80/20 Principle

ビルゲーツさんの言葉にもありますね。

人生は公平ではない、それをしっかりと知っておくことは生きていく上で重要です。

会社での昇進を上げるまでもなく人生は不公平に出来上がっています。

こちらの本、何度もこれまでのBLOGで取り上げていますが80・20の法則を知ること、それを有効に適応、適用することは人生の成功、幸せ、満足、などなどに大きく寄与するはずです。

身近な例で80・20を上げるなら”富”になるでしょうか。ご存じのように世界の富の90%はごく少数もう10%以下だと言います、が握っているのです。平均やメディアン(いわゆる真ん中)を取り上げても仕方ないのですね。以前も書きましたが日本の個人金融資産は1800兆円あるそうです。全人口1億2千万人。単純に割ると一人当たり1500万円ていど。家族3人として一家族4500万? 現実は?個人資産(家族あたり)600万円程度だそうですよ。単純計算が全く現実を映し出さない一例です。違う例をだすなら例えば今の日本のGNPを人口で割ると39950㌦になるそうです。中国はまだ11300㌦。でも現実には日本はどんどん落ちて行って中国はどんどん日本との差(中国が圧倒的に伸びている)が広がっている。インドはわずか2100㌦ですがこれから10年でGNPではインドは日本を抜き去るはずです。インドは既にUKを抜いてしまいました。10年後の予想は国家GNPでは中国、米国、インド、そしておそらくまだ日本が頑張れるか、という順位だそうですが、1,2と3はけた違いになり3と4も2,3倍の差はつくほどにもなる、つまり日本の4位というのはもう単なるドングリの背比べ程度になるという予想もあります。

でもこれが現実なのです。中国の台頭まで米国と日本が特別に大きかった。

そんな中、ではどうすると良いのか? その解を見つけるのはとても難しいのですが

ー叫ぶだけ、脅しをかけるだけ、締め出すだけ

では解になりません。

ましてや自分たちの人生にPLUSになることは無いのです。

学校では人生を教えてくれないと書きました。私の友人が言うのに、人生で重要なことは

ーお金、資産について

ー友人

ー政治

だそうです。このどれも学校の教科になってないですね。

それを学ぶことなく、学校を卒業したらいきなり社会という全くオープンな環境に入っていくのです。学校は閉じた環境です。

私は学生の間に学業はありますがこれらを体験、勉強することが重要だと思います。

その一環に、この本。 日本語訳も発行されています。

 

借りのある人、貸しのある人

この本は古いです。私はもう25年ほど前に日本に行った折、書店で買ったと思います。先日ガレージの箱を整理していて見つけ再度読んでみました。

人生のスキルであると良いなと思うのに 人をみる目セールスだと書いたことがあります。

実際仕事で成功する、人生を豊かに幸せにするのに、東大を卒業する必要も、医者、弁護士になる必要も無ければ、英語が堪能である必要もないのですね。

人をみる目を持ち、セールスの能力があれば仕事や仕事以外の人生、うまく渡っていけるはずです。人生はセールスだと何度も書いています。これは私は何人もの上司にその時々教わったことでもあります。

そして、人をみる目。

どちらも経験から学ぶのですが、単に経験だけに頼ると場を沢山踏まなくてはならないので時間がかかる、しかも以前も書きましたが七転び八起きと言っても同じように何度も転んで、同じように起きたのでは同じ経験を繰り返すだけです。転んだらしっかり学んで起きる。

その学びのためには読書も大事だと。ビデオなどは良く考えさせないでどんどん進み、終わったらなんとなく知った気持ちにさせてくれますが考えているわけではないのであまり残らない、他人の意見そのままになるので面倒なのですが自分で読む。

でも元来、邪魔くさがりな人間は考えたくない~と頭が、楽なほう、楽な方向へと連れて行くのです。

だから、この本に有るようにどんな人を信頼するか、など、人に会って経験から学ぶ前に自分でよく考えておく必要があるのです。 そして警戒する人物に会う機会が、残念ながら避けることはできないですから、もしそんな機会がやってきたら思い出して警戒を怠らない。

なんて硬いことを書いてますが、この書、一つの話題が高々数ページでとても読みやすいです。なるほどな~と思うことが書いてあります。

例えば、私のような爺だってまだまだ欲も妬みも抱え込んでいる、成功してやろうと思っている、だから若者と競争もするし、言っては悪いですが若者を蹴落とそうともするんだ、と言ったことを書いている章もあります。以前読んだときはまだ若かったが今、もう還暦になる世代になり再び目を通すと、その通りだ、と思ったりする。

こういった書は時期を置いて再度読んでみると考えが変わっていたり別な理解になっているのに驚くことが多い。

 

~だそうです

これまでにいくつかのBLOGで実体験を沢山もつことが大切だと書いてきました。 例えばこちらこれなど(カーソルを置くとリンクに移れます)。 自分で経験し、自分が考えること、これはこの私のBLOGの根幹を為すので幾度となく書いており”またか”なのですが。。。

Execution Matters 

著名な軍人、政治家であったコリン パウエル将軍の言葉ですが、実行することが重要だと。

さて、昨今YOUTUBEなどを見ていると何かの話題を説明、解説されているビデオによく出会います。かなりな数視聴されているようで見ることもあるのですが、 そのなかで頻繁に出会う言葉は

~だそうです。

んんん?

なんだ、 本で読んだり、誰かに聞いただけか、とわかってしまいますね。実経験ではなく疑似経験? 中には若い男性でおそらく子育て経験ゼロの人が子育てについて、本で読んだり誰かに聞いたことを伝えている。 子育てが本の通り済んだら誰も苦労しないのです。そんな彼からは苦労も何もわからない。大変なとき、まずはこれをやってみて、そして次はあれ、とまあ、数学のアルゴリズムのようにすれば、子育てはできるんだとでも言うような。。。

実経験でも、経験というのは個人的なのです。個人的な経験を見て、聞いて分かったつもりになることが非常に多い。以前書いたのですがTeslaの有名な創業者CEOであるElon Muskさんは就職面接の一番最後に登場するそうですが聞くことは一つだとおっしゃっていました。 それは”これまでの仕事経験で一番大変だったことを話してほしい”ということです。大変なことは通常トラブルやスケジュールなどにまつわることですが設計の難しさもあるかもしれない。彼は話をきいていてその人物が直接の当事者か、単に周辺をウロウロして傍から見ていただけの人物なのかを見分けることができるそうで、そんなウロウロ者はTeslaには不要であると、不採用と決めているそうです(CEOが不採用と言えばもうそれで決まりです)。つまり ~だそうです、 は要らないとはっきりおっしゃる。

しかも他人の経験はあくまでも他人のもの。ある人には素晴らしかった体験も自分には全然違うかもしれない。そんな他人の意見、体験をビデオでみたり読んだりしてそれをそのまま自分の意見のごとく思う。

前にも書きましたがいわゆるインフルエンサーというのは他人の意見。そうだ、そうだ、とそのまま思う前にじっくり考えないといけないし、自分でも経験してみないといけない。

でも、人はしないんです。邪魔くさがりなのです。そんな邪魔くさい人間に今のネット世界はうまく入り込んでいる。非常に表面的になっているんですね。

邪魔くさがりというのでは以前紹介した、こんな本(日本語もでています)を読むとよくわかります。

 

これまでのBLOGで言語(英語など)、料理友人などを取り上げていますがすべて聞いただけ、読んだだけでなく自分で経験してみようと書いています。

しかもバーチャルではなく実体験。実体験も、ラスベガスにあるベネチアンというリゾートホテルで疑似ベニス体験をするより、できるなら実際にベニスに行くという、もっと手間がかかることを特に若い時にはしておくと良いんですね。そうすると ~だそうです、 ではなく ~でした、とか自分の経験、自分の考えとして話すことができるようになります。

こんなことを書いている私もすべてを経験できるわけではないので本を読んだり聞いたり、見たりしたことはとても多いです。

ですが、性がエンジニアですから何でも試してみるようにしています。料理など、ビデオを見て、できそうだと思ったら早速試してみる。美味しい時もあれば思ったほどなこともある。 腕時計を細々と買っていますが仕組みを雑誌で読んでみたら実際にバラバラにしたくなりEBAYで安い時計を買ってばらしてみた。片頭痛持ちですから片頭痛に良いということは今でもなんでも試しています。本当に効くのか、個人差はあるのかなど気になりますからね。

世の中、~だそうです が増々増えていくように感じますが、そんな時、 経験豊かな人は魅力が増すと思いますよ。そして、人生、何が大事かというと

人をみる目  と

セールス

どちらも経験が大事。そして確かな仲間友人を持つことですね。

そして、 失敗から学ぶ経験。 何度か書いてますが七転び八起きなどと言いますが7回転んで8回同じように起きたのでは進歩はなくまた転ぶだけです。 ころんだら、学んで起き上がる必要があります。ちょうど赤ちゃんが起き上がるように。赤ちゃんの様子を見ていると同じようには起き上がっていないですよ。

北京 追加

北京について過去に何度か書いてきました

今日2021年1月21日は大統領がまともな人物になって2日目。過去4年間、権力を渡してはいけない人物に権力を渡した結果としていかに国が病んでしまい疲弊し、落ちぶれて行ったかを目の当たりに見ていますがこれからの4年でどこまで復活できるでしょうか? どんな帝国もいずれは内部崩壊するのです。帝国は外敵に滅ぼされたということはこれまでありません。すべて内部から崩壊しているのです。それが始まったということなのかもしれない。もう別れたほうが良いという議論もあります。ここまで考え方、経済圏が違ってしまい一つで居る必要があるのか、という議論です。

さて、北京は過去の中国のいくつかの帝国の首都であり今現在の国家の首都でもあります。帝国変われど時として別の都市が首都になりましたが北京が首都であったことが一番多いように思います。こんなに寒い土地になぜ首都が出来たのか、まだ深く調べていませんがもはや首都を移転することは不可能と中国人の友人は言います。さすがの中国をもってしてもここまで発達した官僚機構を移転するのは無理なようです。

東京も同じですね。副首都などが時々話題になりますが実際には無理がありそうですね。

経済圏は移動しやすいのですが官僚機構は硬直な組織なので移動すら大変だということです。経済圏は人、物、金が豊富なところに移動していくのです。どちらが移動するかも重要で、経済圏が移動していくのか、人、物、金が移動していくのかです。このなかで人が一番硬直なのですが都市化が進んでいるように人も移動を続けます。

政策によっても経済圏は移動、新たに開拓することはかのうです。政策には投資(国などが行う投資)と税金があります。台湾はサイエンスパークという実態でどちらも実施することで国を栄えさせた。日本も戦後の20年くらいはそれを実施していましたね。私は今日本に必要なのはこれらの政策だと思うのですが民間にいるから言えることで実施する側(政治家、官僚)の立場に立つと困難があるのかもしれない。

さて北京。 故宮に行ったことがありますか? 皇帝の住まいですが至る所で富を感じさせてくれます。

歴史的には少なくとも産業革命が勃興するまで、世界の富はアジアに大きくあったのです。一時的に中米と南米(インカなど)にあった金がヨーロッパに流れましたが(天然資源)、後年オイル(アラブの産油国)が黒い金(石油)を産出するまで、富はアジアに有ったと言っても過言ではないのです。産業革命が勃興する以前は富を生産するのは人力でアジアが過去、現在、そして未来も人口では世界一ですから。アフリカは人口が増えていますが歴史的には人口はそれほど多くは無かった。。。

その富を求めてヨーロッパから人々がやってきたわけですがある時点から軍事力を増強し略奪、搾取するという手段に出たわけです。シルクロードというのはヨーロッパ(中東も入れておくとして)からアジアへ富を求めた動きで逆ではないんです、基本的には。ここ辺りを書いた書を以前紹介しました。リンクはこちら。最近新しい書を同じ著者が書いています。どちらもまだ日本語訳が出ていませんが読む価値はとてもあると思います。

中国は当時から巨大な人口を誇っていたので富があった。その富をほとんど一人占めできた皇帝には巨大な富が有ったわけですが故宮の時計博物館を訪れるとその富を垣間見ることもできます。あれほどに沢山の黄金で作られたヨーロッパの時計(基本的に置時計)を見たことはありません。贈り物として受け取った時計もあるそうですが購入した時計も多いとか。北京の皇帝はとても重要な顧客だったのですね。腕時計を時々購入しますが今、中国でヨーロッパの高級腕時計がとても売れています。すでに市場規模は日本以上(日本の高級腕時計販売の40%は中国人観光客によるものだそうですからそれを入れると日本は既に三分の一くらいの規模)。

しかしながら富は移動するのです。経済圏が移動する様に。

21世紀はアジアの時代ともいわれます。第2次世界大戦後、新たな産業革命 そして情報革命を経て21世紀に入りました。いずれの革命でも人材、人がやはり大きな要素。産業革命を支えたのは製造機械の進歩。情報革命も機材、ソフトウエアの進歩あってのこと。それら進歩を産み出しているのは人材ですが人材で一歩先を行ったUSAが世界の富を集めましたが、今多くの人材を産み出しているのはアジア圏です。しかも人口が巨大ですから巨大な市場も抱えている。つまり人材と市場を抱えたアジア圏が繁栄するのは理にかなっているのです。しかも一部の国を除くとアジア圏は富を富を増やすことに使っています。兵器は富を増やすことはできないのです。破壊することしかできないですからね。作り出すという富を作り出す根本的な要素に兵器無用なのです。兵器を抱えすぎた国家は歴史的に皆衰退しています。ただ富ができるとその富を狙って過去、現在を問わず略奪行為が始まる。人間の嵯峨を見るようですがそれに備えることも大切にはなります。中国の最後の帝国はその面でとても弱かった。

とこんなことをこの故宮を見て回りながらつくづく思ったものです。

中は観光客でごった返しているようなのですが、とてつも無く広いので、ちょっと足を踏み入れると誰もいないようなところに入り込みました。静寂とまでは行かないにしても静かです。故宮内にいると時間を忘れてしまうようで入り口を入って出口をでたら4時間以上も時間が過ぎていました。

その後、以前のBLOGで写真を載せたように通りを挟んだ向かい側にある公園に行きその中にある丘(小山)に上ると北京を展望することができます。

で、帰りのホテルまで。地下鉄もあるのですが宿泊したホテルは残念ながら地下鉄の駅から少し離れていたのです。故宮まではホテルのバスが送ってくれましたが帰りは自分で。 タクシーを使おうと思いましたが外国人相手にはぼってきます。ホテルで聞いていた金額では全く相手にはされません。2倍でも相手にされない。。。と思っていたらす~と男性が近づいてきた。TAXI? 探しているよと伝えるとXXでどうだと?ホテルで教えてもらった額の2倍程度です。仕方ないと思いOKを出したらついてこいという。角を曲がったところに車が。。。とてもきれい。ほとんど新車。いわゆる白タクですね。

そんな白タクも今はUBERのようになっています。でも白タクをする人も多い。観光客相手に。TAXIよりずっときれいな車ですが、後ほど友人に聞いたら倍も払うなんてどうかしてる!と。それ以降私はもっぱら地下鉄。ホテルは必ず駅のそばになるようにして、それ以降中国語を真剣に勉強し始めた。

 

以前書きましたが歴史を勉強、研究するととても仕事、人生で役立ちます。 私が薦める勉強科目はというと

1. 数学 (程度は自分が目指す職によりますがどのキャリアに進もうとも数学は大事)

2. 歴史。 学校の歴史の授業ではありません。歴史は後から人が書くのです。書く人の立場、見方、考え方などで同じことが全然違って書かれます。いろんな角度から歴史を見ることで物を見る力、考える力が養われます。

3. お金について

4. 語学。 今なら英語と中国語、それと 国語つまり日本語です。どの国の学生も母国語が学校教科では難しい科目なのですよ。

となります。 これは何度も書いてきました。 

根を張る

以前水を撒くというBLOGを書きました(以前のBLOGには赤い字になっているところにカーソルを持っていくとリンクがでます)。

そこでは牧師さんの奥さんの木の話をしました。根が張るように水をまかないでいたので台風のあと大木が倒れた話です。

大木の根、見たこと(観察)ありますか? はるか以前確か東京で子供の描いた大きな木を見ました。根を書いていたのですが根っこはずっと下に長く伸びてました。

長い根はそうですね、一つのことに経験を積んだそんな証とでも言えるでしょうか? 伝統芸能、茶道、武道を上げるまでもありませんが長い年月その道で研鑽を重ねられている。こんな場合、年月も重要な要素になります。だから歌舞伎俳優の家系では3歳にもなると稽古始めるんですね。18から入門した人と比較すると15年も経験が多く、もう追いつくのはほとんど不可能。これは複利の世界では資産形成のみならず当てはまる人生の重要な法則とでも言えるでしょう。

でも、そんな一つのことをずっとしておられる方々をよく見ると、深いだけでなくとても広いことがわかります。異業種、異なった領域の方々との共同作業、コラボって日本語で言うんですか?を進んでしておられます。いや、そういう広がりあることをされていない方はいらっしゃらないように思います。 深い一本の自分の道を持つと同時に根をはり道をより広げ確かな物にして言っておられるわけですね。 興味の範囲がとても広いのです。

さて翻って私たち、根を張っているでしょうか?私が思うに樹木は最初色々な方向に根を張っていくと思うのです。そして水、栄養素の多いところを見つけたらそこに集中して根がはり大きくなっていく。でもいつまでもそこに水、栄養素があるという保証はないですからあちこち捜し歩いてもいるはず。

日本は定年まで勤めあげる終身雇用が長かった。良い面は沢山あると思いますが根が張れたかなというとどうでしょうか?

大会社で社内移動がある程度自由にできる会社があり自ら進んで社内で異動していれば少しはあるかもしれませんがよくあるのはずっとそのしごとをしてきた(だけ)、というケースです。しかも同じ会社。そうなると深くはなるのでしょうが横には広がっていない。

同じような仕事をずっとしていても、例えば会社を変わっていれば人のつながりは出来ます。

終身雇用でそのどちらもないという状況になりある日突然台風がやってくると実はかなりもろいのです。

私の知る限りアジアでは日本、韓国がどちらかというと終身雇用体制(だった)かなと思います。昨今の状況をみるともろさが出ているようです。面白いことに同じアジアでも台湾、中国では人がどんどん移動しています。終身雇用かどうか聞いたことはありませんがあれほどに人がうごくのだから違うのでしょうね。

退職金制度がありそれが勤続年数で大きく影響していたのが大きな要因なのかなと思います。ちなみに私は退職金は転職8度ですが一度ももらったことはありません。退職金って、給与の後払いだと思います。プロの選手は契約金をもらいますがこれは退職金の前払い、いずれにしても給与をある時まとめて受け取っているということですが私はそれだったら毎年もらう給与が多いほうが良いです(そこから少なくとも15%は自分で貯めるようにする)。決して全部使わない。それとローンは組まない、賭け事はしない。

同じことをずっとしてきても根はあまり大きく張れない。全く違うことをしなさいと言っているのではないです(もちろんそれもありますが)。例えば

1. 私自身の例で言うと35年間プロセッサ関連の技術職をしていますが、開発職、顧客サポート職、マーケティング、と職種も会社も変えてきた。しかもプロセッサはどんな最終製品にも使われるので色々な最終製品に関わってきた。 今はまた開発職ですが今の会社は以前お客様として一緒に設計をしてきた会社です。

2.友人の一人にエンジニアを5年ほどしてそれから医学部に進み医師となり医療機器のベンチャー企業を創立しその会社が買収されたことで今はせかいでもい、2のブランドであるシリコンバレーの会社で医師+エンジニアとして働いている

3.別の友人は長く開発エンジニアをしていたがその自分たちが設計した製品を売るために技術セールスになり今は別の会社でトップセールスになっている。

など自分のコアになる部分は持ちつつ広がりを持たせています。

しかもいずれも転社(会社を変わる)ことも何度かあり人的なつながりも多く持っているのです。

こうした根を張るようにキャリアを積んでいくことがこれからより求めらると思います。

昨今、日本では再び終身雇用(安定)を希望することが多くなっていると聞きますが私はこんな考えもあるんだよ、ということをここで紹介しておきたかったのです。私は転社、転職が不利にならないような社会的仕組みが出来れば日本は再び大きく活性すると思っています。以前書きましたがお金は回す(運用)すると増えるのです。同じように人的資産(人材)も回すことで大きくなると信じています。回すには移動しやすい環境が必要です。お金、信用のおけない、そうだな、北朝鮮の証券取引所で運用しないでしょう?同じように転職、転社が不安材用(昇進等で)有る限り回らないと思います。

何度か書きましたが自分の履歴書を定期的に見直してアップデートすると自分自身にたいする良いレビューになると思います。それと

ー実体験、 外に出る

なんども書いているのでこれまでのBLOGをご覧になったことがあれば、”またか”となりますが。。。

 

カリフォルニアは雨が少ないのです。そんな土地だからかでしょうか、いや雨が多いところでも同じかな?、 木の根は地上を這うように広がるのです。少しでも降った雨の水を吸収しようとすると地下深いところにばかり根を広げても水分が得られません。これを人に言いかえるならさしずめ

ー機会があれば、それが例え短いものでも貪欲に吸収しなさい

ーまずは広がってみる、探し出す旅は深いところでする必要はない

とでもなるのでしょうか。自分のコアとなる興味や経験がわからないことも若いうちは多いもの。そんな時地中深く根を伸ばすより色々な方向に根を伸ばして水、栄養分(つまり自分のやっていける、やっていきたいこと)を見つけるほうが良い結果を産み出すように思います。XXX一筋はそれからで良いのかもしれません。

手短に実行する方法は? というと

読書

です。 良書を読む。インターネットのBLOGやYOUTUBEではなく。良書を探す、そんな時間を取ってほしい。以前書きましたが日本はとても恵まれています。今でも書店があるからです。アジア、中国、韓国、台湾どこも書店があります。UKには好きな書店があります。

残念ながらここUSAは書店がどんどん閉鎖されています。オンラインもありますが本を読む層がどんどん減っている。結果?今の散々たる社会問題(馬鹿者を崇拝して気勢を上げるとか)を作り出している。

書店と図書館。こちらも図書館ありますがどこに行っての訪問者は中国系かインド系の人が大半。本を大量に読んでいますよ。中国嫌い と言い前にしっかり本を読んで競争しなさい、と還暦になる爺は思います。

評価すること

年が明けるといわゆるパフォーマンス考査の時期がやってきます。基本的に昇給、昇進というのは年に一度のできごとですが、もちろん例外は沢山あります。

さてこの考査に関して、日本でのことはあまり詳しくありませんがこちらでは通常

ー上司の評価査定。

―自己評価。

は必ずあります。それに先立ち、どのように自己評価するのか、どのように上司が評価査定するのかについて詳しい説明(ドキュメントだったりドキュメントに付随して説明会もあることがある)をします。評価におけるバイアス、差別を可能な限り避ける(いや、避けているということを示す)そんな目的でもあるのですが、年2度ほどあるその年のGoal設定を上司としていますがその設定(ドキュメントにしてある)を元にします。

会社によっては、実際私が今勤める会社でも、それらに加え同僚(同じチーム内、およびチーム外)の同レベルかそれ以上のタイトル、ジョブレベルからの評価も得るところがあります。誰に書いてもらうかはここの従業員が探します。この心は上司は日頃見えている部分がやはり少ないですから一緒に仕事をしている同僚からのインプットも考査の参考にする目的です。

今会社は昇進についてはきちっと評価基準、選考過程を文書にしているところが増えています。差別、バイアスを避けようという現れですが多種多様な人が働く現場ではこういった明確な基準を示してくれるのはわかり良いと思います。もちろんそれでも時々???と思うようなケースを見ますが得てしてそんな???最後はあまり良い結果になっていなかったと記憶します。

さて、評価することについて。

私が日本にいたころ(80年代末までなのではるか以前)、評価というと、”けなされる”ことが多かった、学校では特に。ところでけなしや、いますね。その大元締めのような人物がこの4年間、ホワイトハウスに住んでいましたよ。国家予算をあれほどに個人のために浪費した人物をかつて見ないわけですが(毎週ゴルフに行きましたがその警備費用で町の予算を全部使い破産した町まであります)、つねに人をけなし続けた。自分以外の誰一人としてほめなかった人物に初めて遭遇しました。ひとをけなす行為は自信がない表れなのですがちょっとした暴動が有っただけでホワイトハウスの原子爆弾が落ちても大丈夫なシェルターに避難したくらいの臆病。でも口攻撃はやめない。批判だけすることが大っぴらになり国家をここまで病ませたわけです。

けなす行為は破壊を生みます。会社、もし皆がけなしあっていたら、持ちますか?必ずや倒産するでしょう。国家も同じ。もう崩壊寸前まで来ているのですが今後4年間でどこまで修復できるかなと思います。

自己評価、 他人を評価するにあたり まず

―けなす行為は決してしない。

特に自分を評価するにあたり、自分のやったことの良い点、できた点を次々と挙げることが大事です。どんな些細なことでも一つ残らずノートに書きだす。

他人を評価する際もまず徹底的にその評価する人のできた点、良かった点を挙げていく。以前人生の数式のようなBLOGを書きましたが評価に当たっては足していくんです、良い点だけ。まずはそこに注目する。

残念ながら人間、どうしたものか、悪い点に注目しがちなのです。テストの評価を考えてみましょう。考え方に100点満点からできなかった問題をマイナスして引いて行って最終スコアを出すか、ゼロから始めて足していくか、があります。足していく場合上は決まっていなければ100を超えることもできるのですが引いていく場合、100と言う上限から始めるのでゼロ以下になる可能性はあっても100以上にはなりません。

私は足し算も、引き算も掛け算も嫌いだと先のBLOGで書きましたが

自分を自己評価する時は上限のない足し算のような方法を使っています。

引き算はめげる。。。

部下を評価する時も同じ。

もちろんパフォーマンス考査の結果、目標が達成できていないケースも出てきます。

そんな場合、決してけなさない。

まず、そこは自他ともに気を付ける。

因みに達成できていない理由は千差万別ですが私の経験では怠慢が理由というのは本当に少なかった。

ただ一つ怠慢だと言えるのは、”相談しなかった”ことかもしれない。どうして相談してくれなかったんだ?と後で思うケースに度々出会いました。先ほども書きましたが常に上司は全容を把握できているわけではないのです。評価が下がる、誰か他の人にアサインされるかもしれない、などこれも千差万別な理由からなのですが相談が欲しかったなあと、相談できる環境を提供できなかったかな?と思うことも多い(反省)。

とにかく けなすことはしない。

その考査を元に一緒に今後(新たな一年)をどうするか、Goal設定も含めて話あうのです。

マネージャの一番重要な仕事は部下、チームが最良のパフォーマンスを上げることができる環境を作り、維持し、会社が必要とするチームを作り上げその能力を上げていくことと、部下により多くのチャンスを提供することにある、

いや、元上司は、

上司は部下に使われるためにある、

と言いました。

そんな目で評価をすると けなすような結果には到底なりません。

先にも書きましたがけなしあっている組織は崩壊します。

でもね、こと昇進に至っては運も大きな要素です。これは仕方ない。

最後に

自己評価をしたら履歴書のアップデートを忘れずに。

写真はあまりタイトルとは関係ないのですが我が家のペットの一匹です。 ペットについて書きましたがウサギ2匹に犬一匹と多いのです。そんな中でこのウサギが一番人気者なのですよ。もう4歳になりますがほーランドロップという種類でペットになるために人間がBreedしたウサギです。癒しになり昨今のCOVID19なご時世、ストレスもたまりますがこのうさちゃんを抱いているとストレスも取れます。

ペットと話をするのは実は重要なのですよ。動物って話をすると分かるようになるそうです。こちらのBLOGで書きましたから見てください。抱っこして話してあげるとじっと聞いています。動物もそうやって評価されるのが好きなのかな?

 

2021年

COVID19で始まり終わったような2020年。東京オリンピックは延期になる、大統領選挙は何とか終わりをつげる、日本も首相も変わりと大変な一年でした。

が、このつたないBLOGも一年よく耐えた、いや長続きしたと思っています。読者数というかアクセス数はまだとても少ないのです。サーチに掛かるような内容ではないし、あまり系統立てて引き付けるような内容にもなっていないから仕方ないのですが今年はもう少し宣伝したり何かもっと系統立てた内容のカテゴリーを作ってみようかなとか思います。今年は還暦を迎えるのです。でもね、まだまだ引退は考えてもいません。今やっているプロジェクトは大きなプロジェクトでこの先数年は製品を出しつつ改良をしていくと思うのです。でも還暦を機にエンジニアをしながらですが他のことも始めようと昨年来色々と考えています。

人生の時間というトピックで以前書きました。学生時代にしておくと良いこと、始めると良いことなども書いたのですが還暦を迎えるにあたり今一度時間ということを考えてみました。

以前好きな言葉というトピックも書きました。

Choose To Chooseが今の私の座右の銘に近い言葉であるとそこで書いたのですが ごく最近、YOUTUBEで元上院議員であった故マッケイン氏(アリゾナ州)の葬儀セレモニーで元大統領のObamaさんがスピーチをされました(彼はスピーチがとても上手です)、その中で

Choice Is A Test

と言っておりました。正に!と思います。

日々人は何かを選択して生きている。つまらない選択(コーヒーに何杯砂糖をいれるかとか)もあれば大きな選択(転職だ、結婚だとか)もあります。その選択を自ら行う。それが Choose To Chooseなのですがその Chooseは正にテストですね。自ら下した選択、それをどう生かすか、どうしていくか、自分が自分に課したテストである。

2021年始まったばかりですがこの一年、自ら考え、行動する、その選択をやっていきたいと、還暦に入るのですが気持ちを新たにしたい。

誇張

最近読んだ書籍から。 著者の紹介にこんな文章を見つけました。”10万本の科学論文を読破、600人の著名人とインタビュー”。

すごいなあと思いますがエンジニアなのですぐ計算してみました。仮にこの人物、とんでもない速読法をマスターしていて且つ読んだものはすぐ理解できる頭脳があるとします。10万本もあると日本語だけではなさそうですが英文も日本語も同じ速さで読めるとする。一本10分としで百万分です。16667時間、666日(24時間で割る)。仮に一日10時間その作業だけにずっと当て続けられたとして1667日です。一年全く休みなしでも4.6年かかります。こうやって計算していくとだんだんその履歴に信憑性を失っていく。しかもその間600人の著名人と会っている。著名人と会うにはアポ、準備、会った後にする作業と沢山のことがあります。年50人と会おうと思うとそれだけで相当な時間が必要です。50人アポ取れるのはよほどな人物だけだと思います。

さてそこで、 本は著者はいますが出版社に編集を担当する人がいます。著者略歴はその編集担当者が書いたに違いない。私はおそらく著者は”科学論文10万本くらい検索したか、目を通してその中から重要な論文を精読したかな?”とか、著名人とインタビューしたりその人の講演に行ったり、ビデオを見たかな~といったことを編集者に話したと思うのです。

間違ってはいないですが意味合いは全然違いますね。読破 と 目を通す は人によっては雲泥の差があってとらえられますから。目を通すのなら1分もかかりません。

何も悪い行為だと言っているのではないです。

以前書きましたが 人生は

セールス である。

セールスには誇張は付き物。 そこで、

履歴書について書きました。就職には必要なものです。私は人生にとって、少なくとも仕事という面からは就職だけでなく履歴書は重要だと思っています。

履歴書は最初の関門であると書いています。見知らぬあなたを履歴書を見て判断するのです。日本では写真を添付することが多いですがUSAでは写真は添付しません(写真選考させないため)。書かれた内容から応募してきた人物を推し量るのですから履歴書に誇張はつきものです。

ちょっとしたことを任せられたらResponsibile to, Lead, Own といった言葉を使う、実際何も設計していないのですが設計ファイルを管理したという人と会いましたが履歴書には Ownと書いてあった。てっきり設計者かと思ったらファイル管理者だったとか。どう考えてもわずか2年程度の職歴(その会社での)でそこまでできるの?と思うようなことが書いてあったりしますが少しでも関わったらそれを追加として履歴書に書いてあったりもします。

真っ正直に履歴書を書いても良いんですが履歴書の役割は事就職に関しては最初の関門である書類選考に残ることです。応募してくる沢山の履歴書の中から残るにはそれなりのセールスは必要なのです。

セールスとはこの場合自分を売ること。セールスには誇張は付き物だと書きました。

人生のための履歴書は正直であることは言うまでもないですよ。これは自分のために書きますから。

人をみる目は重要だとも書きました。

人生はセールスなのです。誇張があります。ですから立場を変えるなら(買う側)、今度は見抜く能力は必要です。

シリコンバレー、日本では誇張されすぎているように思います(いい意味で)。また中国も誇張されすぎ(こちらは悪い意味で)。

人から聞いたこと、読んだこと、見たことなどを吟味、検証することはとても重要です。一番いけないのはそのまま鵜呑みにすること。

誇張の一番な例は”儲け話”です。 赤の他人があなたに儲け話を持ってくるわけがない。その人物はそんなあなたから儲けようとしているだけです。 不動産”投資物件ですよ”というのは ”あなたが買ってくれたら私にがっぽりコミッションが入る”と言っているのと同じです。 不動産業者は本当の投資物件は自分で持ってます。売ったりしません。

はたから見て良いなあと思った会社、入ってみたらがっかりと言うこともあります。 全然宣伝しないけど美味しい料理、内容のある本、すごい人物に出会うこともあります。

それらを見分けるそんな経験を積みたいですね。

経験を積んだらと言いますが漠然としては同じことを繰り返すだけになります。だからよく考える、これはとても重要なのです。Thinking Fast & Slow という本を紹介しました。

マーケティングの仕事を10年ほどしてきました。私の扱った製品、技術には3社競合相手がいました。顧客ミーティング、特に最初のミーティングでは資料を基に製品を紹介しますが決まって出てくるのが競合との比較です。顧客側は既に競合相手と会っていることもありあちらからの話は聞いています。データも持っていることが多い。競合する会社のデータは断片的にオンラインなどで散見できることもありますが通常NDAを伴っており出ては来ません。競合より、良い悪いがわかるだけです。

データをどう抽出するかまとめるかは各社やり方があります。いわゆる第三者的な機関もあるのですがこれとて完全に中立ではないのです。これら機関を運営するお金はメンバー企業がだすのですがそうなるとどれだけメンバー企業がお金をだしているかで大きな影響力を持つようになります。

エンジニアからマーケティングに移って間もないころは、やはりエンジニア気質がまだ残っており出すデータ、真っ当だった。でもいくつか顧客を回るうちにどうも変だと気付いた。 データには取り方があるようにまとめ方もあるのです。あるミーティングの準備の際にまとめ方を変えてみた。 そしたら突然自分たちのデータが一番良く”見える”ようになった。その時一緒に行ったセールスが”何かあったのか?”(つまり製品の改善)と聞いてきました。 いや、ちょっと見せ方を変えただけだ。。 BINGOと彼は言いました。 それいこうその資料を使うようになりました。履歴書みたいなものですね。でも、じっくり考えたらそれらのデータを同じ条件で同時に達成できるわけじゃあないのです。エンジニアが席に戻ってじっくり考えたらわかりますがミーティングの場でそこまでしませんし出席していたエンジニアも席に戻れば自分の仕事に戻りますから資料はそのまま。で次のステップというのはマネージャが判断するのがほとんどですから選択される。 実際の製品評価は面接のようなもの。そこでいい結果を出せばいいのです。書類選考で落ちた競合が戻ってくるのは面接に落ちた時だけですからその間(数か月)は時間があることになります。評価中はほとんどエンジニアと同じようにサポートしましたから評価結果としての不採用はまれでした。つまり最初の書類選考に残れるかどうか。。。もっとも大どんでん返しはありましたよ(これはほとんど人的関係。上位のマネージャが競合と懇意だったり別案件と一緒になったりとか、色々)。

そうこうするうちに競合はどんなことをやっているのかもわかるようになりましたからその対策方法もわかってきました。皆色々考えてきます。嘘とわかるようなことはしません(嘘ははがれると大変ですから)。しかしながら誇張や良く見えるような細工はします。よくあるでしょう?小さな但し書き。企業の年間レポートなども但し書きを注意深く読まないと実態は把握できないと聞いたことがあります。但し書きは別に書いてあることがほとんどです。一緒に書いてあるとついつい読んでしまいます。読んでほしくないことは但し書きに書いておく。特に表など。ミーティングで使った資料を使って社内のミーティング用の資料を作ったことがありませんか?そんな場合得てしてコピー&ペースト。2つのベンダーの資料から引き抜いてきたテーブルをそのままコピペする。但し書きまでコピペすることはあまりありません。でも一緒にされる。そうするとテーブルの中の数字だけが踊り始めるのです。一方が断然良く見えたりする。そもそもの条件などが違っているんですがね。そんな中にでもベンダーとしては生き残るためにはどうしたらいいか、やはりマーケティングとして考えるところです。嘘ではないが誇張を入れそして見栄えをよくする。こんなことは当たり前なことなのです。

家を買うような場合を考えてもわかりますね。見に行くととても良く見えます。家具やライトを適切にセットしてあるからですが上手にできることはとても重要なのです。

だからこそ、本質を見抜ける経験と勉強は重要なのです。疑ってみるわけじゃないですが検証してみる。先ほどの10万本の学術論文。すごいなあと思うか、ちょっとまてよ、著者の経歴を見るとどこか矛盾が無いだろうか?実際はどういうことなのか(読破の意味が自分の考えていることと経歴の言っていることには乖離があるのかもしれないとか)と検証してみるか。そういったことを日頃から心掛けておくと役立つはずです。

技術分野であれば自己の経験や勉強と照らし合わせて”本当かな?”と、どんな条件なのだろうか?と言ったことをちょっと考えてみる、そして疑いがあれば質問する。一度台湾でミーティングをした折、非常に優秀なエンジニアに根掘り葉掘り質問されました。質問に答えながら”雇いたい”と思う程でした。

見る目を持つことは重要。経験がものをいうのか? いえいえ、同じことを漠然としてやっていたのではだめです。

経験も同じ失敗を100回したら同じ失敗を100回したというつまらない経験だけになり価値はほとんどありません。経験を積むというのはその経験から何かを学び次に活かせるかなのです。ですから3年の経験でも20年もやってきた人よりよほど良い能力、実績を持つことも多々あるのです。私は経験だけをやたらと言う人はあまり信を置いていません。以前書きましたが7回転んで8回同じように起き上がったのでは8回目もやはり転びます。経験にはまったく繋がっていないわけです。転んだ、起きた、また転んだ、次は違った置き方をしないと。本質を見る目を持つのもこれと似ていると思います。

ビンテージの時計は難しい。知らない頃EBAYで買ったのにはいろいろな時計からパーツを集めてきて作ったものもありました。詳しい人が教えてくれました。このROLEXは全部オリジナルだとかで今はかなり値が張るようです。

料理は観て楽しみそして味わうとか。 見栄えはとても重要ですが、食べてみたらまずいこともありますね。

建物などもそう。見栄えと機能性は常に一致するとは限らない。見栄えばかりよくて使えないオフィスというのも沢山あります。

 

遠慮はしない

運と努力について以前のBLOGでかきました。昔聞いた言葉に

努力しても無駄

無駄な努力はやめなさい

というのがあります。聞いたことないですか? 誰かに言われたり、自分で言ったり(自分で言うときは大抵あきらめる時)。こんなことを書いている私も自分自身良くこんなことを言ったものです。自分で自分を納得させるために。学校の先生にもいわれたなあ~と、荒れまくっていた中学校時代、”お前はXXXX。努力なんかしたってYYYYY”とね。今じゃ問題になるような発言ですがあの当時は大丈夫だった。今なら問題になるのでしょうが廊下に立たされるとか、朝礼の時に前に呼び出されて全校生徒の前で叱咤されるというのはごく普通でした。45年も前ですからね。それ以前だと鞭だって使っていたようですからね。これは別に日本だけじゃないですよ。赤毛のアン、読んだことがありますか?私は姉がいることもあり実は全巻読んでいます。赤毛のアンを読むと鞭を使うようなシーンは普通に出てきますよ。あの時代では普通だったのですね。Bostonにいたと書きました。あの時代車でモントリオールなどにも行ってますがアンの舞台、プリンスエドワードアイランドには結局行かなかったな~。誰か女性と付き合っていたら行ったのかな?でもね、ずっと後カナダに行くようになりカナダ人とも沢山知り合いましたが赤毛のアン、実はかなり詳しい(2度読んでいる)のですが大抵のカナダ人は読んでいるので本好きな人と会話するのにはきっかけになりました。

話が脱線しましたがこの二つの言葉、人生で一度や二度は皆で会った言葉だと思います。

努力しても無駄。 どんなにやってもあなたには無理よ、高値の花、あなたには持って生まれたものがない。。。といったまさしく否定的な響きです。私は子供のころ散々この言葉に遭遇しました。

大人によく言われました。大人は知ったかぶりをして言ってきます。こと日本では自分より年下は人生経験が不足していると”おもう”ようで”教えてあげよう”といった気持ちからだったのでしょうね。

勉強なんかそこそこにして、ほら、あそこのXXXちゃん、最近きれいになっただろう。誘ってみたらどうだ?とかね。

無駄な努力はやめなさい。 これも努力しても無駄と同じ意味にも取れるのですが別な意味にも取れる。

以前人生の時間についてBLOGしました。そこでも触れたのですが

努力にはやり方がある

と私は思っています。

受験勉強、資格試験の勉強にもやり方があります。がむしゃらに教科書や参考書を勉強したら良いというものではありません。

料理にも、仕事にも、なんでもそうですがやり方があるのです。

プロの調理人の料理を見たことがありますか?実に簡単そうにしています。もちろん慣れもあるのでしょうが、まずもってやり方が違う。私も料理をしますがYOUTUBEなどで好きな人のビデオを見て、やり方に注目するようになって手際が断然よくなりました。

人生だってやり方があるのです。最近は日本でもライフ コーチをつける人がいると聞きます。プロのスポーツ選手もコーチを付けます。実力は選手の方が断然上でも、やはりコーチをつけるのはそこに価値があるからです。

私は今そのコーチを勉強中。そろそろ実践してみたいかな。誰かクライアントとしてコーチの練習をさせてくれる人がいたら連絡ください(させてもらうので費用などはもちろんいただきません、こちらが実費を出しますよ)「宣伝でした」

長い前置きの後で、表題となる

躊躇

について。 これまでもチャンスは逃すな等、何度も書いています。以前のBLOGを読んだことがあれば、 なんてしつこいんだ、 となるかなと恐れますが時々若手の人と話をすることがありますが、日本の若手に多いのが 躊躇。

この言葉、ひょっとして中国にはないのではないか?と思う程に中国と日本で違うように、私の過去10年くらいかかわった中国と日本を比較して思うところです。

たぶん考えすぎるんだろうな、と思うのです。私は好きな言葉や文章をメモする癖がありますが私が好きなこの本にあった言葉

Too much thinking can complicate things, especially big decisions.

これは 故Lawrence Anthony氏、世界的に著名な自然動物保護者の著作 The Last Rhinos。から。

日本の高校程度の英文で書かれているベストセラーです。考えすぎると不安になるのが人間。

昔の言葉になりますが

当たって砕けろ!と。 好きな女性がいたら考えすぎないで誘ってみる、ですな。こんなこと言ってる私ですが若い時代躊躇しすぎたと反省することが多い。その一番の原因は考えすぎです。今でも”何考えてるの?”とよく家人に言われる。30年も前に誰もいない僻地Bostonで一人生きていたじゃない?と。歳を取るごとに躊躇しなくなりましたが、今度は歳を取りすぎて再び躊躇が始まりかけています。歳を取ると人間保守的になるんです。

この躊躇なのですが私が感じるに最近の日本の若い世代は躊躇が多いように思います。

決まって聞かれるのが

ー私にもできるでしょうか?

ー不安は無かったですか?

ー英語出来ないんですが、大丈夫でしょうか?

等々。もちろん初めての経験であれば不安などあります。ないほうが不思議。でもこれら、どれだけ沢山の人と相談しても、質問しても結局答えは出ないんです。だって自分のことだし、たずねられた人が言えることは自分の経験だけ。あなたの経験と私の経験は違う、同じことをしてもそのとらえ方、結果すべては異なりうる。つまり最後は自分がやるか、やらないか、以前書きましたが自分のチョイスなのです。躊躇するかしないか。失敗についても以前書きました。また人生、どこかの時点で自信ができるポイントが出てくると思います。自信はしかしながら勝手にやってくることもないし、漠然としていてもできるものではないです。それなりに人生を見つめていく必要があります。以前履歴書について書いたのですが自分の履歴書を書き続けると良いと思います。私には人生は数学でいうところもべき乗のようになっていると思います。

Thinking Fast, Thinking Slowという本を読んだことがありますか?

日本語も出ているようです。この本大作ですが読みながらこれまでの自分と照らし合わせると色々とわかってきますよ。そしてわかってきたら行動する。コリンパウエル将軍の言葉

Execution Matters

(実行あるのみ)

まずは何かやってみよう。

手助けが必要なら求めましょう。無駄な努力はしない。手助けを受ければ良いのです。なにも悪いことではないし、手助けを得てできたことはあなたの立派な実力。

自分の力で、実力で。。。

というのは私は長い人生を通して誤った考え方だと分かっています。

良く言いますね、運も実力のうち。 同じように手助けを受けよう結果は、経験はあなたのもの。

沢山本を紹介しました。あふるか像の本を読んでアフリカで象が見たいと思っています。行きたいところリストに入った。いつ行くか、もう検討を始めました。若いうちに行かなくては。象、不思議な、しかしとても感情ある生き物なのですね。家族愛が、今の人類よりずっとある。この書籍未だ日本語訳はないようですが平易な英文で日本の高校程度の語彙で書かれています。ぜひ手に取ってみてください。 ダニエル カーネマン教授の本は面白いです。なるほどな~と思うことが多く沢山学ぶことができました。

運 追加

について何度となく書いてます。

仕事、人生を通じて運はやはり大きな要素だとつくづく思うから書いたのですが誤解があってはいけないと思いここに追加しておきます。

実力の伴わない運を得たら浪費しない。浪費して無くなってしまうことが多いのでその戒めに。

つまり、実力を伴わない運を拾ったらしっかりそれを理解して努力(実力)が運に合うように持っていくことが大事。

そして、幸運にも得た運は使う。おいておいたり、返したりしない。

 例を挙げるなら、私が聞いたところでは宝くじで突然大金持ちになった人の大半は結局破産しているそうです。もちろんそうならない人もいますが大半は破産するそうです。

これまで扱ったことも無いような金額のお金が宝くじというまさしく運で転がり込むのですがそんなお金を扱えるだけの実力が伴っていないことが大半です。お金持ちは宝くじを買いませんからね。お金の扱い方をその後じっくり勉強して実践していくなら良いのですが人間目の前に大金が入るとそんな努力をする人はごく少数です。使い方もわからないまま浪費を繰り返すことになります。浪費すれば無くなります。

お金持ちは浪費をまずしません。これがお金持ちの一番のルールです。沢山使うように見えますが投資、利子等で入ってくる以上に使う人はいないと聞きました。それでも、例えば10億円あって投資、利子等の収入が6%あるとするなら年6000万使っても10億円はそのままなのです。10億円が減るようには使わないわけです。

宝くじだけじゃないですよ。聞くところによるとスポーツ選手などドラフト時の契約金、これも初めて見るような金額ですね。これなど言い方を変えるなら退職金の前払いのようなもの。しっかり残して賢く投資するはずですが、実際には使ってしまうようです。

お金で書いてますがお金を地位、プロジェクトなどに置き換えても良い。

宝くじで当選するのは良くないと言っているのではないです。そんな運がやってきたら、そしてその時自分に実力不足を知ったらしっかり努力して自分の実力を上げることが重要なのです。

宝くじを契機にこれまで自動車修理工として雇われていた人が独立したというプログラムを見たことがあります。独立するにはお金が必要です。修理工として町では知られていたのでビジネスは取れるわけで資金を銀行から借りる(普通とても難しい)ことなく始めることができた。こんな例もありますし、大きな金額を当てたわけではないが当選金を使って大学に行った人の話も聞きます。

運は使う。浪費しない。浪費された運は出て行ってしまいます。

お金も使う。浪費しない。同じだと思います。

得た運は使う。

以前お金は運用しなくては増えないと書きました。

同じように運も使わなくてはいけない。いずれ運は返す必要がありますが、運を受け取った人の責任でより大きな運を返す必要がある、と以前出たセミナーでききました。

幸運を受け取っても

知らんふり、躊躇、戸惑う、困惑、要らないものをもらったと思う、 運じゃなく自分の実力で手に入れたいと頑なになる

ことも多々あります。疑うこともあります。そうですね、例えば誰かが”10000円あげるよ”と言ってきたらまず私たちが取る反応は疑う(何かあるんじゃないか?と)だと思います。

得ることができた運は自分が欲しかったかどうか問わず受け取り使うことが大切です。

これは何度も書いているのです、実は。私のBLOGの根幹を成すような話です。

運はなんどもやってこないです。今じゃないんだよな~と思うような時にやってくることも実は多いです。

私の友人にかつて仕事がとても楽しい時に素晴らしい機会を提供された人がいます。彼女はその機会を取らなかった。その時仕事に充実していたのですね。彼女の同僚にその機会が回った。結果、同僚は後年その女性の上司として部に戻って来たそうです。非常に悔しがっておりました。あの時は考えることもできなかったと、運を考えてみるだけのこともしなかったのですね。

この例は受け取ることもしなかったケースですが、受け取てえも放置していることも多いのです。

例えば、そうですね、私はBill Gateさんと話をする機会が欲しいと思っています。さて幸運にもそんな機会を得た。5分話すことができた。その後どうします?そのままにしておくと思いますか?放置したらそれで終わってしまいます。忙しい方ですからね。会いたい理由はあるのでその得られた5分間とそのあとの自分の時間を使うはずです。

同じように中々席が空かない人気あるセミナーなどに幸運にもチケットを得ることができたらその幸運を十分に活用するはずです。

私は会いたい人に幸運にも会えたらその時間とそのあとの時間は非常に大切にするようにしています。

 

この時計運よく手に入れました。ちょうどまとまったしかも使うことができるお金が有った時にずっと欲しかったのをたまたま入ったお店で発見。

人に言ったら運が良かったね、とのこと。しかも正規取り扱い店でのこと、定価(正価)での購入でそれはもっと運が良かったのだそうです。

一番好きな時計で普段はこの時計をしています。