自信がつく

自分に自信がつく機会(まさしく瞬間)が人生長く生きていると何度か訪れるものだと思います。例えば 入試に合格した、難関な資格試験にパスしたときなどを挙げることができそうですね。まだまだ沢山あります、例えばもっと挙げると。

ー初めて商談をうまくまとめた。 セールスとしてやっていけそうだ。

ー気になっていた異性とデートの約束ができた。

なども立派にそんな瞬間ではないでしょうか? 

ただ、私自身の経験を振り返ると例えば資格試験にパスしたというのは自信というより満足感に近いようにも思います(私もいくつか日本の国家資格を持っています)。もう30年以上も前になりますが、入試にしても達成感と満足感が大きかったように記憶しています。 デートの約束は自信というより嬉しさですね。となるとこの少ないリストの中では”初めての商談”と言うのが自信というか、やっていけそうだという自分に対するコンフィデンスにつながりそうです。

こんな自信につながるイベント(機会)は人生の中で何度か訪れると思います。何事も不安があるのもです。私は10年以上も設計現場から離れていましたが縁あって昨年末ごろ再び設計の第一線に戻りましたが10年も離れていて実際設計できるのかなとオファーにサインをした後もかなり不安でした。経験年数だけはあるのでエンジニアとしてのポジションはかなり高いところでオファーを受けたのでそれなりの期待もされていましたが”できるのかな?”と。。。家族曰くかなり不機嫌だったそうです。確かに不機嫌だった。。。

私自身が自信を持てたイベントはアメリカにやってきてからでした。日本支社から毎年トレーニングと人的交流を兼ねて一人(若手)エンジニアを本社に1年間出向するプログラムがあったのですがちょうど私の番になり初めての海外がその出向でボストンまで出かけていきました。入れ替わりで帰る同僚と一か月一緒になるのでその間に仕事、生活その他全部”習う”のですがそれが終わると日本人はまさしく一人になります(あのビルには誰一人他に日本人はいなかった)。例年のことなので受け入れ側は慣れたもので色々と教えてくれますが基本的には勉強と人的交流を作るというのが目的だった。 当初はそのはずだったのですが受け入れ先の一つのプロジェクトが遅れに遅れてしまい、別のプロジェクトを始める人員が足りなくなってしまい私もプロジェクト要員として入ることになったのです。日本にいる私の上司はあまり乗り気ではなかったのですが本社はやはり強く私は当面の間という約束でプロジェクトに編入されました。やっていたことはある部分の設計だったのですがメインのエンジニアが入ってくるまでの間の繋ぎ程度の立場でした。つまりあまりあてにはされていないがその部分の設計に手を付けないでいることもできないから、と言ったところですね。細々とやっていましたがそのプロジェクトを仕切っていたマネージャ(私のホストとなる人ではなかった)とは時々それでも進捗などを話し合っていました。彼は奥さんが英語の先生であの当時英語を母国語にしない生徒に英語を教えていたこともあり、私のつたない英語にもかなり辛抱強かった。3か月ほどたったころ、そのプロジェクトのレビューがあり彼は私にも進捗を発表しないか?と言ってきました。そして ”これからは英語で考えて英語をしゃべれ”とあの時アドバイスを受けましたよ。”お前はまだ、日本語で考えて英語の訳している”、とね。当日知ったのですがそのレビューは部門の一番偉いエンジニア(兼副社長)も出席していたのです(年次プロジェクトミーティングで年一度の大きなイベントだったのです)。つまりそうそうたるメンバーが出席していたわけです。私は30分ほどの時間でしたがとにかくひたすらにしゃべっていました(今でもよく覚えている)。パワーポイントなどなくプロジェクタを使うので資料もほとんど手書きでした。ひたすらに話、質問にも答え、初めての経験でかなり疲れたのも覚えています。さてその次の日、ホストのマネージャに呼び出しを受けました。かなり上のランクで日ごろはほとんど接触がなかったのですが、彼は”前日のレビューは順調に言ったと聞いた。Mike(副社長)がお前(私)にその部分の設計を任せろと言った”ので今日から正式にお前の担当になる。もう日本にもMikeが知らせた(つまり上からの命令という形になった。)それとMikeがコロラド(彼の本拠)でのフォーラムにお前を招待したからコロラドに行く準備をするようにと。フォーラムに参加できるのは非常に限られたエンジニアだけでした。 つまりMikeに認められたわけですね。Mikeが認めたというわけでその日以降突然色々な人がやってくるようになりました。詳しくお前のアイデアを説明してくれ、と言うのですね。まるで芥川賞をもらった新人作家のような感じでしょうか?。コロラドにも行きました。Mikeが色々とお膳だけをしてくれたのでそれまでの人脈とは違うもっと上のレベルのエンジニアと議論する機会できたのです。あの時ですね、やっていけると感じた(確信した)のは。プロジェクトチームに正式に編入され(本社勤務に変わった)担当部分の責任者となり私自身若かったですがより若手エンジニア3人とチームを組むようになりました。たった一回30分の発表でしたがあれが今自分がこのエンジニアリングの世界でやっていけるという確信をもったきっかけな機会です。以後は、より面白いプロジェクトに社内で移っていけるにもなりましたし(色々後押ししてもらえた)、皆が行きたかったカリフォルニアのオフィスにもその当時の上司が選んでくれました。

あのときもしうまくいかなかったらどうしていただろうと考えたことが何度かあります。どうしていたか? いやどうなっていたか? どうなっていたかは予想はつきます。暫定的にプロジェクトに入っていただけですから時が過ぎたところで日本の部署に戻っていたでしょう。もともとはトレーニングが主体で来ていたわけですから。どうしていたかな? なのですが今考えてもよくわからない。細々とやっていたのかな?何か探したのかな?

チャンスに備えて日ごろから準備しておくんだとは誰もがいうんですね。私もそう思うんですが準備ができていないからってチャンスを逃してはだめだと先のブログで書きました。私はあのミーティング、あのマネージャに言われたとき”やりたくない”とだけは言わなかった。よくわからないが彼も”良いチャンスだからやると言え”とだけ言ってましたよ。良いマネージャでした。実際あれほどのチャンスは中々なかったですから。当日まで誰がでるのかもよく知らなかったのですがたぶん興奮もあったのでしょうね、とにかく自分でも驚くほどにしゃべり続けましたから。 まさしく日本語から英語への頭の中での翻訳をしなかったと記憶しています。あの日以来翻訳をしなくなりました。

あれ以来カリフォルニアに来てもずっとエンジニアができているし、いい会社に誘ってくれるし、その時以降、もう”できない”とは思わなくなりましたね(最近マーケティングからエンジニアに戻った時はさすがに悩んだですが)。難しいけれど、なんとかなるさ、という自信はどこに転職してもあります(転職8回の経験者)。

そういった機会が人生ではあると思います。その時が早くやってくる人もいれば私のように30を過ぎてからのこともあるんです。

最後に、機会は決して平等に与えられるわけではないです。機会平等というのは実際の社会ではまず無いと思います。だからこそ、機会がやってきたら”逃すな”と言いたい。

料理色々と試しますがまだまだ失敗が多い。。。