水を撒く
わが家の庭には薔薇の木、レモン、ザクロ、リンゴといった花と果物の木があります。また小さな菜園でネギを植えています。とても小さな裏庭ですがいまのカリフォルニアでは贅沢になっています。新しい家は我が家の半分くらいの土地に日本の都会のように2階建ての家を建てるのが普通になっているのです。土地がとても高いのです。我が家は築65年は経っている古い家でそのころこの辺りはまだ果樹園だらけだった場所。もう開発が終わってしまった場所でゆったりとしています。
さてこれら植物には水をあげる必要があります。雨が降らないカリフォルニア、自然の恵みでは果物や花々は育たないのですよ。水をあげないと枯れてしまうか全く実をつけないか、つけても(ザクロ)酸っぱくて美味しくないです。
そのみずやりについて。はるか以前こんな話を読みました。ある教会に牧師夫婦が赴任してきました。牧師の奥さんは庭に木を植え、それは大切に大切に育てました。時が過ぎ牧師夫婦が共に他界したその年、例年には見られない強い風がふいた日がありました。その突風の次の日の朝、教会を訪れた人はそこに牧師の奥さんが育てていたもう大木になっていた木が倒れているのを発見しました。大木が倒れていた理由は根が張っていなかったからなのです。牧師の奥さんは大切に育てたのですがいつも水を幹のそばに撒いていたため木が根を張り巡らして水を探しに行かなかったために根が育っていなく、もろかったのです。
もちろんこのお話は比喩のためのお話です。昔の言葉に”かわいい子には旅をさせよ”とありますがそれをこのお話は伝えているのです。手塩に育てたのは良いがそれがためにもろくなっていたのです。風雪に耐えるための根を張ることなくそだったので突風に耐えることができず倒れてしまった。
子供に水やりを任せていた時期があります。でもね、薔薇が全く咲かなくなったのです。おかしいな~と思いました。水をあげているか?と聞くとちゃんとしてると言います。でも全然花をつけないのですね。そこである時水やりを見てみました。水が足りない。。。植物の根に水が届かなくてはいけないのです。ちょっと水をあげても土が濡れるだけで根っこまで水は届きません。これでは薔薇は水を得ることができずしたがって花をつけません。水はあげるならたっぷりと挙げる必要があります。薔薇に限らず例えばネギの場合、たっぷりあげると何度も成長してネギを収穫することができます。ネギは土が濡れる程度ならいずれ枯れてしまいます。
ここで言っているのは物事例えば語学の勉強、収穫できるほどにまで続ける必要があります。私は合気道(一応有段者です)をしていましたが稽古を始めた当時、先生は”最初はできるだけ時間を作って沢山稽古に来なさい”とアドバイスを下さいました。水が根に届くがごとく途中で辞めないことなのですね。根が張り始めると少しペースを落としても進歩は続くのですがそれ以前に水やり(勉強、稽古、経験)を辞めてしまうと土を濡らすだけで終わり収穫にはなりません。私も飽きっぽくすぐやめることが多いのですが水を濡らすだけではその努力もったいない。ぜひ根に届くまで続けたいですね。
水やり、時期もあるのです。レモンを植えていますが2年前はとても沢山の実を付けましたが昨年はほとんど全滅。違いは?水です。カリフォルニアは冬が雨季で雨が降ります。夏場は全く降りません(したがって山火事が多い)。2年前の冬は良く雨がふりましたが昨年はあまり降らなかった。それだけの違いなのです。今年(今冬)もあまり降らなかったのですが私は冬場から定期的に水をまくようにしていました。そうしたら今レモンの木には緑の実が沢山できています。レモンは秋から冬にかけて黄色い実を沢山つけてくれそうで冬場にはまた美味しいレモネードが作れそうです。ザクロもあるのですが美味しい、甘い実をつけるには水をその時期に沢山あげることはとても重要です。実が出来てからでは遅いのは経験で知っています。
ここで言いたいのは時期です。人生頑張る時期というのがきっとあるはずです。それも一度や二度ではなく何回となくやってきます。以前書きましたが私の場合、高校2,3年の時、USAにきて最初の年、カリフォルニアに移ってベンチャー企業時代(倒産の危機が3度あった)、子供ができた当時、などなど沢山あります。その時期に頑張っておくと美味しい実(成功、幸せ)を得る可能性はぐっと増えると思いますよ、これも経験から。
でもね こらえられないようなことにも沢山出会います。それでも がんばれというのか? となりますが、私はよくそんなことを母に言っていました。母の返事はいつも、”お前の人生、やるも辞めるもお前次第。でも辞めて後で文句は言うな” でした。”文句”というのはそうですね、大人になるとやっかみでしょうか? ビリオネア、例えばビル ゲイツ氏たちに対するやっかみをよく聞きますが彼らの話を聞いてごらん。それは、それは努力して自分たちの全人生をかけて会社を興されたことがわかります。やっかむどころか、その成功に敬意を払う気持ちを持ちたいものです。しかも今その成功で得られたものを誰からの催促もなしにほとんど全て使って社会に貢献しようとその努力を今されている。アーノルドシュワルツェネッガーさんも今されているのは社会に貢献する努力です。成功されるためにあれほどの努力をされて、そして得たものを全部再び努力されて返していこうとされているのですから。私はこの2人の人にはいつか直接会ってみたい。
こらえられない事態になったらどうするのか? 私だけの経験でいうなら辞めることも一つの選択肢です。”転機がやってきたのかも”しれないからです。以前のブログで身近な人ではなく少し間を置ける信頼できる人を持つことを紹介しました。友人、家族、同僚、上司、恩師(学校の先生)は親身になってくれますが同時に自分のことについては”結局は他人”です(親は別ですが親は親の目がある)。身近な人は自分たちの目で”見ます(一番いい例が同僚と上司、それと顧客)。親身でずけずけとはしませんが結局は自分のことではないので”話をきく”だけになることが多いように思います。それでストレスの解消等にはなると思いますが、自分にとって”転機”が訪れたのか、そうだとしたらどうしたらいいのか、その相談相手がいると心強いですね。とくに自分と利害関係の全くない相談相手ですね。人はよほどのことがなければ”苦労して手伝ってはくれません”、というのもその人にも生活があるからです。学生時代とそこは大きく違うところですね。大人の利害関係というのは複雑なので学校を出で間もない若者はそれに戸惑い、驚きそして失望していくことも多いです。だから、というわけではないですが信頼できるが利害関係のない(つまり少し離れている)人を相談相手として持っていることはきっと人生を豊かにする手助けになると思います。
水を探しにいこう。
水を撒くなら根っこに届くまで十分に
水を撒く時期があることを知ろう。
そうそう、栄養分も折に触れて補給すること。大地がとても肥沃なら良いのですが今の日本、大地が疲弊しかかっています。爺世代(私ですね)がめちゃくちゃに使ってしまったこともありますが新しい栄養分が必要だと思います。さしずめ、これは新しい産業の創出とでもしておきますか? あとは外から補給。これって外から中に入ってくるのもありますが、”中から外”に私はもっと注目したいです。 先ほどの”水を探しにいこう”がそれですね。外にでて、そして”持ち帰る”のです。それが栄養分になるでしょう? それには、私のブログの根底をなす、”どんどん外に出て実際の経験を積んでほしい”というところに行きつきます。
最近は工場での栽培が盛んになっています。水栽培ですね。根っこに直接水、栄養を補給するのでとても効率は良いのです。食料工場としては効率は重要ですが、大木を育てる方法ではないですね。 大木を育てるのか食料を育てるのか、どちらが良い、悪いではなく、自分の人生をどちらに向けて豊にしていくのかも時には考えてみるとよいですね。
最後に本を読むと良いですよ。ブログでも、ビデオでも、Tweetでも、Facebookでもなく良書を沢山読むと自分に対するとても良い水撒きになります。
そうそう、その本について。これは以前日本で少し年上ですが私と同世代のお客さんと夜食事をしたときに出たはなしです。その方はある大企業の事業副本部長兼、開発部部長という地位の高い人物でした。ある時若手の部下に書籍を薦めたことがあるそうなのです。そしたら、その部下に”パワハラですか?”と返されたそうです。詳しいいきさつははかり知ることはできませんが書籍を推薦してそう返されたと非常に嘆いておられました。パワハラ。。。 爺たちですがそんなつもりで書籍の推薦とかをすることはありませんよ。それ以来その方は書籍の推薦等は一切やめてしまったそうです。とても残念がっておられましたがもうすぐ定年を迎えますし今更何か問題になりそうなことはしたくないようにおっしゃってました。残念ですね。
久しぶりにがちがちに硬い話になりました。昭和世代は非常にまじめなのですよ。で、ブログには写真を付けることを基本にしていますがこんながちがちに硬い話に何が合うのかな~と思いました。 タイトルに挙げた写真は中国は万里の長城です。北京郊外にある観光地に行ってきましたが これを作るのはまあ努力のたまものですね。そして、歩くのも努力がいる。とにかく階段だらけで現代人はひーひー言いながら歩いていましたがそこを守った衛士は武具を付けて走っていたのですね。