東京を書いてどうするねん、なのですが、出張で一番行った海外の都市はというと東京です。
はるか以前、1997年から1999年までの間(3年くらい)日本の巨大企業のアメリカ法人でマネージャをしていた時期があります。これは私にとって唯一の日本企業(日系企業)での職となりますが日本にも開発チームがおり(あとUKにもいました)、プロジェクトの責任は私だったのでそれこそピーク時は毎週日本に出張でした。ZOOM などない時代です。一週間8日働く。。。毎週月曜に日本で日本の開発チームとプロジェクトのミーティングをしていたのです。土曜にサンフランシスコを出ると日本時間の日曜夕方に成田着。月曜朝からプロジェクトミーティングをしてその日の午後5時ごろの便でサンフランシスコに戻ると月曜の午前中に到着します。そのままオフィスに出て今度はアメリカ側のチーム(彼らは私の直属な部下)とミーティング。 月曜が2度あるんですね。プロジェクトマネージャというのは直属の部下はいません。部下はラインに従属するので日本やUKにいるエンジニアはそれぞれ現地の課長、部長が上司です。とてもやりにくいポジションなのですよ。チームを働かせるといっても責任はあっても権限は無いのです。アメリカのチームが一番大きく彼らは私の直属でしたがそれでも大変なのです。上位のマネジメントにはそれぞれ思惑もありますからね。社内抗争などにも関わってきますよ。XXXは嫌い、XXXは自分を差し置いて上と話をしたとか、まあ色々ありました。順調に進んでいるとパイを欲しがりますが一旦トラブルになるとす~とうまくかわされます。関わりたくない。。。USA, Japan, UK 上になればなるほどこんなことの連続ですよ。一番大変なのは”予算取り”です。お金を握ったら“勝ち”なのですよ。3か国に掛かりますが本社(日本)は予算で縛りをかけてきます。人事権より最後は予算ですね。予算をどう分配させるか、そんなことを2年ずっとやっていました。人事権を渡しても予算の決済権限は最後まで日本の部門ががっちり握ってました。予算が無ければ何も出来なくなりますからね。
そのころは会社の使っていた航空会社はJAL。日本でいう課長級でしたがこの会社部長級以上はビジネスクラスで課長級はエコノミーだったのですが年25回は(往復すると50回)搭乗していたのでJALは空席があればほぼ間違いなくビジネスクラスにアップグレードしてくれていました。これだけの回数搭乗するとフライトアテンダントとも知り合いになります。香港のアテンダントはとても愛想が良くサンフランシスコで一緒に食事をしたこともありますよ。良き時代でした。ホテルもわずか一泊なのですが毎週だったのでホテル内のレストランでは知られていました。お気に入りなウエイトレスがいつも伺いに来てくれました。日曜日夜到着しますがホテルのレストランはそんなに忙しくなくオーダーを取りながらあれこれ無駄話を沢山しましたがレストランのマネージャも”お得意様だから”と大目に見てくれていると言っていました。お得意様と言われたのはこの時が初めてでした。
そんな生活を2年もするとしかしながらとても疲れます。まだ独身だったころですがあの2年間は働くだけ、だった。
転職してベンチャー企業に入り5年ほど開発だけをしていましたがひょんないきさつでマーケティングに部署を変え、再び出張人生の始まり。
最初の頃は出張というと日本。いや日本だけでした。2000年当初、まだまだ日本が、バブルははじけた後とは言えアジアでは一番だったころです。まだAppleは倒産寸前、Amazon, Facebookはなかった頃でようやくGoogleが産声を上げたころ。日本のブランドがまだまだ世界中で知られていたころです。2か月に一度のペースで出張を繰り返していました。東京圏(川崎、厚木、横浜、八王子を含む)を電車、車(現地のセールス)で行き来した後、一日は地方(長野、名古屋、大阪、広島が主)にまで足を延ばす。これだけで十分5日はかかります。時差がありますから土曜に出て日曜着。日本を土曜に出て土曜に戻るというやはり週8日な生活。。。
日本はお客さんは優しいので、と言いますが時間を守るので仕事はきつくなかった(中国と違う)。お陰で夕方には自由!。 場合によっては午後早めにはもう自由です。日本を30年前に出たとは言えまだまだ大学時代の友人やその後知り合った友人、知人も多い東京。友人と会ったり一緒に来ている同僚、上司と渋谷だ、銀座だ、新宿だと良く出かけました。
以前書きましたが東京はとても楽しい都市です。ロンドン、ニューヨーク、東京でしょう。そしてなかでも、美味しい料理が手ごろに味わえるのは東京!断然東京なのです。インド人の友人曰く、ロンドンがインド外で一番美味しいインド料理を食べることができると思っていたが東京の方が圧倒的に上だと。そんなわけで東京出張は羨ましいのだそうです。
Hello Kittyは人気ですがKitty Landにどれだけの回数行ったことか。皆行きたい、娘に買って帰る、写真を撮って見せるんだそうです。Kittyちゃんにはポケモンもマリオも敵わないですね。
でもだんだんと東京に行く機会が少なくなってきた、いや最初は日本だけの出張が少なくなりました。日本にはいくがついでに台湾、韓国、中国も。。。となりその内に中国に行く次いでに台湾、韓国か日本に行くというようになり、最後は中国だけ行って戻る、つまりその他の国はもう行かない。この間わずかに10年です。
以前書きましたがUSの企業は
北米(USA、Canada)
EMEA (ヨーロッパと中東)
APAC(アジア、アセアン)
日本
とテリトリーを持つことが多かった。経済力2位の日本はそれだけでテリトリーだったのですが、いまでは APAJとなり日本はAPACと一緒になりその本社も上海や北京になっていることが多くなりました。
この変化を感じるようになったのは10年くらい前でしょうか?一度私が扱う商品に不都合が有ったのです。その対策のため日本も含め顧客を訪問しました。日本ではこんな場合とても大きな叱咤を受けるのですが2000万もの買い物をして、こんな程度か?と(不具合に対する対応について)問い詰められたのですが同じ不具合を出荷した中国の企業はもう6億円のアカウントとなっており2000万のアカウントは失っても良いと言われていたのでどんなに叱咤を受けてもどうすることもできなかったのです。2000万を大きな買いものだというのはその5年前には無かったこと(その5年前には別の日本企業と10億円近い取引をしていた)。あれよあれよという間に規模が小さくなったのです。結局その企業はその事業からは撤退をしてしまいました。
そんな自分に直接関係するビジネスから東京の地位(あくまでも私のビジネスですが)を10,15年で経験しました。
ですが、東京はまだまだブランド力があります、と言いますか私の目にはブランドを作ってきていないのがもったいない。
GINZA, TOKYO, SIBUYA
どれもとてもいいブランドになる。GINZA。 知っている人は知ってますが私の同僚、知人、友人で日本に行ったことが無い人にGINZAと言っても良くしらない。でもロンドンのボンドストリート、ニューヨークの5番街などというと良く知っている。GINZAはこれら以上の地なのですが(中国人はGINZAよく知ってます)。ブランドにすれば良いのに、と思います。女性の中にはGINZAを知っている人がいました。なぜか? 資生堂の化粧品のパッケージにGINZAと書いてあるそうです。 以前も書きましたがパッケージなどにTOKYOだ、GINZAだ、SIBUYAだと誇らしげにロゴを統一して書けば良いんです。商品にもね。ブランドほど大切なものはないしTOKYOにはブランドが沢山眠っています。
私は今の仕事を”勤める”最後の仕事と決めています。
その後は 勤めないで仕事をする。
目標は東京にオフィスを持つ。時々オフィスの物件を見ています。目で見るだけでも楽しいし、何事も成就するには目に焼き付くVisualizationは必要ですから。
なんといっても東京は魅力ある都市なのです。
そんな魅力ある都市を持つ日本。その魅力をもっともっと磨けば良いのになあと思います。
みんな知ってるスカイツリー。昨年やっと行きました。
美味しいデザートも日本ならでは。パフェは銀座千疋屋で。
イチゴのショートケーキは実はこちらの町 Los Altosにあるサチュラ ケーキで。 ここは日本のケーキ屋さん。この辺りで一番美味しくいつ行っても長い行列が出来ています。ここのケーキを食べると他のお店のケーキはもう食べる気がしない、そうです。
こんなケーキが普通に食べれるよ、と言うと””東京は天国だ”と必ず言われます。