失敗 と 仲間
失敗を恐れるな、若いうちは沢山失敗をしろ、失敗が将来の糧になる。。。なんて聞いたことないですか?会社で上司、先輩(経験やランクは上の同僚・先輩は日本的。。。)、はたまたより身近な友人、先生、家族(両親や叔父、叔母など)がアドバイスとしてくれるかもしれない。
でもね、そういったアドバイスをくれる人、”あなたたちは失敗をしてきたの?”ときいてごらんなさい。私の予想、ほとんどが”失敗を恐れてやってはいない”はずです。私はよく言うのですが”言うのはただ。いまや言葉に責任を持つ”人は政治家や官僚、いや、会社のトップをみてもあまり見受けないでしょう?だから”失敗を恐れるな”、実は”失敗したら責任は全部君が負うんだ”っていうことなのです。”若いうちは沢山失敗しろ”というのは”やってみろ、だめだったらその責任は私が負う”と言える人が使う言葉だったと私は思います。”頑張ってください。応援してます”ともよく言いますがこれは全然意味がない言葉だと思う。英語でいうグッドラックに近い。これ、言ってみれば、”バイバイ、またいつかね”とも取れるわけです。
失敗はやっぱりとても怖いです。沢山失敗しろといっても一度でも凹んでしまいます、実際には。事業など一度の失敗が命取りになりその後中々立ち直れないのは普通のことです。”かけ”になるようなことをしたくはないのは誰も同じ(だから私を含め大多数は“勤めているわけ”です)。
以前のブログで”チャンスは逃すな”、アーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにある”辞めたほうがいいよ”といった否定的な言葉に耳を傾けるな、などと書いておいて”おいおい、今度は失敗について書くのか?”と”言ってることが違うじゃないか?”と思うかもしれないですね。
失敗を想定して物事を始めよ、といっているのでもないです。やるからには成功する、やりとげる、その意志は必ず必要です。でも、”軌道修正する”柔軟さも必要なのです。得てしていったん始めるとこの”軌道修正”ができないことが多いです。もしくは”軌道修正”ばかりしている。どちらも成功には程遠い、と思います。少なくとも私は、これまでの人生、仕事 そうだった。かたくなになって失敗した経験とちょっとなにかあっては”やり方がだめだ”とか、なんとか、かんとか自己理由をつけて辞めてしまったり、目標を変えたり。。。こんなのばっかり。
コロコロとやり方を変えたり目標を変えたことは結局自分にとってどうでもよかったことなのでここでは”かたくなになって”軌道修正ができなかった場合での失敗を挙げています。これまで本当に沢山してきましたがその失敗のほとんどが”自分でやろう”としての失敗が多かった。前にブログにも書きましたが成功への一つの鍵として”仲間”がいるのです。前にもかきましたが同僚(友人)のような仲間もいれば、上司、部下、メンター(アドバイスをくれたり、愚痴を聞いてくれるような人)のような仲間もいるのですが、”迷惑になる”、”聞いてはもらえない”とか、色々と自分の中で理由を作って”これは自分でしないとだめになる”という思いが強くなることがあります。私は芸術家、作家といった職業ではないのでこういったその人個人が”勝負”といった人たちのことは全くの素人なのでここで書いていることが万人に通じることだとは言いませんが。よくあるのが”仲間を裏切れない”ではないでしょうか? 特にその仲間が友人だったり元の上司(恩人)だったりした場合気持ちとして難しくとても悩むことがありますね。
その仲間について。
先のブログで昨年は元上司のお願い(誘いと書きたいが実際のところ何度もお願いをされた)でチェコにある小さな会社のコンサルタントをしていました。一昨年前ごろ勤めていた会社を彼は辞めさせられるような形で辞職していきました。これはUSではごく普通にみられることですが、CEOが新し部門長(副社長クラス)を雇った場合新しく来た人はそれまでの上位にいるマネジャを全部変えて自分が新たに雇うことで人事面で優位に立とうとする、その一環の中で起こった人事事件です。もちろん優秀な人だったので投資会社がそのチェコの会社に投資するにあたりボードメンバー(取締役会)と副社長、言ってみれば取締役にして執行役員でもある、として彼を雇ったのです。私はエンジニアだったので上の人事が変わろうが影響は受けないのですが新しく入ってきた私の”新しい上司”とはあまり馬が合わず(30年近いUSでの仕事で唯一馬が合わなかった)、転職を考えていた時でもあったのです。ちょうどそのころGAFAの一社にいた元同僚がエンジニアのポジションを紹介してくれ20年ぶり(?)にジョブインタビュー(面接)を受けていました。この会社面接の厳しいことでしられ、都合13人と技術面接をしましたがオファーを受けることができました。ちょうどそのころです、その元上司に”手伝ってくれ”と頼まれたのは。普通に考えるとGAFAの一社でしょう。給与面、待遇面等で雲泥の差がありましたから。でもたっての頼みで且つ、R&Dエンジニアではなくこれまで通りマーケティングに属するエンジニアということで、R&Dに戻れるかな、といった不安もあったので家族には”うまくいったときの絵空事になるような話だけ”してGAFAのオファーを取らなかった。ちなみに今はGAFAの一社にいますがべつの会社です。GAFAのうち3社インタビューの経験があり2社はパスした。。。
でも今はその会社ではもう働いでいません。入って分かったことですが製品が大学生の卒業研究程度のものでとてもじゃないが競争力がないことが分かった。詳しいことまでわかっていなかったその元上司と話し合い、とにかく今とりかかったUSでの大きな案件、これはデザインサービスで製品をうるというよりエンジニアを売るようなことだから何とかなるだろう、そのうえで小さなグループで中国市場に特化した製品を作ろうと早速”軌道修正”をしたのですが、先にも書いたことがありますがチェコ人は私たちにとって仲間にはなれなかった。やり始めたのですから何とかしようとしましたがどうにもならない。 USAの大きな商談を失ったあとはもう中国しかないと3週間に一度(つまり毎月)のように中国に行くようになりましたが競争はとても激しくとにかくあのスピードについていく必要があるのですがチェコのスピードは日本のスピードよりもまだ遅く完全に周回遅れな状態。
自分の自己修正の時が来たと悟り、元上司には悪かったのですが、以前顧客にしていたGAFAの一社が以前から一緒に仕事をしないか?と誘ってくれていたので形式だけ面接を受けた後入社しました。オファーをもらって”辞める”と言ったところ、”よく今まで働いていてくれたな。すぐ諦めて辞めるかと思った”と言ってくれたので”ほっと”したのを覚えています。私の失敗は私の上司はビジネスを見てきたが技術がわかる人ではなかった。技術者が大切なベンチャー企業に賭けるのだからエンジニア、エンジニアのトップと少なくともインタビューをしておくのだった。チェコだしても行くことはできたわけです。どんなメンバーでどんな製品(技術)なのか、見ておけばたとえ元上司の頼みとはいってもこの会社を手伝おうとはしなかったはずだからです。自分の失敗を何とかしようとあれこれ、本当に毎日ありとあらゆるコネクションを使って顧客訪問とその結果をR&Dチームに渡していましたがらちが明かず前に進めないでいましたから。軌道修正するタイミングだったのですね、私の仕事の軌道修正。結果、いまはR&D部門に戻っています。
失敗とわかったら軌道修正できるんだと覚えておく。 同時に頑固さも大切。こんなことを書いたので”軌道修正すればいいんだ”と安易に考えるのは良くないかな、でも。私はベンチャー企業に19年もいました(ほとんど創業時からのメンバーのひとり)。19年の最初の7年は紆余曲折の連続でした。給与カット30%、6%、2%を経験したので会社が買収されたときの給与はその時点で入社時の給与より少なかった。13年働いて下がる一方だったのですね。会社が買収されたときにいわゆるストックオプションが現金化されてカット分以上になりましたが給与カットが有る事に辞めていく同僚もずいぶんといました。他にチャンスは沢山ありましたからね。自分たちの技術と仲間を信じていたので”売れない理由は何だろう”ということでセールスと一緒に顧客を回りました。それが縁でR&Dからよりセールス側に移っていくことになったのですが”良い技術だ”という確信はあったのです。私自身のやり方を変えて貢献してみようとそんな軌道修正はしましたが”安易な”修正 (他社に移る)ではなかった。頑固だけだったのかもしれないですがね。実際かなり頑固な親爺ですから。偏屈者だそうです。これは母が私が若いころよく言ってました。私を一言で表すならこの表現が一番ぴったりです。
料理は失敗作だらけです。やり方を見ても、読んでも自分で試すと上出来のことは少ない。。。でもなんか好きになりあれこれ試しています。うまくいくとあっと言う間になくなるしそうでなけれは私が責任をもって食べています。責任を取るほうが未だに多い。。。