北京 追加

北京について過去に何度か書いてきました

今日2021年1月21日は大統領がまともな人物になって2日目。過去4年間、権力を渡してはいけない人物に権力を渡した結果としていかに国が病んでしまい疲弊し、落ちぶれて行ったかを目の当たりに見ていますがこれからの4年でどこまで復活できるでしょうか? どんな帝国もいずれは内部崩壊するのです。帝国は外敵に滅ぼされたということはこれまでありません。すべて内部から崩壊しているのです。それが始まったということなのかもしれない。もう別れたほうが良いという議論もあります。ここまで考え方、経済圏が違ってしまい一つで居る必要があるのか、という議論です。

さて、北京は過去の中国のいくつかの帝国の首都であり今現在の国家の首都でもあります。帝国変われど時として別の都市が首都になりましたが北京が首都であったことが一番多いように思います。こんなに寒い土地になぜ首都が出来たのか、まだ深く調べていませんがもはや首都を移転することは不可能と中国人の友人は言います。さすがの中国をもってしてもここまで発達した官僚機構を移転するのは無理なようです。

東京も同じですね。副首都などが時々話題になりますが実際には無理がありそうですね。

経済圏は移動しやすいのですが官僚機構は硬直な組織なので移動すら大変だということです。経済圏は人、物、金が豊富なところに移動していくのです。どちらが移動するかも重要で、経済圏が移動していくのか、人、物、金が移動していくのかです。このなかで人が一番硬直なのですが都市化が進んでいるように人も移動を続けます。

政策によっても経済圏は移動、新たに開拓することはかのうです。政策には投資(国などが行う投資)と税金があります。台湾はサイエンスパークという実態でどちらも実施することで国を栄えさせた。日本も戦後の20年くらいはそれを実施していましたね。私は今日本に必要なのはこれらの政策だと思うのですが民間にいるから言えることで実施する側(政治家、官僚)の立場に立つと困難があるのかもしれない。

さて北京。 故宮に行ったことがありますか? 皇帝の住まいですが至る所で富を感じさせてくれます。

歴史的には少なくとも産業革命が勃興するまで、世界の富はアジアに大きくあったのです。一時的に中米と南米(インカなど)にあった金がヨーロッパに流れましたが(天然資源)、後年オイル(アラブの産油国)が黒い金(石油)を産出するまで、富はアジアに有ったと言っても過言ではないのです。産業革命が勃興する以前は富を生産するのは人力でアジアが過去、現在、そして未来も人口では世界一ですから。アフリカは人口が増えていますが歴史的には人口はそれほど多くは無かった。。。

その富を求めてヨーロッパから人々がやってきたわけですがある時点から軍事力を増強し略奪、搾取するという手段に出たわけです。シルクロードというのはヨーロッパ(中東も入れておくとして)からアジアへ富を求めた動きで逆ではないんです、基本的には。ここ辺りを書いた書を以前紹介しました。リンクはこちら。最近新しい書を同じ著者が書いています。どちらもまだ日本語訳が出ていませんが読む価値はとてもあると思います。

中国は当時から巨大な人口を誇っていたので富があった。その富をほとんど一人占めできた皇帝には巨大な富が有ったわけですが故宮の時計博物館を訪れるとその富を垣間見ることもできます。あれほどに沢山の黄金で作られたヨーロッパの時計(基本的に置時計)を見たことはありません。贈り物として受け取った時計もあるそうですが購入した時計も多いとか。北京の皇帝はとても重要な顧客だったのですね。腕時計を時々購入しますが今、中国でヨーロッパの高級腕時計がとても売れています。すでに市場規模は日本以上(日本の高級腕時計販売の40%は中国人観光客によるものだそうですからそれを入れると日本は既に三分の一くらいの規模)。

しかしながら富は移動するのです。経済圏が移動する様に。

21世紀はアジアの時代ともいわれます。第2次世界大戦後、新たな産業革命 そして情報革命を経て21世紀に入りました。いずれの革命でも人材、人がやはり大きな要素。産業革命を支えたのは製造機械の進歩。情報革命も機材、ソフトウエアの進歩あってのこと。それら進歩を産み出しているのは人材ですが人材で一歩先を行ったUSAが世界の富を集めましたが、今多くの人材を産み出しているのはアジア圏です。しかも人口が巨大ですから巨大な市場も抱えている。つまり人材と市場を抱えたアジア圏が繁栄するのは理にかなっているのです。しかも一部の国を除くとアジア圏は富を富を増やすことに使っています。兵器は富を増やすことはできないのです。破壊することしかできないですからね。作り出すという富を作り出す根本的な要素に兵器無用なのです。兵器を抱えすぎた国家は歴史的に皆衰退しています。ただ富ができるとその富を狙って過去、現在を問わず略奪行為が始まる。人間の嵯峨を見るようですがそれに備えることも大切にはなります。中国の最後の帝国はその面でとても弱かった。

とこんなことをこの故宮を見て回りながらつくづく思ったものです。

中は観光客でごった返しているようなのですが、とてつも無く広いので、ちょっと足を踏み入れると誰もいないようなところに入り込みました。静寂とまでは行かないにしても静かです。故宮内にいると時間を忘れてしまうようで入り口を入って出口をでたら4時間以上も時間が過ぎていました。

その後、以前のBLOGで写真を載せたように通りを挟んだ向かい側にある公園に行きその中にある丘(小山)に上ると北京を展望することができます。

で、帰りのホテルまで。地下鉄もあるのですが宿泊したホテルは残念ながら地下鉄の駅から少し離れていたのです。故宮まではホテルのバスが送ってくれましたが帰りは自分で。 タクシーを使おうと思いましたが外国人相手にはぼってきます。ホテルで聞いていた金額では全く相手にはされません。2倍でも相手にされない。。。と思っていたらす~と男性が近づいてきた。TAXI? 探しているよと伝えるとXXでどうだと?ホテルで教えてもらった額の2倍程度です。仕方ないと思いOKを出したらついてこいという。角を曲がったところに車が。。。とてもきれい。ほとんど新車。いわゆる白タクですね。

そんな白タクも今はUBERのようになっています。でも白タクをする人も多い。観光客相手に。TAXIよりずっときれいな車ですが、後ほど友人に聞いたら倍も払うなんてどうかしてる!と。それ以降私はもっぱら地下鉄。ホテルは必ず駅のそばになるようにして、それ以降中国語を真剣に勉強し始めた。

 

以前書きましたが歴史を勉強、研究するととても仕事、人生で役立ちます。 私が薦める勉強科目はというと

1. 数学 (程度は自分が目指す職によりますがどのキャリアに進もうとも数学は大事)

2. 歴史。 学校の歴史の授業ではありません。歴史は後から人が書くのです。書く人の立場、見方、考え方などで同じことが全然違って書かれます。いろんな角度から歴史を見ることで物を見る力、考える力が養われます。

3. お金について

4. 語学。 今なら英語と中国語、それと 国語つまり日本語です。どの国の学生も母国語が学校教科では難しい科目なのですよ。

となります。 これは何度も書いてきました。 

上海 3

上海について2度ほど書いてきました。中国は北京、杭州、深圳天津成都と空港だけなら香港も、みな仕事での訪問ですがしています。それぞれをタイトルにして以前BLOGにしています。

わけでも上海は好きな都市でした。COVID19もありますが今は再び開発現場に戻ったので以前のように出張することはなくなり次回いつ上海に行けるかわかりませんが2019年は上海で大々的にAIに関するイベントがあったのでそういったイベントに参加することで行けるかもしれない。5年後にひとまず引退する予定なので、その後はアドバイザーやコンサルタントをすると思いますが上海にいる友人がその時機会をくれるかなと思っています。

マップを添付しますが河をはさんで浦東、と浦西になります。元々の上海は西側です。河沿いにBUNDと呼ばれる地域がありますが以前の租界地帯で欧米の石造りのビルが立ち並ぶ、今では観光スポットになっています。以前のBLOGに写真を添付しましたが、ここでは夜の河のイルミネーションを写真にします。赤、青ときれいなライトアップがされます。夏など人人、人。中国中からも観光客が沢山きていました(COVIDが終わったら再開するのかな?)。西側は人民大通り(ショッピング)や政府機関もあり休日や夕方、夜を過ごすのには楽しいところです。地下鉄網があるのでどこでも行けます。タクシーも沢山出てますがタクシー、どうしたわけだか後ろの席のシートベルトは全部壊れている。これまで壊れていないタクシーには北京でも杭州でも、天津でも出会ったことがありません。もっとも今はUBERの中国語版を使っていました。APPがあるのですが友人がAPPを入れてくれました。それを使うと会社の決済に自動的に記録されとても便利でした。そう会社もそんなサービスを使っているんです。もっとも交通事情を考えると地下鉄が一番です。

浦東地区は新しい町です。今でこそファイナンスの中心で高いビルやパールタワーがそびえたつモダンなエリアですが以前は寂れたところだった(そうです)。地図を見ると世紀公園と言うのが見えます。その公園沿いに花木通があるのですがその界隈、それと世紀大通り界隈が私が宿をとったところです。花木の側は非常にモダンです。その公園の一角に外国人が居住するエリアがあります。私が止まった Kerry Hotelからそのエリアを望むことができます。ちなみにKerry Hotelは一流ホテルで部屋もサービスもとても’良いですがさすがに宿泊費は高く、後年、そのホテルは会社では使えなくなり残念でした。ホテル前が公園なので朝は良く散歩しました。夏は暑いです。

浦東地区のすごいところは6か月もすると新しいオフィスエリアができることです。そうですね、一つのショッピングモール兼オフィスビル(いくつもビルがある)がものの6か月で出来上がってしまう。作っていたかなと思っていて2か月後に再び上海に行くともう入居が始まっている。。。あのスピード感には感心します。適当に作っているんだろう?と思うかもしれないですね。それがどうして立派な作りです。人口が多いですからなんでも大きく作りたい国。大きいと言えば、中国の高速鉄道の駅。飛行場のように大きいのです。前にも書きましたが駅構内に入るのも身元と荷物チェック、切符を受け取るのも身分証をチェックとチェックだらけですがプラットフォームに降りるのはゲートが開いてからと飛行場みたい。日本の感覚とはずいぶん異なります。

 

でも華やかな一角を通り抜けるとまだまだ農村地帯が広がっています。高速鉄道に乗って上海を出てすぐにもそういった光景が目につきます。

上海はおそらく人口ではもう東京都23区に肩を並べると思うのですが首都圏で考えるとまだまだ東京圏はずっと大きいと思います。今後中国がどれくらい大きくなるのかわかりませんが上海は今他のメガシティー、例えば深圳などと競争をしています。深圳の発達速度は上海の上を行くと感じます。深圳だけでなく今は中都市(それでも名古屋は大阪より大きい)も大きくなっています。

日本も東京と競合できるような都市圏が必要なのかもしれない。大阪圏、名古屋圏残念ながら首都圏にははるかに及ばない。人口の差なのか、社会構造なのか、と最近よく考えます。産業構造の変化に上手く対応できていないのか?中国に出張する回数が増えるごと、そんなことを真剣に考えるのです。

 

台湾 Part 2

以前台湾について書きました。赤い字になっている台湾の部分にカーソルを置くと以前のBLOGのリンクが出ます。

台湾には元同僚である友人が二人います。彼、彼女らとはもう10年以上の付き合いです。以前も書きましたが台湾人の友人はとても親切です。中国語もとてもソフトなのです。これは大陸中国人が皆言いますから真実なのでしょう。私は中国人と台湾人は区別しています。どちらも中国を話しますがアメリカ人とカナダ人が違うように彼らもずいぶん異なります。食べる食事だって、中華なのですが違いますからね。台湾料理と私は言っています。

台湾にはサイエンスパーク、テクノロジーパークといった一角がいくつかあります。その元祖は新竹地区のサイエンスパークです。台湾を代表する世界的企業であるTSMC, MediaTekなどが本社機構を持ちます。サイエンスパークは税金の恩恵を受けるので世界的な会社になったのですがこれらの大会社今でもサイエンスパークにあります。

ここは働く町であまり人が居住していないのです。河がありその河をはさんだ対岸は市街地になり商業と居住の地になります。私はいつも下のマップにあるシェラトンホテルに宿泊していましたが(宿泊費は150㌦程度ですが部屋は広く、朝の朝食付きで実は非常に格安。中国の上海や北京ではもう不可能)、サイエンスパークに行くのは自動車での移動ですが橋が非常に混みます。昼間なら20分程度が最悪90分もかかることもあるのです。バスはあれど電車が無いのです。

大会社も多いですが基本的には小さな会社が軒を並べています。出来立てほやほやの会社に良く出かけていきました。中国と同じく、兄弟で始めたとか、親子で始めたなど家族が中心になって始めた会社もとても多いです。出来立ての会社だと物置程度の広さのオフィスも沢山あります。それが最初のMeetingだとしても才覚と技術を持っていれば2度目のミーティングでは会議室くらいの大きさになって一年もするともう立派な会社になっていたりします。非常にニッチな製品を開発していることが多く、その才覚には驚きます。まずはそんな手ごろな製品を出すんですね。必要な部品なんだけどもう大手がやっていないというような製品も探し出してきますよ。その内資金ができるとそこからは本当の開発、競争になるのですがそこでもやはり狙いはニッチ。聞いてみると色々とニッチな製品があるのですね。

中国も同じですがこういった小さい会社、何も秘密にしないです。早く開発を終えたいからベンダーが助けてくれるならなんでも助けてもらう、が基本。

そんな新竹ですが商業地区に行くと日本のデパート (SOGO)も店舗を構えます。私が宿泊するシェラトンからはかなり遠いのであまりちょくちょくは行きませんでしたがそこにはボーリング場もあり同僚たちとボーリングをしたこともあります。 大きな商業地区なのです。この辺りにはいわゆる在来線の鉄道も通っています。在来線にのって台湾の新幹線(日本の新幹線を輸入したはず)の駅にも行けます。高速鉄道は商業地区から離れたところにあり今開発が進んで高級コンド(日本でいうマンション)がいくつもありますが商業地区の雑踏を味わうことはできません(なんだかさびれている)。

 

台湾は毎年(だったはず)ランターンフェスティバル(提灯祭り)がありこれは毎年違った都市を廻るイベントがあります。ある年丁度新竹が会場だった時に出張することが出来ました。

各地のグループ、学校などが提灯を使ったBoothを出しますが屋台が沢山出ています。早めに仕事を切り上げ同僚二人と夜遅くまで見て回りました。なんでも食べる私は屋台も食べ歩き。気を付けないといけないので基本的に火を通したものだけ食べましたが現金を持っていない私は友人たちにずいぶんと使わせました(後年、USAで一緒に食事に行って埋め合わせをしましたよ)。

私はアジアは仕事、仕事以外で行ったことがある国は

韓国中国、台湾、マレーシア、タイランドそしてシンガポール

があります。 知っている人ならそれにフィリピン、ベトナムそしてインドネシアも入るのでざっとみてアジアをほとんどカバーしていますが、私個人の経験では

台湾の人が一番親切。

いや~ 日本人より親切だとも言えます。

中国人と同じにするな、と以前こちらUSAで言われたことがあります。 中国語を話すから中国人とごっちゃになるんですね。

台湾というとボバのドリンクを始めとしたドリンク類が良く知られています。こちらカリフォルニアにも多く進出していますが私は出張で台湾に行ったら買ってもらっていました。一緒に行動した現地セールス(女性)ドリンクが好きでいつも朝ドリンクをもってホテルまで迎えに来てくれました。

今は85というベーカリーがどんどん進出しています。ここはApple本社のあるCupertinoですがアジア系住人が60%ともいわれます。85の前は韓国系のベーカリーが進出していましたが最近は85の方が勢いあります。

85、私は最初に台湾桃園国際空港で見かけ、そこで売っているパンが美味しかったのでよく覚えていたのですがいつの間にやら当地に何店舗もお店が出来ています。台湾や香港そして韓国のパンは今人気です。アジア圏の国、日本も含め、美味しいパンを販売していますね。フランスは行ったことがありませんが以前写真に載せたサチュラ(日本のケーキ屋さん)のクロワッサン、この辺りで一番美味しく朝いちばんでお店に行かないと売りけれるのです。

85はアンパンが絶品です。ここのアンパンを食べて以来どこのアンパンも美味しく感じなくなりました。

東京

東京を書いてどうするねん、なのですが、出張で一番行った海外の都市はというと東京です。

はるか以前、1997年から1999年までの間(3年くらい)日本の巨大企業のアメリカ法人でマネージャをしていた時期があります。これは私にとって唯一の日本企業(日系企業)での職となりますが日本にも開発チームがおり(あとUKにもいました)、プロジェクトの責任は私だったのでそれこそピーク時は毎週日本に出張でした。ZOOM などない時代です。一週間8日働く。。。毎週月曜に日本で日本の開発チームとプロジェクトのミーティングをしていたのです。土曜にサンフランシスコを出ると日本時間の日曜夕方に成田着。月曜朝からプロジェクトミーティングをしてその日の午後5時ごろの便でサンフランシスコに戻ると月曜の午前中に到着します。そのままオフィスに出て今度はアメリカ側のチーム(彼らは私の直属な部下)とミーティング。 月曜が2度あるんですね。プロジェクトマネージャというのは直属の部下はいません。部下はラインに従属するので日本やUKにいるエンジニアはそれぞれ現地の課長、部長が上司です。とてもやりにくいポジションなのですよ。チームを働かせるといっても責任はあっても権限は無いのです。アメリカのチームが一番大きく彼らは私の直属でしたがそれでも大変なのです。上位のマネジメントにはそれぞれ思惑もありますからね。社内抗争などにも関わってきますよ。XXXは嫌い、XXXは自分を差し置いて上と話をしたとか、まあ色々ありました。順調に進んでいるとパイを欲しがりますが一旦トラブルになるとす~とうまくかわされます。関わりたくない。。。USA, Japan, UK 上になればなるほどこんなことの連続ですよ。一番大変なのは”予算取り”です。お金を握ったら“勝ち”なのですよ。3か国に掛かりますが本社(日本)は予算で縛りをかけてきます。人事権より最後は予算ですね。予算をどう分配させるか、そんなことを2年ずっとやっていました。人事権を渡しても予算の決済権限は最後まで日本の部門ががっちり握ってました。予算が無ければ何も出来なくなりますからね。

そのころは会社の使っていた航空会社はJAL。日本でいう課長級でしたがこの会社部長級以上はビジネスクラスで課長級はエコノミーだったのですが年25回は(往復すると50回)搭乗していたのでJALは空席があればほぼ間違いなくビジネスクラスにアップグレードしてくれていました。これだけの回数搭乗するとフライトアテンダントとも知り合いになります。香港のアテンダントはとても愛想が良くサンフランシスコで一緒に食事をしたこともありますよ。良き時代でした。ホテルもわずか一泊なのですが毎週だったのでホテル内のレストランでは知られていました。お気に入りなウエイトレスがいつも伺いに来てくれました。日曜日夜到着しますがホテルのレストランはそんなに忙しくなくオーダーを取りながらあれこれ無駄話を沢山しましたがレストランのマネージャも”お得意様だから”と大目に見てくれていると言っていました。お得意様と言われたのはこの時が初めてでした。

そんな生活を2年もするとしかしながらとても疲れます。まだ独身だったころですがあの2年間は働くだけ、だった。

転職してベンチャー企業に入り5年ほど開発だけをしていましたがひょんないきさつでマーケティングに部署を変え、再び出張人生の始まり。

最初の頃は出張というと日本。いや日本だけでした。2000年当初、まだまだ日本が、バブルははじけた後とは言えアジアでは一番だったころです。まだAppleは倒産寸前、Amazon, Facebookはなかった頃でようやくGoogleが産声を上げたころ。日本のブランドがまだまだ世界中で知られていたころです。2か月に一度のペースで出張を繰り返していました。東京圏(川崎、厚木、横浜、八王子を含む)を電車、車(現地のセールス)で行き来した後、一日は地方(長野、名古屋、大阪、広島が主)にまで足を延ばす。これだけで十分5日はかかります。時差がありますから土曜に出て日曜着。日本を土曜に出て土曜に戻るというやはり週8日な生活。。。

日本はお客さんは優しいので、と言いますが時間を守るので仕事はきつくなかった(中国と違う)。お陰で夕方には自由!。 場合によっては午後早めにはもう自由です。日本を30年前に出たとは言えまだまだ大学時代の友人やその後知り合った友人、知人も多い東京。友人と会ったり一緒に来ている同僚、上司と渋谷だ、銀座だ、新宿だと良く出かけました。

以前書きましたが東京はとても楽しい都市です。ロンドン、ニューヨーク、東京でしょう。そしてなかでも、美味しい料理が手ごろに味わえるのは東京!断然東京なのです。インド人の友人曰く、ロンドンがインド外で一番美味しいインド料理を食べることができると思っていたが東京の方が圧倒的に上だと。そんなわけで東京出張は羨ましいのだそうです。

Hello Kittyは人気ですがKitty Landにどれだけの回数行ったことか。皆行きたい、娘に買って帰る、写真を撮って見せるんだそうです。Kittyちゃんにはポケモンもマリオも敵わないですね。 

 

でもだんだんと東京に行く機会が少なくなってきた、いや最初は日本だけの出張が少なくなりました。日本にはいくがついでに台湾、韓国、中国も。。。となりその内に中国に行く次いでに台湾、韓国か日本に行くというようになり、最後は中国だけ行って戻る、つまりその他の国はもう行かない。この間わずかに10年です。 

以前書きましたがUSの企業は

北米(USA、Canada)

EMEA (ヨーロッパと中東)

APAC(アジア、アセアン)

日本

とテリトリーを持つことが多かった。経済力2位の日本はそれだけでテリトリーだったのですが、いまでは APAJとなり日本はAPACと一緒になりその本社も上海や北京になっていることが多くなりました。

この変化を感じるようになったのは10年くらい前でしょうか?一度私が扱う商品に不都合が有ったのです。その対策のため日本も含め顧客を訪問しました。日本ではこんな場合とても大きな叱咤を受けるのですが2000万もの買い物をして、こんな程度か?と(不具合に対する対応について)問い詰められたのですが同じ不具合を出荷した中国の企業はもう6億円のアカウントとなっており2000万のアカウントは失っても良いと言われていたのでどんなに叱咤を受けてもどうすることもできなかったのです。2000万を大きな買いものだというのはその5年前には無かったこと(その5年前には別の日本企業と10億円近い取引をしていた)。あれよあれよという間に規模が小さくなったのです。結局その企業はその事業からは撤退をしてしまいました。

そんな自分に直接関係するビジネスから東京の地位(あくまでも私のビジネスですが)を10,15年で経験しました。

ですが、東京はまだまだブランド力があります、と言いますか私の目にはブランドを作ってきていないのがもったいない。

GINZA, TOKYO, SIBUYA

どれもとてもいいブランドになる。GINZA。 知っている人は知ってますが私の同僚、知人、友人で日本に行ったことが無い人にGINZAと言っても良くしらない。でもロンドンのボンドストリート、ニューヨークの5番街などというと良く知っている。GINZAはこれら以上の地なのですが(中国人はGINZAよく知ってます)。ブランドにすれば良いのに、と思います。女性の中にはGINZAを知っている人がいました。なぜか? 資生堂の化粧品のパッケージにGINZAと書いてあるそうです。 以前も書きましたがパッケージなどにTOKYOだ、GINZAだ、SIBUYAだと誇らしげにロゴを統一して書けば良いんです。商品にもね。ブランドほど大切なものはないしTOKYOにはブランドが沢山眠っています。

私は今の仕事を”勤める”最後の仕事と決めています。

その後は 勤めないで仕事をする。

目標は東京にオフィスを持つ。時々オフィスの物件を見ています。目で見るだけでも楽しいし、何事も成就するには目に焼き付くVisualizationは必要ですから。

なんといっても東京は魅力ある都市なのです。

そんな魅力ある都市を持つ日本。その魅力をもっともっと磨けば良いのになあと思います。

みんな知ってるスカイツリー。昨年やっと行きました。

美味しいデザートも日本ならでは。パフェは銀座千疋屋で。

イチゴのショートケーキは実はこちらの町 Los Altosにあるサチュラ ケーキで。 ここは日本のケーキ屋さん。この辺りで一番美味しくいつ行っても長い行列が出来ています。ここのケーキを食べると他のお店のケーキはもう食べる気がしない、そうです。

こんなケーキが普通に食べれるよ、と言うと””東京は天国だ”と必ず言われます。

 

ソウル

以前少しだけ韓国に触れたことがあります。

出張で韓国に行っていた時期がありましたが最近5年はハタと行かなくなりました。もっとも今はマーケティングから開発(R&D)に戻ったので出張は学会や大学の研究室を訪問する以外無くなったので頻度が少なくなっています。2020年はそれに加えCOVID19もあり出張はゼロと最近20年でこれもまた記憶に残る年になりました。韓国に行っていた分を中国に回した、と言うのが実態で、アジアは15年前は日本10、台湾、韓国7、中国5程度だったとするなら3年前には中国10、台湾5、日本3、韓国1といった程度の比率に変わってしまいました。中国の隆盛に伴い日本と韓国が相対的に落ちたのですが台湾はそれでもなんとか持ちこたえた。台湾は中国同様、New Business (小さい会社)がドンドンできる環境がありそういった小さな会社訪問も積極的に行っていたからなのですが韓国と日本はこうした小さな会社がわたしのビジネスに限ると皆無に等しかったのです。

つまり韓国は財閥系企業が圧倒的なため私が訪問する企業はSamsungとLG以外にありませんでした。ここまで財閥系が経済を握っているのは不思議なことなのですが過去なんども政治が介入しているようですがあまり変化はなさそうですね。

わけてもSamsungに良く行っておりましたが非常に高飛車な組織で訪問するたびに”どっと疲れ”がでます。

まず友好的でない、と言うのが率直な感想でベンダーに対して非常に高飛車です。今は立場変わりであちらがベンダーになるのですが過去の経験があるためどうしても私も妥協しない。立場変われば。。。というわけで今度は私が強くなったわけなのです。”できないわけないだろう?”と半ば脅しのようなことを何度も経験してきたのでその経験がどうしても蘇るのです。さんざんやってその挙句ビジネスにならない。。。それでもまた行くわけです、何しろSamsungですから。相手もそれを知っているので高飛車にでる、というわけです。今は立場逆転なのですが。。。

そこで振り返るに、ベンダー、顧客、立場は永遠に固定ではないのです。ある人曰く、永遠に固定なのは親子関係だけだと。。。いや、この関係すら突き詰めれば立場変わりえますね。

上司、部下、 先生、生徒、など人同士の関係はいつでも変わりうる。立場変わればということです。だから偉ぶらない、立場を利用しない、というのは生きていく上で、仕事以外の場でも重要なのです。私の合気道の先生、8段かつ師範で世界中に教え子(弟子)がいます。彼らの中にも道場を開いている方々が沢山いますが先生とにかく腰が低い。初めてお会いしたのはもう25年も前ですが後ほど経歴を知って驚きました(何も調べないで道場に行った)、とにかく高名なのです。が、先生は私に弟子入りしたのではなく”お客さん”だと初めてお会いした時言われました。”道場費”を払ってきてもらっている、自分はそれで生活していると。もちろん通っている側はお客のつもりは全くないのですが先生はそれくらい腰が低い。非常に高名な師範で各国に招待されますがあの腰の低さが尊敬を集めるのだろうと思います。世界中どこに行っても誰かが招待してくれます(したがってホテルに滞在したことは無いそうです)。

高飛車なのはひとつには今でも上下関係がとても厳しいことがあるのでしょうか? ミーティングに出ていても中国人や台湾人と比較すると韓国は上下関係が圧倒的にあるようです。日本もありますよ。2か国に共通しているのかもしれませんが名刺をいただくと地位(タイトル)がとても細かい。日本だと例えば係長と統括係長、似ているようで全然違うらしい。つまり係長にもランクがあるんですね。韓国も似たところがあるようです。

さてそんなソウルですが、出張はなぜかいつも真冬でありました。とても寒くなるんですね、韓国は。真冬にインチョン空港に降り立つ。防寒着を着ているつもりなのですが寒い。サンフランシスコからの便は夜中に着く便が多いのです。冬で夜中、正に凍える寒さなのですが空港からホテルまでもっと凍り付く経験を何度もしています。 Inchonからソウルまで、車の移動は高速道路を多く使います。夜中の便だともうソウルのラッシュアワーを過ぎているので道は空いています。 また真偽は知りませんが未だ休戦中のKorea, 高速道路は戦車が通れる、戦闘機が離着できるように幅広くかつできるだけ直線に作られているとかで、スピードが出しやすい設計なんだそうです。

事実かどうか。。。ですがTaxiはもう時速150キロは出していました。ミニバンのようなTaxi にも乗りましたがそれでもスピードは変わりません。しかもドライバーは皆無言。もう少しゆっくりと言っても、現地の言葉はわからないので英語で言っても無視?

そんなスピードでどんどんレーンを変更して追い抜いていくので生きた気がしません。そんな話題をお客と会食したときにしたら、”私も経験した”と。。。以来、韓国ではバスを使うようになりました。

出張では会社によってはホテルを指定していることがあります。以前働いていたベンチャー企業はセールスVPがCOEXエリア(カジノなどもある大きな地下街を持つ一帯)のインターコンチネンタルホテルを指定していました。寒いソウルを快適に過ごすのは地下街?COEXエリアの地下街は大きいですね。地下鉄も通じていてとても便利で気に入っていました。

その後務めた会社はロッテホテルを指定していたのでロッテ。このホテル確か4階に韓国式サウナ(銭湯のようなもの)があります。宿泊でなく訪れる客(ソウルに住んでいる人)でごった返していた時がありました。GYMもあるのですがここも宿泊でなくとも使えるようでそんな人たちで占拠されておりました。そんなこともありロッテホテルは好きでなかったのですがCOEXにしたいと言ったら契約レートが使えないからだめだという。残念。

寒いソウル、食事はとにかく辛いですね、 日本の感覚で

ーおでん?と思ったら具がどれもすべて辛かった。

というのもあります。

私はもっぱらサムゲダンを食べていました。毎回たべるので現地の友人は”違うのを食べよう”と寿司を食べに行きましたが”つな”ばかりでびっくり。あまり他の魚は食べない?

韓国は2社しかないので一日で仕事は終わるから2泊以上したことがなくそれでも観光地として知られた明洞、江南地区などに足は運んでいます。あの頃は日本人と中国人観光客の比がちょうど入れ替わるような時期だったのでしょうか、日本語と中国語が飛び交っていましたがCOVID19な2020年はあのあたりも閑散としているのでしょうね。

InchonはとにかくDuty Freeが多い空港。私の知る空港では最大級ですがいついっても中国からのBUYERが沢山購入していました。観光ではなく空港で買う、受け取るのですね。韓国の次は中国というのが私の出張ルートになっていたので搭乗ゲートあたりでこんなBUYERを沢山見かけました。Duty Freeも今や中国人BUYERや観光客がいないともたないでしょう。もっともDuty Freeで購入するより実はOnlineのDiscount Siteの方が圧倒的に安く手に入るようにもなっています。そういうこともあるのでしょう、ホテルに大量に荷物が届けられる光景を何度も見ています。2次市場で値下がりしないような商品はDuty Freeで買うことはできないと以前教えてもらいました。以前ですとヨーロッパの空港でDuty Freeを沢山見かけましたが数、品物が明らかに少なくなっているようです。Inchonはあれほどな規模でDuty Freeを持っていますが今後のBusinessは大丈夫かな?と思うこともあります。Duty Freeというと酒類、たばこもありますがたばこは消費が少なくなっている、酒類はことUSAの場合、国内線の便に乗り換える際再度セキュリティークリアランスを通るので持ち込めない(香水類も引っかかることがる)など、液体に対する制限が多くなっているので売り上げが減ってきているはずだと私の同僚が以前言っておりました。確かイスラエル行きの便は搭乗前に再度手荷物を検査して液体は空港内で購入したものでも破棄する必要があったはずです。

そんな韓国ですが本当行かなくなりました。日本、韓国、中国という順序もしくは韓国、中国、日本と言う順序で出張していましたがこの5年は中国だけか、中国をハブに台湾、日本をちょっと寄るというスケジュールになっていました。韓国を最初にする理由は一社くらいなのでスケジュールがとても立てやすかったからです。中国は国内移動も大変です。

出張を通じてもアジアでの勢力の動きを肌で感じることができます。

沢山写真があるんですがどこにセーブしたかわからず、とりあえずこの2枚。ロッテホテル近郊。ロッテパーク?とでもいうのでしょうか。ディズニーランドの小型版? このそばには人口の池もあったはずです。住民の方が散歩をしていました。私も散歩しますがアジアの国ではどこにいってもいったん人込みに紛れ込んだら地元民のようですね。残念ながら韓国語は読めないので何を書いてあるのかは全くわかりませんが色々な書き物も多く見受けます。

とにかく寒い。寒い時だけ行ったからですが底冷えの寒さ。

上海 2

上海は何度も行きましたが幾たびに変化があるまだまだ開発途上の大都会。中国な面とメトロポリタンな面を持った一大都市ですがまだまだ東京、ロンドン、ニューヨークにまでは至っていない。これは言ってみればまだまだ発展途上にあるということです。

上海は古い町です。以前バンド地域の写真を掲載しましたが欧米列強が上海に租界を作っていたころの名残ですね。ヨーロッパ風の荘厳な石づくりのビルが立ち並びます。夜のライトアップはとてもきれいです。河を隔てた浦東地区が新しいファイナンスの地域となっていますがバンド地区のビルもほとんどは銀行関連の会社が入っている。

私は小さな会社のコンサルタントを始めてからは世紀大通り(浦東)周辺にある中国人ビジネス客が利用するホテルを定宿としましたがこの界隈も大きなショッピングモールが林立しまたいわゆるバーも多くあり夜遅くまで事業で成功したであろう中国人男性(得てして若い)が何人もの若い女性を連れて飲み歩いているのを見かけました。ちょうど日本の新宿のような雰囲気ですね。歌舞伎町とまではいかないですが。こういったエリアに来るともうほとんどいわゆる海外からの人はほとんどおらず英語もあまり通じません。クレジットカードの使用もままならず、中国ではWechat Pay, Ali Payの世界。 ほんの一昔前は現金の世界でしたがいまは電子マネーですね。 クレジットカードが使えるのはホテルの宿泊だけ。ホテル内のレストランでもクレジットカードを取ってもらえず現金不足になり急遽中国にいる友人に助けてもらったこともあります(電話してわざわざ来てもらったのです)。以来現金を沢山持っていくようになりました。WechatはUSAではもう使えなくなっていますしWechat Payは中国内に銀行口座が必要で外国人には使えないので便利なようで不便になりました。クレジットカードも中国発行ならなんとかなりますよ。でもVisa, AmexなどUSAの資本系はだんだん使えなくなりつつあります。もちろん観光客の多いエリアに行くと使えるのですが。

そんな海外の観光客、ビジネスマンがあまり行かないエリアに足を踏み入れると色々と別な上海も見えてきました。ここはやはり中国だなと。日本と同じくどこに行っても不安(安全上の)は感じません。夕食などは基本そういった地域で済ませましたが食べるものをオーダーするくらいの中国語は勉強しているのでなんとかなりました。英語は若い子がいないと基本通じません。日本も同じですね。中々通じないのでヤキモキしますが出てくる食べ物は基本美味しいですからなんとかなります、間違ったものが出てきても。

そんな上海の写真は一枚もないのです。食べるためにぶらぶらしていただけだし、しかも夜とても遅く。そうそうローソンとファミリマートは沢山あります。ローソンでドリンクを買いましたが日本同様、色んな種類があってそれも楽しい。こんなエリアにわざわざ観光で来る必要はないですが東京に観光でいきそうだな、江戸川区の新小岩、大田区の蒲田などに宿泊してその界隈を散策したらあんな感じなのだろうか?と思います。 それはではKerry Hotelだとか言ったとてもアメリカナイズされたしゃれたエリアの宿泊してしていたので経験しなかった夜の上海を色々と体験できたのは良かった。

写真はすべていわゆる観光地の上海。こんど行くのはいつになるかわかりませんがきっとまた様変わりしているに違いない。

 

上海一のショッピング通り。ひとが溢れかえっていた。このレストラン、構はとても古かったが内部はとてもきれい。。。でも現金を要求され、少し足りなかったのですが”おまけ”で許してもらった。現金を全部使ってしまい中国にいる友人に借金をしました。まだ返していない。。。300元なのですが。いつになることやら。

 

北京 Part 2

仕事でしか行ったことがない、北京。宿泊は大きな会社に勤めていたころはモダンなシェラトンホテルでした。その同じエリアに会社の北京オフィスがあったからなのですが、こうしたモダンなホテル、中国でも、USAでも変わりなくアメリカ、している。 違いはというと

ーバフェの朝食。

ーチェックインの時に写真を撮る(中国ではパスポートだけでなく顔写真を撮りますよ。自動車で走っていてもひっきりなしに写真を撮っていますから行動は全部当局に知られていると思って行動するべし、ですね)。

ヨーロッパの小さな会社のコンサルタントをしていたころ(昨年)はこういったモダンなホテルには宿泊していません。モダンなホテルかなり高額です。会社割引があるのですがそれでもかなりな金額。キャッシュが大切な小さな会社には負担です。そこでいつも宿泊はこちら。

http://www.friendshipshotel.com/

とても敷地が広いのです。古いホテルです。敷地内はとても広く散策できます。外国人(?私も外国人ですがね)は見たことがないと言えるくらいまれ。現地で一緒に働いていた同僚はやりてでいつも私には普通の宿泊費でスイートルームを取ってくれました。とても広い部屋です。朝食は、まあまあ。シェラトンなどと比べると明らかに見劣りしますが私は好きになり一年に4度も北京に行った昨年は4回ともこのホテル宿。 写真も撮ったはずですがどうしても見つからない。地下鉄の駅もそばで便利です。

顧客訪問がいつになく早く終わった時にあまり行かない観光地としてこんな公園に行きました。山がありケーブルカーで登れるのですが歩いて行きましたが途中で日暮れ。街燈がなく真っ暗な山道を走るように降りて行きました。ここはホテルもあるのです。今度北京に来たらここにも泊まろうと言っていましたが会社を辞めてしまい実現しないままです。もっともCOVIDな2020年はどこにも行けないですが。皇帝の別荘だったのでしょうかね、広く大きな公園でした。観光客はほとんど中国人でやはり故宮など知られた観光名所とは一味違っています。

 

北京では羊肉をよく食べました。北京風が私は好き。

この10年で中国大陸にも沢山の友人と同僚が出来ました。若い人が多くいつも”老師”扱いでとても親切にしてくれます。かれら若い層、顧客も含めてですが中国人を知らないでテレビ、ブログなどで聞いた、見た中国の人を連想するとびっくりするかもしれないですよ。よく働きそして押しなべてマナーも良いです。自分たちの親の世代とは違ってきていると彼ら自身言っていました。あと30年(2世代)でずいぶん変わってくるに違いないと、私の良く知る私と同世代な中国の友人も言います(彼はとても漸進な考えの持ち主)。公園を歩いていても特に若い世代はマナーも良いです。何度もこのBLOGで書いていますが自分自身で経験して確かめてみると”聞いた、見た”(しかも編集された記事)とは異なることを知って驚くことが多いはずです。 そして友人をまず一人つくる。そうすると考え方がずいぶんと変わると思います。

天津 シーフード

天津、日本の歴史教科書にはほぼ必ず出てくると思います。それと日本では天津飯(中国料理?)でも知られているでしょうか? 今でもあるのかな。とろみ卵がかかったご飯です。はるか昔もう40年は前のころ、学生時代その天津飯をよく食べました。

それくらいしか実は天津知らなかったのです。勉強不足でした。

天津は中国におけるスーパーコンピュータの開発地域で中国で一番大型のスーパーコンピュータを開発しているところだったのですね。

コンピュータあるところビジネス有りというわけで行ってきました。上海から、どうしても電車(高速鉄道)で行きたかったのですが”遠すぎる”とのことで空の便。浦東ではなくHANGGIAO(虹橋)国際空港です。こちらを気遣ってタクシー(中国版UBER)に乗りましたが町を横断するように走るので時間がかかるんです。地下鉄なら30分が車だと90分。今度からは地下鉄にしてくれとお願いしました。中国の大都市は東京同様電車の方が早いです。スーツケース持っていましたがビジネス用の小さくて軽いものなので電車でも面倒ではない。

飛行機の搭乗はセキュリティーもあり時間がかかります。それに中国は人が多い。。。フライト時間はわずか45分なのですが移動は朝6時前にスタートしても天津の顧客オフィスには1時を過ぎてやっと到着です。例によって昼は抜き!

スーパーコンピュータを設計しているR&Dセンタービルのすぐ横が顧客のオフィス。周辺回路を設計しているとかで政府関連の会社でした。中国では政府関連の会社はとても多い。こうした会社では受付時にやはりパスポートチェック。以前のブログで書きましたがセキュリティーはとても厳しい。特にこの4年はUSAからのビジターに関しては特に厳しくなっています。USA発行のパスポートだと入れない施設も増えています。こうした現状を直接見ているので様変わりを強く感じます。5年前はこんなことはなかったですからね。

昼を抜いてマラソンミーティング(3軒)こなしたというわけで夜遅く北京に向かう前にシーフードを食べに行きました。天津では新鮮なシーフードを食べることができるそうです。ここは上海にもお店があるらしいちょっと知られたお店。食べたい食材をオーダーしてから。食材を自分でオーダーするのは中国では普通ですがCOVIDもありこの習慣もこれから変わっていくのかな?シーフードだけでなくコメも種類を自分で選択。

つかの間の深圳

中国の経済政策の始まりは深圳からだと聞いたことがあります。鄧小平主席の経済政策に選ばれたというそれまで何もなかった田舎。。。 と言って私はそんなころの深圳を知っているわけじゃないです。

深圳にはたった一度だけ行ったことがあるのです。一度だけ???と驚く人もいるかもしれないですね。私自身、なんで一度だけなのだろう?と思うのですが、私が扱う製品は顧客が北京上海周辺に集まっていたからなだけなのです。同僚の中には中国に行くごとに深圳にまで行っていたものがいます。

深圳には香港経由で入りました。香港でいったん入国しますが、大陸に入る際に再び入国します。その際には、中国にいた会社の同僚が私たちのパスポートをもって建物の中に入っていったのです。その間私と同僚は車(タクシー)の中で待機。こんな入国検査はじめてでした。入国のスタンプを押したパスポートをもって戻ってきましたよ。今でもこんな簡単な入国検査なのだろうか? もちろん既に香港で入国検査はしているのですがね。今ならあり得ないような話かな?

陸路だったので長い橋をわたりました。夜だったので景色はあまりよくないですが”ああ、ここが香港か”と思う間もなく大陸側。

どこでしょう? わかりますか? 香港の空港間際の駐車場。
橋を渡っているところ。大陸側に行きます

深圳、今では本当に巨大な都市になっており上海と対抗する中国の一大商都ですね。上海がどちらかというとまだ金融関連を強みとするのに対抗し深圳はよりテクノロジーで強みを持ちますが深圳には深圳キャピタルという巨大な投資会社もあります。ここはテクノロジー関連に積極的に投資をしています。今では中国で資金集めをするのであればこの会社を避けて通ることができないとも言われますよ。何人か関わりを持ちましたがそれまで私が主に接してきた中国人とは違う、そうですね、いわゆるステレオタイプな中国人に沢山会いました。XXXXにはIPOだ、本社を深圳に転移して中国でまず上場、とかそんなことばかり聞きました。売り上げもないのにどうするねん?って聞いたら、ファンドの息がかかっている会社に商品を売ればいいと言います。それ、無理やりじゃないの?と思うのですが投資会社が資金を出しているのだから良いのだそうで。。。めちゃくちゃな~と思いました。少額だから何とかなる、って言うのですがこれって法律的に大丈夫なのか?と考えるのは部外者(中国人でない)だけでしょうか? 

北京で会った健全なベンチャー企業の経営者とファンドのめちゃくちゃに強気なファンドマネージャ、どちらも中国なのですね。付き合っていくしかないので仲良くお付き合いはしておきました。私は健全で真っ当な北京のベンチャー企業の方がよほど好きですが(彼らはとても真っ当です)。

ファンドの人がホテルを取ってくれておりました。とても良いホテルでした。夕食もついていた。ついていたというのは到着日、フロントで夕食はもう予約が入っていると教えられホテルのレストランで食べたのですがオーダーする必要もなく次から次から料理を運んできました。でも私たちだけでだれも来ない。。。会計も済んでいるとか。。チェックインの時パスポート確認はしたがクレジットカードを提示しなかったのも既に支払い済みだったからですが、こんな接待は長い職歴でも初めてでした。

このホテルではない。車から撮りました
とてもモダンなホテルの部屋
会議室の窓から。今はもっと開発が進んでいるはず

DJIを含め有望なハイテク企業があつまり中國一のテクノロジーセンター深圳、日本にもこうした都市を作り企業を集めその中で人、もの、金の移動をすればまた再び技術立国として立脚できると思います。わけても人の移動。金はオンラインで一瞬のうちに移動します。物もそう難しくない。人は? 企業がバラバラに立地していると移動は難しいでしょう。在宅勤務が取り上げられていますが在宅勤務でできることなんて実は限られています。いや、Linuxのようなオープンプロジェクトは成功している。。。と反論を受けるかもしれませんが人が集まることで始まるイノベーションもあります。 Linuxなどオープンプロジェクトは限られたものであれが今後の就労スタイルの模範になるとは考えられません。

人の移動を進めるためには”集まる”ことは重要です。日本だとやっぱり東京ですね。東京をテクノロジーセンターにしたいですね。そしたらシリコンバレーを引き上げて東京に戻るのですが。。。 東京は世界一良い都市ですから。

テクノロジーの都市らしく”若い”。朝早く、6時ごろに外をぶらぶらしましたが若者がもう出ていました。あの瞬間、私がきっと一番年配だったでしょう。50代初めだったのですがそんな人影は見かけなかった。。。写真にしておくのでした。朝起きてすぐ窓から外を撮りましたが確か5時台。 まだ人影はあまりなかった。

早朝。ホテルの窓から

深圳を観光で見て回りたかった。。。日本の秋葉原のモンスター版があると中国と日本を良く知るアメリカ人の同僚が話していました。”お前ならきっと楽しむ”と以前言っておりました。YOUTUBEなどで様子を見ることはできるのですが実際に接してみるのが私のやり方。体験をすることで理解する。物理学には理論物理と実験物理の手法ありとはるか以前聞いたことがありますが、私はがぜん実験物理ですね、もし物理学を専攻していたなら。

せっかく中国語を勉強しているのだから道を聞く程度の会話を超えてそんな中国版秋葉原で値段交渉とかしてみたい。私はひとたび交渉すると決めたらかなりタフで自分の言い値になるまで粘ります。中国人にだって負けない(かな?)。

仕事で行った中国の都市を上げると、北京、上海、天津、杭州、成都、そして深圳。 やはり上海が一番良いかな、仕事で行くのでしたら。都市として充実するには仕事だけでなく、生活(食事、エンタテイメントなど)も充実している必要がありますからね。そんな目で見ると東京、ロンドン、そしてニューヨークがやはり一つ突き抜けているでしょうが上海はどんどん近づいていますね。

台湾 Part1

台湾、ああ台湾。 日本を除くアジアの国、私は仕事も含め、韓国、中国、台湾、マレーシア、タイそしてつかの間のシンガポールに行ったことがありますが台湾は一番好きな国です。 なぜか?

ー親切。 とにかく台湾人は親切。

ー食事が美味しい

ー大切な友人がいる

台湾の人々はとにかく親切なんです。中国語を話しますが(当たり前か?)、大陸中国人と違いとてもソフトに聞こえます。これは大陸中国の友人が皆言うことですから真実なのでしょう。しかも台湾では大陸中国でのような殺人的なスケジュールを一度も経験しなかった。国が小さいからというよりこちらを気遣ってくれているのです。同時にやはりビジネス第一。この感覚はやはり鈍らない。

食事は美味しい。中華料理は出来てすぐ食べると特に美味いですね。台湾風中華(大陸中華)もありますが台湾料理が美味しい(当たり前ですが)。私がしたくてまだできていない台湾経験に台南にまで出かけて行って本場の台南料理を食べることがあります。我が家の近くに台南料理の店があります。オーナーシェフは台南出身なので本当に台南料理なのでしょうが本場はどんなものか知りたい。残念ながら出張で出かけると台湾は台北と新竹と決まっております。 新竹の方が多いです。台湾のサイエンスパークがありテクノロジー関連の本拠地です。TSMC, Mediatek, Phisonを始め世界的に知られる会社が軒を連ねています。サイエンスパークは税金の恩恵があるそうでこれらいずれも既に巨大企業なのですが本社を移さないですね。新竹は働く町ですから食事に期待するのも。。。なのですが、台湾にいた同僚(彼、彼女ら)、いつ行っても新しいレストランを探してあり皆で出かけました。彼ら自身食べることが好きなのです。私はアジア人(当たり前か)でアジアの食事ほとんど全部大丈夫。あの当時のUSAの同僚(いわゆるアメリカ人やインド人など)とアジアに行くと食事で困ることがありましたが一人で出かけるときはどこにでも行くことができ食事は楽しかった。色々と試すことができますからね。出張の楽しみは食事です。内臓料理などアジア人だけでないと中々行くことはできませんよ。また日本の新幹線を導入した高速鉄道に乗れば一時間もたたずに台北です。台北には台北101という高層ビルもありますが台北には美味しいレストランが沢山ありよく仕事後出かけました。お昼に飲茶したいと言ってあったら台北で顧客ミーティングを予定してくれたことがあります。台北に美味しい店があるのです。普段は本社のある新竹でミーティングしていたのです。どうも私がその店に行ってみたいと言ったことがありそれを実現するために図らってくれたのです。親切ですね。相手が台北のオフィス(私どものオフィスでなく相手の台北オフィスです)まで出てきてくれたわけです。日本でも中々こんなことはないですよ。顧客と一緒にその店に行って食べました。そうそう接待はというと”相手が”していました。わいろ?にならないようにこちらの接待ではなくいつも相手が支払ってくれていたのですよ。台湾の同僚にずっと後で聞いたのですが”自費”でした。つまり経費にしない。いずれ一度こちらが自費で接待したいと思っていましたが出張で台湾に行く機会はほぼなくなりました。またいずれ。。。

その台湾の元同僚二人(友人)とはもう10年以上の関係です。小さな国なのでわずか二人です。顧客数はとても多かったですが大きな3社をカバーすれば年次ゴールは達成できていたようです。セールスはコミッションですからその3社にPLUSしていくつか取れれば大きなボーナスになります。ある歳、運よくそれまで何度も訪問していた大きな会社が技術を採用してくれたのです。しかも台湾のアカウントではとても大きな商談になりました。当然ながら彼らのコミッションは跳ね上がります。同僚の一人はそのコミッションを元にメルセデスベンツのAクラスを購入しましたよ。一度空港まで迎えに来てくれたことがあるのですが、Aクラス、自慢ですね。その出張時、皆でお祝いもしました。料理はとても有名な北京ダックのお店で山の中腹にありました。5年越しの挑戦だったのですがあの年あの会社たまたままとまった予算があったのですね。そうするとAクラスが買えるほどのコミッションにもなるんですね。

ビールはあまり美味しくないが料理は美味しい。冷えていないビールに氷を入れたのは台湾だけ。。。”冷えていない”といったら氷を持ってきました。瓶を冷やすのかと思ったらグラスに入れるんだと身振りで説明していました。
全部食べた。2羽を4人で平らげた。ここは予約しておかないと入れない有名な店で山の中腹にも関わらずとても繁盛していました。

台湾では昔ながらの漢字を使っています。中国は簡易書体になっていて一瞬ではわからない文字にも出会いますが台湾は旧書体の漢字で日本人にはなじみやすい。ですから日本人は台湾発行の新聞を読むことができます。中国ではミーティングでてこずると中々抜け出れないこともありますが台湾では話がてこずったら白板に漢字で書いたりもしました。相手も漢字を書いてきます。”奥の手”なのですが緊張が解けたりすることもありました(親密感がでるからかな?)実際には顧客とのミーティングであまり言語に困ることはありませんが、街を一人で歩いていても大体のことがわかります、字を見れば。 でも、字を共有するのですが日本語の意味と中国語の意味が同じとは限らないので注意も必要です。とんだ誤解を招くこともありますからね。

親切といえば、China Airlines。ややこしいことにこれは台湾の航空会社です。Air Chinaは大陸中国。混乱します。台湾出張ではよく日本にも寄りました。事実最近の5年ほどは日本だけの出張は皆無になっていました。日本の実力が落ちて行っているのを肌で感じることができます。以前は日本だけで十分な日程を作れたのです。APACと言う言葉聞いたことがありますか?アジア、パシフィックの略で日本を除くアジア圏の国々を指すのです。大陸中国もその中に入ります。しかしながら今多くの会社ではAPAJとCをJに置き替え始めていると聞きます。JはJapanです。しかもAPAJの本社は日本ではなく大陸中国のことが多い。つまり今のGDPを反映しているのです。中国が圧倒的にGDPで日本より大きい現状、日本の組織は今や中国にあるAPAJの下位組織になっているということです。15年前には考えられなかったことなのですが私個人の出張スケージュールを見ても日本の地位は落ちて行っているのを感じます。

さて台湾から日本、日本から台湾のフライトはほとんどいつもChina Airlinesでした。私の航空券はエコノミークラスのはずなのですが、座席はいつもビジネスクラスになっていました。このAirline SkyTeams(Delta)系列です。私はUnited (Gold以上)、American (Sapphire)なのですがDeltaはこれまでにわずか一度乗っただけ。アップグレードしてもらえた理由が全くわからないのです。でも短いフライトですがビジネスクラスは快適ですからね。親切ですね。人違いをされているのかなと思いますが嬉しい限りでした。 

日本から台湾に行く便(China Airlines)で撮れた富士山

台湾の桃園空港も好きですよ。大陸中国と違い、セキュリティーは無いに等しい。人も多くない。。。飛行機を降りてチェックポイントを全部通過するのに早ければ15分で済んでしまいます。夜遅い便で到着するのでこれはとても嬉しかった。本当にあっという間です。”好きだ”と書いておいてなのですが、帰国の際、搭乗まで空港にいましたがとにかく”寒い”。冷房が効きすぎなのです。もっともこれは空港にかぎらずホテルのロビーも本当に寒かった。冬なら日本にもよるので長袖を持参しますが夏、半そでだけだった時があり、あまりに寒く空港内の店でジャケットを買ったこともあります。空港ではまず航空会社のラウンジで食事をするのですが(台湾ではEVAのラウンジ)、ラウンジ内もまるで冷蔵庫にいるように寒かった。 あれは冷蔵庫内の寒さだった。いらぬ買い物をしてしまうくらいに。。。台北には松山空港があります。小さな空港です。一度だけですがこの空港からJAL便で羽田に行ったことがあります。寒くなかったですよ。この出張は顧客を回るのではなく台湾の同僚に新製品をトレーニングするために行ったのでとても楽でした。つまり遊んだということです。台北にあるライブミュージックのバーに行ったり台北101の展望台に行ったり、台北の夜を始めて歩きました。夜遅くなりすぎて次の日の予定(トレーニング)を昼からにしたりと。。。台北にあるHOOTERSにも行きましたよ。知ってる人は知っていますね。

ひだの数で美味しいかどうかわかるんだそうですが。。。
食べてばかり。 台湾は食べるために行った。。。