台湾 Part1

台湾、ああ台湾。 日本を除くアジアの国、私は仕事も含め、韓国、中国、台湾、マレーシア、タイそしてつかの間のシンガポールに行ったことがありますが台湾は一番好きな国です。 なぜか?

ー親切。 とにかく台湾人は親切。

ー食事が美味しい

ー大切な友人がいる

台湾の人々はとにかく親切なんです。中国語を話しますが(当たり前か?)、大陸中国人と違いとてもソフトに聞こえます。これは大陸中国の友人が皆言うことですから真実なのでしょう。しかも台湾では大陸中国でのような殺人的なスケジュールを一度も経験しなかった。国が小さいからというよりこちらを気遣ってくれているのです。同時にやはりビジネス第一。この感覚はやはり鈍らない。

食事は美味しい。中華料理は出来てすぐ食べると特に美味いですね。台湾風中華(大陸中華)もありますが台湾料理が美味しい(当たり前ですが)。私がしたくてまだできていない台湾経験に台南にまで出かけて行って本場の台南料理を食べることがあります。我が家の近くに台南料理の店があります。オーナーシェフは台南出身なので本当に台南料理なのでしょうが本場はどんなものか知りたい。残念ながら出張で出かけると台湾は台北と新竹と決まっております。 新竹の方が多いです。台湾のサイエンスパークがありテクノロジー関連の本拠地です。TSMC, Mediatek, Phisonを始め世界的に知られる会社が軒を連ねています。サイエンスパークは税金の恩恵があるそうでこれらいずれも既に巨大企業なのですが本社を移さないですね。新竹は働く町ですから食事に期待するのも。。。なのですが、台湾にいた同僚(彼、彼女ら)、いつ行っても新しいレストランを探してあり皆で出かけました。彼ら自身食べることが好きなのです。私はアジア人(当たり前か)でアジアの食事ほとんど全部大丈夫。あの当時のUSAの同僚(いわゆるアメリカ人やインド人など)とアジアに行くと食事で困ることがありましたが一人で出かけるときはどこにでも行くことができ食事は楽しかった。色々と試すことができますからね。出張の楽しみは食事です。内臓料理などアジア人だけでないと中々行くことはできませんよ。また日本の新幹線を導入した高速鉄道に乗れば一時間もたたずに台北です。台北には台北101という高層ビルもありますが台北には美味しいレストランが沢山ありよく仕事後出かけました。お昼に飲茶したいと言ってあったら台北で顧客ミーティングを予定してくれたことがあります。台北に美味しい店があるのです。普段は本社のある新竹でミーティングしていたのです。どうも私がその店に行ってみたいと言ったことがありそれを実現するために図らってくれたのです。親切ですね。相手が台北のオフィス(私どものオフィスでなく相手の台北オフィスです)まで出てきてくれたわけです。日本でも中々こんなことはないですよ。顧客と一緒にその店に行って食べました。そうそう接待はというと”相手が”していました。わいろ?にならないようにこちらの接待ではなくいつも相手が支払ってくれていたのですよ。台湾の同僚にずっと後で聞いたのですが”自費”でした。つまり経費にしない。いずれ一度こちらが自費で接待したいと思っていましたが出張で台湾に行く機会はほぼなくなりました。またいずれ。。。

その台湾の元同僚二人(友人)とはもう10年以上の関係です。小さな国なのでわずか二人です。顧客数はとても多かったですが大きな3社をカバーすれば年次ゴールは達成できていたようです。セールスはコミッションですからその3社にPLUSしていくつか取れれば大きなボーナスになります。ある歳、運よくそれまで何度も訪問していた大きな会社が技術を採用してくれたのです。しかも台湾のアカウントではとても大きな商談になりました。当然ながら彼らのコミッションは跳ね上がります。同僚の一人はそのコミッションを元にメルセデスベンツのAクラスを購入しましたよ。一度空港まで迎えに来てくれたことがあるのですが、Aクラス、自慢ですね。その出張時、皆でお祝いもしました。料理はとても有名な北京ダックのお店で山の中腹にありました。5年越しの挑戦だったのですがあの年あの会社たまたままとまった予算があったのですね。そうするとAクラスが買えるほどのコミッションにもなるんですね。

ビールはあまり美味しくないが料理は美味しい。冷えていないビールに氷を入れたのは台湾だけ。。。”冷えていない”といったら氷を持ってきました。瓶を冷やすのかと思ったらグラスに入れるんだと身振りで説明していました。
全部食べた。2羽を4人で平らげた。ここは予約しておかないと入れない有名な店で山の中腹にも関わらずとても繁盛していました。

台湾では昔ながらの漢字を使っています。中国は簡易書体になっていて一瞬ではわからない文字にも出会いますが台湾は旧書体の漢字で日本人にはなじみやすい。ですから日本人は台湾発行の新聞を読むことができます。中国ではミーティングでてこずると中々抜け出れないこともありますが台湾では話がてこずったら白板に漢字で書いたりもしました。相手も漢字を書いてきます。”奥の手”なのですが緊張が解けたりすることもありました(親密感がでるからかな?)実際には顧客とのミーティングであまり言語に困ることはありませんが、街を一人で歩いていても大体のことがわかります、字を見れば。 でも、字を共有するのですが日本語の意味と中国語の意味が同じとは限らないので注意も必要です。とんだ誤解を招くこともありますからね。

親切といえば、China Airlines。ややこしいことにこれは台湾の航空会社です。Air Chinaは大陸中国。混乱します。台湾出張ではよく日本にも寄りました。事実最近の5年ほどは日本だけの出張は皆無になっていました。日本の実力が落ちて行っているのを肌で感じることができます。以前は日本だけで十分な日程を作れたのです。APACと言う言葉聞いたことがありますか?アジア、パシフィックの略で日本を除くアジア圏の国々を指すのです。大陸中国もその中に入ります。しかしながら今多くの会社ではAPAJとCをJに置き替え始めていると聞きます。JはJapanです。しかもAPAJの本社は日本ではなく大陸中国のことが多い。つまり今のGDPを反映しているのです。中国が圧倒的にGDPで日本より大きい現状、日本の組織は今や中国にあるAPAJの下位組織になっているということです。15年前には考えられなかったことなのですが私個人の出張スケージュールを見ても日本の地位は落ちて行っているのを感じます。

さて台湾から日本、日本から台湾のフライトはほとんどいつもChina Airlinesでした。私の航空券はエコノミークラスのはずなのですが、座席はいつもビジネスクラスになっていました。このAirline SkyTeams(Delta)系列です。私はUnited (Gold以上)、American (Sapphire)なのですがDeltaはこれまでにわずか一度乗っただけ。アップグレードしてもらえた理由が全くわからないのです。でも短いフライトですがビジネスクラスは快適ですからね。親切ですね。人違いをされているのかなと思いますが嬉しい限りでした。 

日本から台湾に行く便(China Airlines)で撮れた富士山

台湾の桃園空港も好きですよ。大陸中国と違い、セキュリティーは無いに等しい。人も多くない。。。飛行機を降りてチェックポイントを全部通過するのに早ければ15分で済んでしまいます。夜遅い便で到着するのでこれはとても嬉しかった。本当にあっという間です。”好きだ”と書いておいてなのですが、帰国の際、搭乗まで空港にいましたがとにかく”寒い”。冷房が効きすぎなのです。もっともこれは空港にかぎらずホテルのロビーも本当に寒かった。冬なら日本にもよるので長袖を持参しますが夏、半そでだけだった時があり、あまりに寒く空港内の店でジャケットを買ったこともあります。空港ではまず航空会社のラウンジで食事をするのですが(台湾ではEVAのラウンジ)、ラウンジ内もまるで冷蔵庫にいるように寒かった。 あれは冷蔵庫内の寒さだった。いらぬ買い物をしてしまうくらいに。。。台北には松山空港があります。小さな空港です。一度だけですがこの空港からJAL便で羽田に行ったことがあります。寒くなかったですよ。この出張は顧客を回るのではなく台湾の同僚に新製品をトレーニングするために行ったのでとても楽でした。つまり遊んだということです。台北にあるライブミュージックのバーに行ったり台北101の展望台に行ったり、台北の夜を始めて歩きました。夜遅くなりすぎて次の日の予定(トレーニング)を昼からにしたりと。。。台北にあるHOOTERSにも行きましたよ。知ってる人は知っていますね。

ひだの数で美味しいかどうかわかるんだそうですが。。。
食べてばかり。 台湾は食べるために行った。。。

リンツ(オーストリア)

モーツアルトの交響曲にこの町を冠した曲もあるモーツアルトとも縁の深いリンツ。クラシック好きなら一度は訪れたことがあるかもしれないですね。そんな町に出張? テクノロジー屋の出番か? と私自身、当初予定を見て驚きました。あの出張はミュンヘン(ドイツ)を最初にリンツ、そしてロンドンだったはず。ミュンヘンとロンドンはわかりますがクラシック音楽の町、リンツ。。。

Intelがドイツにある大きな会社を買収したのです。そのドイツの会社がその前年にリンツにあるとても小さな会社を買収していたのです。オーストリアの工科大学教授が始めたベンチャー企業でワイヤレス関連のアナログ技術で優れた会社だったのですがそこのエンジニアたちが私が扱っていた製品、技術に興味をもってくれたとかで“呼んでくれました”。

大陸ヨーロッパはそれ以前はイタリアを家族と2週間ほど旅行したことがあるだけでほぼ初めてだったのです。それまではヨーロッパと言えばUKでしたが、口悪い人に言わせるとUKはUSAの第51州(英語を話すし、政策もUSAよりですからね)だとかどうとか。。。私はUKはとても好きですよ。QEIIの大ファンです。まあUKと大陸ヨーロッパでは道路も含め違いますからね(右側か、左側かなど。。。)。

ドイツから陸路、著名なドイツのアウトバーンを”ビュンビュン”と。実際はレンタカーなのでビュンビュン追い抜かれる一方でしたがね。とにかくビュンビュン抜かれました。ビデオ等で見たことはありましたが実際にあんなふうにどんどん抜かされるのを体験すると自分も”いつかやってみたい”と思うようになります。あれ以来私はAudiが欲しいのですが未だに実現していない。。。 アウトバーンはオーストリアに続きますがオーストリアに入ったら制限速度はあります。この建物が確か国境の場所だったはず。 EUですからひとたび域内に入るともう国境でのパスポートチェックなどはないのですが確かここで一休みしたはずです。

国境

リンツはドナウ川が流れています。河沿いのカフェで遅めの昼食を取りました。残念ながら古いIPHONEなので映像があまり美しくないです。とても残念。このあたりではドナウ川の川幅も狭く流れはかなり急だったと記憶しています。

ドナウ川

たった一泊。出張の途中というのは特に時間の融通が利かないのです。それでも本来日帰りも可能な(ミュンヘンに戻る)行程を一泊するように現地のセールスが図らってくれた。旧市街地はとてもきれいでした。夏場だったので広場を囲んでカフェとレストランが沢山ありました。ヨーロッパはトロリー(路面電車)が多く走っています。リンツでも路面電車を見かけました。私は京都近郊出身で私が大学生になるころまでは京都も沢山路面電車が走っていたので路面電車大好きなのです。

暗いですが旧市街の広場。
暗いですが路面電車。見えるかな?線路は見えますね。

早朝丘に登ってみました。確か朝5時ごろ起床。朝食までの2時間だけが”自由時間”になるのでとにかく歩き回りました。旧市街をどんどん抜けると大きな公園があるとマップには出ていたのですがそこまで行くと朝食のミーティングに間に合わずドナウ川沿いにある丘に登るのがやっとでした。旧市街をあるくと長い歴史の間に蓄積した富を感じることができます。店は夕方早く全部閉まってしまいます。広場でピザとビールの夕食をとる前に少しぶらぶらしましたがもうその界隈(ショッピング界隈)は閑散としていました。とても静かになります。

丘なら臨む

この日の仕事場はリンツの新市街。モダンな街になっています。歴史的な趣はほとんどありません。どこにでもあるような光景。エンジニアはもう世界中どこにいってもジーンズにTシャツ。スニーカー。若い。 あ~ テッキーだね、とすぐにわかる容姿です。エンジニア同志の会話というのは世界中どこに行ってもあまり変わりません。家族曰く、エンジニア語でもあるんじゃない?と。確かにありますね。お陰でどこに行ってもあまり違和感を感じなくて済むのかも知れない。エンジニアという狭い範囲では、地域性はあっても従事していること、教育、興味(仕事上の)などに共通性がありますからね。それがたとえリンツのようなところであっても。

もっとぶらぶらしたかったです。いずれまた戻るでしょう、自分のスケジュールで。

Mapで見るとLinzはこんなところに位置します。ミュンヘンプラハウイーン、そしてBrno仕事で全て行きました。リンツはこの三角の中にあるんですね。

私はこの橋のそばにある小さなホテルに宿泊した。今でいうブティックホテルのようなこじんまりとしたでもとてもモダンなホテルでした。

PRAHA Part 2

東欧のプラハやブタペストにあこがれ(行ってみたい)と思っていたのは別に深い理由はなく単に昔見たタイトルも忘れた映画にこれらの街並みが出てきたからです。だたそれだけの理由なのですがどこかに行きたいってそんなことが理由なことが多いのではないでしょうか?

Brnoは大学町でこじんまりとしていたのですがそれでもチェコ第2の都市。プラハはおそらくそのBrnoと比べ10倍は大きいのでは?と思うほどに大きな都市でした(実際にどのくらいの差があるか調べていません)。Brnoでは一度日本のお客さんを招いてミーティングをしたのですがプラハ経由で日本からやってきたそうです。プラハに来たかったからBrnoでミーティングをしたのではないか?と思う程に楽なミーティングでしたよ。出張は会社の費用で行ける海外旅行と考えると出張も楽しくなりますよ。ちなみに学会(コンファレンス)は参加者を増やすためだと思いますがスペイン、ギリシャだといったところでの開催が多いです。特に大学の教授が沢山参加する学会はリゾート地が多いように思います。私は顧客ばかり回っていましたがマーケティングにはCESをはじめとしたトレードショウを扱う人員もいました。こういったイベントはバルセロナ、ロンドン、アムステルダムなど人々が行ってみたい地での開催が多いように思います。そういったイベントはみなが行きたがるので抽選になります。残念ながら上の人も行きたがるのでこれまでCES(ラスベガス)以外いけた経験がありません。

さてパート1に続いてプラハ パート2。IPHONEで撮った写真を添付して終わり。

並木道はプラハ一の高級ショッピング街。たしかに高級ブティックが並んでいましたがお客と思われるのはほとんど全てアジア(中国?)からか。 若い北欧からきていると思われる学生たちは誰一人として歩いておりませんでした。
昔は王国だった。
パブ。 何らかの形で由緒あるはず。由来は忘れましたが写真にしていた。

北京 Part 1

日本語で ペキンという。中国語(普通語)ではBeijingという発音になります。中国語は一つの字に通常一つの音です。京はJingと言う音になるのでペキンというよりBeijingが”おと”としては中国語になりますね。北京に住む私の友人は以前ペキンというのは台湾人が北京のことをそう発音すると言っていました。でも私には台湾にも沢山友人がいますが皆Beijingと発音していたので”おかしいなあ”と思っています。ちなみに北京にある首都国際空港はPEKだったと思います。ペキンからきているのでしょうか? 

中国で一番行ったところは上海ですがこの数年は北京に行く機会の方が増えていました。さすがに中国の首都、研究、企業助成金などは上海よりも北京の方が豊富なんだそうです。中国は発表されるデータだけを見ていると全容は計り知れません。実態(経験)では北京とその近郊の方が新しい企業はより多くあるように思います。中国ではほとんど珍しくありませんが兄弟で始めたという企業も多いのです。兄がハードウエアを担当するなら弟はソフトウエアだとか、兄は経営、弟はエンジニアリングと言ったようにです。北京ではそんな会社を沢山訪問しました。皆若い、30代が多かった。こんな場合どこに行っても私が一番年配になるのです。そうすると私に対する接し方が違います。こちらはベンダー側(サービスや製品を売りに行っている側)なのですが“老師”、”先生”扱いされるのです。彼らは私の経歴に興味をもち色々と質問します。アジアに来れば年齢はバレバレです。見ればたちまち年齢を見抜かれてしまいます。過去の質問をしつつこちらの信用度を調べているのではないかと疑うくらいですが、その後は”老師”扱い。まるで”教えを乞う”ような感じでしょうか?色々と教えますがほとんど私の会社とは関係がないようなことが多かった。売るためならなんでもする、と日頃言ってあるので現地のセールスも相手の調子に合わせていますし”何をしに行ったんだろう?”となる場合もありました。そんな場合得てして次の日に再訪問となりました(やっと仕事の話に)。ですから時間のやりくりが大変なのです。相手は夜中遅くでも朝早くでも全然問題ないのですが私の身体がもたない。以前にも書きましたが”なんでも学んでやろう”という精神はいまだに非常に旺盛です。”必ず次北京に来るときも寄ってください”と相手からお願いされる。しかもわが社の製品を採用しなかったにも関わらずどこから聞いたのか、”来ている”ことがばれると平気でWechatで連絡をしてきます。この辺りの事情、日本では決して考えられないですね。競合相手の製品を選んだ(金額面の場合もありますが得てして人間関係がその理由)。それと“会って話をする”は別事象なのですね。日本的に考えると不思議かもしれないですが不思議ではない。しかしながら”老師”を大切にしてはくれるので悪くはないですよ。これまで尊敬されたのは中国と台湾だけですから。台湾でもいつも大切にされました。歳をとりましたね。

北京は冬寒い。北京郊外にHuaweiの大きなオフィスがあるんです。市内からとても遠いところです。巨大なキャンパスです。そのすぐ横に大きな池(小さな湖か?)があるのですが真冬は凍り付いています。Huaweiは昼食後”お昼寝”の時間になります。大体30分くらいだったと思いますがオフィスを暗くして従業員はみな静かにしています。実際に眠っている人も多いのですが私は一度顧客のグループとその時間に外を散歩しました。冬の凍てつく寒さの中で。彼らは準備よろしく帽子や手袋をしていましたがこちらはジャケットだけ。散歩が終わるころには吐息で顔に霜まで着いていました。”今度来るときは帽子と手袋を忘れずに”とアドバイスを受けましたが”もう冬には来るもんか”と思いました。でも夏に行って今度はあまりに暑くて”冬の方がまだまし”と思いましたけれど。なんでこんなところに首都があるのか?といぶかるわけですが私の友人曰く、”今更首都移転は大 中国をもってしても不可能だ”とのこと。友人は北京出身。

北京はリング道路(環状線)が走っています。内側ほど不動産は高くなります。ちょうど東京でいうところの山手線内側、環状7号線。。。。といった塩梅ですね。私の友人たちは代々の北京住人が多くその山手線内側に住んでいるのです。東京で言えばもうそれだけでミリオネアなのですが彼ら曰一軒しか所有してないから貧乏だと。それに所有と言っても日本人の考える所有とはわけが違うようです(社会主義国家ですから)。確かにその家を売っても郊外に出る以外ないですからね。上海人同様3軒持っていればそれだけで悠遊と暮らせるそうです。2軒貸して1軒に自分たち家族が住むのですね。

北京は観光できる場所が沢山あります。 故宮、天安門広場、万里の長城。。。などなど。古の皇帝たちの庭園も沢山あります。出張で行っているだけですから時間は限られるのですがこれらの場所、”手ぶら(でもパスポートは持参)”で見て回りました。手ぶらだとセキュリティーポイントを早く通り抜けることができるのです。 以下に写真をいくつか添付します。

天安門広場から故宮を望む。私の友人の中国人で今カリフォルニアに在住する者の多くはあの事件以来北京を離れた。
故宮の横にある公園。
丘から故宮を望む
北京の友人との夕食。羊のしっぽの料理だそうです。
北京? 宿泊したホテルのロビー。クリスマスもサンタもイルミネーションもある。

PRAHA (Prague) Part 1

プラハ (PRAHAとチェコ語では書きますが英語になるとPRAGUEになる)。私はずっと以前から東欧の町、とりわけプラハとブタペストを訪れたいと思っていたのです。以前に書きましたが一年ほどチェコにある会社のコンサルタントをした関係でプラハに行くことができたのです。一つ目標を達成した気分です。

出張のついでだったので短い滞在でしたからほとんど寝る間を惜しむように町を徘徊しました。会社のあるBrnoから電車で3時間、一等車に乗ると車掌が食事(別料金)を伺いにやってきます。電車はゆっくりと田舎をずっと走りますが突然都会が見えてくるとそこがプラハです。プラハはヨーロッパでも人気ある観光地です。物価が安いんですね。EUのメンバーですがチェコはEUROではなく自国通貨を維持していますがアメリカドル、ユーロとの交換レートで考えるととても格安に感じました。ちょうど夏場だったのでそれこそ観光客でごった返しておりました。特に若い人に人気があるようで大学生らしい人たちで溢れていました。

川が流れる町は美しく感じますし発達していますね。昔、川は重要な交通手段でした。ロンドン、ボストン、ポートランド(オレゴン州)、パリ(行ったことはないのですが。。。)、ウイーン、リンツ、ニューヨーク、皆、河がありますね。そうそう、東京も、大阪も京都も川が流れています。プラハも町を川が流れていて橋を通して市街地と王宮のある丘をつないでいます。橋は観光の名所で沢山の人が出ていました。私は川の流れる町が好きです。残念ながら私の住むシリコンバレーには川はないのです。

プラハ旧市街。
市街を見下ろす
シナゴーグ
広場(夜)
残念ながら古いIPHONEだったのできれいに撮れていませんが川の袂からみた王宮。ライトアップされてとてもきれいでした。

町は旧市街が観光の中心になります。以下にいくつか写真を添えておきます。川を渡って丘に向かうと旧王宮がそびえたっていますがとても広い。王宮は中を見て回るだけでも半日はかかるのではと思います。ツアーもあるのですが私は一人で見て回りました。王宮の丘からダウンタウンを見下ろしてもとてもきれいです。王宮の写真をいくつか載せます。聞いたところではヨーロッパでも有数の大きな規模で中には大きな教会を含め王宮で働いていたであろう人々が暮らした町のような一角もありました。

王宮内
王宮からプラハ市街を見下ろす
王宮(パノラマ)

新市街地(?)に至る所には大きな通りとその先に美術館がありましたが行ったときはその大通りで”PRIDE”の集まりが催されていました。チェコでPRIDEに出会うとはおもいませんでした。 PRIDEというとサンフランシスコとバンクーバーがよく知られているのです。その新市街地を歩いていくとカフカの像(動きます)のある一角にでます。カフカをご存じですか?“変身”とたしか日本語訳ではなっていると思いますがある日”虫”になってしまった人を描写した著書で知られるチェコの作家です。大学の何かの講義で出てきて読んだことがありますがチェコが誇る作家なのですね。

カフカ像
カフカミュージアム

旧市街を歩いていると古い建物がとても多くありますがそれに交じるように飲食店、土産物(ボヘミヤン ガラスやチョコなど)そしてなぜだかタイ式のマッサージのお店が沢山ありましたよ。チェコはベトナム系チェコ人がとても多いのですがタイ式のマッサージには驚きました。

土産物屋のショーウィンドウ
宿泊したホテル。中央駅のすぐそばにあった。

プラハでは半日のガイドツアーをしましたが、たまたまなのですが私一人だけでツアーガイドと二人だけになったので気ままなツアーができてよかった。おかげで色々ときくことができツアーでもなければ知ることがないようなところにも連れて行ってもらえました。Jewishのシナゴーグ(中には入れませんが)、バドワイザー(本家本物。アメリカのバドワイザーとは全くことなるとても美味しいビール)発祥のパブ(?)、カフカのかかわった家、などを見て回りました。案内の女性はとても親切で5か国語を話せると言っておりました(チェコ語、ドイツ語、英語、スペイン語とチェコ語にとっては方言のようなスロバキア語)。ヨーロッパでは3か国語わかる人はあまり珍しくはないないですが5か国語というのはさすがに驚きました。色々な国の言葉がわかると旅行はとても楽しくなりますから私はツアー中ずいぶんとチェコ語も習いました。使う機会は限りなくゼロですが全く新しい言葉なので興味はあります。

ホテルはプラハ駅すぐそばに取りました。マリオット系列のホテルで少し高かったのですが、上司がこれまでの殺人的な出張(ほど3週間に一度海外に出ていた)をねぎらうため?特別に許可がでました。部屋の写真を撮っておくのだったと思うほどに良い部屋で男一人にはもったいないホテルでした。

観光客で一番多そうだったのは北欧からの学生だと思います。ちょうど夏で学校は休みだし、プラハだとパリ、ロンドンより少ない予算で長く滞在できますからね。アジアからはここでもやはり中国からの観光客が一番多かったと思います。日本語はほどんど耳にしなかったです。目にもしなかった。観光客の使うお金は大切な収入ですから中国人観光客が増えたら中国語の表示は当然増えていきますね。私世代の日本人の知人に言わせると”もう観光は終わった”とのことですが、私世代の話であって若い人はこれからのはず。言葉がわからなくったって何とかなるし町を歩くだけでも色々と発見もあります。このブログが”旅ブログ”になるほど有益になることはないのですが一度も海外に出たことがない、というのであればどこかに行ってみるのはどうでしょう? プラハをその最初にと薦めるわけではないですが(言葉を考えると英語圏の方が良いかな?)中規模の町であるプラハは歩きやすいですよ。 ロンドンなど、何度も行ってますが東京と同じで大きくて数日の滞在ではほんの少しだけになりますがプラハクラスの都市だと数日あれば全容を見て回れそうです。 私は一日半しか居なかったのですが(次の目的地がある出張の途中だったので)。

パート2に続く。

成都

日本語と中国語で発音がずいぶんことなる町です。中国語だと大体のところ”チェン デュ”と言った音でしょうか? 中国語は一つの漢字に一つの音が基本ですから一度日本人が知っている漢字の音を知れば書いてある中国語はだんだんと発音できるようになります。中国語の難しさは5つの基本的なイントネーション(上がる、下がる、下がって上がるなど)があることですね。それによって意味がずいぶんと変わってくるのです。でもね、中国人の友人に聞いたら話しているときは少しくらい外れてもコンテキストで理解できることも多いそうです、もっとも似たようなコンテキストだと誤って理解されるのでやはり音をしっかり覚えるに越したことはないです。

ここは四川省の都で上海から随分と西になります。パンダでとても有名でこんなYOUTUBEが人気です。https://www.youtube.com/watch?v=izxkKkG3kzI。残念ながら私は行くことができなかった。私の上司は行ったのですよ!彼は現地のセールスにパンダを見に行けるスケジュールを作ってもらったとかで。。。こちらは地獄のような中国スケジュールをこなしているなか、悠遊なスケジュールを組んでいたんですね(彼とは現地で会いましたが私は北京で顧客訪問がありましたが彼はそれがなかった。。。技術ミーティングは私一人のことが多かったのです)。そのセールス、今度はそんなスケジュールを作るから”と言っておりましたが退職(彼女が先に辞めた)でお流れ、そのうち私も辞めたのでもうチャンスはないかな?

成都まで旅行で行くことはあまりないのでは?と思います。パンダが好きでパンダを見る旅をしているのでしたら行くのかなと思いますがそうでもなければ中国の歴史を勉強しているとかを除くと少数ではないかと思います。歴史で言えばここは三国志の諸葛孔明などでも知られた地域で中国国内では観光地の一つになっているそうです。

はるばるこんなところまで行ったのはここにもハイテク企業団地が出来てきているからです。最近何かと話題はHuaweiも大きな施設を持っています。何事も巨大な中国でのこと、施設はやはり巨大です。道路整備もされていますがその道路からして幅広(ずいぶんと立ち退きさせたに決まっていますがね)。

以前も書きましたが上海、北京は”高い”んです。物価が高いのとそれに比例するように賃金が高い。それもありこういった省の大きな都市にテクノロジー地域を作りそこに移転するということをどんどんやってます。成都はそんなひとつです。実際若手エンジニアと会いましたが彼らの多くは元々成都エリアで育ち学校を卒業して上海、北京エリアで働いていたが戻ってきたと言ってました。物価が安く家(アパート)を持つことができるからだそうです。あと共働きが基本の中国では両親に子供を見てもらう(孫の世話)も大きな要因です。カップルの一人が上海出身ならともかく、でもなければ地元に戻るのは色々と良い面もあるそうですよ。家は確かに上海界隈だと東京とさほど変わらない値段しますから若いエンジニアには高値の花になりつつあります。

日本は更なる一極集中(東京)が進んでいますね。大阪と東京を比較しても大阪では電車で座ることができますが東京は始発でもない限り難しい。。。人口比と言うか、圏内での人の移動も東京圏と’大阪、名古屋圏ではずいぶんと違う。東京圏は奥多摩あたりまで行けば違うのでしょうがそうでなければ人が移動しています。つまり経済活動があるということですね。知られているかどうか、カリフォルニアの経済力(GDP)はUKに匹敵します(つまり世界5位くらい)。東京は大体15位です(関東圏だと10位以内に入ります)。東京だけで大阪と愛知よりまだ多い(大体大阪、愛知の3倍あります)。中国も一極集中はあるものの、巨大人口を抱える国なこと人口一千万クラスの都市がそれこそ沢山あります(成都はそこまで大きくない)。そんな都市にどんどんテクノロジーセンターをつくっているのです。北京近郊の天津にはスーパーコンピュータの施設があります。実はそこも顧客だったので行ったことがありますがその周りにそれこそ沢山の企業、官の企業に交じってベンチャーが軒を並べていました。似たような会社がごろごろと言うのが中国の特徴です。誰が競争に勝つか、ですね。 

日本は人口を考えてもさらに一極集中が進むと思いますが中国、そしてアメリカもですがこれからはより広がっていくと思います。 アメリカでは以前に書いたAustin,を筆頭に数々の地にテクノロジーセンターが広がってる。中国はそれこそ竹の子のように。 

まだ拡大(人口も含め)している国同士の争い(米中)が激しくなっていますが拡大が続く限りその争い(競争だったらいいんですが最近は政治もからみ争いになっている)続くでしょうね。

さてそんな成都ですが、四川なので“辛い”料理がメインですが美味しいですよ。以前も少し写真を添えましたが以下に夕食時にぶらぶらしたエリアの写真を添付します。成都までくるとお昼も時間をかけて食する人も多いようで私たちも昼食に2時間はかけました。上海ではほとんど食べないか、食べても15分(大抵ヌードル)だったことを思うと時間が”中国悠久の流れ”だ、と思ったことを思いだします。四川省にはYOUTUBERとしてととても知られた人もいます。私も好きで彼女のビデオだけはSubscribeしています。映像は田舎部ですが自然が豊富なことがわかります。中国悠久の流れ、上海にいると感じることはなかったですが成都あたりまで出向くとまだまだ時間がゆっくりとしているように思います(でもいつまでだろう?)。

昼食。2時間はいた(もっとだったかも)。とにかくゆっくりでした。
食べるところばっかりでした。
辛い

San Diego

Austin と並んでよく行きました。San Diegoへの出張は基本的に日帰りです。飛行機でわずか70分ですからね。ただスケジュールはきつかった。朝4時ごろには起床。フライトは大体7時前のに乗ります。とても混んでいるのですよ、それでも。満席。サウスウエストを使いましたがここは普通のチケットだとチェックインの時間で搭乗の順序が決まるのです。A,B,CとあるのですがAの60くらいまでになると好みの席は確保できます(座席は指定されていません)。24時間前にチェックイン(オンライン)がオープンするので皆アプリをインストールして時間がきたらチェックイン。でもついつい忘れる。そこで何回かに一度はちょっとだけ高いチケットを買ってました。この場合A15までは確定(いつチェックインしても大体A15ぐらいでした)。7時半ごろにはサンディエゴ空港につきます。現地にセールスがいるので待ち合わせは最初に行く顧客オフィス近くのスターバックスと決まっていました。そこまでタクシーで向かいますがちょうどラッシュアワーですから少なくとも60分は見ておく必要があるのです。スターバックスでやっと朝の食事をして9時にはもう最初のMeeting。日帰りなので帰りは大体6時ごろの便でした。サウスウエストを使ったことがある人はご存じだと思いますがここはとにかくよく飛行機が遅れます。短い区間をいくつも経由してくるからなんですが当初予定していたフライトの次のフライトが先に到着することだってあります。そんな場合ゲートで席に空きがある限り変更してくれますが私はどのフライトが遅れがちかとか知っていたので遅れる確率の高いスケジュールのフライトは基本的に避けていました。ビジネス客はそういったことを経験で知っているのです。そこまで事前チェックするようになれば、このブログを読んでいるあなたも立派なビジネスマン、ビジネスウーマン!空港でずっと待っていることほどつまらないことはないですからね。

San DiegoでのMeetingは早めに始めて終わりも早め、3時までMeetingをしたことはほとんどありません。なぜか? 早めに終えてそれからいつもビーチ沿いにあるポセイドンというバー、グリルで遅めの昼食をしたからです。北カリフォルニアは水温が冷たく泳ぐのはな~となりますが南は暖か(だそうです)。だからでしょうか?ビーチには水着姿を沢山みかけますしビーチ沿いのバーですからそんな客が多い。同僚(独身の男性)はそのポセイドンをとても気に入っていましたが理由はおっさしができるでしょう。

サンディエゴは有名なところでは世界的に著名な動物園(とにかく広い)、シーワルド、レゴランド(ちょっと離れていますが)、サハリといったアトラクション、そしてトム クルーズのトップガンで一躍名を知られましたが合衆国海軍の大きな基地がある州で2番目に大きな都市です。メキシコ国境まですぐ。アトラクションの多いところなので休暇で3度は行ったと思います。車で行くのですがLA辺りで一泊して2日かけて行くのが普通かな?若い人は一日で着くのでしょうけれどLAから南は交通渋滞がひどく体力がないと一日でというのはきついと思います。

サファリ

ここはQualcommを筆頭に半導体関連の会社も多いのです。Qualcommは20年以上前に働くチャンスがありましたが引っ越しが必要で行きませんでした。その後シリコンバレーにもオフィスを開きましたからあの時働くのでしたかね? そうすれば今頃はもうハワイのビーチでのんびり。。。なのですが。。。 とこんなことをいうとそんなのばかりです。ボストンにいたころIntelのインタビューを受けましたがアリゾナ勤務でのオファーになった(チームがアリゾナに集約されることになったとかで。。。)、やっぱりアリゾナはなあと行かなかったのですが行っていればやはり今頃はハワイのビーチです。そんなのばかりですがその時その道を選択しなかったのだから悔やんだことはありません (おっと嘘になるかな?ベンチャー企業でなんどもサラリーカットになった時、一度悔やんだかな)。

日本からの直行便が今は出ているはず。就航したり辞めたりと何度かあったはずです。LAから車で行けるのと日系企業が沢山あるわけはないので需要が不安定だったのかな?よくはわかりませんが日系スーパーも沢山あるから日本人も多く在住しているはずです。基地の町でもありますからね(海軍とMarine)。

ちょっと外れるとラホヤという町に出ますがここはハリウッドの映画俳優が避暑地としていた(いる)町としても有名です。それがためでしょうか? フェラーリのディーラーがあったりしますよ。高級車の店も多い。もう少しはなれてカールスバッドにまで出るとレゴランドがあります。 

旅ブログではないのでサンディエゴについて詳しくは旅ブログを見てくださいね。

じゃあ、何書くねん? ですが、ここサンディエゴは基地もあるからでしょうか?シリコンバレーがソフトウエア、シリコン(半導体)が主だった(今はずいぶん様変わりですが)のに対してワイヤレス(無線系の通信)に関するテクノロジーの企業が多いところです。Qualcommがその代表になりますがベンチャーも含めるとほんとうに沢山ありますよ。シリコンバレーのように大きな会社、例えばQualcommでずっと開発をしてきたエンジニアたちがベンチャー企業を起こす、それをまた大きな会社が買収する(いや、当初は投資も)というリサイクル・サイクルを繰り返すのです。そんなサイクルでテクノロジービジネスは成り立っていると言えるでしょうか。例えていうならSONYでやってきたエンジニアたちが会社を創立。その会社を東芝が買収(ソニーでも良いんですが)する。 こんな構図ですね。ずっとその企業でやっていくエンジニア(マネージャ)もいればベンチャーを興す人もいる。私がサンディエゴで行っていたのはQualcommはもちろんありますがそういったベンチャーが多かった。何社も訪れていますから”成功するか、しないか”は大体最初の2度目くらいのミーティングで分かりました。成功するかしないか、アイデアはもちろんですがエンジニアの質とそのアイデアのタイミングです。タイミングはとても大切で私などから見ても”へ?”と思うようなアイデアでもタイミング次第でビジネスになりすからね。このタイミングを見極めることが一番大切なんだろうと思います。あとはどんなアイデアかを私のようなエンジニアリングに携わる者が理解できないようなアイデアは成功しないように思います。なぜならそのアイデアを売り込むにしてもまずその話を聞くのは同じエンジニアなことが多いからです。ベンチャー投資家は技術的なことよくわかっている人もいますし。もっともよくわからないで”有名な人”が軒を連ねていたらとりあえず投資、いまの流行だからとりあえず投資みたいなこともあります。 今そういったので言えばAIでしょうね。いくつもの会社行きましたが60年代、70年代が旬だったような有名な人が絡んでいるだけで大きな資金を得ているような会社にいくつも出会いました。最初のミーティングで”何がしたいのか”さっぱりわからなかった会社もありますがそんな会社はもう今は存続しません。少なくとも同じ領域に携わるエンジニアが理解できないというのはそれがとんでもなく漸進なのか、ガラクタなのかのどちらかなことが多い。 ただ、エンジニアの中には説明がものすごく下手な人もいます。ちなみに私はとても上手だと思います(自己自慢)。そんな場合、成功するためには説明ができるエンジニアをチームに入れることだ思います。説明ができないがとんでもなくすごいエンジニアは設計に専念させる。ただね、説明が上手なだけじゃだめですよ、もちろん。

軍の町ですからこんな景色も。トップガンの映画で知られますがコロナドには海軍の特殊部隊の訓練所があることでもしられます。これも映画になってますよ。軍というと何か恐ろしいようなイメージを持つかもしれませんが、私がみるところ現在のアメリカの指導者の中では軍人(将軍、現役と退役)が一番まとも、いや尊敬できる人物が多いように思います。それだけいわゆるシビリアンに人材がいない(その最悪の例が今のホワイトハウスの主。不動産とテレビのリアリティショウをやってきて金儲と女性だけを追いかけていたような人物にリードさせようと選んだ国民に全責任はあります)。軍は外部から人材を連れてくるのではなく徹底的に内部で人材育成することで知られます。元国務大臣のパウエル将軍を挙げる間もなく人材が豊富です。政治には基本的にかかわらないのが軍人ですから政治的に中立なことが多いですが(そうならないキャリアを積んだ方もいますが、パウエル将軍のように)、ここでれいとして挙げるようなスピーチをできるのは今や軍関係者しかいないのかと思うと残念です。 以下YOUTUBEのリンクを付けますがどちらも素晴らしいスピーチです。https://www.youtube.com/watch?v=pxBQLFLei70   UTでのスピーチです。これを見た後ですぐに著書を買って読みました。若い人にとくにお薦めです。著書はまだ日本語訳がでていませんがスピーチの内容を基に書かれたものです。 もう一つはhttps://www.youtube.com/watch?v=mU0RfhvYN8s。コロラドスプリングスにある空軍の士官学校でのスピーチです。軍がいかにヘイトスピーチにたいして迅速に行動しているかを垣間見ることができます。こんなスピーチを指導者はするんです。退役された将軍や軍指導者の著書を読むといかに軍が人材育成、チームワーク(戦場に行ったら自分の命を預けるわけですからある意味本当に真剣)等についてトレーニングと教育をしていることがわかります。 

海軍の町。艦船のそばまで行けるのがアメリカ
コロナドビーチ。サンディエゴそばのまち。橋を渡って太平洋側にでます。

こんな書籍を軍の元将校が書いていることが多いです。原著(英語)で読みましたがおそらく日本語訳は原著に充実だろうと思います。リーダーシップの本だとか若い時にどんなことをすると良いのかなどで悩むようなときこういった実務で鍛えられた方の書かれた書籍はいわゆるコンサルタント会社(例えばマッキンゼーなど)でコンサルタントをされてきただけの方の書籍より面白くかつためになると思います。コンサルタントって、責任はないのです。責任ないのでなんでも書けるのですが理想的過ぎたり、実務に使えないような提案だったりで知識として参考にはなるけれど。。。といったケースが多かったりします。その点、将校は全責任を負っていますから迫力がちがうのをよく発見します。 アマゾンのリンク https://www.amazon.co.jp/米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方-L・デビッド・マルケ/dp/4492045325/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=turn+ship+around&qid=1597434228&sr=8-3

ウイーン

日本人はウイーンという。英語ではビエナですね。日本語はできるだけ現地語の町名で示しますが英語はそうしない例が多々あります。例えば プラハ。英語ではPrague (プラハではない)、 イタリアの町はもっとそういった例が多いですね。フィレンツェはフローレンスになりすし。ドイツ(大体ドイツというのはドイツ語からきていますね、英語ではGermanyだ)にもそんな町名があります。 

さてそのウイーン。チェコのBrnoという町に行くにはUSAからだとウイーン経由でタクシーと言うのが一番行きやすいのです。車で90分ほどになります。首都プラハからだと電車で3時間もかかります。車でも2時間ちょっと。というわけで2度行ったBrnoいずれも行きはウイーン経由でした。夕方着くので到着日をウイーンで過ごしたのでちょっとだけ町を見て回ることができました。出張ってそんなものなのです。まあ、これで独り身であれば前後に休みをとってもう少し見て回ることもできたのでしょうがそんな贅沢もあまりなく。。。 だた短い時間だけの滞在になるので見て回るということに関してはかなり貪欲になります。”足であるく”わけです。でもね、はっきりって全然見て回れなかった。。。 今度は出張でなくやってこようともうBrnoには戻らないであろうと分かっていた2度目のウイーンで私の行きたいところリストに入れておきました。

町は帝国時代の中心だったこともあり非常に裕福です。オーストリア人は基本的に裕福だと言います。人口の少ない西欧(東欧ではなく)は基本裕福ですがオーストリアも人口少ないですからね。以前、オーストリアは観光と銀行だけの国ではないと書きましたがそうはいっても観光と銀行(金融)は大きな比率を占めていると思います。観光客であふれていました。ANAが成田からの直帰便を出すというので至る所でその宣伝ポスターを見かけました。これまでなかったのかな? 

私はUSAから行くときはオーストリア航空を使っていました。LA経由になるので不便なのですが、この航空会社スターアライアンスのメンバーなのです。オーストリアにビジネスで行く人はやはり少ないのでしょうか、スターアライアンス Goldメンバーはほとんどいない(Unitedを使っていますがUnitedだとごろごろいます)。というわけで、いつも席がビジネスクラスにアップグレードできていたのです(航空会社の計らい)。オーストリア航空のビジネスクラスはシェフが搭乗していてステーキなどを機内で調理します。JAL、ANA、ビジネスクラスの食事とてもいいですがシェフの搭乗はなかったので私はオーストリア航空だけでの経験になりますが好みのステーキに感動します。それとフライトアテンダントはめっぽう親切で丁寧です。ヨーロッパの航空会社BAなど乗ったことがありますがオーストリア航空は私の経験でいうならとても良い(もっとも2度ともビジネスクラスになったためかな?)。

ヨーロッパの町は中心部(旧市街地)は石畳で道も古い、したがって幅細く曲がりくねっていることが多いですがウイーンも御多分にもれずそんなたたずまいです。教会が例によって中心部にあるのも同様。映画のシーンにもよく出てきますね。ただ映画等だと個々のお店などは映し出されないのでやはり自分で歩いてみるしか本当の雰囲気、場はわからないと思います。昨今のコロナウイルスのさなか、バーチャルなトラベル、VR (バーチャルリアリティ)を用いたトラベルというのが一部話題になりますがバーチャルなトラベル、私にはピンときません。YTUBEなどでもきれいな映像やYTUBERの映像を見ることもありますが、自分で見たのとは全然違う、という印象だけでした。例えば高級ブティックに並んでチョコレートのお店も沢山ありました。どこのヨーロッパにもある光景ですが映画のシーンで見たことは皆無だといえるでしょうか? ちなみにお土産にチョコを買ったのでいくつかお店に入りましたがアジア人だけ、と言えるようなお店もあれば全くいないお店もありました。皆情報を得て行っているのでしょうけれど、情報は見ておくが現地を自分で歩くということも楽しいですよ。私はオーストリアでしたが美味しいスイチョコの店を見つけて入りました(アジア人観光客はいなかった)。ちなみに片頭痛があるので私自身はチョコを食べません。もらったとしても(だれがくれるのかな?)、ずっと飾っておくことになるでしょう。チョコを最後に食べたのは片頭痛だと診断される前だからもう7年は経っていますよ。

夕食は観光客の入りそうにないようなレストランで食事をしました。中は私の3人組を除いてみなオーストリア人とおぼしき人たちでしたが活気はありました。一緒に行ったグループはいくらでもお酒が飲めるのでどんどん飲んでおりましたがウイーンは”高い”のです。ちょっと伸ばしてチェコに入ってしまえばビールはもう水のような値段で買えるのです。ほとんどのところで英語が通じたのでなんとかなりました。こういった場合、やはり英語が一番通じる確率があるのはわかります(もちろんドイツ語使えるともって良いです)。

全然紹介になっていませんね。私は自分で経験することを薦めています。あまり情報を持たないでいるほうが良いと思います。現地にやってきてからでも情報は入りますから。ただ、情報ではなく”教養”としてオーストリアならオーストリア、ウイーンなどについてあらかじめ知っておくと現地でツアーなどに入った時にとても役立ちます。なんとなくそうするとわかってくるのです、それが初めての土地でも。

ウイーンはこれまでいくつか写真を添付しているので新しい写真を添付しておきます。私は若いうちはとにかく外にでることを、30過ぎて初めて日本国外にでた遅咲きのトラベラーとして経験から薦めます。内向きになりつつある昨今の世界情勢ですがグローバル化の大きなうねりはコロナウイルスでも逆回転させることはできない、させてなるものか、と思います。

上海

中国について2度ほど書いてきました。今日現在(2020年8月)中国に関して話題になるのはコロナウイルスと中米(トランプVS習のいがみ合い)が巻き起こしている経済的、政治的不安定でしょうか? 政治的なことをブログの対象にはしないと決めているので中立的な立場で純粋にビジネス的な立場でブログに2度ほど書きましたがまだ”都市”をタイトルにしたブログは書いていませんでした。 というわけでこれが最初の中国 都市バージョンのエントリーになります。

中国はビジネスでのみ行った国なので行先は北京、上海、深圳といったメガシティーでかつハイテク産業に力を入れている都市になります。その衛星といっては失礼ですが周りの都市として杭州、天津などへも行っていましたが頻度的には少ない。成都まで出かけたこともありますが例外かな? 香港は空港だけ。深圳に行くのに陸路を使うと香港経由になるのです。

わけても私は上海に一番多くの回数行きました。上海に一番大きな顧客がいたのが理由ですが年少なくとも2度は上海に行っていた。上海の新しい地域である浦東エリアが仕事での主戦場になるのですが開発速度の速さには本当にいつも驚きました。中規模のいわゆるオフィスエリア(オフィスとレストランなどの複合施設)は6か月もすると新しいのが“産まれる”といったスピードで前回行った顧客のオフィスが新しいビジネスエリアに引っ越しているというのはもう普通な出来事でした。オフィスエリアに入ると中国語のスローガンと基本”赤”で装飾する(中国人は赤色を好みますから)のを除くといわゆる西洋的で私の会社の中国オフィスがあったKerry Parkエリアなど、USにいるんじゃないかと錯覚すらします。Kerry Partエリアは特に特別だったかな。地下に下ると中国的もなりますが2階、3階あたりはショッピングエリアも私の住む近所のショッピングモールとあまり雰囲気が変わりません。”中国人が大半だろう?”ですが、私の住む界隈はアジア系住人が人口の40%を占めますから”よく似た”光景なのですよ。 

なので仕事を終えたら浦東にはあまりいないで西側(川の西側)のいわゆる上海に行っていました。仕事は過酷になりがちでしたがさすがに着いた当日は夕方なこともあり仕事がないのでホテルをチェックインしたらすぐにそのエリアに向かっていました。地下鉄網が完備しており便利です。しかも電車料金は格安。というか、どの国の電車料金と比較しても日本の電車料金は異常なくらいに高額だと思います。中国では電車の駅に入るにはカバン検査があります(飛行場と同じく)。あれだけの住人がいますが一人漏らさずチェックするのですから大したものです。上海はまだそれでもましなたぐいで今度北京についても書こうと思いますが北京は首都ということもありチェック体制は何重にもなっていますよ。そんなわけで仕事を離れたら私はカバン等は一切持たないようにしていました。ちなみに中国はいたって安全な国だと思います、都市部しかしりませんが。

河沿いにバンドと呼ばれる一帯があります。 上海が西洋の租借地だった時代に作られた西洋風の荘厳なビルが林立しています。夜になるとライトアップされてとてもきれいです。河沿いは遊歩道になっており、上海住人、観光客で溢れかえっています。遊歩道から浦東側を望めますが対岸は新しいファイナンスエリアになっており銀行関連のビルが林立しているのと新しい上海を示すタワーも見ることができます。何度か歩きましたが歩いているとほぼ決まって中国人観光客に”写真”と取ってほしいと言われました。中国語少しだけならわかるので撮ってあげましたが、難しいリクエストをされるとさっぱりわからず、まだまだ一般会話をするには至っていないなと痛感。 バンドの写真と対岸の写真を添付します。

西側には大きな’ショッピングエリアもあり、まさしく中国です。ひとの数とその喧噪はすごいものがあります。とにかく人、人。 ですが、一歩その大通りから外れると高級ホテルやブティックが並ぶとてもしゃれたエリアになります。そのあたりにあるホテルに今度予約しておくよ、と以前働いていた会社の同僚が言ってくれていたのですが、会社を辞職してしまい達成できなかった。昨年上海で会ったら、”あのホテルに泊してから辞めればよかったのに”と言っておりました。チェコの会社でコンサルタントをしていた時期でそれまではいわゆる”外国人”が宿泊するホテルに滞在していましたが”中国人ビジネス客”が宿泊するホテルに滞在するようになりずいぶんとかってが異なり彼にぼやいたので。。。 今の会社、中国行くとするならコンファレンス出席になりますがあの河沿いのホテル宿泊できるかな~と思ったりします。逃したのは残念。

フレンチクオーターという一角は中国共産党発祥の地としても知られていますが今はとてもおしゃれな一角になっておりショッピングと食事のエリアです。一緒に行った同僚(私の上司になる)と着いた当日はその一角で時間を過ごしたものです。現地の同僚が一緒しますがそこで初めて実際の予定を聞き、作戦会議を開いたものです。難題があっていくことも多かったので飛行機に乗っている間進捗も知っておく必要がありましたから。とは言え、外のテラスでの食事は飛行機疲れをとるには良いところでした。 

上海は大きな町ですが歩くこともできます。地下鉄が至る所にあるので、一駅歩いてみると新しい発見を沢山することができます。ショッピングエリアは至る所にありまあ、もう世界中のありとあらゆるブランドのロゴを見つけます。アップルストアも何店舗のあり、しかもどれも大きい。中国はとにかく何でも”大きく”作りたがる(人口があるから仕方ない?)。大きいことは良いことだ(必要だ)なのです。スターバックスも沢山あります。これだけ米中いがみ合いをしているのに大丈夫かな?と思ったり、政治家はいがみあってるけど中国人は基本的にアメリカや日本のもの(そして私の経験だけでいうとアメリカじん、日本人)好きですから。ニュースだけ見ているのと実際に接してみるのはずいぶん異なると思います。

小さな店がひしめき合っていてとても楽しい中国的なエリアで。地下鉄が大体4元ですから18元というのは高い。。。

有名な公園(有料。中国人の友人曰く、社会主義の国だけど、中国に”無料”という言葉はない。。。とか、とにかく有料なところが多いように思いました)で。怒っているのかな?真っ赤な顔ですね。

NYC


ハイテクエンジニアとNYC? NYCと言うとWall Streetに代表される金融のメッカ、ブロードウェイに代表される娯楽(演劇)の地であり色々な人種、国民が集まった混沌としたところでシリコンバレーとは様相がずいぶん異なる街(地域)で接点はあるのかな?となりますね。 

ボストンに居住していたころ車で3時間ほどもすればNYCに着くので度々とは言えませんが何度か足を運んだ町でした。遊びで行っていたのでもっぱらブロードウェイ界隈の安宿(でも安全な)ところに泊してウロウロしていましたね。30代の前半でしたからお金はないが若かったころですよ。中華街で食べた朝のお粥(2ドル前後だったと思います)はとても美味しかった。目当てとしていたチケットが取れず聞いたこともないショーのチケットを買ってみたらコメディーショウ。ジョークのほとんどがわからず(ニューヨーカーでもないと全くわかりません)、数々の移民、そうギリシャ系移民だとかアイルランド系移民だとかを茶化すようなジョークに周りは大爆笑していましたが全然面白くなかったのもよく覚えています。それでも夕方売れ残りのチケットを捜し歩いたものです。いや、インターネットはまだなかったですからね、自分の足で探すのですが今考えてみるとそれも実は面白く今は便利ですが面白みはなくなりましたかね、たぶん。

そんな時代を経てもう20年以上ぶりで最近NYCに行く機会がありました。今度は仕事で、です。 NYCとシリコン、ソフトウエアに接点はあるのかと思われるでしょうね? 金融の町ですからね。それが、私や私の周りではあるのですよ。 理由はというと証券取引いや株の売買のためです。 HFT、 High Frequency Tradingという言葉聞いたことがあるでしょうか? いまではその取引の99%はコンピュータによるる自動売買だと聞いたことがあるのではないですか? これにはアルゴリズムが重要になるのですが同時に処理時間もとても重要な要素になるのです、実際処理時間が一番重要かもしれない。 処理時間というのはどれだけ速くオーダー(売り買い)が取引所のコンピュータシステムに到達して処理されるか、という生々しいことなのです。単位としてPS (ピコセカンド)を使って話をします。取引所のコンピュータがどこに設置されているかは知られている(秘密もあるようですが)らしく実際そのコンピュータが設置されている建物のすぐそばに彼らたちのサーバーを設置するというのはもうざらです(そうすることで少しでも早く到達できる)。こういったことを書いたとても面白い本があります。光ファイバーを自分たちで設置したりどこをどうやってか取引所のサーバーが設置されているアドレス(建物)の情報を手に入れたりと人間お金がかかわるとどこまででも行くんだなあとあきれるというかかんしんすると言うか。。。

でそのFHTですが自分たちでアルゴリズムを開発しますが(ソフト)それをできるだけに高速に(速く)処理するハードウエアも必要になるのですね。自前でパーソナルコンピュータサーバーを作るのは当たり前でそのサーバーのCPUをできるだけ速いクロックで稼働させるべく液体窒素の容器にCPUボードを入れて冷やしているとかいないとか色々と聞いたことがあります。でもそんな彼らが一番力をいれているのが処理を高速で実行できるハード(FPGAなど)を設計することなのです。実際FPGAエンジニアは需要があります。 お金に上限なしでハードを作るのです。それに対するリターンが大きいからです。 そんな彼ら(ハードウエアとソフトウエアエンジニア)の一日ですが、いったんオフィスに入ると夜までまさしく一歩もオフィスをでません。朝、昼、夜の食事は会社持ち(ケータリング)で屋上などにテラスがありましたがそこでも働いておりました。 シリコンバレーと変わらないやん?と思いましたが一つ違ったことがありました。 トレーダー(といっても結局コンピュータが実施するのですが)が画面とにらめっこしているわけですが負け始める(つまりそのトレードオーダーが受付らなかった)が何度か続くと”怒りの電話”がやってくるのだそうです。負けた、イコール損失ですからね、お金が仕事に直接にしかも頻繁にかかわってくるエンジニアの仕事はこのHFTを除いてないでしょうね。

結局ビジネスには結び付きませんでしたがエンジニアとして働かないか?という誘いは受けました。リモートで働くのは不可能でNYCにリロケーションするのが条件。NYCはエキサイティングな街で単身でも行きたいような街ですが諸般考えるとやはり歳をとったのでしょうね、誘いには乗りませんでした。詳しくは教えてくれなかったですが私が当時もらっていた年収の3~5倍のオファー(ボーナス含む)は出せるとか言ってましたね。当時の私の年収は日本だと大会社の部長級以上だと聞いたことがありますから大体その3~5倍がどれほどなのか想像できるのではないでしょうか? でもね、リスクも大きいですよ。負け続けるようなシステムを作っていたらすぐ解雇されそうだしね。トレーダーはどこの国でもそうだと聞きましたが無慈悲だそうです。

そんなこんなですがNYCは東京やロンドン同等に人を引き付ける魅力はいつまでもあるのではないでしょうか? 日本からかなり遠いですが一度行ってみるだけの価値はあると思います。

NYCの観光とかについては沢山ブログや書物もでていますし出張だけで行ってる私の経験は極々少量ですがHFTの現場に行ったという人は少ないのではないでしょうか?

写真にはそのオフィスの屋上からの景色も載せておきます。Wall Streetにまで続くBroadwayの一角にあるビルにそのオフィスはありました。 トレーダーは其のビルには在籍していませんでした。 会ってみたかったですがね。これまで実際に会った経験が全くないので今でも会ってはみたいですよ。オフィスは一部を除きすべてエンジニアでジーンズとTシャツ、ラフな洋装でWall Streetにいるとは感じなかったです。

HFTトレーディングに関する面白い本はこれです。人間お金がかかわるとここまでやるんだとあきれるばかりです。日本語訳がでていました。

f:id:Interstate280CA:20200731065222j:plain
HFTの会社ビルの屋上からの眺望
f:id:Interstate280CA:20200731065354j:plain
グラウンドゼロ