上海 2

上海は何度も行きましたが幾たびに変化があるまだまだ開発途上の大都会。中国な面とメトロポリタンな面を持った一大都市ですがまだまだ東京、ロンドン、ニューヨークにまでは至っていない。これは言ってみればまだまだ発展途上にあるということです。

上海は古い町です。以前バンド地域の写真を掲載しましたが欧米列強が上海に租界を作っていたころの名残ですね。ヨーロッパ風の荘厳な石づくりのビルが立ち並びます。夜のライトアップはとてもきれいです。河を隔てた浦東地区が新しいファイナンスの地域となっていますがバンド地区のビルもほとんどは銀行関連の会社が入っている。

私は小さな会社のコンサルタントを始めてからは世紀大通り(浦東)周辺にある中国人ビジネス客が利用するホテルを定宿としましたがこの界隈も大きなショッピングモールが林立しまたいわゆるバーも多くあり夜遅くまで事業で成功したであろう中国人男性(得てして若い)が何人もの若い女性を連れて飲み歩いているのを見かけました。ちょうど日本の新宿のような雰囲気ですね。歌舞伎町とまではいかないですが。こういったエリアに来るともうほとんどいわゆる海外からの人はほとんどおらず英語もあまり通じません。クレジットカードの使用もままならず、中国ではWechat Pay, Ali Payの世界。 ほんの一昔前は現金の世界でしたがいまは電子マネーですね。 クレジットカードが使えるのはホテルの宿泊だけ。ホテル内のレストランでもクレジットカードを取ってもらえず現金不足になり急遽中国にいる友人に助けてもらったこともあります(電話してわざわざ来てもらったのです)。以来現金を沢山持っていくようになりました。WechatはUSAではもう使えなくなっていますしWechat Payは中国内に銀行口座が必要で外国人には使えないので便利なようで不便になりました。クレジットカードも中国発行ならなんとかなりますよ。でもVisa, AmexなどUSAの資本系はだんだん使えなくなりつつあります。もちろん観光客の多いエリアに行くと使えるのですが。

そんな海外の観光客、ビジネスマンがあまり行かないエリアに足を踏み入れると色々と別な上海も見えてきました。ここはやはり中国だなと。日本と同じくどこに行っても不安(安全上の)は感じません。夕食などは基本そういった地域で済ませましたが食べるものをオーダーするくらいの中国語は勉強しているのでなんとかなりました。英語は若い子がいないと基本通じません。日本も同じですね。中々通じないのでヤキモキしますが出てくる食べ物は基本美味しいですからなんとかなります、間違ったものが出てきても。

そんな上海の写真は一枚もないのです。食べるためにぶらぶらしていただけだし、しかも夜とても遅く。そうそうローソンとファミリマートは沢山あります。ローソンでドリンクを買いましたが日本同様、色んな種類があってそれも楽しい。こんなエリアにわざわざ観光で来る必要はないですが東京に観光でいきそうだな、江戸川区の新小岩、大田区の蒲田などに宿泊してその界隈を散策したらあんな感じなのだろうか?と思います。 それはではKerry Hotelだとか言ったとてもアメリカナイズされたしゃれたエリアの宿泊してしていたので経験しなかった夜の上海を色々と体験できたのは良かった。

写真はすべていわゆる観光地の上海。こんど行くのはいつになるかわかりませんがきっとまた様変わりしているに違いない。

 

上海一のショッピング通り。ひとが溢れかえっていた。このレストラン、構はとても古かったが内部はとてもきれい。。。でも現金を要求され、少し足りなかったのですが”おまけ”で許してもらった。現金を全部使ってしまい中国にいる友人に借金をしました。まだ返していない。。。300元なのですが。いつになることやら。

 

人を見る目。。。

セールス以前のBLOGで人生で一番役立つ一芸はセールスだと’書きました が、それよりも重要だと思うのがありました。これを忘れていた。

それは 人を見る目

以前何かの本で読みましたが材木問屋では丸太(まだ切られていない木)をそのまま買うんだそうです。その木(外見ですね)からとてもきれいな木材が取れるかどうかの判断をするそうですが買ってみたら仲が虫食い、もしくは節だらけだと良い材木は取れないですね。がさだろうと思われる木が実はとてもきれいだったりもする。それを見分けることができるかということなのですね。経験が重要だそうですが漫然とした経験ではだめで経験を裏付ける勉強も欠かせないに違いない。何度も失敗すればわかるというものでは決してないそうです。それは単に負けることを沢山経験したに過ぎないわけですからね。負けてもいい、また起き上がればと言いますが、起き上がり方が重要。戦いで起き上がった後同じことをやったらまた倒されるだけです。起き上がる前に次はどうするか、考えますね。

ひとを見極める、ひとを見る目も同じです。

人を信用する,しないもありますが人を見る目とは信用だけではない。嘘をつかない、だまさない、約束を守るというのはどちらかと言うとその人の人格面ですね。人格面を見る目は重要なのは当然のことです。例えばそれがあなたの将来のパートナーと考えているのであればとても大切ですね。しかしながら私がここで取り上げているのは違った角度からの人を見る目です。

人を見る目とはその人と一緒にすれば成功する、幸せになれる、これを測る、見抜くことですね。信用はできるけれどいつまでたってもうだつが上がらない人もいます。セールスで例えるならその人と商談を進めていても全然進展がない。ちょっと約束などで頼りない(すっぽかされたりする)けれど、実は頼りがいがあり商談に進めたとするなら、どちらの人が良いでしょうか?”楽しいから”といつまでも付き合おうとする人もいますよ。結局自分のことだけ考えているのですね。あなた(セールス)としてはもうそろそろ商談に入らないと。。。焦るかもしれないです。そんな時に不用意にそのような人に出ると実はとても邪魔をされることもあります。”良い人”ぽいのでこれは騙される(だまそうとしているわけではないにしても)結果となりますね。

昔読みましたがスポーツの世界、コーチも選手もお互い自分にとって重要な観点からお互いを見ているそうです。

もちろん嘘はつかない、だまさないなどより人格に関した面でも人を見る必要はありますが、人格にばかり焦点を置くと本当にいわゆる”良い人”ばかりを探し出すことになります。 その”良い人”と自分が今”欲している”人は必ずしも同じではないはずです。そんな観点で人を見る目、を持つと必要な仲間、一緒にやっていく仲間が見つかると思います。

特に友人との関係は難しいです。友人と仲間は違うと何度も書いていますが、区別のつかない人が多いと思います。しかも自分は友人と思っていても相手は”知りあい”程度にしか思っていないこともあります。大人の交友関係は複雑で人間社会利害が絡むと突然難しくなります。元同僚と言うだけでは友人ではない。知り合いであることが多いです。

なんだか脅しているようなBLOGになりましたがBLOGのタイトルは私の人生遍歴。長い人生(仕事人としての)、色々あったんだな~と言うことなのです。

人を見る目を私のように老齢になって得るより若いうちに意識して経験することでより人生は充実します。これは確かだと思います。

写真の時計はロンドンで買いました。本物か、どうか、骨董品は品定めが難しいですね。

東京で。 ディスプレイは偽物ですね。でも本物そっくり。

人生の時間 追加

以前のブログで人生の時間は風船の中の空気のようだと書きました。生理的な寿命は人が産まれた時に(遺伝子的に)定まっていると言った記事を読んだことがあると書いた。

今回はそのBLOGのちょっとした追加です。以前のBLOGも見てくださいね

良く言われるように時間の感覚は子供から学生、そし若人、年配、老齢と歳を経るごとに長くなったり、短くなったり感じるようになります。

あれ、もう年末?何も出来なかった。。。と思ったことはありませんか? 5年などすぐ過ぎ去。同じ時間なのですが。苦しい時は長く感じて楽しい時はすぐ終わる。。。と思っていませんか?私の感覚では、同じでした。どちらも同じように時間が過ぎてゆく。 あれっと思っているうちに10年。時間は有るようで少ない。しかも貯金のように後で使えない、ためておいても増えない。風船がしぼまないようにずっと空気を入れ続けたり(新しい空気ですね)もとても難しい。新しい生命を得る(つまり若返る)ことをテーマとした映画も多いですが現実にはかなり無理がある。若返るのではなく体力としての老いにスピードを遅らせるのが精いっぱいですからね。

幸い、頭(頭脳)は他の器官と異なり若いまま居れそうですね。80を過ぎてもとてもシャープな頭脳の方も多いです。脳が使うエネルギー量はとても多いですが脳だけが自分で欲しいエネルギーを調整できるのだから臓器の中では優位な位置にいますね。

さてその人生の時間。有効に使う一つの方法は並列に物事を行う。私の身近な例で言えば出張。海外に出ることが多い人生でいろんなところに行ってます。でもいわゆる休暇で行ったのはイタリア、マレーシア、タイのわずか3か所。あとはすべて出張です。出張だから休暇のようにはいきませんがそれでも色んなところに行っている。USA国内も既に23の州に行ったか、住んだかしている。アメリカ人の平均より圧倒的に多いそうです。出張なのでそこに滞在できるのは良くて二日程度なことが多いですがそれでも色々といけましたよ。何度も行ったような地では毎回違ったところを探索しましたし。

仕事だけでなく勉強でも趣味でも並行して行えたら良いですね。勉強なら留学はその一つですね。今はあまり留学しないと聞いたことがあります。30年も前になりますがBOSTONにいたころ町で多くの日本人(女性)を見かけましたが、なんでもフラワーアレンジメントを習うために留学しているんだとか。友人宅によばれた際に花を持っていこうとして入った花屋さんでのことです。何人もいましたよ、その花屋さんに。私が働いていると言ったら非常におどろかれました(それくらい学校以外では日本人がいなかった)。

歳を取るとどんどん焦ります。あれも、これもまだ出来ていないってね。それこそひとつずつやっていると時間が足りない。だから今は何でも並行してできるように、できるようにと考えています。まだまだ行きたいところもあります。2021年の学会のスケジュールをみて行ってみようと思っていた地での開催ならなんとか理由をこじつけて出てみるかなとか、コンサルタントの仕事もしているので自分が関わりたい(基本的に教育)プロジェクトがないかなと探したり。

一人では全部できないですからアシスタント、いや仲間を見つけたり(新しい仲間)、代替えの方法がないかなと考えたりと色々です。仲間もその時々で変化があります。以前書きましたが仲間==友人ではありません友人の中にはもちろん仲間になる人もいますよ。例えば私が長く働いたベンチャー企業の創業者、3年ほど前に新しい会社を興しましたが以前の会社を一緒に始めたメンバーは一人だけ。あとは皆新しい仲間です。新しいことをするのに適切な、必要なメンバーを揃えたのです。喧嘩別れしたとかではなく、事実前の会社のメンバーで定期的に持っているランチ会には必ず出てきます。必須なメンバーですからね。昨年、私は声がかかりました。そろそろ製品が出る頃で顧客とうまくやっていてる私に一緒にしないかという誘いでした。今働いている会社が既に決まっていたので行きませんでしたが彼はその時々で必要な仲間を集めているんですね。この会社最近大きな会社に買収されました。また数年もしたら新しい会社を創業するでしょう。その時は別なメンバーを仲間にしているかもしれないですよ。私は細々とやってきたサイドビジネスのようなコンサルティング業を手伝ってほしい仲間を見つけたので一緒にやってもらえる環境を作りたいと試行錯誤しています。古くからの友人ではないです。並行して行う、一緒にする、など色々な方法で時間を作る、節約するというのが歳を取るごとに、何しろ生命的な時間がドンドン少なくなっていきますから重要だなと増々実感しますよ。

若いと時間があるように思うのですが、 あっと言う間に年末になっていませんか?

BOSTON良いところなのですよ。今どこでもUSA内で住めるなら、第一はハワイ、第2はたぶんシアトルそして第3位はBOSTON.。 それからシリコンバレー地域と言った順に私はなります。そう、シリコンバレー(今私が居る地域)よりBOSTONを取りますよ。写真、沢山あるのですがデジカメがなかった時代だったので簡単にアップロードできない。こんどアップロードしようと思います。シアトルも好きですがそれだったらカナダのバンクーバーが良いですがUSA内だったらと言う条件なので。 世界のどこが良い?となると私は東京かロンドン。いずれこれら2都市にも住むところを確保したいと思っています。そのつもりで仕事しています。仕事はいつまでも引退する予定はない。人生の時間全部使いきるまでは。もっとも自分の仕事に変わっていくと思います。

この時計は私と同年齢。年齢を感じさせないエレガントさがありますよ。こんな風になれたら良いのですが。。。

学歴

私は日本の大学で修士課程を修了(80年代中旬)。もうかれこれ40年近く前。あの当時博士課程に行く学生は少なかった。私は色々な事情があり最初から博士課程は検討もしていなかったですが同窓(同級生たち)は博士まで行くと職がなくなるからと言ってました。会社が博士を欲していないと信じられていた。

さて今私が働いている部署、私以外で5人いるのですが私を除くとみなPh.D (博士)です。以前いたベンチャー企業も博士率は高くエンジニアだけで考えると20%以上は博士だったでしょう。今数えてみても20人以上すぐ名前が出てきます(エンジニアは100人程度だったかな)。

日本では博士イコール研究者といったように思われがちですが今一緒に働いている同僚、ソフトウエアの開発エンジニアです。確かにある種の数学(線形代数)などに詳しかったりしますがそれを除けば私と同じレベルのエンジニアでやってることは私がハードを担当して彼がソフトの担当をする。なんだ、博士課程まで行ったのに研究をしないでエンジニアをしているのか。。。と思う方もいるかもしれないですね。私も30年ほど前USAに来た当時はそんなことを思ったものです。エンジニアをするんだったらPh.Dにまで進まなくったってできるじゃない?とね。今はそんな考えは全くないですよ。勉強(学業)と仕事は分けて考えるようになったからです。

とはいってもある種の学歴は役立ちます。その双璧がPh.DとMBA。 私の元上司と今の上司はどちらも修了していたりする。二人ともとても頭が切れる。元上司は今大きな会社でSenior VP(会社のトップ5ないに入る)で大きなR&Dグループを抱えています。日本と比較すると世界はもっと学歴社会です。

30代前半、スイスにあるIBMの研究所で働きたい時期がありました。以前書いたのですがスイスに漠然とあこがれていたからですが、ここに入るにはPh.Dは絶対条件。その当時働いていたチームにはBostonにある大学の教授がアドバイザーとして参加していましたが彼にもPh.Dを薦められました。彼の研究室に入っていたら今頃は全然違った人生になっていましたね。

その後、当時のATT ベル研究所で働ける機会を得たことがあります。トランジスタの発明で知られたペンシルバニア、アレンタウンという町にあるのですがとにかく田舎なのです。田舎すぎて。。。といったらニュージャージー、ホルムデールという町にもチームの半分がいるからと見に行きましたが黒い大きなビルでしたがやっぱりすごい田舎。バスと電車でNYCまで出れるよ、と言ってくれましたが働いていた会社がカリフォルニアのオフィスへの転属をオファーしてくれたのでそっちを取ってしまった。ベルに入っていたら今頃はPh.Dでどこかで教鞭をとっていることでしょう。ベル研と言ったら少なくともあの当時は権威がありましたからね。いまもでしょうか?囲碁将棋倶楽部があるからとそこもにも行きました。”将棋を知っているか?”と聞かれ知っていると言ったら将棋をしながら色々とは研究所のことを教えてくれました。のんびりしたことろだった。。。帰り(夕刻)外にでたら、建物そばに池(湖)がありましたが水鳥とカラスが沢山いたのをよく覚えています。正しく研究機関だったのですね。

ビジネスの世界でしたらMBAでしょうけれど、こちらは”どの大学?”というのも重要になるようです。特に今は本当に沢山の聞いたこともないような大学もMBAプログラムを出しています。授業料がとても高いので”利益率”が良いんだろうなと勘繰ったりするのですが、この歳になってもまだ大学からのダイレクトメイルを受け取ることもあります。

ただ、学位は必須じゃないですよ。友人でIntelの Sr. Fellow をしているのは大学院もでていません。私の元上司(既に亡くなった)の学部卒でしたがStandford大学の大学院生(博士課程)を教えていました。 学業と仕事は分けて考えると当たり前ですね。仕事からくる経験、学位にはなりませんが知識、実力はあるわけです。ただ学位と違いわかりにくい。友人のようにIntelの Sr. Fellowにでもなっていれば良く知られた会社の良く知られたタイトルですから良いのですがすごい実力があっても小さな会社でStaff Engineerというタイトルだった場合どれほどなのかすぐにはわからない。そんな時名刺にPh.Dとあると、ああ、学業を修めたのね、とわかりやすい。銀座辺りのクラブでもすぐわかりますよ。名刺に XXXX博士と書いてあったらホステスさん皆さん”賢い人”だと思ってくれますよ。

今学校に戻りたいか? 家人には言っているのですが引退したら大学に戻ってPh.Dを取ると。”好きにして”となるのですが、理由は大学で教えたい。今や教えるには、たとえ講師でも、たとえ40年近い経験があっても学位が先ということなようなのです。それに40年来の思い、IBMのスイスにある研究所にも行ってみたいですから。

昨年Zurichに行った折もその建物外観をみて、ここに来たかったんだと当時を思い出していました。

チューリッヒ (スイス)写真はETH Zurich. 町の中心にある丘にありました。 山の上から撮った写真では右下方向に白い建物が見えますがこれが確かIBMのZurich研究所です。

セールス

以前BLOGでも何度か取り上げている話題です。以前一芸について触れた時私が欲しい、いや一番価値があると思う一芸はセールスだと書きました。エンジニアを長くやっているとセールスなんて簡単なこと、技術、製品が良ければ売れる、売れるのは製品、技術、サービスが良いからだと思いがちになります。

この傾向は特に技術者が創立したスタートアップ企業に多いです。それまでずっと技術を扱ってきた人(たとえそれがエンジニアリングのVPでも)が会社を創立してトップに立ち、その人にそんな考えが強いと実は中々会社うまくいきません。技術が優れているのに成功しない会社も多いでしょう?会社が小さいうちに製品というより技術者を売ってしまうことが目的なこともあります。つまり吸収合併されることが目的。そんな場合でも技術者が先頭に立つと合併時の条件があまり良くなかったりします。

エンジニアとしてセールスに携わることもあるでしょう。同行して顧客ミーティングにも出たりする。それで”お客は製品を気にっている”、あとは簡単だ、自分が全部してやったからセールスは注文の見積もりを送るだけですぐ取れますよ、などと報告したり言ったりするエンジニアも沢山おりました。難しいんですよ、事実は。どこが? 契約締結がです。卑近な例で考えてみましょう

そうだな、テニスクラブに属しているとします。そこに自分が気に入った女性、きれいで気立て良くかつ誰にでも優しい人でお付き合いをしたいとします。グループで行動することもありますが友人として時折は夕食を誘ってもOKしてくれる。なんだか脈がありそうだ。

でも良くわからない。告白する?ダメだったら気まずくなりますね。そのテニスクラブに残れるかな?友人としてだったら夕食ぐらいなら時々行けてその時間が楽しいけど、ダメだったらもう誘えないな~ とか色々考えるでしょう?

沢山のセールスと一緒に仕事をしましたが、もう堪忍してくれと言うくらいズルズルする人ももいます。お客は永遠に商品の評価、会社の評価をしているんです。もうセールス、ここまで来たら”告白”、つまり契約締結に向けて動いてくれ。。。と思う。 そうかと思うと、”ええ、もう?”と言うようなセールスもいます。そうだな、初めての二人きりの夕食でいきなり切り出すような。。。

しかも女性に告白するのと同様に契約締結はセールスが一人になるときなのです。それまでは一緒にミーティングに行くことがあってもあるときそのリクエストがなくなります。セールスの上(上層部)を連れて行くこともありますがそれはもう”決まり”かけた時です。また卑近な例で言えば、結婚を告白し色々とある中で両親にもあってもらうでしょう?それと似ているかな。でもそれまでは一人です。告白するのに誰か一緒に来てもらいますか? あまりないと思いますよ。 よし、今日は告白しようなんて意気込んでOKをもらった夕食、でもだんだんその時が来ると怖くなったりするでしょう?セールスもそれまでの経緯はあり、見積もりなども見せてはいるけど相手の合意を得て締結に結び付けるにはなれないうちは正直怖くなるはずですよ。仲良くしているから大丈夫と思っていても友達は他にもいるはずだし、その友達とも夕食ぐらい一緒にしていると考えるのが普通です。自分会社と競合する会社ともきっと懇意にはしているはずですよ。

ですが人生はセールス。セールスを身に着けるときっとあなたの人生を豊かにします。学歴、資格で自分を防御するよりセールスの経験を積んで経験で自分を豊かにする方が大きくなれるはずです。セールスは外に出て行かなくは身に付きません。なにも物を売れとはそういうことを言っているのではありません。究極のセールスはあなたを売ることなのです。仕事、ビジネス、個人の生活、すべての場面で人は自分を売っているわけです。

みかたを作っておくと良いですよ。みかたはいつも友達とは限りません。”競合”も時としてみかたになります。人生長いとこんな場面にも出会います。例えば競合はまさしく自分たちの製品とガチでぶつかり合う会社。でも顧客には別な考えもあり、例えば自分たちで作らないでどこかからできた製品を買ってくるという案が出てきたとします。そんな案が優勢になればこれまでやってきたことが全部台無しになる。どうします?まずそんな案をつぶさないといけない? 考えなくてはいけないですね。そんな案が顧客社内であることをこそっと教えてくれるみかたと一緒になってそのアイデアをひっくり返してくれるみかたが必要になるかもしれない。

こんなところまでいかなくても人生 セールスだと覚えておくと役立ちますよ。

北京 Part 2

仕事でしか行ったことがない、北京。宿泊は大きな会社に勤めていたころはモダンなシェラトンホテルでした。その同じエリアに会社の北京オフィスがあったからなのですが、こうしたモダンなホテル、中国でも、USAでも変わりなくアメリカ、している。 違いはというと

ーバフェの朝食。

ーチェックインの時に写真を撮る(中国ではパスポートだけでなく顔写真を撮りますよ。自動車で走っていてもひっきりなしに写真を撮っていますから行動は全部当局に知られていると思って行動するべし、ですね)。

ヨーロッパの小さな会社のコンサルタントをしていたころ(昨年)はこういったモダンなホテルには宿泊していません。モダンなホテルかなり高額です。会社割引があるのですがそれでもかなりな金額。キャッシュが大切な小さな会社には負担です。そこでいつも宿泊はこちら。

http://www.friendshipshotel.com/

とても敷地が広いのです。古いホテルです。敷地内はとても広く散策できます。外国人(?私も外国人ですがね)は見たことがないと言えるくらいまれ。現地で一緒に働いていた同僚はやりてでいつも私には普通の宿泊費でスイートルームを取ってくれました。とても広い部屋です。朝食は、まあまあ。シェラトンなどと比べると明らかに見劣りしますが私は好きになり一年に4度も北京に行った昨年は4回ともこのホテル宿。 写真も撮ったはずですがどうしても見つからない。地下鉄の駅もそばで便利です。

顧客訪問がいつになく早く終わった時にあまり行かない観光地としてこんな公園に行きました。山がありケーブルカーで登れるのですが歩いて行きましたが途中で日暮れ。街燈がなく真っ暗な山道を走るように降りて行きました。ここはホテルもあるのです。今度北京に来たらここにも泊まろうと言っていましたが会社を辞めてしまい実現しないままです。もっともCOVIDな2020年はどこにも行けないですが。皇帝の別荘だったのでしょうかね、広く大きな公園でした。観光客はほとんど中国人でやはり故宮など知られた観光名所とは一味違っています。

 

北京では羊肉をよく食べました。北京風が私は好き。

この10年で中国大陸にも沢山の友人と同僚が出来ました。若い人が多くいつも”老師”扱いでとても親切にしてくれます。かれら若い層、顧客も含めてですが中国人を知らないでテレビ、ブログなどで聞いた、見た中国の人を連想するとびっくりするかもしれないですよ。よく働きそして押しなべてマナーも良いです。自分たちの親の世代とは違ってきていると彼ら自身言っていました。あと30年(2世代)でずいぶん変わってくるに違いないと、私の良く知る私と同世代な中国の友人も言います(彼はとても漸進な考えの持ち主)。公園を歩いていても特に若い世代はマナーも良いです。何度もこのBLOGで書いていますが自分自身で経験して確かめてみると”聞いた、見た”(しかも編集された記事)とは異なることを知って驚くことが多いはずです。 そして友人をまず一人つくる。そうすると考え方がずいぶんと変わると思います。

水を撒く  追加

以前ブログで水を撒くというタイトルで書きました。これはその追加。以前のブログを見てくださいね。

追加は

休ませるときもある

薔薇を例にしますが、私は冬はあまり水をあげません。カリフォルニアの気候をご存じの方は”当たり前じゃないか、冬は雨季だろう?”と思われるかもしれない。確かに雨季ですがここ10年ほどは雨季と言えるほどには雨が降りません。気象条件、変化を感じます。25年も前なら冬はあめがきちっと降り雑草も沢山生えましたがここ数年は特に、冬も本当に一握りの雨です。小さな池、湖がどんどん無くなっています。かたやハリケーンもどんどん強大になっている(日本も台風が毎年勢いを増しているので同じ)。歳をとった私はどうやって次の世代にこの地球を渡していけるのか最近よく考えます。できることはしているつもりですが何かが足りない。めちゃくちゃにされた地球を若い世代に”ほれ、この問題を解決するのは君たちの仕事だ”なんて言いたくない。歳よりの仕事だ。めちゃくちゃにしたわけですから。

さてと水やり。冬は薔薇を詰めてあまり水をあげません。もちろん枯れないように水をあげますが。休ませているのです。木々も休んでいます。桜の木と藤の木もあるのですが枝だけになっていますね。木も休んでいるようです。

つまり、人間休む時も必要。充電期間などとも言います。大学教授は定期的に休む期間を持てる人もいます。サバティカルと言うのですがシリコンバレーの会社にはそんな制度を設けていた会社もあります。少数ですよ。でも皆が皆とらない。理由は? 友人に聞いたら会社はポジションは保証するけどやはり雇用が心配(3か月も6か月も空けているわけですから)。よほどなエンジニアでもなければその間不安もあるでしょう。

サバティカルでなくても休暇を取るのは必要。昨今私も含めシリコンバレーはワーカホリック。休暇を取る人が減っています。会社として負債になるので強制的に会社をSHUTDOWNして従業員に休暇をとらせるところも増えています。これ、みんなが一緒にとるから”安心”なんですって、知り合いが言ってました。それならいっそのこと日本や中国のようにGW, 新年とか国全体が休む時を作ってしまえば良いと日本から来た私は思いますが ”自由”を間違った意味ですが信奉している国民、国が、州が決めたら気に入らないといいそうです。

ただ確かに休む(休まなくてはいけない)時は自分が一番知っているでしょう。

ー今は学ぶとき。転職とか、キャリアを目指すよりじっくり学びに入る

といったように。じっくり学びに入ると言うことは外部からみると休んでいるように見えますが内部では次のステップに向けて活動しているときです。そんな時も必要。休暇を取りましょうと言っているのではなく仕事、勉強にも充電期間を持つことは必要だということです。その一環として休暇ももちろんあるし人、会社によってはサバティカルもある。

ただ、次がないうちに会社を辞めてしまうのはあまり薦めません。社会で生きて行かなくてがならない、そのためには働かなくてはならないという人には。私の友人で中堅クラスの会社CEOを歴任している人がいます。かつて私が合気道をよく稽古していたころ彼の有段者テストをサポートしたことで友人になりました。有段者テスト、USAでは黒帯は一つのステータスでとても大変なのです。毎日その稽古に付き合った(私の方が上位)。お陰で今も懇意にしてくれますが人生ではあちらが圧倒的に経験も経歴も上。彼のお宅で夕食をごちそうになった時、”10年働かなくても大丈夫になったら好きなことをしていい”と言っておりました。つまり会社を辞めるのだったら次が決まらないうちに自分から辞めるには10年分の生活費をもてというアドバイスです。彼は25年大丈夫だと言っておりました。自分の資産をきちっと知っているんですね。私?あの日以来心入れ替えて資産づくりしてますが今はまだ5年程度です。だから次が決まらないうちには会社は変わりません、辞めません。一つの目安かもしれませんがビジネスで成功してきた人のアドバイスですからね。おろそかにはしたくないアドバイスです。

天津 シーフード

天津、日本の歴史教科書にはほぼ必ず出てくると思います。それと日本では天津飯(中国料理?)でも知られているでしょうか? 今でもあるのかな。とろみ卵がかかったご飯です。はるか昔もう40年は前のころ、学生時代その天津飯をよく食べました。

それくらいしか実は天津知らなかったのです。勉強不足でした。

天津は中国におけるスーパーコンピュータの開発地域で中国で一番大型のスーパーコンピュータを開発しているところだったのですね。

コンピュータあるところビジネス有りというわけで行ってきました。上海から、どうしても電車(高速鉄道)で行きたかったのですが”遠すぎる”とのことで空の便。浦東ではなくHANGGIAO(虹橋)国際空港です。こちらを気遣ってタクシー(中国版UBER)に乗りましたが町を横断するように走るので時間がかかるんです。地下鉄なら30分が車だと90分。今度からは地下鉄にしてくれとお願いしました。中国の大都市は東京同様電車の方が早いです。スーツケース持っていましたがビジネス用の小さくて軽いものなので電車でも面倒ではない。

飛行機の搭乗はセキュリティーもあり時間がかかります。それに中国は人が多い。。。フライト時間はわずか45分なのですが移動は朝6時前にスタートしても天津の顧客オフィスには1時を過ぎてやっと到着です。例によって昼は抜き!

スーパーコンピュータを設計しているR&Dセンタービルのすぐ横が顧客のオフィス。周辺回路を設計しているとかで政府関連の会社でした。中国では政府関連の会社はとても多い。こうした会社では受付時にやはりパスポートチェック。以前のブログで書きましたがセキュリティーはとても厳しい。特にこの4年はUSAからのビジターに関しては特に厳しくなっています。USA発行のパスポートだと入れない施設も増えています。こうした現状を直接見ているので様変わりを強く感じます。5年前はこんなことはなかったですからね。

昼を抜いてマラソンミーティング(3軒)こなしたというわけで夜遅く北京に向かう前にシーフードを食べに行きました。天津では新鮮なシーフードを食べることができるそうです。ここは上海にもお店があるらしいちょっと知られたお店。食べたい食材をオーダーしてから。食材を自分でオーダーするのは中国では普通ですがCOVIDもありこの習慣もこれから変わっていくのかな?シーフードだけでなくコメも種類を自分で選択。

転職を考える時

転職、考えたことがありますか? 今、日本は安定志向、定年まで勤められる会社に人気があると聞きますがあなたが今30歳だとしましょう。あと何年働きますか?35年? 私がUSAにやってきたのは29歳の時ですがその当時Googleも今のほとんど全てのハイテク企業はなかったのです。マイクロソフトがまだWindowsをもたずMS DOSだけを持っていたような時代。SONY,松下、NEC 富士通などが世界を席巻していましたが今やその面影もない。SONY、いまや金融業でしょう。SONYブランドの製品売れてませんよ。私ももうあまりほしいとも思うものがSONYにはありません。30年前には考えられなかったことです。おそらく30年後Facebookは存在していないかもしれない。Googleも。今のFacebook, Googleとしてはですが。SONYにように業態が変化していくと思います。そうでない会社は生き残れないでしょう。Appleはほとんど倒産のところから今のAppleになりましたが私の目には以前とは全然違う会社です。マイクロソフトはうまくOSとOfficeだけの会社から脱皮をしていますね。

業態、業種変われば、必要な従業員も変わるのです。30年間、ずっとその会社で働くのは難しいと思います。

では、自分の持っている技術、経験が価値を無くすのか?それはまた違う話です。その技術を必要とする会社はあります。その経験を必要とする会社もあります。それが自分の今働いている会社ではないかもしれないですが。

また技術も回っているのです。その時ホットな技術、いったん廃れたりしますが不思議とまた盛り返してくる。ですからホットな技術を追いかけるエンジニアもいれば地道にある分野で経験を積み重ねていくエンジニアもいます。’そんなのもう古い’と思っていると”あれあれ”と言う間に表舞台に戻ってくるのを何度もみています。ホットな技術はビジネスを呼ぶので、たとえそれが大学等の教育関連でも、追いかけたくなりますが人によってはそういったことに目もくれないこともあります。半導体の話ではゲルマニウムダイオード、めちゃくちゃに詳しい人はもうほんの一握りでしょう?でもやはり需要はあるんです。

で、転職。USAでは転職を考える動機の一つにキャリア、そして収入があります。転職をすることでキャリアと積んでいく、給与を大幅に上げていく。とても大きな動機です。 私ははるか以前元上司に”お前は日本から来ているから転職をあまり考えないかもしれないがUSAではキャリアを積む、給与を上げるためには転職を避けて通ることはできない”と言っていました。マネージャや上位のエンジニアとして転職していくのです。またエンジニアから別キャリアを目指す場合も転職を通すほうがより一般的です。

退職金がないのが普通です(いわゆるペンションをもつ会社はもう極々少数)。ですから一つの会社に長くいることで得られる”後で入る”収入は期待できない。もっとも社歴が長い人もいて順調に出世するひとももちろんいます。出世する人はそれなりに社内政治等に勝ち残って来たひとですね。上に行けば行くほどやはり競争と政治的駆け引きはあります。もっともポジションが空いたら社内からの昇進というのはあまりないこともあります。マネージャを雇うというのは普通だからです。元上司曰く、100%内部昇進させる唯一の組織は”軍隊”だと言ってました。事実将軍を外部から連れてきたという話は聞いたことがありません。たとえ国防大臣を外部から連れてきても将軍は内部昇進。正しく軍だけですね。

有望な元上司(彼、彼女)がどこに行っても呼ばれる人もいます。”これは”と思える上司がいたらついていくのはところ問わず同じですね。

とくにキャリアを積み始めた最初の10年、3度の転職は普通だと思います。3度転職することで給与を2,3倍にまで増やすことも可能になります。10年同じ会社にいてはほぼ不可能です。その後は少し落ち着いて更なる経験を積んでDirectorやそれ以上を狙う。。。学歴もありますがPh.Dであれば12,3年でDirector以上にまで進む可能性はあります。私はMSどまりですがDirectorにまでは進みました。もっとも今はまた設計エンジニアに戻りましたが。でもこの新しい経験を積んで再びいずれDirectorのポジションを狙うかもしれない。転職を使ってキャリアと収入を上げていく、これを知っておかないとシリコンバレーではあまり成功しないと思います。 そしてそれよりもっと重要なのが人脈でこれはどの国でも一番重要です。

学歴は有効ですが、例えばMBA、比較的若いころなら良いですが50歳も過ぎてMBAのために学業につくのはペイしません。会社が負担するなら良いですが学費は膨大です。若い時でも学費とMBAで得られるであろう将来のペイ(給与等)を能々考えることです。特にエンジニアのままでいるのであればほとんど価値がありません、MBA。 Ph.Dの方が良いです。でもある程度歳をとると学費、しっかり考えないといけないです。その間は機会があっても両立できないからあきらめることにもなりますよ。

会社は自分の行先を作ってくれません。自分で探し、自分で決める。その一つの選択肢に転職がある。転職することで可能性が広がる。この写真は以前のブログでも使いました。スイスのチューリッヒで上った山の上で。この山のふもとには世界的に著名なIBMの研究所があります。若いころはそこで働きたかった。

この図を見ると一目瞭然。長く働いたからと言って給与が上がっていくわけではないのです。エンジニアはというと転職をしながら新しいプロジェクトに関わりつつ実力と実績をつけ同時に収入も上げていくのです。

(ミュンヘン)

英語のスペルですね。ドイツ語のスペルでドイツ語発音にするとミュンヘン。はるか以前大学生の時第2外国語を選ぶときドイツ語を選んだ。惰性。。。あの当時の選択肢はドイツ語、フランス語もしくはスペイン語でした。中国語はなかった。80年代初頭、中国はまだ毛沢東も周恩来も現役で鄧小平主席はどこかの再教育施設に幽閉されていた時代です(ご存じだとすると相当に年配。。。)。あの時後でフランス語にしておくんだったと後悔しました。ドイツ語は男ばっかり、フランス語は女子学生が沢山交じってました。でも今この3つの言語から選ぶとしたら私はスペイン語。USA生活で便利なのはスペイン語。ちょっとかじったので少しなら話せますが話せると生活に役立ちます。ビジネスなら絶対中国語。私はこの2年ずっと勉強しているので簡単な会話なら中国でもできます。でももっと話せるようになりミーティング等で彼らが話していることを理解したい。10年以上まえ、日本がまだ元気だったころ、日本でミーティングがあると私は大抵同行しました。ミーティング自体は英語で行いますが顧客内の会話は日本語ですね。それを私はじっくり聞いていました。それで本当のことがよりわかってきます。英語は共通語になれますが本音は自分たちの母国語なんです。ですから沢山の言葉を話せるのはどんな仕事でもとてもゆうりですよ。 

さてドイツは南が裕福な地方らしい。以前何かのイベントでドイツからのスピーカーを招いた際に紹介者がその人は自分は南ドイツから来た。。。と言っておりました。ドイツ人の同僚に後で聞きましたが、”嫌な奴だ”といってました。御国事情を垣間見たと思います。彼女も南ドイツ出身だったのですが、私はあんな風に言わないと言ってました。

Munich確かに南ドイツですね。

さてミュンヘン。Intelがあります。元々もオフィスがあったのでしょうけれどInfineonのある組織を買収して大きくなりました。そこで設計されたチップをAppleがある時期IPHONEで使ったのです。Qualcommと併用ですがそれで一躍名を知られたのですがQualcommとAppleの間で特許権でもめたのはこれが原因ともいわれます。 Appleは昨年だったか、そのIntelのグループを買収しました。ですからあのミュンヘンのオフィスは今頃はAppleになっているはず。。。

私はそのグループが買収された直後にそこを訪れました。会社のロゴもすべてまだ変更される前。ビル内には買収の対象になっていないグループも同居しているというまだ全然おちついていないときでした。元々IntelではなくInfineonに行くことになっていたのです。顧客サイドがスケジュールの変更はしたくない、つまり買収にも関わらずプロジェクトのスケジュールは変わらないというのです。こんなのドイツだけ! 普通これくらい大きなことがあったらスケジュール等かわるでしょう、と思うのですが、変わらない。もう商品の納期も決まってる(しかもとても大きな。。。 リンゴマークで有名な。。。)。

ドイツ人は律儀だといいますがアメリカ人化したドイツ人ばかり知っていましたが本場のドイツ人は律儀でした。 電車に乗っても日本と同じようにプラットフォームには今度の電車とその次の電車のスケジュールが刻々と出ていましたしその時刻通りやってきました。USじゃあ考えられないですが日本では当たり前ですね。空港から電車に乗りましたが(彼らのオフィスは電車を降りてすぐのところ)、制服を着た小学生、中学生など学生の姿を沢山みかけました。”おやなし”はアメリカでは考えられない(アメリカの子供、過保護も良いところですからね。送り迎え親の仕事)。日本とおなじだ~。制服着てましたよ。

以前ドイツでは会社のカフェでは昼食時ビールの販売をしなくてはならない(法律)と聞いていたので本当かどうか確認しましたが、”飲んだことはない”と言います。答えになってませんがあの律儀なドイツ人が飲むとは思えない。。。とりあえずみんなまじめでした。細かいことを調べ上げており質問だらけ。細かいことも日本人そっくりかな? 

さて宿泊はというと、お金の少ないベンチャーにおりましたのでミュンヘンのセントラルステーション傍のモーテル(つまりアメリカのホテルチェーン)。あれだけ沢山のアラブからの人(移民)を見たのは初めてというほどにアラブ系の人だらけでした。電車に興味が有るので駅構内を散策しました。 

スケジュール。 やはりスターバックスは有った

USAからドイツに戻った元同僚(友人)がいるので夜は彼と出かけました。 やはり市電(路面電車)は走っています。地下鉄もあるんですがヨーロッパは路面電車どこに行っても走ってます。

ドイツと言えばビール。 でもチェコで飲んだピルスナーには負けるかな。オクトーバーフェスト。ドイツでは期間中はどんなに飲んでも法律上は酔っているという扱いにならないそうです。 まだ本場の経験はないんです、それに片頭痛は私はこのグラス一杯が限度だし。

次の日にオーストリアのリンツに行きました。電車の行先案内にもLinzを見つけます。電車で行きたかった。でもフランスから来ていた会社のセールス(REP)、車の速いからと言うので。。。貴重な機会を失った。

都合3泊しましたがこればかり食べてました。料理はあまり選択が無かったな~。

出張はあわただしく”観光”できたら儲けものなのです。ついた、仕事、移動、仕事、移動。。。を繰り返すのです。土曜、日曜をはさんでの出張はよほどうまいことしないと実現しない。。。だから出張の一番の楽しみは食事ですがドイツではこればっかり(といっても3度ですが)。

リンツにいって戻ってきて宿泊してもう次の日はロンドンへ向けて出発しました。したがって何もみていない。駅とその周りをウロウロ、友人と待ち合わせのところまで路面電車に乗ったのが唯一したことかな。 こんなとき、いつも思うのが”今度は仕事抜きでこよう”。そんな町がどんどん私のノートに増えています。

朝早く撮ったどこかの教会。

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