(人生の)履歴書

履歴書、書いてますか?書いたことがありますか?再び終身雇用を望む声が増えているとも聞きます。私世代の方々の大半は終身雇用でしょうね。事実私の大学時代の学窓の大半は卒業時に入社した会社で今も働いていると思います。定年は60歳ごろでしょうか?そうだとするともうそろそろ定年を考える頃ですね。

終身雇用だと履歴書を書く機会なかったかもしれないですね。でもね、人生で一番長くやっているのは”働く”ことなのです。自分史の大半はその”働く”ことに関連しているのです。履歴書は人生の縮図ともいえる。

そんな大それた話で無くとも履歴書は定期的に更新すると良いです。卒業時、真っ白でしょう?学歴とひょっとするとなんらかのボランティアをしたとかインターンで働いたといった程度ではないですか?学生時代になにか資格を取ったかもしれないですね。それも履歴書に書くのかな?でもそんなところでしょう。つまりまっさらなわけです。その履歴書を定期的に更新することで自分の進路や自分の目標を振り返る機会にもなります。

履歴書、日本では書式が決まっていたりしますが自由な書式で良いと思います。日本以外では全く自由な書式です。私は韓国、中国、カナダ、ドイツ、チェコ、UKそしてUSAで採用候補の履歴書を見てきましたが書式は皆ばらばらでした。書くべき項目はある程度決まっていますがそれも人によって順序も含め自由。形式ばった履歴書でなくて良いと思います。自分が一年なりの間に達成したことを簡潔に記録していく。とても役立つと思います。

私は5つの履歴書を定期的に更新しています。なぜ5つあるのか?私の職歴、人生の経験を一つの履歴書ではあらわせないからなのとその履歴書は実際に就職活動する際の原本になるからです。5つの履歴書は

ーエンジニアとしての履歴書。これは仕事、会社としてエンジニアのポジション(求人)に応募する際の原本になる。

ーマーケティングとしての履歴書

ーエンジニアリングマネージャとしての履歴書

ープロジェクトリーダー、プロダクトリーダーとしての履歴書

ー人生の履歴書

人生の履歴書は就職活動のためではないです。

会社、かかわった仕事は同じでも”見方”が変わってくるのです。エンジニアのポジションで応募するならそれに見合った点を強調するでしょう。マネージャの経験もあります。そしてそういったポジションに応募するならその観点から自分の履歴を記述しておきたいでしょう。

そういったわけで現在この5つの履歴書を持っています。私は自分の誕生日に前後したあたりで履歴書の更新をしています。ですから自分がいつ何時どんなことをしたのか誰にでもすぐ説明することができます。記憶を新たにしておくとでもいうのでしょうかね。

就職活動、そんなに頻繁ではないですがそれでも転職8回。就職活動にはこれらの履歴書を基に自分が応募しようとするポジションに合わせて履歴書を作成していました。はるか昔、初めてUSAで履歴書を書いたとき、書き方がわからなかった。インターネットの無い時代です。書店で履歴書の書き方の本を買って勉強しました。今はインターネットでノウハウを学べます。履歴書はそのポジション、会社ごとに書くべきです。同じ履歴書を使いまわすというのは経験上うまくありません。求人のページをよく検討してそれに沿うように書くのです。履歴書はいかに自分を売るか(アピールする)が重要になりますから嘘は書かないにしても採用者の目にとまり連絡をしてもらえなくて次に進めないわけです。履歴書の目的はそこにあるわけです。

履歴書に何も書くことがないな~ というのは自分が何もしてこなかったということ。アップデートもないな~というのは前回のアップデートから何もなかったということです。そんなことで良いのでしょうか?履歴書を定期的に振り返り更新することで自分を振り返ることができます。また自分の進む方向を考える手助けにもなるはずです。”そろそろXXXを考える時だ”といったことが履歴書を振り返ることで分かってきます。

履歴書、これまで書いてこなかったならぜひ書いてみてください。

プロのスポーツ選手。履歴書はあるのかな?と思ったら彼らも履歴書を持っていると聞き、プロでも履歴書を持っているのです。ならば、我々凡人は履歴書を持つべきです!!と言いたい。

席位置

座席のエチケット、習慣、例えば上座などを書くつもりはありません。私には日本の仕事、催事、祝におけるエチケットを語る資格はないですし、経験もほとんどありません。ですが最近やはり歳を取ったのでしょうね、いわゆる上座を薦められる機会も増えています。いわゆる良い席です。誰と出かけてもこちらが年上になる機会も増え私は上座を進められるようになりました。歳だけは誰でも取ることができますからね。。。

でもここで話題にするのはエチケットではなく仕事に関することです。会議、顧客訪問、コンファレンス等に参加する時に自分がどこに座るか考えていますか?なんとなく座っていたとしたら考えるようにしたほうが良いですよ。私はこれまで凄腕のセールスと一緒に長く仕事をしてきました。またマーケティングやセールスの責任者(副社長クラス)の上司からも色々とセールスやマーケティングについて実践で教わりました。その中には自分の座る位置についての経験も含まれています。すでにいくつかの書籍や誰かの話で聞いていたり実践されているかもしれませんがおさらいのつもりででも読んでください。

ケース1 会社で新製品、新方針の発表の集まり(会議)があった。どこに座りますか? 

 自分がその新製品に深くかかわっている当事者だったら? 新製品について知る立場だったら? そう、立場によって座る位置は変わってきます。当たり前ですがこれまでなんとなく座っていたのでしたら席位置かんがえるのも良いかもしれません。席位置は自分の立場とその集まりでの自分が達成したい目的で決まります。 例えば開発の責任者で出席者がどう思っているかを知りたいとします。この場合どこかいいでしょうか? 自分は責任者だが発表者ではないという想定で考えましょう。この場合、出席している人の顔が見える位置が良いですね、しかも目と目が直接合わないような。。。となると発表者の側だが横にずれたような場所になるでしょうか? 椅子がないかもしれないですね。往々にして椅子はありません。だから私はこんな場合早めに会場に行って椅子を自分が座りたいあたりにそっと置いておくようにしていました。もちろんその椅子を取られないように席に私物を置いてその椅子はもう先着者がいることを知らせておきます。発表内容はもう熟知しているのですから私の興味は出席者です。顔って気持ちがでます。腕も気持ちがでます。目と目が合わないようにしながら見て回すとその製品、方針がどう受け入れられているかよくわかりますよ。

直接担当の部下に発表させるのだが合図を送りたいときもあるでしょう?出席者に知られないように合図を送れるように後ろの方だが自然と目線があうような場所に席を取る場合もありますよ。不自然に目線があうと出席者の中には後ろを振り返る人が必ずでるので良くないです。これなど早めに会議室、会場に行って様子をみるのも重要です。

もちろん席の配置によっては、とくに狭い会議室では制限が出てきますが考え方は同じです。その日の目的、何を結果として得たいのかを事前に自分なりにそしてグループとしてしっかり理解、共有したうえで臨む、そしてそれには自分たちの席位置までしっかりと把握しておく。細かいことですが結果に差が出ると思います。

ケース2 顧客を訪問したとき

立場として自分はマーケティングかエンジニアで一緒に同行しているのはセールスだった場合。つまり商談のための訪問です。この場合そのセールスの実力がものを言います。セールスはその日なにを達成したいのかをはっきりと伝える必要があります。たとえ同席者に上司、社長が居てもです。社長はこの場合セールスに従うべきなのです(商談だから)。上下は社内での序列、顧客を訪問したとき肩書はありますが誰もが直接担当になっているセールスに合わせて行動するべきなのです。社長がその商談に責任をもつわけじゃないでしょう?セールスが責任を持つわけです。ここを理解していない社長を見かけることがありますが”威張るのは社内だけ”、を鉄則としていただきたい。ひとたび社外にでたら特に顧客先では社長はセールスの方針(プラン)に則り話を進めていくことです。できない!という人の下では働かないほうが良いくらいの鉄則だとおもいます。これまで何度もひどい場面に出会っていますが後味は決してよくありません。とくに金銭面等で色々と食い違いがあるような場面で運悪くCEO出席な会議になったような場合に、CEOが何かしゃべってしまうともう取りかえしはつかないのです。幾度かそういったことが続くとそのうちセールスは社長が決して変更できないようなスケジュールの時に重要な顧客ミーティングを予定したりといったたくらみまでするようになりますよ。せっかく自分が作ってきたプランを一変にぶち壊すのですからね、たまったのもじゃないですからね。さて、席ですがセールスの顔がちらりと見れる位置が良い場合が多いです。セールスは色々と合図を送ってきます。 ”そこまで”、 ”もっと”といった合図ですね。”もうそれ以上は言うな”と言ったケースもあるでしょう?なんらかの形で合図を読み取れる位置。場合によっては白板に近いほうが良い、プロジェクタの関係で自分の席が決まることもありますがそんな場合セールスはそれとなく合図を送れる位置に座る。私は最初のころ、しゃべりすぎたりしてミーティングが終わった後でずいぶんと説教されましたがそのうち合図を知るようなりうまく歩調を合わせることができるようになりました。それでも合図を見逃すこともありました。

ケース3 デート

これは色んな本にありますね。食事等ではテーブルをはさんで向かい合わせになるより90度の位置が良いと言います。 この90度の位置はデートだけじゃなく個人的に近づきたいとケースでは最適な位置だそうです。 二人でレストランに行くと2人席(対面)になることが多いですね。もし仮に今、私がデートできるとするなら、事前に調べておいて4人席が多くあるレストランを選ぶようにするでしょう。そして先に相手を座らせて(エチケットですからね)、自分はその人の右手側(可能なら)に座ってしまいます。これくらい歳を取ると図々しくできるのは特権でしょうかね?向かい合っての場合手を伸ばさないと相手に触れることもできないのですね。90度の位置だとなんとなく触れることもできますよ。いやらしい気持ちで言っているのではなくちょっとしたスキンシップも重要で、対面はそれが不可能に近い。。。

こんなケーキを食べながら時間を過ごすと良いですね。

まだまだ色んな場面、状況に遭遇すると思います。たかが席ですが結果に差が出ることがあります。先にも書きましたが実力あるセールスと長年仕事をしてきましたが彼はその日の目的、得たい結果をはっきり伝えてきましたし席位置についても会議室で指示していました。XXXは彼の横に座れとかね。細かいところにまで気を配る。ミーティングの後は必ずそのミーティングのレビューをして色々と教えを受けました。細かいことをおろそかにしない。

またコリンパウエル将軍の言葉になるのですが

If you are going to achieve excellence in big things, you develop the habit in little matters. Excellence is not an exception, it is a prevailing attitude.

大きなことを成し遂げるには細かいことにまで気を配りなさい。と言っているのですね。これはこの本からとりました。 少し難しいですが一度読んでみる価値はあると思います。

日本語訳は残念ながらないです。 
還暦間際にして初めて銀座千疋屋のカフェに行った。残念ながらデートではないです。

Visionと潜在意識

”過去に何度か触れた言葉です。ビジョナリー、ビジョンを持て、ビジョンに沿って。。。とビジョンという言葉、良く聞きますね。 あるいは”君の発想にはビジョンがない(大きなお世話なのですが)”などとおっしゃるおじじも沢山おられます。”あなたはどこまでビジョンが有ったっていうんだい?”大きなお世話!と思ったりもするわけですがそれくらいビジョンと言う言葉、日常聞きますね。これくらいの歳になるとなんでも好き勝手に言いますがいわゆるビジョンの話をされる方の大多数は誰かの言ったこと、書いたことを”また聞き”されて話しているか書いておられます。そんなに世の中すごい”ビジョン”をもって仕事をされている方はおりません(と断言してしまいます)。私自身は何のビジョンも持っていません。ですから若い人にも同世代の人にも(その)ビジョンの話はしません。意見は持ってますよ。でも意見とビジョンは全然異なるんです。そんなこと知っているよ、と言われそうですがビジョンがあると噂などで聞いた人のビデオ等を見てもその大半は単にご意見を述べられているだけでビジョンとは程遠いのを発見することが多いです。ビジョンは実現できるものだと思うのです、絵空事はビジョンではない。語るだけで実際には何もしない御仁も多いですね。今はしゃべるだけでお金になる時代です。いわゆる評論家、コンサルタント、そして言っては悪いですが教授が多くなったように思います。ビジョンには苦労が伴います。これはあるビジョンを持った人の下で20年近くベンチャー企業の一員として創業時から働いた私の経験として語れます。最近の人ではTeslaのCEO Elon Mask氏はビジョナリーでしょうね。どのような人かはこのシリコンバレーでは知られており、私は決して彼の配下で働きたくはないです。それはさておき、そのTesla, 入社面接で最後に彼直々の面接があるそうです (今もかな?)。彼は”これまでの仕事で一番大変だった経験”を聞きただすそうです。彼はその人が実際に本当にその件に関わったのか、その周りにいただけの人間なのかを見抜く能力に優れているそうです。”周りにいただけ”の人はいらないそうです。周辺にいただけではわからないことは多いですよ。ぜひとも周辺ではなくその当事者(のひとり)になって苦労もしてください。周辺にいてなんか”要領の良いひと”沢山いるのですが経験の深さは断然違ってきます。

さて私がここで触れるVisionはその”ビジョン”ではないです。このビジョン、以前のブログでも少し書きました。いわゆる”ビジョンを持て、ビジョンに沿って”というのはそうですね、別な言い方をするなら、 ”アイデア、企画、方針など。。。”となるでしょうか? 現代の日本人は横文字を好む傾向がありますが、ビジョンと良く聞く言葉、一体どういうことなのかを理解するには”おと”としてのビジョンではなく”意味”としてのビジョンを理解する必要があると分かってきました。私の年齢ではちょっと遅すぎるのですがね。”おと”のままでは理解ができない。元々が日本語でないわけですから。振り返ってみるに明治時代、英語に初めて接された偉人たちは英語を”理解”しそれを伝えようとしたと思います。彼らは英語の単語に相当する日本語を探した。当時の日本語にはなかった言葉も多いのです。例えばVote(選挙)。選挙制度は江戸時代なかったわけです。Voteと言う言葉にであった明治の日本人はそれを”ボート”と”おと”の輸入をすることなく意味を理解してそれにふさわしい日本語を当てはめた。この辺りさすがだと思います。爺さん的発想ですかね?

なんて硬いことを書いてますがここで触れるVisionはまさしく”目に映る”、”頭に描く”ビジョンなのです。人生を成功に導く、幸せになる一つの大きな要素に”Have A Vision”があるとアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにあります(以前のブログにリンクと付けましたが再びつけておきます:ここです)。このスピーチをじっくり聞くとそのVisionはまさしく目に見え、頭に描けるとても具体的なことだと分かります。彼の場合、ボディービルダーとして成功し、そしていずれ映画俳優としてスターになる、ということですがスピーチを聞いていても私は当時の彼の頭、目にその自分自身の姿が鮮明に描かれていたと思います。この言葉 Vision を日本語にするとするなら”目頭にしっかりとそして鮮明に自分のなりたい姿を焼き付けなさい”とでもなるでしょうか? 巷で聞く”ビジョン”とはずいぶん異なるのではないですか?

鮮明に描く、これがカギです。成功された方の書物、インタビューに触れると皆さん同じことを書いています。自分の進む方向が鮮明に描き出されその上を歩いて行った、というような。アイデア、企画などもあるのでしょうが、決して抽象的ではなくとにかく具体的です。ある書物では例えば自分がその時食しているであろう食事に至るまで鮮明に頭(目)に描かれるほどに具体的に。それで初めてのデートの成功確率が上がるそうですよ。目に描く練習を積むことは重要です。スポーツのスーパースターたちは試合に先立って自分がその日するであろうゴール、ホームランなどを鮮明に描くそうです。それが鮮明であればあるほどその日の試合はうまくいくそうです。そのために一人になる時間を持っているそうです。

またビジョンは潜在意識にも働きかけます。 潜在意識について以前読んだことがありますがビジョンと潜在意識は切り離せないと思います。ふとしたときにそれが現れてくるのです。

これについては具体的な個人例があります。以前書きましたが私自身は全く覚えていないのですが私は母に”いずれ、遠いところに行く”と言ったそうです。でも、確か高校生3年生ぐらいのころ町の書店で雑誌を読んでいて”石油タンカーの無線通信士の日常”と言ったような書き物に出会ったことは覚えています。その号の記事では”マラッカ海峡で船が数珠つなぎになり通れる日を待っている”ような内容だった。マラッカ海峡、社会(地理)の授業で名前は聞いたことはあるが実際はどんなところか全然知りませんでした。1970年代のこと、写真、ビデオ、インターネットなどは無いに等しいです。その記事はとても鮮明で読んでいるうちに”一度見てみたい”と思ったのは覚えています。それからその雑誌のその記事だけを書店で立ち読みするようになったのも覚えています(雑誌名は覚えていない。)おそらくそれがあって”いずれ 遠いところ”に行くとなったのでしょう。マラッカ海峡が見たい、程度のことだったのでしょうけれど、よくわからないがマラッカ海峡に一種のあこがれをもったのは確かです。狭い海峡を沢山の船が往来するらしいのです。その光景は今でも目に映せます。そして事実こうしてマラッカではないですが遠いところにいます。おそらくあの時に潜在意識の奥底に自分の描いたマラッカ(遠いところ)が刻み込まれたに違いないと今では思っています。また、最近の話ではこの5年ほどAIが次のテクノロジーとして大きく脚光を浴びています。マーケティング部に属するエンジニアとして顧客との会話もAIが主体になっていました。そのころからいずれ自分自身もAI関連の開発に直接従事するんじゃないかと薄々思っていました。AI について経験ゼロ、学校で学んだこともありませんが。そして今現在本当にAIに特化したシリコン開発の責任者をしています。実はその少し前にAIではないがGAFAの一社にてエンジニアをする機会に巡り合えたのです。おそらく人に話したら”なんてもったいない”となると思います。とても良い条件の仕事でした。ですが、あの時にそのポジションは取らなかった(元上司を助けるためなのですが。)でもあの時あの仕事を取らなかったことで今AI関連の製品開発の責任者になったわけでこれも潜在意識が働いたのではないかと思うのです。あの時違った選択をしていれば今の仕事の機会はやってこなかったのですから。

ビジョンを深めるのは瞑想が一番だそうです。 潜在意識を深めるには沢山遭遇することだそうです。外にでて沢山遭遇して、瞑想の時間を持つ、簡単そうで中々できないですが意識するだけでも人生変わるかもしれないですよ。しかも瞑想は時間をかける必要はなく5分でもいや1分でも良いのでそうですよ。現代人、なぜか皆が忙しいと言っていますが(実際は絶対そんなに忙しいわけはないことも老齢になると知っています)、5分の瞑想を取る時間はあると思います。5分(300秒)、起きている時間が14時間としてわずか0.6%の時間。5分の瞑想を50年間毎日してもわずかに64日(2か月)分の時間。 この時間がないはずはない!と私は毎日のように呪文をかけて朝おきたらとりあえず座るようにしております。効果は? それが沢山あるのですね。会ってみたかった人にも出会えたし、行ってみたかったところにも行けたし、なんとなくするだろうなあと思っていた仕事にも就いているし。。。だまされと思って瞑想してみます?だまされても失うのは毎日5分の時間だけですし。

どんな写真かな~と思いました。写真はすべて自分がIPHONEで撮ったものを使うようにしています。写真は一度一緒に食事をしたいと思っていた人とした食事から。長い間こんな食事をしたいものだと思っておりましたら確か4年ほど前にそんな機会に巡り合ったというわけです。

 

ここがマラッカ海峡。あちらに見えるはシンガポールらしいです。タンカーが沢山。

San Diego

Austin と並んでよく行きました。San Diegoへの出張は基本的に日帰りです。飛行機でわずか70分ですからね。ただスケジュールはきつかった。朝4時ごろには起床。フライトは大体7時前のに乗ります。とても混んでいるのですよ、それでも。満席。サウスウエストを使いましたがここは普通のチケットだとチェックインの時間で搭乗の順序が決まるのです。A,B,CとあるのですがAの60くらいまでになると好みの席は確保できます(座席は指定されていません)。24時間前にチェックイン(オンライン)がオープンするので皆アプリをインストールして時間がきたらチェックイン。でもついつい忘れる。そこで何回かに一度はちょっとだけ高いチケットを買ってました。この場合A15までは確定(いつチェックインしても大体A15ぐらいでした)。7時半ごろにはサンディエゴ空港につきます。現地にセールスがいるので待ち合わせは最初に行く顧客オフィス近くのスターバックスと決まっていました。そこまでタクシーで向かいますがちょうどラッシュアワーですから少なくとも60分は見ておく必要があるのです。スターバックスでやっと朝の食事をして9時にはもう最初のMeeting。日帰りなので帰りは大体6時ごろの便でした。サウスウエストを使ったことがある人はご存じだと思いますがここはとにかくよく飛行機が遅れます。短い区間をいくつも経由してくるからなんですが当初予定していたフライトの次のフライトが先に到着することだってあります。そんな場合ゲートで席に空きがある限り変更してくれますが私はどのフライトが遅れがちかとか知っていたので遅れる確率の高いスケジュールのフライトは基本的に避けていました。ビジネス客はそういったことを経験で知っているのです。そこまで事前チェックするようになれば、このブログを読んでいるあなたも立派なビジネスマン、ビジネスウーマン!空港でずっと待っていることほどつまらないことはないですからね。

San DiegoでのMeetingは早めに始めて終わりも早め、3時までMeetingをしたことはほとんどありません。なぜか? 早めに終えてそれからいつもビーチ沿いにあるポセイドンというバー、グリルで遅めの昼食をしたからです。北カリフォルニアは水温が冷たく泳ぐのはな~となりますが南は暖か(だそうです)。だからでしょうか?ビーチには水着姿を沢山みかけますしビーチ沿いのバーですからそんな客が多い。同僚(独身の男性)はそのポセイドンをとても気に入っていましたが理由はおっさしができるでしょう。

サンディエゴは有名なところでは世界的に著名な動物園(とにかく広い)、シーワルド、レゴランド(ちょっと離れていますが)、サハリといったアトラクション、そしてトム クルーズのトップガンで一躍名を知られましたが合衆国海軍の大きな基地がある州で2番目に大きな都市です。メキシコ国境まですぐ。アトラクションの多いところなので休暇で3度は行ったと思います。車で行くのですがLA辺りで一泊して2日かけて行くのが普通かな?若い人は一日で着くのでしょうけれどLAから南は交通渋滞がひどく体力がないと一日でというのはきついと思います。

サファリ

ここはQualcommを筆頭に半導体関連の会社も多いのです。Qualcommは20年以上前に働くチャンスがありましたが引っ越しが必要で行きませんでした。その後シリコンバレーにもオフィスを開きましたからあの時働くのでしたかね? そうすれば今頃はもうハワイのビーチでのんびり。。。なのですが。。。 とこんなことをいうとそんなのばかりです。ボストンにいたころIntelのインタビューを受けましたがアリゾナ勤務でのオファーになった(チームがアリゾナに集約されることになったとかで。。。)、やっぱりアリゾナはなあと行かなかったのですが行っていればやはり今頃はハワイのビーチです。そんなのばかりですがその時その道を選択しなかったのだから悔やんだことはありません (おっと嘘になるかな?ベンチャー企業でなんどもサラリーカットになった時、一度悔やんだかな)。

日本からの直行便が今は出ているはず。就航したり辞めたりと何度かあったはずです。LAから車で行けるのと日系企業が沢山あるわけはないので需要が不安定だったのかな?よくはわかりませんが日系スーパーも沢山あるから日本人も多く在住しているはずです。基地の町でもありますからね(海軍とMarine)。

ちょっと外れるとラホヤという町に出ますがここはハリウッドの映画俳優が避暑地としていた(いる)町としても有名です。それがためでしょうか? フェラーリのディーラーがあったりしますよ。高級車の店も多い。もう少しはなれてカールスバッドにまで出るとレゴランドがあります。 

旅ブログではないのでサンディエゴについて詳しくは旅ブログを見てくださいね。

じゃあ、何書くねん? ですが、ここサンディエゴは基地もあるからでしょうか?シリコンバレーがソフトウエア、シリコン(半導体)が主だった(今はずいぶん様変わりですが)のに対してワイヤレス(無線系の通信)に関するテクノロジーの企業が多いところです。Qualcommがその代表になりますがベンチャーも含めるとほんとうに沢山ありますよ。シリコンバレーのように大きな会社、例えばQualcommでずっと開発をしてきたエンジニアたちがベンチャー企業を起こす、それをまた大きな会社が買収する(いや、当初は投資も)というリサイクル・サイクルを繰り返すのです。そんなサイクルでテクノロジービジネスは成り立っていると言えるでしょうか。例えていうならSONYでやってきたエンジニアたちが会社を創立。その会社を東芝が買収(ソニーでも良いんですが)する。 こんな構図ですね。ずっとその企業でやっていくエンジニア(マネージャ)もいればベンチャーを興す人もいる。私がサンディエゴで行っていたのはQualcommはもちろんありますがそういったベンチャーが多かった。何社も訪れていますから”成功するか、しないか”は大体最初の2度目くらいのミーティングで分かりました。成功するかしないか、アイデアはもちろんですがエンジニアの質とそのアイデアのタイミングです。タイミングはとても大切で私などから見ても”へ?”と思うようなアイデアでもタイミング次第でビジネスになりすからね。このタイミングを見極めることが一番大切なんだろうと思います。あとはどんなアイデアかを私のようなエンジニアリングに携わる者が理解できないようなアイデアは成功しないように思います。なぜならそのアイデアを売り込むにしてもまずその話を聞くのは同じエンジニアなことが多いからです。ベンチャー投資家は技術的なことよくわかっている人もいますし。もっともよくわからないで”有名な人”が軒を連ねていたらとりあえず投資、いまの流行だからとりあえず投資みたいなこともあります。 今そういったので言えばAIでしょうね。いくつもの会社行きましたが60年代、70年代が旬だったような有名な人が絡んでいるだけで大きな資金を得ているような会社にいくつも出会いました。最初のミーティングで”何がしたいのか”さっぱりわからなかった会社もありますがそんな会社はもう今は存続しません。少なくとも同じ領域に携わるエンジニアが理解できないというのはそれがとんでもなく漸進なのか、ガラクタなのかのどちらかなことが多い。 ただ、エンジニアの中には説明がものすごく下手な人もいます。ちなみに私はとても上手だと思います(自己自慢)。そんな場合、成功するためには説明ができるエンジニアをチームに入れることだ思います。説明ができないがとんでもなくすごいエンジニアは設計に専念させる。ただね、説明が上手なだけじゃだめですよ、もちろん。

軍の町ですからこんな景色も。トップガンの映画で知られますがコロナドには海軍の特殊部隊の訓練所があることでもしられます。これも映画になってますよ。軍というと何か恐ろしいようなイメージを持つかもしれませんが、私がみるところ現在のアメリカの指導者の中では軍人(将軍、現役と退役)が一番まとも、いや尊敬できる人物が多いように思います。それだけいわゆるシビリアンに人材がいない(その最悪の例が今のホワイトハウスの主。不動産とテレビのリアリティショウをやってきて金儲と女性だけを追いかけていたような人物にリードさせようと選んだ国民に全責任はあります)。軍は外部から人材を連れてくるのではなく徹底的に内部で人材育成することで知られます。元国務大臣のパウエル将軍を挙げる間もなく人材が豊富です。政治には基本的にかかわらないのが軍人ですから政治的に中立なことが多いですが(そうならないキャリアを積んだ方もいますが、パウエル将軍のように)、ここでれいとして挙げるようなスピーチをできるのは今や軍関係者しかいないのかと思うと残念です。 以下YOUTUBEのリンクを付けますがどちらも素晴らしいスピーチです。https://www.youtube.com/watch?v=pxBQLFLei70   UTでのスピーチです。これを見た後ですぐに著書を買って読みました。若い人にとくにお薦めです。著書はまだ日本語訳がでていませんがスピーチの内容を基に書かれたものです。 もう一つはhttps://www.youtube.com/watch?v=mU0RfhvYN8s。コロラドスプリングスにある空軍の士官学校でのスピーチです。軍がいかにヘイトスピーチにたいして迅速に行動しているかを垣間見ることができます。こんなスピーチを指導者はするんです。退役された将軍や軍指導者の著書を読むといかに軍が人材育成、チームワーク(戦場に行ったら自分の命を預けるわけですからある意味本当に真剣)等についてトレーニングと教育をしていることがわかります。 

海軍の町。艦船のそばまで行けるのがアメリカ
コロナドビーチ。サンディエゴそばのまち。橋を渡って太平洋側にでます。

こんな書籍を軍の元将校が書いていることが多いです。原著(英語)で読みましたがおそらく日本語訳は原著に充実だろうと思います。リーダーシップの本だとか若い時にどんなことをすると良いのかなどで悩むようなときこういった実務で鍛えられた方の書かれた書籍はいわゆるコンサルタント会社(例えばマッキンゼーなど)でコンサルタントをされてきただけの方の書籍より面白くかつためになると思います。コンサルタントって、責任はないのです。責任ないのでなんでも書けるのですが理想的過ぎたり、実務に使えないような提案だったりで知識として参考にはなるけれど。。。といったケースが多かったりします。その点、将校は全責任を負っていますから迫力がちがうのをよく発見します。 アマゾンのリンク https://www.amazon.co.jp/米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方-L・デビッド・マルケ/dp/4492045325/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=turn+ship+around&qid=1597434228&sr=8-3

セキュリティー

日本はセキュリティーが緩い国ですよ。アメリカも実生活では甘いほうかもしれないです、それに甘くなってきていると思います。ご存じのように銃の国で、しかも州によってはほとんどの場所に銃を携帯することができますからね。カリフォルニアはまだ厳しいほうですが共和党の牙城ともいえるいわゆる”アメリカ”は銃だらけとも言えます。私はそんなところにはいかないので実生活で銃とかかわりあったことはこの30+年の間ありませんが。

日本ほどでないにしてもアメリカ、セキュリティー甘いと言えるかな。一番の例が出国時です。どの国、たとえそれがEU諸国であっても出国の際には国の係官がパスポートをチェックするのですがアメリカはそれがない。もちろん搭乗ゲートに入るのに身元チェック(IDと搭乗券の名前がマッチするかのチェック)は係官がしますがいわゆるパスポートチェックは入国時だけです。”出ていくやつをチェックして何になるんだ?”と言う発想なのでしょうか、おそらくは。EUはいったんEU圏に入るとそれ以降どの国に行ってもパスポートチェックはないですがEU圏を離れる際にパスポートチェックはあります(出国のスタンプをもらう)。 日本も出入国どちらもチェックしますね。中国は入国も大変ですね。まず到着したらセルフキオスクでパスポートと指紋の登録をします(外国人だけ)。年に何度も行きましたから同じ年に2度目だった場合パスポートを読み取ったとたん指紋はしなくてよいと表示がでたので、”ああ、以前やってきたことはもう知ってるんだ”と思いました。セルフを通ってそれから係官のチェックになりますが、もう一度指紋を押収され写真もとります。2度するんですね。スーツケースを受け取って待ち合わせの場所に出ていくわけですが持ち物はXrayチェックされますよ。海外のスーツケース検査なんか信じるものか~ってなところでしょうね。国内線の場合ここまでしないからやはり疑っているのでしょうかね?と大変です。

いったん国に入ってもチェックだらけなのは私の知る限り中国だけです。 イスラエルのセキュリティーは厳しいと聞いていましたが私の経験だけでいうと、大きなショッピング施設などに入る際にカバンをチェックされましたが(爆弾が入っていないかとなね)それくらいなところでした。中国はカバンチェックは駅という駅、空港(空港ビルに入るにも)などで必ずされます。北京ではあるエリア、例えば故宮のあるエリアに入るにもカバンをチェックしますから以前も書きましたが私は仕事を離れたら手ぶらを決めていました。なにも持たない、女性には難しいですね。

北京は都市に入るのも大変です。一度電車(中国版新幹線)で北京に入りましたが北京行の電車の場合、新幹線の駅は入場するのにカバンとIDチェックをまず受けますが(外国人の場合パスポートです。スキャンしてすぐに照会するのでセキュリティーは形だけではないです)、乗車口に入る前に再度パスポートとカバンをチェックされました(プラットフォームに入る前)。もちろん長距離電車になりますから乗車券を受け取るにもIDが必要です。誰が乗車しているかは全部知られております。チケットには名前が書いてあります。アップグレードしたチケットは外国人(私)には手ごろな値段になるのでいつもアップグレードしましたが一度だけ車内でチケットとIDの照合をされた経験もあります。北京について今度は駅から出る前に再度カバンチェック(スーツケース)。何度チェックするねん? なのですがチェックだらけですよ。パスポートも常にチェックされます。カバンは持たなくともパスポートは必ずもっていました、これなしでは怖い。ヨーロッパなどではパスポートをホテルに預けたりしました(アメリカの運転免許証をID替わりに財布に入れていた)。が中国ではそんなことをするときっと大変なことになるだろうと、あのセキュリティー体制をみると思いますよ。そうそう中国はホテルに泊まるとパスポートチェックだけでなく写真も撮りますよ。本当、チェックだらけですね。もう慣れましたが好きではないです。

ここまでなら旅ブログでもおそらく紹介が色々とあってあらかたご存じでしょう。旅ブログはもっと詳しいと思いますよ。だからわたしがこのブログで書くのは一般企業のセキュリティーです。 

韓国、中国の大きな会社、例を挙げてしまうと Huawei, Samsung, SK-Hynix,などを仕事で訪れたことがある方もいると思いますので以下は”知ってるよ”となるかも知れないですね。これらの会社では 

ー ラップトップコンピュータの持ち入れはできないか、あらかじめ登録する必要があることが多い。

ー 持ち込めたとしてもすべての入力ポート(USBなど)やカメラ部位はシールを張られる(出るときにチェックされるのではがしたりしたら大変なことになります。最悪取り上げて返してくれません、ITが厳重にチェックを終えるまで)。 ラップトップのシリアルナンバーも控えられチェックされる。スワップなどできませんしたがって事前登録が必要なケースでこちらの都合で別のラップトップを持っていったら持ち込み許可はでません。あきらめ~。そうそう、メモリやSSDを交換できないようにシールを貼るしSSDドライブのシリアル番号も記録されますよ。とてつもなく厳重ですね。

ー携帯電話の持ち込みはゆるされないこともある。ゆるされる場合やはりカメラ部分などはシールをはります。持ち込んだ経験は一度もありません。

ーカバンはロッカーに入れます。カバンの持ち込みは不可。

ーノートとペンを持ち込むことは許可されない会社もあります。許可がある場合、帰り際にセキュリティーが調べます(何か隠していないか。。。)紙は持ち出せない会社が多いです、たとえ従業員であっても ダメ というところもあります。

ー車でやってきた場合基本的には外部にある訪問専用の場所に停めますが、沢山の機材を持っていく必要があるなどで内部に停める場合、トランクなどをチェックされます(出入りどちらも)。車の下も調べます。

ーパスポートチェックは当たり前。パスポートのコピーを撮られたケースもあります。事前に登録した訪問客のみを受け付けることもありますので人物照会も実に厳しくチェックされます。

などなど 枚挙にいとまがありません。もちろんX-rayチェックもありますよ。メタル類は空港と同じようにポケットから出します。カバンは従業員だけが持って入りますが従業員もこのセキュリティーを通るのは同じです。IDもバッジですが行いますが中国では今や顔認識が広まっています。見ているとあっという間に認識してゲートが開きました。

これらの中でもラップトップが一番困りました。というのは最近の新しい仕様のラップトップはUSB端子で電源、USBでDISPLAYにつなぐようになっているものが多いのです。そうなるとその端子、全部シールされているので電源はとれない、プロジェクタには繋げない、、、という事態になります。したがって古いラップトップに資料などを全部コピーして持っていきました。現地に同僚がいる場合現地でコピー。いない場合は出張のさいしてそんなラップトップの調達からはじまります。そのラップトップがたまたま稼働しない、なんてこともあり、その機種を事前登録してあった場合もうお手上げ。持ち込めないですから。臨機応変など全く期待できません。リストにない、の一点張りでだめ。仕方ないのでラップトップなしでミーティングをするといった情けない事態になったことが何度もありました。ちなみにセキュリティーは会社の社員でなく契約会社な場合もあり従業員に対してもとても厳しいです。容赦しない、ってところですね。

こんなことになるからでしょうか? 会社によってはミーティングだけできる場所、普通はいわゆるキャンパスの外にあるビルの1階部分)をもつところもありました。この場合多少セキュリティーはあまくなりラップトップにシールなどはされません。ミーティングに出てくる顧客サイドの人たちはみな手ぶらできます。ラップトップもノートも持ってきません。白板などもないので何も書くこともできないですから。まさしく持ち込んだラップトップだけ~という世界ですね。

こういった会社は従業員も細かくチェックしていますよ。まずラップトップは使っていないし、デスクにあるコンピュータにUSB端子もありません。 出入りに際してはXrayは通るし携帯電話持ち込めますがカメラ部分はシールが貼ってあります。大変ですね。 また、まことしやかに言われているのが従業員のタイプした内容はすべて記録されていてその従業員が退職する際ITがそれまでの膨大なタイプの記録を調べ上げるとか。。。本当かどうか知りませんよ。

ここまでするのはすべていわゆる産業スパイ対策と従業員による情報のリークを防ぐためですね。日本で唯一、といってもとても緩いですがこのようなセキュリティーを置かれている会社はというと以前産業スパイ(といっても実は内部犯行でしたが)に情報をリークされた企業だけでしょう(実名をあげるのは控えておきます)。それでも全然緩いです。かの地の企業のセキュリティーは甘くない。入るときも出るときもそれこそ徹底的にチェックしますからね。

はるか昔ボストンで働いていたころ、私のいた会社も時折抜き打ちで出口チェックをしていました。セキュリティーがカバンをチェックするのですが”メタル”をチェックしていたのです。価値あるものがあるので(例えば私がかかわっていた半導体チップ。一1000ドルくらい(ひとつ))。なんでもメタルはだめ。。。とか言ってましたね。 なんだ、盗人をさがしているのか? なのですが、実際それが目的だったようです。 チップって小さいですが高く売れますからね。

イスラエルについて書いたのですが仕事で行くような場合招待状をイスラエルにある会社(子会社)から送っておいてもらいました。同じものが関係官庁にも送られているそうです。入国に際してそれがあるか、ないかで時間が違います。私は大体5分もあれば係官を通過できましたが待っている間にみていると人によっては30分以上もかかるようなケースがありました。ちなみに国柄を考慮してなのでしょうね、パスポートにスタンプはしません。入国時のカードをくれます。イスラエルのスタンプがあるとアラブ諸国に入国できないからだとかどうとか聞きました。帰国時もその招待状が必要です。航空券を受けとる前に係官の質問を受けますが(どこにいた、何をしていた、などなど)、良く知られた会社の照会状を持っているとそれを確認する作業を済ませるとすんなりチケットカウンターにたどり着けました。聞いたところでは私の行動は全部もう知られているとかいないとか。。。 なんかスパイ映画のようですね。 驚いたことに私はペットボトルを搭乗口にまでもっていくことができました。バックグラウンドチェックで不審者か、信用できるかを厳密に判断しているからだ、とイスラエルにいる同僚は言っていましたがこれには驚きました。

と以上セキュリティーに関する経験でした。日本は安全な国です。 まあ、アメリカも甘いから同じように安全なのでしょう。アメリカは行くところさえ気を付ければ安全と言えます。安全だが、甘い。。。

最後に以上の例は基本的に大会社です。中国での訪問先、ほとんどがベンチャー企業でしたが今度は全くセキュリティーが無い。。。 貸しビルに入っていることが多いですからだれか入り口にいますがな~んにも言われません。いったん顧客のオフィスに入っても、まるで従業員のようなごとく、どこをウロウロしていても誰にも止められない。なんでも話しますしね。シリコンバレーのベンチャーと全く同じような感じです。このギャップはなんだ?と時々思いました。韓国はわかりません。ベンチャー企業というのが存在するのかな?と思うほどに財閥系の企業しかないですから。財閥系の企業はどこもセキュリティーが厳しい(わけでもR&Dに近い程厳しくなるようでした)。ベンチャー企業に行った経験はしたがって一度もないのです。

ところ違えば全然違う。 これなど自分で経験するしかよくわからないですね。ひどいことにはなっていないので、つまり係官にどこかに連れていかれたりSSDを押収されたりとか、ただチェックされるだけでもう慣れっこにはなっていますがうっかりするとミーティングに参加できないなんて事態にもなるのですから抜かりないようにしていました。それでもトラブルには何度も遭遇しましたよ。というお話でした。

写真は北京 天安門広場。 セキュリティーを通過しないと一帯にははいれません。

これはイスラエル入国時のカード(青)と出国時のカード(ピンク)の一部。パスポートにスタンプはしません。

失敗 と 仲間

失敗を恐れるな、若いうちは沢山失敗をしろ、失敗が将来の糧になる。。。なんて聞いたことないですか?会社で上司、先輩(経験やランクは上の同僚・先輩は日本的。。。)、はたまたより身近な友人、先生、家族(両親や叔父、叔母など)がアドバイスとしてくれるかもしれない。

でもね、そういったアドバイスをくれる人、”あなたたちは失敗をしてきたの?”ときいてごらんなさい。私の予想、ほとんどが”失敗を恐れてやってはいない”はずです。私はよく言うのですが”言うのはただ。いまや言葉に責任を持つ”人は政治家や官僚、いや、会社のトップをみてもあまり見受けないでしょう?だから”失敗を恐れるな”、実は”失敗したら責任は全部君が負うんだ”っていうことなのです。”若いうちは沢山失敗しろ”というのは”やってみろ、だめだったらその責任は私が負う”と言える人が使う言葉だったと私は思います。”頑張ってください。応援してます”ともよく言いますがこれは全然意味がない言葉だと思う。英語でいうグッドラックに近い。これ、言ってみれば、”バイバイ、またいつかね”とも取れるわけです。

失敗はやっぱりとても怖いです。沢山失敗しろといっても一度でも凹んでしまいます、実際には。事業など一度の失敗が命取りになりその後中々立ち直れないのは普通のことです。”かけ”になるようなことをしたくはないのは誰も同じ(だから私を含め大多数は“勤めているわけ”です)。

以前のブログで”チャンスは逃すな”、アーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにある”辞めたほうがいいよ”といった否定的な言葉に耳を傾けるな、などと書いておいて”おいおい、今度は失敗について書くのか?”と”言ってることが違うじゃないか?”と思うかもしれないですね。

失敗を想定して物事を始めよ、といっているのでもないです。やるからには成功する、やりとげる、その意志は必ず必要です。でも、”軌道修正する”柔軟さも必要なのです。得てしていったん始めるとこの”軌道修正”ができないことが多いです。もしくは”軌道修正”ばかりしている。どちらも成功には程遠い、と思います。少なくとも私は、これまでの人生、仕事 そうだった。かたくなになって失敗した経験とちょっとなにかあっては”やり方がだめだ”とか、なんとか、かんとか自己理由をつけて辞めてしまったり、目標を変えたり。。。こんなのばっかり。 

コロコロとやり方を変えたり目標を変えたことは結局自分にとってどうでもよかったことなのでここでは”かたくなになって”軌道修正ができなかった場合での失敗を挙げています。これまで本当に沢山してきましたがその失敗のほとんどが”自分でやろう”としての失敗が多かった。前にブログにも書きましたが成功への一つの鍵として”仲間”がいるのです。前にもかきましたが同僚(友人)のような仲間もいれば、上司、部下、メンター(アドバイスをくれたり、愚痴を聞いてくれるような人)のような仲間もいるのですが、”迷惑になる”、”聞いてはもらえない”とか、色々と自分の中で理由を作って”これは自分でしないとだめになる”という思いが強くなることがあります。私は芸術家、作家といった職業ではないのでこういったその人個人が”勝負”といった人たちのことは全くの素人なのでここで書いていることが万人に通じることだとは言いませんが。よくあるのが”仲間を裏切れない”ではないでしょうか? 特にその仲間が友人だったり元の上司(恩人)だったりした場合気持ちとして難しくとても悩むことがありますね。

 その仲間について。

先のブログで昨年は元上司のお願い(誘いと書きたいが実際のところ何度もお願いをされた)でチェコにある小さな会社のコンサルタントをしていました。一昨年前ごろ勤めていた会社を彼は辞めさせられるような形で辞職していきました。これはUSではごく普通にみられることですが、CEOが新し部門長(副社長クラス)を雇った場合新しく来た人はそれまでの上位にいるマネジャを全部変えて自分が新たに雇うことで人事面で優位に立とうとする、その一環の中で起こった人事事件です。もちろん優秀な人だったので投資会社がそのチェコの会社に投資するにあたりボードメンバー(取締役会)と副社長、言ってみれば取締役にして執行役員でもある、として彼を雇ったのです。私はエンジニアだったので上の人事が変わろうが影響は受けないのですが新しく入ってきた私の”新しい上司”とはあまり馬が合わず(30年近いUSでの仕事で唯一馬が合わなかった)、転職を考えていた時でもあったのです。ちょうどそのころGAFAの一社にいた元同僚がエンジニアのポジションを紹介してくれ20年ぶり(?)にジョブインタビュー(面接)を受けていました。この会社面接の厳しいことでしられ、都合13人と技術面接をしましたがオファーを受けることができました。ちょうどそのころです、その元上司に”手伝ってくれ”と頼まれたのは。普通に考えるとGAFAの一社でしょう。給与面、待遇面等で雲泥の差がありましたから。でもたっての頼みで且つ、R&Dエンジニアではなくこれまで通りマーケティングに属するエンジニアということで、R&Dに戻れるかな、といった不安もあったので家族には”うまくいったときの絵空事になるような話だけ”してGAFAのオファーを取らなかった。ちなみに今はGAFAの一社にいますがべつの会社です。GAFAのうち3社インタビューの経験があり2社はパスした。。。

でも今はその会社ではもう働いでいません。入って分かったことですが製品が大学生の卒業研究程度のものでとてもじゃないが競争力がないことが分かった。詳しいことまでわかっていなかったその元上司と話し合い、とにかく今とりかかったUSでの大きな案件、これはデザインサービスで製品をうるというよりエンジニアを売るようなことだから何とかなるだろう、そのうえで小さなグループで中国市場に特化した製品を作ろうと早速”軌道修正”をしたのですが、先にも書いたことがありますがチェコ人は私たちにとって仲間にはなれなかった。やり始めたのですから何とかしようとしましたがどうにもならない。 USAの大きな商談を失ったあとはもう中国しかないと3週間に一度(つまり毎月)のように中国に行くようになりましたが競争はとても激しくとにかくあのスピードについていく必要があるのですがチェコのスピードは日本のスピードよりもまだ遅く完全に周回遅れな状態。

自分の自己修正の時が来たと悟り、元上司には悪かったのですが、以前顧客にしていたGAFAの一社が以前から一緒に仕事をしないか?と誘ってくれていたので形式だけ面接を受けた後入社しました。オファーをもらって”辞める”と言ったところ、”よく今まで働いていてくれたな。すぐ諦めて辞めるかと思った”と言ってくれたので”ほっと”したのを覚えています。私の失敗は私の上司はビジネスを見てきたが技術がわかる人ではなかった。技術者が大切なベンチャー企業に賭けるのだからエンジニア、エンジニアのトップと少なくともインタビューをしておくのだった。チェコだしても行くことはできたわけです。どんなメンバーでどんな製品(技術)なのか、見ておけばたとえ元上司の頼みとはいってもこの会社を手伝おうとはしなかったはずだからです。自分の失敗を何とかしようとあれこれ、本当に毎日ありとあらゆるコネクションを使って顧客訪問とその結果をR&Dチームに渡していましたがらちが明かず前に進めないでいましたから。軌道修正するタイミングだったのですね、私の仕事の軌道修正。結果、いまはR&D部門に戻っています。

失敗とわかったら軌道修正できるんだと覚えておく。 同時に頑固さも大切。こんなことを書いたので”軌道修正すればいいんだ”と安易に考えるのは良くないかな、でも。私はベンチャー企業に19年もいました(ほとんど創業時からのメンバーのひとり)。19年の最初の7年は紆余曲折の連続でした。給与カット30%、6%、2%を経験したので会社が買収されたときの給与はその時点で入社時の給与より少なかった。13年働いて下がる一方だったのですね。会社が買収されたときにいわゆるストックオプションが現金化されてカット分以上になりましたが給与カットが有る事に辞めていく同僚もずいぶんといました。他にチャンスは沢山ありましたからね。自分たちの技術と仲間を信じていたので”売れない理由は何だろう”ということでセールスと一緒に顧客を回りました。それが縁でR&Dからよりセールス側に移っていくことになったのですが”良い技術だ”という確信はあったのです。私自身のやり方を変えて貢献してみようとそんな軌道修正はしましたが”安易な”修正 (他社に移る)ではなかった。頑固だけだったのかもしれないですがね。実際かなり頑固な親爺ですから。偏屈者だそうです。これは母が私が若いころよく言ってました。私を一言で表すならこの表現が一番ぴったりです。

料理は失敗作だらけです。やり方を見ても、読んでも自分で試すと上出来のことは少ない。。。でもなんか好きになりあれこれ試しています。うまくいくとあっと言う間になくなるしそうでなけれは私が責任をもって食べています。責任を取るほうが未だに多い。。。

上海

中国について2度ほど書いてきました。今日現在(2020年8月)中国に関して話題になるのはコロナウイルスと中米(トランプVS習のいがみ合い)が巻き起こしている経済的、政治的不安定でしょうか? 政治的なことをブログの対象にはしないと決めているので中立的な立場で純粋にビジネス的な立場でブログに2度ほど書きましたがまだ”都市”をタイトルにしたブログは書いていませんでした。 というわけでこれが最初の中国 都市バージョンのエントリーになります。

中国はビジネスでのみ行った国なので行先は北京、上海、深圳といったメガシティーでかつハイテク産業に力を入れている都市になります。その衛星といっては失礼ですが周りの都市として杭州、天津などへも行っていましたが頻度的には少ない。成都まで出かけたこともありますが例外かな? 香港は空港だけ。深圳に行くのに陸路を使うと香港経由になるのです。

わけても私は上海に一番多くの回数行きました。上海に一番大きな顧客がいたのが理由ですが年少なくとも2度は上海に行っていた。上海の新しい地域である浦東エリアが仕事での主戦場になるのですが開発速度の速さには本当にいつも驚きました。中規模のいわゆるオフィスエリア(オフィスとレストランなどの複合施設)は6か月もすると新しいのが“産まれる”といったスピードで前回行った顧客のオフィスが新しいビジネスエリアに引っ越しているというのはもう普通な出来事でした。オフィスエリアに入ると中国語のスローガンと基本”赤”で装飾する(中国人は赤色を好みますから)のを除くといわゆる西洋的で私の会社の中国オフィスがあったKerry Parkエリアなど、USにいるんじゃないかと錯覚すらします。Kerry Partエリアは特に特別だったかな。地下に下ると中国的もなりますが2階、3階あたりはショッピングエリアも私の住む近所のショッピングモールとあまり雰囲気が変わりません。”中国人が大半だろう?”ですが、私の住む界隈はアジア系住人が人口の40%を占めますから”よく似た”光景なのですよ。 

なので仕事を終えたら浦東にはあまりいないで西側(川の西側)のいわゆる上海に行っていました。仕事は過酷になりがちでしたがさすがに着いた当日は夕方なこともあり仕事がないのでホテルをチェックインしたらすぐにそのエリアに向かっていました。地下鉄網が完備しており便利です。しかも電車料金は格安。というか、どの国の電車料金と比較しても日本の電車料金は異常なくらいに高額だと思います。中国では電車の駅に入るにはカバン検査があります(飛行場と同じく)。あれだけの住人がいますが一人漏らさずチェックするのですから大したものです。上海はまだそれでもましなたぐいで今度北京についても書こうと思いますが北京は首都ということもありチェック体制は何重にもなっていますよ。そんなわけで仕事を離れたら私はカバン等は一切持たないようにしていました。ちなみに中国はいたって安全な国だと思います、都市部しかしりませんが。

河沿いにバンドと呼ばれる一帯があります。 上海が西洋の租借地だった時代に作られた西洋風の荘厳なビルが林立しています。夜になるとライトアップされてとてもきれいです。河沿いは遊歩道になっており、上海住人、観光客で溢れかえっています。遊歩道から浦東側を望めますが対岸は新しいファイナンスエリアになっており銀行関連のビルが林立しているのと新しい上海を示すタワーも見ることができます。何度か歩きましたが歩いているとほぼ決まって中国人観光客に”写真”と取ってほしいと言われました。中国語少しだけならわかるので撮ってあげましたが、難しいリクエストをされるとさっぱりわからず、まだまだ一般会話をするには至っていないなと痛感。 バンドの写真と対岸の写真を添付します。

西側には大きな’ショッピングエリアもあり、まさしく中国です。ひとの数とその喧噪はすごいものがあります。とにかく人、人。 ですが、一歩その大通りから外れると高級ホテルやブティックが並ぶとてもしゃれたエリアになります。そのあたりにあるホテルに今度予約しておくよ、と以前働いていた会社の同僚が言ってくれていたのですが、会社を辞職してしまい達成できなかった。昨年上海で会ったら、”あのホテルに泊してから辞めればよかったのに”と言っておりました。チェコの会社でコンサルタントをしていた時期でそれまではいわゆる”外国人”が宿泊するホテルに滞在していましたが”中国人ビジネス客”が宿泊するホテルに滞在するようになりずいぶんとかってが異なり彼にぼやいたので。。。 今の会社、中国行くとするならコンファレンス出席になりますがあの河沿いのホテル宿泊できるかな~と思ったりします。逃したのは残念。

フレンチクオーターという一角は中国共産党発祥の地としても知られていますが今はとてもおしゃれな一角になっておりショッピングと食事のエリアです。一緒に行った同僚(私の上司になる)と着いた当日はその一角で時間を過ごしたものです。現地の同僚が一緒しますがそこで初めて実際の予定を聞き、作戦会議を開いたものです。難題があっていくことも多かったので飛行機に乗っている間進捗も知っておく必要がありましたから。とは言え、外のテラスでの食事は飛行機疲れをとるには良いところでした。 

上海は大きな町ですが歩くこともできます。地下鉄が至る所にあるので、一駅歩いてみると新しい発見を沢山することができます。ショッピングエリアは至る所にありまあ、もう世界中のありとあらゆるブランドのロゴを見つけます。アップルストアも何店舗のあり、しかもどれも大きい。中国はとにかく何でも”大きく”作りたがる(人口があるから仕方ない?)。大きいことは良いことだ(必要だ)なのです。スターバックスも沢山あります。これだけ米中いがみ合いをしているのに大丈夫かな?と思ったり、政治家はいがみあってるけど中国人は基本的にアメリカや日本のもの(そして私の経験だけでいうとアメリカじん、日本人)好きですから。ニュースだけ見ているのと実際に接してみるのはずいぶん異なると思います。

小さな店がひしめき合っていてとても楽しい中国的なエリアで。地下鉄が大体4元ですから18元というのは高い。。。

有名な公園(有料。中国人の友人曰く、社会主義の国だけど、中国に”無料”という言葉はない。。。とか、とにかく有料なところが多いように思いました)で。怒っているのかな?真っ赤な顔ですね。

自信がつく

自分に自信がつく機会(まさしく瞬間)が人生長く生きていると何度か訪れるものだと思います。例えば 入試に合格した、難関な資格試験にパスしたときなどを挙げることができそうですね。まだまだ沢山あります、例えばもっと挙げると。

ー初めて商談をうまくまとめた。 セールスとしてやっていけそうだ。

ー気になっていた異性とデートの約束ができた。

なども立派にそんな瞬間ではないでしょうか? 

ただ、私自身の経験を振り返ると例えば資格試験にパスしたというのは自信というより満足感に近いようにも思います(私もいくつか日本の国家資格を持っています)。もう30年以上も前になりますが、入試にしても達成感と満足感が大きかったように記憶しています。 デートの約束は自信というより嬉しさですね。となるとこの少ないリストの中では”初めての商談”と言うのが自信というか、やっていけそうだという自分に対するコンフィデンスにつながりそうです。

こんな自信につながるイベント(機会)は人生の中で何度か訪れると思います。何事も不安があるのもです。私は10年以上も設計現場から離れていましたが縁あって昨年末ごろ再び設計の第一線に戻りましたが10年も離れていて実際設計できるのかなとオファーにサインをした後もかなり不安でした。経験年数だけはあるのでエンジニアとしてのポジションはかなり高いところでオファーを受けたのでそれなりの期待もされていましたが”できるのかな?”と。。。家族曰くかなり不機嫌だったそうです。確かに不機嫌だった。。。

私自身が自信を持てたイベントはアメリカにやってきてからでした。日本支社から毎年トレーニングと人的交流を兼ねて一人(若手)エンジニアを本社に1年間出向するプログラムがあったのですがちょうど私の番になり初めての海外がその出向でボストンまで出かけていきました。入れ替わりで帰る同僚と一か月一緒になるのでその間に仕事、生活その他全部”習う”のですがそれが終わると日本人はまさしく一人になります(あのビルには誰一人他に日本人はいなかった)。例年のことなので受け入れ側は慣れたもので色々と教えてくれますが基本的には勉強と人的交流を作るというのが目的だった。 当初はそのはずだったのですが受け入れ先の一つのプロジェクトが遅れに遅れてしまい、別のプロジェクトを始める人員が足りなくなってしまい私もプロジェクト要員として入ることになったのです。日本にいる私の上司はあまり乗り気ではなかったのですが本社はやはり強く私は当面の間という約束でプロジェクトに編入されました。やっていたことはある部分の設計だったのですがメインのエンジニアが入ってくるまでの間の繋ぎ程度の立場でした。つまりあまりあてにはされていないがその部分の設計に手を付けないでいることもできないから、と言ったところですね。細々とやっていましたがそのプロジェクトを仕切っていたマネージャ(私のホストとなる人ではなかった)とは時々それでも進捗などを話し合っていました。彼は奥さんが英語の先生であの当時英語を母国語にしない生徒に英語を教えていたこともあり、私のつたない英語にもかなり辛抱強かった。3か月ほどたったころ、そのプロジェクトのレビューがあり彼は私にも進捗を発表しないか?と言ってきました。そして ”これからは英語で考えて英語をしゃべれ”とあの時アドバイスを受けましたよ。”お前はまだ、日本語で考えて英語の訳している”、とね。当日知ったのですがそのレビューは部門の一番偉いエンジニア(兼副社長)も出席していたのです(年次プロジェクトミーティングで年一度の大きなイベントだったのです)。つまりそうそうたるメンバーが出席していたわけです。私は30分ほどの時間でしたがとにかくひたすらにしゃべっていました(今でもよく覚えている)。パワーポイントなどなくプロジェクタを使うので資料もほとんど手書きでした。ひたすらに話、質問にも答え、初めての経験でかなり疲れたのも覚えています。さてその次の日、ホストのマネージャに呼び出しを受けました。かなり上のランクで日ごろはほとんど接触がなかったのですが、彼は”前日のレビューは順調に言ったと聞いた。Mike(副社長)がお前(私)にその部分の設計を任せろと言った”ので今日から正式にお前の担当になる。もう日本にもMikeが知らせた(つまり上からの命令という形になった。)それとMikeがコロラド(彼の本拠)でのフォーラムにお前を招待したからコロラドに行く準備をするようにと。フォーラムに参加できるのは非常に限られたエンジニアだけでした。 つまりMikeに認められたわけですね。Mikeが認めたというわけでその日以降突然色々な人がやってくるようになりました。詳しくお前のアイデアを説明してくれ、と言うのですね。まるで芥川賞をもらった新人作家のような感じでしょうか?。コロラドにも行きました。Mikeが色々とお膳だけをしてくれたのでそれまでの人脈とは違うもっと上のレベルのエンジニアと議論する機会できたのです。あの時ですね、やっていけると感じた(確信した)のは。プロジェクトチームに正式に編入され(本社勤務に変わった)担当部分の責任者となり私自身若かったですがより若手エンジニア3人とチームを組むようになりました。たった一回30分の発表でしたがあれが今自分がこのエンジニアリングの世界でやっていけるという確信をもったきっかけな機会です。以後は、より面白いプロジェクトに社内で移っていけるにもなりましたし(色々後押ししてもらえた)、皆が行きたかったカリフォルニアのオフィスにもその当時の上司が選んでくれました。

あのときもしうまくいかなかったらどうしていただろうと考えたことが何度かあります。どうしていたか? いやどうなっていたか? どうなっていたかは予想はつきます。暫定的にプロジェクトに入っていただけですから時が過ぎたところで日本の部署に戻っていたでしょう。もともとはトレーニングが主体で来ていたわけですから。どうしていたかな? なのですが今考えてもよくわからない。細々とやっていたのかな?何か探したのかな?

チャンスに備えて日ごろから準備しておくんだとは誰もがいうんですね。私もそう思うんですが準備ができていないからってチャンスを逃してはだめだと先のブログで書きました。私はあのミーティング、あのマネージャに言われたとき”やりたくない”とだけは言わなかった。よくわからないが彼も”良いチャンスだからやると言え”とだけ言ってましたよ。良いマネージャでした。実際あれほどのチャンスは中々なかったですから。当日まで誰がでるのかもよく知らなかったのですがたぶん興奮もあったのでしょうね、とにかく自分でも驚くほどにしゃべり続けましたから。 まさしく日本語から英語への頭の中での翻訳をしなかったと記憶しています。あの日以来翻訳をしなくなりました。

あれ以来カリフォルニアに来てもずっとエンジニアができているし、いい会社に誘ってくれるし、その時以降、もう”できない”とは思わなくなりましたね(最近マーケティングからエンジニアに戻った時はさすがに悩んだですが)。難しいけれど、なんとかなるさ、という自信はどこに転職してもあります(転職8回の経験者)。

そういった機会が人生ではあると思います。その時が早くやってくる人もいれば私のように30を過ぎてからのこともあるんです。

最後に、機会は決して平等に与えられるわけではないです。機会平等というのは実際の社会ではまず無いと思います。だからこそ、機会がやってきたら”逃すな”と言いたい。

料理色々と試しますがまだまだ失敗が多い。。。

チャンスが来たら

フランクシナトラのマイ ウエイ という曲、知っているでしょうか? 私はシナトラというより テイラー スイフトのファン(実は年配のファンも多いのですよ)ですがシナトラの声は良いと思いますよ。

さてその曲でも言っているんことですが、チャンスができたら ためらわず、怖がらずにまずはとってみるのですね。 それから考える。逆じゃなく。

昨年一年ほどチェコの会社のコンサルタントをしました。一番の仕事はちょうどそのころ始まった会社の運命を左右するほどの大きな商談、シリコンバレーにある会社ですが、それを成功させるというのが私のメインな仕事でした。それが取れたら会社はあと5年は予算的に大丈夫なくらい大きなビジネスだったのです。チェコの小さな会社にするともう考えられないような話です。しかも私の上司と私は商談がとれたら早いうちに吸収合併させる方向に進めていく予定でもいたのです。かれはボードメンバーでしたからボード(取締役)を説得し、わたしは顧客サイドにそれとなく探りをいれてその可能性も十分検討してあったのです。競合は2社。一社はシリコンバレーの会社でもう一社はアジアの会社でした。

良いところまで話を持っていくことができ、こちらのエンジニアリングの責任者(CTO)を交えたミーティングにまでこぎつけたのです。その大事なミーティングに先立ち作戦会議のミーティングをチェコでしましたが私は出席する予定の人すべてに ”絶対にスケジュールの話はするな。技術的な点のミーティングに特化すること”と何度も釘をさしておきました。技術的に非常に難しい課題があったのですが、相手は技術面というよりスケジュールを気にしていたのです。小さな会社ですからスケジュールにコミットできるのかどうか。。。

さて、ミーティング当日。当初の予定通り進んでいったのですが(朝から夕方までのそれは長いミーティングでした)、最後にその日の締めくくりをしたとき、相手が”最後に何か質問があるか?”と聞いてきたのですね。 私は”今日の議題を持ち帰って検討するまで今のところない”と答えようとしたのですがCTOが最後に”スケジュールは少し融通性があるのか?”と言ったような質問をしてしまった。。。 あれほど絶対にするなと言ってあったのに。。。 顧客側は少し確認してみると言ってくれましたが私は”おとした”と思いましたよ。実際ビジネスは結局取れませんでした。

怖くなったのですね。とにかく厳しいスケジュールを提示されていましたから。だから確認してみた、となるのですが、あの場合”やる、できる”という意思表示が何よりも重要だったのです。何度も言ってあったのですが、若いCTO(30代)で最後にやはり怖くなったのだと思います。後ほど顧客からスケジュールは多少融通が利くと言ってきたのですが”それみろ、聞いてみるものだ”と彼らは言ったのですが”あれはもう選択から落ちたというのと同じだ”と私はわかっていました。

どうやってやるかは後で考える そんなときもあります。ビジネスに限ったわけじゃないですがまずは取らなくてはいけない場合があるのです。得てして逆になるのですがこんなチャンスはない、という機会が訪れたらまずは”とってしまう” それからさてどうするかと考える。できるようになってから ではチャンスを逃すことがあるよ、ということです。

とくに若いうちは自分の前にチャンスがやってきて、そのチャンスを取りたいと思ったらまずは”とること”、これは覚えておいて損はないです。

写真はビバリーヒルズ。ハリウッドの映画スターも沢山住んでいますね。新人で無名だった俳優が一躍スターになることもできるのです。そんなチャンスがやってきたら、できるか、できないかなんか考えないでしょう?オファーがやってきたらまず”やります”と言うに違いない。それからかんがえるでしょう?仮に自分に力不足を感じたら、と思います。 チャンスは逃すな!です。

彼もなんども挑戦した結果今がある。。。

日本の雑誌


日本の良いもの上げなさいと言われたら私は

食事、100円ショップなどの小物、品質の良い格安な高級品(例えば時計、セイコーの時計、品質はスイス製以上で値段は格安)、ケーキ、等々際限なく上げることができますが私はそのリストに

入門書 と

雑誌

を加えたい。

日本は入門書天国です。書店に行ってみると同じようなタイトルの入門書が沢山あります。ちょっとテレビなどで評判になるとあっという間に入門書が店頭に並びますね。入門書は書きやすいのです。私は仕事柄以前トレーニングのための書籍(といっても一般には販売しません)を書いたことがありますがトレーニングって入門ですね。決められた時間内で書き終えることができました。ただ入門書を読んで(勉強)わかった気持ちになるのは実は危ない考えです。入門書を勉強してもそれはあくまでも入り口に立ったという程度ですから。その次に進まなくてはいけないのですが、私の見たところその次にあたる書物は日本とても少ないと思います。その次って、教科書(テキストブック)です。アメリカやヨーロッパの教科書を手にされた経験もあるかもしれないですね。日本の教科書と何がことなるでしょう? まずページ数。アメリカの教科書は300~600ページは普通です。振り返り日本は教科書は得てして薄い。記載できる情報はページ数と相関関係があります。 昔聞いた話ですが日本の教科書はあくまでも授業の補足のため。アメリカの教科書は自習のため。考え方の違いかもしれませんが社会人にもなって時間に限りがある場合学校に戻るというのは難しいでしょう。それに夜間のコースは残念ながら日本はアメリカと比較すると非常に手薄(今はオンラインがありますが、対面のコースはそれでも重要)。教科書を補足する形で参考書というのがありますね。専門分野になると参考書とはいわず専門書とよく言いますがこれもやはり日本の書籍は少なくとも私が属する分野では特に見劣りします。というわけではないですが、外国の、特にアメリカの大学教授たちの執筆した書籍を頼りとすることが多々出てきます。それについて。日本語版をある関係で何度か読ませていただいたことがあります。英語のオリジナルは手元にあったのですが、日本語版を読んでもさっぱり理解できない場合が多々ありました。30年もこちらにいるから日本語能力が落ちたんだろう~と思われるかもしれませんが(私も最初そう思った)、そうではなく、どうも限りなく英文の構成に合わせて翻訳されているからだと分かったのです。日本語を読んでいるときはもちろん頭は日本語で考えるのですがそうすると全然その日本語が理解できなくなるのです。英文の同じ個所に戻って読んでみると理解できる。今は翻訳に自動翻訳を取り入れられ人間の翻訳者と自動翻訳の共同作業になっていると聞いたことがありますがその影響でしょうか?とにかくわかりずらい翻訳本が多いなという印象を持ちました。よい教科書をいずれ書きたいなと言ったことがあるのですが、”辞めておけ”という。。。 理由はあんなに大変なことはない、大変なのに見返りが少ないのだとか。。。

さて、ようやくタイトルの雑誌。 日本の雑誌ほど読んでいて楽しい雑誌はありません!日本はマニアックなくらいに写真や解説のための図解図などを駆使されてとても楽しい雑誌を出版しています。写真はどれもこれも本当に美しい。これだけオンラインで情報が取れる世の中ですが日本のざっしに勝るようなオンラインのページを見かけることはあまりありません。私は時計関連の雑誌をアマゾンジャパンを通して時折購入しますが注文した雑誌が届くと嬉しくてしかたないです。

雑誌の収入源は広告なので雑誌の記事は広告主の商品、サービスを決して批判しません(多少はするのですがそれでも最後はポジティブな終わり方をする)。ですから雑誌を読んだだけでは一方的になるので何か購入を考える場合オンラインのフォーラムなど別媒体も参考にするべきだと思いますが写真、商品の詳細そのたについては雑誌がいつも一歩抜き出ていると思います。

ですから日本の雑誌はじつのところ海外でも購読されているのですよ。写真と図解図を’見ているだけで楽しいからです。こと趣味の雑誌にもなると(私が読んでいる時計関連の雑誌とか)豊富な写真、しかも日本の編集者はマニアックに取材をするので製造現場、時計内部など他の雑誌ではあまりみることのできない写真も非常に豊富で日本語を読めなくても十分に楽しめるのです。アメリカにも似たような雑誌がありますが以前写真の枚数を比較したことがあります。3~4倍は日本の雑誌の方が多いです。またカルチャーなのかもしれませんが、英語は文章で説明しようとしますが日本はできる限り図解であまり文章での説明に入りません。図は言語を問わず理解できるので翻訳してある必要もないのです。また図のキャプション程度ならオンライン翻訳も十分活用いるので必要であればオンラインで確認もできましね。インターネットがここまで発達していますがぜひとも日本のマニアックな雑誌これからも出版され続けてほしいし、もっと日本国外でも読まれるようになってほしい。もっとももう女性の雑誌は台湾、香港では本当普通に読まれています。私の台湾にいる元同僚(女性)も日本の女性雑誌の読者でした。雑誌は立派な日本のカルチャーでもっと輸出できると思います。

専門的な雑誌も内容がありました。アメリカなどでも雑誌があるのですが通常Freeなことが多い。広告で費用を賄っているからですし通常定期購読が必要でしかも結構な金額です。それに見合った内容だった。 ”だった”と過去形にしているのは少なくとも私の仕事分野では雑誌の休刊もしくは縮小が進んでいるように思います。もうずいぶん以前のことですが日経マイクロデバイスという雑誌を日経が出していたのですが今は休刊になっているはずです。80年代、90年代と日本がシリコンをリードしていたころはこの専門雑誌、非常に内容があり執筆も調査を十分された濃い記事だったのです。関連する産業が日本で衰退していったにつれて雑誌も休刊に。以前も書きましたが私は日本にシリコンを今一度復活させるのは国家事業レベルでやっていただきたいと思います。

写真は雑誌とは全然関係ないです。スイスのチューリッヒ一番のショッピングストリートで。この通り沿いだけでも時計のお店がいくつもならんでおり高級ブティックなどもありましたが日曜は店が閉まっており閑散としておりました。月曜になると人のでもありとても賑やかになっていました。 

f:id:Interstate280CA:20200802035121j:plain
日曜のショッピングストリートは閑散としていた