卑下しない

以前誇張ということで書きました。

人は誇張するのです。以前書きましたが人生は

セールスの場。

セールスって、商品、サービス、会社を誇張宣伝するのです。 自分の会社を卑下する人はいません。 

でも、日本では卑下は美徳のような感覚が残っていますね。 滅相も無い、私なんかまだまだ。。。

この発想は他国ではあまり伝わりません。ほめられたら、Thank You の世界なのです。それで良いと私は思います。 何かくれると言ったらその曰くなどがしっかりしているのであれば、それも Thank You。もちろん、見返りを求められるなどありますからその意図、曰くはきちっとしておく必要はあります。 滅相も無い、よりありがたくもらうほうが良いんです。

 

自信のない、自己完結での自信なさも、

1. 自信あるくせに卑下する様にふるまう。

2. やっぱりだめだと初めから自己完結する

どちらも ある意味 卑下ですね。

誇張のBLOGで書いたし、有名なフランク シナトラ氏の18番でもあるマイウエイの歌詞にも出てきますし以前からBLOGでも書いてますが

チャンスが来たら、逃すな

準備出来ていようが、実力が有ろうがなかろうが、とりあえず逃がすな

とあります。

これは人生で重要なのですが、

映画などでは逆なことも良く出てきます。それは、実力あるくせにそれを引けらさない。でもある時その実力を見せる場がやってきて、 あいつ、あの子実はすごいんだ。。。と

んん、良い話なようですが、私は実力以上の誇張をして何うかチャンスを得てそのチャンスをものにするべく非常な努力をした、と言うほうが実は その人がより大きくなる機会につながる

と思っています。 あいつ、すごいんだというのはもうそれができる力を持っているわけですがある意味、それ以上伸びたわけでは無い、つまり成長が止まったとも取れる。

自分で自己完結して諦めるのはある意味簡単。 結局挑戦しないわけですからね。 卑近な例ですが私は学生時代、高校から大学院卒まで、付き合った女性はいません。女友達は沢山いましたよ。でも付き合ったわけではない。 自己完結してそこまでだ、と思ったわけですね。まあ、これについては働いてからもあまりかわってはいなかったですがね。挑戦は足りなかった。

歳をとり最近はそんな女性に出会うことはありませんが、もし出会ったら? 

 

年期を重ね今では人に機会を与えられるような世代になっています。

日本の私から見て若い人たちと話をするような機会もありますが、話を聞いて適当に質問するのですが、 何か機会を下さいとか、XX考えています、機会をえる助けをしてほしい

と言ったことは聞きません。

かたや他のアジア圏の国やイスラエル、そんな話ばかりです。以前書いたと思いますがコンファレンスなどにでて休んでいると学生などがやってきて話のきっかけを作ってきます。それも大学2,3年生だったりする。まだ何も勉強らしきことをしたわけではないのですがインターンシップはあるのかとか、果てはどんな勉強をしたら私が働いている会社(コンファレンスでは普通バッジをつけているのでわかります)などで有利になるのかなども含め。 誇張だらけの履歴書を沢山もらいます。でも、それで良いんです。それで機会を得られたら一生懸命その機会をものにするべく働くことを知っていますから。

チャンスは沢山あるのですが、 独りでやってはこないです。 見つけ出す、

それには 

自己を 卑下しない。

自分はいつも 自慢するんです。