失敗 仕事編 2

人生、仕事どちらも失敗続きだったと先のBLOGで書きました。これはその続き。

これまでスタートアップと呼ばれることもあるベンチャー企業3社で働いた経験があります。36年近い仕事経歴中実は22年はベンチャー、つまりベンチャーの経験の方がずっと多いのです。大会社も今の会社を入れて5社。その一社は日本の大会社のUS法人、別の一社はUSの大会社の日本法人なので日系企業の日本での就労以外のパターンは全部経験済みとなります。

以前のBLOGで仲間について何度か取り上げています。

また友人と仲間は違う何度も何度も書いています。それと人をみる目は大事だと。。。

なぜにここまでまあ、爺のしつこさからか、繰り返しているのかと言いますと、私の失敗の根源はそこにつながるからです。

日系の会社に3年おりましたがいわゆるバーンアウト症候となりました。現地採用の日本人で且つ中間責任者。現地のボスは本社の管理職と常にぶつかっており(彼自身にとても野望があった)その狭間にいたことも理由の一つですが出来ないようなプロジェクトをどんどん取り上げる(双方)にあきれ返ったというのも大きな理由です。ちょうどドットコムの時期でエンジニアが”鞍替え”よろしくソフトウエアエンジニアになっていった時期でもあります。

そんな時代の潮流に乗れなかった(乗らなかった)私は旧態(?)したシリコンに引き続き従事していましたが、結果としてドットコムの終焉に巻き込まれることはなかったのですが、日本でのバブル時の”イケイケ”ムードもドットコムの”イケイケ”ムードも地肌で経験できなかった(楽しい瞬間はあったはずですからね)。ドットコムのころ働いていた会社では隣のビルがドットコム企業でしたが毎週月曜になると駐車場の車の数が増えていました。あまりに増えてとうとう止めるスペースがなくなり遅くいくと道に駐車するしかない始末。それがある月曜の朝、ほとんど車が停まっていない。。。IPOしたとかで引っ越していったのです。確か自社ビルを買ったと聞きました。時代に乗るんですね。。。

時代に乗れなかったのが私の失敗ではありません。

失敗は ひとを見る目がなかった ことです。 

最初の失敗はその日系の会社を辞めるにあたり、色々な会社を探すことなく、元同僚たちが始めたベンチャー企業に参加しました。エンジニアとしてはもちろん一緒に働いていたので実力を知っていましたが、皆エンジニアだった。。。エンジニアリングマネージャをやってきたメンバーもいましたが基本、エンジニア。そんな彼らがドットコム時代にあふれかえっていた資金のおこぼれ(ハードウエア関連のベンチャーだったので)程度の資金、とはいっても日本円で50億程度にもなります、を得て設立した会社です。ビジネスモデル、マネージメント(ファウンダーである友人たち以外のマネージメント)、働いているエンジニア(素性とでもいうのでしょうか?)をまともに面接しなかった。面接について書いていますがスタートアップ企業はお互いが面接しあう、会社を能々面接する必要があるのです。友人が始めたから、というのが一番いけない判断基準です。友人は友人。友人とお金の貸し借りを決してしてはいけないように友人を信じ切って事業に参加するなど、自分に関わることを決めないことは非常に重要です。友人と仲間は別物。友人とは週末などを一緒にすごすなり夕方一緒に食事をする、そんな関係で一緒に働くかどうかは自分自身でじっくり検討する必要があります。

それを怠った。 まさに怠慢です。入ってみるとどうもマネージメントの言っていることが良くわからない、ビジネスモデルです。すでに大きな会社でビジネスに直接関わった経験があるので彼らの話すことを経験と照らし合わせると納得ができなかった。なんどか友人たちと話しましたがまるでドットコムを錯覚させるような甘い試算が出てくる。しかもエンジニアたちはどうみても普通。以前いたBOSTONの会社のように”すごいなあ”というエンジニアが居ない。

そんなことを元上司(皆同じ会社にいた)と昼食をしたときに詳しくは話しませんがしたところ、これまた元同僚たちの居る会社を教えてくれました。そうそうたるメンバー(でも直接は一緒に仕事をしていない)が働いていることを知り早速コンタクトを取ってみました。

わずか6か月で会社を変わったのはここが最初で最後ですが運よく働けるチャンスを得たので移りました。この際、マネージメントとは3度も会ってビジネスプランなどかなり聞いた。

それでも、実際に会社が成功するには18年もかかりました。倒産はしなかったですが3度そんな危機があり人員カット、給与カットがあり18年たっても給与が結局据え置きだったと同じようでした。給与って、昇給は高々数%なのです。でもカットは20%、30%と言うのはごく普通です。仮に年率5%で10年だと1.63倍になりますが、30%そこでカットすると1.14倍。10年たって14%上がるだけになります。これは年率わずか1%程度です。

もっともこの会社最後は買収されたので古くから働いていた従業員はストックオプションで賄われましたよ(私もそんな一人)。ただし、18年近くも一つの会社で働いたのが正解だったかというと沢山のチャンスを失ったのでそうでもないのです。シリコンバレーでは一つの会社に長くいることがその後の経歴、経験、人脈そして収入にプラスかというとマイナス要因の方が多いのです。

 

その後長く働いた元上司の誘い(というかほとんどお願い)で会社を辞めて彼がボードメンバー(取り締まり役)兼副社長をしている小さな会社(チェコにR&Dを持つドイツの小さな会社)にコンサルタントとして仕事につきました。安定した職を持ってはいたのですがさすがにそろそろ変化をつけたいと思っていたころだったのです。ちょうど同じころ友人が皆さんに人気あるかじったリンゴのマークで知られた会社にぴったりなエンジニアのポジションがあると言うので彼のはからいで面接も受けていました。とても過酷な面接でしたがなんとか突破してオファーをもらった。普通ならこちらを取ります。家人もこちらを取ってほしがっていましたが”義理立て”で元上司の誘いを受けました。彼が副社長をしているのだから。。。と。

でもこれは大失敗。BLOGにも書いてますがスタートアップ企業に入るときは会社を十分に面接する必要があるのですが再び何もしなかった。”元上司”というだけで信用した。。。 ”技術は優秀、製品ももうすぐ出る”なんて、ビジネスをやってきた人にエンジニアの力量などを本当に評価できるのか?というとやはり弱い。。。そこを私は誤った。エンジニアたちは遠くにいたのですが一度会ってエンジニアをこちらが面接しておくのでした。そうすれば彼らがほとんど全員いまだ学生もしくは学校を出たばかりだったことやマネージャが全く畑違いの分野から来ていたことがすぐ分かったはずなのです。スタートアップはこちらが会社を面接するくらいの態度で挑め、といったBLOGを書いたのはこの痛い経験が念頭にあります。特に安定したポジションに就いていたので早急に次を決める必要も無かったのですから。

働き始めてわかったのが技術はごく普通、製品は大学生の作ったプロトタイプの品質でとてもじゃないが売り物にはならない、働いているエンジニアもごく普通。入って2か月後にはもう仕事探しを水面下で始めてしまいました。給与をもらっているので仕事、しかも出張だらけな仕事で中々うまく探すことができない状況でした。

自分で確かめることを怠るとこんなことになるんだ、とこんな年齢になってつくづく思いました。

そう、自分で確かめることが絶対必要です。投資、不動産は絶対他人任せにするなと言いますが仕事も同じです。自分で確かめること。

今回は終わりよければすべてよし、とシェークスピアではありませんが今はとても良いポジションで働けていますがこんなことは本当にまれだろうと思います。

とこんな失敗を繰り返していますから

ー仲間

ーひとを見る目

ー他人任せにしない

などいわば教訓めいたBLOGをいくつも書いています。

仕事を外れた人生の失敗というともっと数えられないくらいあります。それは次回に。

 

写真はレイクタホにスキーに行って。こんな雪が軒先から落ちてきたら危ないです。落ちる前に雪下ろしですね。

日系のレストランで描いてもらいました。何度も失敗して上手くなったのでしょうね。聞くところによると日本ではもう3Dにもしてくれるとか。