誇張

最近読んだ書籍から。 著者の紹介にこんな文章を見つけました。”10万本の科学論文を読破、600人の著名人とインタビュー”。

すごいなあと思いますがエンジニアなのですぐ計算してみました。仮にこの人物、とんでもない速読法をマスターしていて且つ読んだものはすぐ理解できる頭脳があるとします。10万本もあると日本語だけではなさそうですが英文も日本語も同じ速さで読めるとする。一本10分としで百万分です。16667時間、666日(24時間で割る)。仮に一日10時間その作業だけにずっと当て続けられたとして1667日です。一年全く休みなしでも4.6年かかります。こうやって計算していくとだんだんその履歴に信憑性を失っていく。しかもその間600人の著名人と会っている。著名人と会うにはアポ、準備、会った後にする作業と沢山のことがあります。年50人と会おうと思うとそれだけで相当な時間が必要です。50人アポ取れるのはよほどな人物だけだと思います。

さてそこで、 本は著者はいますが出版社に編集を担当する人がいます。著者略歴はその編集担当者が書いたに違いない。私はおそらく著者は”科学論文10万本くらい検索したか、目を通してその中から重要な論文を精読したかな?”とか、著名人とインタビューしたりその人の講演に行ったり、ビデオを見たかな~といったことを編集者に話したと思うのです。

間違ってはいないですが意味合いは全然違いますね。読破 と 目を通す は人によっては雲泥の差があってとらえられますから。目を通すのなら1分もかかりません。

何も悪い行為だと言っているのではないです。

以前書きましたが 人生は

セールス である。

セールスには誇張は付き物。 そこで、

履歴書について書きました。就職には必要なものです。私は人生にとって、少なくとも仕事という面からは就職だけでなく履歴書は重要だと思っています。

履歴書は最初の関門であると書いています。見知らぬあなたを履歴書を見て判断するのです。日本では写真を添付することが多いですがUSAでは写真は添付しません(写真選考させないため)。書かれた内容から応募してきた人物を推し量るのですから履歴書に誇張はつきものです。

ちょっとしたことを任せられたらResponsibile to, Lead, Own といった言葉を使う、実際何も設計していないのですが設計ファイルを管理したという人と会いましたが履歴書には Ownと書いてあった。てっきり設計者かと思ったらファイル管理者だったとか。どう考えてもわずか2年程度の職歴(その会社での)でそこまでできるの?と思うようなことが書いてあったりしますが少しでも関わったらそれを追加として履歴書に書いてあったりもします。

真っ正直に履歴書を書いても良いんですが履歴書の役割は事就職に関しては最初の関門である書類選考に残ることです。応募してくる沢山の履歴書の中から残るにはそれなりのセールスは必要なのです。

セールスとはこの場合自分を売ること。セールスには誇張は付き物だと書きました。

人生のための履歴書は正直であることは言うまでもないですよ。これは自分のために書きますから。

人をみる目は重要だとも書きました。

人生はセールスなのです。誇張があります。ですから立場を変えるなら(買う側)、今度は見抜く能力は必要です。

シリコンバレー、日本では誇張されすぎているように思います(いい意味で)。また中国も誇張されすぎ(こちらは悪い意味で)。

人から聞いたこと、読んだこと、見たことなどを吟味、検証することはとても重要です。一番いけないのはそのまま鵜呑みにすること。

誇張の一番な例は”儲け話”です。 赤の他人があなたに儲け話を持ってくるわけがない。その人物はそんなあなたから儲けようとしているだけです。 不動産”投資物件ですよ”というのは ”あなたが買ってくれたら私にがっぽりコミッションが入る”と言っているのと同じです。 不動産業者は本当の投資物件は自分で持ってます。売ったりしません。

はたから見て良いなあと思った会社、入ってみたらがっかりと言うこともあります。 全然宣伝しないけど美味しい料理、内容のある本、すごい人物に出会うこともあります。

それらを見分けるそんな経験を積みたいですね。

経験を積んだらと言いますが漠然としては同じことを繰り返すだけになります。だからよく考える、これはとても重要なのです。Thinking Fast & Slow という本を紹介しました。

マーケティングの仕事を10年ほどしてきました。私の扱った製品、技術には3社競合相手がいました。顧客ミーティング、特に最初のミーティングでは資料を基に製品を紹介しますが決まって出てくるのが競合との比較です。顧客側は既に競合相手と会っていることもありあちらからの話は聞いています。データも持っていることが多い。競合する会社のデータは断片的にオンラインなどで散見できることもありますが通常NDAを伴っており出ては来ません。競合より、良い悪いがわかるだけです。

データをどう抽出するかまとめるかは各社やり方があります。いわゆる第三者的な機関もあるのですがこれとて完全に中立ではないのです。これら機関を運営するお金はメンバー企業がだすのですがそうなるとどれだけメンバー企業がお金をだしているかで大きな影響力を持つようになります。

エンジニアからマーケティングに移って間もないころは、やはりエンジニア気質がまだ残っており出すデータ、真っ当だった。でもいくつか顧客を回るうちにどうも変だと気付いた。 データには取り方があるようにまとめ方もあるのです。あるミーティングの準備の際にまとめ方を変えてみた。 そしたら突然自分たちのデータが一番良く”見える”ようになった。その時一緒に行ったセールスが”何かあったのか?”(つまり製品の改善)と聞いてきました。 いや、ちょっと見せ方を変えただけだ。。 BINGOと彼は言いました。 それいこうその資料を使うようになりました。履歴書みたいなものですね。でも、じっくり考えたらそれらのデータを同じ条件で同時に達成できるわけじゃあないのです。エンジニアが席に戻ってじっくり考えたらわかりますがミーティングの場でそこまでしませんし出席していたエンジニアも席に戻れば自分の仕事に戻りますから資料はそのまま。で次のステップというのはマネージャが判断するのがほとんどですから選択される。 実際の製品評価は面接のようなもの。そこでいい結果を出せばいいのです。書類選考で落ちた競合が戻ってくるのは面接に落ちた時だけですからその間(数か月)は時間があることになります。評価中はほとんどエンジニアと同じようにサポートしましたから評価結果としての不採用はまれでした。つまり最初の書類選考に残れるかどうか。。。もっとも大どんでん返しはありましたよ(これはほとんど人的関係。上位のマネージャが競合と懇意だったり別案件と一緒になったりとか、色々)。

そうこうするうちに競合はどんなことをやっているのかもわかるようになりましたからその対策方法もわかってきました。皆色々考えてきます。嘘とわかるようなことはしません(嘘ははがれると大変ですから)。しかしながら誇張や良く見えるような細工はします。よくあるでしょう?小さな但し書き。企業の年間レポートなども但し書きを注意深く読まないと実態は把握できないと聞いたことがあります。但し書きは別に書いてあることがほとんどです。一緒に書いてあるとついつい読んでしまいます。読んでほしくないことは但し書きに書いておく。特に表など。ミーティングで使った資料を使って社内のミーティング用の資料を作ったことがありませんか?そんな場合得てしてコピー&ペースト。2つのベンダーの資料から引き抜いてきたテーブルをそのままコピペする。但し書きまでコピペすることはあまりありません。でも一緒にされる。そうするとテーブルの中の数字だけが踊り始めるのです。一方が断然良く見えたりする。そもそもの条件などが違っているんですがね。そんな中にでもベンダーとしては生き残るためにはどうしたらいいか、やはりマーケティングとして考えるところです。嘘ではないが誇張を入れそして見栄えをよくする。こんなことは当たり前なことなのです。

家を買うような場合を考えてもわかりますね。見に行くととても良く見えます。家具やライトを適切にセットしてあるからですが上手にできることはとても重要なのです。

だからこそ、本質を見抜ける経験と勉強は重要なのです。疑ってみるわけじゃないですが検証してみる。先ほどの10万本の学術論文。すごいなあと思うか、ちょっとまてよ、著者の経歴を見るとどこか矛盾が無いだろうか?実際はどういうことなのか(読破の意味が自分の考えていることと経歴の言っていることには乖離があるのかもしれないとか)と検証してみるか。そういったことを日頃から心掛けておくと役立つはずです。

技術分野であれば自己の経験や勉強と照らし合わせて”本当かな?”と、どんな条件なのだろうか?と言ったことをちょっと考えてみる、そして疑いがあれば質問する。一度台湾でミーティングをした折、非常に優秀なエンジニアに根掘り葉掘り質問されました。質問に答えながら”雇いたい”と思う程でした。

見る目を持つことは重要。経験がものをいうのか? いえいえ、同じことを漠然としてやっていたのではだめです。

経験も同じ失敗を100回したら同じ失敗を100回したというつまらない経験だけになり価値はほとんどありません。経験を積むというのはその経験から何かを学び次に活かせるかなのです。ですから3年の経験でも20年もやってきた人よりよほど良い能力、実績を持つことも多々あるのです。私は経験だけをやたらと言う人はあまり信を置いていません。以前書きましたが7回転んで8回同じように起き上がったのでは8回目もやはり転びます。経験にはまったく繋がっていないわけです。転んだ、起きた、また転んだ、次は違った置き方をしないと。本質を見る目を持つのもこれと似ていると思います。

ビンテージの時計は難しい。知らない頃EBAYで買ったのにはいろいろな時計からパーツを集めてきて作ったものもありました。詳しい人が教えてくれました。このROLEXは全部オリジナルだとかで今はかなり値が張るようです。

料理は観て楽しみそして味わうとか。 見栄えはとても重要ですが、食べてみたらまずいこともありますね。

建物などもそう。見栄えと機能性は常に一致するとは限らない。見栄えばかりよくて使えないオフィスというのも沢山あります。

 

遠慮はしない

運と努力について以前のBLOGでかきました。昔聞いた言葉に

努力しても無駄

無駄な努力はやめなさい

というのがあります。聞いたことないですか? 誰かに言われたり、自分で言ったり(自分で言うときは大抵あきらめる時)。こんなことを書いている私も自分自身良くこんなことを言ったものです。自分で自分を納得させるために。学校の先生にもいわれたなあ~と、荒れまくっていた中学校時代、”お前はXXXX。努力なんかしたってYYYYY”とね。今じゃ問題になるような発言ですがあの当時は大丈夫だった。今なら問題になるのでしょうが廊下に立たされるとか、朝礼の時に前に呼び出されて全校生徒の前で叱咤されるというのはごく普通でした。45年も前ですからね。それ以前だと鞭だって使っていたようですからね。これは別に日本だけじゃないですよ。赤毛のアン、読んだことがありますか?私は姉がいることもあり実は全巻読んでいます。赤毛のアンを読むと鞭を使うようなシーンは普通に出てきますよ。あの時代では普通だったのですね。Bostonにいたと書きました。あの時代車でモントリオールなどにも行ってますがアンの舞台、プリンスエドワードアイランドには結局行かなかったな~。誰か女性と付き合っていたら行ったのかな?でもね、ずっと後カナダに行くようになりカナダ人とも沢山知り合いましたが赤毛のアン、実はかなり詳しい(2度読んでいる)のですが大抵のカナダ人は読んでいるので本好きな人と会話するのにはきっかけになりました。

話が脱線しましたがこの二つの言葉、人生で一度や二度は皆で会った言葉だと思います。

努力しても無駄。 どんなにやってもあなたには無理よ、高値の花、あなたには持って生まれたものがない。。。といったまさしく否定的な響きです。私は子供のころ散々この言葉に遭遇しました。

大人によく言われました。大人は知ったかぶりをして言ってきます。こと日本では自分より年下は人生経験が不足していると”おもう”ようで”教えてあげよう”といった気持ちからだったのでしょうね。

勉強なんかそこそこにして、ほら、あそこのXXXちゃん、最近きれいになっただろう。誘ってみたらどうだ?とかね。

無駄な努力はやめなさい。 これも努力しても無駄と同じ意味にも取れるのですが別な意味にも取れる。

以前人生の時間についてBLOGしました。そこでも触れたのですが

努力にはやり方がある

と私は思っています。

受験勉強、資格試験の勉強にもやり方があります。がむしゃらに教科書や参考書を勉強したら良いというものではありません。

料理にも、仕事にも、なんでもそうですがやり方があるのです。

プロの調理人の料理を見たことがありますか?実に簡単そうにしています。もちろん慣れもあるのでしょうが、まずもってやり方が違う。私も料理をしますがYOUTUBEなどで好きな人のビデオを見て、やり方に注目するようになって手際が断然よくなりました。

人生だってやり方があるのです。最近は日本でもライフ コーチをつける人がいると聞きます。プロのスポーツ選手もコーチを付けます。実力は選手の方が断然上でも、やはりコーチをつけるのはそこに価値があるからです。

私は今そのコーチを勉強中。そろそろ実践してみたいかな。誰かクライアントとしてコーチの練習をさせてくれる人がいたら連絡ください(させてもらうので費用などはもちろんいただきません、こちらが実費を出しますよ)「宣伝でした」

長い前置きの後で、表題となる

躊躇

について。 これまでもチャンスは逃すな等、何度も書いています。以前のBLOGを読んだことがあれば、 なんてしつこいんだ、 となるかなと恐れますが時々若手の人と話をすることがありますが、日本の若手に多いのが 躊躇。

この言葉、ひょっとして中国にはないのではないか?と思う程に中国と日本で違うように、私の過去10年くらいかかわった中国と日本を比較して思うところです。

たぶん考えすぎるんだろうな、と思うのです。私は好きな言葉や文章をメモする癖がありますが私が好きなこの本にあった言葉

Too much thinking can complicate things, especially big decisions.

これは 故Lawrence Anthony氏、世界的に著名な自然動物保護者の著作 The Last Rhinos。から。

日本の高校程度の英文で書かれているベストセラーです。考えすぎると不安になるのが人間。

昔の言葉になりますが

当たって砕けろ!と。 好きな女性がいたら考えすぎないで誘ってみる、ですな。こんなこと言ってる私ですが若い時代躊躇しすぎたと反省することが多い。その一番の原因は考えすぎです。今でも”何考えてるの?”とよく家人に言われる。30年も前に誰もいない僻地Bostonで一人生きていたじゃない?と。歳を取るごとに躊躇しなくなりましたが、今度は歳を取りすぎて再び躊躇が始まりかけています。歳を取ると人間保守的になるんです。

この躊躇なのですが私が感じるに最近の日本の若い世代は躊躇が多いように思います。

決まって聞かれるのが

ー私にもできるでしょうか?

ー不安は無かったですか?

ー英語出来ないんですが、大丈夫でしょうか?

等々。もちろん初めての経験であれば不安などあります。ないほうが不思議。でもこれら、どれだけ沢山の人と相談しても、質問しても結局答えは出ないんです。だって自分のことだし、たずねられた人が言えることは自分の経験だけ。あなたの経験と私の経験は違う、同じことをしてもそのとらえ方、結果すべては異なりうる。つまり最後は自分がやるか、やらないか、以前書きましたが自分のチョイスなのです。躊躇するかしないか。失敗についても以前書きました。また人生、どこかの時点で自信ができるポイントが出てくると思います。自信はしかしながら勝手にやってくることもないし、漠然としていてもできるものではないです。それなりに人生を見つめていく必要があります。以前履歴書について書いたのですが自分の履歴書を書き続けると良いと思います。私には人生は数学でいうところもべき乗のようになっていると思います。

Thinking Fast, Thinking Slowという本を読んだことがありますか?

日本語も出ているようです。この本大作ですが読みながらこれまでの自分と照らし合わせると色々とわかってきますよ。そしてわかってきたら行動する。コリンパウエル将軍の言葉

Execution Matters

(実行あるのみ)

まずは何かやってみよう。

手助けが必要なら求めましょう。無駄な努力はしない。手助けを受ければ良いのです。なにも悪いことではないし、手助けを得てできたことはあなたの立派な実力。

自分の力で、実力で。。。

というのは私は長い人生を通して誤った考え方だと分かっています。

良く言いますね、運も実力のうち。 同じように手助けを受けよう結果は、経験はあなたのもの。

沢山本を紹介しました。あふるか像の本を読んでアフリカで象が見たいと思っています。行きたいところリストに入った。いつ行くか、もう検討を始めました。若いうちに行かなくては。象、不思議な、しかしとても感情ある生き物なのですね。家族愛が、今の人類よりずっとある。この書籍未だ日本語訳はないようですが平易な英文で日本の高校程度の語彙で書かれています。ぜひ手に取ってみてください。 ダニエル カーネマン教授の本は面白いです。なるほどな~と思うことが多く沢山学ぶことができました。

ボストン

以前書きましたがBOSTONは私が一番最初に住んだ地域です。1989年のことですからもう30年以上も前。日本からは果てしなく遠く直行便も出ていないころ、松坂投手や野茂さんなど有名な選手もおらず、日本では外国史の授業でアメリカ独立戦争が勃発したところ、くらいにしか認識のないころです。それでもMITは知られており日本の大企業、日立などが従業員を留学させておりそんな企業留学生が現地在住日本人のほとんどを占めていました。日本領事館も無くNYCにある領事館の出先がBostonに有った程度。

そんなBostonですが私は今でもとても好きなのです。仮に引退後もUSAに住むとしたら、そして家族の制限がないとしたら私が住みたいのはホノルル、ボストン、NYC。シリコンバレーではないのです。ここは働くところですが生活をするにはつまらないところです。引退後は東京に住みたいですよ、東京は生活するのに一番楽しい都市です。東京に次いでLONDON。これは以前にも書いたかな?

BostonはMIT, ハーバードを筆頭に大学がとても多い。それもありテクノロジー関連の会社も多くあります。ニューインブランドは兵器産業も大きいのです。一度機会がありUnited Technologyと言う会社、兵器も作ってますがエレベータも作っています、に働ける機会を得ました。オファーを取りませんでしたがアパッチなどでしられた軍事ヘリコプターなどを造っています。Patiot ミサイルで知られた会社もニューイングランドを拠点としています。

そんな軍事以外にもコンピュータ、半導体、ソフトウエアの会社も多くRoute128沿いに沢山テクノロジー関連の会社が集まっています。私が勤めていた大きな会社が縮小しつつ買収される形で会社としては無くなった(倒産というより切り売りされていった)のですがその折同僚の多くがベンチャーを始めた。すでにカリフォルニアに来ていましたが当時まだ日本が重要な顧客であった時代、ボストンに戻って一緒に仕事をしようと何度か誘われたこともあります。ちょうど家族をもったころで自分の一存では決めることが出来なかったのですが独身でいたら戻っていたかもしれません。

チャイナタウンはありますがアジア人の数は多くありません。カリフォルニアは10人に一人はアジア系、ことシリコンバレー界隈ではその比率はもっと大きくなります。私が最初に住んだ町(片田舎)でアジア人を見たことがなくおそらく99.9%いわゆる白人だったと思います。そんなこともありアジア人には多少住みにくいかもしれませんが1992年頃だったとおもいますが小さな日本語の書店ができたりと

Bostonは楽しいところです。アメリカで歴史というとニューイングランドを外すことができません。赴任した当時Boston近郊のアメリカ史(ヨーロッパ人から見たアメリカ史ですが)の史跡を丹念に見て回りかなり勉強もしました。最初に戦闘があったというConcordにあるNorth Bridgeなども行きましたし、ポールリビアが馬で駆け抜けたというレキシントン界隈の道も見て回りました。レキシントンは小さな町ですがあの当時ダウンタウンに小さな中華レストランがあり良く食べに行きました。Bostonには小さいですが中華街があります(あの当時夜遅くアジア系の人が出歩くのは危険とされていた。理由は中華街のすぐ横にベトナム系のレストランが進出しておりいさかいが絶えなかったのです)。今でもBoston市内など大抵どこでも行くことができます(簡単な観光案内ができる)。Boston市内にはFreedom Trailという歩いてみて回るルートがあります。ガイドブックを片手に歩いてみると独立戦争時代の歴史を垣間見ることができます。もちろん足を延ばしてレキシントン界隈まででるともっと良いですが。歴史だけでなく以前にも触れましたがボストンシンフォニー、大学町、自然(ニューイングランドは紅葉がきれいで毎年カレンダーになります)、スキー場も近い。ボストンレッドソックスを始めプロスポーツもあり上司が大抵年間チケットを持っていたのでいくつかのゲームのチケットを分けてもらったり。ボストンセルティクス(バスケットボール)の試合では年間チケットを持った上司の席がゲームが良く見える席(普通では買えない)でそろそろ全盛期を終えたラリーバードの活躍を観戦することもできたのです。以降バスケットは好きなスポーツ(観戦する)になっています。

独立に多いにかかわった地ですから独立記念の催しはこちらシリコンバレーが花火程度なのと比較することもできないくらいに盛大です。ボストンを流れるチャールズリバー沿いでの催し、チャイコフスキーの1812を決まって演奏していましたが大砲には実際の大砲(空砲)を軍が放っておりました。

クリスマスと新年の時はBoston沢山教会がありますが日頃開いていない教会も内装を見ることができるようになっていました。雪が降りとても寒いのですが友人と出かけたものです。

ファインアート(美術館)には日本刀の展示があるのですが超一級のコレクションです。

宣伝するつもりはないですが遠い地ですがUSAに来る機会があればぜひ観光なりのコースに入れると良いのでは?と思います。

写真が沢山あるのですがあの当時まだデジカメが無い時代でフィルムに収めた写真しかないのです。何とか3枚スキャンしたのをタイトルに使いました。ニューイングランド風の家、いつかはこんな家を買うんだとあの時は思いました。写真、WEBサイトに沢山あります。ここに掲載したのは皆借り物です。

Freedom Trail Map
Boston Commons 。NYC同様、町の中心に大きな緑地があります。Boston Commonsに併設してPublic Gardenがあります。この界隈にはおしゃれなショッピングストリートもあり良く自転車ででかけていました。
ハーバード大学。ゲートを抜けると構内です。寄宿舎も構内にあります。ゲートは普通開いていて中に入れますが建物は学生証がないと入れないことが多い。サマースクールの学生証を持てばほとんどの施設に入れたと思います。夜間(Extension)スクールは制限があったはずです。シリコンバレーのStanford Universityはキャンパスの規模としては圧倒的に大きいと思いますが私はこの古いキャンパスが好きでした。後年UKのケンブリッジ大学に行く機会がありそのキャンパスの歴史に驚きましたがそれまではこのHarvardが私の知る一番古い大学です。
独立記念日はやはりここBOSTONがとても似合います。
川(チャールズリバー)が流れとてもきれいな街。でもこの川、冬は凍り付くのです。とても寒くなります。温暖化で少しは変わったかな?私は1989年から1994年まで住んでいました。

表題に使った写真は独立戦争の銃撃戦が始まったコンコードにあるノースブリッジ。この小さな橋の両端でミニットマンと大英帝国の部隊が最初に衝突した。

運 追加

について何度となく書いてます。

仕事、人生を通じて運はやはり大きな要素だとつくづく思うから書いたのですが誤解があってはいけないと思いここに追加しておきます。

実力の伴わない運を得たら浪費しない。浪費して無くなってしまうことが多いのでその戒めに。

つまり、実力を伴わない運を拾ったらしっかりそれを理解して努力(実力)が運に合うように持っていくことが大事。

そして、幸運にも得た運は使う。おいておいたり、返したりしない。

 例を挙げるなら、私が聞いたところでは宝くじで突然大金持ちになった人の大半は結局破産しているそうです。もちろんそうならない人もいますが大半は破産するそうです。

これまで扱ったことも無いような金額のお金が宝くじというまさしく運で転がり込むのですがそんなお金を扱えるだけの実力が伴っていないことが大半です。お金持ちは宝くじを買いませんからね。お金の扱い方をその後じっくり勉強して実践していくなら良いのですが人間目の前に大金が入るとそんな努力をする人はごく少数です。使い方もわからないまま浪費を繰り返すことになります。浪費すれば無くなります。

お金持ちは浪費をまずしません。これがお金持ちの一番のルールです。沢山使うように見えますが投資、利子等で入ってくる以上に使う人はいないと聞きました。それでも、例えば10億円あって投資、利子等の収入が6%あるとするなら年6000万使っても10億円はそのままなのです。10億円が減るようには使わないわけです。

宝くじだけじゃないですよ。聞くところによるとスポーツ選手などドラフト時の契約金、これも初めて見るような金額ですね。これなど言い方を変えるなら退職金の前払いのようなもの。しっかり残して賢く投資するはずですが、実際には使ってしまうようです。

お金で書いてますがお金を地位、プロジェクトなどに置き換えても良い。

宝くじで当選するのは良くないと言っているのではないです。そんな運がやってきたら、そしてその時自分に実力不足を知ったらしっかり努力して自分の実力を上げることが重要なのです。

宝くじを契機にこれまで自動車修理工として雇われていた人が独立したというプログラムを見たことがあります。独立するにはお金が必要です。修理工として町では知られていたのでビジネスは取れるわけで資金を銀行から借りる(普通とても難しい)ことなく始めることができた。こんな例もありますし、大きな金額を当てたわけではないが当選金を使って大学に行った人の話も聞きます。

運は使う。浪費しない。浪費された運は出て行ってしまいます。

お金も使う。浪費しない。同じだと思います。

得た運は使う。

以前お金は運用しなくては増えないと書きました。

同じように運も使わなくてはいけない。いずれ運は返す必要がありますが、運を受け取った人の責任でより大きな運を返す必要がある、と以前出たセミナーでききました。

幸運を受け取っても

知らんふり、躊躇、戸惑う、困惑、要らないものをもらったと思う、 運じゃなく自分の実力で手に入れたいと頑なになる

ことも多々あります。疑うこともあります。そうですね、例えば誰かが”10000円あげるよ”と言ってきたらまず私たちが取る反応は疑う(何かあるんじゃないか?と)だと思います。

得ることができた運は自分が欲しかったかどうか問わず受け取り使うことが大切です。

これは何度も書いているのです、実は。私のBLOGの根幹を成すような話です。

運はなんどもやってこないです。今じゃないんだよな~と思うような時にやってくることも実は多いです。

私の友人にかつて仕事がとても楽しい時に素晴らしい機会を提供された人がいます。彼女はその機会を取らなかった。その時仕事に充実していたのですね。彼女の同僚にその機会が回った。結果、同僚は後年その女性の上司として部に戻って来たそうです。非常に悔しがっておりました。あの時は考えることもできなかったと、運を考えてみるだけのこともしなかったのですね。

この例は受け取ることもしなかったケースですが、受け取てえも放置していることも多いのです。

例えば、そうですね、私はBill Gateさんと話をする機会が欲しいと思っています。さて幸運にもそんな機会を得た。5分話すことができた。その後どうします?そのままにしておくと思いますか?放置したらそれで終わってしまいます。忙しい方ですからね。会いたい理由はあるのでその得られた5分間とそのあとの自分の時間を使うはずです。

同じように中々席が空かない人気あるセミナーなどに幸運にもチケットを得ることができたらその幸運を十分に活用するはずです。

私は会いたい人に幸運にも会えたらその時間とそのあとの時間は非常に大切にするようにしています。

 

この時計運よく手に入れました。ちょうどまとまったしかも使うことができるお金が有った時にずっと欲しかったのをたまたま入ったお店で発見。

人に言ったら運が良かったね、とのこと。しかも正規取り扱い店でのこと、定価(正価)での購入でそれはもっと運が良かったのだそうです。

一番好きな時計で普段はこの時計をしています。

コロラド

以前書きましたがBostonにある会社に勤めていたころよくコロラド州にいっておりました。会社の事業部本部がコロラド州、コロラドスプリングスに有ったからです。

この会社、その事業部を売却しましたがそれがためでしょうか?コロラド州にはその関連の企業が多く遥か後、今度は顧客訪問の形でコロラド州に行く機会も多々ありました。Longmontという町がその主なところになります。このころには新しいデンバーの国際空港を使いましたが以前の空港を知っていますからその規模に驚きました。

さてそんなコロラド、コロラドスプリングスに出張で行った時滞在は長くなり2週間から1か月程度にもなりました。このころホテルに泊まったことはありません。同僚夫婦(二人とも同じ会社)が部屋を貸してくれました。根っからのコロラド人。式―が大好きで二人ともアメリカのナショナルチームの一員だった時期があるほどのスキーヤーです。初めて一緒にスキーに行ったときにはかなり手荒な歓迎を受けました。コロラドはパウダースノーなのです。リフトでどんどん上(最長上)までいき、ゲレンデではない側(パウダースノー)の側を滑り降りる。あまり経験はないしすったもんだでずいぶん遅れましたが無事ロッジのある所までたどりつたら”You Made It”と暖かいコーヒーをくれました。それからはスキーに行くごとに一緒に連れて行ってくれました。コロラドはスキーリゾートとしてAspen,Vailなど有名ですが私たちが行ったのはもっぱら地元の人が良くLaveland,など近場でしたがそれでも大きなゲレンデでした。

春先にはそこでBeach Partyがあります。海のないコロラド、スキーのゲレンデをBeachに見立てるのです。皆でビーチパラソル、ビーチチェア、BBQの用意などをして出かけるのです。4月ごろBostonで仕事をしていたらBeach Party をするからスキーウエアと水着をもってコロラドに来いと連絡がありました。怪訝に思いましたがBeach Partyそれは楽しい思い出です。 水着姿で一度は滑らなくてはならないと例によって頂上まで連れて行かれました。4月とは言えまだとても寒いのです。滑り降りながら凍え死ぬんではないかと思いました。ロッジ辺りに戻ったら一緒に来ていたそれも水着姿の女性が抱きしめてくれたのは中でもよーく覚えています。まだまだ若い(30代前半)でしたからね。体はもうどうにもならないくらい冷たくなってました。

夜遅くまで騒げるんですね。BBQをたらふく食べて帰りましたが帰りの車の中からみた夜空、星の数がとても多く、子供のころ以来の夜空にも感動しました。真っ暗で標高3000メートルにはなりますからね。デンバーはMile Highとして知られ都市部でも既に1600メートルの標高です。

デンバーにも良く出かけました。車で一時間程度のところにあります。

デンバーを車で移動していたら日本の仏教寺院と思える建物がありそこに駐車して散策してみました。その周辺に桜スクエアというのがあります。名前の通り日系のスクエアです。日本食の雑貨屋とかレストランがあり、まず 驚きました。90年代始めのころです。確か大正大学(仏教関連の大学)のちょっとした施設があったようで学生らしき世代の若者もいましたよ。

その桜スクエアにはコロラドの元知事に関するプレートがありました。

第2次大戦中、USAは日系人をキャンプに収容していました。カリフォルニアなど。コロラド州はそれをしなかったのですね。その時の知事が彼らはアメリカ人である、として収容施設を造らない(つまり自由)だったようです。この知事、再選されることは無かったですが、コロラドに移ってきた日系アメリカ人も居たように確かかいてありました。その知事に対する感謝を述べたプレートでした。

丁度時を同じくしてワシントンDCのスミソニアンではその当時の日系アメリカ人収容に対する展示をしており時の大統領がその政策に対する謝罪をした展示もみられました。DCの展示も見ていたのでそのプレートを見た時、その知事の英断には感心するのみでした。

さてそんなコロラド、

ーロッキー山脈の州。国立公園も多いのです。行きそびれたところがとても多いんですがどんな公園に行ってもとてもきれいです。

ーボールダーという町ご存じですか? 大学町です。カリフォルニアのバークレーと並び称させれるほどなリベラルでボールダー共和国などともいわれます。とてもきれいな街ですがこの数年家の値段が高騰したようです。

ーUSAの空軍士官養成学校があります。正しくコロラドスプリングスにあり見学もできます。私は一度行ってきました。大きな敷地で、候補生が案内をしてくれます。現大統領があおった(指導者にはまったく向いていない)ソーシャルDisorderに対していかに軍が対応しているかも以前のBLOGで少し紹介しましたがその場がここのアカデミーです。

ーパイクスピークって聞いたことがあるでしょうか? ここで開催される自動車レースも良く知られます。そのスケジュールに合わせてコロラドに行ったこともあります。 ホテルなど満室になるようですが私はいつも友人宅だったので問題なしでした。

後年出張で出かけるようになってからは空港、ホテル、顧客の3か所だけを回るようになり”つまらないな~”とあの当時をいつも懐かしく思い出していました。

コロラドは政治的にも変化が見られつつあります。中西部の州なので原則共和党が強いのですが、テクノロジー関連の企業がより進出するようになりリベラル化が進んでいます。

元々共和党は今のような政党では無かったですから今の共和党には同意できないできない層もいるようです。

 

残念ながら表題の2枚以外すべて借り物の写真です(コロラドの写真は沢山ありますが全部フィルム)。2枚の写真はスキャンしました。飛行機の写真はエアフォースアカデミーで撮ったものです。 借り物の写真3枚。パイクスピーク。私が行った当時は舗装道路だけではなかったと記憶します。 Beach Party。皆水着ですね。滑ると冷たい風でとっても寒いんです。

元知事。桜スクエアにあります。

私はコロラドはとても好きな州です。

つい先ごろ努力と運について書きました。最初にこちらを読んでほしいのです、もしまだ見ておられなければ。カーソルを置くとリンク先に飛べます。

鬱、以前にも少し触れましたが私は数年前まで5年ほど鬱(病気)でした。最初は軽度だったのでしょうが段々重症化していったようです。その間もずっと働けたのは今思えば運が良かった。

まず最初に、 もしこのBLOGを読んでいるあなた、ご自身が鬱ではないかと思ったら専門医に掛かってください。ほっておかないでください。鬱は気づかないことが多いですがほっておいても良くなることはあまり期待できません。専門医に掛かりまずは薬をとってください。薬でずいぶんと気持ちは楽になります(少し眠くなりますが慣れれば大丈夫ですが合う薬に出会うまで3つくらい試すかもしれないです。私は4つ目でぴったり合いました)。専門医は良く選ぶことです。私はこれもとても運が良かった。何も知らずにGOOGLEでサーチしてその医師のクリニック、場所を知っているからという理由だけで予約電話を入れました。こういった医師とても忙しいのですがたまたま空いた時間があって予約を取れた。しかもその医師は非常に有名なスタンフォード大学の元教授(とても年配)。

薬の処方(と確認)はしますがそれ以外では予約はいつも一時間なのですがずっと話をしているだけです。ほとんど私が話します。なんでも話せるのです。医師は日米関わらず秘匿義務がありますから家族にすら私が話したことは話しません。頭で考えていること、鬱ですから不安や怒りなどが多くなりますが、なんでもとにかく話す。女性は友達と話すことでストレスを解消することがあると言いますがなんでも話すと少しずつ鬱も良くなっていくようですよ。そのうち何かしたかったことやしたいことがあるのかとか、好きなことはとか言ったことも話すようになりますし、秘密も話すようになります(信頼関係ができたら)。アドバイスをされることはなく、やりたいことや好きなことをしないでいると”なんでしないんだ?”と言ったような質問をこんな風に直接的にではなく聞いてきたりしました。本の話も沢山しました。本は以前書きました。 秘密にしている会ってみたい人を話した時、 何事も無理なことはない、探してみたら?と”探す?” それまで考えたこともなかったですが、アポイントの度にそれとなく聞かれたので探してみました。 こんな場合GOOGLEは本当に役立ちますね。 結論を書くと探せたのです。 会ってみたい人に。 そのことと鬱になる前は合気道の稽古に行っていたのを忙しいからとすっかり辞めていましたがもう合気道は無理(腰を悪くしていた)だと思い合気道ではないがGYMに行くようにしました。 片頭痛のことも良く話しましたが、なんで医師に掛からないんだ?と 早速知っている医師(スタンフォード)を紹介してくれました。鎮痛剤があまり効き目なくいつも頭痛(鬱の時の頭痛、何度も死んでやろうと思いましたよ。一度海の崖まで行ったこともあります)、片頭痛は吐くので食べることもできなくなるのですが、痛み止めを処方してもらったら2時間ですっきり! 回数制限がある薬ですが今はこの薬があるだけで“痛くなったら飲めばいいんだ”と思うと痛い時憂鬱になりますが以前のようにどん底な気持ちになることはありません。GYMは片頭痛にも良いんです。

そんなこんなで今はもう鬱で医師にかかることはありません。 年1度だけ会います。鬱は良くなっていますが一応緊急時のための薬は持っています。その薬を処方するために会うのです。

こんな自分の鬱時代の話がしたいからこのBLOGを書いたのではないです。

先日 について書きました。

私は運のなかでも 人との出会いほど重要な運はないと思うのです。幸運も不運も。。。

もちろんここで上げるのは幸運についてです。

はるか以前に自信について書きました。あの時やってみろと言ってくれたプロジェクトを見ていた上の人(私の直接な上司ではない)、Mike Leis。彼が居なければ今こうしてシリコンバレーのFacebookで働いてはいない。

ここで取り上げた鬱にしてもあの精神科医と逢わなければ、会いたいと思っていた人に出会わさなければ、今も鬱のままかもしれない。片頭痛と鬱が同時にどうすることもできないくらいに襲ってきて再び崖に立ったかもしれない(一歩進めばもうこのBLOGを書いてもいない)。

出会いは運。BLOGで書いている出張は鬱の頃もしていましたが医師にかかるようになってから、会いたい人に会って以来ははるかに楽でしかも出張が人生と思えるほどに好きにもなりました。そのころからマイルも急激に増えた。

忙しいだけの出張を若いころしていましたが(鬱ではない)出張が楽しいと思いだしたのはあれからです。もう8~9年になります。

出会いは運。運が来るように努力すると良い、と書きましたが出会える努力はしているつもりです。以前数々の著名人とインタビューをして本を書いた人の話を聞きました。その人は有名人の出る講演などを聞きに行ったとき会場のトイレの位置を調べて目当てとしている人が使いそうなトイレの入り口でじっと待つようにしていたそうです。確率は100%ではないですがそうすることで出会えたとか。しかもトイレというプライベートなこと、普通一人ですね、つまりその出会えたときの1分ほどの時間は邪魔が無い。その1分でインタビューの約束を取り付ける努力をしたそうです。

出張で顧客に会っても私は出し惜しみなくなんでも話します。教えてもらいます。一回だけのミーティングかもしれませんが会えた運は大事にしたいからです。会った後も運が残るようにも努力します。

先にも書きましたが運もお金同様回すことで増える、運は差し詰め分けることですが私は出会った人に”会えて運が良かった”と思ってもらいたいといつもできる限り勤めています。難しいので良く失敗もしますが顧客などに”また来てくれ”と言ってもらえると嬉しいでしょう? 

良く聞きますね、”出会いを大切にしなさい”。

というのは 出会いこそが 

だからだと思います。

そして出会ったらその出会った運を分かち合うように努めてみるとその運は大きくなるように思います。

一緒に食べたり、一緒に笑うともっと楽しいように分けると楽しいです。

まだまだ下手で上手く運を分けることもできない。分けようとして押し売り行為や脅しに近くなることもあり後ですっかり後悔することも多々あります。押し売りではないですが”何かあるんじゃないか?”と勘繰られることもあります。私に修業が足りないんでしょうね。運は回すと書きましたが以前”運は返さなくてはならない”とも聞きました。返す相手は借りた人ではなく別な人にだそうです。それも一人にではなく沢山の”べつな”人に返すのだそうです。これからの人生そうあろうとはいつも思っています。

世界で一番の運をくれた人は?というと 両親ですね。 何しろ自分が今いるという幸運は両親、わけても母親あってのことですから。子供の頃はよく母とは喧嘩をしましたし言ってはいけないようなことも何度も言ったりしましたが さんまさんが常々おっしゃっているように、人生産まれただけで儲けもん、歳を取るとだんだんわかってきます、その意味も。

 

これまで運が良かった人、運が良かったことを知っておくことも大切だと思います。かのJohn F Kennedy大統領の弟である Bobby Kennedy,残念ながら暗殺されましたが、彼は彼の子供たちに ”You are  so Lucky” と言っていました。その心はお前たちは幸運だった(Kennedy家に生まれていますからね)、でもそんな幸運でない人も沢山いる。そんな人たちのために働け(幸運を返すのですね)、と常々言っていたそうです。Boddyは極貧地域に何度も足を運んでいます。選挙うんどう? イエイエ、選挙にいこうにも行けないような人たちのところです。彼は暗殺されましたがビデオを見ると彼の遺体を運んだ列車の通る線路沿いにはそうした人たちが最敬礼をもって見送っていました。

再び、鬱だと思ったら、まずは医師にかかり薬を処方してもらってください。薬で本当 ずいぶん楽になります。鬱は自分が弱いからなるのではないです。どんなに健康な人も病気になります。体力に自信があってもインフルエンザにもかかるのです。薬を取って応急対応して、病み上がりに体力をつけるアドバイスを受けるように精神科医と相談しつつ鬱に対する体力をつけるようにしてください。

鬱だと思う身近な人がいたら医師にかかるように勧めてください。怒られるかもしれないですが医師にかかることで良くなるのです。私は変な素人励ましよりしっかりと医師にかかることを勧めることがもっとその人を助けることになると経験から言えます。薬をまずとることでいったん応急処置をとることは命を救うことになるかもしれないですからね。

薔薇を世話するようになったのも鬱の治療が始まってから。きれいな花が咲くととても嬉しくなります。

上司

先のBLOGで上司には恵まれたほうだと書きました。

じゃあ、どんな上司が理想なのだろう?

日本で理想の上司というアンケートを取ると例えば

黒木瞳さん、

などが上がるようですね。

私の35年に及ぶ仕事人(ずっとサラリーマンです、コンサルタント業もしていますが)の立場でいうと、もちろん日米で違いはあるのですが、

まず、運の良い人。自分の上司が順調に出世していってくれないと困るでしょう?出世する毎に一緒に引っ張ってくれる上司は会社人としてやはり理想です。自分だけさっさと出世していく人もいるようですが、実は少ない。出世するには部下が必要なのです。自分だけさっさと出世していく人は部下が着かないですから早々に出世も止まるようです。

出世をするのに運が良い人(運が良い人は実は実力がありとても努力している)と社内政治を使ってする人に分かれたように思います。

出世しない人の典型は”良い人”。 

良い人だけでは出世しません。虎視眈々とした部下に抜かれた友人も沢山います。

上に上がればそれに伴って違った能力が必要となりますからその時々で必要となる能力を上手く出せる上司を見つけたらついていくと良いですよ。上司を見る目は人をみる目の中でも飛び切り重要ですね。

次が、失敗したときに一緒にいてくれる上司。

仕事をすると色々と失敗をします。以前に書きましたが対外的(社内、社外問わず)な失敗、その最終責任は責任者である課長、部長にあるのです。部下にその責任を負わせようとする上司も多々いますが課内、部内での責任と対外的な責任は別次元なのでそこのメリハリをきちっとした上司は信頼できました。

そして出し惜しみせずに何でも教えてくれるが、自分でやってしまわない上司ですね。

出来る人ほど自分でする? 実はこんな人は上には向かないそうですよ。できる、かつ自分でやってしまう人はスタッフなのです。できるが誰かにさせる人、が上に向いているそうです。私もそう思います。できるので方向や方針を立てたりできたものを適切に評価することは誰よりも優れているけれど自分ではやらない。

でもやったものを自分だけのものにもしない、つまり部下がしたことをあたかも自分が全部やったかのようにはしない。

中々いないですね。頭が飛び切り切れる上司をマーケティング部門に在籍していたころ持ちましたが批評などはくれましたが彼は自分ではなにもしていなかったですね。それでもビジネスはどんどん伸びて行ったのですから戦略、戦術にぶれは無かった。

 

最後に少し評価が甘めな人。

昇進、昇給など人事権は上司の力の源泉です。

やはり昇給、ボーナスが良かったり昇進すると嬉しいですね。

甘めな人が良い。会社の予算などありますが昇進させる、昇給させるために頑張ってくれる上司が良いに決まっています。そのために戦ってくれる上司に当たると良いですね。

遥か以前、確か1991年かな。当時勤めていた会社はだんだん業績が落ちていき昇給と昇進が止まっていたのです。ちょうどその2年ほど前にUS本社勤めとなったばかりだったので運悪く一度も昇給していなかった。。。 何かの機会にそんなことを言ったらしいのですがある時給与明細をみたら金額が違っていました。増えているのです。名前をみると私の名前だし、何らかの間違いだろうとペイロールを扱う人事に電話したら間違えていないと言います。変だなと思って時の上司に聞いたら”昇給させた”と言いました。へ? 特別な昇給でしたがずいぶんと許可を取るのに時間を使ったと後で同僚から聞きました。

もちろんこれら以外にも 

―プライベートを持ち込まない

ー性格がいびつでない

ー差別しない

ーネガティブでない

などありますが、私の経験をかくならこういった面で問題ある人は実際には上に立っておられることは少ないように思います。もっともいつもそうではなかったですよ。全く無経験な上司になる人が雇われて私の上司となったことがあります。USは上層部が変わると新しく入って来たエグゼクティブがまずするのはマネージメントの入れ替え。それまでのマネージメントに問題があるなしに関わらず自分が影響力を持つために入れ替えることをよく行います。エグゼクティブはスタッフレベルのマネージャではないですから誰かの助けを得て自分の部下たるマネージャを雇えば良いのですが数々の理由(通常非常に政治的)から一人だけで選ぶことがあります。そのようなケースに当たると良くわかっていないですから適材を配置することが出来なくなることが多いのです。そのとばっちりを受けるのはその下です。入って来たシニアレベルのマネージャ、自己に自信がないケースが多いですが何としても自分がその地位にふさわしいことを証明するために自分の持つ権力(人事権)を最大限に利用しようとします。こうなるともうチームや業績は一気に下降線を取ります。

さてこんなケースどう進んでいくと思いますか?

Exectuiveは他部署などがら盛んに攻撃を受けるようになります。売れないのは製品が悪い。。。とか、セールスの戦略が間違っているとか。。。

攻撃を受けたExectuiveですが自分が雇った部下を自分で首にすることはありません。それは自分の汚点につながります。どうするかと言うと自分の権力を使い組織変更をするのです。することはというと自分とその失敗だった部下の間のポジションを作ります。これで直接の上下関係がなくなるのです。その間に入った人(昇進させてか、新たに雇うかはその時の情勢による)に処分させるのですね。その人が最初に期待されるのはその失敗だった人を処分することです。通常このような非常に政治的なことは長い休暇中に行われることが多く、Xmas休暇からもどったら体制が変わっていた。。。というのいは何度も経験しています。こんなきな臭い政治的なことも35年も会社人をしていれば何度も見てきています。

性格がいびつな上司に遭遇したら?

私の友人曰く

親以外はすべて替えが効く

とか。。。

でも実際には大変ですね。転職を選ぶか(私は基本的に転職した)、転部するか、USの場合その上司が居座るつもりか、腰掛かを図り腰掛なら我慢するか。。。

腰掛というのは大会社には少ないですが小さな会社の場合、運よくタイトルの良いポジションについたらそれを元に次に行く人です。例えばそれまでManagerだった人がDirectorというポジションで小さな会社に入った。小さな会社ではDirectorといってもManager程度ですがタイトルは何か上ですね。1年もいたら”箔”がつくのでそれを元にもっと大きな会社のDirectorを狙う。こんなことは日常茶飯事です。こんな人はそこに留まるつもりが無いですから少し接していればわかります。こんな人がDirector (日本で言えば部長級でしょう)がやってきたらやはり悲惨な結末になることもあります。早く腰掛には次に行ってほしいと思ったことがあります。直接の上司では無かったのですが方針を決めることがなく(するつもりがないですから)、自分たちの裁量だけを元に物事を進めていましたがそれがトップの意向と合っているのかいつまでもわからずハラハラしていました。

とまあ、会社人をすると

ー上司

ー顧客(セールスやマーケティングのように顧客と関わる場合)

は重要ですね。

私は元上司のほとんどは今は友人でかつ 良き相談相手でもあります。というわけで恵まれてきた方です。もっとも会いたくもない元上司も数人いますよ。

部下も沢山(現在、過去)います。先のBLOGに書きましたが運が良かったと思ってもらえるように心がけているつもりですが おせっかいだったり一言多かったりする面もあるようで自重しているのですが”しまった”の連続です。こんな歳ですが元来がスタッフ向きなので上に立つのは上下関係がなく立てるほうが性には合っているようです。”教え魔”だそうですよ。

教わりたいと言う方いましたら連絡ください。学校の先生が一番性格に合っていると誰かに言われたことがある爺さんエンジニアです。

料理は教わりたいですが。

 

 

古い時計を細々と集めていますが素人です。 誰か詳しいひとに教わりたい。雑誌等を見ても良くわからないです。実物に触れて一つ一つ教えてもらうことで一気にエキスパートを目指したい!!

料理も、こんな風な盛り付けができるところまで鍛錬したいです。今は失敗の少ない中華や肉(グリル)を主にしています。日本食は難しい。味付けのコツを本で読みますが分量通りのつもりでも”XXX少々”とあり、その少々がわからず思った味になりません。

 

フロリダ

フロリダと聞いて何を思い浮かべますか?

―ディズニーワールド、ブッシュガーデンなどアトラクションのあるリゾート(バケーションの地)

ーキーウエストあり、ヘミングウェイの地

ーハリケーン

でしょうか? USに住んでいたら

ー引退後に住むところ(暖かいですから)、

―大統領選挙で重要な州

もありますね。カリフォルニア、テキサスなどは大事ですが態勢は選挙前からわかるのでフロリダなど選挙ごとに熱戦になるしかも大きな州が大事なのです。今年はペンシルバニアがインパクトありましたがフロリダはいつも取り上げられる重要な州なのです。選挙方針が変わったらずいぶん様変わりするはずですがなにしろ憲法事項なので変わることはないでしょう。

とこんなところがフロリダに抱くことでしょうか?

そんなフロリダ、3度ほど行きました。すべて仕事で!

最初は面接で。1993年のことですからもうずいぶん前です。ボストン近郊に住んでいましたが92年ごろから仕事を探し始めていたのです(会社がドンドン傾き始めた)。IBMとIntelがそのころ共同でPowerPCの設計をするという今考えると嘘のような話がありその設計拠点としてフロリダ州にあるボカラトンという町が選ばれたのです。この町、行って分かったのですが裕福なひとの町でお金持ちしか住んでいない。。。住人の平均年齢は45歳だったかな?で若い人はあまりいない。大きなお屋敷街のような通りは出入り口のところに必ずと言ってよい程にセキュリティが居た。道はどうやら私道扱いで通るのにパスを持っているかライセンス番号を記録するかが必要でした。そんなところに会社があり、まずそれでびっくり。。。インタビューに来たと言ったら怪訝な顔をされましたよ。”働くところ”なんかあるのか?ですね。

フロリダは初めてだと言ってあったので面接をはさんで3泊もさせてくれました。残念ながらハリケーン通過直後でマイアミなどでは数々のところが閉鎖していたのですが宿泊はマイアミにしてくれたので夜も出歩いたのですがそんな話を面接でしたら”XXXXには行ってないだろうな?”とずいぶん聞かれました。マイアミというとドラッグのメッカだったんですね、知らなかった。。。です。

面接後次の日の過ごし方として受けたadviceはフォートローダレールに行って海岸沿いをぶらぶらすること。 行ってきました。真っ白なビーチが延々と続く。。。 いや、だから行けと言われたのではなく、とにかくビキニ姿の女性で溢れかえっていたからなのです。ニューイングランドからやってきた30代前半の私にはそれはもう驚きでした。ボカが年配の人の町とすると差し詰めこちらは若者の街。延々と続く真っ白な砂浜に若いビキニ姿の女性がそれこそ溢れかえっていてフロリダの不思議を見た。。。

ここにリンクがあります。

 

日本庭園があり、日本食の雑貨店がいくつもありました。これにも驚きました。Boston近郊でも吉野家(ケンブリッジ)があるだけでしたからね。調べたら江戸がおわり開国後、日本人労働者がこんなフロリダまで農園で働くために来ていたのですね。パイナップル農園だったと思います。そんなことがあり一定数の日系人(と言っても今では純粋にアメリア人です)がいるようで日本庭園や雑貨店もあったわけです。日本庭園などBoston近郊にはまだ無かったころです。確か本願寺関係の寺院もあったはずです。開国後まもなくこんな最果てまで農園で働くためにやってきた人たちがいた。勇気あったのですね。

この会社、OfferをもらいそれをAcceptしたのですが上司にそのことを話そうと思った日の朝電話があり”取り消したい”と言ってきました。”へ?” なんでもIBMとIntelの共同事業を解散するとかでIBMのNYでなら働けるがそれでどうだ?というのです。もしくは確か5000㌦だったかな?有給をとって面接に行ったのでその有給分をカバーする。どちら? NYオフィス、どうも会ったことも無い人が上司になるらしくさすがに危険と思い5000㌦もらっておしまい。 危なかった。。。

遥かに時間がたって25年もたって?今度はマーケティングの技術担当としてフロリダに行くようになりました。フロリダもテクノロジーの会社はあります。

Magic Leapという会社を聞いたことがあるでしょうか?数年前華々しくデビューし巨額の資金を調達したベンチャー企業でAR/VR関連のヘッドセットを開発しています。AR/VRというとGoogleも出しましたが時期が早すぎて上手くいきませんでした。マイクロソフトがホロレンズを出しましたがこのチーム私の上得意な顧客で開発に十分貢献したつもりです。そんな関係でMagic Leapも私が担当する顧客でした。イスラエル(テルアビブ)にも大きな開発チームがいます。もちろんシリコンバレーにも。考えてみるとこういった顧客を持ったことが今につながっているのかもしれません。私はいまFacebookでAR・VR関連の開発のある部分の開発責任エンジニアをしていますから。

さてそのMagic Leap。私が中国に出張している間に不都合を発見したとかで急遽Meetingがしたいと言ってきたことがあります。 中国にいるから電話かビデオでと言ったらFace2FaceのMeetingが必要だと絶対にひかないのです。躊躇っていたら会社の担当するセールスが会社上層部に苦情を上げた結果(アカウントが大きすぎた。。。)、なんと中国出張を途中切り上げして上海からフロリダ直行でMeetingに出ることになってしまいました。今度は中国側が怒る。以前も書きましたが基本コミッションで働くセールスは社員とは言え個人業。自分のアカウント第一なのです。そこをマーケティングなどがうまく差配するのですが大きなアカウントを持ったセールスの場合頭を飛び越して上層部に上げることが多々あるのですがそうなると軋轢だらけになります。

結論を書くと、上海からLA経由でフロリダに行ってフロリダからSFに戻り自宅で一泊して次の日上海に戻りました。一週間の出張が一泊自宅に戻ったとは言え2週間に。55歳ごろ、まだ体力があったのですね。マーケティングとセールスは体力も大事。

さてその会社、なんとフォートローダレールにあります。LA経由で時差があっても3時ごろ着。時差はもう通り越してましたが宿泊したホテルはあの白い砂浜のすぐ間際。しかも時期はいわゆる大学生のSpring Break。この時期大学生が大挙してこの地を訪れるのです。歳は取りましたがまああれだけの数の若い水着姿の世代と遭遇したのは最近ではないくらいで時代は変わってもここは全然かわってないな~と思いました。ただ、とにかくうるさくで、30代の頃はそんなこと思わなかったのですが、歳を取ったかなとあの時思いました。

 

 

借り物ですがフォートローダレールのビーチと大学生のSpring Break。 そこら中にパラソルとビーチバレーのこーとなどがあります。とにかく大学生だらけ。 

砂浜はとても白いです。とってもきれいな海を見ることができます。

これも借り物ですがマイアミの日本庭園。ここに行ったのかどうか覚えていませんが25年以上も前にマイアミに行ったとき行きました。確かどこか日本食の雑貨店にも行きましたがボストンの吉野家よりずっと充実していた。日系人アメリカ人がいるのを知って本当驚きました(その歴史を知って)。

運と努力

人生は運か、努力か?

努力をいくらしても人生上手くいかないことが多いです。努力が足りない、もっと努力しろ、まだまだこれからだ。。。などと助言をする人も多いです。

が、私は”努力”ばかり挙げる人をあまり信用していません。成功している人の話、本などを沢山これまで見てきましたがそんな中で”運が良かった”と話している方、書いておられる方がこれまでで一番私なりの経験では信頼できる。

私も基本的に運が良かった方だと思っています。

かのビルゲーツさん、人生は平等ではないことを知っておくことは必要だとおっしゃっておられる。その通りだと思います。

努力だけで成功できるほど実は甘くないのです。実力だけでも、持って生まれた才能、容姿だけでも成功できるかというとそんな保証もないと思います。

                          

運が必要なのです。狩猟生活だったころ、どんなに実力があっても、どんなに槍や弓矢の練習(努力)をしても獲物に逢うという”運”がなければ獲物は獲得できなかったはず。持って生まれた筋肉力だけでは獲物は獲得できない。獲物と遭遇するという運が必要だった。。。

では運だけなのかというとそうではないですね。運よく出会った獲物がライオンのような動物ならこちらも負けん位の筋力が必要だし、インパラのような動物なら瞬足も必要でしょう。持って生まれた才能もありますが筋力を鍛えると言う努力をしてこなければ獲物を獲得することはできないですね。

また獲物にどうしたら逢えるかということを知るのも必要。これなどいいかえると運に遭遇できるそんな努力をするんだと言いかえれる。つまりがむしゃらな努力(獲物を探してあてもなく歩き回る)より獲物の足跡を追跡するそんなことを知る努力をすると獲物に遭遇できる機会も増える、しかも自分が狙っていた獲物に逢える運も増えるはず。運を呼び込む、会えるそんな努力が必要なのです。

でも時として何にも準備できていないで獲物に遭遇することもあります。そんな時みすみすその獲物を逃したでしょうか? 私は昔の狩人は逃さなかったと思う。次またいつ出会うかわからないわけです。同じようにチャンス(運)がきたら躊躇ってはいけないと以前書きました

運か、努力か?

と聞かれたら その時々で変わると答えますが私は個人的な経験では運が始めは圧倒的に大きな要素を持っていました。私個人の経験では運90%、努力10%。でも時々で変わりますよ。固定じゃない。

固定でない理由は人生は運と努力のサークル(繰り返し)の連続だと思うのです。運よく何らかの機会に巡り合えた。そこで努力しない人はいないでしょう、もしその運を自分のものとしたければ。逆に努力した結果として運が巡ってくることもある。どちらが先と言うことはないのです。

私は大学入試に関しては努力90%、運10%だったと思いたいですが、これも今思えば運60%位かな。それ以後の人生、どちらかというと運が先にやってきたように思います。でも運がやってくるような努力も人並みにはしてきたと思いますよ。仕事で一番良かったのは上司には基本的に恵まれました。いつも良い上司というわけではないのですが恵まれたほうです。仕事は上司で決まる面がとても大きいですからラッキーだったと思います。ですから部下には私は”ラッキーな上司だ”と思われるようにしたいといつも私なりに心掛けていますがその分おせっかいなところが多いようです。差し詰め今の若い人たちには嫌われるタイプでしょう。

躊躇しない、 だけは心がてきましたが女性にだけは躊躇した。お陰でかなりな晩婚になりました。。。異性についてはそれこそ運が決めてだと思いますがその運が巡ってきたら、躊躇はしないことですね。教訓として。

運だ、運だと言ってますが運を取り込む努力は必要。以前アーノルド・シュワルツェネッガーさんのスピーチを取り上げました。またデンゼル・ワシントンさんのも。彼らは私など比べ物にならぬくらいの努力をされてますし、飛び切り成功もされています。運を呼び込む努力をされてきたからだと思います。

どんな努力なのだろうと今でもよく考えることがあります。私なりの理解ですは

まず ビジョン。以前ビジョンとは何かについても書きました。ビジョナリーという意味でのビジョンではなくまさしく映像。これをしっかりと焼き付ける努力をされてこられたことがスピーチからも良くわかります。こんなビジョン持ってますか?と自分自身良く考える時があります。

次が行動する努力。考えてばかりいない。前国務長官、かつ前統合参謀本部議長でもあったパウエル将軍の言葉に

Execution Matters 

行動することが大事だというのもあります。これも紹介しました。

たぶんこの二つが運を呼び込む努力には欠かせないように思います。

そうすることで運と努力がぐるぐる回り始めると思います(経験)。

そのアウトプットは何だと思いますか?

      自信

だと経験で思います。

自信がつくとよりうまくいくようになります。ただ、過信はしないこと。自信が過信になると残念ながら転落していくようです。運が離れていくんですね、きっと。過信すると努力を怠るからでしょうか?運と努力はぐるぐる回す。そうそう、お金も回さないと活けないのですが運と努力も同じ。

運についても回す。回すというのは誰かに運を分けることですね。がめつく貯めようにもお金をがめつくため込んでもたまらないように運もたまりません。 お金は運用して多く増えるのです。貯めてもそんなに増えません。運もわけることで回る。努力と運を回すこと。

これを常々心掛けるような努力、

これぞ、成功(幸せ)の法則。そう思っていますから少ないですがこれまで運は有った方なのでこれからはもっと運を分けたい。

分けると言えば食べ物、料理ですね。食べ物と幸福は独り占めしない。

どちらも誰かと一緒に作ったり食べたり、片づけたりすると

効率が良い

楽しい

となります。 作らなくともレストランでたべても一人より二人だと幾皿もの料理をオーダーできてより楽しい、美味しいとなる。

一緒に料理するとそれは楽しいですよ。

というわけで私は料理を若い人とくに男性には薦めています。

 

以前も使った写真です。行動しなさいと言ってますね。 

料理は歳を取るごとに作る回数が増えてきました。とくにしごとが忙しかった週末は手の込んだものに挑戦したくなります。

料理を本格的に習いたい。好きな人は栗原はるみさん。料理の本を見ると簡単そうで時々トライしますが魚は難しい。私はもっぱら肉料理。肉は失敗が少ないから男性でも手を付けやすいようです。

 

ソウル

以前少しだけ韓国に触れたことがあります。

出張で韓国に行っていた時期がありましたが最近5年はハタと行かなくなりました。もっとも今はマーケティングから開発(R&D)に戻ったので出張は学会や大学の研究室を訪問する以外無くなったので頻度が少なくなっています。2020年はそれに加えCOVID19もあり出張はゼロと最近20年でこれもまた記憶に残る年になりました。韓国に行っていた分を中国に回した、と言うのが実態で、アジアは15年前は日本10、台湾、韓国7、中国5程度だったとするなら3年前には中国10、台湾5、日本3、韓国1といった程度の比率に変わってしまいました。中国の隆盛に伴い日本と韓国が相対的に落ちたのですが台湾はそれでもなんとか持ちこたえた。台湾は中国同様、New Business (小さい会社)がドンドンできる環境がありそういった小さな会社訪問も積極的に行っていたからなのですが韓国と日本はこうした小さな会社がわたしのビジネスに限ると皆無に等しかったのです。

つまり韓国は財閥系企業が圧倒的なため私が訪問する企業はSamsungとLG以外にありませんでした。ここまで財閥系が経済を握っているのは不思議なことなのですが過去なんども政治が介入しているようですがあまり変化はなさそうですね。

わけてもSamsungに良く行っておりましたが非常に高飛車な組織で訪問するたびに”どっと疲れ”がでます。

まず友好的でない、と言うのが率直な感想でベンダーに対して非常に高飛車です。今は立場変わりであちらがベンダーになるのですが過去の経験があるためどうしても私も妥協しない。立場変われば。。。というわけで今度は私が強くなったわけなのです。”できないわけないだろう?”と半ば脅しのようなことを何度も経験してきたのでその経験がどうしても蘇るのです。さんざんやってその挙句ビジネスにならない。。。それでもまた行くわけです、何しろSamsungですから。相手もそれを知っているので高飛車にでる、というわけです。今は立場逆転なのですが。。。

そこで振り返るに、ベンダー、顧客、立場は永遠に固定ではないのです。ある人曰く、永遠に固定なのは親子関係だけだと。。。いや、この関係すら突き詰めれば立場変わりえますね。

上司、部下、 先生、生徒、など人同士の関係はいつでも変わりうる。立場変わればということです。だから偉ぶらない、立場を利用しない、というのは生きていく上で、仕事以外の場でも重要なのです。私の合気道の先生、8段かつ師範で世界中に教え子(弟子)がいます。彼らの中にも道場を開いている方々が沢山いますが先生とにかく腰が低い。初めてお会いしたのはもう25年も前ですが後ほど経歴を知って驚きました(何も調べないで道場に行った)、とにかく高名なのです。が、先生は私に弟子入りしたのではなく”お客さん”だと初めてお会いした時言われました。”道場費”を払ってきてもらっている、自分はそれで生活していると。もちろん通っている側はお客のつもりは全くないのですが先生はそれくらい腰が低い。非常に高名な師範で各国に招待されますがあの腰の低さが尊敬を集めるのだろうと思います。世界中どこに行っても誰かが招待してくれます(したがってホテルに滞在したことは無いそうです)。

高飛車なのはひとつには今でも上下関係がとても厳しいことがあるのでしょうか? ミーティングに出ていても中国人や台湾人と比較すると韓国は上下関係が圧倒的にあるようです。日本もありますよ。2か国に共通しているのかもしれませんが名刺をいただくと地位(タイトル)がとても細かい。日本だと例えば係長と統括係長、似ているようで全然違うらしい。つまり係長にもランクがあるんですね。韓国も似たところがあるようです。

さてそんなソウルですが、出張はなぜかいつも真冬でありました。とても寒くなるんですね、韓国は。真冬にインチョン空港に降り立つ。防寒着を着ているつもりなのですが寒い。サンフランシスコからの便は夜中に着く便が多いのです。冬で夜中、正に凍える寒さなのですが空港からホテルまでもっと凍り付く経験を何度もしています。 Inchonからソウルまで、車の移動は高速道路を多く使います。夜中の便だともうソウルのラッシュアワーを過ぎているので道は空いています。 また真偽は知りませんが未だ休戦中のKorea, 高速道路は戦車が通れる、戦闘機が離着できるように幅広くかつできるだけ直線に作られているとかで、スピードが出しやすい設計なんだそうです。

事実かどうか。。。ですがTaxiはもう時速150キロは出していました。ミニバンのようなTaxi にも乗りましたがそれでもスピードは変わりません。しかもドライバーは皆無言。もう少しゆっくりと言っても、現地の言葉はわからないので英語で言っても無視?

そんなスピードでどんどんレーンを変更して追い抜いていくので生きた気がしません。そんな話題をお客と会食したときにしたら、”私も経験した”と。。。以来、韓国ではバスを使うようになりました。

出張では会社によってはホテルを指定していることがあります。以前働いていたベンチャー企業はセールスVPがCOEXエリア(カジノなどもある大きな地下街を持つ一帯)のインターコンチネンタルホテルを指定していました。寒いソウルを快適に過ごすのは地下街?COEXエリアの地下街は大きいですね。地下鉄も通じていてとても便利で気に入っていました。

その後務めた会社はロッテホテルを指定していたのでロッテ。このホテル確か4階に韓国式サウナ(銭湯のようなもの)があります。宿泊でなく訪れる客(ソウルに住んでいる人)でごった返していた時がありました。GYMもあるのですがここも宿泊でなくとも使えるようでそんな人たちで占拠されておりました。そんなこともありロッテホテルは好きでなかったのですがCOEXにしたいと言ったら契約レートが使えないからだめだという。残念。

寒いソウル、食事はとにかく辛いですね、 日本の感覚で

ーおでん?と思ったら具がどれもすべて辛かった。

というのもあります。

私はもっぱらサムゲダンを食べていました。毎回たべるので現地の友人は”違うのを食べよう”と寿司を食べに行きましたが”つな”ばかりでびっくり。あまり他の魚は食べない?

韓国は2社しかないので一日で仕事は終わるから2泊以上したことがなくそれでも観光地として知られた明洞、江南地区などに足は運んでいます。あの頃は日本人と中国人観光客の比がちょうど入れ替わるような時期だったのでしょうか、日本語と中国語が飛び交っていましたがCOVID19な2020年はあのあたりも閑散としているのでしょうね。

InchonはとにかくDuty Freeが多い空港。私の知る空港では最大級ですがいついっても中国からのBUYERが沢山購入していました。観光ではなく空港で買う、受け取るのですね。韓国の次は中国というのが私の出張ルートになっていたので搭乗ゲートあたりでこんなBUYERを沢山見かけました。Duty Freeも今や中国人BUYERや観光客がいないともたないでしょう。もっともDuty Freeで購入するより実はOnlineのDiscount Siteの方が圧倒的に安く手に入るようにもなっています。そういうこともあるのでしょう、ホテルに大量に荷物が届けられる光景を何度も見ています。2次市場で値下がりしないような商品はDuty Freeで買うことはできないと以前教えてもらいました。以前ですとヨーロッパの空港でDuty Freeを沢山見かけましたが数、品物が明らかに少なくなっているようです。Inchonはあれほどな規模でDuty Freeを持っていますが今後のBusinessは大丈夫かな?と思うこともあります。Duty Freeというと酒類、たばこもありますがたばこは消費が少なくなっている、酒類はことUSAの場合、国内線の便に乗り換える際再度セキュリティークリアランスを通るので持ち込めない(香水類も引っかかることがる)など、液体に対する制限が多くなっているので売り上げが減ってきているはずだと私の同僚が以前言っておりました。確かイスラエル行きの便は搭乗前に再度手荷物を検査して液体は空港内で購入したものでも破棄する必要があったはずです。

そんな韓国ですが本当行かなくなりました。日本、韓国、中国という順序もしくは韓国、中国、日本と言う順序で出張していましたがこの5年は中国だけか、中国をハブに台湾、日本をちょっと寄るというスケジュールになっていました。韓国を最初にする理由は一社くらいなのでスケジュールがとても立てやすかったからです。中国は国内移動も大変です。

出張を通じてもアジアでの勢力の動きを肌で感じることができます。

沢山写真があるんですがどこにセーブしたかわからず、とりあえずこの2枚。ロッテホテル近郊。ロッテパーク?とでもいうのでしょうか。ディズニーランドの小型版? このそばには人口の池もあったはずです。住民の方が散歩をしていました。私も散歩しますがアジアの国ではどこにいってもいったん人込みに紛れ込んだら地元民のようですね。残念ながら韓国語は読めないので何を書いてあるのかは全くわかりませんが色々な書き物も多く見受けます。

とにかく寒い。寒い時だけ行ったからですが底冷えの寒さ。