働く寸前まで進んだことがあります。Bostonにいた当時なのですがPortland勤務というポジションで面接をしたのですがもらったオファーはアリゾナ州のオフィスに代わっていたのです。マネージャがアリゾナ州にリロケーションになったことが理由でした。これ以前も書きましたがそのままPortlandならIntelに入っていたはずでその後の人生は今とは全く違ったことになっていたはずです

日本には確かDeltaが便を持っていたはずです。一度機会がありPortland経由でBostonに戻ったことがあります。はるか以前の話ですがその時Bostonに帰ってその当時時々会っていたBostonに来ていた日本人女性のグループと食事をしたとき彼女らはPortland経由は避けていると言っていました。今はどうだか知りませんがUSAは最初に降りたところで入国を済ませるのですがPortlandの係官は日本人女性を厳しくチェックするとかで場合によっては入国できないこともあるとか。。。そのころFacebookなどないですからそういった情報をどうやって共有していたのか今もって不思議なのですが係官にも甘い、厳しいがあるようでそういった情報を知っていたのですね。シアトル経由が確かその次に悪くてデンバーが良いとか、そんな内容だったかな。国際空港を持つのですがあまり便はなくDeltaを除くと貧弱で海外にでるにはシアトル、サンフランシスコ(西に向かうとき)もしくはデンバーやシカゴ経由であまり便利だとは言えないのが玉に瑕だとその地に住む友人(私のBLOGに度々登場するセールスのVPです)が言っています。彼はどんなAirline Groupに乗っても既にライフタイムXXXというStatusを持つので一緒に行動すると優先が良かったりと優遇されました。

写真は借り物。 きれいな町なのです。

もっとも昨年は大統領選挙に絡み荒れました。 私はあのように人々を分断させる指導者がトップにいることが信じられないのですがそれだけUSAが弱くなったことの現れだと思っています。

もっともそんな彼を日本人が’好いていることがもっと気がかりではあります。

表題は滝。 とても有名でいつかは行ってみたい。

シアトル

西海岸の州は北からワシントン、オレゴン、そしてカリフォルニア。USAは両海岸がどちらかというとリベラル(と言っても大西洋側はニュージャージ州までですが)、そしてその他は保守的というかいわゆるアメリカ。アメリカって日本で思われているほど自由で開かれた国ではないのです。宗教や政治を取り上げてもヨーロッパの方がよほど開かれた国だと言えます。西海岸とNYを除けば交わることがほとんどなく単一国民。

西海岸はそんなUSAから見ると別物に見えたりします。実際別な国なのかもしれない。

そんな別な国の一つ、ワシントン州にあるのがシアトル。シアトルはマリナーズ、いやイチロー選手で日本に良く知られるようになりましたね。

シアトルとその周辺には良く知られた会社が本社機構もしくは大きなオフィスを持っています。日本でも知られたところではAmazon、 Microsoft, Boeing, Starbucks, Costcoがあります。 古くからあるのはBoeingです。今は確か本社機構をChicagoに移転したと思いますが飛行機の組み立て工場などは今もワシントン州に多くあります。以前も触れましたがカリフォルニアにはロッキードがあり西海岸実は航空機、軍事関連の産業もとても強いのです。でも、今の会社となるとやはりAmazon, Microsoft, そしてStarbucksになるのでしょうね。

私が’そんなシアトルに最初にいったのは1992年、もうほとんど30年近く前です。そのころ働いていたBoston近郊にある会社がそのころはまだ小さかったMicrosoftと一緒に仕事をしていたのです。その関係であまり私には関係なかったのですが出張団の一員に加えてもらいシアトルに行きました。Microsoftはシアトル郊外にあるRedmondという町に有るのですがそのころは今のような立派なキャンパスをいくつも擁する大企業ではなかったのです。私が在籍した会社は敷地内にゴルフ場でもあるのではないかと思えるほどに広大なキャンパスを持っていたのでマイクロソフトが小さく見えたのを覚えています。後年マイクロソフトが私の顧客になり年2度Redmondを訪問するようになりましたがそのキャンパスが広大で大学のように広々と作ってあるのを見てはるか以前に働いていたBostonの会社を思い出したことがあります。私はMicrosoftという会社とても好きなのです。良い会社ですよ。皆長く働いているようで私が直接接したエンジニアたちは少なくとも10年は働いているという人が多かった。良いエンジニアがいるとそこの会社がオフィスを開設するのがUSAの常なのですが今RedmondにはFacebookをはじめとして沢山のハイテク企業が大きなオフィスを持っています。同じことがテキサスのAustinでもノースカロライナでも進んでいます。シリコンバレーの進出。またMicrosoftもAmazonもこちらシリコンバレーに巨大なキャンパスを築いています。Microsoftは以前のキャンパスが手狭になり今大きなキャンパスを建設中です。

エンジニアある所にオフィスができる。移民を抑制する様になれば海外での展開もますます多くなると思います。テレワーク、在宅勤務というのがありますがイノベーションは交わることで始まる。2020年の私自身の経験でも在宅勤務ではイノベーションの速度が遅くなったかなという印象があります。人材あるところにオフィスを進出させるのは今後も続くと思います。もっともシリコンバレーGoogle、 Apple, Facebook, NVIDIAを始め今もオフィスは増築中ですよ。

シアトル自然が豊富でとても良い町なのですがEverGreen Stateともいわれるように緑が豊富。でもその代償に曇り、雨の日がとても多いのです。たしか年250日は青空をみないとか・・・ カリフォルニアは年300日程度は青空ですから全く反対ですね。コーヒーのチェーン店、Starbucksに代表されますが、できたのはシアトルにいる知人によるとコーヒーでものまないとやってられないからだとか。実際出張で良く行きましたがあまり青空にはであっておらず雨のなかよくわからないモーテルを探してウロウロしたこともあります。GPSではもう着いたというのですがどうしても見つからない。木がうっそうと生い茂る土地なのでワイパー越しでは見落としていたのです。Microsoftキャンパスに近いところにとても美味しいドーナツ店がありそこで朝コーヒーとドーナツを食べるというのを習慣としていました。Starbucksでも良いのですがこうしたお店を見つけると嬉しかった。

シアトルからカナダ国境までは遠くありません。はるか以前シアトルでレンタカーを借りてバンクーバーまで出かけたことがあります。カナダとUSAの国境は確か世界でも1,2の長い国境ですが世界一平和な国境と言われていたこともあります。あの当時、車で国境を超えるのはとても簡単でした。私は出張の途中だったこともありパスポートを持参していなかったのですが永住権(Green Card)で通してくれました(行も帰りも)。いまでは考えられないような話なのですがこの30年で世界いやUSAの情勢がここまで変わるとは思いもよりませんでした(30年前USAは今より自信があり寛容だった)。いまは国境を車で超えるには2時間程度はかかるそうです。NEXUSカードを持てばそれでも簡単になるのですが国境沿いに住まない限りあまり使えないカードなので持っていません。空港などでもNEXUSカードを持つとあっという間に出入国できるので便利だなとは思います。

いつものように出張の旅で休暇でシアトルに行ったことはなく空いた時間を使っての探索になるのですがシアトルというとSpace Needleが良く知られた建物になります。Seafoodも豊富で特に牡蛎は全米でもよく知られています。新鮮な生カキを食すことができます。日本ではラッコやオルカ(シャチ)でも知られているようですね。実際オルカは多く生息しているそうですが私はまだであったことはありません。ラッコはカリフォルニアにも生息するのですがシアトル近郊の海はその餌となる貝などが豊富だとか。

富士山のように美しい山もあります。何時か登ろうと思いつつずっと果たせていないのですが確か富士山より高い山だと記憶しています。湖も多いです。Redmondで仕事を終えてまだ時間があればBellevueちという湖畔の町に行きましたがここは水上飛行機も発着するきれいな町なのです。湖畔沿いにお店もありそこで早めの夕食をとってから空港に向かうこともありました。Bellevueは高級住宅地で戸建てはとても高いのですがMicrosoftなどで資産をつくったエンジニアたちが多く住んでいると聞いたことがありシリコンバレーと同じようだなと思いました。KirklandにはMother Costcoと呼ばれるCostco発祥の店(第一号店)が今もあるとかないとか聞いたことがあります。CostcoのストアブランドはKirklandと言いますがこれ発祥の町の名を取ったのでしょうね。

空港までの高速道路はいつも混んでいます。モノレールがあるようで確かシアトルダウンタウンにまでつながっていたと思いますがシアトルではなくRedmondに行っていた私は一度も乗ったことがありません。一人で出張するとCar Poolレーン(二人以上の乗車で使える優先レーン)が使えず時間が迫ってくるとイライラとしたものです。公共交通機関はとても非弱なのはほとんどどこに行っても感じることです。車は便利ですが増えすぎた車の問題と環境問題にこれからどう対処していくのか? EV (Tesla)などは環境にたいする一つの提案なのかもしれませんが渋滞問題を解決するわけではない。 UBERが発展していますがある人曰くUBERが広まって交通渋滞がひどくなったとか。これはそれまで家にいた専業主婦や引退した人が小遣い稼ぎなどにUBERのドライバーを始めた結果町により沢山の車が出るようになったからだそうです。本当かどうか確かめてはいないのですが確かに車の数が少し増えたようにも思います。

 

写真は古いです。1992年頃かな?のシアトル。 今は変わっているはずですよ。もう30年近く前。シアトルに出張した時ですが私は必要外要員だったので1時間ほどで仕事は終わりぶらぶらさせてもらいました。

今の私の上司はシアトルに住んでいます。Redmondにあるオフィスにいるんですよ。何時かあちらのオフィスにも行くことがあると思いますが今は彼が時折やってきます。

 

ボストン

以前書きましたがBOSTONは私が一番最初に住んだ地域です。1989年のことですからもう30年以上も前。日本からは果てしなく遠く直行便も出ていないころ、松坂投手や野茂さんなど有名な選手もおらず、日本では外国史の授業でアメリカ独立戦争が勃発したところ、くらいにしか認識のないころです。それでもMITは知られており日本の大企業、日立などが従業員を留学させておりそんな企業留学生が現地在住日本人のほとんどを占めていました。日本領事館も無くNYCにある領事館の出先がBostonに有った程度。

そんなBostonですが私は今でもとても好きなのです。仮に引退後もUSAに住むとしたら、そして家族の制限がないとしたら私が住みたいのはホノルル、ボストン、NYC。シリコンバレーではないのです。ここは働くところですが生活をするにはつまらないところです。引退後は東京に住みたいですよ、東京は生活するのに一番楽しい都市です。東京に次いでLONDON。これは以前にも書いたかな?

BostonはMIT, ハーバードを筆頭に大学がとても多い。それもありテクノロジー関連の会社も多くあります。ニューインブランドは兵器産業も大きいのです。一度機会がありUnited Technologyと言う会社、兵器も作ってますがエレベータも作っています、に働ける機会を得ました。オファーを取りませんでしたがアパッチなどでしられた軍事ヘリコプターなどを造っています。Patiot ミサイルで知られた会社もニューイングランドを拠点としています。

そんな軍事以外にもコンピュータ、半導体、ソフトウエアの会社も多くRoute128沿いに沢山テクノロジー関連の会社が集まっています。私が勤めていた大きな会社が縮小しつつ買収される形で会社としては無くなった(倒産というより切り売りされていった)のですがその折同僚の多くがベンチャーを始めた。すでにカリフォルニアに来ていましたが当時まだ日本が重要な顧客であった時代、ボストンに戻って一緒に仕事をしようと何度か誘われたこともあります。ちょうど家族をもったころで自分の一存では決めることが出来なかったのですが独身でいたら戻っていたかもしれません。

チャイナタウンはありますがアジア人の数は多くありません。カリフォルニアは10人に一人はアジア系、ことシリコンバレー界隈ではその比率はもっと大きくなります。私が最初に住んだ町(片田舎)でアジア人を見たことがなくおそらく99.9%いわゆる白人だったと思います。そんなこともありアジア人には多少住みにくいかもしれませんが1992年頃だったとおもいますが小さな日本語の書店ができたりと

Bostonは楽しいところです。アメリカで歴史というとニューイングランドを外すことができません。赴任した当時Boston近郊のアメリカ史(ヨーロッパ人から見たアメリカ史ですが)の史跡を丹念に見て回りかなり勉強もしました。最初に戦闘があったというConcordにあるNorth Bridgeなども行きましたし、ポールリビアが馬で駆け抜けたというレキシントン界隈の道も見て回りました。レキシントンは小さな町ですがあの当時ダウンタウンに小さな中華レストランがあり良く食べに行きました。Bostonには小さいですが中華街があります(あの当時夜遅くアジア系の人が出歩くのは危険とされていた。理由は中華街のすぐ横にベトナム系のレストランが進出しておりいさかいが絶えなかったのです)。今でもBoston市内など大抵どこでも行くことができます(簡単な観光案内ができる)。Boston市内にはFreedom Trailという歩いてみて回るルートがあります。ガイドブックを片手に歩いてみると独立戦争時代の歴史を垣間見ることができます。もちろん足を延ばしてレキシントン界隈まででるともっと良いですが。歴史だけでなく以前にも触れましたがボストンシンフォニー、大学町、自然(ニューイングランドは紅葉がきれいで毎年カレンダーになります)、スキー場も近い。ボストンレッドソックスを始めプロスポーツもあり上司が大抵年間チケットを持っていたのでいくつかのゲームのチケットを分けてもらったり。ボストンセルティクス(バスケットボール)の試合では年間チケットを持った上司の席がゲームが良く見える席(普通では買えない)でそろそろ全盛期を終えたラリーバードの活躍を観戦することもできたのです。以降バスケットは好きなスポーツ(観戦する)になっています。

独立に多いにかかわった地ですから独立記念の催しはこちらシリコンバレーが花火程度なのと比較することもできないくらいに盛大です。ボストンを流れるチャールズリバー沿いでの催し、チャイコフスキーの1812を決まって演奏していましたが大砲には実際の大砲(空砲)を軍が放っておりました。

クリスマスと新年の時はBoston沢山教会がありますが日頃開いていない教会も内装を見ることができるようになっていました。雪が降りとても寒いのですが友人と出かけたものです。

ファインアート(美術館)には日本刀の展示があるのですが超一級のコレクションです。

宣伝するつもりはないですが遠い地ですがUSAに来る機会があればぜひ観光なりのコースに入れると良いのでは?と思います。

写真が沢山あるのですがあの当時まだデジカメが無い時代でフィルムに収めた写真しかないのです。何とか3枚スキャンしたのをタイトルに使いました。ニューイングランド風の家、いつかはこんな家を買うんだとあの時は思いました。写真、WEBサイトに沢山あります。ここに掲載したのは皆借り物です。

Freedom Trail Map
Boston Commons 。NYC同様、町の中心に大きな緑地があります。Boston Commonsに併設してPublic Gardenがあります。この界隈にはおしゃれなショッピングストリートもあり良く自転車ででかけていました。
ハーバード大学。ゲートを抜けると構内です。寄宿舎も構内にあります。ゲートは普通開いていて中に入れますが建物は学生証がないと入れないことが多い。サマースクールの学生証を持てばほとんどの施設に入れたと思います。夜間(Extension)スクールは制限があったはずです。シリコンバレーのStanford Universityはキャンパスの規模としては圧倒的に大きいと思いますが私はこの古いキャンパスが好きでした。後年UKのケンブリッジ大学に行く機会がありそのキャンパスの歴史に驚きましたがそれまではこのHarvardが私の知る一番古い大学です。
独立記念日はやはりここBOSTONがとても似合います。
川(チャールズリバー)が流れとてもきれいな街。でもこの川、冬は凍り付くのです。とても寒くなります。温暖化で少しは変わったかな?私は1989年から1994年まで住んでいました。

表題に使った写真は独立戦争の銃撃戦が始まったコンコードにあるノースブリッジ。この小さな橋の両端でミニットマンと大英帝国の部隊が最初に衝突した。

コロラド

以前書きましたがBostonにある会社に勤めていたころよくコロラド州にいっておりました。会社の事業部本部がコロラド州、コロラドスプリングスに有ったからです。

この会社、その事業部を売却しましたがそれがためでしょうか?コロラド州にはその関連の企業が多く遥か後、今度は顧客訪問の形でコロラド州に行く機会も多々ありました。Longmontという町がその主なところになります。このころには新しいデンバーの国際空港を使いましたが以前の空港を知っていますからその規模に驚きました。

さてそんなコロラド、コロラドスプリングスに出張で行った時滞在は長くなり2週間から1か月程度にもなりました。このころホテルに泊まったことはありません。同僚夫婦(二人とも同じ会社)が部屋を貸してくれました。根っからのコロラド人。式―が大好きで二人ともアメリカのナショナルチームの一員だった時期があるほどのスキーヤーです。初めて一緒にスキーに行ったときにはかなり手荒な歓迎を受けました。コロラドはパウダースノーなのです。リフトでどんどん上(最長上)までいき、ゲレンデではない側(パウダースノー)の側を滑り降りる。あまり経験はないしすったもんだでずいぶん遅れましたが無事ロッジのある所までたどりつたら”You Made It”と暖かいコーヒーをくれました。それからはスキーに行くごとに一緒に連れて行ってくれました。コロラドはスキーリゾートとしてAspen,Vailなど有名ですが私たちが行ったのはもっぱら地元の人が良くLaveland,など近場でしたがそれでも大きなゲレンデでした。

春先にはそこでBeach Partyがあります。海のないコロラド、スキーのゲレンデをBeachに見立てるのです。皆でビーチパラソル、ビーチチェア、BBQの用意などをして出かけるのです。4月ごろBostonで仕事をしていたらBeach Party をするからスキーウエアと水着をもってコロラドに来いと連絡がありました。怪訝に思いましたがBeach Partyそれは楽しい思い出です。 水着姿で一度は滑らなくてはならないと例によって頂上まで連れて行かれました。4月とは言えまだとても寒いのです。滑り降りながら凍え死ぬんではないかと思いました。ロッジ辺りに戻ったら一緒に来ていたそれも水着姿の女性が抱きしめてくれたのは中でもよーく覚えています。まだまだ若い(30代前半)でしたからね。体はもうどうにもならないくらい冷たくなってました。

夜遅くまで騒げるんですね。BBQをたらふく食べて帰りましたが帰りの車の中からみた夜空、星の数がとても多く、子供のころ以来の夜空にも感動しました。真っ暗で標高3000メートルにはなりますからね。デンバーはMile Highとして知られ都市部でも既に1600メートルの標高です。

デンバーにも良く出かけました。車で一時間程度のところにあります。

デンバーを車で移動していたら日本の仏教寺院と思える建物がありそこに駐車して散策してみました。その周辺に桜スクエアというのがあります。名前の通り日系のスクエアです。日本食の雑貨屋とかレストランがあり、まず 驚きました。90年代始めのころです。確か大正大学(仏教関連の大学)のちょっとした施設があったようで学生らしき世代の若者もいましたよ。

その桜スクエアにはコロラドの元知事に関するプレートがありました。

第2次大戦中、USAは日系人をキャンプに収容していました。カリフォルニアなど。コロラド州はそれをしなかったのですね。その時の知事が彼らはアメリカ人である、として収容施設を造らない(つまり自由)だったようです。この知事、再選されることは無かったですが、コロラドに移ってきた日系アメリカ人も居たように確かかいてありました。その知事に対する感謝を述べたプレートでした。

丁度時を同じくしてワシントンDCのスミソニアンではその当時の日系アメリカ人収容に対する展示をしており時の大統領がその政策に対する謝罪をした展示もみられました。DCの展示も見ていたのでそのプレートを見た時、その知事の英断には感心するのみでした。

さてそんなコロラド、

ーロッキー山脈の州。国立公園も多いのです。行きそびれたところがとても多いんですがどんな公園に行ってもとてもきれいです。

ーボールダーという町ご存じですか? 大学町です。カリフォルニアのバークレーと並び称させれるほどなリベラルでボールダー共和国などともいわれます。とてもきれいな街ですがこの数年家の値段が高騰したようです。

ーUSAの空軍士官養成学校があります。正しくコロラドスプリングスにあり見学もできます。私は一度行ってきました。大きな敷地で、候補生が案内をしてくれます。現大統領があおった(指導者にはまったく向いていない)ソーシャルDisorderに対していかに軍が対応しているかも以前のBLOGで少し紹介しましたがその場がここのアカデミーです。

ーパイクスピークって聞いたことがあるでしょうか? ここで開催される自動車レースも良く知られます。そのスケジュールに合わせてコロラドに行ったこともあります。 ホテルなど満室になるようですが私はいつも友人宅だったので問題なしでした。

後年出張で出かけるようになってからは空港、ホテル、顧客の3か所だけを回るようになり”つまらないな~”とあの当時をいつも懐かしく思い出していました。

コロラドは政治的にも変化が見られつつあります。中西部の州なので原則共和党が強いのですが、テクノロジー関連の企業がより進出するようになりリベラル化が進んでいます。

元々共和党は今のような政党では無かったですから今の共和党には同意できないできない層もいるようです。

 

残念ながら表題の2枚以外すべて借り物の写真です(コロラドの写真は沢山ありますが全部フィルム)。2枚の写真はスキャンしました。飛行機の写真はエアフォースアカデミーで撮ったものです。 借り物の写真3枚。パイクスピーク。私が行った当時は舗装道路だけではなかったと記憶します。 Beach Party。皆水着ですね。滑ると冷たい風でとっても寒いんです。

元知事。桜スクエアにあります。

私はコロラドはとても好きな州です。

フロリダ

フロリダと聞いて何を思い浮かべますか?

―ディズニーワールド、ブッシュガーデンなどアトラクションのあるリゾート(バケーションの地)

ーキーウエストあり、ヘミングウェイの地

ーハリケーン

でしょうか? USに住んでいたら

ー引退後に住むところ(暖かいですから)、

―大統領選挙で重要な州

もありますね。カリフォルニア、テキサスなどは大事ですが態勢は選挙前からわかるのでフロリダなど選挙ごとに熱戦になるしかも大きな州が大事なのです。今年はペンシルバニアがインパクトありましたがフロリダはいつも取り上げられる重要な州なのです。選挙方針が変わったらずいぶん様変わりするはずですがなにしろ憲法事項なので変わることはないでしょう。

とこんなところがフロリダに抱くことでしょうか?

そんなフロリダ、3度ほど行きました。すべて仕事で!

最初は面接で。1993年のことですからもうずいぶん前です。ボストン近郊に住んでいましたが92年ごろから仕事を探し始めていたのです(会社がドンドン傾き始めた)。IBMとIntelがそのころ共同でPowerPCの設計をするという今考えると嘘のような話がありその設計拠点としてフロリダ州にあるボカラトンという町が選ばれたのです。この町、行って分かったのですが裕福なひとの町でお金持ちしか住んでいない。。。住人の平均年齢は45歳だったかな?で若い人はあまりいない。大きなお屋敷街のような通りは出入り口のところに必ずと言ってよい程にセキュリティが居た。道はどうやら私道扱いで通るのにパスを持っているかライセンス番号を記録するかが必要でした。そんなところに会社があり、まずそれでびっくり。。。インタビューに来たと言ったら怪訝な顔をされましたよ。”働くところ”なんかあるのか?ですね。

フロリダは初めてだと言ってあったので面接をはさんで3泊もさせてくれました。残念ながらハリケーン通過直後でマイアミなどでは数々のところが閉鎖していたのですが宿泊はマイアミにしてくれたので夜も出歩いたのですがそんな話を面接でしたら”XXXXには行ってないだろうな?”とずいぶん聞かれました。マイアミというとドラッグのメッカだったんですね、知らなかった。。。です。

面接後次の日の過ごし方として受けたadviceはフォートローダレールに行って海岸沿いをぶらぶらすること。 行ってきました。真っ白なビーチが延々と続く。。。 いや、だから行けと言われたのではなく、とにかくビキニ姿の女性で溢れかえっていたからなのです。ニューイングランドからやってきた30代前半の私にはそれはもう驚きでした。ボカが年配の人の町とすると差し詰めこちらは若者の街。延々と続く真っ白な砂浜に若いビキニ姿の女性がそれこそ溢れかえっていてフロリダの不思議を見た。。。

ここにリンクがあります。

 

日本庭園があり、日本食の雑貨店がいくつもありました。これにも驚きました。Boston近郊でも吉野家(ケンブリッジ)があるだけでしたからね。調べたら江戸がおわり開国後、日本人労働者がこんなフロリダまで農園で働くために来ていたのですね。パイナップル農園だったと思います。そんなことがあり一定数の日系人(と言っても今では純粋にアメリア人です)がいるようで日本庭園や雑貨店もあったわけです。日本庭園などBoston近郊にはまだ無かったころです。確か本願寺関係の寺院もあったはずです。開国後まもなくこんな最果てまで農園で働くためにやってきた人たちがいた。勇気あったのですね。

この会社、OfferをもらいそれをAcceptしたのですが上司にそのことを話そうと思った日の朝電話があり”取り消したい”と言ってきました。”へ?” なんでもIBMとIntelの共同事業を解散するとかでIBMのNYでなら働けるがそれでどうだ?というのです。もしくは確か5000㌦だったかな?有給をとって面接に行ったのでその有給分をカバーする。どちら? NYオフィス、どうも会ったことも無い人が上司になるらしくさすがに危険と思い5000㌦もらっておしまい。 危なかった。。。

遥かに時間がたって25年もたって?今度はマーケティングの技術担当としてフロリダに行くようになりました。フロリダもテクノロジーの会社はあります。

Magic Leapという会社を聞いたことがあるでしょうか?数年前華々しくデビューし巨額の資金を調達したベンチャー企業でAR/VR関連のヘッドセットを開発しています。AR/VRというとGoogleも出しましたが時期が早すぎて上手くいきませんでした。マイクロソフトがホロレンズを出しましたがこのチーム私の上得意な顧客で開発に十分貢献したつもりです。そんな関係でMagic Leapも私が担当する顧客でした。イスラエル(テルアビブ)にも大きな開発チームがいます。もちろんシリコンバレーにも。考えてみるとこういった顧客を持ったことが今につながっているのかもしれません。私はいまFacebookでAR・VR関連の開発のある部分の開発責任エンジニアをしていますから。

さてそのMagic Leap。私が中国に出張している間に不都合を発見したとかで急遽Meetingがしたいと言ってきたことがあります。 中国にいるから電話かビデオでと言ったらFace2FaceのMeetingが必要だと絶対にひかないのです。躊躇っていたら会社の担当するセールスが会社上層部に苦情を上げた結果(アカウントが大きすぎた。。。)、なんと中国出張を途中切り上げして上海からフロリダ直行でMeetingに出ることになってしまいました。今度は中国側が怒る。以前も書きましたが基本コミッションで働くセールスは社員とは言え個人業。自分のアカウント第一なのです。そこをマーケティングなどがうまく差配するのですが大きなアカウントを持ったセールスの場合頭を飛び越して上層部に上げることが多々あるのですがそうなると軋轢だらけになります。

結論を書くと、上海からLA経由でフロリダに行ってフロリダからSFに戻り自宅で一泊して次の日上海に戻りました。一週間の出張が一泊自宅に戻ったとは言え2週間に。55歳ごろ、まだ体力があったのですね。マーケティングとセールスは体力も大事。

さてその会社、なんとフォートローダレールにあります。LA経由で時差があっても3時ごろ着。時差はもう通り越してましたが宿泊したホテルはあの白い砂浜のすぐ間際。しかも時期はいわゆる大学生のSpring Break。この時期大学生が大挙してこの地を訪れるのです。歳は取りましたがまああれだけの数の若い水着姿の世代と遭遇したのは最近ではないくらいで時代は変わってもここは全然かわってないな~と思いました。ただ、とにかくうるさくで、30代の頃はそんなこと思わなかったのですが、歳を取ったかなとあの時思いました。

 

 

借り物ですがフォートローダレールのビーチと大学生のSpring Break。 そこら中にパラソルとビーチバレーのこーとなどがあります。とにかく大学生だらけ。 

砂浜はとても白いです。とってもきれいな海を見ることができます。

これも借り物ですがマイアミの日本庭園。ここに行ったのかどうか覚えていませんが25年以上も前にマイアミに行ったとき行きました。確かどこか日本食の雑貨店にも行きましたがボストンの吉野家よりずっと充実していた。日系人アメリカ人がいるのを知って本当驚きました(その歴史を知って)。

サンフランシスコ

シリコンバレーに住んでいてサンフランシスコに出張?と思うかもしれないですね。この辺り全体をシリコンバレーと言いますがサンフランシスコをCity(Cityというとサンフランシスコを暗にさします)と分けることもあるし

ーペニンシュラ:大体FacebookのあるMenlo Parkより北でサンフランシスコ直前くらいまで、

ーシリコンバレー:Menlo Park、Palo AltoからSan Jose辺り

とより細かく分けたりもします。ちなみにカリフォルニアでBay Areaと言うと暗にサンフランシスコ近辺を指すことも多くLA辺りでも”どこから来た?”と聞かれたらBay Areaと言えば通じることもあります。

Cityは特別に扱うこともあるようにCityに出張することもあります。

ー顧客訪問

ーセミナー、コンファレンス。

コンファレンスが多数を占めます。半導体関連のエンジニアに知られたISSCCという学会は例年サンフランシスコで開催されます。Appleのイベントもよくサンフランシスコで開催されます。

シリコンバレーからサンフランシスコは朝夕を除けば1時間もかかりません。電車もありますが不便。電車でISSCCに出たことがありますが乗り換えと便数が少ないので不便。UBERもありますが結構高い。近くで乗る分には良いんですが遠出をするとあっという間に100㌦以上になり割高。というわけでやはり車での移動になります。

観光地で私が移ってきた90年代前半頃はとてもきれいな街でしたがこの10年で町がなんとなく変わってしまったように思います。

それでも主にソフトウエア関連の企業(SalesForceまど)やUBERがオフィスを持ち若い人口も多いです。シリコンバレーは圧倒的に男性密度が高いですが大都市は男女比が逆転するので華やかです。NYCは男女比が女性6割と言います。SFはどれくらいなのかわかりませんがシリコンバレーからCityダウンタウンに行くと人が違うと今でも思います。そんなこともあり私の若い同僚たちは多く住んでいます。家賃がほぼ暴騰したので結果として沢山のホームレスを生んでしまいましたがサンフランシスコも大都市の問題を抱えるようになりました。サンフランシスコ人口的には日本の中規模程度な都市なのですがサンフランシスコ国際空港はサンフランシスコの所有になりやはり北カリフォルニアを代表する”City”なのですね。

住んでいると観光になりませんが一番近い休暇を過ごすところにもなりよくホテル滞在もします。若いころは映画のシーンで使われた街角を丹念に見て回ったこともありますが古い映画のシーンだと今はずいぶんかわっています。若い人は観たことが無いと思いますがスティーブ マックイーンのブリット、車の追跡シーンがあるのですがそのロケとなった坂道を実際自分で運転すると”よくこんな坂道をあんなスピードで走ったな。。。”と感心します。 ハンフリー ボガードの名作、マルタの鷹の舞台にも使われたサンフランシスコの丘の上にあるフェアモントホテル(今はインターコンチネンタルホテルの所有)に宿泊したこともあります。

ソフトウエア会社が多くサンフランシスコにオフィスを構えるようになり良く出かけるようになりました。

ハードをやってきたエンジニア(マーケティング)がソフトウエアの会社に出張?

Steve Jobsだったかな、出なければ誰か彼にとても近かったAppleのエンジニアだと思いますが、

いずれソフトウエアエンジニアが自分たちの欲しい(理想)のハードを設計するようになる  と。

今、正にそれが現実になっておりMicrosoft, Google, Facebook, Amazon, (Apple), を始めとするソフトウエアの会社が自分たちでハードをシリコンのレベルから開発をしています。これらの会社にとどまらずUBERなども自前でハードを設計中です。私のようなハードウエアをずっとやってきたエンジニアの多くは今これらを含むソフトウエアの会社で仕事に就いているのです。

写真はSFのスナップショット。遠くに見えるタワーはコイトタワー。登ったことがありますが湾を含めSFダウンタウン全貌が見渡せます。

ゴールデンゲートブリッジを渡り対岸にあるサウサリートの町からサンフランシスコを臨みます。町は急斜面な丘になっているのが見て取れます。

サンフランシスコは寒暖の差がとても少なく夏でも軽い長そでがちょうど良い。冬は厚手のジャケットを着るまでもない程度なのです。景色はとても良いまちで且つLAと比較すると小さな町。ケーブルカーと電車でほとんど移動できるのも良いところです。

トロント、オタワ

カナダは良く出かける隣国。カナダ人とアメリカ人が全く別物と言ってよいくらい違う。私にはカナダ人のほうがずっと合っていますがカナダはハイテクの仕事が少なかったこともありUSAで働いているカナダ人も多いです。そんな彼らも友人、元同僚として沢山います。またカナダは移民、しかもどちらかと言うとUSAから見て敵国になるイランなどからの移民も多く私が知るイラン系のエンジニア(友人など)は皆カナダ市民です。元上司など最初はモントリオールでタクシーの運転手をしながら大学に通ったとか。イラン革命のころ出国した友人で話を聞くと彼の友達があるとき何人か居なくなった。。。(連れて行かれたわけですね)、危険を感じてほとんど亡命に近い形でカナダに来た。なんか生々しい話ですが20年以上付き合いがあるベトナム人の元部下はベトナム戦争時捕虜になり脱獄して命がけでUSAに一人で逃げてきたとかで指にそのあとをみることもあり生々しい経験ある同世代が沢山います。わたしなど彼らと比べると生ぬるいですな。

そんなカナダですがこの10年ほどハイテクも急激に伸びています。20年ほど前ラスベガスでカナダ政府がBoothを出して盛んにエンジニアをスカウトしていました。経験ありUSAの永住権があるなら即カナダの永住権を出すとか言っておりました。が、この4年はUSAの大統領があまりにひどいので若者がカナダに逃げる(USAに幻滅)傾向もあり今はこんなことはないはずです。もっとも2020年の選挙結果で変わるでしょうか?

ハイテクを引っ張っているのはバンクーバートロントです。私のカナダ出張はバンクーバー、トロント、オタワ(オタワは頻度少ないですが)の3都市が主。わずかに一度だけモントリオールにも行きましたが明らかにハイテクをリードしているのはトロントとバンクーバーです。

カナダで知られている(いた)有名な会社を上げるとRIM(BlackBerryってご存じですか?)、そしてATI(AMDに買収された)。RIMのBlackberryはIPHONEが出るまで市場を席捲した携帯電話です。映画にもたびたび登場しました。RIMのR&Dは大学町でしられたWaterlooにありますがトロント近郊です。

ATIはゲーマーなら知っていると思いますがnVidiaと争ったグラフィックス関連のチップを製造していました。今も例えばSONYのPS4などでその技術は使われています。ATIもトロント郊外にR&Dがあります。

昨今AIがとくにCNN(Convolutional Neural Network)がハイテク世界を席巻していますがトロントはAIの世界でも世界をリードしています。

実際私が訪れた顧客はAI関連のベンチャー企業ばかりで皆トロントとオタワにR&Dを構えていました。

オタワは首都ですね。BOSTONにいたころオタワ郊外にCANATAという町があるのですがそこに製造工場があった関係で何度か出かけていきました。国会議事堂があり見学をしましたが英語を話す人には英語で、フランス語を話す人にはフランス語で、しかもどちらの言葉で挨拶するか100%確実に区分けしていた案内の女性に驚きました。彼女曰く口元を見ると分かるんだそうです。フランス語を日常話す人と英語を日常話す人の口元が微妙に異なるんだとか。

オタワには運河(人工)がありますが真冬は凍り付きます。凍った運河はアイススケートできるので住人がスケートしている姿も見かけました。冬が長く冬は雪、雪、雪で出張で出かける私にはあまり嬉しくなかったです。

トロントは以前のBLOGでも写真を使いましたが五大湖に面した都市で対岸がUSA。五大湖はUSAがまだ奴隷制度をもった州があった時代逃走した奴隷たちがカナダに逃れるのにもつかわれました。イギリスはずっと以前に奴隷制度を辞めていたのでカナダも既に奴隷制度はなかったのですね。この辺りの事情、日本語訳で’アンクルトムの小屋”として出ているストウ夫人の著を読むと生々しく出てきます。実はとても分量のある著で日本語訳が全部カバーしているか存じませんが読むと当時のことが少しわかります。マサチューセッツ州などに多くいたクエーカーの人たちが命がけで逃亡を手助けしたことも良く描写されています。

そんなトロントですが五大湖の対岸はデトロイトなど自動車産業の地ですからトロント近郊にも大きな自動車産業もあります。またカナダでは製薬業も盛ん。同じ薬がカナダだとずっと安く買えるといいうことで時折問題にもなります(USAの医療が高すぎるだけです)。

カナダの英語はというと発音などはUSAの英語と私の耳には同じに聞こえます。UK、オーストラリアなどは聞けばどの”お国”かわかりますがカナダは私には無理。

ですが表現、単語はUK,USAがミックスしているでしょうか? 例えば

ー Exit: Way Out

ー Elevator:  Lift

ー Bathroom: Washroom

エレベータの階ですがややこしいですね。色んなパターンがありますが

ーGから始まり、G, 2.と続くか、G, 1となるか。

因みにイスラエルに行くと

0が地上階で1が2階。

中国ではー1なんていうのも見かけました。地下一階ですがでは地上一階はというと1だった。つまり0を飛ばしていた。

分かりにくいのでうっかりすると間違えます。イスラエルで慌てていて間違えたボタンをおして(1を押した)出たら2階で慌てて戻ったことも何度かあります。

写真はトロントCIタワーから見下ろしたトロント。巨大な大都会です。

ここはMLB トロントBlue Jaysの本拠地。CIタワーのところに球場があります。大きな駅もありアクセスは便利が良いのです。

サンタ バーバラ

サンタ バーバラ。LAから100マイルほど北側にある海沿いの町です。UCB(University Of California Santa Barbara)のキャンパスがある風光明媚な小さな(?)町でとても落ち着いています。日本からわざわざ出かけるような町ではないと思いますが大学に留学でやってくる人がいるかもしれないですね。

こんな町ですが、一度だけ出張でも出かけています。休暇では何度も出かけているので良く知った町なのですが私の住む地域からのアクセスが良いというわけでもないので出張で行ったときは苦労しました。ローカルの空港もあるのですがもっとLAに近く便が沢山でている空港を使いましたが、何しろいつでも交通渋滞のひどい南カリフォルニア。レンタカーを借りて一人で運転するとなるとCar Poolレーンも使えず、勝手分からずで実に2時間近くも約束の時間に遅れてしまった、、、それでも会ってくれたのはご愛敬からか?

Santa Barbara、裕福層の沢山住む町でTechnology関連とはあまり縁が無いように思われがちですがソフトウエア関連の企業がいくつもあるのです。コンパイラで知られた会社などがあります。私はそんな会社に出向いて行きました。こちらが客側だったので2時間遅れでも会ってくれたのですね。20年も前の話でいわゆる携帯電話もまだ初期のころで私はまだ持っていませんでした。そうそうナビも無いような時代で紙の地図を頼りに場所を探すような時代です。どうしても場所がわからず公衆電話を探して(今もあるのでしょうかね?公衆電話)最後の1マイルを教えてもらって。。。 いまじゃああまり考えられないような話ですね。

さてはるか以前こちらの美味しい寿司やで食べた時、世界で一番美味しいウニはサンタバーバラ産のウニだと教えてもらったことがあります。日本人の寿司職人が’絶対美味しいから”と太鼓判を押しておりました。食べたことがありますか?LAダウンタウンにあるインターコンチネンタルのレストラン(確かSora)でオーダーできます。もちろん他のレストランでもオーダーできると思いますが、”時価”とだけ書いてあります。いつもあるわけじゃあ無いそうです。たまたまそこで食事をされるならぜひ味わってください。 Santa Barbaraの寿司やにもあるのかな?とこれまで何度か行きましたがいつもありません。あまり取れない? 海岸までドライブすると取れたての海の幸を売っているところでウニも買えますよ。そこでも食べましたが寿司やでたべたウニの方が格段に質は上でした。そこで食べたのも十分美味しかったですが。

Xmas Eve 夜のState Street。 Santa Barbara一のダウンタウン。
もっと沢山写真があるはずなのですが出てこない。ここはダウンタウンの一角。こじんまりとしているがとてもおしゃれな街並みです。大学町とも言えますが”大人の町”なのです。いや、大人の女性の町? 男性は休暇であまりこないのかな?