失敗 と 仲間

失敗を恐れるな、若いうちは沢山失敗をしろ、失敗が将来の糧になる。。。なんて聞いたことないですか?会社で上司、先輩(経験やランクは上の同僚・先輩は日本的。。。)、はたまたより身近な友人、先生、家族(両親や叔父、叔母など)がアドバイスとしてくれるかもしれない。

でもね、そういったアドバイスをくれる人、”あなたたちは失敗をしてきたの?”ときいてごらんなさい。私の予想、ほとんどが”失敗を恐れてやってはいない”はずです。私はよく言うのですが”言うのはただ。いまや言葉に責任を持つ”人は政治家や官僚、いや、会社のトップをみてもあまり見受けないでしょう?だから”失敗を恐れるな”、実は”失敗したら責任は全部君が負うんだ”っていうことなのです。”若いうちは沢山失敗しろ”というのは”やってみろ、だめだったらその責任は私が負う”と言える人が使う言葉だったと私は思います。”頑張ってください。応援してます”ともよく言いますがこれは全然意味がない言葉だと思う。英語でいうグッドラックに近い。これ、言ってみれば、”バイバイ、またいつかね”とも取れるわけです。

失敗はやっぱりとても怖いです。沢山失敗しろといっても一度でも凹んでしまいます、実際には。事業など一度の失敗が命取りになりその後中々立ち直れないのは普通のことです。”かけ”になるようなことをしたくはないのは誰も同じ(だから私を含め大多数は“勤めているわけ”です)。

以前のブログで”チャンスは逃すな”、アーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにある”辞めたほうがいいよ”といった否定的な言葉に耳を傾けるな、などと書いておいて”おいおい、今度は失敗について書くのか?”と”言ってることが違うじゃないか?”と思うかもしれないですね。

失敗を想定して物事を始めよ、といっているのでもないです。やるからには成功する、やりとげる、その意志は必ず必要です。でも、”軌道修正する”柔軟さも必要なのです。得てしていったん始めるとこの”軌道修正”ができないことが多いです。もしくは”軌道修正”ばかりしている。どちらも成功には程遠い、と思います。少なくとも私は、これまでの人生、仕事 そうだった。かたくなになって失敗した経験とちょっとなにかあっては”やり方がだめだ”とか、なんとか、かんとか自己理由をつけて辞めてしまったり、目標を変えたり。。。こんなのばっかり。 

コロコロとやり方を変えたり目標を変えたことは結局自分にとってどうでもよかったことなのでここでは”かたくなになって”軌道修正ができなかった場合での失敗を挙げています。これまで本当に沢山してきましたがその失敗のほとんどが”自分でやろう”としての失敗が多かった。前にブログにも書きましたが成功への一つの鍵として”仲間”がいるのです。前にもかきましたが同僚(友人)のような仲間もいれば、上司、部下、メンター(アドバイスをくれたり、愚痴を聞いてくれるような人)のような仲間もいるのですが、”迷惑になる”、”聞いてはもらえない”とか、色々と自分の中で理由を作って”これは自分でしないとだめになる”という思いが強くなることがあります。私は芸術家、作家といった職業ではないのでこういったその人個人が”勝負”といった人たちのことは全くの素人なのでここで書いていることが万人に通じることだとは言いませんが。よくあるのが”仲間を裏切れない”ではないでしょうか? 特にその仲間が友人だったり元の上司(恩人)だったりした場合気持ちとして難しくとても悩むことがありますね。

 その仲間について。

先のブログで昨年は元上司のお願い(誘いと書きたいが実際のところ何度もお願いをされた)でチェコにある小さな会社のコンサルタントをしていました。一昨年前ごろ勤めていた会社を彼は辞めさせられるような形で辞職していきました。これはUSではごく普通にみられることですが、CEOが新し部門長(副社長クラス)を雇った場合新しく来た人はそれまでの上位にいるマネジャを全部変えて自分が新たに雇うことで人事面で優位に立とうとする、その一環の中で起こった人事事件です。もちろん優秀な人だったので投資会社がそのチェコの会社に投資するにあたりボードメンバー(取締役会)と副社長、言ってみれば取締役にして執行役員でもある、として彼を雇ったのです。私はエンジニアだったので上の人事が変わろうが影響は受けないのですが新しく入ってきた私の”新しい上司”とはあまり馬が合わず(30年近いUSでの仕事で唯一馬が合わなかった)、転職を考えていた時でもあったのです。ちょうどそのころGAFAの一社にいた元同僚がエンジニアのポジションを紹介してくれ20年ぶり(?)にジョブインタビュー(面接)を受けていました。この会社面接の厳しいことでしられ、都合13人と技術面接をしましたがオファーを受けることができました。ちょうどそのころです、その元上司に”手伝ってくれ”と頼まれたのは。普通に考えるとGAFAの一社でしょう。給与面、待遇面等で雲泥の差がありましたから。でもたっての頼みで且つ、R&Dエンジニアではなくこれまで通りマーケティングに属するエンジニアということで、R&Dに戻れるかな、といった不安もあったので家族には”うまくいったときの絵空事になるような話だけ”してGAFAのオファーを取らなかった。ちなみに今はGAFAの一社にいますがべつの会社です。GAFAのうち3社インタビューの経験があり2社はパスした。。。

でも今はその会社ではもう働いでいません。入って分かったことですが製品が大学生の卒業研究程度のものでとてもじゃないが競争力がないことが分かった。詳しいことまでわかっていなかったその元上司と話し合い、とにかく今とりかかったUSでの大きな案件、これはデザインサービスで製品をうるというよりエンジニアを売るようなことだから何とかなるだろう、そのうえで小さなグループで中国市場に特化した製品を作ろうと早速”軌道修正”をしたのですが、先にも書いたことがありますがチェコ人は私たちにとって仲間にはなれなかった。やり始めたのですから何とかしようとしましたがどうにもならない。 USAの大きな商談を失ったあとはもう中国しかないと3週間に一度(つまり毎月)のように中国に行くようになりましたが競争はとても激しくとにかくあのスピードについていく必要があるのですがチェコのスピードは日本のスピードよりもまだ遅く完全に周回遅れな状態。

自分の自己修正の時が来たと悟り、元上司には悪かったのですが、以前顧客にしていたGAFAの一社が以前から一緒に仕事をしないか?と誘ってくれていたので形式だけ面接を受けた後入社しました。オファーをもらって”辞める”と言ったところ、”よく今まで働いていてくれたな。すぐ諦めて辞めるかと思った”と言ってくれたので”ほっと”したのを覚えています。私の失敗は私の上司はビジネスを見てきたが技術がわかる人ではなかった。技術者が大切なベンチャー企業に賭けるのだからエンジニア、エンジニアのトップと少なくともインタビューをしておくのだった。チェコだしても行くことはできたわけです。どんなメンバーでどんな製品(技術)なのか、見ておけばたとえ元上司の頼みとはいってもこの会社を手伝おうとはしなかったはずだからです。自分の失敗を何とかしようとあれこれ、本当に毎日ありとあらゆるコネクションを使って顧客訪問とその結果をR&Dチームに渡していましたがらちが明かず前に進めないでいましたから。軌道修正するタイミングだったのですね、私の仕事の軌道修正。結果、いまはR&D部門に戻っています。

失敗とわかったら軌道修正できるんだと覚えておく。 同時に頑固さも大切。こんなことを書いたので”軌道修正すればいいんだ”と安易に考えるのは良くないかな、でも。私はベンチャー企業に19年もいました(ほとんど創業時からのメンバーのひとり)。19年の最初の7年は紆余曲折の連続でした。給与カット30%、6%、2%を経験したので会社が買収されたときの給与はその時点で入社時の給与より少なかった。13年働いて下がる一方だったのですね。会社が買収されたときにいわゆるストックオプションが現金化されてカット分以上になりましたが給与カットが有る事に辞めていく同僚もずいぶんといました。他にチャンスは沢山ありましたからね。自分たちの技術と仲間を信じていたので”売れない理由は何だろう”ということでセールスと一緒に顧客を回りました。それが縁でR&Dからよりセールス側に移っていくことになったのですが”良い技術だ”という確信はあったのです。私自身のやり方を変えて貢献してみようとそんな軌道修正はしましたが”安易な”修正 (他社に移る)ではなかった。頑固だけだったのかもしれないですがね。実際かなり頑固な親爺ですから。偏屈者だそうです。これは母が私が若いころよく言ってました。私を一言で表すならこの表現が一番ぴったりです。

料理は失敗作だらけです。やり方を見ても、読んでも自分で試すと上出来のことは少ない。。。でもなんか好きになりあれこれ試しています。うまくいくとあっと言う間になくなるしそうでなけれは私が責任をもって食べています。責任を取るほうが未だに多い。。。

偏頭痛

片頭痛とも書きますね。女性に多いんだそうですが私はどうやら母親ゆずりで片頭痛持ちです。妹が二人いますがどちらも日本で看護婦をしている(していた)のですが至って健康で片頭痛を持っていません。男子に遺伝する確率は低いらしいが。。。 ただ、片頭痛だと分かったのはこの7年前ほどでそれまでは頭痛持ちな体質だと思っていました。鎮痛剤が全く効かなくなり頭痛専門医にかかりましたがそこで片頭痛とわかりました。薬をもらいましたがいや、人生が変わるくらい楽になりましたよ、片頭痛に襲われたときには。2時間もするときれいに痛みがとれます。あまり頻繁に服用できない(一か月10回までで週に3日の服用もできない。一日に2回の服用は大丈夫)。だから頻度を10日以下に減らすための生活改善も必要。現在の頻度は月12回程度、7年前は15日くらいはあったので少し減りました。20日もあると重度になるようでボトックス注射を保険適用で受けることができるそうで人によっては劇的に頻度が少なくなるそうです。生活改善の一つに毎日30分エアロビクスな運動をするというのがありジムに通っていましたが今のコロナウイルスためジムを自粛しているので最近また頻度が増えてきました。家の周りで色々運動はしていますが足りないんだなと。。。いや、たぶん自宅勤務でずっと座っているからか?オフィスにいるとミーティングだなんだでやはり色々あるきますからね。会社はキャンパス内にビルが40程度ありミーティングに出るにも自転車を使うことが多かったのでそれが適度の運動になっていたのでしょう。 片頭痛とわかってからは色々としらべ、”いい”と聞いた、読んだことは何でも試しています。とても残念なことに片頭痛持ちに温泉はあまりよくないのです。お風呂もね。温めるのは逆効果なのです。痛みがきたら基本冷やす。いずれ引退したら本格的に片頭痛を研究したいと思っています。自分のためにも片頭痛持ちの世界の仲間のためにも。エンジニアなので先日自分の人生を計算してみました。今の頻度だと残り人生の三分の一は頭痛。残り15年として実に5年! こんな計算をしたと言ったら医師からそんなとんでもない計算はするもんじゃないと。。。その通りですな。でもこの”発見”後、ますます頭痛と真剣に向き合おうと決意がついた。

タイトルは片頭痛ですが、愚痴るつもりで書いているわけではないです。そうではなく”決意”について。

頭痛、ずっと持っているし”仕方ない”と思っていましたが残り人生のそんな大部分を頭痛と暮らすのはもう”こりごり”と決意。とにかくできることは何でもするしあきらめることをしない。そんな決意ですね。

決意 って 大事ですよ。 ”決意する”とよく言いますが、私もよく言う、実は言葉だけなことが多い。人間、人生でそんなに沢山決意できるものではないと思います。というか私の経験ではそうでした。

私がした決意で人生を変えたのはもう遥か、遥か以前、17歳の時ですよ。高校2年頃ですね。その決意は”大学に行く”でした。 中学3年の時、卒業したらあの時は工業高校に進もうと思っていたのですよ。それがまあ両親の反対もあり普通科のいわゆる高校に進んだのですが高校出たら働くのかな~とくらいにしか思っていなかったですが、何だったか理由はしっかりとは覚えていないですが2年生に上がるとき”大学に進む”と”決意”したのを今でもしっかり覚えています。進める大学は国公立以外なくしかも一回勝負(つまりストレート入学)以外なかったのですが、何かにとりつかれたのか、あの決心(決意)をそれから2年間ずっと持ち続けました。誰にも言ったわけじゃなく、自分で決めたってところなのですが。後年母が言うには私は母に”いずれ 遠い、遠いところに行く”と言ったそうです。まあ、今現在そうなっているのですがその”遠い、遠いところに行く”には大学にいくしか考えつかなかったのかな。

あれほどの決意、長い人生でもほとんど無かった。。。わたしはよく”明日からは毎日30分走る”なんて宣言するのですがそれが自分の決意でもなんでもないことを知っています。決意ってそんなに軽々しくできない。でも決意、いったん自分の中に入り込んだらそんなに簡単に出ていくものでもないことを知ってもいます。

人生を変えるような決意する瞬間がきっとありますよ、という経験談でした。片頭痛、決意なのかそれとも単に言っているだけなのか、まだよくわかっていない。ただただ片頭痛は嫌だというのはわかっていますが。痛いのは嫌だ。

片頭痛持ちなのでほとんどのお酒は飲めません。ビールが唯一安心して飲めるが

それも頭が痛くないときだけ

です。おかげで?酔ったことはありません。その前に頭痛になるからです。 友人曰く、人生の楽しみの半分が楽しめないのは気の毒だとか。。。写真はプラハで飲んだピルスナーです。アメリカドルで1ドル程度。アメリカで買うペットボトルの水より安い。しかもこれまでで飲んだどのビールより美味しかった。片頭痛さえなければ数杯飲むんですが私は一杯だけでした。

自信がつく

自分に自信がつく機会(まさしく瞬間)が人生長く生きていると何度か訪れるものだと思います。例えば 入試に合格した、難関な資格試験にパスしたときなどを挙げることができそうですね。まだまだ沢山あります、例えばもっと挙げると。

ー初めて商談をうまくまとめた。 セールスとしてやっていけそうだ。

ー気になっていた異性とデートの約束ができた。

なども立派にそんな瞬間ではないでしょうか? 

ただ、私自身の経験を振り返ると例えば資格試験にパスしたというのは自信というより満足感に近いようにも思います(私もいくつか日本の国家資格を持っています)。もう30年以上も前になりますが、入試にしても達成感と満足感が大きかったように記憶しています。 デートの約束は自信というより嬉しさですね。となるとこの少ないリストの中では”初めての商談”と言うのが自信というか、やっていけそうだという自分に対するコンフィデンスにつながりそうです。

こんな自信につながるイベント(機会)は人生の中で何度か訪れると思います。何事も不安があるのもです。私は10年以上も設計現場から離れていましたが縁あって昨年末ごろ再び設計の第一線に戻りましたが10年も離れていて実際設計できるのかなとオファーにサインをした後もかなり不安でした。経験年数だけはあるのでエンジニアとしてのポジションはかなり高いところでオファーを受けたのでそれなりの期待もされていましたが”できるのかな?”と。。。家族曰くかなり不機嫌だったそうです。確かに不機嫌だった。。。

私自身が自信を持てたイベントはアメリカにやってきてからでした。日本支社から毎年トレーニングと人的交流を兼ねて一人(若手)エンジニアを本社に1年間出向するプログラムがあったのですがちょうど私の番になり初めての海外がその出向でボストンまで出かけていきました。入れ替わりで帰る同僚と一か月一緒になるのでその間に仕事、生活その他全部”習う”のですがそれが終わると日本人はまさしく一人になります(あのビルには誰一人他に日本人はいなかった)。例年のことなので受け入れ側は慣れたもので色々と教えてくれますが基本的には勉強と人的交流を作るというのが目的だった。 当初はそのはずだったのですが受け入れ先の一つのプロジェクトが遅れに遅れてしまい、別のプロジェクトを始める人員が足りなくなってしまい私もプロジェクト要員として入ることになったのです。日本にいる私の上司はあまり乗り気ではなかったのですが本社はやはり強く私は当面の間という約束でプロジェクトに編入されました。やっていたことはある部分の設計だったのですがメインのエンジニアが入ってくるまでの間の繋ぎ程度の立場でした。つまりあまりあてにはされていないがその部分の設計に手を付けないでいることもできないから、と言ったところですね。細々とやっていましたがそのプロジェクトを仕切っていたマネージャ(私のホストとなる人ではなかった)とは時々それでも進捗などを話し合っていました。彼は奥さんが英語の先生であの当時英語を母国語にしない生徒に英語を教えていたこともあり、私のつたない英語にもかなり辛抱強かった。3か月ほどたったころ、そのプロジェクトのレビューがあり彼は私にも進捗を発表しないか?と言ってきました。そして ”これからは英語で考えて英語をしゃべれ”とあの時アドバイスを受けましたよ。”お前はまだ、日本語で考えて英語の訳している”、とね。当日知ったのですがそのレビューは部門の一番偉いエンジニア(兼副社長)も出席していたのです(年次プロジェクトミーティングで年一度の大きなイベントだったのです)。つまりそうそうたるメンバーが出席していたわけです。私は30分ほどの時間でしたがとにかくひたすらにしゃべっていました(今でもよく覚えている)。パワーポイントなどなくプロジェクタを使うので資料もほとんど手書きでした。ひたすらに話、質問にも答え、初めての経験でかなり疲れたのも覚えています。さてその次の日、ホストのマネージャに呼び出しを受けました。かなり上のランクで日ごろはほとんど接触がなかったのですが、彼は”前日のレビューは順調に言ったと聞いた。Mike(副社長)がお前(私)にその部分の設計を任せろと言った”ので今日から正式にお前の担当になる。もう日本にもMikeが知らせた(つまり上からの命令という形になった。)それとMikeがコロラド(彼の本拠)でのフォーラムにお前を招待したからコロラドに行く準備をするようにと。フォーラムに参加できるのは非常に限られたエンジニアだけでした。 つまりMikeに認められたわけですね。Mikeが認めたというわけでその日以降突然色々な人がやってくるようになりました。詳しくお前のアイデアを説明してくれ、と言うのですね。まるで芥川賞をもらった新人作家のような感じでしょうか?。コロラドにも行きました。Mikeが色々とお膳だけをしてくれたのでそれまでの人脈とは違うもっと上のレベルのエンジニアと議論する機会できたのです。あの時ですね、やっていけると感じた(確信した)のは。プロジェクトチームに正式に編入され(本社勤務に変わった)担当部分の責任者となり私自身若かったですがより若手エンジニア3人とチームを組むようになりました。たった一回30分の発表でしたがあれが今自分がこのエンジニアリングの世界でやっていけるという確信をもったきっかけな機会です。以後は、より面白いプロジェクトに社内で移っていけるにもなりましたし(色々後押ししてもらえた)、皆が行きたかったカリフォルニアのオフィスにもその当時の上司が選んでくれました。

あのときもしうまくいかなかったらどうしていただろうと考えたことが何度かあります。どうしていたか? いやどうなっていたか? どうなっていたかは予想はつきます。暫定的にプロジェクトに入っていただけですから時が過ぎたところで日本の部署に戻っていたでしょう。もともとはトレーニングが主体で来ていたわけですから。どうしていたかな? なのですが今考えてもよくわからない。細々とやっていたのかな?何か探したのかな?

チャンスに備えて日ごろから準備しておくんだとは誰もがいうんですね。私もそう思うんですが準備ができていないからってチャンスを逃してはだめだと先のブログで書きました。私はあのミーティング、あのマネージャに言われたとき”やりたくない”とだけは言わなかった。よくわからないが彼も”良いチャンスだからやると言え”とだけ言ってましたよ。良いマネージャでした。実際あれほどのチャンスは中々なかったですから。当日まで誰がでるのかもよく知らなかったのですがたぶん興奮もあったのでしょうね、とにかく自分でも驚くほどにしゃべり続けましたから。 まさしく日本語から英語への頭の中での翻訳をしなかったと記憶しています。あの日以来翻訳をしなくなりました。

あれ以来カリフォルニアに来てもずっとエンジニアができているし、いい会社に誘ってくれるし、その時以降、もう”できない”とは思わなくなりましたね(最近マーケティングからエンジニアに戻った時はさすがに悩んだですが)。難しいけれど、なんとかなるさ、という自信はどこに転職してもあります(転職8回の経験者)。

そういった機会が人生ではあると思います。その時が早くやってくる人もいれば私のように30を過ぎてからのこともあるんです。

最後に、機会は決して平等に与えられるわけではないです。機会平等というのは実際の社会ではまず無いと思います。だからこそ、機会がやってきたら”逃すな”と言いたい。

料理色々と試しますがまだまだ失敗が多い。。。

チャンスが来たら

フランクシナトラのマイ ウエイ という曲、知っているでしょうか? 私はシナトラというより テイラー スイフトのファン(実は年配のファンも多いのですよ)ですがシナトラの声は良いと思いますよ。

さてその曲でも言っているんことですが、チャンスができたら ためらわず、怖がらずにまずはとってみるのですね。 それから考える。逆じゃなく。

昨年一年ほどチェコの会社のコンサルタントをしました。一番の仕事はちょうどそのころ始まった会社の運命を左右するほどの大きな商談、シリコンバレーにある会社ですが、それを成功させるというのが私のメインな仕事でした。それが取れたら会社はあと5年は予算的に大丈夫なくらい大きなビジネスだったのです。チェコの小さな会社にするともう考えられないような話です。しかも私の上司と私は商談がとれたら早いうちに吸収合併させる方向に進めていく予定でもいたのです。かれはボードメンバーでしたからボード(取締役)を説得し、わたしは顧客サイドにそれとなく探りをいれてその可能性も十分検討してあったのです。競合は2社。一社はシリコンバレーの会社でもう一社はアジアの会社でした。

良いところまで話を持っていくことができ、こちらのエンジニアリングの責任者(CTO)を交えたミーティングにまでこぎつけたのです。その大事なミーティングに先立ち作戦会議のミーティングをチェコでしましたが私は出席する予定の人すべてに ”絶対にスケジュールの話はするな。技術的な点のミーティングに特化すること”と何度も釘をさしておきました。技術的に非常に難しい課題があったのですが、相手は技術面というよりスケジュールを気にしていたのです。小さな会社ですからスケジュールにコミットできるのかどうか。。。

さて、ミーティング当日。当初の予定通り進んでいったのですが(朝から夕方までのそれは長いミーティングでした)、最後にその日の締めくくりをしたとき、相手が”最後に何か質問があるか?”と聞いてきたのですね。 私は”今日の議題を持ち帰って検討するまで今のところない”と答えようとしたのですがCTOが最後に”スケジュールは少し融通性があるのか?”と言ったような質問をしてしまった。。。 あれほど絶対にするなと言ってあったのに。。。 顧客側は少し確認してみると言ってくれましたが私は”おとした”と思いましたよ。実際ビジネスは結局取れませんでした。

怖くなったのですね。とにかく厳しいスケジュールを提示されていましたから。だから確認してみた、となるのですが、あの場合”やる、できる”という意思表示が何よりも重要だったのです。何度も言ってあったのですが、若いCTO(30代)で最後にやはり怖くなったのだと思います。後ほど顧客からスケジュールは多少融通が利くと言ってきたのですが”それみろ、聞いてみるものだ”と彼らは言ったのですが”あれはもう選択から落ちたというのと同じだ”と私はわかっていました。

どうやってやるかは後で考える そんなときもあります。ビジネスに限ったわけじゃないですがまずは取らなくてはいけない場合があるのです。得てして逆になるのですがこんなチャンスはない、という機会が訪れたらまずは”とってしまう” それからさてどうするかと考える。できるようになってから ではチャンスを逃すことがあるよ、ということです。

とくに若いうちは自分の前にチャンスがやってきて、そのチャンスを取りたいと思ったらまずは”とること”、これは覚えておいて損はないです。

写真はビバリーヒルズ。ハリウッドの映画スターも沢山住んでいますね。新人で無名だった俳優が一躍スターになることもできるのです。そんなチャンスがやってきたら、できるか、できないかなんか考えないでしょう?オファーがやってきたらまず”やります”と言うに違いない。それからかんがえるでしょう?仮に自分に力不足を感じたら、と思います。 チャンスは逃すな!です。

彼もなんども挑戦した結果今がある。。。

日本の雑誌


日本の良いもの上げなさいと言われたら私は

食事、100円ショップなどの小物、品質の良い格安な高級品(例えば時計、セイコーの時計、品質はスイス製以上で値段は格安)、ケーキ、等々際限なく上げることができますが私はそのリストに

入門書 と

雑誌

を加えたい。

日本は入門書天国です。書店に行ってみると同じようなタイトルの入門書が沢山あります。ちょっとテレビなどで評判になるとあっという間に入門書が店頭に並びますね。入門書は書きやすいのです。私は仕事柄以前トレーニングのための書籍(といっても一般には販売しません)を書いたことがありますがトレーニングって入門ですね。決められた時間内で書き終えることができました。ただ入門書を読んで(勉強)わかった気持ちになるのは実は危ない考えです。入門書を勉強してもそれはあくまでも入り口に立ったという程度ですから。その次に進まなくてはいけないのですが、私の見たところその次にあたる書物は日本とても少ないと思います。その次って、教科書(テキストブック)です。アメリカやヨーロッパの教科書を手にされた経験もあるかもしれないですね。日本の教科書と何がことなるでしょう? まずページ数。アメリカの教科書は300~600ページは普通です。振り返り日本は教科書は得てして薄い。記載できる情報はページ数と相関関係があります。 昔聞いた話ですが日本の教科書はあくまでも授業の補足のため。アメリカの教科書は自習のため。考え方の違いかもしれませんが社会人にもなって時間に限りがある場合学校に戻るというのは難しいでしょう。それに夜間のコースは残念ながら日本はアメリカと比較すると非常に手薄(今はオンラインがありますが、対面のコースはそれでも重要)。教科書を補足する形で参考書というのがありますね。専門分野になると参考書とはいわず専門書とよく言いますがこれもやはり日本の書籍は少なくとも私が属する分野では特に見劣りします。というわけではないですが、外国の、特にアメリカの大学教授たちの執筆した書籍を頼りとすることが多々出てきます。それについて。日本語版をある関係で何度か読ませていただいたことがあります。英語のオリジナルは手元にあったのですが、日本語版を読んでもさっぱり理解できない場合が多々ありました。30年もこちらにいるから日本語能力が落ちたんだろう~と思われるかもしれませんが(私も最初そう思った)、そうではなく、どうも限りなく英文の構成に合わせて翻訳されているからだと分かったのです。日本語を読んでいるときはもちろん頭は日本語で考えるのですがそうすると全然その日本語が理解できなくなるのです。英文の同じ個所に戻って読んでみると理解できる。今は翻訳に自動翻訳を取り入れられ人間の翻訳者と自動翻訳の共同作業になっていると聞いたことがありますがその影響でしょうか?とにかくわかりずらい翻訳本が多いなという印象を持ちました。よい教科書をいずれ書きたいなと言ったことがあるのですが、”辞めておけ”という。。。 理由はあんなに大変なことはない、大変なのに見返りが少ないのだとか。。。

さて、ようやくタイトルの雑誌。 日本の雑誌ほど読んでいて楽しい雑誌はありません!日本はマニアックなくらいに写真や解説のための図解図などを駆使されてとても楽しい雑誌を出版しています。写真はどれもこれも本当に美しい。これだけオンラインで情報が取れる世の中ですが日本のざっしに勝るようなオンラインのページを見かけることはあまりありません。私は時計関連の雑誌をアマゾンジャパンを通して時折購入しますが注文した雑誌が届くと嬉しくてしかたないです。

雑誌の収入源は広告なので雑誌の記事は広告主の商品、サービスを決して批判しません(多少はするのですがそれでも最後はポジティブな終わり方をする)。ですから雑誌を読んだだけでは一方的になるので何か購入を考える場合オンラインのフォーラムなど別媒体も参考にするべきだと思いますが写真、商品の詳細そのたについては雑誌がいつも一歩抜き出ていると思います。

ですから日本の雑誌はじつのところ海外でも購読されているのですよ。写真と図解図を’見ているだけで楽しいからです。こと趣味の雑誌にもなると(私が読んでいる時計関連の雑誌とか)豊富な写真、しかも日本の編集者はマニアックに取材をするので製造現場、時計内部など他の雑誌ではあまりみることのできない写真も非常に豊富で日本語を読めなくても十分に楽しめるのです。アメリカにも似たような雑誌がありますが以前写真の枚数を比較したことがあります。3~4倍は日本の雑誌の方が多いです。またカルチャーなのかもしれませんが、英語は文章で説明しようとしますが日本はできる限り図解であまり文章での説明に入りません。図は言語を問わず理解できるので翻訳してある必要もないのです。また図のキャプション程度ならオンライン翻訳も十分活用いるので必要であればオンラインで確認もできましね。インターネットがここまで発達していますがぜひとも日本のマニアックな雑誌これからも出版され続けてほしいし、もっと日本国外でも読まれるようになってほしい。もっとももう女性の雑誌は台湾、香港では本当普通に読まれています。私の台湾にいる元同僚(女性)も日本の女性雑誌の読者でした。雑誌は立派な日本のカルチャーでもっと輸出できると思います。

専門的な雑誌も内容がありました。アメリカなどでも雑誌があるのですが通常Freeなことが多い。広告で費用を賄っているからですし通常定期購読が必要でしかも結構な金額です。それに見合った内容だった。 ”だった”と過去形にしているのは少なくとも私の仕事分野では雑誌の休刊もしくは縮小が進んでいるように思います。もうずいぶん以前のことですが日経マイクロデバイスという雑誌を日経が出していたのですが今は休刊になっているはずです。80年代、90年代と日本がシリコンをリードしていたころはこの専門雑誌、非常に内容があり執筆も調査を十分された濃い記事だったのです。関連する産業が日本で衰退していったにつれて雑誌も休刊に。以前も書きましたが私は日本にシリコンを今一度復活させるのは国家事業レベルでやっていただきたいと思います。

写真は雑誌とは全然関係ないです。スイスのチューリッヒ一番のショッピングストリートで。この通り沿いだけでも時計のお店がいくつもならんでおり高級ブティックなどもありましたが日曜は店が閉まっており閑散としておりました。月曜になると人のでもありとても賑やかになっていました。 

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日曜のショッピングストリートは閑散としていた

成功するには


成功したい、幸せになりたい、お金持ちになりたい。 って最近日本の若者はあまり思わなくなってきてると読んだり聞いたことがあります。 私が読んでいるUKの雑誌Economistにも以前日本の若者の記事がありました。それは若者のデートに関する記事で日本では若者がデートしなくなってきているというような内容の記事でした。

”しようと思わなくてはできない”は真理だと思うので幸せになりたいと思わなくして幸せになれるとは思えないです。

シュワちゃんことアーノルド シュワルツェネッガーさんのこのビデオはそういった点を本当に伝えてます。英語ですがわかりやすくゆっくりと話しているのでぜひ見てもらいたいようなビデオです。ご存じのように映画スターとして成功され、カリフォルニア州知事まで就かれた方ですが人間として、ある種のスキャンダルもありましたが、尊敬できる人です。今もかれのメッセージ通りな生き方をされていますよ。アメリカ大統領に立候補できないのが残念なくらいです。世界的に有名でもあるので良き政治ができると思うのですが。

このスピーチの中でも ビジョンを持てというのと”辞めたら?、無駄だよ”と否定的なこと、アドバイスに耳を傾けるな というのは若いうちは特に重要だと思います。以前にも書きましたがChoose To Choose、自分で選択することを選択するように。これ、自分勝手に決めなさいと言っているわけではないです。アドバイスを受けてそのアドバイスを受けるにしてもそれは自分が決めたこと、アドバイスをくれた人が決めたことじゃない、自分の責任で決めたこと、そしてその選択に自分が責任を持つという意味でもあります。実は大変勇気がいるし実行は難しいのです。でも意識しているだけで人生変わってきます。

ビジョンについてはよく”ビジョンはあるんだよね”と言うことをいいますが、成功のためのビジョンってそういう意味じゃないそうです。 まさしく脳裏に焼き付けることなのだそうです。卑近な例でいうと初めてのデートで夕食に行くことになった。その場合、何を食べるかと言ったことから、そのレストランに行くまでの工程、レストランでの会話、支払いの仕方に至るまで細かく脳裏に焼き付くまで描くとその夕食デートが成功する確率が大きく変わるそうです。同じように自分が成りたい人、やりたい仕事についても脳裏に焼き付くまで具体化すると良い。これね、就職面接では絶対に必要なことです。そのうえで自らのいわゆるビジョンも併せ持つともう成功(幸せ)は手に入ったも同然。

と言って私は別段成功していない。何が欠けているのかと考えるとこのビジョンが一番欠けてきたと思います。こののスピーチを聞くとそれがよくわかります。ところでアーノルドさんは言っておりませんが私が彼の5か条に何か付け加えるとするなら、良い仲間を持つこと を挙げます。仲間についてはいくつか別のブログにも書いています。 YTUBEのリンクは以下です。

www.youtube.com

そうだ、成功の格言となると私はこのユダヤの教えを上げたい:

成功の扉は押すか、引くかして開けてみなくてはならない

つまり、その扉を開ければ成功という扉の前に立つ機会というのは何度かやってきます。残念ながら、ドアは自動ドアではありませんし、誰も開けてはくれません。自分で開けるしかないのです。しかもドアは押すのか、引くのかについても誰も教えてくれません。ひょっとするとどちらでもなく横にスライドさせて開けるのかもしれない。開けることを試さないとわからないのです。つまり自分で行動して試してみる。押すのか、引くのか、はたまたスライドさせるのか、一回で開く場合もあるでしょう。3回かかるかもしれない。引いて開かないから”カギがかかっている”と諦めるかもしれない。あきらめず試してみるんですね。それをこの格言は行ってます。 成功の扉は押すか、引くか(スライドさせるか、その他の方法もあるかも)開けることを試してみなくてはならない。 

就職か入(就)社か?

同じことのようで全く異なると言いたい!

また私事ですが、大学を卒業した折諸般の事情, 最初からいわゆる外資系の会社(だけ)の仕事だけを探していました。


あの当時日本はバブル景気に入っておりとにかく景気が良かったころで外資に行くというのは本当に少数でいわゆるエリートと言われる人は三菱、NEC、SONYといった世界的巨大企業に行っていた時代です。

でもね、外資でよかったと思っています。あの年、あるアメリカのコンピュータ関連の会社(結局そこで私は働きました)の面接を受けました。 面接で会ったのは自分の上司になるひと、その部門のコアとなるエンジニア、部門の秘書(その上司の秘書)だった。面接ではその部門でどんなことをやっているか、どんな人材を探しているかについて細かに話を聞くことができましたし自分の興味、希望や将来の方向(あの当時いずれ海外に出たいと既に思っていた)などを伝えることもできたのです。 結果採用になりました。 人事の人とも面接しましたがそれは2度目の面接で私が東京に引っ越すのは大丈夫かとかそういったまさしく人事的な確認だけでありました。 つまり私は採用時にすでにどこの部署で何をするのか、誰が上司なのかを知っていたわけです。

翻りあの当時、大学の同窓にあたる友人はみな入社していきました。皆大企業に入っていきましたよ。でもね、入社だったのです。当時(今もでしょうか?)入社後に配属になります。配属先、希望は聞いてもらえるが決めるのは会社側。配属前に研修があり研修中に配属が決定するとか。つまり自分がかかわる仕事(就職ですね)はその配属が決まるまでわからないわけです。

入社か就職か? カルチャーの違いと言ってしまえばそれまで。日本は今も卒業時に一斉採用するから確かに各部、課、部門が個々に採用に関わっていると時間を取られ非効率だという考えもあるのかもしれません。私が今いる会社、採用の面接はすべてに優先する、が方針です。重要なミーティングも採用面接とぶつかった場合採用面接が優先します。人を雇うことが一番大事なことだというのを知っているからですね。誰もが面接を担当するので面接のためのトレーニングがあります。面接も技術面接だけではなく色々な角度から面接するのでトレーニングもその役割事にあります。面接は真剣です。

難しいかもしれませんが 就職 であり 入社でない 仕事探し 仕事は人生の大半を占めますから(変な話ですが結婚生活より、両親と暮らしていた生活より圧倒的に長い)就職(職に就くという意味ですから)そうやって考えて行きたいですね。

ブログには必ず写真を添えようとしていますが見合った写真があるかなとずいぶん探しました。エンジニアの仕事今もやっているのでもちろん好きですがCEOに勝手にマーケティングに移動されて移った。実はそこが一番楽しかった。勝手に移動されましたが形式上同じ社内でしかも小さな会社なのでみんな知っていましたが、それでも”面接”は一応有ったのです。そこで上司にあたる人に教わったのにセールスとマーケティングの根本的な相違点というのがあります。 セールスは自分の売り上げが至上のゴール、マーケティングは会社の売り上げが至上のゴール。似ているようで全然違うのですね。コミッションが収入に関わってくるセールスは自分の売り上げが何よりも大切になります。

マーケティングは通常コミッションはありません。セールスは自分の売り上げを増やしたいですから他のテリトリーを仕切るセールスと常に協調するとは限りません。その間をうまく取り持って会社としての売り上げ、利益を上げていくのがお前の仕事である、ということです。大きな会社に吸収合併後はセールスの数も増えましたからより沢山のセールスと接するようになりました。まさしく自分の売り上げ第一でそのためならあれこれ策を練ってくるのがいました。それをうまくさばくのが仕事でいやはや人間を学びましたね。

おかげでいろんなところに出かけました。 ということで添付した写真はトロント。トロントはカナダ一の都会でテクノロジーの会社も多いのです。あまりブログタイトルとは関係ないです。

人生の時間

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チューリッヒ 教会の時計


時間、 時間にまつわる格言というと

時間を無駄にするな、 時間を大切に、時間管理をしろ、時間はお金より大切。。。といったなんだか脅しのようなのが多いように思いあまり好きではありません。時間に関する好きな言葉というとアインシュタインの言葉だと聞きましたが ”相対性理論は例えば、好きな人、好きなことをしている時間はとても短く感じるが嫌なこと、苦痛なことをしている時間は永遠に長く感じる”というのが一番心に響いてくるように思います。

さてこの時間、どんなものだと思いますか? 私はこれは風船の中の空気のようだと思ったことがあります。子供のころ風船をもらったことがないですか?風船っていつかはしぼみますね。生まれたとき両親から生命という時間をもらった。遺伝からくる人の生命時間は生まれたときに決まっていると聞いたことがあります。これが風船の中の時間。使おうが使うまいが風船の空気が抜けるように時間も使おうが使うまいが無くなっていくのです。ただし、割れていなければ(古くなりすぎていなければ)風船に後で空気を入れてあげることができるように時間も足してあげれますが。これが一人ひとりの時間じゃあないかなと思ったことがあるのです。

時間はしかし対価と交換できるのですよ、しかも格言にもあったようにお金よりも大切(貴重)に。 そのもっともたる例が以前にも書いた投資です。複利の原則があるので先に投資を始めた人はあとからもっと沢山のお金を投資に回した人より圧倒的に資産を増やすことができる(可能性で言っています)。まさしく時間はお金より貴重な例ですね。早く始めることで差が出るのは他にも色々とあります。歌舞伎など、子供は3歳くらいからけいこするそうです。20歳になったころにはもう17年もの経験を積んでいることになりますから後から始めた人との差は歴然としますね。稽古も複利の法則成り立ちます。つまり時間を有効に使うにあたり時間が対価を生み出すか、その対価と時間の関係はどうか?というのを考えてみると良いと思います。

後から時間を足すというのは時間を買うこともその一つです。私ごとですが大学(日本の大都市圏の国立大学)を出ていますがあの当時は今と比較にならないくらい受験戦争(?)が厳しかった。片田舎に住んでおりましたので予備校も進学塾もなく家で参考書とにらめっこして勉強していましたが受験って勉強にやり方があるんですね。予備校などそのやり方を色々と教えてくれるわけです。やり方をしって勉強するのとそうじゃないのでは受験に限って言えば効率が全く違います。お金でやり方を買っているわけですが、時間をあまりかけなくて済むわけですから時間を足したとも言えます。 ただね、やり方ばかりならうでしょう? 実際の勉強、人生、仕事ってやり方はいっぱいあって”これ”と言うのはないんです。試験は通るけれどそれだけ。。。になることもあります。だからというわけではないですがお金で時間を足すかは考えたほうがいいと私は思うこともあります。

もう一つ時間を足す方法があります。それは一緒にする、つまり仲間です。一人でするより二人、二人でするより4人。この場合時間は足し算ではなく掛け算に近くなりますから4人だと16倍ですか? そこまでいかないかもしれないですが4倍ではなく6倍、7倍にはなるでしょう。立派に時間を足したことになります。私は非常に大きな会社でマネージャーをしていた時期があるのですが元上司や同僚が誘ってくれた関係で小さなベンチャー企業に転職したことがあります。ベンチャーは仲間が大切で会社が大きくなるまでは特に採用に当たっては技術力もありますが一緒にやっていけるかということが採用の大きな基準になります。実際入って間もなく辞めていく人も沢山いましたよ。結局13年ほどして買収されましたが13年間残った本当のコアなメンバーは20人程度でした。未だに関係(絆)は強く当時エンジニアリングの責任者で引退された人の自宅で今も昼食会をしています(今年はコロナの関係で中止)。良い仲間がいると人生色々と楽しくなります。シリコンバレーは大きな仲間内の組織なのですよ。従業員が人を紹介してそれでインタビューが始まるというケースが多いです。私は8度転職していますがそのうちの5回はそういった元上司、元同僚の紹介によるところなのです。今の会社はなんと元顧客です。2年前まではお客様だったのですが今は同僚。こんなケースもありますが誘ってもらえるというのは嬉しいことですよ、実際のところ。

成功ための本として何度か80・20の法則について書いていますがその書のなかでも仲間作ることを述べています。もっとクラシックな書としてナポレオン ソロの書いた書物るのですがその書でも粒さにこのことに言及しています。しかし若いうちは仲間作りを勘違いすることがあるので注意する必要がありますよ。 友達 イコール 仲間ではありません。 友達の中には仲間になる人がいると思いますがイコールではない。上司になるような仲間もいれば同僚、部下になるような仲間もいるのです。一緒に働けなければ仲間にはなれない(難しい)かもしれないですが友人イコール仲間でいるのは高校生か大学の1,2年まで位と私は思います。 そして仲間の中にぜひともメンターとなれそうな人を入れておいてくださいね、若いうちは特に。

先ほどの時間を買うについて、例えば自分でするととても時間がかかること(例:法律関すること、例えば登記)をだれかプロ(弁護士とか)に委ねるというのはもちろん必要なことだと思います。でもね、弁護士の時間を買って作った自分の時間を有効活用することは常に考えておくとよいと思いますよ。誰かに代わってしてもらうことで自分に時間が生まれるのですがその時間をなんとなくインターネットをブラウズして過ごしたり(目的なくという意味です)して使うのではなくリフレッシュのためにハイキングするとか、本を読むとかね。

写真にはプラハにあるアストロノミカル クロックタワーも添付します。時間が来ると仕掛け時計が動くのはヨーロッパでよく見ますがこの壁の時計は天体の位置など色々な情報を伝えるとか(詳しくはオンラインで調べるとわかります)。Old Townの広場にあり観光の中心の一つです。ツアーで中に入りました。町の歴史も垣間見ることができます (ツアーに入ると地下にあった牢屋なども見て回れます)。

置時計の写真は北京のある故宮内の時計博物館で。昔の皇帝はヨーロッパの置時計をずいぶんとコレクション(贈呈してを含む)していたのですね。どれもこれも複雑な機構ついていて見ていて飽きなかった(複雑機構は動いていませんでしたが)。

チューリヒで見つけた時計塔(教会)の写真も。今では時間は腕時計、携帯電話をはじめありとあらゆるところで簡単にわかりますが昔は高いところに大きな時計をおいて人々はその時計をみて時間を知ったのですね。チェコのBrno市内地にもいくつもの時計塔を見つけましたが一つの位置から二つ見えることはまれで考えて設置されていたことがよくわかります。

時間、若いうちはわかりにくいですが風船のなかの空気と同じ。生まれたときにもらった時間を大切に。そしてその風船、途中で割ったりしないように(自分が原因の事故や不摂生)してください。 

最後に時間は後戻りができない。つまり 後悔はしなさんな、と私はいつも後悔ばかりするくせにここではそう書いておきます。後悔しなさんな わかっているけどする、それが人間かな。

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北京 故宮 時計博物館

Food


柔らかなタイトルです。

ブログをアップし始めてまだ一週間程度なのですがネタ切れというわけではないです。これまで堅物な話しか書いていませんが、もう堅物な話は終わりか?というとまだまだ。昭和生まれは明治(私の祖母)には負けますがまだまだ堅物が多いですしね。私は別けてもその”くそ頑固爺”というのがピタッと当てはまるし(と言われる)。

で、その頑固爺さん、アドバイスは?と聞かれたら私はこれまでのブログでもわかるとおもうのですが  飛び出せ(まあ、海外の見聞とでも言いますかね、別に海外に住みなさいと言ってるわけじゃないです。昨今若い人が出たがらないと聞いたので。。。)、語学をたしなみなさい(勉強しなさい)、本を読みなさい、とこんなことを言うんだろうなあと思います? そうそう資産づくりを勉強してその実行もぜひ、とくにこれは複利の法則があるので早ければ早いほど良いです。

そんなことろか? つまらんおやじですね。ありきたりじゃないかと思うでしょう、私もそう思う。だからこそ、私はこれに”料理”をぜひとも加えたい!! 食べる側と作る側のどちらもです。

食べる側で言うなら東京(日本)の美味しい料理、別けても日本料理のお店を沢山知っていると良いなあ。私ごとになりますが小さな村のようなところで育ったので(でもね、京都市内まで電車で15分、自転車でも50分’程度、大阪梅田にも電車で45分で辺境の地じゃないんですがね)外食できたのはうどん屋が一軒あるだけで外食は大学に行くまで子供時分母が京都にあった”丸物”という百貨店(古いね、もうありませんし今はデパートっているよね)食べたお子様ランチくらいしか知らなかったのですよ。大学に行って初めて(だったと思う)寿司を食べましたね。 ですが貧乏学生だったのでほとんど大学構内の食堂で食べていましたよ。 就職して初めて東京に出ましたがいかんせん美味しい料理もお店も全く知りませんでしたからバブル景気で溢れかえっていた東京で、そうだな端直に言ってデートはできたか、一回きりが良いところでしたね。美味しいところ知っているよ、はデート誘うのに強かった(今もかな?)美味しいものは重要です。 東京生活は4年半だけでそれから長く、実に10年近く東京とは縁がなくなってしまいましたが(実家にだけ戻った)出張で東京に行くようになり出張には同僚も一緒だったのですが何しろ美味しいお店を知らなかった。 慌てて色々と勉強しましたよ。美味しい料理(高い料理じゃないですよ)のお店を知っていると良いです。この経験からでも。今はというと出張でどこの地に出かけてもホテルなどでレストランを聞いては”経験”していました。現地に同僚がいる場合、”なんでもするけど、その代わり 美味しいものを食べよう”というのが私がするリクエストでした。こと中国では厳しい日程でも全部終わったらそれはいつも美味しいところに連れて行ってもらいました。自慢するわけじゃないですが中国ビジネスのほとんどを成功させましたから。これが食べる側。

作る側はより大事で、是非料理はしてください。ボストンに行くまで全く料理はできないに等しかったのですが、ボストンの会社に赴任して間もなくのころ、同僚の中にマレーシアから移住してきた女性エンジニアがおり彼女たち夫婦(二人とも同僚、夫は生粋のアメリカ人)がたまたま同じアパートに住んでいたのです。そんな関係でよく夕食にも招待してくれましたが(というかほどんど毎日)ある時日本の家庭料理はどんなものだ?という話になりました。まだインターネットのない時代ですよ。話の経緯上私が作ることになった。。。 何を?と思うでしょう?姉に電話すると”おでんのキットが売ってない?”と言うんですね。ボストンには数は少ないですが日本人がいました。というわけだかどうか忘れましたがYOSHINOYAという日本の雑貨を置くお店がCambridge (ボストンの隣町でHarvardとMITのキャンパスがある)があったのですがそこに出かけてみると”おでんキット”ありました。確か大根もあったかな?2本ほど買ったと薄ら薄ら記憶しています。 さておでんキットって、料理じゃないですよね。 大根きって、ゆで卵作ってあとはそのだしの素を水で薄めて火にかければ出来上がり! なるほど簡単! それがうけに受けた。 寒い地域だし。。。 大量に買いましたが彼女ら夫婦にその友達と私の7~8人で食べたと思うのですが全部食べ終わったところで ”前菜は美味しかったな、ところでメインはどこにあるんだ?”と ??メイン?  肉がなかったわけですよ! 肉が! たまたま彼女たちの冷蔵庫に大量の鶏肉があったのでそれを刻んでおでんの鍋に。。。 おでんのだしと鶏肉はとても合いますよ~ 美味しいの連続で、日本人はこんな夕食をよく食べるのか? と質問しりき ”またおでん食べよう”、作り方を教えてくれ、レシピをくれ”。。。

そこで分かったのが料理は人を引き付ける。 以来すこしずつ料理をするようになりました。この10年ほどは諸般の事情もあり遥かに料理をします。色々な料理の本を買って読みますしあまりYTUBEとか見ませんが料理だけは見ては色々と試しています。

私の以前の上司がまた料理好きで家に本格的なグリル、燻製をするための道具など色々そろえておりました。アメリカの会社は1-1と言って上司と部下が一対一で30から60分話す時間を毎週持つような会社が多いです。私と彼の1-1はほとんど料理と出張(といっても出張先でのレストランの話)がほとんどでしたね。

とこんな経験から言うのじゃないですが料理、食べる側、作る側経験を積んでおくと、きっと役に立ちます。 食べることは人をひきつけます。料理は話題にできるし作ることを覚えると実はかなり楽しい。私も今はほぼ趣味に近いですが意外な人が料理好きだったりして驚いたりもします。料理から近づきになる出会いもきっと多いと思いますよ。

ちなみに世界で一番美味しい料理は日本食です、と断言したい。これは私の周りではだれもかれもが言います。フランス料理、イタリア料理、中華どれも美味しいですよ。でもね、日本食が一番だそうです。どうりで昨今そこら中に日本料理のお店があるわけです。チェコのBrnoにも2軒ありましたよ、残念ながら経営はベトナム系チェコ人でしたが(チェコの人口におけるベトナム系の割合は驚くほど高くベトナム料理の店を見つけるのは簡単です)。

自慢の料理を2,3持っておくときっと人生で役立つと思います。男女とはず! 特に男性に勧めたい。 コンビニで何か総菜を買うお金で材料は全部買えますよ。キッチンは不要。ポータブルコンロとお鍋かフライパンがあれば作れるものは沢山ありますからね。

招待する側では、レストランでも手作りでも、インターナショナルな面から、そうですね、以前コーシャについて書きましたらその国、民族、地域、宗教などからくる食に関する習慣、しきたりなどを知っておくのも役立つと思います。若い世代はしきたりから外れてきているとは言え(例えばインド人は基本的に牛肉を食しませんがアメリカ生活が長いインド人の若いエンジニアの中には牛肉を食する人もいます)習慣や好みを知っておくと役立つ(例えば基本的にチェコ人はスパイシーな食べ物をあまり食べません)。本、インターネットでも情報は手に入りますが実際に色々と経験するのとは大きな違いがあるので色々と試してみてはどうですか? 

表題は東京で食べたランチ。日本は格安でとても美味しいランチを食べることができますね。このランチはひとつの思い出に残るランチです。料理は思い出を作ってくれますね。

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北京 時間があればこんな昼食も食べた
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テルアビブのアジア系レストランで
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上海での昼食
チェコ料理です。 生のひき肉。トーストに生にニンニクを塗ってそのうえにこのひき肉を載せて食べます。オリーブオイルがついていたかな。 チェコのビール(ピルスナー)とは絶妙に合いました。

チューリッヒ (スイス)


出張で出かけた都市、国がタイトルになっているケースが多いです。この10年くらいの間に色々と出かけているので今後も当面そんなタイトルの記述が続くと思います。若い世代の海外旅行が少なくなったと聞きました。内向きになってきているのかな~と思うのですが是非外を見に行ってくださいね。そんな意味も込めて今後も私が仕事で行った地がタイトルになると思います。 私の初海外はボストンへの赴任でした。で、それっきりアメリカ(USA)にいるのですよ。な~んにも知らないままあの当時直行便すらない最果ての地ボストンまで良く行ったものだと今でも思います。しかも誰一人日本人のいない職場に配属されたのですが今思うと若かったからできたのだなと思いますよ。あれこそ若さの特権というものでしょうか?若いうちだからこそ出来ることは多いです。その期間はみなに与えられていますが一度きり。十分に活用してください。

さてスイスはチューリッヒ。スイスというと金融と私が趣味としている時計産業の国という印象を受けますが製薬産業やネスレに代表されるように食品関連の会社も多くあります。人口少なく基幹産業があるので国は豊かです。国が豊かにあるためには基幹産業は重要な要素だと思います。日本は昭和時代基幹産業を興しそれで豊かになった。今はその基幹産業の土台がデータ革命(シリコン、ソフトウエア、データ)に乗り遅れかけており揺らぎ始めている。まだ昭和を通じて作り上げた基幹産業が何とか生き延びていますが(自動車産業がその雄)昨今のEV,自動化運転技術では後塵をはいておりそろそろ本当に危うくなり始めています。基幹産業といえども絶え間ない進歩そして新たな基幹産業を興すのに残された時間は少なくなっています。また堅い話になってしまいました。

私のようなハイテク(シリコンとソフトウエア)人間とスイスに接点はあるのだろうか?となるかと思いますが実はチューリッヒはスイスではハイテクの地だといえますよ。もちろん銀行業がメインですが。IBMはIBMここに大きな研究所を持っています。その昔(かなり昔)その研究所に入りたかった時があります。単にスイスにあこがれていたんです。そのためにはまず少なくとも博士でなくてはならない。。。 町にはとても良い大学があるのです。そこの博士課程を経 IBMへ、なんて考えたことがあります。が実現しなかった、いや実行しなかった。ちょうどそのころボストンからカリフォルニアに転部できるチャンスがありスイスではなくカリフォルニアを取ったというわけです。 

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そんなスイスですが私は昨年末までの2年ほどをRISC-Vというオープンコアのプロジェクトに深くかかわっておりました。スイスのその大学はヨーロッパでは1,2を争うRISC-Vの研究が盛んな大学でそういったいきさつからその大学とコラボの可能性を検討するためにそこの研究室を訪問したのです。私がかかわったチェコの会社はEUの組織から研究開発のファンドを受けていたのでその流れからそんな話となったわけです。大学は丘の中腹にあり丘の上からの眺めは非常に素晴らしいです。カリフォルニアを取ったのは失敗だったかな?と思ったくらいです。人生とは毎日毎日何かを選択して生きているもの。小さな選択、大きな選択、人生にとって大切です。 Choose To Chooseですね。丘から眺めてもわかりますがチューリッヒはきれいな街です。ショッピングエリアにはもちろん時計店も多く大学訪問といっても2時間ほどのミーティングだけだったのでたっぷりあった自由時間を使って市内観光ツアー、郊外観光ツアーに参加したりショッピングアーケードをぐるぐる見て回ったりして過ごしました。 私の少ない滞在時間内での経験でいうと人々はとても親切で丁寧でしたよ。ホテルでもレストランでも時計ショップでも。こと時計ショップでは非常に応対が丁寧で日本の銀座界隈の時計専門店とそぐわない対応で驚きました。というわけで出張で初めて”おかね”を使ってしまいました。以前から欲しかった時計ですが中々入手できなかったのです。ここにも一本あるのみでレザーベルトでしたが帰国後アフターマーケットでステンレスのベルトを買って使っています。この店はスイスで一番古い時計店だそうです(後で知った)。閉店間際に入りましたが応対はとてもよく1時間ほども時間が過ぎたのですが焦らせることもなくゆっくりと話をしながら購入をしました。お土産もくれましたよ。こんどまたチューリッヒに行くチャンスがあれば再び訪れるでしょう。

大きな出費

SWISS MADEという言葉ご存じですか? 時計好きならよくご存じかもしれませんね。 MADE IN SWISSという意味ではないです。 もちろんスイス製なのですがスイスで作っただけでは基準を満たせず製品にかかった費用におけるスイス製の割合やその他もろもろ法律になっている基準を満たしてSWISS MADEとなるようなのです。

さてこの SWISS MADE, いわゆる高級時計(ロレックス、パテックフィリップなど)を手に取ると文字盤にその記述を見ることができます。 これだけで時計に箔がでるのですね。 ですからイタリアやフランスのブランドも時計はスイスで製造しSWISS MADEの基準を満たしてそれを誇らしげに文字盤やケースに記載しています。 時計だけか?と思ったら探してみると色々な物品に SWISS MADEという記述を見つけることができます。 やはりMADE IN SWISSの記述も見つけることができるのでSWISS MADEとは違った意味合いなのでしょう。 そこに価値を見出しているのですね。

さて振り返ってみて現在 MADE IN JAPANに付加価値があるでしょうか? 私が若かったころ、SONYというと海外でも知られたブランドになっておりSONY製は高いが品質がいい、デザインが良い、 COOL (かっこいい)と言われていました。実際ボストンに行った折もいくつかSONYの製品を持っていましたがSONYはかっこよかったかな。 いまはどうでしょう? 大体SONYのロゴがついた製品で日本製を探すのも難しくなっているのではないでしょうか?マレーシア、’中国、ベトナム製だったりする確率のほうがはるかに高いと思います。 MADE IN JAPANの意義が薄れてきているのではないでしょうか? ドイツは日本同様輸出大国ですが、ノート、ペンに至るまでGERMAN MADE、MADE IN GERMANYの表記をよく見かけます。実際私が愛用するノート、ポールペンはどちらもMADE IN GERMANY と誇らしげに表記してあり、実際品質はとても良いです。ノートブックはカナダで見つけたのですが以後ずっとその会社のノートブックを愛用し続けています。

スイスもドイツもブランドづくりにはげみ、その国家ブランド (国)を大切にしている。日本もそれをまねるのはどうでしょう? スイスのように JAPAN MADE と表記するための基準を作り品質の管理をする。良いものはそれだけで付加価値がある。その付加価値を上手にマーケティングしていくことが大切なのだと思います。大会社ならともかく、中小の企業が自分たちのブランドを浸透させるのは容易ではありません。 でも JAPANというブランドはあるんです。 物だけじゃなくサービスにも使えると思います。 JAPAN HOSPITALITY なんてどうですか? ブランド化するのです。 

これから日本がどんな産業、どんな製品、技術を基幹産業としていくのか色々と調べていますがまだ私のなかではっきりとは見えないのですがJAPANをブランド化することは重要じゃないかなと思う次第です。

東京はロンドン、ニューヨーク、パリと並び称させるくらい知名度の高い都市です。 ロンドンに行くとわかると思うのですが、店でよく LONDONと記載された物を見つけることができます。 LONDONをブランド化しているのです。 TOKYOだって十分できますよ。 こういった場合できるだけ誇らしげに見えるところにTOKYOと記載するんです。 時計文字盤に誇らしげに SWISS MADEと書いてあるように。 ドイツのノートブックですが見出しページを開けたところにMADE IN GERMANY とありノートを開ける度にその表記が目に入ります。ブランドづくりってそんなことにまで気を遣うのですね。 TOKYO 響き良いですね。 誇らしげに書いてあるとブランドになります。ブランドって誇り以外の何物でもないですからね。

チューリッヒの市街を取った写真を幾つか。 とてもきれいな街でごみも落ちておりませんでした。

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