先輩、後輩 は 無い!

あなたの上司は、おそらくあなたより年上であなたより社歴が長いでしょう。あなたが日本で働いていれば、それが例えいわゆる外資系でも90%以上の確率でそうだと予想できます。 そして、先輩、後輩、先に入社したら先輩。普通歳上だけど場合によっては数年年下のこともあるかな?でもお互いに年齢がなんとなくわかるので年下の先輩は言葉使いは丁寧だったりするのでしょうか?日本では外資と言っても転職でどんどん人の移動があるのはセールスくらいなのではないでしょうか?

私はそんな環境に4年もいなかったのでもうすっかり忘れていますが、この25年、私の上司は皆私より年下です。年齢差は今の上司がたぶん15歳程度、その前の上司は大体10歳程度だったと思います。私は現在の会社では一番新参もの(一番後輩)なわけですがプロジェクトではリーダーです。マネージャでなく一番シニアなエンジニア群の一員です。シニアだからといって上下関係は全くないですよ。同じボスですしね。

年下なマネージャ、場合によっては後から入ってきましたよ。マネージャが転職や昇進したからと言って空きを誰かが昇進して埋めるということは必ずしもありません。上層部がどうしたいかで決まります。特にエグゼクティブが変わった際には新しくやってきた人が最初に行うのはマネージャの刷新です。首になるマネージャも多いのです(大体6か月程度のパッケージをもらう)。自分が雇った新しいマネージャを連れてくることで人事面で優位に立とうとしますし、刷新することで内外に新風を吹かせることをアピールする狙いもあります。 エンジニアはそのあと刷新することがある。新しいマネージメントがきて、その人がチームをどう運営していくか次第です。しかしながら継続を必要とすることが多いので急激な変更はしないのでエンジニア(スタッフ)はエグゼクティブ交代による影響は受けにくいです(が100%安全でもない)。

そんなことがありますから自分の上司が年下になることは極々普通です。年下でも上司。”歳下の下では働けない”と言う人は向いていないです。またいわゆる体育会系の考えが強い人もあまり向いていません。女性のボスも多いですよ。私は8度の転職、社内での移動等で過去都合20人以上のボスを持ちましたがそのうち5人は女性がボスでした。

日本では年齢、性別等にわだかまりがまだあると聞きますがボスは、ボス。私はこの割り切りは出来ています。しかし仕事を離れたら皆同僚か友人です。一緒に出張にも沢山行きましたが仕事が終わって夕食時などは同僚いや友人としてお互い接していました。仕事は仕事。彼には人事面、仕事の優先順位の決定などで権限を持っているだけ。。。もちろん私は上司に恵まれたほうなので年下の上司からも沢山学びましたよ。例えばマーケティングとは?など。

では昇進しないのか? もちろんしますよ(可能性)。社内で順々に昇進している友人、元同僚もいます。でも必ずしも”タイトル”として昇進するとは限りません。役職手当だ、どうのこうのとタイトルと給与が密接に絡んでいる日本とはずいぶん異なりますし日本でも時々聞く”ダブルラダー”、つまりエンジニアとしてのレベルとマネージメントのレベルを持つ会社も多いのです。 例えば(上から順に)

ーSr. Fellow, Fellow, Distinguished Engineer, Principal Engineer, Senior Engineer, Lead Engineer, Engineer

– CTO, VP of Engineering, Sr. Director, Director, Manager

など。CTOは普通一人ですね。 会社によってはSr. Fellowの数はVP (Vice President)の数より圧倒的に少ない(つまり会社内での地位はSr. Fellowの方が上)ということもあります。 この二つ、違いはStaffかManagerかです。 Managerは人事権を持つがStaffは持たないとでも考えておけばいいです。

ちなみにEngineeringの会社では通常Engineeringのラダーの方が昇進度は速いです。各々のレベルに沿って給与、賞与の目安があります。部下を持ちたくない、プロジェクトを管理したくないという人も多いですね。日本では未だある程度まで上がるとどうしてもマネージメントに移っていかざる負えない会社もあると聞きます(給与面もありますが社会的に地位を示す必要があるからとか。。。)

スタートアップ企業はもっとフラットでEngineeringは全員 Member Of Technical Staffというタイトルにしているところも多いです。こういった会社では名刺にはかなり好き勝手なタイトルをつけることを許していることが多いです。 例えば AI Expert Engineerとか。Member Of Technical Staff、日本語にすると”平社員”になりますよ。 はるか以前日本で友人が銀座に連れて行ってくれましたが私はこのタイトル、友人は確か部長になりたてのころ。部長さんと平社員。やはり部長さんが人気でした。タイトルはこんな場合に重宝するのかな? ちなみに今現在の私の名刺にはDSP Engineer とあります。タイトルでなく何をやっているかがなんとなくわかるだけ。。。

タイトルが必要になるのは顧客にあう、ベンダーに会うなど外部と交渉する立場にある場合です。したがってファイナンス関連の会社ではVPはごろごろいますよ。VPって普通の会社のManager(以下)程度であることもあります。例えば

– First vice president, Sr. Director, Director, Vice president

などという一風変わったタイトル構成になっていることもあります。 Firstがつくと偉い(地位が高い)です。VPの名刺をもらってもすぐに”偉い”と思わないことです。以前私が働いていたエンジニアリングの大企業ではセールスのVPは1000人以上、エンジニアリングでも200人以上いました。 Sr.がつくとぐっと数が減って5人程度になりました。つまり形容詞(Sr.など)まで見ないとその人物がその組織内でどんな地位かはっきりしないわけです。もっともタイトルで人物を測る必要はないです。タイトル、その人のいる組織ないだけの決め事、それを外にまで持ち出して”偉そうに”しておられる親爺を見ると私はげんなりします。XXX会社の部門長といっても私はXXXと全く関わり合いなく、たんに他人です。

もちろん、USAだって日本でいうところのセクハラ、パワハラはありますよ。人事に訴えてもらちが明かないこともあります。しかしながら流石に訴訟の国、弁護士を雇って会社と対峙するひともいますよ。そこまでいかなくとも州政府のある部門にクレームを入れる。 人事はマネージメントに雇われているのですからマネージメントを守る方向に向かいますがひとたび会社自体がトラブルになりそうになるとCEOの目に触れますから今度はバッサリそのマネージメントを切ります。こんなことは長い経験で何度も見ているのでUSAといえどもセクハラ、パワハラは日常茶飯事であると最後に触れておきます。 どこの国にもあります。マネージャに媚を売るスタッフも必ずいますよ。YES Manはどの国、どの組織でもマネージャに好まれるのです。これは時代、場所を問わず人間的な真実ですから。理想を持ちすぎるとがっかりするかもしれないです。会社、マネージャにとっての公平は必ずしもあなたにとって公平でないかもしれない。そんなものです。人間に平等に与えられたのは一日は24時間ということだけだ、と言いますし、これが唯一の真実でしょう。

その24時間をどう使うかはあなたのチョイスなわけです。

クラシックカー。 現代の車たちの”先輩”。 ここまでくると”価値”がありますね。ここまで輝いてこそ”先輩”を名乗ってほしい。。。

ビールを飲むのに上司、部下、先輩、後輩も必要なし。 皆、友人。ビールの席では平等。

掛け算、足し算、引き算?

新たなページを最近作りました。”就職指南”などと書いてますがもし当地などUSAでテクノロジー関連(エンジニア、マーケティング、カスタマーサポート)に興味あればそちらもアクセスしてください。

人生は掛け算だ、足し算じゃないとか言ったこと一度や二度は聞いたことがあるのではないですか? 私のような年寄りやちょっと知ったかぶりの方々、言っては語弊があるかもしれないですがあなたの身近な人々からも聞いたことがあるかもしれないですね。”ふ~ん”と思うかもしれない。何度か書いてますがそんなことをおっしゃる方々のどれだけがそんなことを口にできる経歴や人生経験があるのか?”口だけ”な御仁も多いですからよく吟味することですね。私?こんなこと言ったことがありません。

掛け算の根拠はというと何かの機会に聞いたことがあると思いますが

人生(成功:幸せ)= 能力(実力)* 運 * 仲間 * 。。。  一体全体どれだけの要素(パラメータ)があるんだい!!と思うのですがそれらが掛け算なのですって。しかもマイナスもあるとかで、例えば犯罪を犯してもいいという態度はマイナスだとか(でもそれでも幸せっていう人にはプラスなのですが勧善懲悪を好む日本ではマイナスだ)。これ、良く聞きますね。一つくらい良いのは有っても他がだめなら掛け算の結果はあまり大きくならないよ~っていうのですね。私はこの掛け算大っ嫌いでした。よく言うでしょう、”彼女はとても切れるんだが、人情味がない。。。”とかね。余計なお世話と言いたい。 

このアンチが”一芸”ですか? 全然知らなかったのですが今日本の大学には何か一つできることがあればそれで入学できる制度もあるとかですね?

引き算は、遥か昔に聞いたことがありますが公務員の人事評価は引き算だとか。。。確認したことはないのですがね。時々ニュースなどで、高級官僚が訓告、訓戒、などの処罰をうけたとか言ったような記事を見ます。あるレベルの処罰を受けるともう昇進の目も立ち消えるとかどうとか。しかしながら良いことをしたと言って”おほめ”に当たる処分(処置)を受けたという記事は見ませんね。ということはやはり引き算なのかな?

引き算のアンチが足し算ですね。ポイントを貯めていくように成功、幸せを貯めていくわけですね。人事評価に足し算を使っている会社もあります。私はずっと以前そんな会社にいましたが足し算の会社は鬱陶しい。 とにかくちょっとでも助けてもらったらポイントを付けてあげなくてはいけない、ポイントになりそうなことには皆が首を突っ込んでくる(パイを欲しいのですよ)。ポイントになりそうになければ働かない。”うまいことやる”連中が増えます。これはもう確か。

割り算がない!ではないですか。人生は割り算だって聞いたことがありますか? あまりないでしょう?割り算は算数の中でも高等なのです、難しい。ややこしい。小学生は最初にぶつかる壁ですね。それまでの整数から離れて分数が現れるのですから。

割り算は掛け算にできるから必要ないのかもしれないですが実際掛け算より割り算の方が考えやすい場合もありますよ。人生って複雑ですからそんなに単純に答えはでない。

さてこのどれも私は嫌い、一芸も含め。ライフコーチと言った方とも話をしたことがありますが、こんな話をされたら私はそのコーチとは上手くやっていけないと断言できます。もっとももうこんな歳で偏屈もの。ライフコーチの方から”願い下げだ”と言ってくるでしょうね。

経験のみからですが恐らく真実だと思えるのは

ー良い仲間

ーイベントに参加すること (その時その場にいること)。運とも言えるかな 運度とでもしておきますか。

ー当事者度 (傍観者でなく)

運と当事者。良い仲間って運と当事者の結果かもしれない。運と当事者。この二つのべき乗。

そう私は べき乗 を取りたい。

べき乗のカーブ好きです。 嫌いなのは SIN, COS (周期がある)。TANはリスクを取るなら良いかもね。+になるか、-になるか。三角関数、今技術的にとても難しい問題に直面しているのです。嫌いなのですが周期をもつこの関数奥深いところがあります。この歳になって本格的に大学、大学院数学を再勉強しているこの頃なのです。三角関数と線形代数(LAという)。もっと大学でやっておくのでした。べき乗ですから、どちらをべき数にするかにもよりますが1のべき乗は1。つまり変化がなければ変わらない。人生、掛け算でも、足し算でも引き算でもないのですがね、実際には。もちろんべき乗でもないです。エンジニアを生涯の仕事にされるのであれば、数学はやっておいた方が良いですよ。きっと役立ちます。とりわけ線形代数。きっと役立ちます。

sin(): 人生は紆余曲折。でもいつまでたってもピークは1だ。 tan() 大成功と大失敗の連続か。これぞ波乱万丈な人生?
マイナスにならない? いえいえ実はバイアスがあってX=0ではY=-10かもしれない。2だと良いのですが1だといつまでたっても増えない。1より小さいとXが増えれば減っていく。

ところで一芸。もし一芸が人生を変えるというなら、どんな一芸が欲しいですか?私は

セールス

この一芸は長い私の人生経歴のなかで一番価値ある”一芸”だと断言できます。セールスって突き詰めれば自分自身を”売り込む”ことなのです。 以前のブログでも触れたことがありますがソフトの開発能力でも、数学でも、語学力でも、容姿でもなく、セールス。自分を売り込むセールススキル。これほど重要な一芸はないです。線形代数以上に役立つ一芸です。若いうちから意識しておくと人生を豊かにしてくれるはずです。

一芸と言えばシャチやドルフィン? 表題の写真はサンディエゴのシーワールドにて。

パンダは寝ているだけでも人がやってくる。。。

(人生の)履歴書

履歴書、書いてますか?書いたことがありますか?再び終身雇用を望む声が増えているとも聞きます。私世代の方々の大半は終身雇用でしょうね。事実私の大学時代の学窓の大半は卒業時に入社した会社で今も働いていると思います。定年は60歳ごろでしょうか?そうだとするともうそろそろ定年を考える頃ですね。

終身雇用だと履歴書を書く機会なかったかもしれないですね。でもね、人生で一番長くやっているのは”働く”ことなのです。自分史の大半はその”働く”ことに関連しているのです。履歴書は人生の縮図ともいえる。

そんな大それた話で無くとも履歴書は定期的に更新すると良いです。卒業時、真っ白でしょう?学歴とひょっとするとなんらかのボランティアをしたとかインターンで働いたといった程度ではないですか?学生時代になにか資格を取ったかもしれないですね。それも履歴書に書くのかな?でもそんなところでしょう。つまりまっさらなわけです。その履歴書を定期的に更新することで自分の進路や自分の目標を振り返る機会にもなります。

履歴書、日本では書式が決まっていたりしますが自由な書式で良いと思います。日本以外では全く自由な書式です。私は韓国、中国、カナダ、ドイツ、チェコ、UKそしてUSAで採用候補の履歴書を見てきましたが書式は皆ばらばらでした。書くべき項目はある程度決まっていますがそれも人によって順序も含め自由。形式ばった履歴書でなくて良いと思います。自分が一年なりの間に達成したことを簡潔に記録していく。とても役立つと思います。

私は5つの履歴書を定期的に更新しています。なぜ5つあるのか?私の職歴、人生の経験を一つの履歴書ではあらわせないからなのとその履歴書は実際に就職活動する際の原本になるからです。5つの履歴書は

ーエンジニアとしての履歴書。これは仕事、会社としてエンジニアのポジション(求人)に応募する際の原本になる。

ーマーケティングとしての履歴書

ーエンジニアリングマネージャとしての履歴書

ープロジェクトリーダー、プロダクトリーダーとしての履歴書

ー人生の履歴書

人生の履歴書は就職活動のためではないです。

会社、かかわった仕事は同じでも”見方”が変わってくるのです。エンジニアのポジションで応募するならそれに見合った点を強調するでしょう。マネージャの経験もあります。そしてそういったポジションに応募するならその観点から自分の履歴を記述しておきたいでしょう。

そういったわけで現在この5つの履歴書を持っています。私は自分の誕生日に前後したあたりで履歴書の更新をしています。ですから自分がいつ何時どんなことをしたのか誰にでもすぐ説明することができます。記憶を新たにしておくとでもいうのでしょうかね。

就職活動、そんなに頻繁ではないですがそれでも転職8回。就職活動にはこれらの履歴書を基に自分が応募しようとするポジションに合わせて履歴書を作成していました。はるか昔、初めてUSAで履歴書を書いたとき、書き方がわからなかった。インターネットの無い時代です。書店で履歴書の書き方の本を買って勉強しました。今はインターネットでノウハウを学べます。履歴書はそのポジション、会社ごとに書くべきです。同じ履歴書を使いまわすというのは経験上うまくありません。求人のページをよく検討してそれに沿うように書くのです。履歴書はいかに自分を売るか(アピールする)が重要になりますから嘘は書かないにしても採用者の目にとまり連絡をしてもらえなくて次に進めないわけです。履歴書の目的はそこにあるわけです。

履歴書に何も書くことがないな~ というのは自分が何もしてこなかったということ。アップデートもないな~というのは前回のアップデートから何もなかったということです。そんなことで良いのでしょうか?履歴書を定期的に振り返り更新することで自分を振り返ることができます。また自分の進む方向を考える手助けにもなるはずです。”そろそろXXXを考える時だ”といったことが履歴書を振り返ることで分かってきます。

履歴書、これまで書いてこなかったならぜひ書いてみてください。

プロのスポーツ選手。履歴書はあるのかな?と思ったら彼らも履歴書を持っていると聞き、プロでも履歴書を持っているのです。ならば、我々凡人は履歴書を持つべきです!!と言いたい。

Execution matters

行動力、実行力、実行することは意味がある、大切だ とでも訳しますか。先国務大臣で統合参謀本部議長だったパウエル将軍の言葉です。

昨日も含め何度がVisionについて書いたので、なんかそれだけで成功、幸せになれる、と私が書いていると誤解されないようにこの言葉を添えておこうと思います。

実行しなくては、試してみなくては、やってみなければ結果はないのです。母はやってから文句言いなさいと教えていました。

この”やる”ことが一番大変なのですね。 だから私は未だに何の達成もない。もっともビジョンすらとても弱いのですが。

出来るかどうかわからなくてもとりあえずチャンスが来たら取れ、これだけはこんな意志薄弱な私ですが心掛けてはいます。今の仕事だってAI全くのずぶの素人でありましたがその開発責任者をやってます。なんとかやってます。ありえないと思いますがチャンスあれば若い女性と夕食も一緒にしたいですな。そんな機会あれば取りますよ。 おっとそれを目頭に焼き付けてみるかな、ビジョンとして。。。

言葉があまりに悪いので薦めるわけではないですが、しかも英文。ですが、非常に簡易な文章で書いてあるので若い人はこんな書物も良いかもしれないです。

https://www.amazon.com/dp/B01MZWKPYD/ref=sr_1_1?crid=1SYH5JBTYNL0F&dchild=1&keywords=dan+lok+books&qid=1598743770&sprefix=DAN+LO%2Caps%2C218&sr=8-1

口悪いですよ。言葉も悪い。

でも文章はとても平易です。

行先はどちらですか?
どんなスピードで行きますか?
山の上から遠くを見つめ、どちらの方角に歩いていきますか?

時期(タイミング)と 磁気(魅力)

物事にはタイミング(時期)があるとよく言います。自然が身近な職業(農業、漁業など)に従事されている方々はそれをよくご存じですね。種をまく時期と言うのがありますし、漁にでる時期もありますからね。もっとも最近はこういった領域も温室だったり、工場における水栽培だったり、養殖だったりと変わってきているそうですが旬、時期は今でもありますからね。

人生、仕事にもそのタイミングはあります。以前”成功”について書いたことがありますが、その成功のリストに付け加えるものがあるとするなら、タイミングはきっとその一つになりますね。

エンジニアなので技術的な面での話になるのですが理論、アイデアがあってもそれを実現するための基礎技術がまだ出来上がっていないか、未熟なことが多々あります。基礎技術が確立していない時期に製品開発、会社を興すようなことがよくあります。華々しく発表があることも多々あるのですが、なんとなくその後消えてしまった、という会社、製品、本当に多いのです。例えば私自身今かかわっているのですがARグラス(AR眼鏡)。Googleが華々しく発表しましたが売れなかった。日本でもSONYなどが出したのですが町で掛けている人見たことがありますか?ないと思います。VR(バーチャルリアリティー)も同様です。一方、時期が旬なタイミングで発表された 会社(創業)、製品は大成功を収めています。当たり前ですが、時期を見る目はとても大切です。私の技術分野、日本の大企業は数々のコンセプト(製品やアイデア)を80年代、90年代に発表していました。企業がとても元気だったころです。ただ、多くのコンセプトは実現しなかった、もしくは出来上がった製品が”使えなかった(使いにくかった)”。例えばいくつかの企業がVR(バーチャルリアリティー)の製品を出したと記憶していますが大きすぎ、重いヘルメットを頭にのせ、大きな眼鏡をかけるようなものだったと思います。大学の研究ならわかりましすが、製品となると時期が早すぎたのですね。 一方、遅すぎるのも問題です。IPHONEが出た時、真っ先に飛びついた企業は?というと日本の企業ではないですね。”日本も頑張った”と思うのですが、現実はというと日本の企業はマーケットシェアでは”その他”に含まれてしまうほどに少ないです。タイミングを逃した、と言えるでしょう。人々、社会の需要も時期を考慮するうえで大切ですね。人々、社会が求めようとしている製品、サービス、テクノロジーをその”旬”な時期に出せると大成功ですね。車で言えばTeslaでしょうか?Tesla以前にもEVはあったのですよ。TeslaがイノベーターだったわけではないのですがTeslaは売れた。Tesla以前はなんかちょっとデザインがかっこ悪かったりしますが、Teslaはスポーツカーの要素を全面に出しましたね。それにカリフォルニア人の環境に対する関心事にも訴えることもできた。電池がよくなり走行距離も飛躍的に上がった。。。製品の質(特に初期の車は色々と問題がありました)は良くななかったが売れましたからね。

アマゾン、創業したときどう思いました?多くは”それまでのドットコムの会社同様いずれ資金が底をついて倒産するさ”と思ったはずです。ですが長期にわたり利益がなかったにも関わらず倒産しなかった。多くの人が”あの時投資しておくんだった”と悔しがったかもしれません。私はAppleには投資しましたがAmazonはしなかった。。。Teslaもしなかった。。。見る目がないんですね。3社とも時代のタイミングに乗り”且つ”、社会(人々の生活)をリード、創造してきたからその先行投資の利益を得ているのですね。

私は”時期”、人生にとっても重要だと思います。自分のことですから企業、国家よりもっと重要だと思います。時期を逃した、時期早々、旬、これまでの人生を振り返るとまあ色々と思い出せます。時期と並行する形で”居場所”も重要だと思うのですね。”居場所”というのはまさしく”場所”です、例えば国、会社などを挙げることができるでしょうね。日本がバブル真っ盛りの頃にUSAにいたのでバブルの恩恵とそのすごさを全く知らないでいます。とにかく凄かったそうです。シリコンバレーがドットコムのブームで”イケイケ”だった時期があります。私はその時シリコンバレーにいましたが”ドットコム”とはあまり縁がない会社でエンジニアをしていたのでやはりあまり縁がありません。ドットコムという旬 (居場所:会社)に乗れなかったのですね。私がハードウエアのエンジニアでドットコムはソフトウエアが主体だったから。。。と言い訳は出来るのですがあの当時の友人たちの中にはソフトウエアの経験が少なくても”人手不足”に便乗するように華麗に?移っていった者も沢山います。シリコンがソフトエアに取って代わられるその転換期だったかなと思います。私が長く務めた会社がどんどん縮小していく中マイクロソフトそして華々しくデビューしたGoogleが一層勢いをつけたころですね。あの頃Appleは倒産寸前だったのですから。イベントに参加することの重要性とはこのことをいうのだな~と嵐が過ぎたころにつくづくと思いました。時期と居場所ですね。

今はAIが旬です。AIにも乗り遅れるかな~、いや、もうそろそろ引退を考える時期に入ったからと思っていたのですが、AIがやってきて(旬になって)、またシリコンが重要になった。AIって言っては悪いですがアルゴリズムじゃないのです。もっとも今盛んなAIであってそれがAIのすべてではないのですが、今が旬のAIはアルゴリズムというより、いかに効率よく巨大なデータを処理するか、なのですね。これってハードの問題なんですね、非常に簡単に言ってしまうと。色々なモデルを作っていますが私のようなハード屋さんから見るとどれも似たり寄ったり。次元が違ったりグラフの形が違うのですがそれくらい。AIを研究されている方の猛反発を受けそうですがね。さてハード?シリコン? この10年来優秀なエンジニアはソフトウエア領域に進んでくれたおかげで?私のようなもう第一線を離れようとしているエンジニアに再びチャンスがやってきたのですね。というわけで今はGAFAの一社でAI関連のシリコン開発責任者の一人になっています。実際の開発を担当するのですが旬が戻ってきたようです。ソフトウエアを担当するエンジニアの平均年齢とシリコンを担当するエンジニアのは私の部署でもすくなくとも10歳はハードが上かな~と思います。私のようなエンジニアが多いです。今回はうまく時期と場所が合ったようです。AIのシリコンをやっているというだけで今色々と新たなチャンスがやってきています。GAFAでやっているというだけでいろんなベンチャー企業から声がかかるようになりました。一躍また”求められる人材”に戻ったのですね。時期と居場所、これをして幸運と言うのかもしれない。仕事だけじゃないですよ。私の古い日本の友人でもう25年も前になりますがそれは、もうこれまで会ったこともないような美人な女性と結婚したのがおります。美人だけじゃなくとても気立てがよかった。同僚でかつ同じプロジェクトに従事していたのですが初めて紹介されたときさすがにうろたえました(それくらいの美人)。なれそめを聞くと”へええ”となるのですが居場所が本当に良かったのですね、しかもその奥さんはその時誰ともデートをしていなかった(時期)。居場所と時期そのものじゃあないですか!

時期と同じ音に磁気があります。私のようにメカニカルな腕時計をする者にはあまりうれしくない磁気ですが、磁力は引き付けるか、反発します。自分を引き付ける良い磁力に出会うと良いですね。悪い磁力もありますからその磁力、悪いと思ったらできるだけ離れるか、その悪い磁力に反発する、別の良い磁力を見つけることも必要でしょうね。良い磁気に人はついてきます。私の元上司に仲間と会社を作っては成功させていた人がいます。ほとんど全ての企業を大会社に買収された実績をもちます。かれには5人の”直属の部下”がいましたが、いつも一緒。一緒に会社を設立して一緒に辞めてまた一緒に始める。彼が磁力になっていたのです。残念ながら昨年初めに亡くなられましたがその直前にEMAILをもらいました。私がその当時ちょうど始めた仕事に大層興味を持ってくれていました。こんどコーヒーでも一緒にしようと言ってくれていたのですが突然亡くなり唖然としましたが”磁力”が私にもやってきたのかな?とあの時思いました。私自身は磁石になれない(そんな器ではない)ですからいつも良い磁力にさらされていたいと思います。そんな磁力の場に長くいると鉄でも少しは磁力を持つようになるのです。それが経験というのでしょうね。人を引き付けたいとは思いますよ。そうだな、それが先ほど書いた元同僚の奥さんのような絶世の美女だったら良いなあ。そうなるような磁力を授かりたいものです(残念ながら生まれながらの磁石ではないので)。

タイトルの写真はハリウッド界隈で。古い人なら知っているPretty Woman(映画)で最後のシーンで出てきます。 あ、知ってるとなればあなたは昭和生まれ!平成世代はこの映画を知らないことも多いのを最近知りました。ジュリア ロバーツさんはこの映画で一躍スターになりましたね。

戦時中の偉大な指導者 チャーチル あの時あの国にこのような指導者がいてよかった。今は世界のどこにも”指導者”(リーダー)はいない。

Visionと潜在意識

”過去に何度か触れた言葉です。ビジョナリー、ビジョンを持て、ビジョンに沿って。。。とビジョンという言葉、良く聞きますね。 あるいは”君の発想にはビジョンがない(大きなお世話なのですが)”などとおっしゃるおじじも沢山おられます。”あなたはどこまでビジョンが有ったっていうんだい?”大きなお世話!と思ったりもするわけですがそれくらいビジョンと言う言葉、日常聞きますね。これくらいの歳になるとなんでも好き勝手に言いますがいわゆるビジョンの話をされる方の大多数は誰かの言ったこと、書いたことを”また聞き”されて話しているか書いておられます。そんなに世の中すごい”ビジョン”をもって仕事をされている方はおりません(と断言してしまいます)。私自身は何のビジョンも持っていません。ですから若い人にも同世代の人にも(その)ビジョンの話はしません。意見は持ってますよ。でも意見とビジョンは全然異なるんです。そんなこと知っているよ、と言われそうですがビジョンがあると噂などで聞いた人のビデオ等を見てもその大半は単にご意見を述べられているだけでビジョンとは程遠いのを発見することが多いです。ビジョンは実現できるものだと思うのです、絵空事はビジョンではない。語るだけで実際には何もしない御仁も多いですね。今はしゃべるだけでお金になる時代です。いわゆる評論家、コンサルタント、そして言っては悪いですが教授が多くなったように思います。ビジョンには苦労が伴います。これはあるビジョンを持った人の下で20年近くベンチャー企業の一員として創業時から働いた私の経験として語れます。最近の人ではTeslaのCEO Elon Mask氏はビジョナリーでしょうね。どのような人かはこのシリコンバレーでは知られており、私は決して彼の配下で働きたくはないです。それはさておき、そのTesla, 入社面接で最後に彼直々の面接があるそうです (今もかな?)。彼は”これまでの仕事で一番大変だった経験”を聞きただすそうです。彼はその人が実際に本当にその件に関わったのか、その周りにいただけの人間なのかを見抜く能力に優れているそうです。”周りにいただけ”の人はいらないそうです。周辺にいただけではわからないことは多いですよ。ぜひとも周辺ではなくその当事者(のひとり)になって苦労もしてください。周辺にいてなんか”要領の良いひと”沢山いるのですが経験の深さは断然違ってきます。

さて私がここで触れるVisionはその”ビジョン”ではないです。このビジョン、以前のブログでも少し書きました。いわゆる”ビジョンを持て、ビジョンに沿って”というのはそうですね、別な言い方をするなら、 ”アイデア、企画、方針など。。。”となるでしょうか? 現代の日本人は横文字を好む傾向がありますが、ビジョンと良く聞く言葉、一体どういうことなのかを理解するには”おと”としてのビジョンではなく”意味”としてのビジョンを理解する必要があると分かってきました。私の年齢ではちょっと遅すぎるのですがね。”おと”のままでは理解ができない。元々が日本語でないわけですから。振り返ってみるに明治時代、英語に初めて接された偉人たちは英語を”理解”しそれを伝えようとしたと思います。彼らは英語の単語に相当する日本語を探した。当時の日本語にはなかった言葉も多いのです。例えばVote(選挙)。選挙制度は江戸時代なかったわけです。Voteと言う言葉にであった明治の日本人はそれを”ボート”と”おと”の輸入をすることなく意味を理解してそれにふさわしい日本語を当てはめた。この辺りさすがだと思います。爺さん的発想ですかね?

なんて硬いことを書いてますがここで触れるVisionはまさしく”目に映る”、”頭に描く”ビジョンなのです。人生を成功に導く、幸せになる一つの大きな要素に”Have A Vision”があるとアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにあります(以前のブログにリンクと付けましたが再びつけておきます:ここです)。このスピーチをじっくり聞くとそのVisionはまさしく目に見え、頭に描けるとても具体的なことだと分かります。彼の場合、ボディービルダーとして成功し、そしていずれ映画俳優としてスターになる、ということですがスピーチを聞いていても私は当時の彼の頭、目にその自分自身の姿が鮮明に描かれていたと思います。この言葉 Vision を日本語にするとするなら”目頭にしっかりとそして鮮明に自分のなりたい姿を焼き付けなさい”とでもなるでしょうか? 巷で聞く”ビジョン”とはずいぶん異なるのではないですか?

鮮明に描く、これがカギです。成功された方の書物、インタビューに触れると皆さん同じことを書いています。自分の進む方向が鮮明に描き出されその上を歩いて行った、というような。アイデア、企画などもあるのでしょうが、決して抽象的ではなくとにかく具体的です。ある書物では例えば自分がその時食しているであろう食事に至るまで鮮明に頭(目)に描かれるほどに具体的に。それで初めてのデートの成功確率が上がるそうですよ。目に描く練習を積むことは重要です。スポーツのスーパースターたちは試合に先立って自分がその日するであろうゴール、ホームランなどを鮮明に描くそうです。それが鮮明であればあるほどその日の試合はうまくいくそうです。そのために一人になる時間を持っているそうです。

またビジョンは潜在意識にも働きかけます。 潜在意識について以前読んだことがありますがビジョンと潜在意識は切り離せないと思います。ふとしたときにそれが現れてくるのです。

これについては具体的な個人例があります。以前書きましたが私自身は全く覚えていないのですが私は母に”いずれ、遠いところに行く”と言ったそうです。でも、確か高校生3年生ぐらいのころ町の書店で雑誌を読んでいて”石油タンカーの無線通信士の日常”と言ったような書き物に出会ったことは覚えています。その号の記事では”マラッカ海峡で船が数珠つなぎになり通れる日を待っている”ような内容だった。マラッカ海峡、社会(地理)の授業で名前は聞いたことはあるが実際はどんなところか全然知りませんでした。1970年代のこと、写真、ビデオ、インターネットなどは無いに等しいです。その記事はとても鮮明で読んでいるうちに”一度見てみたい”と思ったのは覚えています。それからその雑誌のその記事だけを書店で立ち読みするようになったのも覚えています(雑誌名は覚えていない。)おそらくそれがあって”いずれ 遠いところ”に行くとなったのでしょう。マラッカ海峡が見たい、程度のことだったのでしょうけれど、よくわからないがマラッカ海峡に一種のあこがれをもったのは確かです。狭い海峡を沢山の船が往来するらしいのです。その光景は今でも目に映せます。そして事実こうしてマラッカではないですが遠いところにいます。おそらくあの時に潜在意識の奥底に自分の描いたマラッカ(遠いところ)が刻み込まれたに違いないと今では思っています。また、最近の話ではこの5年ほどAIが次のテクノロジーとして大きく脚光を浴びています。マーケティング部に属するエンジニアとして顧客との会話もAIが主体になっていました。そのころからいずれ自分自身もAI関連の開発に直接従事するんじゃないかと薄々思っていました。AI について経験ゼロ、学校で学んだこともありませんが。そして今現在本当にAIに特化したシリコン開発の責任者をしています。実はその少し前にAIではないがGAFAの一社にてエンジニアをする機会に巡り合えたのです。おそらく人に話したら”なんてもったいない”となると思います。とても良い条件の仕事でした。ですが、あの時にそのポジションは取らなかった(元上司を助けるためなのですが。)でもあの時あの仕事を取らなかったことで今AI関連の製品開発の責任者になったわけでこれも潜在意識が働いたのではないかと思うのです。あの時違った選択をしていれば今の仕事の機会はやってこなかったのですから。

ビジョンを深めるのは瞑想が一番だそうです。 潜在意識を深めるには沢山遭遇することだそうです。外にでて沢山遭遇して、瞑想の時間を持つ、簡単そうで中々できないですが意識するだけでも人生変わるかもしれないですよ。しかも瞑想は時間をかける必要はなく5分でもいや1分でも良いのでそうですよ。現代人、なぜか皆が忙しいと言っていますが(実際は絶対そんなに忙しいわけはないことも老齢になると知っています)、5分の瞑想を取る時間はあると思います。5分(300秒)、起きている時間が14時間としてわずか0.6%の時間。5分の瞑想を50年間毎日してもわずかに64日(2か月)分の時間。 この時間がないはずはない!と私は毎日のように呪文をかけて朝おきたらとりあえず座るようにしております。効果は? それが沢山あるのですね。会ってみたかった人にも出会えたし、行ってみたかったところにも行けたし、なんとなくするだろうなあと思っていた仕事にも就いているし。。。だまされと思って瞑想してみます?だまされても失うのは毎日5分の時間だけですし。

どんな写真かな~と思いました。写真はすべて自分がIPHONEで撮ったものを使うようにしています。写真は一度一緒に食事をしたいと思っていた人とした食事から。長い間こんな食事をしたいものだと思っておりましたら確か4年ほど前にそんな機会に巡り合ったというわけです。

 

ここがマラッカ海峡。あちらに見えるはシンガポールらしいです。タンカーが沢山。

水を撒く

わが家の庭には薔薇の木、レモン、ザクロ、リンゴといった花と果物の木があります。また小さな菜園でネギを植えています。とても小さな裏庭ですがいまのカリフォルニアでは贅沢になっています。新しい家は我が家の半分くらいの土地に日本の都会のように2階建ての家を建てるのが普通になっているのです。土地がとても高いのです。我が家は築65年は経っている古い家でそのころこの辺りはまだ果樹園だらけだった場所。もう開発が終わってしまった場所でゆったりとしています。

さてこれら植物には水をあげる必要があります。雨が降らないカリフォルニア、自然の恵みでは果物や花々は育たないのですよ。水をあげないと枯れてしまうか全く実をつけないか、つけても(ザクロ)酸っぱくて美味しくないです。

そのみずやりについて。はるか以前こんな話を読みました。ある教会に牧師夫婦が赴任してきました。牧師の奥さんは庭に木を植え、それは大切に大切に育てました。時が過ぎ牧師夫婦が共に他界したその年、例年には見られない強い風がふいた日がありました。その突風の次の日の朝、教会を訪れた人はそこに牧師の奥さんが育てていたもう大木になっていた木が倒れているのを発見しました。大木が倒れていた理由は根が張っていなかったからなのです。牧師の奥さんは大切に育てたのですがいつも水を幹のそばに撒いていたため木が根を張り巡らして水を探しに行かなかったために根が育っていなく、もろかったのです。

もちろんこのお話は比喩のためのお話です。昔の言葉に”かわいい子には旅をさせよ”とありますがそれをこのお話は伝えているのです。手塩に育てたのは良いがそれがためにもろくなっていたのです。風雪に耐えるための根を張ることなくそだったので突風に耐えることができず倒れてしまった。 

子供に水やりを任せていた時期があります。でもね、薔薇が全く咲かなくなったのです。おかしいな~と思いました。水をあげているか?と聞くとちゃんとしてると言います。でも全然花をつけないのですね。そこである時水やりを見てみました。水が足りない。。。植物の根に水が届かなくてはいけないのです。ちょっと水をあげても土が濡れるだけで根っこまで水は届きません。これでは薔薇は水を得ることができずしたがって花をつけません。水はあげるならたっぷりと挙げる必要があります。薔薇に限らず例えばネギの場合、たっぷりあげると何度も成長してネギを収穫することができます。ネギは土が濡れる程度ならいずれ枯れてしまいます。

ここで言っているのは物事例えば語学の勉強、収穫できるほどにまで続ける必要があります。私は合気道(一応有段者です)をしていましたが稽古を始めた当時、先生は”最初はできるだけ時間を作って沢山稽古に来なさい”とアドバイスを下さいました。水が根に届くがごとく途中で辞めないことなのですね。根が張り始めると少しペースを落としても進歩は続くのですがそれ以前に水やり(勉強、稽古、経験)を辞めてしまうと土を濡らすだけで終わり収穫にはなりません。私も飽きっぽくすぐやめることが多いのですが水を濡らすだけではその努力もったいない。ぜひ根に届くまで続けたいですね。

水やり、時期もあるのです。レモンを植えていますが2年前はとても沢山の実を付けましたが昨年はほとんど全滅。違いは?水です。カリフォルニアは冬が雨季で雨が降ります。夏場は全く降りません(したがって山火事が多い)。2年前の冬は良く雨がふりましたが昨年はあまり降らなかった。それだけの違いなのです。今年(今冬)もあまり降らなかったのですが私は冬場から定期的に水をまくようにしていました。そうしたら今レモンの木には緑の実が沢山できています。レモンは秋から冬にかけて黄色い実を沢山つけてくれそうで冬場にはまた美味しいレモネードが作れそうです。ザクロもあるのですが美味しい、甘い実をつけるには水をその時期に沢山あげることはとても重要です。実が出来てからでは遅いのは経験で知っています。

ここで言いたいのは時期です。人生頑張る時期というのがきっとあるはずです。それも一度や二度ではなく何回となくやってきます。以前書きましたが私の場合、高校2,3年の時、USAにきて最初の年、カリフォルニアに移ってベンチャー企業時代(倒産の危機が3度あった)、子供ができた当時、などなど沢山あります。その時期に頑張っておくと美味しい実(成功、幸せ)を得る可能性はぐっと増えると思いますよ、これも経験から。

庭のレモンの木。緑色なのでよく見えないが実が沢山できている
庭(表)のザクロ。ザクロは水が少なくても実ができるのですが美味しくするには水が必要

でもね こらえられないようなことにも沢山出会います。それでも がんばれというのか? となりますが、私はよくそんなことを母に言っていました。母の返事はいつも、”お前の人生、やるも辞めるもお前次第。でも辞めて後で文句は言うな” でした。”文句”というのはそうですね、大人になるとやっかみでしょうか? ビリオネア、例えばビル ゲイツ氏たちに対するやっかみをよく聞きますが彼らの話を聞いてごらん。それは、それは努力して自分たちの全人生をかけて会社を興されたことがわかります。やっかむどころか、その成功に敬意を払う気持ちを持ちたいものです。しかも今その成功で得られたものを誰からの催促もなしにほとんど全て使って社会に貢献しようとその努力を今されている。アーノルドシュワルツェネッガーさんも今されているのは社会に貢献する努力です。成功されるためにあれほどの努力をされて、そして得たものを全部再び努力されて返していこうとされているのですから。私はこの2人の人にはいつか直接会ってみたい。

こらえられない事態になったらどうするのか? 私だけの経験でいうなら辞めることも一つの選択肢です。”転機がやってきたのかも”しれないからです。以前のブログで身近な人ではなく少し間を置ける信頼できる人を持つことを紹介しました。友人、家族、同僚、上司、恩師(学校の先生)は親身になってくれますが同時に自分のことについては”結局は他人”です(親は別ですが親は親の目がある)。身近な人は自分たちの目で”見ます(一番いい例が同僚と上司、それと顧客)。親身でずけずけとはしませんが結局は自分のことではないので”話をきく”だけになることが多いように思います。それでストレスの解消等にはなると思いますが、自分にとって”転機”が訪れたのか、そうだとしたらどうしたらいいのか、その相談相手がいると心強いですね。とくに自分と利害関係の全くない相談相手ですね。人はよほどのことがなければ”苦労して手伝ってはくれません”、というのもその人にも生活があるからです。学生時代とそこは大きく違うところですね。大人の利害関係というのは複雑なので学校を出で間もない若者はそれに戸惑い、驚きそして失望していくことも多いです。だから、というわけではないですが信頼できるが利害関係のない(つまり少し離れている)人を相談相手として持っていることはきっと人生を豊かにする手助けになると思います。

水を探しにいこう。

水を撒くなら根っこに届くまで十分に

水を撒く時期があることを知ろう。

そうそう、栄養分も折に触れて補給すること。大地がとても肥沃なら良いのですが今の日本、大地が疲弊しかかっています。爺世代(私ですね)がめちゃくちゃに使ってしまったこともありますが新しい栄養分が必要だと思います。さしずめ、これは新しい産業の創出とでもしておきますか? あとは外から補給。これって外から中に入ってくるのもありますが、”中から外”に私はもっと注目したいです。 先ほどの”水を探しにいこう”がそれですね。外にでて、そして”持ち帰る”のです。それが栄養分になるでしょう? それには、私のブログの根底をなす、”どんどん外に出て実際の経験を積んでほしい”というところに行きつきます。

最近は工場での栽培が盛んになっています。水栽培ですね。根っこに直接水、栄養を補給するのでとても効率は良いのです。食料工場としては効率は重要ですが、大木を育てる方法ではないですね。 大木を育てるのか食料を育てるのか、どちらが良い、悪いではなく、自分の人生をどちらに向けて豊にしていくのかも時には考えてみるとよいですね。

最後に本を読むと良いですよ。ブログでも、ビデオでも、Tweetでも、Facebookでもなく良書を沢山読むと自分に対するとても良い水撒きになります。

そうそう、その本について。これは以前日本で少し年上ですが私と同世代のお客さんと夜食事をしたときに出たはなしです。その方はある大企業の事業副本部長兼、開発部部長という地位の高い人物でした。ある時若手の部下に書籍を薦めたことがあるそうなのです。そしたら、その部下に”パワハラですか?”と返されたそうです。詳しいいきさつははかり知ることはできませんが書籍を推薦してそう返されたと非常に嘆いておられました。パワハラ。。。 爺たちですがそんなつもりで書籍の推薦とかをすることはありませんよ。それ以来その方は書籍の推薦等は一切やめてしまったそうです。とても残念がっておられましたがもうすぐ定年を迎えますし今更何か問題になりそうなことはしたくないようにおっしゃってました。残念ですね。

久しぶりにがちがちに硬い話になりました。昭和世代は非常にまじめなのですよ。で、ブログには写真を付けることを基本にしていますがこんながちがちに硬い話に何が合うのかな~と思いました。 タイトルに挙げた写真は中国は万里の長城です。北京郊外にある観光地に行ってきましたが これを作るのはまあ努力のたまものですね。そして、歩くのも努力がいる。とにかく階段だらけで現代人はひーひー言いながら歩いていましたがそこを守った衛士は武具を付けて走っていたのですね。

映画スターも努力のたまもの? 

友人

ヘイトスピーチがこの4年ほどここUSAで大ぴっらになっています。国の指導者がそれを助長するというこれまでは考えられなかった現状、非常に危険な現状を見、とても憂慮しています。歴史は繰り返すと言われますがどんな大国もいずれ内部から崩壊していくのです。その崩壊を見るようで将来が心配です。ソビエト(今のロシアを含む)も内部崩壊したのです。外部からの侵略ではなく。大英帝国も内部崩壊をしたのは知られています。大国は内部崩壊にとてももろいものです。これは歴史をよく勉強するとわかります。かのローマ帝国、ゲルマンの大移動で崩壊したように中学、高校の歴史で習うかもしれないですが、実情は内部崩壊です。事実侵略があったおかげで帝国の一部(東ローマ)は生き残ったのですから。侵略が内部崩壊を止めた(一致団結)とも言えます。東ローマ帝国はその後やはり内部崩壊をします。アメリカも以前に内部崩壊の危機がありました。南北戦争です。あの時は偉大な指導者、リンカーン大統領が救ったわけですが今はそんな指導者がいるのか?と思う。歴史家、多数の一般国民の一致した意見として一番偉大な大統領というと初代大統領であるワシントンよりリンカーンを挙げる人が多い。今日現在の人は最下位に近いところにいますがね。

最近、日本でもヘイトスピーチが公然のようになっており非常に憂慮します。特にTwitterは匿名性もあるのでひどく荒れていると聞きますがYOUTUBEで公然と嘘、一方的な意見を吹聴するビデオを見つけることもありますしブログも非常に過激で荒れていると聞いたことがあります。何も知らないでそういったヘイト、嘘を広げている、それを伝達しているのはとても憂慮することです。

どうしてなのだろうか?と考えたのがこのブログを始める一つのきっかけです。私はこれは現在の内向きな志向に一つの解を求めてしまいます。前に書きましたが人間は基本的に内向き、いや外に出ないそうです。人間の活動範囲(生涯)は自分が生まれた地域の半径100キロ圏が大半であると以前何かの記事で読んだことがあります。交通手段が発達しても日常生活圏を考えるとそんなものでしょう。時々旅行をするにしてもね。しかも最近は旅行も”近場”になりつつありますしね。また類は類を呼ぶがごとく同じような”類”といたいという気持ちも強いそうです。アメリカ人が行きたい外国というとカナダ、イギリスなど英語を基本とする国が上位に来るのもそこにねざしているわけですね。

それに最近は何でもバーチャル、オンライン。そこで得た知識だけで物事を見るようになっていると思います。 経験 が欠如しているのですね。それと関係です。 なんでもオンライン友達、いやもっと進んでオンラインの恋人までいるとか。 古い人間である私には全然ピンとこないのです。オンラインで関係を深められるとは思えないのです。在宅勤務が昨今話題になりますが私自身、GAFAの一社に勤めるのですが私の会社は今もキャンパス拡張(新しいビルを建設中)しておりいかにしてエンジニアはじめ従業員をオフィスに戻せるか、検討を進めています。シナジーはバーチャルでは達成できないことを知っているのですね。在宅勤務は基本的に考えていないのですね、ですから。

さて、私は中国、韓国、台湾、UK, イスラエル、ドイツ、チェコ、オランダ、カナダ、そして日本とアメリカに友人と同僚がいます。彼ら、彼女らとは現地で一緒に仕事、食事等をしてきた仲です。皆親切で良い人たちですよ。イスラエルへの出張の帰りにUK(ロンドン)によったことがありますが、忙しいなか、ヒースロー空港まで出迎えに来てくれた友人もいます。帰りもホテルから空港まで送ってくれました。こういった国に友人がいるのにその国(国民)を一概にヘイトすることはできない。国によっては、もちろん政治体制など私の個人的考えと合致しないところもありますが XXXX人 大っ嫌いと言っておいて自分にはXXXX人の友人がいるとは言えないでしょう?好き、嫌いは個人的なことです。自己の経験ではなくバーチャルな情報(映像、音声、文章)だけで自己の経験基づかない、それを基に自分もヘイトを伝搬する風潮が昨今溢れておりとても危険だと思います。実際には何も知らないでしょう?

バーチャルな環境でいると、そうですね、例えばイラン人、あまり良い印象を持たないのではないでしょうか? 私は過去、そして現在の上司にイラン人がいます。どちらも上司であり、同僚でありそして友人です。今の上司はこんなに頭の回転が速い人にはあったことがないと思うほどにエンジニアリングで優秀です。以前の上司は穏やかで辛抱強かった。今でも大切な友人です。私の知るイラン人は彼らと彼らの周りの人たちだけの個人経験ですが良い印象を持ちます。また、ニュースしか知らないとイラン人とイスラエル人はいがみ合っているように思うかもしれませんが私のイスラエルの友人とイラン人の友人は彼らも友人どうしですから3人で食事もします。国と国、と個人は決して一致しないものなのです。

トルコ人、ロシア人、テキサス人(アメリカ人)、コロラド人(アメリカ人)、アメリカ南部の人(マイノリティーを含む)、カナダ人、ヨルダン人、アイルランド人、そしてインド人も皆、現在、そして過去一緒に働いた同僚、友人、上司です。私はトルコ人を2度上司としたこともあります。私は幸運なことに同僚、上司にはずっと恵まれているので皆会社を辞めた後も連絡を取りますし、今でも仕事、仕事以外でも助け合う仲です。 

私のブログを見ていただくとわかると思いますが私は若い人たちに個人経験を深めてほしいと思っています。それがとても大切だと思います。実際の経験で、決してバーチャルではない経験です。オンラインが内向き志向を助長しているのではないかな、と私はそんな会社で今エンジニアをする者として危惧しています。

私は人間、エンジニアとして大して成功したわけではないのですが、私自身の人生一番の達成は?と聞かれたら私はきっと”世界の色んな所に友人がいることと世界の色んな人と一緒に働いたことだ”と言うでしょう。これが私の唯一の自慢です。

盛り付けがきれい

どんな写真が良いかなと思いましたが友人関係を深めるのは何といっても食事です。写真は私の大切な日本の友人とした食事から。日本は盛り付けがきれいですね。また、日本でカプチーノをオーダーすると写真のような素晴らしいアートをサービスしてくれることもありますね。LAそばのトーランスという町は日本人が多いのですがそのトーランスの日本食レストランでもこんなカプチーノをオーダーできました。

杭州に出張したとき。事前に予約しておかないと食べれないそうですが夕食のために前もって予約しておいてくれた。ぜひ私に味わってほしかったからと言ってました。嬉しい限りです。この日は杭州に宿泊しました。

親の教え

私の両親は第2次世界大戦をなんらかの形で経験している世代です。おそらくは最後の世代に入るでしょうね。当時母はまだ子供だったはずですが戦争は知っている、という世代です。私は戦後の一番大変だった時代の直後辺りの生まれですが私の姉は50年代の生まれです。あの当時、大人は忙しかったから私の世話(おんぶしたりね)を全部したと、まあよく言われました。こっちは全然覚えていませんが嘘をついているのでないのはわかるので”ありがとう”と言っていました。ちなみに兄弟のなかで私は姉と一番近い(仲がいいという意味で)。今も姉にはあまり頭は上がりません。何しろおんぶして子守をしてくれたそうですからね。

子供のころ、私はあまり”勉強しなさい”といったことを言われなかった。それにあまり何も習わなかった。。。とにかく大人がとても忙しい時代でしたからね。父親はほとんどおりませんでしたし。両親不在(私にはまだ祖母が居ましたがめちゃくちゃに厳しかった。。。祖母は明治生まれ。明治生まれには勝てないですよ、どんなに頑張っても)したがって子供は勝手にしているわけですな。勝手にすると勉強する子は勉強するし、遊ぶ子は遊ぶ。私は遊ぶ子でしたね。後年、高校に行ってがらりと変わりましたが小学生、中学生のころは遊ぶだけ。全く勉強はしていなかった。やってどうなるねん?と中学に進んだころにはもう勝手に自覚してました(かなり投げやりな中学生活でした)。

そんなですが母親から日頃言われ続けたので今でもよく覚えている言葉は

やってから文句言いなさい

です。 やる前から文句言うんじゃない、ということですが 良いように遊んでいると”XXXXしなさい”と呼びに来るわけですよ。せっかく遊んでいるから”後でやる”とかなんとかいうじゃないですか、子供って。 そうすると”やってから遊びなさい”となります。それでも文句言うと”やってから文句言いなさい”と。いつもこのパターンだったと覚えています。 

やったあとで文句を言った記憶はあまりないのです。結局親には逆らえないので”やった”(と思う)のですがそれから”もんく”言ったかな?と記憶を辿っても出てこないのです。やり方がだめだと呼び戻された(そしてこっぴどく叱られた)のでそのうち最初からちゃんと(もっとも子供目でのちゃんとですが)するようになりました。文句を言わなかったのは、おそらく”直ぐに遊びに行ったから”だと思うのですが、終わってしまうとあまり文句って出ないものなのでしょうね。 やる前に文句がでるのです。 だから”やってから文句言いなさい”となるわけだ、と今くらいの歳になるとようやく悟。。。

おかげでかどうか、この歳になっても日頃バタバタしています。なんか、やり残したことがないかな?と。全部やりきってからでないとゆっくり休めないのです。”後でやったら?”とか、”まずはゆっくりしてから”と言われますが中々出来ない。忙しい体になっているのですね。出張から戻ってもすぐさまスーツケースを開けて中の整理を始める、ジェットラグでとても眠くなっていてもとりあえずスーツケースをかたずけないと落ち着けない。。。 いやはや な性格になっていますが ”子供のころ、そうやって育ったから仕方ない”というと、”変えてみたら?”と言われます。たしかにね。 もうゆっくりしてもいい歳なのかもしれない。。。せっかくの休暇でも目的地につくなりバタバタ。。。これは嫌がれますよ、まじに。性格悪いですな、私は。

この”やってから”が日本の経済を急激に復興させた原動力のひとつだと、でもね、最近より悟るようにもなっています。昨今見ていると、やる前に文句言う、が多いように思う。USA, 日本しかり。どこでも。いや、ひょっとするとベトナムなどのアジアの新興国と中国は違うかもしれない。ちょうど昔の日本の状況でしょうからね(これからもっと飛躍するでしょう)。以前、現リシュモングループ(高級ブランドを傘下に収めるヨーロッパの一大企業)のオーナー(彼は南アフリカ出身)の記事を読んだことがあります。彼はそのころロンドン在住だった(はず)ですが、いつも空港等に朝早く出かける際の車の中からアジア系の住民が朝早くから働いている姿をみて”ヨーロッパ人はどこにいるんだ?”と書いていました。夜遅く今度は帰宅する際にもアジア系の住人はまだ働いている姿をも見てアジアがこれから経済的に大きく飛躍することを肌で感じたとも書いていました。とても古い記事です。

というわけで今日もバタバタしています。

そうそう、もう一つ頭にこびりついているのは

汚い言葉を使うものじゃない

です。わけても ”ちく**”は言うと怒られました。おかげでこの言葉今でも出ません。悪口じゃなくて汚い言葉です。悪口は言わないほうが良いに決まっていますが、やはり人間、出ることもあります(でも口汚い悪口は口にしません。これはものすごく怒られた)。昔は大人がきちっと教えていたのですね。

という話でした。 ”やってから”この歳になると母親には感謝します。お陰で今の自分があると実感できるからです。 

さて表題の写真は真空管ラジオです。EBAYで古いキットを落札して作りました。とても簡単な回路構成ですがちゃんと稼働しました。私が大学に入ったころにはすでにトランジスタ回路が講義の主体でしたが実験ではまだ真空管に触れる機会がありました。また電機、電子工学を大学(工学部)で選択したきっかけは 子供のころジャンクヤードで見つけた真空管ラジオだと思う。。。 いつもこんなキットをEBAYで探していますが中々見つからない。日本の秋葉原も今ではすっかりアニメ、キャラクター、ゲーム、コンピュータが大半を占めるようになり私のような古いエンジニアにはガード下の一角を除くと別世界になっています。ガード下の小さな店はいまでも大好きです。楽しい発見をします。

夢からビジョンへ

”いつでも夢を”という映画とその主題歌知っていますか? これは吉永小百合さんの青春映画のひとつです、と言って”みたことがある”なら、あなたは”昭和生まれ”間違いなしかな? とても良い映画ですよ、今見ても。もっとも私は昭和生まれですがこの映画が上映されたときはまだ赤子でしたから初めて見たのはそれから15,6年は経った後です。あのころ京都市の祇園界隈に祇園会館という映画館があった(今はありません)のですがそこで3本500円くらいで古い映画の上映がされていたのです。そこでこの映画を見たのをはっきりと覚えています。 以来、吉永小百合さんのファンですから。 私の世代はというとキャンディーズ、山口百恵さん(歌に恵まれた方ですね)や松田聖子の時代ですがそれでも小百合さんは人気がありました。 私は吉永さんは別格で薬師丸ひろ子さんの映画は欠かさず見たファンの一人です。この映画の主題歌、インターネットで見つけることは簡単です。 例えばここ。https://www.youtube.com/watch?v=_9pewaS3Dhs&t=30s

吉永さんのインタビューを後年見たことがありますが、その中で ”よく走ったわね”とおっしゃっておられました。ほんとうあの当時の映画をみると吉永さん、いつも共演の浜田さんと一緒にとにかくよく走っています。 それはまるで昭和時代の”忙しくて”仕方がなかったころをそのまま表すかのように。昭和は走って忙しかったのですよ。子供のころの話をするとちょっと馬鹿にされますが全部覚えているんですね、私も確かに走っていたかな(昭和も半分が過ぎて生まれ育ったわけですが)。

ところで先日書いたブログで紹介したアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチで彼はビジョンを持てと言っていましたがDream (夢)とは言っていなかった。ここは重要だと思うのですね。 夢を実現するにはビジョンが必要。ビジョンは彼が言っておられるように、そして少し私も書きましたが非常に具体的でかつ頭にこびりつくものなのです(だそうです、というほうがより正確)。”夢だけで終わらせない、実現するんだ”、と私も含めよく人は言いますが終わらせるか、終わらせないかの違いはこの”ビジョン”を持つかどうかに掛かっていると思います(経験でも)。そして、色々ときいたところではビジョンを焼き付けるのに一番適したやり方は 朝の瞑想 だそうです。 5分間の瞑想で良いんだそうです。 そして瞑想はやり方があるそうです。本当に色々と試しましたが未だに瞑想できたという実感はありません。それが理由でしょうね、 未だにビジョンが乏しい私は成功(幸せ)から程遠いところにいる。 が朝起きてベッドに座って瞑想の恰好だけはいまでも続けています。いつかは悟りを開き瞑想できるようになるかなと。。。

Denzel Washington さんの卒業式におけるスピーチ。 ”夢とゴール”と言っておられますがこれを”Vision”と置き換えるとアーノルドさんのVisionと同様になるはずです。これ、良いスピーチですね。彼の生い立ちご存じですか?

という紹介でした。

ついでに書くと、時々私の経験を話すと、ほぼ必ず質問されたのが、”寂しくなかったですか?”です。30年前のボストンは日本からは遠かったし社内で日本語を聞くことは皆無でしたからね。でもこれは愚問と言いたい。そりゃ寂しくなることは幾度もありましたから。ボストンは冬吹雪で荒れることがあるのです。冬暗くなって帰宅する時に会社の駐車場で一度ロックアウト(車の鍵を車内に残してロックしてしまった)ことがあります。ちょうど吹雪が始まって雪がどんどん降ってくるんです。オフィスにもどってセキュリティーと話をして、こんな場合消防が助けてくれるということで電話して来てもらいました。色々とツールを持ってきましたが中々それでもドアは開かない。寒い中二人で奮闘しましたが”ああ、もういやだ”とあの時思いましたね (帰る(日本に帰るってことです)と思ったのをよく覚えています。)後日談をかくなら、ボストンの駐車場でもロックアウトしたことがあるのですが、駐車場の係員の若い男性、ペラペラの板のようなものを窓のところに差し込んだかと思うと10秒もぜずに開錠しましたよ。初めて見ましたが彼にかかったら車上泥棒はお手の物ですね。あの吹雪の中一時間ほども奮闘したのは何だったんだ?と思いましたから。 

あの時代はインターネットは無いに等しく、もちろんGoogle、Facebook,、YouTubeなどはありません。 IPHONEもないですよ。 EMAILは一般ではまだ普及していなかった。私はコンピュータの会社にいたのでEMAILは有りましたが社内使用以外誰に書くねん?でしたし。 そうそうAMAZONもありません。今からするともう考えられないような時代だそうです、確かにね。 DVDもなかったのですよ。ようやくVideo CDというのが出てくるころでした。 CDはありましたよ。CDは私が大学生(3,4年生ごろ)出てきた媒体です。今はもうCDはあまり見かけなくなりましたけれどね。まだVHSビデオの時代でWalkmanもまだあった、そんなころですね。日本のVHSを何本か持っていたのでそれを見てましたね。その中にはもちろん吉永小百合さんの青春ものの映画もありました。キューポラのある町 という映画をVHSで探しましたがなかったのを覚えています。 いまYOUTUBEで探しても出てこないです(フルには)。これは一度も見たことがないのでぜひいずれ見たい。それ以外には映像、ビデオはあまり覚えていませんが音楽はよく聴きました。中でも一番聞いたのはショパンのノクターン G Major と E-Flat Major 演奏はルービンシュタインさん(に限ります)。おそらく30年のUS生活で一番きいたでしょう、今でも一番好きなピアノ曲です。あまり音楽を聴くほうではなかったですがあの頃は良く聴いていました。

とはいえ、まあ、なんとかなるものです。 若い時は特に。それにいまはFacebookもあるし。でもね、何もなかったからよかったのかもしれないです。 なんだかんだで忙しくしていましたから。 ハーバード大学が夜間のコースを開いていたので、オンラインなどない時代ですからキャンパスによく行っていました。ハーバードで夜間のクラスを取り始めて会社近郊(田舎)からボストン近郊の大きな家で部屋を借りました。大家にあたる人はビジネスウーマンでほとんど家を空けていたので彼女の猫の世話をすることが条件でした。3匹のシャム猫(マシュマロ、ファッジ、ハニーバーン)とてもなついたんですよ。以前のブログでペットについて書いてますがあの3匹を世話したので動物が生活にいても平気になったのだと思います。ボストンシンフォニー(小沢征爾さんで知られますね)が火曜日(木曜だったかな?)の昼にリハーサルをしていましたが一般公開していましたので時々行ってました、会社を早くでて。自宅とした大家さんのところから電車(Green Line)で行くことができ便利でした。元々クラシックを好んでいましたがずいぶん色んな曲をリハーサルで聴きました。夏はボストンポップスがボストンにいて交響楽団はタングルウッド(ボストンから車で2時間ぐらいかな)に移りそこでコンサートがありました。夏は4回経験していますが毎年一度は行きましたね。良いところです。ボストンポップスの演奏も聞きにいきましたよ。

今はBLOGを書いてますが普段は仕事以外でコンピュータを使うことはほとんどしません。 YOUTUBEもほとんど見ないしTWITTERもしません。ボストン時代に触れてこなかったからでしょうね。 それより本を読むほうが多いです。書店は週末毎行っていました。カフェのついている書店が多かったのでそこで何時間も過ごしたのをよく覚えています。そうそう、冬は寒く雪が降ります。会社から一番近いスキー場まで車で30分程度だったかな?毎週水曜日は会社のスキーイベントがありいつも行っていました。滑るというより食べるためでした。食事が無料で出たのです。

なんだか表題とは違い私のボストン時代の回顧録みたいになってしまいました。

千疋屋のメロン。 昨年日本で買いました。千疋屋のメロンと言えば 贈ってもらうことが皆の夢でしょうか? 贈ってもらえないから自分で買って食べました。美味しかったです。贈ってもらうともっと美味しいのかな?

Boston 近郊。こんな緑だらけのところに住んでいたのです。下宿でしたが昔の家(サテライトで見ると建て替えられていた)、メイドの部屋が屋根裏にありそこを借りていた。トイレ、バスルーム、キッチンと全部そろっていてドアを閉めると完全な住居区域になります。ここからBOSTONまで自転車でも40分程度、電車もありましたがT(地下鉄)Green LineのDライン。このラインはケネディー家で知られたBrooklineなどを通ります。Dライン沿いはとても裕福な街が並んでいた。隣町にWellesleyがありますがここは世界的にも知られたWellesley College(女子大)があります。とても高い塀があったはずで中には入れなかったはず。。。この辺り今でも歩いたり運転しても迷子になることはないと思います。