席位置

座席のエチケット、習慣、例えば上座などを書くつもりはありません。私には日本の仕事、催事、祝におけるエチケットを語る資格はないですし、経験もほとんどありません。ですが最近やはり歳を取ったのでしょうね、いわゆる上座を薦められる機会も増えています。いわゆる良い席です。誰と出かけてもこちらが年上になる機会も増え私は上座を進められるようになりました。歳だけは誰でも取ることができますからね。。。

でもここで話題にするのはエチケットではなく仕事に関することです。会議、顧客訪問、コンファレンス等に参加する時に自分がどこに座るか考えていますか?なんとなく座っていたとしたら考えるようにしたほうが良いですよ。私はこれまで凄腕のセールスと一緒に長く仕事をしてきました。またマーケティングやセールスの責任者(副社長クラス)の上司からも色々とセールスやマーケティングについて実践で教わりました。その中には自分の座る位置についての経験も含まれています。すでにいくつかの書籍や誰かの話で聞いていたり実践されているかもしれませんがおさらいのつもりででも読んでください。

ケース1 会社で新製品、新方針の発表の集まり(会議)があった。どこに座りますか? 

 自分がその新製品に深くかかわっている当事者だったら? 新製品について知る立場だったら? そう、立場によって座る位置は変わってきます。当たり前ですがこれまでなんとなく座っていたのでしたら席位置かんがえるのも良いかもしれません。席位置は自分の立場とその集まりでの自分が達成したい目的で決まります。 例えば開発の責任者で出席者がどう思っているかを知りたいとします。この場合どこかいいでしょうか? 自分は責任者だが発表者ではないという想定で考えましょう。この場合、出席している人の顔が見える位置が良いですね、しかも目と目が直接合わないような。。。となると発表者の側だが横にずれたような場所になるでしょうか? 椅子がないかもしれないですね。往々にして椅子はありません。だから私はこんな場合早めに会場に行って椅子を自分が座りたいあたりにそっと置いておくようにしていました。もちろんその椅子を取られないように席に私物を置いてその椅子はもう先着者がいることを知らせておきます。発表内容はもう熟知しているのですから私の興味は出席者です。顔って気持ちがでます。腕も気持ちがでます。目と目が合わないようにしながら見て回すとその製品、方針がどう受け入れられているかよくわかりますよ。

直接担当の部下に発表させるのだが合図を送りたいときもあるでしょう?出席者に知られないように合図を送れるように後ろの方だが自然と目線があうような場所に席を取る場合もありますよ。不自然に目線があうと出席者の中には後ろを振り返る人が必ずでるので良くないです。これなど早めに会議室、会場に行って様子をみるのも重要です。

もちろん席の配置によっては、とくに狭い会議室では制限が出てきますが考え方は同じです。その日の目的、何を結果として得たいのかを事前に自分なりにそしてグループとしてしっかり理解、共有したうえで臨む、そしてそれには自分たちの席位置までしっかりと把握しておく。細かいことですが結果に差が出ると思います。

ケース2 顧客を訪問したとき

立場として自分はマーケティングかエンジニアで一緒に同行しているのはセールスだった場合。つまり商談のための訪問です。この場合そのセールスの実力がものを言います。セールスはその日なにを達成したいのかをはっきりと伝える必要があります。たとえ同席者に上司、社長が居てもです。社長はこの場合セールスに従うべきなのです(商談だから)。上下は社内での序列、顧客を訪問したとき肩書はありますが誰もが直接担当になっているセールスに合わせて行動するべきなのです。社長がその商談に責任をもつわけじゃないでしょう?セールスが責任を持つわけです。ここを理解していない社長を見かけることがありますが”威張るのは社内だけ”、を鉄則としていただきたい。ひとたび社外にでたら特に顧客先では社長はセールスの方針(プラン)に則り話を進めていくことです。できない!という人の下では働かないほうが良いくらいの鉄則だとおもいます。これまで何度もひどい場面に出会っていますが後味は決してよくありません。とくに金銭面等で色々と食い違いがあるような場面で運悪くCEO出席な会議になったような場合に、CEOが何かしゃべってしまうともう取りかえしはつかないのです。幾度かそういったことが続くとそのうちセールスは社長が決して変更できないようなスケジュールの時に重要な顧客ミーティングを予定したりといったたくらみまでするようになりますよ。せっかく自分が作ってきたプランを一変にぶち壊すのですからね、たまったのもじゃないですからね。さて、席ですがセールスの顔がちらりと見れる位置が良い場合が多いです。セールスは色々と合図を送ってきます。 ”そこまで”、 ”もっと”といった合図ですね。”もうそれ以上は言うな”と言ったケースもあるでしょう?なんらかの形で合図を読み取れる位置。場合によっては白板に近いほうが良い、プロジェクタの関係で自分の席が決まることもありますがそんな場合セールスはそれとなく合図を送れる位置に座る。私は最初のころ、しゃべりすぎたりしてミーティングが終わった後でずいぶんと説教されましたがそのうち合図を知るようなりうまく歩調を合わせることができるようになりました。それでも合図を見逃すこともありました。

ケース3 デート

これは色んな本にありますね。食事等ではテーブルをはさんで向かい合わせになるより90度の位置が良いと言います。 この90度の位置はデートだけじゃなく個人的に近づきたいとケースでは最適な位置だそうです。 二人でレストランに行くと2人席(対面)になることが多いですね。もし仮に今、私がデートできるとするなら、事前に調べておいて4人席が多くあるレストランを選ぶようにするでしょう。そして先に相手を座らせて(エチケットですからね)、自分はその人の右手側(可能なら)に座ってしまいます。これくらい歳を取ると図々しくできるのは特権でしょうかね?向かい合っての場合手を伸ばさないと相手に触れることもできないのですね。90度の位置だとなんとなく触れることもできますよ。いやらしい気持ちで言っているのではなくちょっとしたスキンシップも重要で、対面はそれが不可能に近い。。。

こんなケーキを食べながら時間を過ごすと良いですね。

まだまだ色んな場面、状況に遭遇すると思います。たかが席ですが結果に差が出ることがあります。先にも書きましたが実力あるセールスと長年仕事をしてきましたが彼はその日の目的、得たい結果をはっきり伝えてきましたし席位置についても会議室で指示していました。XXXは彼の横に座れとかね。細かいところにまで気を配る。ミーティングの後は必ずそのミーティングのレビューをして色々と教えを受けました。細かいことをおろそかにしない。

またコリンパウエル将軍の言葉になるのですが

If you are going to achieve excellence in big things, you develop the habit in little matters. Excellence is not an exception, it is a prevailing attitude.

大きなことを成し遂げるには細かいことにまで気を配りなさい。と言っているのですね。これはこの本からとりました。 少し難しいですが一度読んでみる価値はあると思います。

日本語訳は残念ながらないです。 
還暦間際にして初めて銀座千疋屋のカフェに行った。残念ながらデートではないです。

Execution matters

行動力、実行力、実行することは意味がある、大切だ とでも訳しますか。先国務大臣で統合参謀本部議長だったパウエル将軍の言葉です。

昨日も含め何度がVisionについて書いたので、なんかそれだけで成功、幸せになれる、と私が書いていると誤解されないようにこの言葉を添えておこうと思います。

実行しなくては、試してみなくては、やってみなければ結果はないのです。母はやってから文句言いなさいと教えていました。

この”やる”ことが一番大変なのですね。 だから私は未だに何の達成もない。もっともビジョンすらとても弱いのですが。

出来るかどうかわからなくてもとりあえずチャンスが来たら取れ、これだけはこんな意志薄弱な私ですが心掛けてはいます。今の仕事だってAI全くのずぶの素人でありましたがその開発責任者をやってます。なんとかやってます。ありえないと思いますがチャンスあれば若い女性と夕食も一緒にしたいですな。そんな機会あれば取りますよ。 おっとそれを目頭に焼き付けてみるかな、ビジョンとして。。。

言葉があまりに悪いので薦めるわけではないですが、しかも英文。ですが、非常に簡易な文章で書いてあるので若い人はこんな書物も良いかもしれないです。

https://www.amazon.com/dp/B01MZWKPYD/ref=sr_1_1?crid=1SYH5JBTYNL0F&dchild=1&keywords=dan+lok+books&qid=1598743770&sprefix=DAN+LO%2Caps%2C218&sr=8-1

口悪いですよ。言葉も悪い。

でも文章はとても平易です。

行先はどちらですか?
どんなスピードで行きますか?
山の上から遠くを見つめ、どちらの方角に歩いていきますか?

PRAHA Part 2

東欧のプラハやブタペストにあこがれ(行ってみたい)と思っていたのは別に深い理由はなく単に昔見たタイトルも忘れた映画にこれらの街並みが出てきたからです。だたそれだけの理由なのですがどこかに行きたいってそんなことが理由なことが多いのではないでしょうか?

Brnoは大学町でこじんまりとしていたのですがそれでもチェコ第2の都市。プラハはおそらくそのBrnoと比べ10倍は大きいのでは?と思うほどに大きな都市でした(実際にどのくらいの差があるか調べていません)。Brnoでは一度日本のお客さんを招いてミーティングをしたのですがプラハ経由で日本からやってきたそうです。プラハに来たかったからBrnoでミーティングをしたのではないか?と思う程に楽なミーティングでしたよ。出張は会社の費用で行ける海外旅行と考えると出張も楽しくなりますよ。ちなみに学会(コンファレンス)は参加者を増やすためだと思いますがスペイン、ギリシャだといったところでの開催が多いです。特に大学の教授が沢山参加する学会はリゾート地が多いように思います。私は顧客ばかり回っていましたがマーケティングにはCESをはじめとしたトレードショウを扱う人員もいました。こういったイベントはバルセロナ、ロンドン、アムステルダムなど人々が行ってみたい地での開催が多いように思います。そういったイベントはみなが行きたがるので抽選になります。残念ながら上の人も行きたがるのでこれまでCES(ラスベガス)以外いけた経験がありません。

さてパート1に続いてプラハ パート2。IPHONEで撮った写真を添付して終わり。

並木道はプラハ一の高級ショッピング街。たしかに高級ブティックが並んでいましたがお客と思われるのはほとんど全てアジア(中国?)からか。 若い北欧からきていると思われる学生たちは誰一人として歩いておりませんでした。
昔は王国だった。
パブ。 何らかの形で由緒あるはず。由来は忘れましたが写真にしていた。

時期(タイミング)と 磁気(魅力)

物事にはタイミング(時期)があるとよく言います。自然が身近な職業(農業、漁業など)に従事されている方々はそれをよくご存じですね。種をまく時期と言うのがありますし、漁にでる時期もありますからね。もっとも最近はこういった領域も温室だったり、工場における水栽培だったり、養殖だったりと変わってきているそうですが旬、時期は今でもありますからね。

人生、仕事にもそのタイミングはあります。以前”成功”について書いたことがありますが、その成功のリストに付け加えるものがあるとするなら、タイミングはきっとその一つになりますね。

エンジニアなので技術的な面での話になるのですが理論、アイデアがあってもそれを実現するための基礎技術がまだ出来上がっていないか、未熟なことが多々あります。基礎技術が確立していない時期に製品開発、会社を興すようなことがよくあります。華々しく発表があることも多々あるのですが、なんとなくその後消えてしまった、という会社、製品、本当に多いのです。例えば私自身今かかわっているのですがARグラス(AR眼鏡)。Googleが華々しく発表しましたが売れなかった。日本でもSONYなどが出したのですが町で掛けている人見たことがありますか?ないと思います。VR(バーチャルリアリティー)も同様です。一方、時期が旬なタイミングで発表された 会社(創業)、製品は大成功を収めています。当たり前ですが、時期を見る目はとても大切です。私の技術分野、日本の大企業は数々のコンセプト(製品やアイデア)を80年代、90年代に発表していました。企業がとても元気だったころです。ただ、多くのコンセプトは実現しなかった、もしくは出来上がった製品が”使えなかった(使いにくかった)”。例えばいくつかの企業がVR(バーチャルリアリティー)の製品を出したと記憶していますが大きすぎ、重いヘルメットを頭にのせ、大きな眼鏡をかけるようなものだったと思います。大学の研究ならわかりましすが、製品となると時期が早すぎたのですね。 一方、遅すぎるのも問題です。IPHONEが出た時、真っ先に飛びついた企業は?というと日本の企業ではないですね。”日本も頑張った”と思うのですが、現実はというと日本の企業はマーケットシェアでは”その他”に含まれてしまうほどに少ないです。タイミングを逃した、と言えるでしょう。人々、社会の需要も時期を考慮するうえで大切ですね。人々、社会が求めようとしている製品、サービス、テクノロジーをその”旬”な時期に出せると大成功ですね。車で言えばTeslaでしょうか?Tesla以前にもEVはあったのですよ。TeslaがイノベーターだったわけではないのですがTeslaは売れた。Tesla以前はなんかちょっとデザインがかっこ悪かったりしますが、Teslaはスポーツカーの要素を全面に出しましたね。それにカリフォルニア人の環境に対する関心事にも訴えることもできた。電池がよくなり走行距離も飛躍的に上がった。。。製品の質(特に初期の車は色々と問題がありました)は良くななかったが売れましたからね。

アマゾン、創業したときどう思いました?多くは”それまでのドットコムの会社同様いずれ資金が底をついて倒産するさ”と思ったはずです。ですが長期にわたり利益がなかったにも関わらず倒産しなかった。多くの人が”あの時投資しておくんだった”と悔しがったかもしれません。私はAppleには投資しましたがAmazonはしなかった。。。Teslaもしなかった。。。見る目がないんですね。3社とも時代のタイミングに乗り”且つ”、社会(人々の生活)をリード、創造してきたからその先行投資の利益を得ているのですね。

私は”時期”、人生にとっても重要だと思います。自分のことですから企業、国家よりもっと重要だと思います。時期を逃した、時期早々、旬、これまでの人生を振り返るとまあ色々と思い出せます。時期と並行する形で”居場所”も重要だと思うのですね。”居場所”というのはまさしく”場所”です、例えば国、会社などを挙げることができるでしょうね。日本がバブル真っ盛りの頃にUSAにいたのでバブルの恩恵とそのすごさを全く知らないでいます。とにかく凄かったそうです。シリコンバレーがドットコムのブームで”イケイケ”だった時期があります。私はその時シリコンバレーにいましたが”ドットコム”とはあまり縁がない会社でエンジニアをしていたのでやはりあまり縁がありません。ドットコムという旬 (居場所:会社)に乗れなかったのですね。私がハードウエアのエンジニアでドットコムはソフトウエアが主体だったから。。。と言い訳は出来るのですがあの当時の友人たちの中にはソフトウエアの経験が少なくても”人手不足”に便乗するように華麗に?移っていった者も沢山います。シリコンがソフトエアに取って代わられるその転換期だったかなと思います。私が長く務めた会社がどんどん縮小していく中マイクロソフトそして華々しくデビューしたGoogleが一層勢いをつけたころですね。あの頃Appleは倒産寸前だったのですから。イベントに参加することの重要性とはこのことをいうのだな~と嵐が過ぎたころにつくづくと思いました。時期と居場所ですね。

今はAIが旬です。AIにも乗り遅れるかな~、いや、もうそろそろ引退を考える時期に入ったからと思っていたのですが、AIがやってきて(旬になって)、またシリコンが重要になった。AIって言っては悪いですがアルゴリズムじゃないのです。もっとも今盛んなAIであってそれがAIのすべてではないのですが、今が旬のAIはアルゴリズムというより、いかに効率よく巨大なデータを処理するか、なのですね。これってハードの問題なんですね、非常に簡単に言ってしまうと。色々なモデルを作っていますが私のようなハード屋さんから見るとどれも似たり寄ったり。次元が違ったりグラフの形が違うのですがそれくらい。AIを研究されている方の猛反発を受けそうですがね。さてハード?シリコン? この10年来優秀なエンジニアはソフトウエア領域に進んでくれたおかげで?私のようなもう第一線を離れようとしているエンジニアに再びチャンスがやってきたのですね。というわけで今はGAFAの一社でAI関連のシリコン開発責任者の一人になっています。実際の開発を担当するのですが旬が戻ってきたようです。ソフトウエアを担当するエンジニアの平均年齢とシリコンを担当するエンジニアのは私の部署でもすくなくとも10歳はハードが上かな~と思います。私のようなエンジニアが多いです。今回はうまく時期と場所が合ったようです。AIのシリコンをやっているというだけで今色々と新たなチャンスがやってきています。GAFAでやっているというだけでいろんなベンチャー企業から声がかかるようになりました。一躍また”求められる人材”に戻ったのですね。時期と居場所、これをして幸運と言うのかもしれない。仕事だけじゃないですよ。私の古い日本の友人でもう25年も前になりますがそれは、もうこれまで会ったこともないような美人な女性と結婚したのがおります。美人だけじゃなくとても気立てがよかった。同僚でかつ同じプロジェクトに従事していたのですが初めて紹介されたときさすがにうろたえました(それくらいの美人)。なれそめを聞くと”へええ”となるのですが居場所が本当に良かったのですね、しかもその奥さんはその時誰ともデートをしていなかった(時期)。居場所と時期そのものじゃあないですか!

時期と同じ音に磁気があります。私のようにメカニカルな腕時計をする者にはあまりうれしくない磁気ですが、磁力は引き付けるか、反発します。自分を引き付ける良い磁力に出会うと良いですね。悪い磁力もありますからその磁力、悪いと思ったらできるだけ離れるか、その悪い磁力に反発する、別の良い磁力を見つけることも必要でしょうね。良い磁気に人はついてきます。私の元上司に仲間と会社を作っては成功させていた人がいます。ほとんど全ての企業を大会社に買収された実績をもちます。かれには5人の”直属の部下”がいましたが、いつも一緒。一緒に会社を設立して一緒に辞めてまた一緒に始める。彼が磁力になっていたのです。残念ながら昨年初めに亡くなられましたがその直前にEMAILをもらいました。私がその当時ちょうど始めた仕事に大層興味を持ってくれていました。こんどコーヒーでも一緒にしようと言ってくれていたのですが突然亡くなり唖然としましたが”磁力”が私にもやってきたのかな?とあの時思いました。私自身は磁石になれない(そんな器ではない)ですからいつも良い磁力にさらされていたいと思います。そんな磁力の場に長くいると鉄でも少しは磁力を持つようになるのです。それが経験というのでしょうね。人を引き付けたいとは思いますよ。そうだな、それが先ほど書いた元同僚の奥さんのような絶世の美女だったら良いなあ。そうなるような磁力を授かりたいものです(残念ながら生まれながらの磁石ではないので)。

タイトルの写真はハリウッド界隈で。古い人なら知っているPretty Woman(映画)で最後のシーンで出てきます。 あ、知ってるとなればあなたは昭和生まれ!平成世代はこの映画を知らないことも多いのを最近知りました。ジュリア ロバーツさんはこの映画で一躍スターになりましたね。

戦時中の偉大な指導者 チャーチル あの時あの国にこのような指導者がいてよかった。今は世界のどこにも”指導者”(リーダー)はいない。

北京 Part 1

日本語で ペキンという。中国語(普通語)ではBeijingという発音になります。中国語は一つの字に通常一つの音です。京はJingと言う音になるのでペキンというよりBeijingが”おと”としては中国語になりますね。北京に住む私の友人は以前ペキンというのは台湾人が北京のことをそう発音すると言っていました。でも私には台湾にも沢山友人がいますが皆Beijingと発音していたので”おかしいなあ”と思っています。ちなみに北京にある首都国際空港はPEKだったと思います。ペキンからきているのでしょうか? 

中国で一番行ったところは上海ですがこの数年は北京に行く機会の方が増えていました。さすがに中国の首都、研究、企業助成金などは上海よりも北京の方が豊富なんだそうです。中国は発表されるデータだけを見ていると全容は計り知れません。実態(経験)では北京とその近郊の方が新しい企業はより多くあるように思います。中国ではほとんど珍しくありませんが兄弟で始めたという企業も多いのです。兄がハードウエアを担当するなら弟はソフトウエアだとか、兄は経営、弟はエンジニアリングと言ったようにです。北京ではそんな会社を沢山訪問しました。皆若い、30代が多かった。こんな場合どこに行っても私が一番年配になるのです。そうすると私に対する接し方が違います。こちらはベンダー側(サービスや製品を売りに行っている側)なのですが“老師”、”先生”扱いされるのです。彼らは私の経歴に興味をもち色々と質問します。アジアに来れば年齢はバレバレです。見ればたちまち年齢を見抜かれてしまいます。過去の質問をしつつこちらの信用度を調べているのではないかと疑うくらいですが、その後は”老師”扱い。まるで”教えを乞う”ような感じでしょうか?色々と教えますがほとんど私の会社とは関係がないようなことが多かった。売るためならなんでもする、と日頃言ってあるので現地のセールスも相手の調子に合わせていますし”何をしに行ったんだろう?”となる場合もありました。そんな場合得てして次の日に再訪問となりました(やっと仕事の話に)。ですから時間のやりくりが大変なのです。相手は夜中遅くでも朝早くでも全然問題ないのですが私の身体がもたない。以前にも書きましたが”なんでも学んでやろう”という精神はいまだに非常に旺盛です。”必ず次北京に来るときも寄ってください”と相手からお願いされる。しかもわが社の製品を採用しなかったにも関わらずどこから聞いたのか、”来ている”ことがばれると平気でWechatで連絡をしてきます。この辺りの事情、日本では決して考えられないですね。競合相手の製品を選んだ(金額面の場合もありますが得てして人間関係がその理由)。それと“会って話をする”は別事象なのですね。日本的に考えると不思議かもしれないですが不思議ではない。しかしながら”老師”を大切にしてはくれるので悪くはないですよ。これまで尊敬されたのは中国と台湾だけですから。台湾でもいつも大切にされました。歳をとりましたね。

北京は冬寒い。北京郊外にHuaweiの大きなオフィスがあるんです。市内からとても遠いところです。巨大なキャンパスです。そのすぐ横に大きな池(小さな湖か?)があるのですが真冬は凍り付いています。Huaweiは昼食後”お昼寝”の時間になります。大体30分くらいだったと思いますがオフィスを暗くして従業員はみな静かにしています。実際に眠っている人も多いのですが私は一度顧客のグループとその時間に外を散歩しました。冬の凍てつく寒さの中で。彼らは準備よろしく帽子や手袋をしていましたがこちらはジャケットだけ。散歩が終わるころには吐息で顔に霜まで着いていました。”今度来るときは帽子と手袋を忘れずに”とアドバイスを受けましたが”もう冬には来るもんか”と思いました。でも夏に行って今度はあまりに暑くて”冬の方がまだまし”と思いましたけれど。なんでこんなところに首都があるのか?といぶかるわけですが私の友人曰く、”今更首都移転は大 中国をもってしても不可能だ”とのこと。友人は北京出身。

北京はリング道路(環状線)が走っています。内側ほど不動産は高くなります。ちょうど東京でいうところの山手線内側、環状7号線。。。。といった塩梅ですね。私の友人たちは代々の北京住人が多くその山手線内側に住んでいるのです。東京で言えばもうそれだけでミリオネアなのですが彼ら曰一軒しか所有してないから貧乏だと。それに所有と言っても日本人の考える所有とはわけが違うようです(社会主義国家ですから)。確かにその家を売っても郊外に出る以外ないですからね。上海人同様3軒持っていればそれだけで悠遊と暮らせるそうです。2軒貸して1軒に自分たち家族が住むのですね。

北京は観光できる場所が沢山あります。 故宮、天安門広場、万里の長城。。。などなど。古の皇帝たちの庭園も沢山あります。出張で行っているだけですから時間は限られるのですがこれらの場所、”手ぶら(でもパスポートは持参)”で見て回りました。手ぶらだとセキュリティーポイントを早く通り抜けることができるのです。 以下に写真をいくつか添付します。

天安門広場から故宮を望む。私の友人の中国人で今カリフォルニアに在住する者の多くはあの事件以来北京を離れた。
故宮の横にある公園。
丘から故宮を望む
北京の友人との夕食。羊のしっぽの料理だそうです。
北京? 宿泊したホテルのロビー。クリスマスもサンタもイルミネーションもある。

Visionと潜在意識

”過去に何度か触れた言葉です。ビジョナリー、ビジョンを持て、ビジョンに沿って。。。とビジョンという言葉、良く聞きますね。 あるいは”君の発想にはビジョンがない(大きなお世話なのですが)”などとおっしゃるおじじも沢山おられます。”あなたはどこまでビジョンが有ったっていうんだい?”大きなお世話!と思ったりもするわけですがそれくらいビジョンと言う言葉、日常聞きますね。これくらいの歳になるとなんでも好き勝手に言いますがいわゆるビジョンの話をされる方の大多数は誰かの言ったこと、書いたことを”また聞き”されて話しているか書いておられます。そんなに世の中すごい”ビジョン”をもって仕事をされている方はおりません(と断言してしまいます)。私自身は何のビジョンも持っていません。ですから若い人にも同世代の人にも(その)ビジョンの話はしません。意見は持ってますよ。でも意見とビジョンは全然異なるんです。そんなこと知っているよ、と言われそうですがビジョンがあると噂などで聞いた人のビデオ等を見てもその大半は単にご意見を述べられているだけでビジョンとは程遠いのを発見することが多いです。ビジョンは実現できるものだと思うのです、絵空事はビジョンではない。語るだけで実際には何もしない御仁も多いですね。今はしゃべるだけでお金になる時代です。いわゆる評論家、コンサルタント、そして言っては悪いですが教授が多くなったように思います。ビジョンには苦労が伴います。これはあるビジョンを持った人の下で20年近くベンチャー企業の一員として創業時から働いた私の経験として語れます。最近の人ではTeslaのCEO Elon Mask氏はビジョナリーでしょうね。どのような人かはこのシリコンバレーでは知られており、私は決して彼の配下で働きたくはないです。それはさておき、そのTesla, 入社面接で最後に彼直々の面接があるそうです (今もかな?)。彼は”これまでの仕事で一番大変だった経験”を聞きただすそうです。彼はその人が実際に本当にその件に関わったのか、その周りにいただけの人間なのかを見抜く能力に優れているそうです。”周りにいただけ”の人はいらないそうです。周辺にいただけではわからないことは多いですよ。ぜひとも周辺ではなくその当事者(のひとり)になって苦労もしてください。周辺にいてなんか”要領の良いひと”沢山いるのですが経験の深さは断然違ってきます。

さて私がここで触れるVisionはその”ビジョン”ではないです。このビジョン、以前のブログでも少し書きました。いわゆる”ビジョンを持て、ビジョンに沿って”というのはそうですね、別な言い方をするなら、 ”アイデア、企画、方針など。。。”となるでしょうか? 現代の日本人は横文字を好む傾向がありますが、ビジョンと良く聞く言葉、一体どういうことなのかを理解するには”おと”としてのビジョンではなく”意味”としてのビジョンを理解する必要があると分かってきました。私の年齢ではちょっと遅すぎるのですがね。”おと”のままでは理解ができない。元々が日本語でないわけですから。振り返ってみるに明治時代、英語に初めて接された偉人たちは英語を”理解”しそれを伝えようとしたと思います。彼らは英語の単語に相当する日本語を探した。当時の日本語にはなかった言葉も多いのです。例えばVote(選挙)。選挙制度は江戸時代なかったわけです。Voteと言う言葉にであった明治の日本人はそれを”ボート”と”おと”の輸入をすることなく意味を理解してそれにふさわしい日本語を当てはめた。この辺りさすがだと思います。爺さん的発想ですかね?

なんて硬いことを書いてますがここで触れるVisionはまさしく”目に映る”、”頭に描く”ビジョンなのです。人生を成功に導く、幸せになる一つの大きな要素に”Have A Vision”があるとアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチにあります(以前のブログにリンクと付けましたが再びつけておきます:ここです)。このスピーチをじっくり聞くとそのVisionはまさしく目に見え、頭に描けるとても具体的なことだと分かります。彼の場合、ボディービルダーとして成功し、そしていずれ映画俳優としてスターになる、ということですがスピーチを聞いていても私は当時の彼の頭、目にその自分自身の姿が鮮明に描かれていたと思います。この言葉 Vision を日本語にするとするなら”目頭にしっかりとそして鮮明に自分のなりたい姿を焼き付けなさい”とでもなるでしょうか? 巷で聞く”ビジョン”とはずいぶん異なるのではないですか?

鮮明に描く、これがカギです。成功された方の書物、インタビューに触れると皆さん同じことを書いています。自分の進む方向が鮮明に描き出されその上を歩いて行った、というような。アイデア、企画などもあるのでしょうが、決して抽象的ではなくとにかく具体的です。ある書物では例えば自分がその時食しているであろう食事に至るまで鮮明に頭(目)に描かれるほどに具体的に。それで初めてのデートの成功確率が上がるそうですよ。目に描く練習を積むことは重要です。スポーツのスーパースターたちは試合に先立って自分がその日するであろうゴール、ホームランなどを鮮明に描くそうです。それが鮮明であればあるほどその日の試合はうまくいくそうです。そのために一人になる時間を持っているそうです。

またビジョンは潜在意識にも働きかけます。 潜在意識について以前読んだことがありますがビジョンと潜在意識は切り離せないと思います。ふとしたときにそれが現れてくるのです。

これについては具体的な個人例があります。以前書きましたが私自身は全く覚えていないのですが私は母に”いずれ、遠いところに行く”と言ったそうです。でも、確か高校生3年生ぐらいのころ町の書店で雑誌を読んでいて”石油タンカーの無線通信士の日常”と言ったような書き物に出会ったことは覚えています。その号の記事では”マラッカ海峡で船が数珠つなぎになり通れる日を待っている”ような内容だった。マラッカ海峡、社会(地理)の授業で名前は聞いたことはあるが実際はどんなところか全然知りませんでした。1970年代のこと、写真、ビデオ、インターネットなどは無いに等しいです。その記事はとても鮮明で読んでいるうちに”一度見てみたい”と思ったのは覚えています。それからその雑誌のその記事だけを書店で立ち読みするようになったのも覚えています(雑誌名は覚えていない。)おそらくそれがあって”いずれ 遠いところ”に行くとなったのでしょう。マラッカ海峡が見たい、程度のことだったのでしょうけれど、よくわからないがマラッカ海峡に一種のあこがれをもったのは確かです。狭い海峡を沢山の船が往来するらしいのです。その光景は今でも目に映せます。そして事実こうしてマラッカではないですが遠いところにいます。おそらくあの時に潜在意識の奥底に自分の描いたマラッカ(遠いところ)が刻み込まれたに違いないと今では思っています。また、最近の話ではこの5年ほどAIが次のテクノロジーとして大きく脚光を浴びています。マーケティング部に属するエンジニアとして顧客との会話もAIが主体になっていました。そのころからいずれ自分自身もAI関連の開発に直接従事するんじゃないかと薄々思っていました。AI について経験ゼロ、学校で学んだこともありませんが。そして今現在本当にAIに特化したシリコン開発の責任者をしています。実はその少し前にAIではないがGAFAの一社にてエンジニアをする機会に巡り合えたのです。おそらく人に話したら”なんてもったいない”となると思います。とても良い条件の仕事でした。ですが、あの時にそのポジションは取らなかった(元上司を助けるためなのですが。)でもあの時あの仕事を取らなかったことで今AI関連の製品開発の責任者になったわけでこれも潜在意識が働いたのではないかと思うのです。あの時違った選択をしていれば今の仕事の機会はやってこなかったのですから。

ビジョンを深めるのは瞑想が一番だそうです。 潜在意識を深めるには沢山遭遇することだそうです。外にでて沢山遭遇して、瞑想の時間を持つ、簡単そうで中々できないですが意識するだけでも人生変わるかもしれないですよ。しかも瞑想は時間をかける必要はなく5分でもいや1分でも良いのでそうですよ。現代人、なぜか皆が忙しいと言っていますが(実際は絶対そんなに忙しいわけはないことも老齢になると知っています)、5分の瞑想を取る時間はあると思います。5分(300秒)、起きている時間が14時間としてわずか0.6%の時間。5分の瞑想を50年間毎日してもわずかに64日(2か月)分の時間。 この時間がないはずはない!と私は毎日のように呪文をかけて朝おきたらとりあえず座るようにしております。効果は? それが沢山あるのですね。会ってみたかった人にも出会えたし、行ってみたかったところにも行けたし、なんとなくするだろうなあと思っていた仕事にも就いているし。。。だまされと思って瞑想してみます?だまされても失うのは毎日5分の時間だけですし。

どんな写真かな~と思いました。写真はすべて自分がIPHONEで撮ったものを使うようにしています。写真は一度一緒に食事をしたいと思っていた人とした食事から。長い間こんな食事をしたいものだと思っておりましたら確か4年ほど前にそんな機会に巡り合ったというわけです。

 

ここがマラッカ海峡。あちらに見えるはシンガポールらしいです。タンカーが沢山。

水を撒く

わが家の庭には薔薇の木、レモン、ザクロ、リンゴといった花と果物の木があります。また小さな菜園でネギを植えています。とても小さな裏庭ですがいまのカリフォルニアでは贅沢になっています。新しい家は我が家の半分くらいの土地に日本の都会のように2階建ての家を建てるのが普通になっているのです。土地がとても高いのです。我が家は築65年は経っている古い家でそのころこの辺りはまだ果樹園だらけだった場所。もう開発が終わってしまった場所でゆったりとしています。

さてこれら植物には水をあげる必要があります。雨が降らないカリフォルニア、自然の恵みでは果物や花々は育たないのですよ。水をあげないと枯れてしまうか全く実をつけないか、つけても(ザクロ)酸っぱくて美味しくないです。

そのみずやりについて。はるか以前こんな話を読みました。ある教会に牧師夫婦が赴任してきました。牧師の奥さんは庭に木を植え、それは大切に大切に育てました。時が過ぎ牧師夫婦が共に他界したその年、例年には見られない強い風がふいた日がありました。その突風の次の日の朝、教会を訪れた人はそこに牧師の奥さんが育てていたもう大木になっていた木が倒れているのを発見しました。大木が倒れていた理由は根が張っていなかったからなのです。牧師の奥さんは大切に育てたのですがいつも水を幹のそばに撒いていたため木が根を張り巡らして水を探しに行かなかったために根が育っていなく、もろかったのです。

もちろんこのお話は比喩のためのお話です。昔の言葉に”かわいい子には旅をさせよ”とありますがそれをこのお話は伝えているのです。手塩に育てたのは良いがそれがためにもろくなっていたのです。風雪に耐えるための根を張ることなくそだったので突風に耐えることができず倒れてしまった。 

子供に水やりを任せていた時期があります。でもね、薔薇が全く咲かなくなったのです。おかしいな~と思いました。水をあげているか?と聞くとちゃんとしてると言います。でも全然花をつけないのですね。そこである時水やりを見てみました。水が足りない。。。植物の根に水が届かなくてはいけないのです。ちょっと水をあげても土が濡れるだけで根っこまで水は届きません。これでは薔薇は水を得ることができずしたがって花をつけません。水はあげるならたっぷりと挙げる必要があります。薔薇に限らず例えばネギの場合、たっぷりあげると何度も成長してネギを収穫することができます。ネギは土が濡れる程度ならいずれ枯れてしまいます。

ここで言っているのは物事例えば語学の勉強、収穫できるほどにまで続ける必要があります。私は合気道(一応有段者です)をしていましたが稽古を始めた当時、先生は”最初はできるだけ時間を作って沢山稽古に来なさい”とアドバイスを下さいました。水が根に届くがごとく途中で辞めないことなのですね。根が張り始めると少しペースを落としても進歩は続くのですがそれ以前に水やり(勉強、稽古、経験)を辞めてしまうと土を濡らすだけで終わり収穫にはなりません。私も飽きっぽくすぐやめることが多いのですが水を濡らすだけではその努力もったいない。ぜひ根に届くまで続けたいですね。

水やり、時期もあるのです。レモンを植えていますが2年前はとても沢山の実を付けましたが昨年はほとんど全滅。違いは?水です。カリフォルニアは冬が雨季で雨が降ります。夏場は全く降りません(したがって山火事が多い)。2年前の冬は良く雨がふりましたが昨年はあまり降らなかった。それだけの違いなのです。今年(今冬)もあまり降らなかったのですが私は冬場から定期的に水をまくようにしていました。そうしたら今レモンの木には緑の実が沢山できています。レモンは秋から冬にかけて黄色い実を沢山つけてくれそうで冬場にはまた美味しいレモネードが作れそうです。ザクロもあるのですが美味しい、甘い実をつけるには水をその時期に沢山あげることはとても重要です。実が出来てからでは遅いのは経験で知っています。

ここで言いたいのは時期です。人生頑張る時期というのがきっとあるはずです。それも一度や二度ではなく何回となくやってきます。以前書きましたが私の場合、高校2,3年の時、USAにきて最初の年、カリフォルニアに移ってベンチャー企業時代(倒産の危機が3度あった)、子供ができた当時、などなど沢山あります。その時期に頑張っておくと美味しい実(成功、幸せ)を得る可能性はぐっと増えると思いますよ、これも経験から。

庭のレモンの木。緑色なのでよく見えないが実が沢山できている
庭(表)のザクロ。ザクロは水が少なくても実ができるのですが美味しくするには水が必要

でもね こらえられないようなことにも沢山出会います。それでも がんばれというのか? となりますが、私はよくそんなことを母に言っていました。母の返事はいつも、”お前の人生、やるも辞めるもお前次第。でも辞めて後で文句は言うな” でした。”文句”というのはそうですね、大人になるとやっかみでしょうか? ビリオネア、例えばビル ゲイツ氏たちに対するやっかみをよく聞きますが彼らの話を聞いてごらん。それは、それは努力して自分たちの全人生をかけて会社を興されたことがわかります。やっかむどころか、その成功に敬意を払う気持ちを持ちたいものです。しかも今その成功で得られたものを誰からの催促もなしにほとんど全て使って社会に貢献しようとその努力を今されている。アーノルドシュワルツェネッガーさんも今されているのは社会に貢献する努力です。成功されるためにあれほどの努力をされて、そして得たものを全部再び努力されて返していこうとされているのですから。私はこの2人の人にはいつか直接会ってみたい。

こらえられない事態になったらどうするのか? 私だけの経験でいうなら辞めることも一つの選択肢です。”転機がやってきたのかも”しれないからです。以前のブログで身近な人ではなく少し間を置ける信頼できる人を持つことを紹介しました。友人、家族、同僚、上司、恩師(学校の先生)は親身になってくれますが同時に自分のことについては”結局は他人”です(親は別ですが親は親の目がある)。身近な人は自分たちの目で”見ます(一番いい例が同僚と上司、それと顧客)。親身でずけずけとはしませんが結局は自分のことではないので”話をきく”だけになることが多いように思います。それでストレスの解消等にはなると思いますが、自分にとって”転機”が訪れたのか、そうだとしたらどうしたらいいのか、その相談相手がいると心強いですね。とくに自分と利害関係の全くない相談相手ですね。人はよほどのことがなければ”苦労して手伝ってはくれません”、というのもその人にも生活があるからです。学生時代とそこは大きく違うところですね。大人の利害関係というのは複雑なので学校を出で間もない若者はそれに戸惑い、驚きそして失望していくことも多いです。だから、というわけではないですが信頼できるが利害関係のない(つまり少し離れている)人を相談相手として持っていることはきっと人生を豊かにする手助けになると思います。

水を探しにいこう。

水を撒くなら根っこに届くまで十分に

水を撒く時期があることを知ろう。

そうそう、栄養分も折に触れて補給すること。大地がとても肥沃なら良いのですが今の日本、大地が疲弊しかかっています。爺世代(私ですね)がめちゃくちゃに使ってしまったこともありますが新しい栄養分が必要だと思います。さしずめ、これは新しい産業の創出とでもしておきますか? あとは外から補給。これって外から中に入ってくるのもありますが、”中から外”に私はもっと注目したいです。 先ほどの”水を探しにいこう”がそれですね。外にでて、そして”持ち帰る”のです。それが栄養分になるでしょう? それには、私のブログの根底をなす、”どんどん外に出て実際の経験を積んでほしい”というところに行きつきます。

最近は工場での栽培が盛んになっています。水栽培ですね。根っこに直接水、栄養を補給するのでとても効率は良いのです。食料工場としては効率は重要ですが、大木を育てる方法ではないですね。 大木を育てるのか食料を育てるのか、どちらが良い、悪いではなく、自分の人生をどちらに向けて豊にしていくのかも時には考えてみるとよいですね。

最後に本を読むと良いですよ。ブログでも、ビデオでも、Tweetでも、Facebookでもなく良書を沢山読むと自分に対するとても良い水撒きになります。

そうそう、その本について。これは以前日本で少し年上ですが私と同世代のお客さんと夜食事をしたときに出たはなしです。その方はある大企業の事業副本部長兼、開発部部長という地位の高い人物でした。ある時若手の部下に書籍を薦めたことがあるそうなのです。そしたら、その部下に”パワハラですか?”と返されたそうです。詳しいいきさつははかり知ることはできませんが書籍を推薦してそう返されたと非常に嘆いておられました。パワハラ。。。 爺たちですがそんなつもりで書籍の推薦とかをすることはありませんよ。それ以来その方は書籍の推薦等は一切やめてしまったそうです。とても残念がっておられましたがもうすぐ定年を迎えますし今更何か問題になりそうなことはしたくないようにおっしゃってました。残念ですね。

久しぶりにがちがちに硬い話になりました。昭和世代は非常にまじめなのですよ。で、ブログには写真を付けることを基本にしていますがこんながちがちに硬い話に何が合うのかな~と思いました。 タイトルに挙げた写真は中国は万里の長城です。北京郊外にある観光地に行ってきましたが これを作るのはまあ努力のたまものですね。そして、歩くのも努力がいる。とにかく階段だらけで現代人はひーひー言いながら歩いていましたがそこを守った衛士は武具を付けて走っていたのですね。

映画スターも努力のたまもの? 

PRAHA (Prague) Part 1

プラハ (PRAHAとチェコ語では書きますが英語になるとPRAGUEになる)。私はずっと以前から東欧の町、とりわけプラハとブタペストを訪れたいと思っていたのです。以前に書きましたが一年ほどチェコにある会社のコンサルタントをした関係でプラハに行くことができたのです。一つ目標を達成した気分です。

出張のついでだったので短い滞在でしたからほとんど寝る間を惜しむように町を徘徊しました。会社のあるBrnoから電車で3時間、一等車に乗ると車掌が食事(別料金)を伺いにやってきます。電車はゆっくりと田舎をずっと走りますが突然都会が見えてくるとそこがプラハです。プラハはヨーロッパでも人気ある観光地です。物価が安いんですね。EUのメンバーですがチェコはEUROではなく自国通貨を維持していますがアメリカドル、ユーロとの交換レートで考えるととても格安に感じました。ちょうど夏場だったのでそれこそ観光客でごった返しておりました。特に若い人に人気があるようで大学生らしい人たちで溢れていました。

川が流れる町は美しく感じますし発達していますね。昔、川は重要な交通手段でした。ロンドン、ボストン、ポートランド(オレゴン州)、パリ(行ったことはないのですが。。。)、ウイーン、リンツ、ニューヨーク、皆、河がありますね。そうそう、東京も、大阪も京都も川が流れています。プラハも町を川が流れていて橋を通して市街地と王宮のある丘をつないでいます。橋は観光の名所で沢山の人が出ていました。私は川の流れる町が好きです。残念ながら私の住むシリコンバレーには川はないのです。

プラハ旧市街。
市街を見下ろす
シナゴーグ
広場(夜)
残念ながら古いIPHONEだったのできれいに撮れていませんが川の袂からみた王宮。ライトアップされてとてもきれいでした。

町は旧市街が観光の中心になります。以下にいくつか写真を添えておきます。川を渡って丘に向かうと旧王宮がそびえたっていますがとても広い。王宮は中を見て回るだけでも半日はかかるのではと思います。ツアーもあるのですが私は一人で見て回りました。王宮の丘からダウンタウンを見下ろしてもとてもきれいです。王宮の写真をいくつか載せます。聞いたところではヨーロッパでも有数の大きな規模で中には大きな教会を含め王宮で働いていたであろう人々が暮らした町のような一角もありました。

王宮内
王宮からプラハ市街を見下ろす
王宮(パノラマ)

新市街地(?)に至る所には大きな通りとその先に美術館がありましたが行ったときはその大通りで”PRIDE”の集まりが催されていました。チェコでPRIDEに出会うとはおもいませんでした。 PRIDEというとサンフランシスコとバンクーバーがよく知られているのです。その新市街地を歩いていくとカフカの像(動きます)のある一角にでます。カフカをご存じですか?“変身”とたしか日本語訳ではなっていると思いますがある日”虫”になってしまった人を描写した著書で知られるチェコの作家です。大学の何かの講義で出てきて読んだことがありますがチェコが誇る作家なのですね。

カフカ像
カフカミュージアム

旧市街を歩いていると古い建物がとても多くありますがそれに交じるように飲食店、土産物(ボヘミヤン ガラスやチョコなど)そしてなぜだかタイ式のマッサージのお店が沢山ありましたよ。チェコはベトナム系チェコ人がとても多いのですがタイ式のマッサージには驚きました。

土産物屋のショーウィンドウ
宿泊したホテル。中央駅のすぐそばにあった。

プラハでは半日のガイドツアーをしましたが、たまたまなのですが私一人だけでツアーガイドと二人だけになったので気ままなツアーができてよかった。おかげで色々ときくことができツアーでもなければ知ることがないようなところにも連れて行ってもらえました。Jewishのシナゴーグ(中には入れませんが)、バドワイザー(本家本物。アメリカのバドワイザーとは全くことなるとても美味しいビール)発祥のパブ(?)、カフカのかかわった家、などを見て回りました。案内の女性はとても親切で5か国語を話せると言っておりました(チェコ語、ドイツ語、英語、スペイン語とチェコ語にとっては方言のようなスロバキア語)。ヨーロッパでは3か国語わかる人はあまり珍しくはないないですが5か国語というのはさすがに驚きました。色々な国の言葉がわかると旅行はとても楽しくなりますから私はツアー中ずいぶんとチェコ語も習いました。使う機会は限りなくゼロですが全く新しい言葉なので興味はあります。

ホテルはプラハ駅すぐそばに取りました。マリオット系列のホテルで少し高かったのですが、上司がこれまでの殺人的な出張(ほど3週間に一度海外に出ていた)をねぎらうため?特別に許可がでました。部屋の写真を撮っておくのだったと思うほどに良い部屋で男一人にはもったいないホテルでした。

観光客で一番多そうだったのは北欧からの学生だと思います。ちょうど夏で学校は休みだし、プラハだとパリ、ロンドンより少ない予算で長く滞在できますからね。アジアからはここでもやはり中国からの観光客が一番多かったと思います。日本語はほどんど耳にしなかったです。目にもしなかった。観光客の使うお金は大切な収入ですから中国人観光客が増えたら中国語の表示は当然増えていきますね。私世代の日本人の知人に言わせると”もう観光は終わった”とのことですが、私世代の話であって若い人はこれからのはず。言葉がわからなくったって何とかなるし町を歩くだけでも色々と発見もあります。このブログが”旅ブログ”になるほど有益になることはないのですが一度も海外に出たことがない、というのであればどこかに行ってみるのはどうでしょう? プラハをその最初にと薦めるわけではないですが(言葉を考えると英語圏の方が良いかな?)中規模の町であるプラハは歩きやすいですよ。 ロンドンなど、何度も行ってますが東京と同じで大きくて数日の滞在ではほんの少しだけになりますがプラハクラスの都市だと数日あれば全容を見て回れそうです。 私は一日半しか居なかったのですが(次の目的地がある出張の途中だったので)。

パート2に続く。

友人

ヘイトスピーチがこの4年ほどここUSAで大ぴっらになっています。国の指導者がそれを助長するというこれまでは考えられなかった現状、非常に危険な現状を見、とても憂慮しています。歴史は繰り返すと言われますがどんな大国もいずれ内部から崩壊していくのです。その崩壊を見るようで将来が心配です。ソビエト(今のロシアを含む)も内部崩壊したのです。外部からの侵略ではなく。大英帝国も内部崩壊をしたのは知られています。大国は内部崩壊にとてももろいものです。これは歴史をよく勉強するとわかります。かのローマ帝国、ゲルマンの大移動で崩壊したように中学、高校の歴史で習うかもしれないですが、実情は内部崩壊です。事実侵略があったおかげで帝国の一部(東ローマ)は生き残ったのですから。侵略が内部崩壊を止めた(一致団結)とも言えます。東ローマ帝国はその後やはり内部崩壊をします。アメリカも以前に内部崩壊の危機がありました。南北戦争です。あの時は偉大な指導者、リンカーン大統領が救ったわけですが今はそんな指導者がいるのか?と思う。歴史家、多数の一般国民の一致した意見として一番偉大な大統領というと初代大統領であるワシントンよりリンカーンを挙げる人が多い。今日現在の人は最下位に近いところにいますがね。

最近、日本でもヘイトスピーチが公然のようになっており非常に憂慮します。特にTwitterは匿名性もあるのでひどく荒れていると聞きますがYOUTUBEで公然と嘘、一方的な意見を吹聴するビデオを見つけることもありますしブログも非常に過激で荒れていると聞いたことがあります。何も知らないでそういったヘイト、嘘を広げている、それを伝達しているのはとても憂慮することです。

どうしてなのだろうか?と考えたのがこのブログを始める一つのきっかけです。私はこれは現在の内向きな志向に一つの解を求めてしまいます。前に書きましたが人間は基本的に内向き、いや外に出ないそうです。人間の活動範囲(生涯)は自分が生まれた地域の半径100キロ圏が大半であると以前何かの記事で読んだことがあります。交通手段が発達しても日常生活圏を考えるとそんなものでしょう。時々旅行をするにしてもね。しかも最近は旅行も”近場”になりつつありますしね。また類は類を呼ぶがごとく同じような”類”といたいという気持ちも強いそうです。アメリカ人が行きたい外国というとカナダ、イギリスなど英語を基本とする国が上位に来るのもそこにねざしているわけですね。

それに最近は何でもバーチャル、オンライン。そこで得た知識だけで物事を見るようになっていると思います。 経験 が欠如しているのですね。それと関係です。 なんでもオンライン友達、いやもっと進んでオンラインの恋人までいるとか。 古い人間である私には全然ピンとこないのです。オンラインで関係を深められるとは思えないのです。在宅勤務が昨今話題になりますが私自身、GAFAの一社に勤めるのですが私の会社は今もキャンパス拡張(新しいビルを建設中)しておりいかにしてエンジニアはじめ従業員をオフィスに戻せるか、検討を進めています。シナジーはバーチャルでは達成できないことを知っているのですね。在宅勤務は基本的に考えていないのですね、ですから。

さて、私は中国、韓国、台湾、UK, イスラエル、ドイツ、チェコ、オランダ、カナダ、そして日本とアメリカに友人と同僚がいます。彼ら、彼女らとは現地で一緒に仕事、食事等をしてきた仲です。皆親切で良い人たちですよ。イスラエルへの出張の帰りにUK(ロンドン)によったことがありますが、忙しいなか、ヒースロー空港まで出迎えに来てくれた友人もいます。帰りもホテルから空港まで送ってくれました。こういった国に友人がいるのにその国(国民)を一概にヘイトすることはできない。国によっては、もちろん政治体制など私の個人的考えと合致しないところもありますが XXXX人 大っ嫌いと言っておいて自分にはXXXX人の友人がいるとは言えないでしょう?好き、嫌いは個人的なことです。自己の経験ではなくバーチャルな情報(映像、音声、文章)だけで自己の経験基づかない、それを基に自分もヘイトを伝搬する風潮が昨今溢れておりとても危険だと思います。実際には何も知らないでしょう?

バーチャルな環境でいると、そうですね、例えばイラン人、あまり良い印象を持たないのではないでしょうか? 私は過去、そして現在の上司にイラン人がいます。どちらも上司であり、同僚でありそして友人です。今の上司はこんなに頭の回転が速い人にはあったことがないと思うほどにエンジニアリングで優秀です。以前の上司は穏やかで辛抱強かった。今でも大切な友人です。私の知るイラン人は彼らと彼らの周りの人たちだけの個人経験ですが良い印象を持ちます。また、ニュースしか知らないとイラン人とイスラエル人はいがみ合っているように思うかもしれませんが私のイスラエルの友人とイラン人の友人は彼らも友人どうしですから3人で食事もします。国と国、と個人は決して一致しないものなのです。

トルコ人、ロシア人、テキサス人(アメリカ人)、コロラド人(アメリカ人)、アメリカ南部の人(マイノリティーを含む)、カナダ人、ヨルダン人、アイルランド人、そしてインド人も皆、現在、そして過去一緒に働いた同僚、友人、上司です。私はトルコ人を2度上司としたこともあります。私は幸運なことに同僚、上司にはずっと恵まれているので皆会社を辞めた後も連絡を取りますし、今でも仕事、仕事以外でも助け合う仲です。 

私のブログを見ていただくとわかると思いますが私は若い人たちに個人経験を深めてほしいと思っています。それがとても大切だと思います。実際の経験で、決してバーチャルではない経験です。オンラインが内向き志向を助長しているのではないかな、と私はそんな会社で今エンジニアをする者として危惧しています。

私は人間、エンジニアとして大して成功したわけではないのですが、私自身の人生一番の達成は?と聞かれたら私はきっと”世界の色んな所に友人がいることと世界の色んな人と一緒に働いたことだ”と言うでしょう。これが私の唯一の自慢です。

盛り付けがきれい

どんな写真が良いかなと思いましたが友人関係を深めるのは何といっても食事です。写真は私の大切な日本の友人とした食事から。日本は盛り付けがきれいですね。また、日本でカプチーノをオーダーすると写真のような素晴らしいアートをサービスしてくれることもありますね。LAそばのトーランスという町は日本人が多いのですがそのトーランスの日本食レストランでもこんなカプチーノをオーダーできました。

杭州に出張したとき。事前に予約しておかないと食べれないそうですが夕食のために前もって予約しておいてくれた。ぜひ私に味わってほしかったからと言ってました。嬉しい限りです。この日は杭州に宿泊しました。

親の教え

私の両親は第2次世界大戦をなんらかの形で経験している世代です。おそらくは最後の世代に入るでしょうね。当時母はまだ子供だったはずですが戦争は知っている、という世代です。私は戦後の一番大変だった時代の直後辺りの生まれですが私の姉は50年代の生まれです。あの当時、大人は忙しかったから私の世話(おんぶしたりね)を全部したと、まあよく言われました。こっちは全然覚えていませんが嘘をついているのでないのはわかるので”ありがとう”と言っていました。ちなみに兄弟のなかで私は姉と一番近い(仲がいいという意味で)。今も姉にはあまり頭は上がりません。何しろおんぶして子守をしてくれたそうですからね。

子供のころ、私はあまり”勉強しなさい”といったことを言われなかった。それにあまり何も習わなかった。。。とにかく大人がとても忙しい時代でしたからね。父親はほとんどおりませんでしたし。両親不在(私にはまだ祖母が居ましたがめちゃくちゃに厳しかった。。。祖母は明治生まれ。明治生まれには勝てないですよ、どんなに頑張っても)したがって子供は勝手にしているわけですな。勝手にすると勉強する子は勉強するし、遊ぶ子は遊ぶ。私は遊ぶ子でしたね。後年、高校に行ってがらりと変わりましたが小学生、中学生のころは遊ぶだけ。全く勉強はしていなかった。やってどうなるねん?と中学に進んだころにはもう勝手に自覚してました(かなり投げやりな中学生活でした)。

そんなですが母親から日頃言われ続けたので今でもよく覚えている言葉は

やってから文句言いなさい

です。 やる前から文句言うんじゃない、ということですが 良いように遊んでいると”XXXXしなさい”と呼びに来るわけですよ。せっかく遊んでいるから”後でやる”とかなんとかいうじゃないですか、子供って。 そうすると”やってから遊びなさい”となります。それでも文句言うと”やってから文句言いなさい”と。いつもこのパターンだったと覚えています。 

やったあとで文句を言った記憶はあまりないのです。結局親には逆らえないので”やった”(と思う)のですがそれから”もんく”言ったかな?と記憶を辿っても出てこないのです。やり方がだめだと呼び戻された(そしてこっぴどく叱られた)のでそのうち最初からちゃんと(もっとも子供目でのちゃんとですが)するようになりました。文句を言わなかったのは、おそらく”直ぐに遊びに行ったから”だと思うのですが、終わってしまうとあまり文句って出ないものなのでしょうね。 やる前に文句がでるのです。 だから”やってから文句言いなさい”となるわけだ、と今くらいの歳になるとようやく悟。。。

おかげでかどうか、この歳になっても日頃バタバタしています。なんか、やり残したことがないかな?と。全部やりきってからでないとゆっくり休めないのです。”後でやったら?”とか、”まずはゆっくりしてから”と言われますが中々出来ない。忙しい体になっているのですね。出張から戻ってもすぐさまスーツケースを開けて中の整理を始める、ジェットラグでとても眠くなっていてもとりあえずスーツケースをかたずけないと落ち着けない。。。 いやはや な性格になっていますが ”子供のころ、そうやって育ったから仕方ない”というと、”変えてみたら?”と言われます。たしかにね。 もうゆっくりしてもいい歳なのかもしれない。。。せっかくの休暇でも目的地につくなりバタバタ。。。これは嫌がれますよ、まじに。性格悪いですな、私は。

この”やってから”が日本の経済を急激に復興させた原動力のひとつだと、でもね、最近より悟るようにもなっています。昨今見ていると、やる前に文句言う、が多いように思う。USA, 日本しかり。どこでも。いや、ひょっとするとベトナムなどのアジアの新興国と中国は違うかもしれない。ちょうど昔の日本の状況でしょうからね(これからもっと飛躍するでしょう)。以前、現リシュモングループ(高級ブランドを傘下に収めるヨーロッパの一大企業)のオーナー(彼は南アフリカ出身)の記事を読んだことがあります。彼はそのころロンドン在住だった(はず)ですが、いつも空港等に朝早く出かける際の車の中からアジア系の住民が朝早くから働いている姿をみて”ヨーロッパ人はどこにいるんだ?”と書いていました。夜遅く今度は帰宅する際にもアジア系の住人はまだ働いている姿をも見てアジアがこれから経済的に大きく飛躍することを肌で感じたとも書いていました。とても古い記事です。

というわけで今日もバタバタしています。

そうそう、もう一つ頭にこびりついているのは

汚い言葉を使うものじゃない

です。わけても ”ちく**”は言うと怒られました。おかげでこの言葉今でも出ません。悪口じゃなくて汚い言葉です。悪口は言わないほうが良いに決まっていますが、やはり人間、出ることもあります(でも口汚い悪口は口にしません。これはものすごく怒られた)。昔は大人がきちっと教えていたのですね。

という話でした。 ”やってから”この歳になると母親には感謝します。お陰で今の自分があると実感できるからです。 

さて表題の写真は真空管ラジオです。EBAYで古いキットを落札して作りました。とても簡単な回路構成ですがちゃんと稼働しました。私が大学に入ったころにはすでにトランジスタ回路が講義の主体でしたが実験ではまだ真空管に触れる機会がありました。また電機、電子工学を大学(工学部)で選択したきっかけは 子供のころジャンクヤードで見つけた真空管ラジオだと思う。。。 いつもこんなキットをEBAYで探していますが中々見つからない。日本の秋葉原も今ではすっかりアニメ、キャラクター、ゲーム、コンピュータが大半を占めるようになり私のような古いエンジニアにはガード下の一角を除くと別世界になっています。ガード下の小さな店はいまでも大好きです。楽しい発見をします。