アリゾナ

アリゾナと聞いて何を想像するでしょうか? サボテンの州? 暑い?。。。

2020年の大統領選挙では大きな影響を与えた州でもあるのです。元来が共和党の州ですが、故マケイン上院議員(ベトナム戦争の英雄で長く上院議員を務めた)をひどく扱った前大統領をきらった娘さんが活発に選挙運動され、2020年の選挙では民主党が票と議席をとりました。 もっともアリゾナ州、ハイテク企業がどんどん進出しており優秀な大学も多く、こうした高学歴、高収入の層が増えている州はどんどん青色(民主党の色)化していきているのです。コロラド州、ノースカロライナ州、ジョージア州など。テキサス州も以前取り上げたオースチンを筆頭にリベラル化が進んでいます。その対極にラストベルト(錆びた地帯)がありそちらは元来の共和党を離れた極右化が進行し、それに乗る形で前の大統領が権力を握った。

さてそんなアリゾナ、サボテンの州なのですが、ハイテクの地でもあるのです。その中心はチャンドラー。インテルをはじめ沢山の会社があります。私はUSAにきて一番最初にした転職活動はインテルなのです。1991年のことです。もともとオレゴン勤務ということで面接を受けたらオファーは何とチャンドラーになっていました。というわけでチャンドラーにも行ったのです。 ”いやだ”と言ったらぜひ見に来てくれと。。。それでも結局行かず、その当時働いていた会社がカリフォルニア勤務をオファーしてくれたのでカリフォルニアにやってきました。アリゾナもカリフォルニアも東海岸と比較すると真っ青な空でまずそれに驚きましたがカリフォルニアはより住みやすそうだった。。。物価など考えると住みにくいのですがね。今カリフォルニアを出ていく人が増えているのです。下院の議員数は人口比例です。先ごろセンサス(国民統計)がありましたがカリフォルニアは結果として議員数を一つ減らした。増えているのは? テキサスやフロリダです。

その後マーケティング部門で働くようになり出張人生を始めましたがその国内出張で行った最初の地がチャンドラー。アメリカではごく普通ですが大きな会社があるとそこを辞めてベンチャー企業を興す人がたくさん出てきます。チャンドラーにもそんな会社は多いのです。私自身ベンチャー企業で働いていましたがベンチャーは現金がとても大事。というわけではないですがあの当時すでに大きな会社が市場の90%は握っていましたが私の働いていた会社など、ベンチャー企業にはビジネスチャンスがあったのです。最初のころの顧客はというとほとんどがそんなベンチャー企業でした(例外は日本で、まだ2000年当初のころの日本は勢いを残していたのとベンチャー企業への投資もしていた)。成功するベンチャー企業を見つけお客にすることがあの当時の使命。一緒に働いたセールスは見る目があり彼から色々と学びました。これは以前にも書きました。

チャンドラーはアリゾナ州の州都Phoenixから近いです。フェニックスについてまず思ったのが暖かい。。。 いやあ、熱い。こうした暑い土地、特に夏は夜になってからが戸外での活動時間になります。 外には日が暮れるまでほとんど誰もいないのですが日が傾いた時間になると小さい子供を連れた家族が公園で遊び始める。ベースボール、テニス、フットボールなども基本夕暮れ以降です。昼間は暑すぎるのですね。夕食を先に食べてそれから活動するか、軽くスナックを食べてそれから活動して夕食。 いずれにしてもよる10時を過ぎても家族連れがたくさんレストランに居ました。昼間はというとショッピングモールです。空調がしっかりした巨大なモールがいくつもあります。平日、休日問わずモール内は沢山人がいるんですね。行くところがない? 暑い、熱い。もちろんモール以外にもGYMやその他ありますが基本的に屋内ですね。

アリゾナ、サボテンの州ですが銃でサボテンを撃つことは今は犯罪になるそうです。アリゾナに居ると一緒に撃ちに行こうという誘いを受けるかもしれませんがサボテンの種類によっては罰金では済まず、刑期を終えることにもなると聞きました。とくにこんなサボテンはいけないようですよ。

北京 追加

北京について過去に何度か書いてきました

今日2021年1月21日は大統領がまともな人物になって2日目。過去4年間、権力を渡してはいけない人物に権力を渡した結果としていかに国が病んでしまい疲弊し、落ちぶれて行ったかを目の当たりに見ていますがこれからの4年でどこまで復活できるでしょうか? どんな帝国もいずれは内部崩壊するのです。帝国は外敵に滅ぼされたということはこれまでありません。すべて内部から崩壊しているのです。それが始まったということなのかもしれない。もう別れたほうが良いという議論もあります。ここまで考え方、経済圏が違ってしまい一つで居る必要があるのか、という議論です。

さて、北京は過去の中国のいくつかの帝国の首都であり今現在の国家の首都でもあります。帝国変われど時として別の都市が首都になりましたが北京が首都であったことが一番多いように思います。こんなに寒い土地になぜ首都が出来たのか、まだ深く調べていませんがもはや首都を移転することは不可能と中国人の友人は言います。さすがの中国をもってしてもここまで発達した官僚機構を移転するのは無理なようです。

東京も同じですね。副首都などが時々話題になりますが実際には無理がありそうですね。

経済圏は移動しやすいのですが官僚機構は硬直な組織なので移動すら大変だということです。経済圏は人、物、金が豊富なところに移動していくのです。どちらが移動するかも重要で、経済圏が移動していくのか、人、物、金が移動していくのかです。このなかで人が一番硬直なのですが都市化が進んでいるように人も移動を続けます。

政策によっても経済圏は移動、新たに開拓することはかのうです。政策には投資(国などが行う投資)と税金があります。台湾はサイエンスパークという実態でどちらも実施することで国を栄えさせた。日本も戦後の20年くらいはそれを実施していましたね。私は今日本に必要なのはこれらの政策だと思うのですが民間にいるから言えることで実施する側(政治家、官僚)の立場に立つと困難があるのかもしれない。

さて北京。 故宮に行ったことがありますか? 皇帝の住まいですが至る所で富を感じさせてくれます。

歴史的には少なくとも産業革命が勃興するまで、世界の富はアジアに大きくあったのです。一時的に中米と南米(インカなど)にあった金がヨーロッパに流れましたが(天然資源)、後年オイル(アラブの産油国)が黒い金(石油)を産出するまで、富はアジアに有ったと言っても過言ではないのです。産業革命が勃興する以前は富を生産するのは人力でアジアが過去、現在、そして未来も人口では世界一ですから。アフリカは人口が増えていますが歴史的には人口はそれほど多くは無かった。。。

その富を求めてヨーロッパから人々がやってきたわけですがある時点から軍事力を増強し略奪、搾取するという手段に出たわけです。シルクロードというのはヨーロッパ(中東も入れておくとして)からアジアへ富を求めた動きで逆ではないんです、基本的には。ここ辺りを書いた書を以前紹介しました。リンクはこちら。最近新しい書を同じ著者が書いています。どちらもまだ日本語訳が出ていませんが読む価値はとてもあると思います。

中国は当時から巨大な人口を誇っていたので富があった。その富をほとんど一人占めできた皇帝には巨大な富が有ったわけですが故宮の時計博物館を訪れるとその富を垣間見ることもできます。あれほどに沢山の黄金で作られたヨーロッパの時計(基本的に置時計)を見たことはありません。贈り物として受け取った時計もあるそうですが購入した時計も多いとか。北京の皇帝はとても重要な顧客だったのですね。腕時計を時々購入しますが今、中国でヨーロッパの高級腕時計がとても売れています。すでに市場規模は日本以上(日本の高級腕時計販売の40%は中国人観光客によるものだそうですからそれを入れると日本は既に三分の一くらいの規模)。

しかしながら富は移動するのです。経済圏が移動する様に。

21世紀はアジアの時代ともいわれます。第2次世界大戦後、新たな産業革命 そして情報革命を経て21世紀に入りました。いずれの革命でも人材、人がやはり大きな要素。産業革命を支えたのは製造機械の進歩。情報革命も機材、ソフトウエアの進歩あってのこと。それら進歩を産み出しているのは人材ですが人材で一歩先を行ったUSAが世界の富を集めましたが、今多くの人材を産み出しているのはアジア圏です。しかも人口が巨大ですから巨大な市場も抱えている。つまり人材と市場を抱えたアジア圏が繁栄するのは理にかなっているのです。しかも一部の国を除くとアジア圏は富を富を増やすことに使っています。兵器は富を増やすことはできないのです。破壊することしかできないですからね。作り出すという富を作り出す根本的な要素に兵器無用なのです。兵器を抱えすぎた国家は歴史的に皆衰退しています。ただ富ができるとその富を狙って過去、現在を問わず略奪行為が始まる。人間の嵯峨を見るようですがそれに備えることも大切にはなります。中国の最後の帝国はその面でとても弱かった。

とこんなことをこの故宮を見て回りながらつくづく思ったものです。

中は観光客でごった返しているようなのですが、とてつも無く広いので、ちょっと足を踏み入れると誰もいないようなところに入り込みました。静寂とまでは行かないにしても静かです。故宮内にいると時間を忘れてしまうようで入り口を入って出口をでたら4時間以上も時間が過ぎていました。

その後、以前のBLOGで写真を載せたように通りを挟んだ向かい側にある公園に行きその中にある丘(小山)に上ると北京を展望することができます。

で、帰りのホテルまで。地下鉄もあるのですが宿泊したホテルは残念ながら地下鉄の駅から少し離れていたのです。故宮まではホテルのバスが送ってくれましたが帰りは自分で。 タクシーを使おうと思いましたが外国人相手にはぼってきます。ホテルで聞いていた金額では全く相手にはされません。2倍でも相手にされない。。。と思っていたらす~と男性が近づいてきた。TAXI? 探しているよと伝えるとXXでどうだと?ホテルで教えてもらった額の2倍程度です。仕方ないと思いOKを出したらついてこいという。角を曲がったところに車が。。。とてもきれい。ほとんど新車。いわゆる白タクですね。

そんな白タクも今はUBERのようになっています。でも白タクをする人も多い。観光客相手に。TAXIよりずっときれいな車ですが、後ほど友人に聞いたら倍も払うなんてどうかしてる!と。それ以降私はもっぱら地下鉄。ホテルは必ず駅のそばになるようにして、それ以降中国語を真剣に勉強し始めた。

 

以前書きましたが歴史を勉強、研究するととても仕事、人生で役立ちます。 私が薦める勉強科目はというと

1. 数学 (程度は自分が目指す職によりますがどのキャリアに進もうとも数学は大事)

2. 歴史。 学校の歴史の授業ではありません。歴史は後から人が書くのです。書く人の立場、見方、考え方などで同じことが全然違って書かれます。いろんな角度から歴史を見ることで物を見る力、考える力が養われます。

3. お金について

4. 語学。 今なら英語と中国語、それと 国語つまり日本語です。どの国の学生も母国語が学校教科では難しい科目なのですよ。

となります。 これは何度も書いてきました。 

台湾 Part 2

以前台湾について書きました。赤い字になっている台湾の部分にカーソルを置くと以前のBLOGのリンクが出ます。

台湾には元同僚である友人が二人います。彼、彼女らとはもう10年以上の付き合いです。以前も書きましたが台湾人の友人はとても親切です。中国語もとてもソフトなのです。これは大陸中国人が皆言いますから真実なのでしょう。私は中国人と台湾人は区別しています。どちらも中国を話しますがアメリカ人とカナダ人が違うように彼らもずいぶん異なります。食べる食事だって、中華なのですが違いますからね。台湾料理と私は言っています。

台湾にはサイエンスパーク、テクノロジーパークといった一角がいくつかあります。その元祖は新竹地区のサイエンスパークです。台湾を代表する世界的企業であるTSMC, MediaTekなどが本社機構を持ちます。サイエンスパークは税金の恩恵を受けるので世界的な会社になったのですがこれらの大会社今でもサイエンスパークにあります。

ここは働く町であまり人が居住していないのです。河がありその河をはさんだ対岸は市街地になり商業と居住の地になります。私はいつも下のマップにあるシェラトンホテルに宿泊していましたが(宿泊費は150㌦程度ですが部屋は広く、朝の朝食付きで実は非常に格安。中国の上海や北京ではもう不可能)、サイエンスパークに行くのは自動車での移動ですが橋が非常に混みます。昼間なら20分程度が最悪90分もかかることもあるのです。バスはあれど電車が無いのです。

大会社も多いですが基本的には小さな会社が軒を並べています。出来立てほやほやの会社に良く出かけていきました。中国と同じく、兄弟で始めたとか、親子で始めたなど家族が中心になって始めた会社もとても多いです。出来立ての会社だと物置程度の広さのオフィスも沢山あります。それが最初のMeetingだとしても才覚と技術を持っていれば2度目のミーティングでは会議室くらいの大きさになって一年もするともう立派な会社になっていたりします。非常にニッチな製品を開発していることが多く、その才覚には驚きます。まずはそんな手ごろな製品を出すんですね。必要な部品なんだけどもう大手がやっていないというような製品も探し出してきますよ。その内資金ができるとそこからは本当の開発、競争になるのですがそこでもやはり狙いはニッチ。聞いてみると色々とニッチな製品があるのですね。

中国も同じですがこういった小さい会社、何も秘密にしないです。早く開発を終えたいからベンダーが助けてくれるならなんでも助けてもらう、が基本。

そんな新竹ですが商業地区に行くと日本のデパート (SOGO)も店舗を構えます。私が宿泊するシェラトンからはかなり遠いのであまりちょくちょくは行きませんでしたがそこにはボーリング場もあり同僚たちとボーリングをしたこともあります。 大きな商業地区なのです。この辺りにはいわゆる在来線の鉄道も通っています。在来線にのって台湾の新幹線(日本の新幹線を輸入したはず)の駅にも行けます。高速鉄道は商業地区から離れたところにあり今開発が進んで高級コンド(日本でいうマンション)がいくつもありますが商業地区の雑踏を味わうことはできません(なんだかさびれている)。

 

台湾は毎年(だったはず)ランターンフェスティバル(提灯祭り)がありこれは毎年違った都市を廻るイベントがあります。ある年丁度新竹が会場だった時に出張することが出来ました。

各地のグループ、学校などが提灯を使ったBoothを出しますが屋台が沢山出ています。早めに仕事を切り上げ同僚二人と夜遅くまで見て回りました。なんでも食べる私は屋台も食べ歩き。気を付けないといけないので基本的に火を通したものだけ食べましたが現金を持っていない私は友人たちにずいぶんと使わせました(後年、USAで一緒に食事に行って埋め合わせをしましたよ)。

私はアジアは仕事、仕事以外で行ったことがある国は

韓国中国、台湾、マレーシア、タイランドそしてシンガポール

があります。 知っている人ならそれにフィリピン、ベトナムそしてインドネシアも入るのでざっとみてアジアをほとんどカバーしていますが、私個人の経験では

台湾の人が一番親切。

いや~ 日本人より親切だとも言えます。

中国人と同じにするな、と以前こちらUSAで言われたことがあります。 中国語を話すから中国人とごっちゃになるんですね。

台湾というとボバのドリンクを始めとしたドリンク類が良く知られています。こちらカリフォルニアにも多く進出していますが私は出張で台湾に行ったら買ってもらっていました。一緒に行動した現地セールス(女性)ドリンクが好きでいつも朝ドリンクをもってホテルまで迎えに来てくれました。

今は85というベーカリーがどんどん進出しています。ここはApple本社のあるCupertinoですがアジア系住人が60%ともいわれます。85の前は韓国系のベーカリーが進出していましたが最近は85の方が勢いあります。

85、私は最初に台湾桃園国際空港で見かけ、そこで売っているパンが美味しかったのでよく覚えていたのですがいつの間にやら当地に何店舗もお店が出来ています。台湾や香港そして韓国のパンは今人気です。アジア圏の国、日本も含め、美味しいパンを販売していますね。フランスは行ったことがありませんが以前写真に載せたサチュラ(日本のケーキ屋さん)のクロワッサン、この辺りで一番美味しく朝いちばんでお店に行かないと売りけれるのです。

85はアンパンが絶品です。ここのアンパンを食べて以来どこのアンパンも美味しく感じなくなりました。

ポートランド オレゴン州

ポートランド。 USAに両岸(西海岸と東海岸)、どちらにもある都市です。 東海岸が先。メイン州にあります。もちろんBostonに住んでいましたからメイン州のポートランドは行ったことがあります。

オレゴン州のポートランドは、東海岸の開拓者が西海岸にたどり着いたときに東海岸にある町の地名を付けた町を設立した際に付けた名前だそうです、確か。Bostonという案もあったそうですよ。

USAの都市には他国、特にUK(英国)の都市名の都市が多くあります。例えば

Reading, Brisbane, Moscow, 調べるとBostonだってUKに町名ありますよ。

さてオレゴン州のPortland. 出張で2度ほど出かけたことがあります。Columbia River が流れる、そう私の好きな河のある町なのです。州境で河を超えればワシントン州です。対岸の町はVancouverなのですね。Canadaにある都市名と同じです。混乱することが有るのでVancouber BC (BCはブリティッシュ コロンビアの略)がカナダの、 WAとあるとワシントン州のVancouver。広く知られているのはもちろんBC。

USAは連邦税(いわゆる国税。それにソーシャルセキュリティー、いわゆる国民年金、老後の医療をカバーする保険税など)と州ごとの税があります。連邦税に日本でいうところの消費税相当はなくSales Taxと呼ばれる税は州、カウンティー、町毎の税金です。ですから住む地域で税金が異なります。カリフォルニアは収税もセールスタックスもありますがテキサスは州の所得税はありません。セールスタックスはあります。さてオレゴン州、セールスタックスはゼロ、つまり消費税は無いのです、が収税に相当する所得税はあります。かたやワシントン州、こちらはセールスタックスはあるのですが収税としての所得税はないのです。 ということはVancouver WAに住んで、Portland ORで買い物をすればどちらのタックスも避けることができる!ことになりますね。カリフォルニアとオレゴンが州を接しています。ということはオレゴン州で高い買い物(例えば自動車)を買ってカリフォルニアに持ってくればセールスタックスはゼロにできるか? 結論、できません。カリフォルニアの住人は自動車をカリフォルニアで登録するのですがその際、オレゴン州で購入した自動車である場合 Use Taxという別項目の税金を州に納めることになります。結構レートは高く今現在9%程度だったはず。まあ、バッグや時計など登録のいらない物品ならオレゴンまで行って購入すればタックス分だけ安くはなります。

ワシントン州などのように州の税金が無いところの税収の源泉は固定資産税と企業からの税金、それとセールスタックスです。個人の場合大きな割合は固定資産税。家などを持つと掛かる税金ですね。カリフォルニアは州、カウンティー、町の固定資産税を全部合わせて固定資産評価額の大体1.1%程度。結構するのです。シリコンバレー一帯の現在の家は購入すると1ミリオンではもう買えませんから1ミリオンでも年11000㌦になります。もっとも評価額ですが最初に購入した金額をベースにして年率X%で上がっていくようなシステムなので仮に1980年代に30万ドル(今買ったら1ミリオンでも)だったとるるなら今頃の評価額はおそらく高々35万ドルくらいでしょうからタックスもずいぶん異なります。 さてワシントン州のような州では2%以上にもなるようです。ですから結局のところ税金から逃れるのは中々難しい。

それだけにその税金がどう使われているのかについてはしっかりとモニターする必要があるのです。

と、かなり脱線しましたがPortlandも雨が良く降る。カリフォルニアはここ数年温暖化の影響で雨不足。かたやオレゴン州から北は雨が多い。いずれカリフォルニアはオレゴン州から水を購入する時代がくるかもしれません。パイプラインを建設して。オレゴン州にすると自然がくれる金脈になりますね。もっともイスラエルで行われているように海水を真水に変える方向なのかもしれませんが。太陽の光はあるので電力は問題無しかな?

Portlandは街の中を路面電車が走っています。US,地下鉄を持つ都市はとてもすくないのですが路面電車は今でも建設中なところも多いです。私の住むエリアもありますしテキサスのオースチンも拡充しているようです。Portlandの路面電車は古くからあるようですよ、USAに来た当初みていたドラマの舞台がPortlandでしたが良く電車のシーンが有ったのを覚えています。

コロンビア河、大きな川で川には船も沢山出ています。出張で橋を渡るときによく見るのですが中にはレストランもあるような船も出ています。

相変わらず、出張だけで行った町でしかも十分日帰りできる距離なのでホテルに泊まったことすらないので実はあまり良くわかっていないし写真もありません。

こんなところに出張することがあるのか?と疑問に思われるかもしれませんが近郊にはIntel社の大きなキャンパスがあるのです。実はもう28年も前になりますがそのIntel で働く寸前まで進んだことがあります。Bostonにいた当時なのですがPortland勤務というポジションで面接をしたのですがもらったオファーはアリゾナ州のオフィスに代わっていたのです。マネージャがアリゾナ州にリロケーションになったことが理由でした。これ以前も書きましたがそのままPortlandならIntelに入っていたはずでその後の人生は今とは全く違ったことになっていたはずです

日本には確かDeltaが便を持っていたはずです。一度機会がありPortland経由でBostonに戻ったことがあります。はるか以前の話ですがその時Bostonに帰ってその当時時々会っていたBostonに来ていた日本人女性のグループと食事をしたとき彼女らはPortland経由は避けていると言っていました。今はどうだか知りませんがUSAは最初に降りたところで入国を済ませるのですがPortlandの係官は日本人女性を厳しくチェックするとかで場合によっては入国できないこともあるとか。。。そのころFacebookなどないですからそういった情報をどうやって共有していたのか今もって不思議なのですが係官にも甘い、厳しいがあるようでそういった情報を知っていたのですね。シアトル経由が確かその次に悪くてデンバーが良いとか、そんな内容だったかな。国際空港を持つのですがあまり便はなくDeltaを除くと貧弱で海外にでるにはシアトル、サンフランシスコ(西に向かうとき)もしくはデンバーやシカゴ経由であまり便利だとは言えないのが玉に瑕だとその地に住む友人(私のBLOGに度々登場するセールスのVPです)が言っています。彼はどんなAirline Groupに乗っても既にライフタイムXXXというStatusを持つので一緒に行動すると優先が良かったりと優遇されました。

写真は借り物。 きれいな町なのです。

もっとも昨年は大統領選挙に絡み荒れました。 私はあのように人々を分断させる指導者がトップにいることが信じられないのですがそれだけUSAが弱くなったことの現れだと思っています。

もっともそんな彼を日本人が’好いていることがもっと気がかりではあります。

表題は滝。 とても有名でいつかは行ってみたい。

シアトル

西海岸の州は北からワシントン、オレゴン、そしてカリフォルニア。USAは両海岸がどちらかというとリベラル(と言っても大西洋側はニュージャージ州までですが)、そしてその他は保守的というかいわゆるアメリカ。アメリカって日本で思われているほど自由で開かれた国ではないのです。宗教や政治を取り上げてもヨーロッパの方がよほど開かれた国だと言えます。西海岸とNYを除けば交わることがほとんどなく単一国民。

西海岸はそんなUSAから見ると別物に見えたりします。実際別な国なのかもしれない。

そんな別な国の一つ、ワシントン州にあるのがシアトル。シアトルはマリナーズ、いやイチロー選手で日本に良く知られるようになりましたね。

シアトルとその周辺には良く知られた会社が本社機構もしくは大きなオフィスを持っています。日本でも知られたところではAmazon、 Microsoft, Boeing, Starbucks, Costcoがあります。 古くからあるのはBoeingです。今は確か本社機構をChicagoに移転したと思いますが飛行機の組み立て工場などは今もワシントン州に多くあります。以前も触れましたがカリフォルニアにはロッキードがあり西海岸実は航空機、軍事関連の産業もとても強いのです。でも、今の会社となるとやはりAmazon, Microsoft, そしてStarbucksになるのでしょうね。

私が’そんなシアトルに最初にいったのは1992年、もうほとんど30年近く前です。そのころ働いていたBoston近郊にある会社がそのころはまだ小さかったMicrosoftと一緒に仕事をしていたのです。その関係であまり私には関係なかったのですが出張団の一員に加えてもらいシアトルに行きました。Microsoftはシアトル郊外にあるRedmondという町に有るのですがそのころは今のような立派なキャンパスをいくつも擁する大企業ではなかったのです。私が在籍した会社は敷地内にゴルフ場でもあるのではないかと思えるほどに広大なキャンパスを持っていたのでマイクロソフトが小さく見えたのを覚えています。後年マイクロソフトが私の顧客になり年2度Redmondを訪問するようになりましたがそのキャンパスが広大で大学のように広々と作ってあるのを見てはるか以前に働いていたBostonの会社を思い出したことがあります。私はMicrosoftという会社とても好きなのです。良い会社ですよ。皆長く働いているようで私が直接接したエンジニアたちは少なくとも10年は働いているという人が多かった。良いエンジニアがいるとそこの会社がオフィスを開設するのがUSAの常なのですが今RedmondにはFacebookをはじめとして沢山のハイテク企業が大きなオフィスを持っています。同じことがテキサスのAustinでもノースカロライナでも進んでいます。シリコンバレーの進出。またMicrosoftもAmazonもこちらシリコンバレーに巨大なキャンパスを築いています。Microsoftは以前のキャンパスが手狭になり今大きなキャンパスを建設中です。

エンジニアある所にオフィスができる。移民を抑制する様になれば海外での展開もますます多くなると思います。テレワーク、在宅勤務というのがありますがイノベーションは交わることで始まる。2020年の私自身の経験でも在宅勤務ではイノベーションの速度が遅くなったかなという印象があります。人材あるところにオフィスを進出させるのは今後も続くと思います。もっともシリコンバレーGoogle、 Apple, Facebook, NVIDIAを始め今もオフィスは増築中ですよ。

シアトル自然が豊富でとても良い町なのですがEverGreen Stateともいわれるように緑が豊富。でもその代償に曇り、雨の日がとても多いのです。たしか年250日は青空をみないとか・・・ カリフォルニアは年300日程度は青空ですから全く反対ですね。コーヒーのチェーン店、Starbucksに代表されますが、できたのはシアトルにいる知人によるとコーヒーでものまないとやってられないからだとか。実際出張で良く行きましたがあまり青空にはであっておらず雨のなかよくわからないモーテルを探してウロウロしたこともあります。GPSではもう着いたというのですがどうしても見つからない。木がうっそうと生い茂る土地なのでワイパー越しでは見落としていたのです。Microsoftキャンパスに近いところにとても美味しいドーナツ店がありそこで朝コーヒーとドーナツを食べるというのを習慣としていました。Starbucksでも良いのですがこうしたお店を見つけると嬉しかった。

シアトルからカナダ国境までは遠くありません。はるか以前シアトルでレンタカーを借りてバンクーバーまで出かけたことがあります。カナダとUSAの国境は確か世界でも1,2の長い国境ですが世界一平和な国境と言われていたこともあります。あの当時、車で国境を超えるのはとても簡単でした。私は出張の途中だったこともありパスポートを持参していなかったのですが永住権(Green Card)で通してくれました(行も帰りも)。いまでは考えられないような話なのですがこの30年で世界いやUSAの情勢がここまで変わるとは思いもよりませんでした(30年前USAは今より自信があり寛容だった)。いまは国境を車で超えるには2時間程度はかかるそうです。NEXUSカードを持てばそれでも簡単になるのですが国境沿いに住まない限りあまり使えないカードなので持っていません。空港などでもNEXUSカードを持つとあっという間に出入国できるので便利だなとは思います。

いつものように出張の旅で休暇でシアトルに行ったことはなく空いた時間を使っての探索になるのですがシアトルというとSpace Needleが良く知られた建物になります。Seafoodも豊富で特に牡蛎は全米でもよく知られています。新鮮な生カキを食すことができます。日本ではラッコやオルカ(シャチ)でも知られているようですね。実際オルカは多く生息しているそうですが私はまだであったことはありません。ラッコはカリフォルニアにも生息するのですがシアトル近郊の海はその餌となる貝などが豊富だとか。

富士山のように美しい山もあります。何時か登ろうと思いつつずっと果たせていないのですが確か富士山より高い山だと記憶しています。湖も多いです。Redmondで仕事を終えてまだ時間があればBellevueちという湖畔の町に行きましたがここは水上飛行機も発着するきれいな町なのです。湖畔沿いにお店もありそこで早めの夕食をとってから空港に向かうこともありました。Bellevueは高級住宅地で戸建てはとても高いのですがMicrosoftなどで資産をつくったエンジニアたちが多く住んでいると聞いたことがありシリコンバレーと同じようだなと思いました。KirklandにはMother Costcoと呼ばれるCostco発祥の店(第一号店)が今もあるとかないとか聞いたことがあります。CostcoのストアブランドはKirklandと言いますがこれ発祥の町の名を取ったのでしょうね。

空港までの高速道路はいつも混んでいます。モノレールがあるようで確かシアトルダウンタウンにまでつながっていたと思いますがシアトルではなくRedmondに行っていた私は一度も乗ったことがありません。一人で出張するとCar Poolレーン(二人以上の乗車で使える優先レーン)が使えず時間が迫ってくるとイライラとしたものです。公共交通機関はとても非弱なのはほとんどどこに行っても感じることです。車は便利ですが増えすぎた車の問題と環境問題にこれからどう対処していくのか? EV (Tesla)などは環境にたいする一つの提案なのかもしれませんが渋滞問題を解決するわけではない。 UBERが発展していますがある人曰くUBERが広まって交通渋滞がひどくなったとか。これはそれまで家にいた専業主婦や引退した人が小遣い稼ぎなどにUBERのドライバーを始めた結果町により沢山の車が出るようになったからだそうです。本当かどうか確かめてはいないのですが確かに車の数が少し増えたようにも思います。

 

写真は古いです。1992年頃かな?のシアトル。 今は変わっているはずですよ。もう30年近く前。シアトルに出張した時ですが私は必要外要員だったので1時間ほどで仕事は終わりぶらぶらさせてもらいました。

今の私の上司はシアトルに住んでいます。Redmondにあるオフィスにいるんですよ。何時かあちらのオフィスにも行くことがあると思いますが今は彼が時折やってきます。

 

東京

東京を書いてどうするねん、なのですが、出張で一番行った海外の都市はというと東京です。

はるか以前、1997年から1999年までの間(3年くらい)日本の巨大企業のアメリカ法人でマネージャをしていた時期があります。これは私にとって唯一の日本企業(日系企業)での職となりますが日本にも開発チームがおり(あとUKにもいました)、プロジェクトの責任は私だったのでそれこそピーク時は毎週日本に出張でした。ZOOM などない時代です。一週間8日働く。。。毎週月曜に日本で日本の開発チームとプロジェクトのミーティングをしていたのです。土曜にサンフランシスコを出ると日本時間の日曜夕方に成田着。月曜朝からプロジェクトミーティングをしてその日の午後5時ごろの便でサンフランシスコに戻ると月曜の午前中に到着します。そのままオフィスに出て今度はアメリカ側のチーム(彼らは私の直属な部下)とミーティング。 月曜が2度あるんですね。プロジェクトマネージャというのは直属の部下はいません。部下はラインに従属するので日本やUKにいるエンジニアはそれぞれ現地の課長、部長が上司です。とてもやりにくいポジションなのですよ。チームを働かせるといっても責任はあっても権限は無いのです。アメリカのチームが一番大きく彼らは私の直属でしたがそれでも大変なのです。上位のマネジメントにはそれぞれ思惑もありますからね。社内抗争などにも関わってきますよ。XXXは嫌い、XXXは自分を差し置いて上と話をしたとか、まあ色々ありました。順調に進んでいるとパイを欲しがりますが一旦トラブルになるとす~とうまくかわされます。関わりたくない。。。USA, Japan, UK 上になればなるほどこんなことの連続ですよ。一番大変なのは”予算取り”です。お金を握ったら“勝ち”なのですよ。3か国に掛かりますが本社(日本)は予算で縛りをかけてきます。人事権より最後は予算ですね。予算をどう分配させるか、そんなことを2年ずっとやっていました。人事権を渡しても予算の決済権限は最後まで日本の部門ががっちり握ってました。予算が無ければ何も出来なくなりますからね。

そのころは会社の使っていた航空会社はJAL。日本でいう課長級でしたがこの会社部長級以上はビジネスクラスで課長級はエコノミーだったのですが年25回は(往復すると50回)搭乗していたのでJALは空席があればほぼ間違いなくビジネスクラスにアップグレードしてくれていました。これだけの回数搭乗するとフライトアテンダントとも知り合いになります。香港のアテンダントはとても愛想が良くサンフランシスコで一緒に食事をしたこともありますよ。良き時代でした。ホテルもわずか一泊なのですが毎週だったのでホテル内のレストランでは知られていました。お気に入りなウエイトレスがいつも伺いに来てくれました。日曜日夜到着しますがホテルのレストランはそんなに忙しくなくオーダーを取りながらあれこれ無駄話を沢山しましたがレストランのマネージャも”お得意様だから”と大目に見てくれていると言っていました。お得意様と言われたのはこの時が初めてでした。

そんな生活を2年もするとしかしながらとても疲れます。まだ独身だったころですがあの2年間は働くだけ、だった。

転職してベンチャー企業に入り5年ほど開発だけをしていましたがひょんないきさつでマーケティングに部署を変え、再び出張人生の始まり。

最初の頃は出張というと日本。いや日本だけでした。2000年当初、まだまだ日本が、バブルははじけた後とは言えアジアでは一番だったころです。まだAppleは倒産寸前、Amazon, Facebookはなかった頃でようやくGoogleが産声を上げたころ。日本のブランドがまだまだ世界中で知られていたころです。2か月に一度のペースで出張を繰り返していました。東京圏(川崎、厚木、横浜、八王子を含む)を電車、車(現地のセールス)で行き来した後、一日は地方(長野、名古屋、大阪、広島が主)にまで足を延ばす。これだけで十分5日はかかります。時差がありますから土曜に出て日曜着。日本を土曜に出て土曜に戻るというやはり週8日な生活。。。

日本はお客さんは優しいので、と言いますが時間を守るので仕事はきつくなかった(中国と違う)。お陰で夕方には自由!。 場合によっては午後早めにはもう自由です。日本を30年前に出たとは言えまだまだ大学時代の友人やその後知り合った友人、知人も多い東京。友人と会ったり一緒に来ている同僚、上司と渋谷だ、銀座だ、新宿だと良く出かけました。

以前書きましたが東京はとても楽しい都市です。ロンドン、ニューヨーク、東京でしょう。そしてなかでも、美味しい料理が手ごろに味わえるのは東京!断然東京なのです。インド人の友人曰く、ロンドンがインド外で一番美味しいインド料理を食べることができると思っていたが東京の方が圧倒的に上だと。そんなわけで東京出張は羨ましいのだそうです。

Hello Kittyは人気ですがKitty Landにどれだけの回数行ったことか。皆行きたい、娘に買って帰る、写真を撮って見せるんだそうです。Kittyちゃんにはポケモンもマリオも敵わないですね。 

 

でもだんだんと東京に行く機会が少なくなってきた、いや最初は日本だけの出張が少なくなりました。日本にはいくがついでに台湾、韓国、中国も。。。となりその内に中国に行く次いでに台湾、韓国か日本に行くというようになり、最後は中国だけ行って戻る、つまりその他の国はもう行かない。この間わずかに10年です。 

以前書きましたがUSの企業は

北米(USA、Canada)

EMEA (ヨーロッパと中東)

APAC(アジア、アセアン)

日本

とテリトリーを持つことが多かった。経済力2位の日本はそれだけでテリトリーだったのですが、いまでは APAJとなり日本はAPACと一緒になりその本社も上海や北京になっていることが多くなりました。

この変化を感じるようになったのは10年くらい前でしょうか?一度私が扱う商品に不都合が有ったのです。その対策のため日本も含め顧客を訪問しました。日本ではこんな場合とても大きな叱咤を受けるのですが2000万もの買い物をして、こんな程度か?と(不具合に対する対応について)問い詰められたのですが同じ不具合を出荷した中国の企業はもう6億円のアカウントとなっており2000万のアカウントは失っても良いと言われていたのでどんなに叱咤を受けてもどうすることもできなかったのです。2000万を大きな買いものだというのはその5年前には無かったこと(その5年前には別の日本企業と10億円近い取引をしていた)。あれよあれよという間に規模が小さくなったのです。結局その企業はその事業からは撤退をしてしまいました。

そんな自分に直接関係するビジネスから東京の地位(あくまでも私のビジネスですが)を10,15年で経験しました。

ですが、東京はまだまだブランド力があります、と言いますか私の目にはブランドを作ってきていないのがもったいない。

GINZA, TOKYO, SIBUYA

どれもとてもいいブランドになる。GINZA。 知っている人は知ってますが私の同僚、知人、友人で日本に行ったことが無い人にGINZAと言っても良くしらない。でもロンドンのボンドストリート、ニューヨークの5番街などというと良く知っている。GINZAはこれら以上の地なのですが(中国人はGINZAよく知ってます)。ブランドにすれば良いのに、と思います。女性の中にはGINZAを知っている人がいました。なぜか? 資生堂の化粧品のパッケージにGINZAと書いてあるそうです。 以前も書きましたがパッケージなどにTOKYOだ、GINZAだ、SIBUYAだと誇らしげにロゴを統一して書けば良いんです。商品にもね。ブランドほど大切なものはないしTOKYOにはブランドが沢山眠っています。

私は今の仕事を”勤める”最後の仕事と決めています。

その後は 勤めないで仕事をする。

目標は東京にオフィスを持つ。時々オフィスの物件を見ています。目で見るだけでも楽しいし、何事も成就するには目に焼き付くVisualizationは必要ですから。

なんといっても東京は魅力ある都市なのです。

そんな魅力ある都市を持つ日本。その魅力をもっともっと磨けば良いのになあと思います。

みんな知ってるスカイツリー。昨年やっと行きました。

美味しいデザートも日本ならでは。パフェは銀座千疋屋で。

イチゴのショートケーキは実はこちらの町 Los Altosにあるサチュラ ケーキで。 ここは日本のケーキ屋さん。この辺りで一番美味しくいつ行っても長い行列が出来ています。ここのケーキを食べると他のお店のケーキはもう食べる気がしない、そうです。

こんなケーキが普通に食べれるよ、と言うと””東京は天国だ”と必ず言われます。

 

フロリダ

フロリダと聞いて何を思い浮かべますか?

―ディズニーワールド、ブッシュガーデンなどアトラクションのあるリゾート(バケーションの地)

ーキーウエストあり、ヘミングウェイの地

ーハリケーン

でしょうか? USに住んでいたら

ー引退後に住むところ(暖かいですから)、

―大統領選挙で重要な州

もありますね。カリフォルニア、テキサスなどは大事ですが態勢は選挙前からわかるのでフロリダなど選挙ごとに熱戦になるしかも大きな州が大事なのです。今年はペンシルバニアがインパクトありましたがフロリダはいつも取り上げられる重要な州なのです。選挙方針が変わったらずいぶん様変わりするはずですがなにしろ憲法事項なので変わることはないでしょう。

とこんなところがフロリダに抱くことでしょうか?

そんなフロリダ、3度ほど行きました。すべて仕事で!

最初は面接で。1993年のことですからもうずいぶん前です。ボストン近郊に住んでいましたが92年ごろから仕事を探し始めていたのです(会社がドンドン傾き始めた)。IBMとIntelがそのころ共同でPowerPCの設計をするという今考えると嘘のような話がありその設計拠点としてフロリダ州にあるボカラトンという町が選ばれたのです。この町、行って分かったのですが裕福なひとの町でお金持ちしか住んでいない。。。住人の平均年齢は45歳だったかな?で若い人はあまりいない。大きなお屋敷街のような通りは出入り口のところに必ずと言ってよい程にセキュリティが居た。道はどうやら私道扱いで通るのにパスを持っているかライセンス番号を記録するかが必要でした。そんなところに会社があり、まずそれでびっくり。。。インタビューに来たと言ったら怪訝な顔をされましたよ。”働くところ”なんかあるのか?ですね。

フロリダは初めてだと言ってあったので面接をはさんで3泊もさせてくれました。残念ながらハリケーン通過直後でマイアミなどでは数々のところが閉鎖していたのですが宿泊はマイアミにしてくれたので夜も出歩いたのですがそんな話を面接でしたら”XXXXには行ってないだろうな?”とずいぶん聞かれました。マイアミというとドラッグのメッカだったんですね、知らなかった。。。です。

面接後次の日の過ごし方として受けたadviceはフォートローダレールに行って海岸沿いをぶらぶらすること。 行ってきました。真っ白なビーチが延々と続く。。。 いや、だから行けと言われたのではなく、とにかくビキニ姿の女性で溢れかえっていたからなのです。ニューイングランドからやってきた30代前半の私にはそれはもう驚きでした。ボカが年配の人の町とすると差し詰めこちらは若者の街。延々と続く真っ白な砂浜に若いビキニ姿の女性がそれこそ溢れかえっていてフロリダの不思議を見た。。。

ここにリンクがあります。

 

日本庭園があり、日本食の雑貨店がいくつもありました。これにも驚きました。Boston近郊でも吉野家(ケンブリッジ)があるだけでしたからね。調べたら江戸がおわり開国後、日本人労働者がこんなフロリダまで農園で働くために来ていたのですね。パイナップル農園だったと思います。そんなことがあり一定数の日系人(と言っても今では純粋にアメリア人です)がいるようで日本庭園や雑貨店もあったわけです。日本庭園などBoston近郊にはまだ無かったころです。確か本願寺関係の寺院もあったはずです。開国後まもなくこんな最果てまで農園で働くためにやってきた人たちがいた。勇気あったのですね。

この会社、OfferをもらいそれをAcceptしたのですが上司にそのことを話そうと思った日の朝電話があり”取り消したい”と言ってきました。”へ?” なんでもIBMとIntelの共同事業を解散するとかでIBMのNYでなら働けるがそれでどうだ?というのです。もしくは確か5000㌦だったかな?有給をとって面接に行ったのでその有給分をカバーする。どちら? NYオフィス、どうも会ったことも無い人が上司になるらしくさすがに危険と思い5000㌦もらっておしまい。 危なかった。。。

遥かに時間がたって25年もたって?今度はマーケティングの技術担当としてフロリダに行くようになりました。フロリダもテクノロジーの会社はあります。

Magic Leapという会社を聞いたことがあるでしょうか?数年前華々しくデビューし巨額の資金を調達したベンチャー企業でAR/VR関連のヘッドセットを開発しています。AR/VRというとGoogleも出しましたが時期が早すぎて上手くいきませんでした。マイクロソフトがホロレンズを出しましたがこのチーム私の上得意な顧客で開発に十分貢献したつもりです。そんな関係でMagic Leapも私が担当する顧客でした。イスラエル(テルアビブ)にも大きな開発チームがいます。もちろんシリコンバレーにも。考えてみるとこういった顧客を持ったことが今につながっているのかもしれません。私はいまFacebookでAR・VR関連の開発のある部分の開発責任エンジニアをしていますから。

さてそのMagic Leap。私が中国に出張している間に不都合を発見したとかで急遽Meetingがしたいと言ってきたことがあります。 中国にいるから電話かビデオでと言ったらFace2FaceのMeetingが必要だと絶対にひかないのです。躊躇っていたら会社の担当するセールスが会社上層部に苦情を上げた結果(アカウントが大きすぎた。。。)、なんと中国出張を途中切り上げして上海からフロリダ直行でMeetingに出ることになってしまいました。今度は中国側が怒る。以前も書きましたが基本コミッションで働くセールスは社員とは言え個人業。自分のアカウント第一なのです。そこをマーケティングなどがうまく差配するのですが大きなアカウントを持ったセールスの場合頭を飛び越して上層部に上げることが多々あるのですがそうなると軋轢だらけになります。

結論を書くと、上海からLA経由でフロリダに行ってフロリダからSFに戻り自宅で一泊して次の日上海に戻りました。一週間の出張が一泊自宅に戻ったとは言え2週間に。55歳ごろ、まだ体力があったのですね。マーケティングとセールスは体力も大事。

さてその会社、なんとフォートローダレールにあります。LA経由で時差があっても3時ごろ着。時差はもう通り越してましたが宿泊したホテルはあの白い砂浜のすぐ間際。しかも時期はいわゆる大学生のSpring Break。この時期大学生が大挙してこの地を訪れるのです。歳は取りましたがまああれだけの数の若い水着姿の世代と遭遇したのは最近ではないくらいで時代は変わってもここは全然かわってないな~と思いました。ただ、とにかくうるさくで、30代の頃はそんなこと思わなかったのですが、歳を取ったかなとあの時思いました。

 

 

借り物ですがフォートローダレールのビーチと大学生のSpring Break。 そこら中にパラソルとビーチバレーのこーとなどがあります。とにかく大学生だらけ。 

砂浜はとても白いです。とってもきれいな海を見ることができます。

これも借り物ですがマイアミの日本庭園。ここに行ったのかどうか覚えていませんが25年以上も前にマイアミに行ったとき行きました。確かどこか日本食の雑貨店にも行きましたがボストンの吉野家よりずっと充実していた。日系人アメリカ人がいるのを知って本当驚きました(その歴史を知って)。

ソウル

以前少しだけ韓国に触れたことがあります。

出張で韓国に行っていた時期がありましたが最近5年はハタと行かなくなりました。もっとも今はマーケティングから開発(R&D)に戻ったので出張は学会や大学の研究室を訪問する以外無くなったので頻度が少なくなっています。2020年はそれに加えCOVID19もあり出張はゼロと最近20年でこれもまた記憶に残る年になりました。韓国に行っていた分を中国に回した、と言うのが実態で、アジアは15年前は日本10、台湾、韓国7、中国5程度だったとするなら3年前には中国10、台湾5、日本3、韓国1といった程度の比率に変わってしまいました。中国の隆盛に伴い日本と韓国が相対的に落ちたのですが台湾はそれでもなんとか持ちこたえた。台湾は中国同様、New Business (小さい会社)がドンドンできる環境がありそういった小さな会社訪問も積極的に行っていたからなのですが韓国と日本はこうした小さな会社がわたしのビジネスに限ると皆無に等しかったのです。

つまり韓国は財閥系企業が圧倒的なため私が訪問する企業はSamsungとLG以外にありませんでした。ここまで財閥系が経済を握っているのは不思議なことなのですが過去なんども政治が介入しているようですがあまり変化はなさそうですね。

わけてもSamsungに良く行っておりましたが非常に高飛車な組織で訪問するたびに”どっと疲れ”がでます。

まず友好的でない、と言うのが率直な感想でベンダーに対して非常に高飛車です。今は立場変わりであちらがベンダーになるのですが過去の経験があるためどうしても私も妥協しない。立場変われば。。。というわけで今度は私が強くなったわけなのです。”できないわけないだろう?”と半ば脅しのようなことを何度も経験してきたのでその経験がどうしても蘇るのです。さんざんやってその挙句ビジネスにならない。。。それでもまた行くわけです、何しろSamsungですから。相手もそれを知っているので高飛車にでる、というわけです。今は立場逆転なのですが。。。

そこで振り返るに、ベンダー、顧客、立場は永遠に固定ではないのです。ある人曰く、永遠に固定なのは親子関係だけだと。。。いや、この関係すら突き詰めれば立場変わりえますね。

上司、部下、 先生、生徒、など人同士の関係はいつでも変わりうる。立場変わればということです。だから偉ぶらない、立場を利用しない、というのは生きていく上で、仕事以外の場でも重要なのです。私の合気道の先生、8段かつ師範で世界中に教え子(弟子)がいます。彼らの中にも道場を開いている方々が沢山いますが先生とにかく腰が低い。初めてお会いしたのはもう25年も前ですが後ほど経歴を知って驚きました(何も調べないで道場に行った)、とにかく高名なのです。が、先生は私に弟子入りしたのではなく”お客さん”だと初めてお会いした時言われました。”道場費”を払ってきてもらっている、自分はそれで生活していると。もちろん通っている側はお客のつもりは全くないのですが先生はそれくらい腰が低い。非常に高名な師範で各国に招待されますがあの腰の低さが尊敬を集めるのだろうと思います。世界中どこに行っても誰かが招待してくれます(したがってホテルに滞在したことは無いそうです)。

高飛車なのはひとつには今でも上下関係がとても厳しいことがあるのでしょうか? ミーティングに出ていても中国人や台湾人と比較すると韓国は上下関係が圧倒的にあるようです。日本もありますよ。2か国に共通しているのかもしれませんが名刺をいただくと地位(タイトル)がとても細かい。日本だと例えば係長と統括係長、似ているようで全然違うらしい。つまり係長にもランクがあるんですね。韓国も似たところがあるようです。

さてそんなソウルですが、出張はなぜかいつも真冬でありました。とても寒くなるんですね、韓国は。真冬にインチョン空港に降り立つ。防寒着を着ているつもりなのですが寒い。サンフランシスコからの便は夜中に着く便が多いのです。冬で夜中、正に凍える寒さなのですが空港からホテルまでもっと凍り付く経験を何度もしています。 Inchonからソウルまで、車の移動は高速道路を多く使います。夜中の便だともうソウルのラッシュアワーを過ぎているので道は空いています。 また真偽は知りませんが未だ休戦中のKorea, 高速道路は戦車が通れる、戦闘機が離着できるように幅広くかつできるだけ直線に作られているとかで、スピードが出しやすい設計なんだそうです。

事実かどうか。。。ですがTaxiはもう時速150キロは出していました。ミニバンのようなTaxi にも乗りましたがそれでもスピードは変わりません。しかもドライバーは皆無言。もう少しゆっくりと言っても、現地の言葉はわからないので英語で言っても無視?

そんなスピードでどんどんレーンを変更して追い抜いていくので生きた気がしません。そんな話題をお客と会食したときにしたら、”私も経験した”と。。。以来、韓国ではバスを使うようになりました。

出張では会社によってはホテルを指定していることがあります。以前働いていたベンチャー企業はセールスVPがCOEXエリア(カジノなどもある大きな地下街を持つ一帯)のインターコンチネンタルホテルを指定していました。寒いソウルを快適に過ごすのは地下街?COEXエリアの地下街は大きいですね。地下鉄も通じていてとても便利で気に入っていました。

その後務めた会社はロッテホテルを指定していたのでロッテ。このホテル確か4階に韓国式サウナ(銭湯のようなもの)があります。宿泊でなく訪れる客(ソウルに住んでいる人)でごった返していた時がありました。GYMもあるのですがここも宿泊でなくとも使えるようでそんな人たちで占拠されておりました。そんなこともありロッテホテルは好きでなかったのですがCOEXにしたいと言ったら契約レートが使えないからだめだという。残念。

寒いソウル、食事はとにかく辛いですね、 日本の感覚で

ーおでん?と思ったら具がどれもすべて辛かった。

というのもあります。

私はもっぱらサムゲダンを食べていました。毎回たべるので現地の友人は”違うのを食べよう”と寿司を食べに行きましたが”つな”ばかりでびっくり。あまり他の魚は食べない?

韓国は2社しかないので一日で仕事は終わるから2泊以上したことがなくそれでも観光地として知られた明洞、江南地区などに足は運んでいます。あの頃は日本人と中国人観光客の比がちょうど入れ替わるような時期だったのでしょうか、日本語と中国語が飛び交っていましたがCOVID19な2020年はあのあたりも閑散としているのでしょうね。

InchonはとにかくDuty Freeが多い空港。私の知る空港では最大級ですがいついっても中国からのBUYERが沢山購入していました。観光ではなく空港で買う、受け取るのですね。韓国の次は中国というのが私の出張ルートになっていたので搭乗ゲートあたりでこんなBUYERを沢山見かけました。Duty Freeも今や中国人BUYERや観光客がいないともたないでしょう。もっともDuty Freeで購入するより実はOnlineのDiscount Siteの方が圧倒的に安く手に入るようにもなっています。そういうこともあるのでしょう、ホテルに大量に荷物が届けられる光景を何度も見ています。2次市場で値下がりしないような商品はDuty Freeで買うことはできないと以前教えてもらいました。以前ですとヨーロッパの空港でDuty Freeを沢山見かけましたが数、品物が明らかに少なくなっているようです。Inchonはあれほどな規模でDuty Freeを持っていますが今後のBusinessは大丈夫かな?と思うこともあります。Duty Freeというと酒類、たばこもありますがたばこは消費が少なくなっている、酒類はことUSAの場合、国内線の便に乗り換える際再度セキュリティークリアランスを通るので持ち込めない(香水類も引っかかることがる)など、液体に対する制限が多くなっているので売り上げが減ってきているはずだと私の同僚が以前言っておりました。確かイスラエル行きの便は搭乗前に再度手荷物を検査して液体は空港内で購入したものでも破棄する必要があったはずです。

そんな韓国ですが本当行かなくなりました。日本、韓国、中国という順序もしくは韓国、中国、日本と言う順序で出張していましたがこの5年は中国だけか、中国をハブに台湾、日本をちょっと寄るというスケジュールになっていました。韓国を最初にする理由は一社くらいなのでスケジュールがとても立てやすかったからです。中国は国内移動も大変です。

出張を通じてもアジアでの勢力の動きを肌で感じることができます。

沢山写真があるんですがどこにセーブしたかわからず、とりあえずこの2枚。ロッテホテル近郊。ロッテパーク?とでもいうのでしょうか。ディズニーランドの小型版? このそばには人口の池もあったはずです。住民の方が散歩をしていました。私も散歩しますがアジアの国ではどこにいってもいったん人込みに紛れ込んだら地元民のようですね。残念ながら韓国語は読めないので何を書いてあるのかは全くわかりませんが色々な書き物も多く見受けます。

とにかく寒い。寒い時だけ行ったからですが底冷えの寒さ。

サンフランシスコ

シリコンバレーに住んでいてサンフランシスコに出張?と思うかもしれないですね。この辺り全体をシリコンバレーと言いますがサンフランシスコをCity(Cityというとサンフランシスコを暗にさします)と分けることもあるし

ーペニンシュラ:大体FacebookのあるMenlo Parkより北でサンフランシスコ直前くらいまで、

ーシリコンバレー:Menlo Park、Palo AltoからSan Jose辺り

とより細かく分けたりもします。ちなみにカリフォルニアでBay Areaと言うと暗にサンフランシスコ近辺を指すことも多くLA辺りでも”どこから来た?”と聞かれたらBay Areaと言えば通じることもあります。

Cityは特別に扱うこともあるようにCityに出張することもあります。

ー顧客訪問

ーセミナー、コンファレンス。

コンファレンスが多数を占めます。半導体関連のエンジニアに知られたISSCCという学会は例年サンフランシスコで開催されます。Appleのイベントもよくサンフランシスコで開催されます。

シリコンバレーからサンフランシスコは朝夕を除けば1時間もかかりません。電車もありますが不便。電車でISSCCに出たことがありますが乗り換えと便数が少ないので不便。UBERもありますが結構高い。近くで乗る分には良いんですが遠出をするとあっという間に100㌦以上になり割高。というわけでやはり車での移動になります。

観光地で私が移ってきた90年代前半頃はとてもきれいな街でしたがこの10年で町がなんとなく変わってしまったように思います。

それでも主にソフトウエア関連の企業(SalesForceまど)やUBERがオフィスを持ち若い人口も多いです。シリコンバレーは圧倒的に男性密度が高いですが大都市は男女比が逆転するので華やかです。NYCは男女比が女性6割と言います。SFはどれくらいなのかわかりませんがシリコンバレーからCityダウンタウンに行くと人が違うと今でも思います。そんなこともあり私の若い同僚たちは多く住んでいます。家賃がほぼ暴騰したので結果として沢山のホームレスを生んでしまいましたがサンフランシスコも大都市の問題を抱えるようになりました。サンフランシスコ人口的には日本の中規模程度な都市なのですがサンフランシスコ国際空港はサンフランシスコの所有になりやはり北カリフォルニアを代表する”City”なのですね。

住んでいると観光になりませんが一番近い休暇を過ごすところにもなりよくホテル滞在もします。若いころは映画のシーンで使われた街角を丹念に見て回ったこともありますが古い映画のシーンだと今はずいぶんかわっています。若い人は観たことが無いと思いますがスティーブ マックイーンのブリット、車の追跡シーンがあるのですがそのロケとなった坂道を実際自分で運転すると”よくこんな坂道をあんなスピードで走ったな。。。”と感心します。 ハンフリー ボガードの名作、マルタの鷹の舞台にも使われたサンフランシスコの丘の上にあるフェアモントホテル(今はインターコンチネンタルホテルの所有)に宿泊したこともあります。

ソフトウエア会社が多くサンフランシスコにオフィスを構えるようになり良く出かけるようになりました。

ハードをやってきたエンジニア(マーケティング)がソフトウエアの会社に出張?

Steve Jobsだったかな、出なければ誰か彼にとても近かったAppleのエンジニアだと思いますが、

いずれソフトウエアエンジニアが自分たちの欲しい(理想)のハードを設計するようになる  と。

今、正にそれが現実になっておりMicrosoft, Google, Facebook, Amazon, (Apple), を始めとするソフトウエアの会社が自分たちでハードをシリコンのレベルから開発をしています。これらの会社にとどまらずUBERなども自前でハードを設計中です。私のようなハードウエアをずっとやってきたエンジニアの多くは今これらを含むソフトウエアの会社で仕事に就いているのです。

写真はSFのスナップショット。遠くに見えるタワーはコイトタワー。登ったことがありますが湾を含めSFダウンタウン全貌が見渡せます。

ゴールデンゲートブリッジを渡り対岸にあるサウサリートの町からサンフランシスコを臨みます。町は急斜面な丘になっているのが見て取れます。

サンフランシスコは寒暖の差がとても少なく夏でも軽い長そでがちょうど良い。冬は厚手のジャケットを着るまでもない程度なのです。景色はとても良いまちで且つLAと比較すると小さな町。ケーブルカーと電車でほとんど移動できるのも良いところです。

トロント、オタワ

カナダは良く出かける隣国。カナダ人とアメリカ人が全く別物と言ってよいくらい違う。私にはカナダ人のほうがずっと合っていますがカナダはハイテクの仕事が少なかったこともありUSAで働いているカナダ人も多いです。そんな彼らも友人、元同僚として沢山います。またカナダは移民、しかもどちらかと言うとUSAから見て敵国になるイランなどからの移民も多く私が知るイラン系のエンジニア(友人など)は皆カナダ市民です。元上司など最初はモントリオールでタクシーの運転手をしながら大学に通ったとか。イラン革命のころ出国した友人で話を聞くと彼の友達があるとき何人か居なくなった。。。(連れて行かれたわけですね)、危険を感じてほとんど亡命に近い形でカナダに来た。なんか生々しい話ですが20年以上付き合いがあるベトナム人の元部下はベトナム戦争時捕虜になり脱獄して命がけでUSAに一人で逃げてきたとかで指にそのあとをみることもあり生々しい経験ある同世代が沢山います。わたしなど彼らと比べると生ぬるいですな。

そんなカナダですがこの10年ほどハイテクも急激に伸びています。20年ほど前ラスベガスでカナダ政府がBoothを出して盛んにエンジニアをスカウトしていました。経験ありUSAの永住権があるなら即カナダの永住権を出すとか言っておりました。が、この4年はUSAの大統領があまりにひどいので若者がカナダに逃げる(USAに幻滅)傾向もあり今はこんなことはないはずです。もっとも2020年の選挙結果で変わるでしょうか?

ハイテクを引っ張っているのはバンクーバートロントです。私のカナダ出張はバンクーバー、トロント、オタワ(オタワは頻度少ないですが)の3都市が主。わずかに一度だけモントリオールにも行きましたが明らかにハイテクをリードしているのはトロントとバンクーバーです。

カナダで知られている(いた)有名な会社を上げるとRIM(BlackBerryってご存じですか?)、そしてATI(AMDに買収された)。RIMのBlackberryはIPHONEが出るまで市場を席捲した携帯電話です。映画にもたびたび登場しました。RIMのR&Dは大学町でしられたWaterlooにありますがトロント近郊です。

ATIはゲーマーなら知っていると思いますがnVidiaと争ったグラフィックス関連のチップを製造していました。今も例えばSONYのPS4などでその技術は使われています。ATIもトロント郊外にR&Dがあります。

昨今AIがとくにCNN(Convolutional Neural Network)がハイテク世界を席巻していますがトロントはAIの世界でも世界をリードしています。

実際私が訪れた顧客はAI関連のベンチャー企業ばかりで皆トロントとオタワにR&Dを構えていました。

オタワは首都ですね。BOSTONにいたころオタワ郊外にCANATAという町があるのですがそこに製造工場があった関係で何度か出かけていきました。国会議事堂があり見学をしましたが英語を話す人には英語で、フランス語を話す人にはフランス語で、しかもどちらの言葉で挨拶するか100%確実に区分けしていた案内の女性に驚きました。彼女曰く口元を見ると分かるんだそうです。フランス語を日常話す人と英語を日常話す人の口元が微妙に異なるんだとか。

オタワには運河(人工)がありますが真冬は凍り付きます。凍った運河はアイススケートできるので住人がスケートしている姿も見かけました。冬が長く冬は雪、雪、雪で出張で出かける私にはあまり嬉しくなかったです。

トロントは以前のBLOGでも写真を使いましたが五大湖に面した都市で対岸がUSA。五大湖はUSAがまだ奴隷制度をもった州があった時代逃走した奴隷たちがカナダに逃れるのにもつかわれました。イギリスはずっと以前に奴隷制度を辞めていたのでカナダも既に奴隷制度はなかったのですね。この辺りの事情、日本語訳で’アンクルトムの小屋”として出ているストウ夫人の著を読むと生々しく出てきます。実はとても分量のある著で日本語訳が全部カバーしているか存じませんが読むと当時のことが少しわかります。マサチューセッツ州などに多くいたクエーカーの人たちが命がけで逃亡を手助けしたことも良く描写されています。

そんなトロントですが五大湖の対岸はデトロイトなど自動車産業の地ですからトロント近郊にも大きな自動車産業もあります。またカナダでは製薬業も盛ん。同じ薬がカナダだとずっと安く買えるといいうことで時折問題にもなります(USAの医療が高すぎるだけです)。

カナダの英語はというと発音などはUSAの英語と私の耳には同じに聞こえます。UK、オーストラリアなどは聞けばどの”お国”かわかりますがカナダは私には無理。

ですが表現、単語はUK,USAがミックスしているでしょうか? 例えば

ー Exit: Way Out

ー Elevator:  Lift

ー Bathroom: Washroom

エレベータの階ですがややこしいですね。色んなパターンがありますが

ーGから始まり、G, 2.と続くか、G, 1となるか。

因みにイスラエルに行くと

0が地上階で1が2階。

中国ではー1なんていうのも見かけました。地下一階ですがでは地上一階はというと1だった。つまり0を飛ばしていた。

分かりにくいのでうっかりすると間違えます。イスラエルで慌てていて間違えたボタンをおして(1を押した)出たら2階で慌てて戻ったことも何度かあります。

写真はトロントCIタワーから見下ろしたトロント。巨大な大都会です。

ここはMLB トロントBlue Jaysの本拠地。CIタワーのところに球場があります。大きな駅もありアクセスは便利が良いのです。