私の両親は第2次世界大戦をなんらかの形で経験している世代です。おそらくは最後の世代に入るでしょうね。当時母はまだ子供だったはずですが戦争は知っている、という世代です。私は戦後の一番大変だった時代の直後辺りの生まれですが私の姉は50年代の生まれです。あの当時、大人は忙しかったから私の世話(おんぶしたりね)を全部したと、まあよく言われました。こっちは全然覚えていませんが嘘をついているのでないのはわかるので”ありがとう”と言っていました。ちなみに兄弟のなかで私は姉と一番近い(仲がいいという意味で)。今も姉にはあまり頭は上がりません。何しろおんぶして子守をしてくれたそうですからね。
子供のころ、私はあまり”勉強しなさい”といったことを言われなかった。それにあまり何も習わなかった。。。とにかく大人がとても忙しい時代でしたからね。父親はほとんどおりませんでしたし。両親不在(私にはまだ祖母が居ましたがめちゃくちゃに厳しかった。。。祖母は明治生まれ。明治生まれには勝てないですよ、どんなに頑張っても)したがって子供は勝手にしているわけですな。勝手にすると勉強する子は勉強するし、遊ぶ子は遊ぶ。私は遊ぶ子でしたね。後年、高校に行ってがらりと変わりましたが小学生、中学生のころは遊ぶだけ。全く勉強はしていなかった。やってどうなるねん?と中学に進んだころにはもう勝手に自覚してました(かなり投げやりな中学生活でした)。
そんなですが母親から日頃言われ続けたので今でもよく覚えている言葉は
ーやってから文句言いなさい
です。 やる前から文句言うんじゃない、ということですが 良いように遊んでいると”XXXXしなさい”と呼びに来るわけですよ。せっかく遊んでいるから”後でやる”とかなんとかいうじゃないですか、子供って。 そうすると”やってから遊びなさい”となります。それでも文句言うと”やってから文句言いなさい”と。いつもこのパターンだったと覚えています。
やったあとで文句を言った記憶はあまりないのです。結局親には逆らえないので”やった”(と思う)のですがそれから”もんく”言ったかな?と記憶を辿っても出てこないのです。やり方がだめだと呼び戻された(そしてこっぴどく叱られた)のでそのうち最初からちゃんと(もっとも子供目でのちゃんとですが)するようになりました。文句を言わなかったのは、おそらく”直ぐに遊びに行ったから”だと思うのですが、終わってしまうとあまり文句って出ないものなのでしょうね。 やる前に文句がでるのです。 だから”やってから文句言いなさい”となるわけだ、と今くらいの歳になるとようやく悟。。。
おかげでかどうか、この歳になっても日頃バタバタしています。なんか、やり残したことがないかな?と。全部やりきってからでないとゆっくり休めないのです。”後でやったら?”とか、”まずはゆっくりしてから”と言われますが中々出来ない。忙しい体になっているのですね。出張から戻ってもすぐさまスーツケースを開けて中の整理を始める、ジェットラグでとても眠くなっていてもとりあえずスーツケースをかたずけないと落ち着けない。。。 いやはや な性格になっていますが ”子供のころ、そうやって育ったから仕方ない”というと、”変えてみたら?”と言われます。たしかにね。 もうゆっくりしてもいい歳なのかもしれない。。。せっかくの休暇でも目的地につくなりバタバタ。。。これは嫌がれますよ、まじに。性格悪いですな、私は。
この”やってから”が日本の経済を急激に復興させた原動力のひとつだと、でもね、最近より悟るようにもなっています。昨今見ていると、やる前に文句言う、が多いように思う。USA, 日本しかり。どこでも。いや、ひょっとするとベトナムなどのアジアの新興国と中国は違うかもしれない。ちょうど昔の日本の状況でしょうからね(これからもっと飛躍するでしょう)。以前、現リシュモングループ(高級ブランドを傘下に収めるヨーロッパの一大企業)のオーナー(彼は南アフリカ出身)の記事を読んだことがあります。彼はそのころロンドン在住だった(はず)ですが、いつも空港等に朝早く出かける際の車の中からアジア系の住民が朝早くから働いている姿をみて”ヨーロッパ人はどこにいるんだ?”と書いていました。夜遅く今度は帰宅する際にもアジア系の住人はまだ働いている姿をも見てアジアがこれから経済的に大きく飛躍することを肌で感じたとも書いていました。とても古い記事です。
というわけで今日もバタバタしています。
そうそう、もう一つ頭にこびりついているのは
ー汚い言葉を使うものじゃない。
です。わけても ”ちく**”は言うと怒られました。おかげでこの言葉今でも出ません。悪口じゃなくて汚い言葉です。悪口は言わないほうが良いに決まっていますが、やはり人間、出ることもあります(でも口汚い悪口は口にしません。これはものすごく怒られた)。昔は大人がきちっと教えていたのですね。
という話でした。 ”やってから”この歳になると母親には感謝します。お陰で今の自分があると実感できるからです。
さて表題の写真は真空管ラジオです。EBAYで古いキットを落札して作りました。とても簡単な回路構成ですがちゃんと稼働しました。私が大学に入ったころにはすでにトランジスタ回路が講義の主体でしたが実験ではまだ真空管に触れる機会がありました。また電機、電子工学を大学(工学部)で選択したきっかけは 子供のころジャンクヤードで見つけた真空管ラジオだと思う。。。 いつもこんなキットをEBAYで探していますが中々見つからない。日本の秋葉原も今ではすっかりアニメ、キャラクター、ゲーム、コンピュータが大半を占めるようになり私のような古いエンジニアにはガード下の一角を除くと別世界になっています。ガード下の小さな店はいまでも大好きです。楽しい発見をします。