夢からビジョンへ

”いつでも夢を”という映画とその主題歌知っていますか? これは吉永小百合さんの青春映画のひとつです、と言って”みたことがある”なら、あなたは”昭和生まれ”間違いなしかな? とても良い映画ですよ、今見ても。もっとも私は昭和生まれですがこの映画が上映されたときはまだ赤子でしたから初めて見たのはそれから15,6年は経った後です。あのころ京都市の祇園界隈に祇園会館という映画館があった(今はありません)のですがそこで3本500円くらいで古い映画の上映がされていたのです。そこでこの映画を見たのをはっきりと覚えています。 以来、吉永小百合さんのファンですから。 私の世代はというとキャンディーズ、山口百恵さん(歌に恵まれた方ですね)や松田聖子の時代ですがそれでも小百合さんは人気がありました。 私は吉永さんは別格で薬師丸ひろ子さんの映画は欠かさず見たファンの一人です。この映画の主題歌、インターネットで見つけることは簡単です。 例えばここ。https://www.youtube.com/watch?v=_9pewaS3Dhs&t=30s

吉永さんのインタビューを後年見たことがありますが、その中で ”よく走ったわね”とおっしゃっておられました。ほんとうあの当時の映画をみると吉永さん、いつも共演の浜田さんと一緒にとにかくよく走っています。 それはまるで昭和時代の”忙しくて”仕方がなかったころをそのまま表すかのように。昭和は走って忙しかったのですよ。子供のころの話をするとちょっと馬鹿にされますが全部覚えているんですね、私も確かに走っていたかな(昭和も半分が過ぎて生まれ育ったわけですが)。

ところで先日書いたブログで紹介したアーノルドシュワルツェネッガーさんのスピーチで彼はビジョンを持てと言っていましたがDream (夢)とは言っていなかった。ここは重要だと思うのですね。 夢を実現するにはビジョンが必要。ビジョンは彼が言っておられるように、そして少し私も書きましたが非常に具体的でかつ頭にこびりつくものなのです(だそうです、というほうがより正確)。”夢だけで終わらせない、実現するんだ”、と私も含めよく人は言いますが終わらせるか、終わらせないかの違いはこの”ビジョン”を持つかどうかに掛かっていると思います(経験でも)。そして、色々ときいたところではビジョンを焼き付けるのに一番適したやり方は 朝の瞑想 だそうです。 5分間の瞑想で良いんだそうです。 そして瞑想はやり方があるそうです。本当に色々と試しましたが未だに瞑想できたという実感はありません。それが理由でしょうね、 未だにビジョンが乏しい私は成功(幸せ)から程遠いところにいる。 が朝起きてベッドに座って瞑想の恰好だけはいまでも続けています。いつかは悟りを開き瞑想できるようになるかなと。。。

Denzel Washington さんの卒業式におけるスピーチ。 ”夢とゴール”と言っておられますがこれを”Vision”と置き換えるとアーノルドさんのVisionと同様になるはずです。これ、良いスピーチですね。彼の生い立ちご存じですか?

という紹介でした。

ついでに書くと、時々私の経験を話すと、ほぼ必ず質問されたのが、”寂しくなかったですか?”です。30年前のボストンは日本からは遠かったし社内で日本語を聞くことは皆無でしたからね。でもこれは愚問と言いたい。そりゃ寂しくなることは幾度もありましたから。ボストンは冬吹雪で荒れることがあるのです。冬暗くなって帰宅する時に会社の駐車場で一度ロックアウト(車の鍵を車内に残してロックしてしまった)ことがあります。ちょうど吹雪が始まって雪がどんどん降ってくるんです。オフィスにもどってセキュリティーと話をして、こんな場合消防が助けてくれるということで電話して来てもらいました。色々とツールを持ってきましたが中々それでもドアは開かない。寒い中二人で奮闘しましたが”ああ、もういやだ”とあの時思いましたね (帰る(日本に帰るってことです)と思ったのをよく覚えています。)後日談をかくなら、ボストンの駐車場でもロックアウトしたことがあるのですが、駐車場の係員の若い男性、ペラペラの板のようなものを窓のところに差し込んだかと思うと10秒もぜずに開錠しましたよ。初めて見ましたが彼にかかったら車上泥棒はお手の物ですね。あの吹雪の中一時間ほども奮闘したのは何だったんだ?と思いましたから。 

あの時代はインターネットは無いに等しく、もちろんGoogle、Facebook,、YouTubeなどはありません。 IPHONEもないですよ。 EMAILは一般ではまだ普及していなかった。私はコンピュータの会社にいたのでEMAILは有りましたが社内使用以外誰に書くねん?でしたし。 そうそうAMAZONもありません。今からするともう考えられないような時代だそうです、確かにね。 DVDもなかったのですよ。ようやくVideo CDというのが出てくるころでした。 CDはありましたよ。CDは私が大学生(3,4年生ごろ)出てきた媒体です。今はもうCDはあまり見かけなくなりましたけれどね。まだVHSビデオの時代でWalkmanもまだあった、そんなころですね。日本のVHSを何本か持っていたのでそれを見てましたね。その中にはもちろん吉永小百合さんの青春ものの映画もありました。キューポラのある町 という映画をVHSで探しましたがなかったのを覚えています。 いまYOUTUBEで探しても出てこないです(フルには)。これは一度も見たことがないのでぜひいずれ見たい。それ以外には映像、ビデオはあまり覚えていませんが音楽はよく聴きました。中でも一番聞いたのはショパンのノクターン G Major と E-Flat Major 演奏はルービンシュタインさん(に限ります)。おそらく30年のUS生活で一番きいたでしょう、今でも一番好きなピアノ曲です。あまり音楽を聴くほうではなかったですがあの頃は良く聴いていました。

とはいえ、まあ、なんとかなるものです。 若い時は特に。それにいまはFacebookもあるし。でもね、何もなかったからよかったのかもしれないです。 なんだかんだで忙しくしていましたから。 ハーバード大学が夜間のコースを開いていたので、オンラインなどない時代ですからキャンパスによく行っていました。ハーバードで夜間のクラスを取り始めて会社近郊(田舎)からボストン近郊の大きな家で部屋を借りました。大家にあたる人はビジネスウーマンでほとんど家を空けていたので彼女の猫の世話をすることが条件でした。3匹のシャム猫(マシュマロ、ファッジ、ハニーバーン)とてもなついたんですよ。以前のブログでペットについて書いてますがあの3匹を世話したので動物が生活にいても平気になったのだと思います。ボストンシンフォニー(小沢征爾さんで知られますね)が火曜日(木曜だったかな?)の昼にリハーサルをしていましたが一般公開していましたので時々行ってました、会社を早くでて。自宅とした大家さんのところから電車(Green Line)で行くことができ便利でした。元々クラシックを好んでいましたがずいぶん色んな曲をリハーサルで聴きました。夏はボストンポップスがボストンにいて交響楽団はタングルウッド(ボストンから車で2時間ぐらいかな)に移りそこでコンサートがありました。夏は4回経験していますが毎年一度は行きましたね。良いところです。ボストンポップスの演奏も聞きにいきましたよ。

今はBLOGを書いてますが普段は仕事以外でコンピュータを使うことはほとんどしません。 YOUTUBEもほとんど見ないしTWITTERもしません。ボストン時代に触れてこなかったからでしょうね。 それより本を読むほうが多いです。書店は週末毎行っていました。カフェのついている書店が多かったのでそこで何時間も過ごしたのをよく覚えています。そうそう、冬は寒く雪が降ります。会社から一番近いスキー場まで車で30分程度だったかな?毎週水曜日は会社のスキーイベントがありいつも行っていました。滑るというより食べるためでした。食事が無料で出たのです。

なんだか表題とは違い私のボストン時代の回顧録みたいになってしまいました。

千疋屋のメロン。 昨年日本で買いました。千疋屋のメロンと言えば 贈ってもらうことが皆の夢でしょうか? 贈ってもらえないから自分で買って食べました。美味しかったです。贈ってもらうともっと美味しいのかな?

Boston 近郊。こんな緑だらけのところに住んでいたのです。下宿でしたが昔の家(サテライトで見ると建て替えられていた)、メイドの部屋が屋根裏にありそこを借りていた。トイレ、バスルーム、キッチンと全部そろっていてドアを閉めると完全な住居区域になります。ここからBOSTONまで自転車でも40分程度、電車もありましたがT(地下鉄)Green LineのDライン。このラインはケネディー家で知られたBrooklineなどを通ります。Dライン沿いはとても裕福な街が並んでいた。隣町にWellesleyがありますがここは世界的にも知られたWellesley College(女子大)があります。とても高い塀があったはずで中には入れなかったはず。。。この辺り今でも歩いたり運転しても迷子になることはないと思います。