遊ぶこと

まじめなことばかり書いてきました。

学生時代にはこんなこと、あんなことをするとよいとか、投資は早めにやるんだよとか、時間には限りがあるんだとか。。。

はたまた友人も変わり、代わっていくんだといった人生の教訓のようなことも書きました。

全部私自身の社会人35年の経験から書いていますがこれまでのBLOGを自分で読み返してもなんだか肩ぐるしいなあ、脅しかな、、と思ったりします。

さて若い時の特権ってなんだと思いますか? 若さの特権は失敗できること、やり直しが効くこと。。。なんて思うのでしょうか?

若さ、わけても学生時代の若さの一番の特権は、責任がほとんど無いこと、親の庇護下にいること!ですよ。うんん、特権というか、学生時代を終えると無くなってしまう、人生でとても短い間にENJOYできることとでも言いましょうか。。。 しかも夏休みがある。

働くと休めません。休暇があるじゃないかと思いますか?2か月も休暇とって”心配”ないですか?終身教授権を持った大学教授でもない限り2か月も休暇を取れるのは限られると思います。自分がいない間に何が起こっているかわからないそんな世の中なのです。人生の大イベント(例えば結婚)などでは長く休めるでしょうが今の世の中、3週間が限度だと経験で思います。しかもこまめにEMAILは確認してしまうし。。。

学生の間に十分遊んでおくのも大切。

でも

遊びと時間の浪費は全く別物であることを念頭に置いて遊ぶ

今の時間浪費のトップはScreen Time,つまり携帯電話、コンピュータの画面をなんとなく見ている時間。以前ですとTVの時間。

遊びも計画、目的をもって遊ぶ。意識しないと時間だけがドンドン過ぎていきますよ。浪費している間の時間の進み、実はとても速いです。なんとなく夏休み終わっていたとしたら浪費しただけだ。

遊びながらでも色々できます。料理語学、新しい友人作り、新しい経験づくり、数学、投資、読書。。。

その遊びが自分の履歴書に反映されるようになると一番良いですね。

私たちエンジニアは働きながら遊んでもいます。良く知られるのはHONDAが鈴鹿で実施している(いた?)自動車コンテストがあります。はるか以前TVで見たことがありますがユニークなデザインが多く楽しめると同時にああ、こんな車がいつか出るのかな~などと思いました。翻り現在、Teslaをはじめとする新興勢力が自動車業界を席捲しつつあるのはどうしてだろうと?と思うことも多くなりました。ソフト関連ではFacebook等で定期的に催されるHackathonが知られていますね。私もチームに入って参加したことがありますが48時間程度の短い時間で何かを作り出す、アイデア程度になるのですが面白いイベントです。

私にとって、仕事を通じての一番の遊びはコンファレンスやトレードショウ出席です。別に発表するんじゃないです。出席すると新しいアイデアを学べますがかつての同僚、上司、部下と再会できる場でもあるんです。部下の中にはどんどん出世しているのも沢山います、例えばIBMの副社長にまでなっているのもいます。今はそんな彼からこちらが学ぶ番でもあります。彼の同僚などが一緒にいるような場合、”He was my boss.”などと紹介されるとこちらも照れてしまいますね。事実ですが私はエンジニアのキャリアを選択し彼はマネージメントを選択しただけなのですがね。もちろん今でも友人ですよ。

コンファレンスの楽しさは通常皆が行きたいところで開催されるのでそこそこにして観光することも多い。朝から夕方までずっと出席するようなまじめな人はあまりおりません。特に今は顧客訪問の出張がないR&Dに属するのでコンファレンスは私の大事な遊び、息抜きの場なのです。2021年はCOVID19が収斂してくれたらスペインとギリシャで開催されるコンファレンスに行く予定です。発表でなく出席。

小さなGroupの会合も息抜きの場になります。夕方に開催されることが多いですが面白い機会です。今はZOOMですがいずれまたどこかに集まるでしょう。大きな会社(Googleなど)が会場をよく使わせてくれています。

最近ZOOMで参加した場で今後の数学について話題になりました。 ご存じのように今AIがホットですね。このAIの時代、数学の要素も変わってくるだろうというのですね。線形代数はエンジニアリングの世界でとても重要だと以前書きました。線形代数だけで食っていけるくらいに。。。でも今AIがこれまで線形代数やカルマンフィルタの牙城だったような領域にどんどん進出しています。事実私が設計に携わっている分野、アルゴリズムのAIへの置き換えが進んでいるのです。それに伴い必要とするDSPも変わってきてます。そういったことを踏まえたうえでDSPを設計する必要があるのです。今は単に”お話”に過ぎないのかもしれないですが、あのZoomの後色々と調べ始めました。おとぎ話のような話でもこれから先を能々考えてみるとあながち現実になるんじゃないか?とね。

の時計収集もそんな遊びから始まった。今はとても少なくなりましたが以前はもっと沢山古いSEIKOなどをもっていました。きっかけはある機会に古い時計を買ったことです。確かヨーロッパで開催のトレードショウに出た時町をぶらぶらして見つけたものでした。名前すら知らないような時計でしたがとにかくきれいだったのです。その当時は良く知りませんでしたがきれいに修復して売られた時計はあまり価値がないそうで、オリジナルのままが良いんだとか。一つの時計を買ったことで色々とWEBサイトなどでも調べ果てはエンジニアですから分解までして機構をあれこれ調べるようにもなり今でも壊れた時計を暇なときに分解したりするようになったのです。しかも後ほど知りましたが腕時計を集めている人は意外なほどに多く話題作りにも役立つのです。私は話題作りでは出張で出かけた町、料理、歴史、合気道(意外と受けます)を主に使っていましたが腕時計も十分な話題作りになるので重宝するようにもなりました。できるだけ聞き役に徹しますが話題を持っていると役立つのです。教えてもらうほうが自分のためになるので聞き役になるほうが実はずっと良いのです。

料理も始めはともかく最近5,6年は元上司やお客さんの影響が大きいのです。料理は共通の話題となるし、男性、意外と料理をするものなのです。バーベキューは男性の特権?なのかもしれませんがバーベキューから始まりあれこれ料理するようになるようです。私は仕事で疲れたら手の込んだ料理を週末作りたくなります。時間をかけて作ることで息抜きになるのです。特に何か新しい料理を教えてもらったら週末にはまず試してみます。朝から買い物に行って昼頃から作り始めますが楽しい息抜きです。

私にとって一番の遊びは出張と書きました。これまでいくつか行った都市、国をBLOGにしていますが(これからも増やしていきます)飛行機に乗るというその行為自体が好きなのです。好きな航空会社、空港、飛行機(機体)、座席など際限なく話すことができます。乗ってみたい機体、航空会社、行ってみたい空港も数知れず。行きたい都市、国もありますが誰かにXXX空港でのことを聞いたら次回の出張は無理してでもその空港経由にしようと考えたりします。友人の中には上海に行くのにわざわざ香港経由にしたものもいます。料金はさほど変わりません。会社は料金が+200ドル程度であれば好みの路線を使うことを認める傾向にあります。トラベル時間が乗り換えを含め10時間以上も多いのです。香港の空港にある航空会社のラウンジを経験したい!というそれだけの理由で香港経由。彼も出張を遊びのようにしていますから。。。2時間ラウンジで過ごすための無理。遊びでなければできないですね。

なお以前ベンチャー企業で働いていたころ、予算に限りがあるのですが、不便なルートは直行便よりずっと料金が安いことが多いのでそちらを使っていました。乗り換えだらけになり、8時間や9時間余分に時間がかかるような便を使うことも多かった。そういった経験も多く、“経由”した空港の数がとても多く行ったことがある空港は100程度にはなります。経由空港、乗り換えに時間があれば空港内をせっせと散策するのも好きな時間でした。

遊びも

完全な休養:ゴルフ、ハイキング、スキューバダイビング、観光、食べ歩きなど仕事、勉強を離れて過ごす

遊びな仕事:ここで書いたような出来事

いずれにしても”なんとなく”時間が過ぎているのではないところが共通点。

 

写真は以前に書いたスイスはチューリッヒ。 ずっと行きたかった地だと書きましたがメインの出張時にほとんど意味が無いようなスケジュールを作って寄りました。2時間のミーティングだけ。残りは町の散策。帰国の便も次の日の夜にして(無理がある便)都合ほとんど2日分の時間を捻出しました。

サンフランシスコ

シリコンバレーに住んでいてサンフランシスコに出張?と思うかもしれないですね。この辺り全体をシリコンバレーと言いますがサンフランシスコをCity(Cityというとサンフランシスコを暗にさします)と分けることもあるし

ーペニンシュラ:大体FacebookのあるMenlo Parkより北でサンフランシスコ直前くらいまで、

ーシリコンバレー:Menlo Park、Palo AltoからSan Jose辺り

とより細かく分けたりもします。ちなみにカリフォルニアでBay Areaと言うと暗にサンフランシスコ近辺を指すことも多くLA辺りでも”どこから来た?”と聞かれたらBay Areaと言えば通じることもあります。

Cityは特別に扱うこともあるようにCityに出張することもあります。

ー顧客訪問

ーセミナー、コンファレンス。

コンファレンスが多数を占めます。半導体関連のエンジニアに知られたISSCCという学会は例年サンフランシスコで開催されます。Appleのイベントもよくサンフランシスコで開催されます。

シリコンバレーからサンフランシスコは朝夕を除けば1時間もかかりません。電車もありますが不便。電車でISSCCに出たことがありますが乗り換えと便数が少ないので不便。UBERもありますが結構高い。近くで乗る分には良いんですが遠出をするとあっという間に100㌦以上になり割高。というわけでやはり車での移動になります。

観光地で私が移ってきた90年代前半頃はとてもきれいな街でしたがこの10年で町がなんとなく変わってしまったように思います。

それでも主にソフトウエア関連の企業(SalesForceまど)やUBERがオフィスを持ち若い人口も多いです。シリコンバレーは圧倒的に男性密度が高いですが大都市は男女比が逆転するので華やかです。NYCは男女比が女性6割と言います。SFはどれくらいなのかわかりませんがシリコンバレーからCityダウンタウンに行くと人が違うと今でも思います。そんなこともあり私の若い同僚たちは多く住んでいます。家賃がほぼ暴騰したので結果として沢山のホームレスを生んでしまいましたがサンフランシスコも大都市の問題を抱えるようになりました。サンフランシスコ人口的には日本の中規模程度な都市なのですがサンフランシスコ国際空港はサンフランシスコの所有になりやはり北カリフォルニアを代表する”City”なのですね。

住んでいると観光になりませんが一番近い休暇を過ごすところにもなりよくホテル滞在もします。若いころは映画のシーンで使われた街角を丹念に見て回ったこともありますが古い映画のシーンだと今はずいぶんかわっています。若い人は観たことが無いと思いますがスティーブ マックイーンのブリット、車の追跡シーンがあるのですがそのロケとなった坂道を実際自分で運転すると”よくこんな坂道をあんなスピードで走ったな。。。”と感心します。 ハンフリー ボガードの名作、マルタの鷹の舞台にも使われたサンフランシスコの丘の上にあるフェアモントホテル(今はインターコンチネンタルホテルの所有)に宿泊したこともあります。

ソフトウエア会社が多くサンフランシスコにオフィスを構えるようになり良く出かけるようになりました。

ハードをやってきたエンジニア(マーケティング)がソフトウエアの会社に出張?

Steve Jobsだったかな、出なければ誰か彼にとても近かったAppleのエンジニアだと思いますが、

いずれソフトウエアエンジニアが自分たちの欲しい(理想)のハードを設計するようになる  と。

今、正にそれが現実になっておりMicrosoft, Google, Facebook, Amazon, (Apple), を始めとするソフトウエアの会社が自分たちでハードをシリコンのレベルから開発をしています。これらの会社にとどまらずUBERなども自前でハードを設計中です。私のようなハードウエアをずっとやってきたエンジニアの多くは今これらを含むソフトウエアの会社で仕事に就いているのです。

写真はSFのスナップショット。遠くに見えるタワーはコイトタワー。登ったことがありますが湾を含めSFダウンタウン全貌が見渡せます。

ゴールデンゲートブリッジを渡り対岸にあるサウサリートの町からサンフランシスコを臨みます。町は急斜面な丘になっているのが見て取れます。

サンフランシスコは寒暖の差がとても少なく夏でも軽い長そでがちょうど良い。冬は厚手のジャケットを着るまでもない程度なのです。景色はとても良いまちで且つLAと比較すると小さな町。ケーブルカーと電車でほとんど移動できるのも良いところです。

失敗 ファイナンス編

資産づくりは大切だ、投資は大切だと何度も過去に書いています。これだけ何度も書いているのは私は何度も失敗をした、いや無知で居た期間が長すぎたことの反省です。

資産づくり、まず

ー無知はだめ。しっかり資産形成について学ぶこと。以前書籍を紹介しましたが後ほどいくつか再度掲載しておきます。

ー実践をする。この際、人から聞いたことをそのままうのみにしない。人に任せないで自分でも一所懸命考え、調べること。投資はすべて自己責任。損をしてもだれも補填も責任も取ってくれません。

時間を有効に使う。資産づくりほど時間を有効に使えることはありません。逆に言うなら早く始めることです。学生のころから始めるのが理想。

ー税金についても良く知ること。働いてまず驚くのが税金です。アルバイトだと基本稼いだものが全部自分の使えるものになりますが実際に働くと一部だけが自分の手元に届きます。日本語で”手取り”と言う部分ですね。税に詳しくなるのも重要なのです。

さて、では私の失敗もしくは無知だった出来事を取り上げていきます。

まずは、いわゆるストックオプション(スタートアップ)、ストックボーナス(入社時や毎年の人事考査の一環として会社がくれる株式アワード)について全く知らなかった。最初に働いた会社には無かったからなのですし、日本ではこの恩恵を受けるのは取締役まで位だった(過去の話ですが)ので広く知られてもいなかった。

90年代初頭Intel社のポジションをオファーされました。勤務地は当初オレゴンと聞いていたのにアリゾナ州チャンドラー市だった。アリゾナか。。。とオファーを取らなかったのですが後年友人と話していてそんな話題になった時彼が私が受けたオファーを“試算”してみると、その時までオファーされたIntelの株を持っていたとするなら東京、ハワイ、カリフォルニアに家を構えてそれでも悠遊自適な生活になるだけの資産となっている。。。あの当時ですからもう15年も前です。

Intelだけでなくその後Qualcommでも同じようなことがありましたがSan Diegoにいくのもなあ~とこれも止めたのですがこちらはQualcommの急成長からしてもっとすごいことになっています、オファーを受けた当時Qualcommはあまり知られた会社ではなかったのです。こちらも同じ友人が試算した結果を聞いたとき正直驚きました。QualcommがStart Upに近いころだったのですからね。

ストックオプションが良く知られるようになるのはいわゆるドットコムバブル(90年代後半から2000年初頭)。私の経験はそれ以前のことで周りでもあまり話題になってはいなかったのですが知っている人は知っていたのですね。

IntelやQualcommのオファーを取らなかったのが失敗ではないのです。無知で居たことが失敗なのです。資産づくりも勉強は大切です。しかも学校では習いませんから自分で勉強するしかないのです。私は学生のころにしっかりと資産形成については学んでおくことは必要だと思っています。

次なる失敗は人任せ。

401K (いわゆる財形貯蓄のようなものと思ってよい)をしていましたが会社を辞めるにあたり401KからIRA(401Kは会社がオファーする。そのまま置いてもいいのですがIRAと言ってリタイアメントアカウントに移すこともあります)、そのIRAに移しました。IRAの方が自由度があると説明を受けたからですが良く調べもしないで移した結果、そのファンドを扱っていたマネージャがドットコムの会社への出資を増やしていたためにドットコムがはじけた時、90%もダウン、これはほとんど全部失うに等しいのです。例えば年率6%で5年ほど増えていたとして複利計算で1.34倍になりますが90%ダウンというのは0.13倍です。元に戻るのに年率6%だと7倍以上になる必要がありますから私が生きている間には不可能。ドットコムがはじけて資産を失った人のほとんどが未だに復帰できていないのはこういったところにあります。

その後沢山本を読み色々と実践をし、年齢とともに安定だが成長率の少ないファンド、成長の見込めるがリスクもあるファンド、不動産、その他リスクを分散するようにしています。

アドバイスは受けますが常に自分で考え検証する癖をつけたのはあの失敗があるお陰ですが若いころに蓄えた資産を一気に失ったのは今でもあるトラウマのようになっています。当時まだ独身で良かったと思います。

次はキャリアとも関わりますが転職の数が、若いころにどちらかと言うと少なかった、というUSA(シリコンバレー)での事情。

以前も書いたのですが

ー昇給、昇格のための転職

ー昇給、昇格のためのキャリア変更

は極当たり前なのです。上司たちにも”お前は一つのところに長くいすぎた”と言われたことが数度あります。会社の昇給はシリコンバレーと言えども年率2~5%。昇進すると良いですが以前にも書きましたがマネージメントを外から連れてくることも多いので長くいれば昇進するというわけでもない。日本を良く知る上司に日本とUSAの違いとしてこの辺り教えてもらいましたが若かったのですね、あまり考えなかった。

もっとも後半戦は年期も入ったので考えましたからDirector(日本で言うところの部長級)のポジションにも就きましたがかつて一緒に仕事をした同僚の多くはシニアバイスプレジデントだ、CEOだと会社を渡り歩きつつキャリアを積んでいます。今の上司も私以外の若い部下にはキャリアなどは自分のこと、できるだけ手助けはするが実行するのは自分次第であると言っております。社内で良いポジションが有ったら、社外に良いポジションが有ったら移っていくのは自分自身の判断だということです。

なおキャリア等は忙しい時こそ考えるのです。なぜか? 忙しい時は得てして景気が良いのです。景気が良い時ほど人材を多く求めます、会社も大きくなるので新しいポジションもできます。景気が悪くなって慌てて勉強しても遅いですから忙しいときこそなのです。

もっとも今はかなり楽しい会社で楽しい仕事(エンジニアリング)に就けてしかも十分満足な収入にもなっているのでこれが最後の会社勤めだと思いますが終わりよければ全てよしとも言えます。

ここまでの話なら聞いたことがあるかもしれないですね。

最後は借金の仕方を知ったのが遅かった。。。

借金?ローン? 私は物を購入するのにローンは組みません。以前日本のお店でぶらぶら見ていると店員が若いお客に私から見てもとても購入できそうにないような嗜好品を”ローンが組めるから”としきりに勧めておりました。嗜好品、自動車などはローンを組んで購入するのは基本良くないです。ローンを組んで休暇に必要な費用を捻出するのも考え物です。

ローンを組んで購入して良いのでは”家”だけだと言います。もっとも自分が住む家以外は投資になるので経験と勉強を十分するまで手を出さないことです。

こんなカッコいいことを言ってますが若いころ、やはり自動車をローンで購入しましたよ。しかもかなり高級車。こんな借金はしないことです。今は、そんな若いころの自動車には乗っていません。ローンを組まずに買えるでも十分満足できる自動車、探せばあるです(もっともそれでも若いころ乗っていた車より良い車になりますよ、収入が増えていますから)。

借金は資産を増やすためだけにする、 とある本で読みました。そして、その”資産”にごまかされないようにしたい。腕時計など高級嗜好品を今盛んに”資産価値”などと書いたり投資としての対象のように書いてありますが”資産価値”というのはほぼ間違いなくセールスのための常套句です。資産とは何なのか、じっくり勉強するべきです。言葉に惑わされないことが重要です。昨今ロレックスの腕時計がとても値上がりしてます(2次市場で)。だから購入すれば上がるのか?店の売値は上がりますが利ザヤを得るには店の買値(下取り価格)は売値以下である必要があります。つまり店はその時の市場価格で買い取ることはないわけです。利ザヤは大きいです。でなければ儲かりません。買取価格保証と書いてある広告も見かけます。細かい事項を見るとそれは”買ったけど、つかっちゃだめよ”ということですね。現金は店側に移るわけでその現金を使って商売を広げていけるわけです。その間、買った当人はそれを使いもせずに金庫に入れて大切にそのお店のために保管してあげているわけです。買取保障価格は買値(程度)ですから店側にすると集めた現金で商売を増やし将来安く仕入れる(売り手から)道筋をつけておくということなのですね。使ってしまったらもう買値は保証されないはずです(下取り鑑定でいくらでもあらを探せますから)。そうでなければ店側は利益がでない。

資産になるようなものは限られるのです。

セールス、私は長く一緒に働いたので色々と経験や教えも受けていますがとにかく何事も

ー良く考える

ー勉強する

ー他人任せにしない。

ー経験も積む

 これはなんども書いてますがそれだけ私は一杯失敗を繰り返してきたということです。

しかも同じ失敗を繰り返す。これが一番良くない。これが一番良くない失敗ですね。同じ過ちを繰り返す。 

WEBサイトを参照するならくれぐれも書いておられる方の素性を知ってからにすることです。BLOGはほとんどCUT&PASTEで書かれている(ほとんどのBLOGはジャンルを問わず、素人が書いていると私は思っています)。YOUTUBEなども偏った意見が多いですから参考にはするが”検証”を自分で行う癖をつける。 実際エンジニアリングの世界では設計と検証は別々に行います。設計と検証を同じエンジニア、同じ部署で実施するのはエンジニアリングの世界ではあってはならないこと。大学発のベンチャー企業はここで良く失敗するようです。設計者が簡単に動作を確認したら即出荷。出荷先で5分もたたずして不具合発生。。。というのはごく普通です。設計と検証を分ける。しかも今の世の中、複雑な設計の場合検証は設計の3~5倍も労力(時間など)がかかります。同じことが投資などでも言えると経験で分かりました。人の話をそのまま鵜呑みにすると後悔します。

トロント、オタワ

カナダは良く出かける隣国。カナダ人とアメリカ人が全く別物と言ってよいくらい違う。私にはカナダ人のほうがずっと合っていますがカナダはハイテクの仕事が少なかったこともありUSAで働いているカナダ人も多いです。そんな彼らも友人、元同僚として沢山います。またカナダは移民、しかもどちらかと言うとUSAから見て敵国になるイランなどからの移民も多く私が知るイラン系のエンジニア(友人など)は皆カナダ市民です。元上司など最初はモントリオールでタクシーの運転手をしながら大学に通ったとか。イラン革命のころ出国した友人で話を聞くと彼の友達があるとき何人か居なくなった。。。(連れて行かれたわけですね)、危険を感じてほとんど亡命に近い形でカナダに来た。なんか生々しい話ですが20年以上付き合いがあるベトナム人の元部下はベトナム戦争時捕虜になり脱獄して命がけでUSAに一人で逃げてきたとかで指にそのあとをみることもあり生々しい経験ある同世代が沢山います。わたしなど彼らと比べると生ぬるいですな。

そんなカナダですがこの10年ほどハイテクも急激に伸びています。20年ほど前ラスベガスでカナダ政府がBoothを出して盛んにエンジニアをスカウトしていました。経験ありUSAの永住権があるなら即カナダの永住権を出すとか言っておりました。が、この4年はUSAの大統領があまりにひどいので若者がカナダに逃げる(USAに幻滅)傾向もあり今はこんなことはないはずです。もっとも2020年の選挙結果で変わるでしょうか?

ハイテクを引っ張っているのはバンクーバートロントです。私のカナダ出張はバンクーバー、トロント、オタワ(オタワは頻度少ないですが)の3都市が主。わずかに一度だけモントリオールにも行きましたが明らかにハイテクをリードしているのはトロントとバンクーバーです。

カナダで知られている(いた)有名な会社を上げるとRIM(BlackBerryってご存じですか?)、そしてATI(AMDに買収された)。RIMのBlackberryはIPHONEが出るまで市場を席捲した携帯電話です。映画にもたびたび登場しました。RIMのR&Dは大学町でしられたWaterlooにありますがトロント近郊です。

ATIはゲーマーなら知っていると思いますがnVidiaと争ったグラフィックス関連のチップを製造していました。今も例えばSONYのPS4などでその技術は使われています。ATIもトロント郊外にR&Dがあります。

昨今AIがとくにCNN(Convolutional Neural Network)がハイテク世界を席巻していますがトロントはAIの世界でも世界をリードしています。

実際私が訪れた顧客はAI関連のベンチャー企業ばかりで皆トロントとオタワにR&Dを構えていました。

オタワは首都ですね。BOSTONにいたころオタワ郊外にCANATAという町があるのですがそこに製造工場があった関係で何度か出かけていきました。国会議事堂があり見学をしましたが英語を話す人には英語で、フランス語を話す人にはフランス語で、しかもどちらの言葉で挨拶するか100%確実に区分けしていた案内の女性に驚きました。彼女曰く口元を見ると分かるんだそうです。フランス語を日常話す人と英語を日常話す人の口元が微妙に異なるんだとか。

オタワには運河(人工)がありますが真冬は凍り付きます。凍った運河はアイススケートできるので住人がスケートしている姿も見かけました。冬が長く冬は雪、雪、雪で出張で出かける私にはあまり嬉しくなかったです。

トロントは以前のBLOGでも写真を使いましたが五大湖に面した都市で対岸がUSA。五大湖はUSAがまだ奴隷制度をもった州があった時代逃走した奴隷たちがカナダに逃れるのにもつかわれました。イギリスはずっと以前に奴隷制度を辞めていたのでカナダも既に奴隷制度はなかったのですね。この辺りの事情、日本語訳で’アンクルトムの小屋”として出ているストウ夫人の著を読むと生々しく出てきます。実はとても分量のある著で日本語訳が全部カバーしているか存じませんが読むと当時のことが少しわかります。マサチューセッツ州などに多くいたクエーカーの人たちが命がけで逃亡を手助けしたことも良く描写されています。

そんなトロントですが五大湖の対岸はデトロイトなど自動車産業の地ですからトロント近郊にも大きな自動車産業もあります。またカナダでは製薬業も盛ん。同じ薬がカナダだとずっと安く買えるといいうことで時折問題にもなります(USAの医療が高すぎるだけです)。

カナダの英語はというと発音などはUSAの英語と私の耳には同じに聞こえます。UK、オーストラリアなどは聞けばどの”お国”かわかりますがカナダは私には無理。

ですが表現、単語はUK,USAがミックスしているでしょうか? 例えば

ー Exit: Way Out

ー Elevator:  Lift

ー Bathroom: Washroom

エレベータの階ですがややこしいですね。色んなパターンがありますが

ーGから始まり、G, 2.と続くか、G, 1となるか。

因みにイスラエルに行くと

0が地上階で1が2階。

中国ではー1なんていうのも見かけました。地下一階ですがでは地上一階はというと1だった。つまり0を飛ばしていた。

分かりにくいのでうっかりすると間違えます。イスラエルで慌てていて間違えたボタンをおして(1を押した)出たら2階で慌てて戻ったことも何度かあります。

写真はトロントCIタワーから見下ろしたトロント。巨大な大都会です。

ここはMLB トロントBlue Jaysの本拠地。CIタワーのところに球場があります。大きな駅もありアクセスは便利が良いのです。

失敗 仕事編 2

人生、仕事どちらも失敗続きだったと先のBLOGで書きました。これはその続き。

これまでスタートアップと呼ばれることもあるベンチャー企業3社で働いた経験があります。36年近い仕事経歴中実は22年はベンチャー、つまりベンチャーの経験の方がずっと多いのです。大会社も今の会社を入れて5社。その一社は日本の大会社のUS法人、別の一社はUSの大会社の日本法人なので日系企業の日本での就労以外のパターンは全部経験済みとなります。

以前のBLOGで仲間について何度か取り上げています。

また友人と仲間は違う何度も何度も書いています。それと人をみる目は大事だと。。。

なぜにここまでまあ、爺のしつこさからか、繰り返しているのかと言いますと、私の失敗の根源はそこにつながるからです。

日系の会社に3年おりましたがいわゆるバーンアウト症候となりました。現地採用の日本人で且つ中間責任者。現地のボスは本社の管理職と常にぶつかっており(彼自身にとても野望があった)その狭間にいたことも理由の一つですが出来ないようなプロジェクトをどんどん取り上げる(双方)にあきれ返ったというのも大きな理由です。ちょうどドットコムの時期でエンジニアが”鞍替え”よろしくソフトウエアエンジニアになっていった時期でもあります。

そんな時代の潮流に乗れなかった(乗らなかった)私は旧態(?)したシリコンに引き続き従事していましたが、結果としてドットコムの終焉に巻き込まれることはなかったのですが、日本でのバブル時の”イケイケ”ムードもドットコムの”イケイケ”ムードも地肌で経験できなかった(楽しい瞬間はあったはずですからね)。ドットコムのころ働いていた会社では隣のビルがドットコム企業でしたが毎週月曜になると駐車場の車の数が増えていました。あまりに増えてとうとう止めるスペースがなくなり遅くいくと道に駐車するしかない始末。それがある月曜の朝、ほとんど車が停まっていない。。。IPOしたとかで引っ越していったのです。確か自社ビルを買ったと聞きました。時代に乗るんですね。。。

時代に乗れなかったのが私の失敗ではありません。

失敗は ひとを見る目がなかった ことです。 

最初の失敗はその日系の会社を辞めるにあたり、色々な会社を探すことなく、元同僚たちが始めたベンチャー企業に参加しました。エンジニアとしてはもちろん一緒に働いていたので実力を知っていましたが、皆エンジニアだった。。。エンジニアリングマネージャをやってきたメンバーもいましたが基本、エンジニア。そんな彼らがドットコム時代にあふれかえっていた資金のおこぼれ(ハードウエア関連のベンチャーだったので)程度の資金、とはいっても日本円で50億程度にもなります、を得て設立した会社です。ビジネスモデル、マネージメント(ファウンダーである友人たち以外のマネージメント)、働いているエンジニア(素性とでもいうのでしょうか?)をまともに面接しなかった。面接について書いていますがスタートアップ企業はお互いが面接しあう、会社を能々面接する必要があるのです。友人が始めたから、というのが一番いけない判断基準です。友人は友人。友人とお金の貸し借りを決してしてはいけないように友人を信じ切って事業に参加するなど、自分に関わることを決めないことは非常に重要です。友人と仲間は別物。友人とは週末などを一緒にすごすなり夕方一緒に食事をする、そんな関係で一緒に働くかどうかは自分自身でじっくり検討する必要があります。

それを怠った。 まさに怠慢です。入ってみるとどうもマネージメントの言っていることが良くわからない、ビジネスモデルです。すでに大きな会社でビジネスに直接関わった経験があるので彼らの話すことを経験と照らし合わせると納得ができなかった。なんどか友人たちと話しましたがまるでドットコムを錯覚させるような甘い試算が出てくる。しかもエンジニアたちはどうみても普通。以前いたBOSTONの会社のように”すごいなあ”というエンジニアが居ない。

そんなことを元上司(皆同じ会社にいた)と昼食をしたときに詳しくは話しませんがしたところ、これまた元同僚たちの居る会社を教えてくれました。そうそうたるメンバー(でも直接は一緒に仕事をしていない)が働いていることを知り早速コンタクトを取ってみました。

わずか6か月で会社を変わったのはここが最初で最後ですが運よく働けるチャンスを得たので移りました。この際、マネージメントとは3度も会ってビジネスプランなどかなり聞いた。

それでも、実際に会社が成功するには18年もかかりました。倒産はしなかったですが3度そんな危機があり人員カット、給与カットがあり18年たっても給与が結局据え置きだったと同じようでした。給与って、昇給は高々数%なのです。でもカットは20%、30%と言うのはごく普通です。仮に年率5%で10年だと1.63倍になりますが、30%そこでカットすると1.14倍。10年たって14%上がるだけになります。これは年率わずか1%程度です。

もっともこの会社最後は買収されたので古くから働いていた従業員はストックオプションで賄われましたよ(私もそんな一人)。ただし、18年近くも一つの会社で働いたのが正解だったかというと沢山のチャンスを失ったのでそうでもないのです。シリコンバレーでは一つの会社に長くいることがその後の経歴、経験、人脈そして収入にプラスかというとマイナス要因の方が多いのです。

 

その後長く働いた元上司の誘い(というかほとんどお願い)で会社を辞めて彼がボードメンバー(取り締まり役)兼副社長をしている小さな会社(チェコにR&Dを持つドイツの小さな会社)にコンサルタントとして仕事につきました。安定した職を持ってはいたのですがさすがにそろそろ変化をつけたいと思っていたころだったのです。ちょうど同じころ友人が皆さんに人気あるかじったリンゴのマークで知られた会社にぴったりなエンジニアのポジションがあると言うので彼のはからいで面接も受けていました。とても過酷な面接でしたがなんとか突破してオファーをもらった。普通ならこちらを取ります。家人もこちらを取ってほしがっていましたが”義理立て”で元上司の誘いを受けました。彼が副社長をしているのだから。。。と。

でもこれは大失敗。BLOGにも書いてますがスタートアップ企業に入るときは会社を十分に面接する必要があるのですが再び何もしなかった。”元上司”というだけで信用した。。。 ”技術は優秀、製品ももうすぐ出る”なんて、ビジネスをやってきた人にエンジニアの力量などを本当に評価できるのか?というとやはり弱い。。。そこを私は誤った。エンジニアたちは遠くにいたのですが一度会ってエンジニアをこちらが面接しておくのでした。そうすれば彼らがほとんど全員いまだ学生もしくは学校を出たばかりだったことやマネージャが全く畑違いの分野から来ていたことがすぐ分かったはずなのです。スタートアップはこちらが会社を面接するくらいの態度で挑め、といったBLOGを書いたのはこの痛い経験が念頭にあります。特に安定したポジションに就いていたので早急に次を決める必要も無かったのですから。

働き始めてわかったのが技術はごく普通、製品は大学生の作ったプロトタイプの品質でとてもじゃないが売り物にはならない、働いているエンジニアもごく普通。入って2か月後にはもう仕事探しを水面下で始めてしまいました。給与をもらっているので仕事、しかも出張だらけな仕事で中々うまく探すことができない状況でした。

自分で確かめることを怠るとこんなことになるんだ、とこんな年齢になってつくづく思いました。

そう、自分で確かめることが絶対必要です。投資、不動産は絶対他人任せにするなと言いますが仕事も同じです。自分で確かめること。

今回は終わりよければすべてよし、とシェークスピアではありませんが今はとても良いポジションで働けていますがこんなことは本当にまれだろうと思います。

とこんな失敗を繰り返していますから

ー仲間

ーひとを見る目

ー他人任せにしない

などいわば教訓めいたBLOGをいくつも書いています。

仕事を外れた人生の失敗というともっと数えられないくらいあります。それは次回に。

 

写真はレイクタホにスキーに行って。こんな雪が軒先から落ちてきたら危ないです。落ちる前に雪下ろしですね。

日系のレストランで描いてもらいました。何度も失敗して上手くなったのでしょうね。聞くところによると日本ではもう3Dにもしてくれるとか。

学生の間

私の書いているBLOGはどちらかというと若い社会人を念頭にしている。若い日本人と話をする機会もありますが仕事がらみが主ですから私が接する若い人は大学生ということはほとんどないのです。それでも時折学会やトレードショーなどに出席している学生に私の発表後やブースで学生にも質問を受けますが数は少ないです。

BLOGを読んでいただくとそれでも時折学生に充てたような内容もあります。学位だとか、勉強といった項目です。

そこでこのBLOGでは私が経験から思う、学生の間にやっておくと良いんじゃないかということを箇条書きにしてみたい。独りがってな意見ですが少なくとも35年間社会人として生きてきたという自負はあります。参考になると幸いです。

1.学位をえる。大学は卒業するだけではないです。学位を学位にふさわしい勉強、研究をして得る。幾度か書いていますがエンジニアリングであれば博士を目指してほしい。博士は学位として世界で通用します。名刺に自慢げに書ける学位はPh.D, Drだけです。卒業と学位は違うのです。単位を取得して卒業するだけなのは私たち昭和の時代で終わり。 

2.専攻分野問わず、ぜひとも数学をじっくり勉強してください。数学はきっと役立ちます。線形代数、確率、統計理論、三角関数など。学問に価値をつけるつもりはありませんが数学は第一級の価値があるとこれは経験でよくわかりました。これは理系に限らず経済、経営いや法律を専攻するにしても数学力はきっと生涯役立ます。

エンジニアリングでもそれ以外でも語学(英語と中国語)、それと歴史(年号などではないです)も価値あるとおもいます。

3.日本人以外の友人を10人作る。ゴールは10人、すべて異なる国籍。その中には必ず中国人、韓国人、台湾人などアジア近隣の国の人を入れる。欧米だけに偏らない。インド、アフリカ、南米、中東、などにも友人がいるともっと良いです。バーチャル、オンラインの友人ではなく実際に会うことが重要です。

4.お金を貯め始める。アルバイトなどでお金を得たら、例えどんなに少額でもいいです、全部使わないで貯める、投資する癖を作る。お金について学生時代にしっかり学び実践練習しておくことはとても重要です。

5.良書を沢山よみ教養を付ける。教養はきっと役立ちます。特に歴史。歴史は立場、見方が変わると全然違ったものになります。ということは色んな角度から考察する必要があるのです。その考察する過程で”歴史から学んだ”の言葉の通り事象をどのように考察するのかという実力をつけることができます。だから歴史を学ぶのはとても有意義なのです。また偉人の伝記も最近はあまり読まなくなっていますが知識人と言われる人と話をすると皆さん沢山よみ研究されていますよ。

6. 料理。 そう料理です。私が大学に入学した年、最初のオリエンテーションで当時の工学部長が”これからの世の中、世界に出ていくには社交ダンスくらいマスターしなさい”とおっしゃった。私は社交ダンスはできませんが今私が工学部長の立場で学生に語るなら”料理しなさい”とアドバイスします。料理ほど人をひきつけるものはないです。

作る側もですが食べる側でも料理についての経験と知識はきっと役立つと思います。

7 海外。日本のパスポートは世界で一番使えるパスポートだと知っていますか? 観光で出るだけではなく、学生ですから例えば大学院課程に在籍していれば他大学の研究室など。聴講もできますよ。昨今オンラインが盛んですが確か今でもMIT, Stanford大学などが単位はとれない聴講の学生も受け入れているはず。3か月のコースならビザなしでも滞在できます。

博士課程ならもっと色々と機会があるのです。こんな歳ですが私は引退したら博士課程に編入してこれまでやってこなかったことがしたい。例えば水とゴミの問題など。

最後に変えよう、変わろうと思ったら自分が行動するしかないです。決して他人任せにしない

写真は私のパスポート。10年期限のパスポートでこれが4冊目になりますがどのパスポートも追加ページを後でつけてもらっています。出入国にあたり基本的にスタンプを押してくれます。またビザが必要な国に行くにはビザもパスポートに張り付けるのですぐページが足りなくなります。仕事柄出張が多かったですが今は設計エンジニアに戻ったので学会以外飛行機に乗ることはなくなりました。特に今年2020年は飛行機搭乗がわずか一度と記録に残る年になります。来年は学会でスペインとギリシャそして会社の関連するチームがスイスのチューリッヒにいるのでそこを訪れる予定です。日本も学会の活動で一度行く予定ではいます。COVIDな世の中、その予定通り進むかどうか。。。進んでほしいですね。

アルゴリズムも数学と密接に関係していますね。プログラミングを勉強するならアルゴリズムとデータ構造をしっかりと勉強したいです。これらの書、コンピュータサイエンスを大学で勉強しているなら一度は見たことがあるのではないでしょうか?

最後に、以前のBLOGでも書いてますが就職か入(就)社か?、ぜひとも入社でなく就職を目指すように考えてみてください。

同じようで全く違うと思います。

会社選び、職業選び、いずれにしても就職というまさしくその言葉通りな考えを持つことは大切だと思います。

English

以前言語について書いています。

私が一番よく受ける質問、相談は英語です。英語できないんですが大丈夫でしょうか?といった内容ですね。

まず、あなたは英語を知っています。大学卒だとして少なくとも8年は英語を学校で学んでいるわけです。知識としては十分だと思います。それに誰もあなたと英語を聞きたいわけじゃない、話したいわけじゃあないのです。

言語はコミュニケーションするための道具の一つですが道具を使って何を話すか、伝えあうかが重要なのです。

だれも”カッコいい”英語(例えば英語を母国語とするような人が聞いてもほれぼれするような発音)を期待してなどおりません。発音の呪縛から離れることです。私は通じなかったらまず自分の話している内容がおかしいのか?次にそれとも相手の理解力、経験が不足しているのか等を考えます。自分の英語力のなさを理由にすることはほとんどありません。

英語はツール。

ツールをどんなに磨いてもそれで何も作れなかったら価値はあまりありません。ツールを磨くより自分を磨くこと。つたない英語でもあなたに価値があれば皆集まってくるし、皆一生懸命理解しようとします。相手が努力します。相手に努力させるのです。その方が効率も良いですよ。

素晴らしい発音でも全然実のない雑談ができる程度だったら20分もすれば飽きてしまいます。”英語上手ね、どこで習ったの?”程度な会話にしかならないわけです。はっきり言って私なら10分で十分。失礼にならないように退散します。

フランス人、ドイツ人、中国人、など母国語の発音がとても強い人は沢山います。以前も取り上げましたがアーノルドシュワルツェネッガーさん、素晴らしい発音でしょうか?癖ありますね。でも、彼の話はとても面白くしかも経験からくる話、お持ちになっているビジョンはぜひとも聞きたい、会って話がしたいと思います。仮に彼のすぐよこに素晴らしい発音のオーストリア人がいてもその人と話をしたいと思うでしょうか?

従ってまずつけるべきは教養と経験です。それと私がエンジニアだからエンジニアの観点で言うなら数学力。数学はプログラミング言語よりはるかに価値があります。これは以前にもたびたび書きました。教養はBLOGを読んだりFacebook,Youbuteなどではなくぜひとも良書を沢山読み、実際の経験を通して自分で考えることで身に就くと思います。

特にエンジニアであれば入門書だけで勉強を終わらぬようにしたい。以前のBLOGで書きましたが日本は入門書が溢れています。どれも似たような内容です。しかし入門書はあくまでも入門。そこで止まらずいわゆる専門書を読破(勉強)することは必要だと思います。入門レベルにはあまり価値はありません。価値があることを勉強するための準備ができた程度です。

コンピュータサイエンスなら例えばいわゆる日本ではヘネパタ、パタヘネともよばれるこの2冊など。合わせて2000ページにもなるくらいな分量で大学の講義で全部カバーすることは不可能に近いですね。

とはいっても英語 仕事なら、

ー読解力と早く読むちから。論文一つに2,3日もかかっていては仕事になりません。早く読むには日本語訳してそれから理解するのでなく読んだままで内容を理解、解析、楽しむように癖をつけることだと思います。

ー書く力。書くのが一番難しいのです。大学卒の英語を書けますか? 資金に余裕があれば一度ハーバード大学の夏の講習で開催されるエッセイのコースを取ってみると良いです。とても難しくついていくのがやっとかもしれませんがやり抜けばかなり自信ができます。夏のハーバードはとても楽しいです。あの界隈はMIT,BU,BCと大学だらけなので楽しいですよ。私はかつて住んでいたので様子はわかります。

仕事で”会話”をすることはもちろんあります。私のようにマーケティング部門で働いたことがあれば顧客を回りますからより話す機会があります。でも先ほども書きましたが人が聞きたい、知りたいのは価値ある話、情報です。きれいな英語でなくともあなたのもってくる話し、情報に価値があれば、面白そうなら相手が一生懸命努力してあなたを聞いてくれるのです。

仕事なら、運が良いことに専門分野が同じだと会話もその範囲が中心になるので話しやすい。実際の場に当たればわかります。私の経験はこちら

ならば留学は有利なのか。その後の人生に海外で過ごしたことはきっと役立つとは思いますが仕事、学業であればやはり教養、数学力などの方が重要だと思います。私がエンジニアなので数学と書いてますが別な専門分野であれば例えば法律(国際法、特許法など)などの専門的知識と経験ですね。

博士課程に在籍しているなら海外の関係する研究室、研究所などで数か月過ごすのは良い経験になります。調べると色々と募集が出ています。人気ある研究室、研究所、会社はそれなりの面接やコネクションも必要ですね。面接などでお手伝いはしますよ。学会などに出たら気になった発表者にはその場、後日でも連絡を取ってみると意外と受け入れてくれたりするようです。

ところでこれからの世の中、英語にとどまらず中国語も勉強すると良いですよ。私はマーケティングに属していたころは年3,4回行っていたので”中国語会話”は勉強しました。ミーティングなどはすべて英語でできますが安ホテルに宿泊したので中国語は必須だったのです。お陰でずいぶんと話すことができます。アメリカにいるならそれに加えスペイン語も。私は片言なら話せます。庭を掃除してくれる人がホンジュラス出身で英語がほとんど話せません。時々子供を連れてきますがその子が通訳をしてくれます。とても正直な人なのでもう15年近く庭の手入れをしてもらっていますが彼を通じて少しずつ南米スペイン語(本家とはちょっと違うらしい)を習っています。言語は沢山知っていると役立つのは確かなのです。

これは出張で出かけたチューリッヒで見つけた。スイスのドイツ語圏になります。英語とドイツ語で書いてありますね。スイスはフランス語、イタリア語、ドイツ語、ロマネスク語(?)が公式な言語だったはずですがチューリッピではドイツ語と英語の表示ばかりだったと思います。ドイツ語は大学で少し勉強しましたがほとんど全く覚えていない。

どこの国に行っても現地語と英語で書いてあることが多い。もちろんお店はその時々で一番必要な言語の併記もあります。今は中国語が断然トップ。バブルのころはもちろん日本語でした。

イスラエルに行くと、そんな中国語や日本語よりアジア圏の言語なら韓国語なのです。キリスト教の聖地が多くキリスト教徒が多い韓国からはツアーで多く訪れるんだそうです。もちろんへブル、アラビア、英語の3つの言語はどこに行っても併記されていますよ。

失敗、 仕事編 1

これまでのBLOGを読んでこられたなら私の仕事人生、楽しいことばかりなように思われるかもしれない。楽しいこともありましたが沢山失敗を積み重ねてきています。失敗談を人生経験であるかのように書いてきていますがこれから数回にわけて実際の失敗談を書いていこうと思います。

動機はというと、以前Telsa創業者のElon Muskさんのインタビューを読みました。彼は今でも採用面接に関わるそうです。彼が一番最後になるそうですが決まってする質問は”これまでの仕事で一番大変だった失敗談”。彼はその候補者が実際の当事者なのか、周辺にいただけなのかを見分けることができるそうです。周辺で見ていただけの傍観者はTeslaには不要だとか。つまり実経験者が欲しいということですね。実経験については何度もこのBLOGでも書いているので考えを共有します。

私?立派に面接で経験を話せますが彼の下では働きたくはない。。。優れたビジョナリーですが人間としての性格はかなり難癖がある方です。Steve Jobsと並び称させるほどに。

最初の話題は私が日系のUS法人でその会社が社内で使うシリコンの開発責任者をしていたころの話です。チップとファームウエアを開発するチームの責任者兼プロジェクトリーダー(日本だと通常課長職)についていました

非常に複雑なSoCで開発は難航したのです。25年も前のことで開発ツールなどもまだまだ途上段階でした。実機を使わないと最終的な検証ができないような複雑な設計でシリコンバレーの優秀なエンジニアを雇って。。。というプランで始めたようです(私は後からマネージャとして現地で採用された)。

クリスマス商戦に間に合わせる必要がありどうしても見切発車でシリコンの量産を始めました。量産にGOをかけた後も引き続き実機でチップとファームウエアの検証は続けていたのです。テストチップはもう作っていたのでチップの納品はすぐ始まり組み立て工場で最終製品(家電品)のアセンブリが始まりました。ファームウエアは最後にFlashメモリを焼くだけなのでアセンブリの終わった機器をいったん箱にいれて最終ソフトのリリースを待つだけにしておくのです。時間は刻刻と過ぎるのです。海外に発送するためにはある日時出向の貨物船にコンテナをロードする必要があります。

そんな状況下、アセンブリ工場から10に1程度の割合で不具合がでると報告がありました。当初、暫定ファームウエアに不具合があるのではないかとソフトエアエンジニアにデバッグをさせましたが何をやってもその不具合がよくなりません。そこでハードウエア(チップ設計)のエンジニアも入れて検討を始めました。最終的にチップ自体に小さなバグを発見。しかもそれは同期回路の設計ミス。同期は確率の問題になりますから常に不具合になるわけではないのです。とても厄介なバグですね。デザインレビューなどで何度も確認をする箇所なのですがそれでも不具合がでた。

チップのバグは、量産に入っていると皆をパニックにします。ソフトウエアなら簡単に?パッチを当てることも可能ですがチップはハードと言うように硬直なのです。

部長辺りがもうパニックで社内の顧客側の部長、部門長、執行役員に連絡をとりただただ誤っておりました。私は子会社にいたので直接の上下関係はありませんが開発資金はすべてその部から出ていたのです。私はその上司でもない部長に連れられて顧客側の部長、部門長、執行役員出席の対策会議に出席しました。謝っている部長を後目に執行役員は私にどうするんだ?と。まだ若いころで経験を積み始めたころですからプレッシャーは大きかった。クリスマス商戦は100億円規模だから絶対に逃せない。しかし会社のブランドもあるから確率的とはいえ不具合をそのままには出来ない、というのがあちらの言い分。どうします?

提案と対策は

1.チップの量産の設計データは必要最小限の変更で済む対策を検討してホットパッチと言いますが量産を止める期間を数日程度にする。

2.既にアセンブリを終わっている機器については外付けにしたロジックでその不具合を解消するパルス信号を発生させ入力する。そのためには今あるすべての機器を再度開けて手作業でそのロジックを付ける(オートメーションではできない)。PCBの配線をカットしてチップの端子(足)もカットして空中配線になるのですがCMOSデバイスをハンダ付けするのです。家電の平均寿命が数年だからできる手立てです。安全に問題があるシステムならこんな手法はもちろん不可です。

3.作業に日数を要するので船便での出荷は不可。急遽航空便(貨物便)を手配する。

4.設計の再検証を行う

という内容ですがコストはすべてこちら持ちでこの段階で利益(社内なので外部からは見えません)はゼロになってしまいます。

これだけのことを実行しようとすると関連する部署、会社だけでも10以上になります。

設計には不具合はつきものなのですがいざ自分が当事者になるとストレス、プレッシャーは半端ではないです。数百億のビジネスだと最初に釘をさすのは部下の立場から見ると逆効果ではないかと後年思いました。まるで”俺のビジネスをどうしてくれるんだ?”と脅しを受けたように感じるものです。

とりあえず設計の全責任は私にあったので(設計部隊のマネージャ兼プロジェクトマネージャ)飛行機の手配とPCBをカットする人員の手配は手伝ってもらいましたがその他は私の部下をなだめすかしてやり終えた。最小限の変更で済ませる方法が中々見つからず苦労しました。

しかも利益が出ないのでボーナスを出すこともできないため(バグを作っといてボーナスというのは日本的感覚では理解されない)、その後このチームはちょうどドットコムがシリコンバレーを席巻していた時期だったのであっという間に散会してしまいました。私も友人の誘いで小さなベンチャー企業に参加しました。そのベンチャー企業実は7か月で退社しています。それが次の私の失敗談になります。

何度も失敗していますが、そんな中で 信頼できる上司とは

不都合が発生したときに相談に乗ってくれ、対外的に失敗した部下を守ってくれる

そんな上司です。失敗を隠したりする必要はないです。部下は失敗もします。責められるのですが対外的にそんな部下を守れるか、は重要な要素だと思います。もちろん部下が不正、怠けたなど最大限の努力をしていなかったといった場合もありますがそれは内部事情。内部は内部で十分検証し必要な手続き等をとるのはもちろんです。しかしながら対外的に”部下の不祥事、責任”と言うのは出てこないはずなのです。対外的には”上司の責任”なのですから。

ストレスは非常に大きくなります。特に”おかね”が全面に見えてくるような状況下に置かれると。開発エンジニアはビジネスから少し外れているので良くわからないこともあります。エンジニアはスケジュールは日常接するので経験を積みますが”おかね”(予算だけではなく)にはあまり関わってきません。そこがエンジニアからマネージャに移行して最初に接する違いということもできます。お金はプレッシャーを与えます。社会にでるとお金とは常にかかわりを持つようになります。人はお金にはあまり寛容ではありません。

料理。失敗の連続。ポテトサラダを作りましたがハムを入れ忘れた。色がなく美味しそうに’見えない。

料理、失敗すると食べるのが嫌になりますが捨てるわけにもいかず頑張って全部食べています。家族の協力は得ることができません。

複利

複利、これまで何度か話題にしました。主に資産に関する話題で取り上げましたが人生も複利そのものかもしれない。

複利の基本は長く持つこと、言い方を変えるなら早く始めること。利率5%として10年、20年、30年で計算すると1.63、2.65、そして4.32倍になるわけです。100万円を30年持てば432万になります。200万円を10年持っても326万円ですから元手は少なくとも長くもっておけば増える。。。 ただし、利率がゼロ以上でなければなりません。利率を無視して話をしても仕方ないのですがファイナスのアドバイザーは利率を強調せずに複利の良い面だけを取り上げますね。仮に1%の利率だとすると10年、20年、30年で1.1、1.22、1.35倍に過ぎないのです。これを人生に当てはめるなら、利率が悪いことを何年やってもあまり役には立たないとも読めます。もちろんあるときブレークスルーがあっていわゆるうなぎのぼりの利率(例えば年率100%など)ないわけではないのですが、その確率は高くはない。宝くじほどではないでしょうけれど利率のほとんどない預金を30年もっても30年後全く増えていないような人生にはしたくないですね。

ここまでは利率が一定だという条件(平均)ですが平均はそれで曲者なのです。29年、ずっと増えてきたけれど30年目に不況でいきなり価値が半分になったとします。先ほどの例で例えるなら29年間5%だと412万円程度になるはずが30年目の不況で50%ダウンすると206万円。いったん半分になったものが412万に再び戻るのは仮にその後、年率10%だとしても7年以上かかるのです。つまりリスク回避も図らなくてはいけない。これを人生に例えるなら、順調に行っている期間こそ、リスク回避のためにも時間を使うということですね。順調に行っている間、忙しい、楽しいなどで油断をしてしまいがちですね。順調に行っている間こそ

勉強。新しい能力、知識、学歴・資格など。

ー経験を広げる、人脈を育てる 仲間を作る

資産を増やす(稼いだものを全部使ってはダメ)

ー世の中の情勢をよく検討する (歴史から学べます)

を怠らないことです。順調に行っている間、人間こういったことをおろそかにしがちなのです。忙しいし、楽しいし、余裕があるし、、、

バイブルのような本があります。英語でしか知りませんがhttps://www.amazon.com/Richest-Man-Babylon-George-Clason/dp/1505339111

The Richest Man In Babylonという書です。一度は手にして読んでみると良いと思います。

人生はしかしながら投資の世界よりもっと曲者。春と冬が交互にやってくる。何度か書いていますが私はずっとハードウエア(半導体関連)に従事しています。シリコンバレー、その名の通りIntelなどいわゆるシリコン産業が開いたような地域ですがGoogleに代表されるようにSoftware関連の会社が今ではすっかり大きな会社となっています。Appleは倒産寸前だった。ソフトウエアの雄、マイクロソフトに資金援助も受けたはずです。

AIが隆盛になり再びシリコンに今資金(ベンチャー資金や巨大企業の投資)が盛んです。AIがあたかもシリコンに再び力を与えたがように。お陰でもう還暦もすぐに近づいた私にも面白くかつお金にもなる仕事が再びやってきた。長い停滞の時期を経て再び勢いを増したがごとく。もっともAIが騒がれ始めたころから進んでAI関連の顧客を訪問しました。こちらも良くわかっていないですから”学ぶため”でもあったのです。勉強もしましたが実エンジニアと話すと一番良くわかります。以前も書きましたがそのような場合中国の顧客が圧倒的になんでも話してくれるので勉強になります。何も話さないのは日本の企業です。これでは双方、シナジーどころではない。事実AIでも日本は周回以上遅れているように見えます。忙しいときこそ学ぶのです。

客先で。 システムを教えてもらった。こんなものを作るんだと。。。

そうそう、もう一つ重要なことが。。。 それは途中で辞めてしまわないこと。よくあるのが がんばって預金(投資)を5年してきた。その間、ずいぶんと我慢もした(仕事ばかりして出費を抑えたとかね)。5年たってみると、”あれ、ずいぶん貯まったな。” がんばったんだし、ちょっと自分へのご褒美。。。”自分へのご褒美”というのはマーケティングの手法です。そのちょっとが、蓄えもあるんだし、と気持ちが大きくなることが多いのです。でも、5年程度の蓄え(経験、勉強)実はまだある境界線を突破できていないことが多い。もちろん5年で突破する人もいますが少数でしょう。突破するまでは気を抜かないことです。こちらのファイナンスアドバイザーと話をすると持っている金融資産の4%で生活できるようになったらフルタイムの仕事はしなくても良いと言います。例えば自分が望む生活には年500万円必要だとするなら25倍ですから1億2500万円ということです。年金のもらえる年齢で年金が200万円カバーするなら300万ですから7500万円でよいことになります。そんなあ、65歳まで我慢するの?となりますが30歳で4%になればそれで良いので年齢は関係ないのです。しかし到達する前に辞めてしまうとあっという間になくなります。お金でずっと書いていますが経験、勉強も同じです。経験も積んだし、そろそろ趣味などにももっと時間を使って人生を楽しみたいと思いますね。いや、昭和世代な私の場合、中学、高校、いやあ場合によっては小学校4年生くらいから”良い大学”に入るために塾だ、予備校だでずっと勉強してきた学生も多い。晴れて大学に入るとピタッと勉強を辞めてしまう、留年する学生もとても多かった。私の経験ではそこで辞めてしまったのでは途中解約と同じだと思います。あと4年、いや今の世の中、あと6年から9年ほど(博士課程)までそのままの勢いで勉強を続けるのが良いです。大学を何とか単位だけ修めて卒業ではその間の利率はゼロのままで終わることになりますよ。

特にエンジニアリングであれば博士課程まで突破するととても大きな可能性が開けてくるはずです。それが”境界線”だろうと思います。お金でいうなら先ほどの1億2500万ということでしょうか。博士まで進むと実社会での経験、蓄えを始めるのが遅れてしまいます。そこをカバーする必要はあるかもしれません。日本でのことは知りませんがこちらでは博士課程の学生は教授に雇われていることも多いです。教授の仕事は研究することではなく研究チームを作ることだとかつて聞いたことがあります。企業などから研究予算を取ってきて優秀な学生を自分の研究チームに雇い入れるのですね。私が長く働いたベンチャー企業には博士課程に在籍したまま週二日出社していたコンパイラエンジニアが居ました。今はGoogleで働いていますがとても優秀です。彼のアドバイザー(教授)が会社のアドバイザーだったのですが優秀な学生をプロジェクトチームに参加させていたのです。確かにとても優秀で私はコンパイラについてずいぶん彼から学びました。

勉強、経験と言っても、楽しいのです。楽しく勉強できるようにすれば良いのです。

サンタ バーバラ

サンタ バーバラ。LAから100マイルほど北側にある海沿いの町です。UCB(University Of California Santa Barbara)のキャンパスがある風光明媚な小さな(?)町でとても落ち着いています。日本からわざわざ出かけるような町ではないと思いますが大学に留学でやってくる人がいるかもしれないですね。

こんな町ですが、一度だけ出張でも出かけています。休暇では何度も出かけているので良く知った町なのですが私の住む地域からのアクセスが良いというわけでもないので出張で行ったときは苦労しました。ローカルの空港もあるのですがもっとLAに近く便が沢山でている空港を使いましたが、何しろいつでも交通渋滞のひどい南カリフォルニア。レンタカーを借りて一人で運転するとなるとCar Poolレーンも使えず、勝手分からずで実に2時間近くも約束の時間に遅れてしまった、、、それでも会ってくれたのはご愛敬からか?

Santa Barbara、裕福層の沢山住む町でTechnology関連とはあまり縁が無いように思われがちですがソフトウエア関連の企業がいくつもあるのです。コンパイラで知られた会社などがあります。私はそんな会社に出向いて行きました。こちらが客側だったので2時間遅れでも会ってくれたのですね。20年も前の話でいわゆる携帯電話もまだ初期のころで私はまだ持っていませんでした。そうそうナビも無いような時代で紙の地図を頼りに場所を探すような時代です。どうしても場所がわからず公衆電話を探して(今もあるのでしょうかね?公衆電話)最後の1マイルを教えてもらって。。。 いまじゃああまり考えられないような話ですね。

さてはるか以前こちらの美味しい寿司やで食べた時、世界で一番美味しいウニはサンタバーバラ産のウニだと教えてもらったことがあります。日本人の寿司職人が’絶対美味しいから”と太鼓判を押しておりました。食べたことがありますか?LAダウンタウンにあるインターコンチネンタルのレストラン(確かSora)でオーダーできます。もちろん他のレストランでもオーダーできると思いますが、”時価”とだけ書いてあります。いつもあるわけじゃあ無いそうです。たまたまそこで食事をされるならぜひ味わってください。 Santa Barbaraの寿司やにもあるのかな?とこれまで何度か行きましたがいつもありません。あまり取れない? 海岸までドライブすると取れたての海の幸を売っているところでウニも買えますよ。そこでも食べましたが寿司やでたべたウニの方が格段に質は上でした。そこで食べたのも十分美味しかったですが。

Xmas Eve 夜のState Street。 Santa Barbara一のダウンタウン。
もっと沢山写真があるはずなのですが出てこない。ここはダウンタウンの一角。こじんまりとしているがとてもおしゃれな街並みです。大学町とも言えますが”大人の町”なのです。いや、大人の女性の町? 男性は休暇であまりこないのかな?