ロンドン

ロンドンは私の初海外出張(USAから海外と言う意味で)した都市でUK(ロンドン)は行った回数としては一番多いと思います。一時期UKに一人エンジニアを借りていた時期がありその時はそれを理由に2か月ごとにUKに出張していました。もっともロンドンではなく片田舎の町に会社のUK支社が有ったのでロンドンまで出かけた回数はというとずっと少なくなります。世界の3大都市を上げるなら私は東京、ロンドン、ニューヨーク北京上海LA、パリなども大都会ですが魅力で言ったら私の場合一番が東京で次ロンドン、そしてニューヨークになります。ロンドン、行った回数は多いですが例によって常に出張。休暇で行ったことはないのがとても残念。いつかフルタイムで働くことを辞めたらロンドンを皮切りにアムステルダム、ミュンヘンプラハ、そして最後にブタペストと廻りたい。そのすべての地に知人、友人がいるのでそれらの地をハブにしてみて回りたいですがロンドンには一年ほど住んでもみたい。英語圏だから住むのも何とかなりそうだし、友人夫婦がロンドンに移住したのでフラット探しを手伝ってくれると言ってくれていますから。

ロンドンは魅力的ですがいかんせん、UKには美味しい料理はない。。。 イギリス料理って、聞いたことないでしょう? 植民地を持っていたのでインド料理と香港風中華が美味しい料理になりますかな? 出張で行ったら大抵一度はインド料理か中華を食べていたと思います。

もっとも片田舎のパブはとても良いですよ。一番最初の出張はどちらかというとこちらがゲストだったのですが歓迎会としてパブに行きました。片田舎のそのまた片田舎、車で行きましたが道中真っ暗。街燈もないようなところで”誘拐するつもりか?”と冗談を言っているうちに遥か彼方にポツンと光が。。。そこがパブだったのです。今でも良く覚えています。

実際今でも片田舎(しかも電車でロンドンからそんなに遠くない)にいくと田舎を色濃く残しています。

残念ながら片頭痛持ちなのでグラス2杯が限度ですがパブで飲んで食べるのが一番多かったと思います。

さてそんなロンドンですがテムズ河を持っているのが良いですね。河の流れる町はそれだけで良い。橋は風情があるんです。今はロンドンアイ(観覧車)がありますね。乗るとウエストミンスター(国会議事堂、ビッグベン)も見下ろすことができます。ロンドン塔、大英博物館、ビッグベン、トラファルガー広場など行ったことがありますが未だエリザベスIIの居住するバッキンガムには行ったことがない。今度こそは、といつも思いつつなぜか行けていない。

つまり観光でも行くところには困らないほどに大きな都市だということですね。

UKはEUから離脱しましたがロンドンが魅力的である間は大丈夫だろうと思います。パリには行ったことがありませんがフランクフルトは飛行機の乗り継ぎで行ったことがありますがロンドンと比較すると物足りない。アムステルダムやコペンハーゲン、ブリュッセルも魅力はあるのでしょうけれどロンドン程だろうか?と行ったことはないのですが思います。

楽しい町ですよ。東京同様に地下鉄が発達しているので電車でどこでも行ける。

ロンドンに幾たびに訪れていた書店があります。Waterstones。大きな書店で各地に店がありますが私はいつもPiccadilly Circusの駅から歩いて行ける書店に足を運んでいました。日本と同じように購入するとスタンプを押してくれるのです。10貯めると10ポンド分になります。最近行ってないので今のカードはまだ10個スタンプが貯まっていません。居心地の良い書店で夜遅くまで開いています(今もかな?)。

仕事ではロンドンと言うことは一度もなく、ケンブリッジ、ブラックノール、ベンジンストックとかロンドンから遠いわけじゃないけれど近くもないところばかりだったので宿はいつもそんな町にある”アメリカの”ホテル(つまりホリデーインとか)でこればっかりはつまらないなあと思っていました。一度いわゆるUKの田舎のホテルに泊まりたいと言ったら今度そんなホテルを予約しておくと言ってくれたのですが実現していない。

ヨーロッパなので? 一年の始まりにその年の休暇予定を立てる同僚が多かった。以前社内トレーニングの責任者をしていた時がありますが世界各地バラバラにいる同僚すべての予定を聞いてスケジュールするわけにもいかず大体この時期ということでスケジュールしますがアジアから参加のメンバーは皆都合をつけてくれますがUKのメンバーは先に休暇の予定を決めるのでその時にこちらの予定は全く考慮してくれません。出れない。。。とだけ。こればっかりは辟易としました。皆親切で仲の良い同僚だったのですが休暇に関しては頑固でしたね。4人だけの経験なのでそれで全UK人がそうだと決めつけるわけでもないですがはるか以前UKのエンジニアを借りていた当時もどんなことがあっても休暇の予定は変えてくれなかった。。。そんなものだと思っているのでトレーニングに参加できないならとビデオに撮ったことがありますが面倒で一度で辞めてしまいました。

写真を沢山撮っているのですがどこに行ったのか行方不明で探している最中です。見つけ次第このBLOGをアップデートしたい。Waterstonesのポイントカード、締め切りは書いてないから来年COVIDが収まったらロンドンに上手く出張する機会を作ろうと思っています。

英語圏で最初に行くならロンドンは楽しいと思いますよ。ニューヨークも良いけれど初めてならロンドンの方が不安は少ないかもしれない。電車でちょっと出ればケンブリッジ。大学町ですがキャンパス内に入ると中世にトリップしたのではないかと錯覚することもできます。ニューヨークではそんな経験は難しい。

(ミュンヘン)

英語のスペルですね。ドイツ語のスペルでドイツ語発音にするとミュンヘン。はるか以前大学生の時第2外国語を選ぶときドイツ語を選んだ。惰性。。。あの当時の選択肢はドイツ語、フランス語もしくはスペイン語でした。中国語はなかった。80年代初頭、中国はまだ毛沢東も周恩来も現役で鄧小平主席はどこかの再教育施設に幽閉されていた時代です(ご存じだとすると相当に年配。。。)。あの時後でフランス語にしておくんだったと後悔しました。ドイツ語は男ばっかり、フランス語は女子学生が沢山交じってました。でも今この3つの言語から選ぶとしたら私はスペイン語。USA生活で便利なのはスペイン語。ちょっとかじったので少しなら話せますが話せると生活に役立ちます。ビジネスなら絶対中国語。私はこの2年ずっと勉強しているので簡単な会話なら中国でもできます。でももっと話せるようになりミーティング等で彼らが話していることを理解したい。10年以上まえ、日本がまだ元気だったころ、日本でミーティングがあると私は大抵同行しました。ミーティング自体は英語で行いますが顧客内の会話は日本語ですね。それを私はじっくり聞いていました。それで本当のことがよりわかってきます。英語は共通語になれますが本音は自分たちの母国語なんです。ですから沢山の言葉を話せるのはどんな仕事でもとてもゆうりですよ。 

さてドイツは南が裕福な地方らしい。以前何かのイベントでドイツからのスピーカーを招いた際に紹介者がその人は自分は南ドイツから来た。。。と言っておりました。ドイツ人の同僚に後で聞きましたが、”嫌な奴だ”といってました。御国事情を垣間見たと思います。彼女も南ドイツ出身だったのですが、私はあんな風に言わないと言ってました。

Munich確かに南ドイツですね。

さてミュンヘン。Intelがあります。元々もオフィスがあったのでしょうけれどInfineonのある組織を買収して大きくなりました。そこで設計されたチップをAppleがある時期IPHONEで使ったのです。Qualcommと併用ですがそれで一躍名を知られたのですがQualcommとAppleの間で特許権でもめたのはこれが原因ともいわれます。 Appleは昨年だったか、そのIntelのグループを買収しました。ですからあのミュンヘンのオフィスは今頃はAppleになっているはず。。。

私はそのグループが買収された直後にそこを訪れました。会社のロゴもすべてまだ変更される前。ビル内には買収の対象になっていないグループも同居しているというまだ全然おちついていないときでした。元々IntelではなくInfineonに行くことになっていたのです。顧客サイドがスケジュールの変更はしたくない、つまり買収にも関わらずプロジェクトのスケジュールは変わらないというのです。こんなのドイツだけ! 普通これくらい大きなことがあったらスケジュール等かわるでしょう、と思うのですが、変わらない。もう商品の納期も決まってる(しかもとても大きな。。。 リンゴマークで有名な。。。)。

ドイツ人は律儀だといいますがアメリカ人化したドイツ人ばかり知っていましたが本場のドイツ人は律儀でした。 電車に乗っても日本と同じようにプラットフォームには今度の電車とその次の電車のスケジュールが刻々と出ていましたしその時刻通りやってきました。USじゃあ考えられないですが日本では当たり前ですね。空港から電車に乗りましたが(彼らのオフィスは電車を降りてすぐのところ)、制服を着た小学生、中学生など学生の姿を沢山みかけました。”おやなし”はアメリカでは考えられない(アメリカの子供、過保護も良いところですからね。送り迎え親の仕事)。日本とおなじだ~。制服着てましたよ。

以前ドイツでは会社のカフェでは昼食時ビールの販売をしなくてはならない(法律)と聞いていたので本当かどうか確認しましたが、”飲んだことはない”と言います。答えになってませんがあの律儀なドイツ人が飲むとは思えない。。。とりあえずみんなまじめでした。細かいことを調べ上げており質問だらけ。細かいことも日本人そっくりかな? 

さて宿泊はというと、お金の少ないベンチャーにおりましたのでミュンヘンのセントラルステーション傍のモーテル(つまりアメリカのホテルチェーン)。あれだけ沢山のアラブからの人(移民)を見たのは初めてというほどにアラブ系の人だらけでした。電車に興味が有るので駅構内を散策しました。 

スケジュール。 やはりスターバックスは有った

USAからドイツに戻った元同僚(友人)がいるので夜は彼と出かけました。 やはり市電(路面電車)は走っています。地下鉄もあるんですがヨーロッパは路面電車どこに行っても走ってます。

ドイツと言えばビール。 でもチェコで飲んだピルスナーには負けるかな。オクトーバーフェスト。ドイツでは期間中はどんなに飲んでも法律上は酔っているという扱いにならないそうです。 まだ本場の経験はないんです、それに片頭痛は私はこのグラス一杯が限度だし。

次の日にオーストリアのリンツに行きました。電車の行先案内にもLinzを見つけます。電車で行きたかった。でもフランスから来ていた会社のセールス(REP)、車の速いからと言うので。。。貴重な機会を失った。

都合3泊しましたがこればかり食べてました。料理はあまり選択が無かったな~。

出張はあわただしく”観光”できたら儲けものなのです。ついた、仕事、移動、仕事、移動。。。を繰り返すのです。土曜、日曜をはさんでの出張はよほどうまいことしないと実現しない。。。だから出張の一番の楽しみは食事ですがドイツではこればっかり(といっても3度ですが)。

リンツにいって戻ってきて宿泊してもう次の日はロンドンへ向けて出発しました。したがって何もみていない。駅とその周りをウロウロ、友人と待ち合わせのところまで路面電車に乗ったのが唯一したことかな。 こんなとき、いつも思うのが”今度は仕事抜きでこよう”。そんな町がどんどん私のノートに増えています。

朝早く撮ったどこかの教会。


























Rating: 5 out of 5.

リンツ(オーストリア)

モーツアルトの交響曲にこの町を冠した曲もあるモーツアルトとも縁の深いリンツ。クラシック好きなら一度は訪れたことがあるかもしれないですね。そんな町に出張? テクノロジー屋の出番か? と私自身、当初予定を見て驚きました。あの出張はミュンヘン(ドイツ)を最初にリンツ、そしてロンドンだったはず。ミュンヘンとロンドンはわかりますがクラシック音楽の町、リンツ。。。

Intelがドイツにある大きな会社を買収したのです。そのドイツの会社がその前年にリンツにあるとても小さな会社を買収していたのです。オーストリアの工科大学教授が始めたベンチャー企業でワイヤレス関連のアナログ技術で優れた会社だったのですがそこのエンジニアたちが私が扱っていた製品、技術に興味をもってくれたとかで“呼んでくれました”。

大陸ヨーロッパはそれ以前はイタリアを家族と2週間ほど旅行したことがあるだけでほぼ初めてだったのです。それまではヨーロッパと言えばUKでしたが、口悪い人に言わせるとUKはUSAの第51州(英語を話すし、政策もUSAよりですからね)だとかどうとか。。。私はUKはとても好きですよ。QEIIの大ファンです。まあUKと大陸ヨーロッパでは道路も含め違いますからね(右側か、左側かなど。。。)。

ドイツから陸路、著名なドイツのアウトバーンを”ビュンビュン”と。実際はレンタカーなのでビュンビュン追い抜かれる一方でしたがね。とにかくビュンビュン抜かれました。ビデオ等で見たことはありましたが実際にあんなふうにどんどん抜かされるのを体験すると自分も”いつかやってみたい”と思うようになります。あれ以来私はAudiが欲しいのですが未だに実現していない。。。 アウトバーンはオーストリアに続きますがオーストリアに入ったら制限速度はあります。この建物が確か国境の場所だったはず。 EUですからひとたび域内に入るともう国境でのパスポートチェックなどはないのですが確かここで一休みしたはずです。

国境

リンツはドナウ川が流れています。河沿いのカフェで遅めの昼食を取りました。残念ながら古いIPHONEなので映像があまり美しくないです。とても残念。このあたりではドナウ川の川幅も狭く流れはかなり急だったと記憶しています。

ドナウ川

たった一泊。出張の途中というのは特に時間の融通が利かないのです。それでも本来日帰りも可能な(ミュンヘンに戻る)行程を一泊するように現地のセールスが図らってくれた。旧市街地はとてもきれいでした。夏場だったので広場を囲んでカフェとレストランが沢山ありました。ヨーロッパはトロリー(路面電車)が多く走っています。リンツでも路面電車を見かけました。私は京都近郊出身で私が大学生になるころまでは京都も沢山路面電車が走っていたので路面電車大好きなのです。

暗いですが旧市街の広場。
暗いですが路面電車。見えるかな?線路は見えますね。

早朝丘に登ってみました。確か朝5時ごろ起床。朝食までの2時間だけが”自由時間”になるのでとにかく歩き回りました。旧市街をどんどん抜けると大きな公園があるとマップには出ていたのですがそこまで行くと朝食のミーティングに間に合わずドナウ川沿いにある丘に登るのがやっとでした。旧市街をあるくと長い歴史の間に蓄積した富を感じることができます。店は夕方早く全部閉まってしまいます。広場でピザとビールの夕食をとる前に少しぶらぶらしましたがもうその界隈(ショッピング界隈)は閑散としていました。とても静かになります。

丘なら臨む

この日の仕事場はリンツの新市街。モダンな街になっています。歴史的な趣はほとんどありません。どこにでもあるような光景。エンジニアはもう世界中どこにいってもジーンズにTシャツ。スニーカー。若い。 あ~ テッキーだね、とすぐにわかる容姿です。エンジニア同志の会話というのは世界中どこに行ってもあまり変わりません。家族曰く、エンジニア語でもあるんじゃない?と。確かにありますね。お陰でどこに行ってもあまり違和感を感じなくて済むのかも知れない。エンジニアという狭い範囲では、地域性はあっても従事していること、教育、興味(仕事上の)などに共通性がありますからね。それがたとえリンツのようなところであっても。

もっとぶらぶらしたかったです。いずれまた戻るでしょう、自分のスケジュールで。

Mapで見るとLinzはこんなところに位置します。ミュンヘンプラハウイーン、そしてBrno仕事で全て行きました。リンツはこの三角の中にあるんですね。

私はこの橋のそばにある小さなホテルに宿泊した。今でいうブティックホテルのようなこじんまりとしたでもとてもモダンなホテルでした。

PRAHA Part 2

東欧のプラハやブタペストにあこがれ(行ってみたい)と思っていたのは別に深い理由はなく単に昔見たタイトルも忘れた映画にこれらの街並みが出てきたからです。だたそれだけの理由なのですがどこかに行きたいってそんなことが理由なことが多いのではないでしょうか?

Brnoは大学町でこじんまりとしていたのですがそれでもチェコ第2の都市。プラハはおそらくそのBrnoと比べ10倍は大きいのでは?と思うほどに大きな都市でした(実際にどのくらいの差があるか調べていません)。Brnoでは一度日本のお客さんを招いてミーティングをしたのですがプラハ経由で日本からやってきたそうです。プラハに来たかったからBrnoでミーティングをしたのではないか?と思う程に楽なミーティングでしたよ。出張は会社の費用で行ける海外旅行と考えると出張も楽しくなりますよ。ちなみに学会(コンファレンス)は参加者を増やすためだと思いますがスペイン、ギリシャだといったところでの開催が多いです。特に大学の教授が沢山参加する学会はリゾート地が多いように思います。私は顧客ばかり回っていましたがマーケティングにはCESをはじめとしたトレードショウを扱う人員もいました。こういったイベントはバルセロナ、ロンドン、アムステルダムなど人々が行ってみたい地での開催が多いように思います。そういったイベントはみなが行きたがるので抽選になります。残念ながら上の人も行きたがるのでこれまでCES(ラスベガス)以外いけた経験がありません。

さてパート1に続いてプラハ パート2。IPHONEで撮った写真を添付して終わり。

並木道はプラハ一の高級ショッピング街。たしかに高級ブティックが並んでいましたがお客と思われるのはほとんど全てアジア(中国?)からか。 若い北欧からきていると思われる学生たちは誰一人として歩いておりませんでした。
昔は王国だった。
パブ。 何らかの形で由緒あるはず。由来は忘れましたが写真にしていた。

PRAHA (Prague) Part 1

プラハ (PRAHAとチェコ語では書きますが英語になるとPRAGUEになる)。私はずっと以前から東欧の町、とりわけプラハとブタペストを訪れたいと思っていたのです。以前に書きましたが一年ほどチェコにある会社のコンサルタントをした関係でプラハに行くことができたのです。一つ目標を達成した気分です。

出張のついでだったので短い滞在でしたからほとんど寝る間を惜しむように町を徘徊しました。会社のあるBrnoから電車で3時間、一等車に乗ると車掌が食事(別料金)を伺いにやってきます。電車はゆっくりと田舎をずっと走りますが突然都会が見えてくるとそこがプラハです。プラハはヨーロッパでも人気ある観光地です。物価が安いんですね。EUのメンバーですがチェコはEUROではなく自国通貨を維持していますがアメリカドル、ユーロとの交換レートで考えるととても格安に感じました。ちょうど夏場だったのでそれこそ観光客でごった返しておりました。特に若い人に人気があるようで大学生らしい人たちで溢れていました。

川が流れる町は美しく感じますし発達していますね。昔、川は重要な交通手段でした。ロンドン、ボストン、ポートランド(オレゴン州)、パリ(行ったことはないのですが。。。)、ウイーン、リンツ、ニューヨーク、皆、河がありますね。そうそう、東京も、大阪も京都も川が流れています。プラハも町を川が流れていて橋を通して市街地と王宮のある丘をつないでいます。橋は観光の名所で沢山の人が出ていました。私は川の流れる町が好きです。残念ながら私の住むシリコンバレーには川はないのです。

プラハ旧市街。
市街を見下ろす
シナゴーグ
広場(夜)
残念ながら古いIPHONEだったのできれいに撮れていませんが川の袂からみた王宮。ライトアップされてとてもきれいでした。

町は旧市街が観光の中心になります。以下にいくつか写真を添えておきます。川を渡って丘に向かうと旧王宮がそびえたっていますがとても広い。王宮は中を見て回るだけでも半日はかかるのではと思います。ツアーもあるのですが私は一人で見て回りました。王宮の丘からダウンタウンを見下ろしてもとてもきれいです。王宮の写真をいくつか載せます。聞いたところではヨーロッパでも有数の大きな規模で中には大きな教会を含め王宮で働いていたであろう人々が暮らした町のような一角もありました。

王宮内
王宮からプラハ市街を見下ろす
王宮(パノラマ)

新市街地(?)に至る所には大きな通りとその先に美術館がありましたが行ったときはその大通りで”PRIDE”の集まりが催されていました。チェコでPRIDEに出会うとはおもいませんでした。 PRIDEというとサンフランシスコとバンクーバーがよく知られているのです。その新市街地を歩いていくとカフカの像(動きます)のある一角にでます。カフカをご存じですか?“変身”とたしか日本語訳ではなっていると思いますがある日”虫”になってしまった人を描写した著書で知られるチェコの作家です。大学の何かの講義で出てきて読んだことがありますがチェコが誇る作家なのですね。

カフカ像
カフカミュージアム

旧市街を歩いていると古い建物がとても多くありますがそれに交じるように飲食店、土産物(ボヘミヤン ガラスやチョコなど)そしてなぜだかタイ式のマッサージのお店が沢山ありましたよ。チェコはベトナム系チェコ人がとても多いのですがタイ式のマッサージには驚きました。

土産物屋のショーウィンドウ
宿泊したホテル。中央駅のすぐそばにあった。

プラハでは半日のガイドツアーをしましたが、たまたまなのですが私一人だけでツアーガイドと二人だけになったので気ままなツアーができてよかった。おかげで色々ときくことができツアーでもなければ知ることがないようなところにも連れて行ってもらえました。Jewishのシナゴーグ(中には入れませんが)、バドワイザー(本家本物。アメリカのバドワイザーとは全くことなるとても美味しいビール)発祥のパブ(?)、カフカのかかわった家、などを見て回りました。案内の女性はとても親切で5か国語を話せると言っておりました(チェコ語、ドイツ語、英語、スペイン語とチェコ語にとっては方言のようなスロバキア語)。ヨーロッパでは3か国語わかる人はあまり珍しくはないないですが5か国語というのはさすがに驚きました。色々な国の言葉がわかると旅行はとても楽しくなりますから私はツアー中ずいぶんとチェコ語も習いました。使う機会は限りなくゼロですが全く新しい言葉なので興味はあります。

ホテルはプラハ駅すぐそばに取りました。マリオット系列のホテルで少し高かったのですが、上司がこれまでの殺人的な出張(ほど3週間に一度海外に出ていた)をねぎらうため?特別に許可がでました。部屋の写真を撮っておくのだったと思うほどに良い部屋で男一人にはもったいないホテルでした。

観光客で一番多そうだったのは北欧からの学生だと思います。ちょうど夏で学校は休みだし、プラハだとパリ、ロンドンより少ない予算で長く滞在できますからね。アジアからはここでもやはり中国からの観光客が一番多かったと思います。日本語はほどんど耳にしなかったです。目にもしなかった。観光客の使うお金は大切な収入ですから中国人観光客が増えたら中国語の表示は当然増えていきますね。私世代の日本人の知人に言わせると”もう観光は終わった”とのことですが、私世代の話であって若い人はこれからのはず。言葉がわからなくったって何とかなるし町を歩くだけでも色々と発見もあります。このブログが”旅ブログ”になるほど有益になることはないのですが一度も海外に出たことがない、というのであればどこかに行ってみるのはどうでしょう? プラハをその最初にと薦めるわけではないですが(言葉を考えると英語圏の方が良いかな?)中規模の町であるプラハは歩きやすいですよ。 ロンドンなど、何度も行ってますが東京と同じで大きくて数日の滞在ではほんの少しだけになりますがプラハクラスの都市だと数日あれば全容を見て回れそうです。 私は一日半しか居なかったのですが(次の目的地がある出張の途中だったので)。

パート2に続く。

ウイーン

日本人はウイーンという。英語ではビエナですね。日本語はできるだけ現地語の町名で示しますが英語はそうしない例が多々あります。例えば プラハ。英語ではPrague (プラハではない)、 イタリアの町はもっとそういった例が多いですね。フィレンツェはフローレンスになりすし。ドイツ(大体ドイツというのはドイツ語からきていますね、英語ではGermanyだ)にもそんな町名があります。 

さてそのウイーン。チェコのBrnoという町に行くにはUSAからだとウイーン経由でタクシーと言うのが一番行きやすいのです。車で90分ほどになります。首都プラハからだと電車で3時間もかかります。車でも2時間ちょっと。というわけで2度行ったBrnoいずれも行きはウイーン経由でした。夕方着くので到着日をウイーンで過ごしたのでちょっとだけ町を見て回ることができました。出張ってそんなものなのです。まあ、これで独り身であれば前後に休みをとってもう少し見て回ることもできたのでしょうがそんな贅沢もあまりなく。。。 だた短い時間だけの滞在になるので見て回るということに関してはかなり貪欲になります。”足であるく”わけです。でもね、はっきりって全然見て回れなかった。。。 今度は出張でなくやってこようともうBrnoには戻らないであろうと分かっていた2度目のウイーンで私の行きたいところリストに入れておきました。

町は帝国時代の中心だったこともあり非常に裕福です。オーストリア人は基本的に裕福だと言います。人口の少ない西欧(東欧ではなく)は基本裕福ですがオーストリアも人口少ないですからね。以前、オーストリアは観光と銀行だけの国ではないと書きましたがそうはいっても観光と銀行(金融)は大きな比率を占めていると思います。観光客であふれていました。ANAが成田からの直帰便を出すというので至る所でその宣伝ポスターを見かけました。これまでなかったのかな? 

私はUSAから行くときはオーストリア航空を使っていました。LA経由になるので不便なのですが、この航空会社スターアライアンスのメンバーなのです。オーストリアにビジネスで行く人はやはり少ないのでしょうか、スターアライアンス Goldメンバーはほとんどいない(Unitedを使っていますがUnitedだとごろごろいます)。というわけで、いつも席がビジネスクラスにアップグレードできていたのです(航空会社の計らい)。オーストリア航空のビジネスクラスはシェフが搭乗していてステーキなどを機内で調理します。JAL、ANA、ビジネスクラスの食事とてもいいですがシェフの搭乗はなかったので私はオーストリア航空だけでの経験になりますが好みのステーキに感動します。それとフライトアテンダントはめっぽう親切で丁寧です。ヨーロッパの航空会社BAなど乗ったことがありますがオーストリア航空は私の経験でいうならとても良い(もっとも2度ともビジネスクラスになったためかな?)。

ヨーロッパの町は中心部(旧市街地)は石畳で道も古い、したがって幅細く曲がりくねっていることが多いですがウイーンも御多分にもれずそんなたたずまいです。教会が例によって中心部にあるのも同様。映画のシーンにもよく出てきますね。ただ映画等だと個々のお店などは映し出されないのでやはり自分で歩いてみるしか本当の雰囲気、場はわからないと思います。昨今のコロナウイルスのさなか、バーチャルなトラベル、VR (バーチャルリアリティ)を用いたトラベルというのが一部話題になりますがバーチャルなトラベル、私にはピンときません。YTUBEなどでもきれいな映像やYTUBERの映像を見ることもありますが、自分で見たのとは全然違う、という印象だけでした。例えば高級ブティックに並んでチョコレートのお店も沢山ありました。どこのヨーロッパにもある光景ですが映画のシーンで見たことは皆無だといえるでしょうか? ちなみにお土産にチョコを買ったのでいくつかお店に入りましたがアジア人だけ、と言えるようなお店もあれば全くいないお店もありました。皆情報を得て行っているのでしょうけれど、情報は見ておくが現地を自分で歩くということも楽しいですよ。私はオーストリアでしたが美味しいスイチョコの店を見つけて入りました(アジア人観光客はいなかった)。ちなみに片頭痛があるので私自身はチョコを食べません。もらったとしても(だれがくれるのかな?)、ずっと飾っておくことになるでしょう。チョコを最後に食べたのは片頭痛だと診断される前だからもう7年は経っていますよ。

夕食は観光客の入りそうにないようなレストランで食事をしました。中は私の3人組を除いてみなオーストリア人とおぼしき人たちでしたが活気はありました。一緒に行ったグループはいくらでもお酒が飲めるのでどんどん飲んでおりましたがウイーンは”高い”のです。ちょっと伸ばしてチェコに入ってしまえばビールはもう水のような値段で買えるのです。ほとんどのところで英語が通じたのでなんとかなりました。こういった場合、やはり英語が一番通じる確率があるのはわかります(もちろんドイツ語使えるともって良いです)。

全然紹介になっていませんね。私は自分で経験することを薦めています。あまり情報を持たないでいるほうが良いと思います。現地にやってきてからでも情報は入りますから。ただ、情報ではなく”教養”としてオーストリアならオーストリア、ウイーンなどについてあらかじめ知っておくと現地でツアーなどに入った時にとても役立ちます。なんとなくそうするとわかってくるのです、それが初めての土地でも。

ウイーンはこれまでいくつか写真を添付しているので新しい写真を添付しておきます。私は若いうちはとにかく外にでることを、30過ぎて初めて日本国外にでた遅咲きのトラベラーとして経験から薦めます。内向きになりつつある昨今の世界情勢ですがグローバル化の大きなうねりはコロナウイルスでも逆回転させることはできない、させてなるものか、と思います。

チューリッヒ (スイス)


出張で出かけた都市、国がタイトルになっているケースが多いです。この10年くらいの間に色々と出かけているので今後も当面そんなタイトルの記述が続くと思います。若い世代の海外旅行が少なくなったと聞きました。内向きになってきているのかな~と思うのですが是非外を見に行ってくださいね。そんな意味も込めて今後も私が仕事で行った地がタイトルになると思います。 私の初海外はボストンへの赴任でした。で、それっきりアメリカ(USA)にいるのですよ。な~んにも知らないままあの当時直行便すらない最果ての地ボストンまで良く行ったものだと今でも思います。しかも誰一人日本人のいない職場に配属されたのですが今思うと若かったからできたのだなと思いますよ。あれこそ若さの特権というものでしょうか?若いうちだからこそ出来ることは多いです。その期間はみなに与えられていますが一度きり。十分に活用してください。

さてスイスはチューリッヒ。スイスというと金融と私が趣味としている時計産業の国という印象を受けますが製薬産業やネスレに代表されるように食品関連の会社も多くあります。人口少なく基幹産業があるので国は豊かです。国が豊かにあるためには基幹産業は重要な要素だと思います。日本は昭和時代基幹産業を興しそれで豊かになった。今はその基幹産業の土台がデータ革命(シリコン、ソフトウエア、データ)に乗り遅れかけており揺らぎ始めている。まだ昭和を通じて作り上げた基幹産業が何とか生き延びていますが(自動車産業がその雄)昨今のEV,自動化運転技術では後塵をはいておりそろそろ本当に危うくなり始めています。基幹産業といえども絶え間ない進歩そして新たな基幹産業を興すのに残された時間は少なくなっています。また堅い話になってしまいました。

私のようなハイテク(シリコンとソフトウエア)人間とスイスに接点はあるのだろうか?となるかと思いますが実はチューリッヒはスイスではハイテクの地だといえますよ。もちろん銀行業がメインですが。IBMはIBMここに大きな研究所を持っています。その昔(かなり昔)その研究所に入りたかった時があります。単にスイスにあこがれていたんです。そのためにはまず少なくとも博士でなくてはならない。。。 町にはとても良い大学があるのです。そこの博士課程を経 IBMへ、なんて考えたことがあります。が実現しなかった、いや実行しなかった。ちょうどそのころボストンからカリフォルニアに転部できるチャンスがありスイスではなくカリフォルニアを取ったというわけです。 

f:id:Interstate280CA:20200727024010j:plain

そんなスイスですが私は昨年末までの2年ほどをRISC-Vというオープンコアのプロジェクトに深くかかわっておりました。スイスのその大学はヨーロッパでは1,2を争うRISC-Vの研究が盛んな大学でそういったいきさつからその大学とコラボの可能性を検討するためにそこの研究室を訪問したのです。私がかかわったチェコの会社はEUの組織から研究開発のファンドを受けていたのでその流れからそんな話となったわけです。大学は丘の中腹にあり丘の上からの眺めは非常に素晴らしいです。カリフォルニアを取ったのは失敗だったかな?と思ったくらいです。人生とは毎日毎日何かを選択して生きているもの。小さな選択、大きな選択、人生にとって大切です。 Choose To Chooseですね。丘から眺めてもわかりますがチューリッヒはきれいな街です。ショッピングエリアにはもちろん時計店も多く大学訪問といっても2時間ほどのミーティングだけだったのでたっぷりあった自由時間を使って市内観光ツアー、郊外観光ツアーに参加したりショッピングアーケードをぐるぐる見て回ったりして過ごしました。 私の少ない滞在時間内での経験でいうと人々はとても親切で丁寧でしたよ。ホテルでもレストランでも時計ショップでも。こと時計ショップでは非常に応対が丁寧で日本の銀座界隈の時計専門店とそぐわない対応で驚きました。というわけで出張で初めて”おかね”を使ってしまいました。以前から欲しかった時計ですが中々入手できなかったのです。ここにも一本あるのみでレザーベルトでしたが帰国後アフターマーケットでステンレスのベルトを買って使っています。この店はスイスで一番古い時計店だそうです(後で知った)。閉店間際に入りましたが応対はとてもよく1時間ほども時間が過ぎたのですが焦らせることもなくゆっくりと話をしながら購入をしました。お土産もくれましたよ。こんどまたチューリッヒに行くチャンスがあれば再び訪れるでしょう。

大きな出費

SWISS MADEという言葉ご存じですか? 時計好きならよくご存じかもしれませんね。 MADE IN SWISSという意味ではないです。 もちろんスイス製なのですがスイスで作っただけでは基準を満たせず製品にかかった費用におけるスイス製の割合やその他もろもろ法律になっている基準を満たしてSWISS MADEとなるようなのです。

さてこの SWISS MADE, いわゆる高級時計(ロレックス、パテックフィリップなど)を手に取ると文字盤にその記述を見ることができます。 これだけで時計に箔がでるのですね。 ですからイタリアやフランスのブランドも時計はスイスで製造しSWISS MADEの基準を満たしてそれを誇らしげに文字盤やケースに記載しています。 時計だけか?と思ったら探してみると色々な物品に SWISS MADEという記述を見つけることができます。 やはりMADE IN SWISSの記述も見つけることができるのでSWISS MADEとは違った意味合いなのでしょう。 そこに価値を見出しているのですね。

さて振り返ってみて現在 MADE IN JAPANに付加価値があるでしょうか? 私が若かったころ、SONYというと海外でも知られたブランドになっておりSONY製は高いが品質がいい、デザインが良い、 COOL (かっこいい)と言われていました。実際ボストンに行った折もいくつかSONYの製品を持っていましたがSONYはかっこよかったかな。 いまはどうでしょう? 大体SONYのロゴがついた製品で日本製を探すのも難しくなっているのではないでしょうか?マレーシア、’中国、ベトナム製だったりする確率のほうがはるかに高いと思います。 MADE IN JAPANの意義が薄れてきているのではないでしょうか? ドイツは日本同様輸出大国ですが、ノート、ペンに至るまでGERMAN MADE、MADE IN GERMANYの表記をよく見かけます。実際私が愛用するノート、ポールペンはどちらもMADE IN GERMANY と誇らしげに表記してあり、実際品質はとても良いです。ノートブックはカナダで見つけたのですが以後ずっとその会社のノートブックを愛用し続けています。

スイスもドイツもブランドづくりにはげみ、その国家ブランド (国)を大切にしている。日本もそれをまねるのはどうでしょう? スイスのように JAPAN MADE と表記するための基準を作り品質の管理をする。良いものはそれだけで付加価値がある。その付加価値を上手にマーケティングしていくことが大切なのだと思います。大会社ならともかく、中小の企業が自分たちのブランドを浸透させるのは容易ではありません。 でも JAPANというブランドはあるんです。 物だけじゃなくサービスにも使えると思います。 JAPAN HOSPITALITY なんてどうですか? ブランド化するのです。 

これから日本がどんな産業、どんな製品、技術を基幹産業としていくのか色々と調べていますがまだ私のなかではっきりとは見えないのですがJAPANをブランド化することは重要じゃないかなと思う次第です。

東京はロンドン、ニューヨーク、パリと並び称させるくらい知名度の高い都市です。 ロンドンに行くとわかると思うのですが、店でよく LONDONと記載された物を見つけることができます。 LONDONをブランド化しているのです。 TOKYOだって十分できますよ。 こういった場合できるだけ誇らしげに見えるところにTOKYOと記載するんです。 時計文字盤に誇らしげに SWISS MADEと書いてあるように。 ドイツのノートブックですが見出しページを開けたところにMADE IN GERMANY とありノートを開ける度にその表記が目に入ります。ブランドづくりってそんなことにまで気を遣うのですね。 TOKYO 響き良いですね。 誇らしげに書いてあるとブランドになります。ブランドって誇り以外の何物でもないですからね。

チューリッヒの市街を取った写真を幾つか。 とてもきれいな街でごみも落ちておりませんでした。

f:id:Interstate280CA:20200727024151j:plain



\\

テルアビブ

ハイテク(シリコンとソフトウエア)関連にずっと従事しているので出張は基本的にテクノロジー産業のある地域となります。これまでに訪れたところにはもちろんイスラエルもあります。中東諸国のひとつですから宗教が国家、日々の生活にとても深く入り込んでいます。イスラエルでは土曜日は電車、バスといった公共交通機関はストップします。土曜が安息日だからです。タクシーは動いているし空港も開いており飛行機の発着はもちろん通常通りですが電車、バスは動いていない。。。 土曜日が休みで日曜日は通常通り会社も学校もやっています。金曜日がやすみだったかな?ちょっと記憶があやふやですが私はいつも金曜日の夕刻に到着する便でイスラエルに行っておりました。土曜日を休みにして(観光する)日曜日から働くためですが、金曜日の夜に到着するということは、ご存じの方もあるかと思いますがユダヤ人は金曜の日没から土曜の日没まで火を使いません。つまりホテルにチェックインしても食べることができるのはサラダとかコールドサンド程度になってしまいます。もちろん土曜の朝食も全く期待することはできません。 が、困るか?というと全くなんですよ。

f:id:Interstate280CA:20200723133035j:plain
テルアビブの海岸で夕食

というのはユダヤ教は土曜日が安息日ですが、キリスト教徒は日曜日そしてイスラムは金曜日

つまりイスラム系かキリスト系のレストランに行けば金曜でも土曜でも食事ができるんです。よく考えたものですね。でも国全体としてはユダヤ教にのっとるようで電車、バスは止まるんですね。

さてそんなイスラエルですがご存じかとは思いますがハイテク産業も盛んです。USAの大会社、例えばIntelですがハイファ等に大きなビルをもっています。ハイファはハイテク産業の地でその一帯にはUSのよく知られた会社が軒並みビルを構えています。その一帯にある顧客を訪問するだけで2,3日はかかります。USAとイスラエルの結びつきを考えるとUS系の企業が多いのはわかりますがイスラエルにも中国系企業は進出していますよ。この場合買収に伴うケースが主だと思います。

買収と書きましたがイスラエルの企業は多くの場合資金源に限りがあります。イスラエルの企業とここで言っているのはイスラエルに本社、いやイスラエル人が始めた企業という意味です。ほとんどがいわゆるベンチャーになるのですがシリコンバレーとはことなり資金が潤沢にあることはまれです。またイスラエルの証券取引所はUSAにあるナスダック等と比較できるわけもないですからこれらの会社は設立当初からIPOを目指しているわけでもありません。彼らの目標は彼らのアイデアをプロトタイプまで完成させてお客に売り込む(最終製品化のための資金を得るため)もしくは大会社に会社そのものを売り込む(吸収合併)です。資金が底をつく前にプロトタイプを完成させる必要があるため一日13,14時間は働くというのは全く普通です。土曜が安息日なのは国のことであって彼ら自身が安息にしているわけではなくなんらかの形で働いているので週7日働いていることになります。私は日本人は働きすぎだということを聞くたびに”本当かな?”と疑っています。私自身を考えてももっと働いている。私は平均して週60時間程度(土、日も結局働いている)は働いています。一日平均11時間程度、シリコンバレーでは普通なことです。アメリカは有給になるいわゆる祝日は高々10日です。日本は祝日は基本休みですがUSAは国の休みと企業の休みは一致しません。バケーションで1か月も休んでいるだろうと思うかもしれませんがそれはEU諸国のことであり私の周りでの夏の平均休暇は一週間ていど(つまり5日)です。今年はCOVID19もあり私の同僚は上司も含め誰一人休暇を取っていないのでいわば働きづめ。中国やイスラエルはもっと働くといって過言ではありません。

そんなイスラエルですから顧客からよくお願いされたのが”出来高”支払い契約です。契約上は最初の支払いが極端に少ないが製品としてはフル装備の提供を求められる。成功したらプレミアムを付けて残りを支払う、という契約です。 製品の割引後の価格が3千万円として最初の支払いは300万円程度くらいです。プレミアムとして10%つけるとして成功すれば300万円多くなりますが最初の支払いが極端に少ないのがリスクになります。現地にいる同僚はそれでも契約を取ろうとします。そこで私が出かけて行ったわけです。私の出張目的はその顧客を技術的に評価することでした。技術そのものとエンジニアの技量を評価するのです。ほとんどただで製品を提供するわけなのでこちらも賭けになりますからね。結果ミーティングは時には数日になることもあります。実際ある会社ではミーティングの半分くらいはラボで一緒になってソフトウエア開発をした経験もあります。プロトタイプが置いてあるのですがソフトの開発途中でその技術がどの程度のものか判断するには実機を稼働させる以外に方法がなく(パワーポイントの資料なんて誰でも作れますからね)開発を手伝ったわけです。その会社とは契約をしました。その後軍事予算をもらえたということでプレミアムを付けての支払いにまで至ったのでこれは成功例でうまくいかない例のほうが圧倒的に多かった。こんなスタートアップを中国の企業がいくつも買収しています。そのいくつかの企業にも行きましたが買収後中国からたくさんのエンジニアとマネージメントを送り込みオフィスもすっかり中国色を深めていましたがコアとなる元ののエンジニアはそのまま在籍して製品の最終設計をやっていました。最終設計が終わったら退社してまた新しい会社を作ると言っておりました。 最終製品を関せさせるまで在籍することが条件で買収されたので辞めれない。その買収資金で次の会社を興す予定だということでした。

さて振り返って日本ですが実はスタートアップと言われる企業を訪れた経験は一度もありません。そんな会社がないのかな~と思っていたのですが日本にいる同僚に聞いてみると彼らはそういった会社にあまり行きたがらない。どちらかというと大会社かもしくは国家予算がついているような会社を優先したいということで、限られた時間をかけるのならそんな会社となるようなのです。 スタートアップ企業がないわけではなく。これはしかしもったいない、双方にとって。まず顧客サイドのたつと、言ってみれば相手にされていないということになりますがそうだな、例えて言えばビルを建設するのに大きなクレーン車を使うことができず小さなクレーン車で頑張っている(でも小さなクレーン車だけでは大きなビルを作るのは時間がかかる)。結果、せっかくのアイデアがタイムリーに実を結ばず、あとから出てきた同じようなアイデアを考え出したUSA、’中国の会社の後塵を踏む結果となる。ベンダー(私の立場)で見るといわゆる将来有望なお客を失う結果となりうる。実際USAではサンディエゴにあるとても小さな会社と取引したことがあります。最初の取引は200万円程度だったのですがその時担当だったセールスがこの会社は絶対成功するとかなり無理な取引を強引にねじ込んだのですが(割引率90%だった)、今その会社はナスダックに上場しており毎年数千万円の契約を継続しています。くだんのセールスにとってはもう計算できる顧客になっているんですね。 

ところでコーシャという言葉聞いたことがありますか? ユダヤ系の人がとても気にすることなのですが料理、食材に関するある種の規定とでも思えば良いのでしょうが、塩ひとつとってもそれがコーシャに準ずるかどうかが問題になることがあります。アメリカで食品を購入する際ラベルを見るとコーシャに準ずるとかコーシャに準じたことを示したマークを見つけることができます。ずっとはるか以前ユダヤ人の同僚(当時彼は私の部下でした)と日本出張をしたことがありますが彼はコーシャに準じた食事しかしないことが東京について知り、本当奔走しました。日本であの当時コーシャなんて言っても誰もわからなかった。説明してくれましたがそれでもあまりよくわかりませんでしたが確か明治屋だったと思いますがそこに連れて行っていわゆる輸入品のコーナーで色々と二人でみるとコーシャとかそのシンボル(丸にU)を見つけそれがついているポテトチップなどを幾つかかった。 普通のレストランでは切っていない丸っこのトマトを3,4個だしてもらったような経験もあります。ベジタリアンなんですか?と質問を受けたように記憶しますがトマトをコーシャに乗っ取らないまな板、包丁で切ってしまうともうコーシャでなるなるので単に水であらっておさらに盛ってもらう以外なかったのです。それに明治屋でかったコーシャの塩を振りかけて食べていました。今は東京あたりだとコーシャ料理をだすようなレストランがあるのかもしれないですが調べてはいません。先ほど安息日と書きましたが彼は金曜の日没から土曜の日没までたとえ働くにしても家にいるというのを守っていたのですがこちらの手違いで帰国のフライトが金曜日になりすったもんだした経験もあります。USAに向かうフライトは普通夕方に成田を出るんです。間違いの発端は彼はどうしてもサンフランシスコに金曜日の午前中に着きたいと言っていたのです。理由はそうすることで日没までに自宅に戻れるからです。 そこを強調していたのでそれに向けてフライトを手配してあったのですが時差があるでしょう?そうするには日本を金曜に出ることになるのですが午後遅くだったわけです。どう解決したか? 直行便をあきらめさせました。木曜真夜中(木曜日の予定をこなしてそれから空港に行く)に飛び経由先を経てサンフランシスコに金曜の午前遅くに到着するように組みなおしたのですがキャンセルの効かないチケットで片道というのは実はとても高くつくのですがチケットを買いなおしてとかなりすったもんだしました。がちがちのユダヤ教徒だな~と思われるかもしれませんが全然普通なエンジニアでしたが自分が守ることは守るというそれだけなんだと言っておりました。ちなみに今でも良き友人でテルアビブに帰ってしましましたが私がイスラエルに行った折には夕食を共にしています。コーシャの問題はないなというといつも苦笑いをしていますがあの件ではずいぶんとこちらも学びました。 どんなにグローバル化が進もうとも歴史を積みかさせねてきた社会習慣などはそんな簡単に均一になるものではないということを。

写真はテルアビブです。地中海の水はとても暖かでヨーロッパじゅうから観光客が集まってくると聞きました。市の中心はモダンです。顧客のオフィスからの展望はとても良かった。

f:id:Interstate280CA:20200724015903j:plain
テルアビブ 地中海
f:id:Interstate280CA:20200724020031j:plain
テルアビブ市街

Brno (Czech)


元上司がちぇこに本社をもつベンチャー企業にExecutive、そしてボードメンバーとして参加した経緯上一年間ほどその会社でアドバイザー兼マーケティングエンジニアとして働いたことがあります。チェコはいわゆる旧ソ連ブロック(東欧)の国の一つです。 ソ連とか言ってももう若い世代には死語になっているかもしれないですね。 関連する言葉として

ーココム

ー冷戦

ーワルシャワ条約機構

なんて言葉がありますが聞いたことがあるでしょうか? 

チェコはヨーロッパの小さな国です。その経緯上いわばずっと占領に近い歴史でした。例えば

ーオーストリア帝国

ードイツ第三帝国

ーソビエト プラハの春って聞いたことがありますかね?

しかしながら王国でもあったわけでプラハにはそれは壮大で美しい王宮が残っています。とても広い。確か記憶が正しければヨーロッパで一番大きな宮殿なはずです。

いわゆるソビエト崩壊に伴いソビエトから独立(別にソ連邦の一部じゃなかったのですが)。当時はチェコスロバキアと言っていましたがチェコとスロバキアに分離しました。

チェコは東欧諸国はエンジニアリング、数学の教育が冷戦時代を通じて盛んだったこともあり実は優秀なエンジニアがたくさんいます。 第2のとしBrnoは大学町です。実際私が手伝った会社もBrno地域にあります。歴史はとても古い街ですが住人の年齢層はとても若い。市街地を歩いても学生が大半です。Brnoにはチェコとスロバキアに分離した歴史的な調印をした建物もありますよ。

優秀なエンジニアを格安に雇えるというわけで今USAの会社がBrno近郊にたくさん進出しています。例えばIBM (Red Hat Linux)など。実は中国の会社もたくさん進出しているんですよ。中国はエンジニアの人件費は高いです。実際日本の倍はします。これはあまり知られていないかもしれませんね。中国は人件費が格安だと信じられているようですがエンジニアに関して言うなら日本のほうが圧倒的に格安ですよ。実際上海、北京で経験豊富なエンジニアを雇うには今では日本円で1000万円ていど必要です。同じポジション東京なら600万円程度です。日本では格安にエンジニアが雇えるんですよ。もっとエンジニアリングの会社が日本に進出してもおかしくないのですが、それでもあまり日本に進出していきません。色々な理由があるのでいずれまとめてみたいと思いますが私などの目から見るともったいないなと思います。

ちなみにチェコなら300万円くらいで雇うことができるんです。だから中国、アメリカの企業が進出しています。もちろんEUメンバーですから他のヨーロッパ諸国の会社も進出していますよ。

エンジニアは優秀で賃金的にも非常に競争力があるのでチェコはこれからも発展していくと思いますが、いかんせん、長い間占領されつつけてきた結果でしょうか、猜疑心がとても強く自国民以外基本的に信用しません。そして自国民の同僚をとにかく守ろうとします、失敗を隠してまで。歴史を知るとそれは理解できることなのですがいざ会社経営、会社関連となるとしばしば問題を起こします。 とにかく何もしゃべりません、最後の最後になるまで。頑張って製品の契約を取り付けたところ実は製品ドキュメントは単に将来のプラン(つまり今はない)だったり。もちろん契約は破棄になるし違約問題にまで発展してしまいます。契約がとれたら作るつもりだったと。。。 

こういった国民性をよく理解しておくことは必要になるとおもいます。 どんなにInternetが発達しても国民性、社会習慣、カルチャー、といった人間生活に深く根差したことは実際に経験するまで肌で理解できるとは思えません。 昔は座学、実学とか言って学校、セミナーで学ぶこととと現場で学ぶことを両立させて経験、知識をつけていったのですがInternet が発達しいわばバーチャルにいろいろとアクセスできますがぜひとも外にでて現場で色々と経験を積んでください。

表題の写真はBrnoの丘から見下ろしたBrnoの町。旧市街を外れるとどこにもあるようなビジネス地域があります。

f:id:Interstate280CA:20200723080531j:plain
冬のBrno
ダウンタウンにあるピルスナーの店。ホテルにもなっていますが私はいわゆる現代風のホテルに宿泊しました。 International Hotelと言いますが目の前には丘があり登っていくと写真のような見晴らしのよい展望できるところも沢山あります。その丘のふもとには冷戦時代を象徴するように原子爆弾にも耐えることができるシェルターもあったそうですが今はパブに変わっていました。チェコ第2の都市ですがプラハと比較すると断然田舎です。