ボストン

以前書きましたがBOSTONは私が一番最初に住んだ地域です。1989年のことですからもう30年以上も前。日本からは果てしなく遠く直行便も出ていないころ、松坂投手や野茂さんなど有名な選手もおらず、日本では外国史の授業でアメリカ独立戦争が勃発したところ、くらいにしか認識のないころです。それでもMITは知られており日本の大企業、日立などが従業員を留学させておりそんな企業留学生が現地在住日本人のほとんどを占めていました。日本領事館も無くNYCにある領事館の出先がBostonに有った程度。

そんなBostonですが私は今でもとても好きなのです。仮に引退後もUSAに住むとしたら、そして家族の制限がないとしたら私が住みたいのはホノルル、ボストン、NYC。シリコンバレーではないのです。ここは働くところですが生活をするにはつまらないところです。引退後は東京に住みたいですよ、東京は生活するのに一番楽しい都市です。東京に次いでLONDON。これは以前にも書いたかな?

BostonはMIT, ハーバードを筆頭に大学がとても多い。それもありテクノロジー関連の会社も多くあります。ニューインブランドは兵器産業も大きいのです。一度機会がありUnited Technologyと言う会社、兵器も作ってますがエレベータも作っています、に働ける機会を得ました。オファーを取りませんでしたがアパッチなどでしられた軍事ヘリコプターなどを造っています。Patiot ミサイルで知られた会社もニューイングランドを拠点としています。

そんな軍事以外にもコンピュータ、半導体、ソフトウエアの会社も多くRoute128沿いに沢山テクノロジー関連の会社が集まっています。私が勤めていた大きな会社が縮小しつつ買収される形で会社としては無くなった(倒産というより切り売りされていった)のですがその折同僚の多くがベンチャーを始めた。すでにカリフォルニアに来ていましたが当時まだ日本が重要な顧客であった時代、ボストンに戻って一緒に仕事をしようと何度か誘われたこともあります。ちょうど家族をもったころで自分の一存では決めることが出来なかったのですが独身でいたら戻っていたかもしれません。

チャイナタウンはありますがアジア人の数は多くありません。カリフォルニアは10人に一人はアジア系、ことシリコンバレー界隈ではその比率はもっと大きくなります。私が最初に住んだ町(片田舎)でアジア人を見たことがなくおそらく99.9%いわゆる白人だったと思います。そんなこともありアジア人には多少住みにくいかもしれませんが1992年頃だったとおもいますが小さな日本語の書店ができたりと

Bostonは楽しいところです。アメリカで歴史というとニューイングランドを外すことができません。赴任した当時Boston近郊のアメリカ史(ヨーロッパ人から見たアメリカ史ですが)の史跡を丹念に見て回りかなり勉強もしました。最初に戦闘があったというConcordにあるNorth Bridgeなども行きましたし、ポールリビアが馬で駆け抜けたというレキシントン界隈の道も見て回りました。レキシントンは小さな町ですがあの当時ダウンタウンに小さな中華レストランがあり良く食べに行きました。Bostonには小さいですが中華街があります(あの当時夜遅くアジア系の人が出歩くのは危険とされていた。理由は中華街のすぐ横にベトナム系のレストランが進出しておりいさかいが絶えなかったのです)。今でもBoston市内など大抵どこでも行くことができます(簡単な観光案内ができる)。Boston市内にはFreedom Trailという歩いてみて回るルートがあります。ガイドブックを片手に歩いてみると独立戦争時代の歴史を垣間見ることができます。もちろん足を延ばしてレキシントン界隈まででるともっと良いですが。歴史だけでなく以前にも触れましたがボストンシンフォニー、大学町、自然(ニューイングランドは紅葉がきれいで毎年カレンダーになります)、スキー場も近い。ボストンレッドソックスを始めプロスポーツもあり上司が大抵年間チケットを持っていたのでいくつかのゲームのチケットを分けてもらったり。ボストンセルティクス(バスケットボール)の試合では年間チケットを持った上司の席がゲームが良く見える席(普通では買えない)でそろそろ全盛期を終えたラリーバードの活躍を観戦することもできたのです。以降バスケットは好きなスポーツ(観戦する)になっています。

独立に多いにかかわった地ですから独立記念の催しはこちらシリコンバレーが花火程度なのと比較することもできないくらいに盛大です。ボストンを流れるチャールズリバー沿いでの催し、チャイコフスキーの1812を決まって演奏していましたが大砲には実際の大砲(空砲)を軍が放っておりました。

クリスマスと新年の時はBoston沢山教会がありますが日頃開いていない教会も内装を見ることができるようになっていました。雪が降りとても寒いのですが友人と出かけたものです。

ファインアート(美術館)には日本刀の展示があるのですが超一級のコレクションです。

宣伝するつもりはないですが遠い地ですがUSAに来る機会があればぜひ観光なりのコースに入れると良いのでは?と思います。

写真が沢山あるのですがあの当時まだデジカメが無い時代でフィルムに収めた写真しかないのです。何とか3枚スキャンしたのをタイトルに使いました。ニューイングランド風の家、いつかはこんな家を買うんだとあの時は思いました。写真、WEBサイトに沢山あります。ここに掲載したのは皆借り物です。

Freedom Trail Map
Boston Commons 。NYC同様、町の中心に大きな緑地があります。Boston Commonsに併設してPublic Gardenがあります。この界隈にはおしゃれなショッピングストリートもあり良く自転車ででかけていました。
ハーバード大学。ゲートを抜けると構内です。寄宿舎も構内にあります。ゲートは普通開いていて中に入れますが建物は学生証がないと入れないことが多い。サマースクールの学生証を持てばほとんどの施設に入れたと思います。夜間(Extension)スクールは制限があったはずです。シリコンバレーのStanford Universityはキャンパスの規模としては圧倒的に大きいと思いますが私はこの古いキャンパスが好きでした。後年UKのケンブリッジ大学に行く機会がありそのキャンパスの歴史に驚きましたがそれまではこのHarvardが私の知る一番古い大学です。
独立記念日はやはりここBOSTONがとても似合います。
川(チャールズリバー)が流れとてもきれいな街。でもこの川、冬は凍り付くのです。とても寒くなります。温暖化で少しは変わったかな?私は1989年から1994年まで住んでいました。

表題に使った写真は独立戦争の銃撃戦が始まったコンコードにあるノースブリッジ。この小さな橋の両端でミニットマンと大英帝国の部隊が最初に衝突した。